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2019年2月5日火曜日

(雑談)「芭蕉翁行脚怪談袋」

人の心には不思議があり、その代表が「夢」だ。あまりに奇妙で理解不能のため、他言するのは珍しい。ほかの者からしても、他人の夢に関心は少ない。その夢がうつつとの境界で語られると、現実の重みに引っ張られてか、ひとびとは俄然興味を持つ。不思議・奇談の話に共振する、お互い深層で絡んでいることを知っているからかもしれない。

「怪談おくのほそ道 現代語訳『芭蕉翁行脚怪談袋』」 (伊藤龍平 現代語訳、国書刊行会 発行、2016年5月)を地元の書店で見つけて手にした。俳聖「芭蕉」(寛永21年(1644年)~元禄7年(1694年))の有名な句に照らして、怪談を付け合せた仏教説話というか奇談を集めた感じだ。巻末の解題を見ると、原本は明確でなく、写本にあたるものがあって古くは弘化三年(1846年)に遡るよう。そうなると、ますますいつ頃に成立したのか知りたくなる。

国立国会図書館のデジタルコレクション
ちなみに、国立国会図書館のデジタルコレクション*所蔵の「芭蕉翁行脚怪談袋」(広野仲助 編、三好守雄 発行、明治19年(1886年)年7月)は、ネットで見られるものの中で、一番古い。ただし、この本の挿絵は、(上記本にも掲載していて)西洋画の技法を強く感じる(明治期の挿絵画家によるものだろうか?)。

(*)国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/881848

(第一話にあたる)この挿絵は、一般に仏道の姿にイメージされる芭蕉が、古戦場近くで武士の亡霊と出会うところを描いていて、武士の願いを聞き入れて成仏させる話だ。


(追記)
この「芭蕉翁行脚怪談袋」は、芭蕉と門下を含めて彼らを確かにたどる研究文献の範疇に入らぬそうだ。

(付記)
昨日の暖かさは一体何だったのかと思い返すほど今日は冷える。気象庁のカレンダーではまだ冬なのだ。旧暦の正月の今日、こちらは至って平穏、静かな一日だった。

2019年8月24日土曜日

おむすびころりん

探査機「はやぶさ2」が、小惑星「リュウグウ」に2回目のタッチダウンした際に作った<穴ぼこ>が、「おむすびころりんクレーター」と命名されたと、時事通信の記事「『おむすびころりん』と命名=りゅうぐうの人工クレーター - JAXA」(8/22)は次のように伝えている。(抜粋)
(*)記事: https://www.jiji.com/jc/article?k=2019082200920&g=soc
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宇宙航空研究開発機構(JAXA)は22日、探査機「はやぶさ2」が小惑星「りゅうぐう」表面につくった人工クレーターに「おむすびころりんクレーター」と愛称を付けたことを明らかにした。
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(本ブログ関連:”はやぶさ2”)

なお、8/22にJAXAで開催された記者説明会資料***に、「はやぶさ2」ミッションの概要が紹介されていて分かりやすい。人工クレータの命名の他に、小惑星探査に関わった半ばに逝去された技術者たちの名を冠した<岩>についても紹介されている。
(***)資料: https://fanfun.jaxa.jp/countdown/hayabusa2/press/files/20190822_hayabusa2.pdf

ところで、転がり落ちるイメージから「どんぐりころころ」の童謡を思い出すが、「おむすびころりん」の童謡は聴いた記憶がない。童話については、話を聞かされたことがあるけれど。そこで、童謡はないかと探せば、国立国会図書館デジタルコレクション**に、北原白秋の作品があった。
(**)デジタルコレクション: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720371

(本ブログ関連:”国立国会図書館デジタルコレクション”)

北原白秋の童謡集「国引」(帝国教育会出版部、昭和18年7月25日)の中に、「おむすびころりん」(p.66)が収録されている。以下転記する。なお、岩波書店のサイト****にも、この童謡集が転記されているので参考にした。
(****)国引: http://www.j-texts.com/hakushu/kunibikiah.html


おむすびころりん

1

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、小山をころげてく。

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、砂山、砂に穴。

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、ころころ、穴のなか。

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

2

おむすびころりん、
ころころりん、
爺さん、おむすび投げまする。

おむすびころりん、
ころころりん、
まいにち、お山で日が暮れる。

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、こんどは重箱だ。

重箱ころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

爺さんころりん、
ころころりん、
ころりん、爺さん、ころげてく。

3

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

重箱ころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

爺さんころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

鼠の餅つき、
ころころりん、
ころりん、小山の穴のなか。

爺さんお禮よ、
ころころりん、
ころりん、黄金(こがね)も的(臼)のなか。

すつとん、すつとん、
ころころりん、
ころりん、小槌も添へてあぎよ。

4

おむすびころりん、
ころころりん、
おかげで爺さん、ほいこらさ。

婆さん、これ見な、
この小槌、
どつさり、お寶(たから)うち出そか。

爺さん婆さん、
若くなれ、
ついでに赤んぼ、飛んで出ろ。

お家も出ろ出ろ、
よいお家、
よいことづくしで、すつとんとん。

おむすびころりん、
ころころりん、
今でも、どつかで、すつとんとん。

2025年2月8日土曜日

(資料)事八日(ことようか)と目籠(めかご)

ネット上で検索・収集した情報による:

きょうは「事八日(ことようか)」(「事始め」または「事納め」)、農事を基準として、事(こと)の始まりと、納めを著す日とのこと。基本的には、物忌(ものいみ:災禍を防ぐ)のための行事が行なわれる。
Wikipediaによると、(事八日は)2月8日と12月8日の年2回またはいずれかに行われる、2月8日と12月8日のどちらかを「事始め」、他方を「事納め」と呼ぶことがある。また、「目籠(めかご)」を高く掲げたり、「農作業をしてはならない、山に入ってはいけないなどの物忌がある」。
実際のところ今の日常生活で、事八日を意識したり経験することはないのだが・・・。

Googleの生成AI「Gemini」によれば、江戸時代後期の風俗習慣について書かれた随筆「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」に「事八日」についての記載があるとのこと。また、Wikipediaを見ると、風俗習慣の例として「目籠(めかご)」の挿絵が掲げられていて、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の「温故年中行事(初編 5版)」*(小林永濯 画、初編、出版年月日:明17~28)で確認できる。
(*)国立国会図書館デジタルコレクション:「温故年中行事」の図版に「目籠」を「事納(事納め)」としているが。
    ー https://dl.ndl.go.jp/pid/767862/1/20


「コトバンク」に掲載の「目籠(メゴ)」の【こと八日】項に、目籠の目的について、次のように説明されている。
    ー https://kotobank.jp/word/%E7%9B%AE%E7%B1%A0-643466
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・・・(事八日)の日は,神送迎のために物忌すべき日と考えられていたようで,物忌の厳重なるがゆえに一つ目小僧,ミカワリ婆さん,笹神,疫病神等の到来を恐れる伝承を生み,関東から東北地方にかけては妖怪から身を守る(それを防ぐ)ために,夕方早く屋内に引きこもるべきだといったり,庭先や門口に目籠(めかご)を出したり,ヒイラギやトウガラシ,ニンニク,髪の毛などを戸口にさしたり燃やしたりすることが行われている。八日吹きといって,この両日には天候が荒れるとする伝承も,神去来と関連あるものであろう。…
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(付記)
「事八日」から、「事」について「農事」という言葉を思い浮かべてしまう。子どものころ、(昼の時間帯だったそうだが)居間の真空管ラジオから流れてくる、農村の農事情報を何とはなしに聞いていた。番組の始まりに流れるゆったりとしたテーマ曲(作曲 古関裕而)や、情報提供者の肩書を「農事通信員」(正式には「農事放送通信員」)と呼んでいたことを懐かしく思い出す。実は同番組が、現在も放送されていると番組サイトで知って驚いた。

① NHKラジオ
    ー https://www.nhk.jp/p/hirunoikoi/rs/P1LK3137Z2/
・ちなみに、最新(2/7放送)の放送
    ー https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=P1LK3137Z2_01_4151318&cid=jp-P1LK3137Z2

② JAcom
「『昼のいこい』への思い【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第127回」(2020年12月3日)
    ー https://www.jacom.or.jp/column/2020/12/201203-48079.php
・番組「昼のいこい」について、歴史と経験が語られてぃる。
・同放送が「農村有線放送電話」という、かつて置き電話で流されていた話題もある。

2015年4月10日金曜日

(資料) 那須野の殺生石

イ・ソンヒが、愛弟子イ・スンギ主演のSBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」で、テーマ曲「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌って以来、九尾狐や稲荷など狐に関する故事を巡っている。

国立国会図書館のデジタルコレクションに、大正11年出版の「奇蹟ものがたり:行脚しらべ」(物集高見(もずめ たかみ)著、雄文堂, 1922年)がある。いきなり、採集話しに始まって終わる(序文も解説もない)体裁の一般向け奇談集だ。その中で、「那須野の殺生石」があり、帝(=鳥羽上皇)を迷わした九尾狐(=玉藻前)の話が次のように語られている。
なお、著者物集高見は、東京帝大教授を退官後、「在野の学者として研究に没頭し、貧窮の中で全国を行脚して約5万冊の書物を集め、さらにその総てを読破した」(Wikipedia)とある。

(本ブログ関連:”九尾狐”、”殺生石”、”安倍晴明”、”国立国会図書館”)
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「那須野の殺生石」

久寿元年(=1154年)近衛院の御宇、仙洞に一人の美女出現し玉藻と云ふやがて后となりて帝を悩したり。宮中の御騒ぎ一方ならず、投薬看護をさをさ怠りなかりしも、御悩は日々重らせ給ふのみ。依って典薬頭を召して御尋ねありけるに、御悩は御邪気に渡らせ給ふ由申上げたり。さらば陰陽頭を召せとて安倍泰成(=安倍晴明)を呼ばれたるに、泰成は急ぎ御祈祷然るべしと言上に及びたり。何故かと公卿大臣等より御尋ねありければ、さればにて候。これは日頃御寵愛なる玉藻の所為にて候玉藻前は下野国那須野(=栃木県)に住める金毛九尾の狐にて、決して人間にあらず。此の狐昔唐土にては殷の時至の后姐巳(=だっき)となり、玄宗皇帝の時には楊貴妃となり、常に美貌を装ひ、君を迷はし徳を敗り国を傾く。今や又我が朝に渡りて君を悩まし奉るなり。ゆめ御油断あるべからずと憚る所なく申上げたれば、さらばとて泰成に太山府君奉祭御幣の役目仰せ付けられければ、勅命なれば辞むに由なく御受けせり。泰成彼の玉藻前に天神地袛の幣帛をもたせ、祭文を読み立てたれば忽ち御幣を捨て原の狐となって逃げ失せたり。これが為め、君の御悩は立所に平癒しければ御感斜ならず。泰成は世にも稀なる面目を施したり。

其の後三浦介(=義明)上総介(=広常)の両将に対し、那須野狩の院宣ありければ、勅命背き難く、那須野に行きて狩しけるが、名におふ狐の事とて、天に翔り地を走ることさながら神変なり。然し此方も亦東国屈指の名将、争で獣に引けを取るべき、遂に狐を狩取って上洛す。

院には御感の余り、那須野にて狩りし時の装束を着け、当時の有様を模し見せよとの御諚ありて、赤犬一疋出されたり。依って勅に従ひ其の射止めたる模様を御覧に入れければ、実に弓矢の秘術なりと御賞めあり、其の式法を犬追物と名け後永く行はれたり。

又此の狐腹内には金の壷あり、其の中に仏舎利ありたれば、これを院に献じ奉りたり、猶額にありたる白玉はこれを三浦介に、尾の先にありたる二つの針の中其の一つは上総介に賜ひ、狐をば宇治宝蔵に納められけり。那須の殺生石は即ち此の狐の霊を祀りたるものなり。
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上記の最後にある、後日談として、狐の「腹内には金の壷あり、其の中に仏舎利あり」、「額にありたる白玉」、「尾の先にありたる二つの針」など知らなかった。

物語は、モデルとなった皇后美福門院(藤原得子)の美貌に対する嫉妬、寵愛による権勢の確執など背景にあったといわれるが、下野国那須野が登場するのなぜだろうか。

2019年4月25日木曜日

バスクと鉄

以前、バスク語教室の第3回目で「バスク文化」が紹介された。その回、先生がスペイン・バスク州ビスカヤ県の「ビルバオ」地域の街歩きガイドBOOKを配られた。おしゃれなカラー写真と図版で解説・構成された上質紙の冊子だ。

(本ブログ関連:”バスク語”)

ビルバオ地域は、かつて県内で産出された鉄鉱石をもとに、製鉄業でスペインの重要な地位を占めたという。Wikipediaによれば、「高品質の鉄がヨーロッパ中に輸出された。19世紀後半まで製鉄業は発展し続け、資源はビルバオに富をもたらした」という。上記の旅行ガイドは、かつての工業都市を脱して、文化都市への様変わりを宣言しているようだ。

ところで、国立国会図書館デジタルコレクションに、「民族形成と鉄の文明」*(宍戸儀一著、道統社、昭和17年)がデジタル保存・公開されている。その記述に、「ダクチリと原バスク人」の項があり、原バスク人と鉄の関係について触れている。素人の覗き見でしかなく、この書全体でどのような位置づけされているのかもよく知らないが、次のような記述が気になった。・・・これが、現在のバスク人とどうつながるか、つながらないかの知識はないけれど、バスク人と鉄の関係がうかがえたような気がした。
(*) 民族形成と鉄の文明: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060237

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ヒューウィット(Hewitt)**によれば、ダクチル(dactyl***)族はフリギア(Phrygia)に於いてフィン系の原バスク人と合一したといふ。
・・・ヒューウィット説に従えば、彼等は、地中海の西端に辿り着いてエブロ河(Ebro)を母川とするイベリア・バスク人になった。この説の当否は問題であるが、コウカサス南麓のエベル(Eber)の国やフリギア辺境のイブレーズ町(Ibreez)とイベリア・バスク人との間になんらかの所縁だけはあったのであらう。
原バスク人は、ヒューウィットによって採鉱冶金者なる原フィン人と同一視される。しかるに、フィン語では金属はもともとバスキ(vaski)と呼ばれた。
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(**) James Francis Hewitt: ”The Ruling Races Of Prehistoric Times”
           https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.283692/page/n385
(***)ダクチル:ギリシャ神話に登場、metalworkingを人に授ける

地図:「民族形成と鉄の文明」所載
フリギア:現トルコ中央部














ヒューウィットの説にほぼ負った記述であるため、妄想世界に引き込まれて行きそうな危惧がある。果たして、この説がどうなのか自信ないし、現在の研究者たちにどう判断、評価されているかも知らない。ローマと対峙したというバスク人の祖先が、ギリシャ系とフィン系が合一したというのは夢がある。
(ちなみに、フィンランド語で「vaski」は「真鍮」。ただし「鉄」は「rauta」)

(本ブログ関連:”山師”)

2026年1月17日土曜日

小惑星イダ(Ida)の衛星ダクティル(Dactyl)

以前、バスク語入門講座に出席したとき、バスク人のエリアである、スぺインのカンタブリア海に面したビルバオ地方について、かつて製鉄の工業都市から文化都市へと変貌しているという解説があった。そこで、古い資料をもとに、バスクと鉄の関連について調べた。

(本ブログ関連:”バスクと鉄”)
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国立国会図書館デジタルコレクションに、「民族形成と鉄の文明」(宍戸儀一著、道統社、昭和17年)がデジタル保存・公開されている。その記述に、「ダクチリと原バスク人」の項があり、原バスク人と鉄の関係について触れている。

(同書に紹介された)ヒューウィット(Hewitt)によれば、ダクチル(dactyl)族はフリギア(Phrygia)に於いてフィン系*の原バスク人と合一したといふ。(ダクチル:ギリシャ神話に登場、metalworkingを人に授ける)
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(*)先日(2025年12月23日)、フィンランド人(フィン族)について触れたが、原バスク人と関連あるというのは興味深い。


小惑星にも衛星がある
あるとき、火星と木星の間にある小惑星帯のひとつである「小惑星イダ(Ida)」の周りをまわる「衛星ダクティル(Dactyl)」があることを知り、上記の「ダクチル(Dactyl)族」のことを思い出した。ちなみに、衛星ダクティル(1.6x1.4x1.2 km)は、小惑星イトカワ(538x294x209 m)より大きい。

Dactylの名の由来は、
・「ギリシア語で『指』を意味する」(検索AI Labs)。
・「ギリシア神話に登場する『イダ山』に住む生き物の名前を取って『ダクティル』と命名された」(Wikipedia)。
・「ダクティルスは古代の鍛冶屋であり、治癒魔術師でもあった。いくつかの神話では、彼らはヘパイストスに雇われており、人間に金属加工、数学、アルファベットを教えたとされている」(e-Wikipedia)

ところで、鉄に縁の深い小惑星は「ベスタ(Vesta)」で中心部に重い金属の核があるという。

2023年3月26日日曜日

ブドウは酸っぱいか甘いか

先日、スーパーで「ファンタグレープ」の1.5リットル入りを買った。いま飲んでいるオーソドックスな無添加ワインが物足りなかったからだ。いまどきの葡萄酒(ワイン)は渋くて馴染めない。私にとっての葡萄酒は、赤くて甘~い、「赤玉ポートワイン」あるいは「蜂葡萄酒」なのだ。(ベーコンも、白身に赤いふちのあるクジラのものでなければならない)

で、どうやったかといえば、ファンタグレープと普通の葡萄酒を混ぜ合わせて飲んだのだ。甘い葡萄酒にかぎる。だって果物の葡萄の実は甘いのがよいというのに、酒は甘美のない渋い方がよいというのは合点がいかない(「アイスワイン」や「貴腐ワイン」があるではないか)。ともあれ、むかし普及した葡萄酒は甘かったのだ。

(本ブログ関連:”甘口の酒”)

ところで、教訓好きな童話に「イソップ童話」がある。以前にも触れたが、キツネ(ずるくて狡猾、悪知恵が働く役回り)が、歩き疲れて喉が渇いたとき、ブドウの実がたわわに実っているのを見つけて取ろうとするが届かず、悪態を吐いてその場を去る話がある。「フン」とか言ってる分にはいいのだが、性分が露わになる暴言はいただけない・・・という話だ。

(本ブログ関連:”イソップ キツネ”)

修身というか道徳につながる寓話を、教育の現場でどう扱われているか知らない。イソップ童話の寓意は早めに気づけば気付くほどよい。子どものころに習得しておけば、恥をさらすこともない。不幸なのは、口から吐いた言葉に何も気付かないことだ。
(老後についてタワマンの高層から発信を続けた老社会学者の弟子として、伝道の役割りをつづけた若者が、最近は作家になろうと方向転換している。でも性分は変わらないらしく、テレビのニュースショー(ワイドショー)で、WBCについて関心がないと公言していた)

イソップの寓意から、キツネの言葉をいってはいけないではなく、キツネにはなるなということを知るべきかもしれない。葉っぱを頭にのせてクルリと回転しても、尻尾を隠すことはできない。


国立国会図書館デジタルコレクション

①「ししの王国 : イソップ物語篇 (世界おとぎ文庫 ; 5)」(アイソポス 原作, 楠山正雄 編、小峰書店、昭和24(1949)年)
- 「21 ぶどうを たべそなった きつね」より抜粋
https://milestone-milestone.blogspot.com/2016/10/blog-post_12.html
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(略)
「あの ぶどうは、もう、じゅくしていることだとおもったら。なあに、とても すっぱくて、たべられたものではない。ありゃあ、ぶたの たべものさ。」と、まけおしみをいいいい、またひょろひょろと、出て行きました。

じぶんの力がたりなくて、ものごとがうまく行かないときに、そのわるくちをいいたがるのは、つまらないひとのくせです。
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② 「イソップお伽噺」(三立社、1911年、明44年9月、訳述者 巌谷季雄=小波)
ー 「一三三 正しき望み 狐と葡萄」より抜粋
https://dl.ndl.go.jp/pid/1169898/1/1
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(略)
   それで幾度(いくど)も跳(は)ねて居(ゐ)る中(うち)に、體(からだ)は段々(だんだん)疲(つか)れるのに、葡萄(ぶだう)は一粒(ひとつぶ)も食(た)べられませんから、狐(きつね)はとう~自棄(やけ)を起(おこ)し、
   「何(なん)だ! こんな青(あお)い葡萄(ぶだう)が食(た)べられるもんか。食(く)ったら酸(すっ)ぱくて仕様(しやう)がないだらう。」
と、毒(どく)づいて、其(その)まゝ行(い)ってしまひました。
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2024年5月20日月曜日

小満 2024

(昨日5/20の、二十四節気「小満(しょうまん)」をブログに書き忘れたので、タイムスタンプを逆回しして、本日5/21 記す)

二十四節気の「小満」となる、きょう(5月20日)の日付にかわってから降り始めた雨は、未明(4:00頃)にピークを迎え、朝方になっておさまった。それに代わって、今度は風が昼過ぎまで吹いた。収まりの悪い天気に、外出する気力も萎えて一日こもった。

「夏至」から15日後のきょうは、小満で草木が繁って天地に満ちあふれるころだ。実際、公園を巡れば、草や木の枝葉が繁り、緑が深まったことを実感する。
江戸時代の「暦便覧」*に「万物 盈満(えいまん)すれば 草木枝葉志げる」と記されている。(盈満: 満ち溢れること)
(*)国立国会図書館デジタルコレクション: https://dl.ndl.go.jp/pid/2536637/1/7

(本ブログ関連:”小満”)

小満を3つに分ける「七十二候」は次の通り。
・初候: 蚕起食桑(かいこ おこって くわを くらう) : 蚕が桑を盛んに食べ始める
・次候: 紅花栄(こうか さかう) : 紅花が盛んに咲く
・末候: 麦秋至(ばくしゅう いたる) : 麦が熟し麦秋となる

現在は七十二候の(小満の)「初候」にあたり、カイコ(蚕)が桑の葉を盛んに食う時期だ。むかしの養蚕農家は、自宅の二階に蚕室を設け、カイコの幼虫に桑の葉を毎日与えて成長させた。絹糸は、日本の貴重な外貨獲得の産品だった。

中学生のころ、杉並の高円寺にあった「蚕糸試験場」を記憶している。最近、大学博物館**で絹織機を見たとき、解説の研究員に高円寺の蚕糸試験場の話をしたが通じなかった。それもそうだな、同試験場は、1980(昭和55)年に茨城県つくば市へ機能を移転***したのだから。すでに40年近く経っている・・・。
(**) https://www.tuat-museum.org/繊維機械展示室/
(***) https://www.suginamigaku.org/2014/10/yosan-shikenjou-02-01.html

カイコについて、前に触れたかもしれないが、大学時代におかしな奴がいて、どこからか持ってきたカイコの幼虫を「千円くれたら食って見せる」と言い出した。面白がった仲間の一人が賭けに出たところ、本当に食って(飲み込んで)しまったのだ。当時の千円は今と違って、だいぶ価値があった・・・そっちの方が気になった。

2024年12月18日水曜日

源内忌(火浣布)

きょうは、江戸中期の万能の畸人、平賀源内(享保13年(1728年)~ 安永8年12月18日(1780年1月24日)、筆名に「鳩渓(きゅうけい)」、「風来山人(ふうらいさんじん))」が亡くなった「源内忌」にあたる。蘭学・本草学・浄瑠璃など異能多才振りについて、これまで本ブログに、耳情報による数行をメモしている。今回もダラダラと記す。

(本ブログ関連:”平賀源内”)

きっかけは鉱物趣味だったころ、彼の発明した「火浣布」が、現在の秩父市大滝の中津川で見つかった石綿をもとにしたと知って俄然興味がわいた。
秩父鉱山によく行ったせいもある(秋田藩の鉱山(銅山)との関わりも興味深い)。それにしても、江戸から秩父への道のりを考えると、彼が多々成し遂げた仕事の一つのために、精神も体力もついやす驚異の人と言わざる得ない。
ちなみに源内(鳩渓)は、その行動から「山師」とあざけられたりもした。

(本ブログ関連:”秩父鉱山”、”山師”)

■『マリンエンジニアリング』← Wikipediaの平賀源内の「出典」に掲載
「解説 マルチ人間 平賀源内の発想」(砂山長三郎、第55巻第5号、2020年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jime/55/5/55_604/_pdf/-char/ja
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まだ雪深い中で,2 月には採取した石綿から布を作り出します.中島一家の協力で出来上がり,「火浣布(かかんぷ)」(火で汚れが浣(あら)える布)と名付け,2~3cm 角の香敷(香を焚くときに炭の上にのせる網)に仕上げます.オランダ人一行に見せ,昔はトルコで織り出されたが今は何処にも出来ていないとの証言を得て,それらの経緯を「火浣布説」にまとめ,3 月香敷と一緒に幕府に献上します
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北越雪譜
■ 国立国会図書館デジタルコレクション
江戸時代後期の商人・随筆家「鈴木 牧之(明和7年1月27日(1770年2月22日) ~ 天保13年5月15日(1842年6月23日))」の著「北越雪譜」に、火浣布の記述がある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/767990/1/5

■「北越雪譜」二編 巻之四(青空文庫)
「火浣布」: 源内の他に、黒田玄鶴と稲荷屋喜右衛門が同様に作ったが、いずれも術をつたへずして没した。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001930/files/58401_70229.html

■ レファレンス協同データベース
「『北越雪譜』火浣布に出てくる黒田玄鶴と稲荷屋喜右衛門」
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000025717



「近世人物夜話」
「秀吉から辰五郎まで-----」の四十編におよぶ人物話である「近世人物夜話」(森銑三、講談社文庫)に、源内の項がある。話は飛ぶが、ここでいう辰五郎は腹の据わった侠客で、徳川慶喜とつながったりして、江戸幕府がもし生きながらえていたらと想像したくなる。
源内については、江戸期に記されたいくつかの評伝を並べ、読み解いている。

源内は、大才であるが狭量だったようだ。源内のエレキテルを盗用したと錺(かざり)師(あるいは鍛冶屋)を訴え牢死させ、その後借金取りを切って死なせ**、そのお咎めで入牢するも自身がそこで最後を迎えるとは・・・。そもそも事故物件の家に住んだという話もあって、風変り、波乱万丈の人だった。
(**)源内の門人であって、源内宛の密書を盗み見したからだと・・・さらに義経伝説のような顛末が続く話もある。

森銑三氏は、源内について「癇癪で自尊心が強く、変質者的な一面はあったにもせよ、源内その人は心置きなく交際のできる人物であったらうと、私は思っている。」と評している。

2024年11月22日金曜日

小雪 2024

きょうは二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。氷雨が冷気のせいで小雪に変わるころ。江戸時代の「暦便覧」*に(旧暦十月中)「ひ(冷)ゆる□ゆへ(故)に雨もゆき(雪)となりてくだ(下)るがゆへ(故)なり」と記されている。
(*)国立国会図書館デジタルコレクション: https://dl.ndl.go.jp/pid/2536637/1/7

(本ブログ関連:”小雪”)

寒気がひと休憩したと思ったら、今朝のテレビの天気予報で、これから ”V” 字型に巡るという。総じて秋がダラダラ続いている気配する。寒さが苦手な者には都合よいが。

なお、二十四節気「小雪」の間の「七十二候」は次の通り。
・初候: 虹蔵不見(にじ かくれて みえず)  虹を見かけなくなる
・次候: 朔風払葉(さくふう はを はらう)  冷たい北風が木の葉を払い落す
・末候: 橘始黄(たちばな はじめて きなり) 橘**の実が黄色くなり始める
(**)橘(タチバナ): ミカン科の常緑小高木で柑橘類の一種(実は酸味が強いよう)

Googleで「小雪」と漢字のまま検索すると、最初に挙げられるのは、女優の「小雪(こゆき)」さんだ。実は、二十四節気の小雪のたび、最初に思いつくのも、女優の小雪さんである。そして、そのたび小雪さんへの礼讃を記していることに気付く次第。

(本ブログ関連:”女優 小雪”)

■ Youtube(登録:taggingR)
「ALWAYS 続・3丁目の夕日」
https://www.youtube.com/watch?v=3h1jv6b8Wmg

2023年4月5日水曜日

清明 2023

きょうは、二十四節気の「清明(せいめい)」、まさに生命が輝く季節の始まりだ。

江戸時代に出版された「こよみ便覧」*(太玄斎=松平頼救著、天明七年=1787年:版元=蔦屋重三郎ほか)に、清明節(きよくあきら)について「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」( 万物が清々しく明るく美しいころになれば、この芽が何の草かと知れるようになる)と記載されている。清明は、清浄明潔につながる。
(*)こよみ便覧(国立国会図書館デジタルコレクション): https://dl.ndl.go.jp/pid/2536637/1/7

(本ブログ関連:”清明”)

古い中国の「清明節」には、墓掃除で草をむしりするそうだ。「こよみ便覧」にある < 此の芽 >** とは、一体どこで芽吹いたものだろうか。そして、どんな機会、場面に出合ったものだろうか。
(**)樹々が重い冬から覚め、芽吹き始める早春をさす言葉に「木(こ)の芽時」がある。

人は、境界をはっきりさせたくて暦を作った。太陽の動きから、日の出、日の入りが、真東、真西になる切りのいい日を「春分」の日、「秋分」の日と呼んだ。生命については、春分を真ん中にはさんで前後に「啓蟄」と「清明」がある。

二十四節気の個々の名は、何かしらの観点をもって名付けしているのだろう。当たり前といえばそうだが。

2025年3月5日水曜日

啓蟄 2025

昨夜来の「氷雨」は、早朝には落ち着いたようだ。黒く濡れた通りに雨はないものの、家々の雨樋(あまとい)を伝わって水の滴る音がする。見上げると、屋根に雪が残っているのが見える。どうやら(天気予報の通り)、夜中に雪が積もったらしい。

先週の暖かさが嘘のようだ。寒暖の繰り返しが当分続くのだろうか。少々気が休まらない。

きょうは、二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」。冬に土中にこもっていた虫が、穴から出てくるころ。啓蟄について、江戸時代の「暦便覧」*(著者 太玄斎、出版者 蔦屋重三郎[ほか1名]、出版年 天明7年)に、「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、あな(穴)をひらき出ればなり」と記されている。
(*)国立国会図書館デジタルコレクション
    ー https://dl.ndl.go.jp/pid/2536637/1/7

(本ブログ関連:”啓蟄”)

きょうの天気に、地中の虫たちは出番をあぐねていることだろう。それを押し出すのが、この時期(啓蟄)の雷(初雷)で、「虫出しの雷」というそうだ。たしかに、落雷は樹の幹を吹き飛ばしたり、地面を這うように広がり危険。地中の虫たちたまったものじゃないだろう。

七十二候
二十四節気の「啓蟄」の間を、三つに分けた「七十二候」は次の通り。
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・初候: 蟄虫啓戸(ちっちゅう とを ひらく) 冬籠りの虫が姿を現しだす。
・次候: 桃始笑(もも はじめて わらう) 桃の花が咲き始める。
・末候: 菜虫化蝶(なむし ちょうと けす) 青虫**が蛹(さなぎ)となり、羽化して蝶に生まれ変わる。
 (**)青虫:アブラナ科の野菜につく昆虫(害虫)を指す。
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(付記)
① 生成AI「Gemini」
啓蟄の頃に活動を始める主な昆虫を問うてみたところ、(土中に棲むものとしては)クロアリ、アミメアリ、ダンゴムシなどをあげた。

② ウェザーニュース
七十二候の「蟄虫啓戸」にある「虫」は、昆虫に限らず冬ごもりから目覚めたいろいろな生命をあらわすという。
「二十四節気『啓蟄』 虫も山も笑顔になる時季!?」(2022/03/05)
    ー https://weathernews.jp/s/topics/202202/280125/
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啓蟄の「啓」は「開く」の意で、「蟄」は「冬の間、地中に閉じこもっている虫」のことです。この場合の「虫」は昆虫に限らず、ヘビやトカゲ、カエルなども含みます。つまり「啓蟄」は「冬ごもりをしていた昆虫などが地上に這い出ること」を意味します。
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2017年8月18日金曜日

イソップ「狐と山羊」

イソップ童話の寓意はおもしろい。特に狐が登場する話しは、童話の滑稽さがあるものの、人間の欲と狡猾を彷彿させる。ときに、狐の悪知恵は人生の教訓になる。自分がその餌食になるか、あるいは危機の回避に使うか。

国立国会図書館デジタルコレクションから「イソップ童話」(春秋社訳編、大正13年)にある「狐と山羊」を見る。大きな危機をすり抜けるずるい話しであるが、歴史の裏の小さな場面にあったかもしれない。時代を泳ぎ、時代の変化を嗅ぎ取った知恵あるものは、愚鈍な民を足台にして巧みに危機を脱した。私は山羊だ。だから狐の動きに注意しよう。

(本ブログ関連:”イソップ”)

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ある時、狐が深い井戸の中へおっこちて、どうしても這ひ出ることが出来ませんでした。まもなく山羊が通りかかったので
「おい、君、君、山羊君」
と、狐は呼びかけました。「君はまだ聞かないかね。大変な旱魃(ひでり)になるんだよ。だから僕はここへ飛び込んだのだ。井戸の中にゐさへすれば水に心配はないからね。どうだ、君も飛び込んで来ない?」
山羊はこの注意(ちゅうこく)を尤(もっと)もだと思って井戸の中に飛びこみました。すると、狐はすぐその背の上に乗り、長い角を足台にして、うまうまと井戸の外へ飛び出しました。
「あばよ、山羊君。これからは偽(だま)されないやうに用心し給へよ。」

        窮迫せる者の注意に耳を傾くなかれ。
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2015年3月27日金曜日

(資料) 山師

鉱物マニアの端くれで、アマチュアの末席にずっと留まっている。少しも上達しない。けれど、山中に宝探しするようなわくわく感が忘れられず、今も続けている。といって独力で探し廻ることはない、というよりできない。ベテランについて、鉱山跡のズリ場を(ほんの少し)掘り返す。事前の鉱物産地情報が必要で、もっぱら人脈に頼っている。

その昔、石採りがどうだったか気になる。黎明の山頂に光輝を見てとか、深山の懐に雲立つ場所があってとか、鉱山の発見に神仙というか山岳信仰的なロマンを感じる。さらに、史実を知らないが、鉱山技術にキリシタンの流れがあったという噂を聞いたこともある。そんなわけで、昔に探鉱して、採鉱、精錬、流通といった鉱山経営の一大プロジェクトを遂行した「山師」について、概要だけでも知りたいと思う。

(本ブログ関連:”山師”)

国立国会図書館のデジタルコレクションに、昭和初期のものであるが、一般向けに鉱山についての基礎知識を書いたという「鉱山発見の実際知識」(東京研修社、昭和13年)が公開されている。昔は一般に、鉱山が今より身近だったのだろうか。

同「序説」に、「山師」についての紹介がある。長めの引用になるが次に書き写す(下線は追記)。この書が出た頃(昭和初期)まで、山師の名を、リスペクトされる本来の技能者としてスウィングバックが試みられたようだが・・・すでに遅すぎたのだろう。

ちなみに、青空文庫に公開されている、明治以降の書籍を<山師>で検索してみると、偏見に満ちた用法がわかる。山師が、江戸幕府と密着した利権を持っていたので維新後に蔑まされたのか、あるいは江戸時代に既にそうだったからかは知らないが。

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一、山師

   鉱石及び鉱床を探索してこれを発見する事を探鉱と云ひ之をなす人を探鉱者と言ふ。而して此等鉱石と鉱床とは決してむやみに撒布されるものにあらず、此の事業に従はんと欲せば先ず充分の修養をなし能く鉱石及び鉱床の智識を得て着手すべきである。

   今日にあっては山師なる名称は大に悪用され詐偽又は投機者と同一意義に使用さるゝに至った。此語は主として鉱山に用ゐられ今日の語で云へば鉱山の持主又は技師長と云ふやうな人に適用されて居た。乱世時代にあって各地の英雄が鉱山殊に金山を尊んだことは非常なものであって殆んど其價を問はざる観があった。

   徳川家康の如き駿河日陰沢に於て金山を経営し且つ之を監督せるとき自ら筆を執って山例五十三条を制定して鉱業を盛んに保護奨励したものである、此山例中各所に山師なる語を用ゐて曰く「山師金掘師を野武士と称すべし」と、即ち鉱山の鉱主より鉱夫に至る迄武士を以て待遇されたるであった   曰く「山師金掘師つ儀は関所見石(みいし)と一通りして可相通事」と。鉱山関係の者は鉱石一片を持参すれば無切符で関所を通された。「山師金掘師に於ては山内諸事停止したるのなし鋪内では今日ある命ならざればなり」と規定し且つ「山師金掘師人を殺し山内に駆け込むとも留置き仔細を改如何事も山師金掘師の筋明白相立候はゞ留置相働かせ可申事」と。鉱山師坑夫等には最上権を與(あた)へ時としては殺人罪までもゆるされた又山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は銅山師と順列たるべし」と言ふた。右の規定を見るも分るが如く山師なるものは鉱山師に対する一つの尊称であって、鉱山家となり、又技術を指導するのであった。

   されば今日にあって適当の方法により国宝たるべき金の産出に努力せんか。世の金山氏は即ち右の山師として尊敬を集むるであらう。

   幕藩時代には何事でも血統を重んじるもので此探鉱者となる人でも亦一定の家筋があって。
此家には立派な鉱物標本を備え、其標本は縮緬の敷物に載せられ、桐の箱に納められ家宝として之を子孫に伝へ一子相伝として鉱石の智識を授け、常に山野を跋渉して鉱石の探索に努めた。されど惜しむべきは彼等に組織的頭脳なく、また泰西の学術を学ぶこともなかったので、只鉱石の外見上のことにて■石のこと聞き覚え之を携へて奔走したるに過ぎなかった。従って大なる収穫もなかった訳である。

   此の如く無知なる探鉱者即ち無法なる探鉱をなし自ら産を失ひ又人に迷惑を掛くるに至った。従って無法なる企業者亦は投機者に山師なる悪称を與ふるに至った、今後の探鉱者は必ず基礎あり智識ある人格者でなくてはならない。
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上記引用に、山師と(新しい時代の)探鉱者が区別されている。探鉱者は、智識も格式もない・・・いってみれば産地を荒らすマニア並みの扱い。そう考えると分かる気がする。それにしても、本当の山師に一度会ってみたかった。

2018年7月8日日曜日

(雑談)石が育つこと

先日(7/1)、ニール・セダカの歌う「バラライカを弾き鳴らそう(Tumbalalaika)」の歌詞に、若者が「雨がなくても育つものは何?」と問いかけたのに対して、女性が「雨がなくても石は育つ」と応える部分がある。他の応答もすべて ”n- ”の韻があるからとは別にして、なぜ「石」が語られたのか、石好きには興味深い。

(本ブログ関連:”石”、”鉱物 ①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、⑩、・・・後は省略”)

国歌の「君が代」で、「さざれ石」(小さな石)が集まって「いわお(巌)」(大きな岩)となるという関係は、私たちに当り前であるが、砂漠の国に生まれた人にとっては、不思議に聞こえるかもしれない。わずかな平地に山が迫る日本では、岩や石が珍しくない存在だ。(東京の住民は、関東平野の広がりに慣れてしまって、実感しにくいかもしれない。余談だが、子どものころ、父親の転勤で東京に来たとき、石ころ道がなかった・・・全て舗装されていたことに驚いた・・・随分昔のことだが。)

「鉱物」が集合して「岩石」を構成するのも、ある意味「育つ」関係かもしれない。

ところで、石ころそのものが大きくなるという、伝説や信仰がある。国立国会図書館のデジタルコレクションにある「信仰民俗誌」(本山桂川著、昭和書房、昭和9年)に、「成長する石の群」の項があって、さまざまな民間伝承を例示している。
それらに共通しているのに、ある場所で入手した石を持ち帰る最中、あるいは持ち帰った後、石の重さや大きが増加するのに気付くというものだ。持ち帰るという、場所の移動(時間の経過)が重要なポイントかもしれない。

また、袂(たもと)に入れるという動作が加わることから、これらを「袂石(たもといし)」と呼ぶ範疇がある。(柳田国男の「日本の伝説」)

(本ブログ関連:”石の世界”)

石が育つには、場所を変え、時を経て成り立つ。そう考えれば、若い男女間の成就も何が必要か分かるというもの。そして、「苔のむすまで」といった永遠性がかなえられれば最高だろう。