先日、スーパーで「ファンタグレープ」の1.5リットル入りを買った。いま飲んでいるオーソドックスな無添加ワインが物足りなかったからだ。いまどきの葡萄酒(ワイン)は渋くて馴染めない。私にとっての葡萄酒は、赤くて甘~い、「赤玉ポートワイン」あるいは「蜂葡萄酒」なのだ。(ベーコンも、白身に赤いふちのあるクジラのものでなければならない)
で、どうやったかといえば、ファンタグレープと普通の葡萄酒を混ぜ合わせて飲んだのだ。甘い葡萄酒にかぎる。だって果物の葡萄の実は甘いのがよいというのに、酒は甘美のない渋い方がよいというのは合点がいかない(「アイスワイン」や「貴腐ワイン」があるではないか)。ともあれ、むかし普及した葡萄酒は甘かったのだ。
(本ブログ関連:”甘口の酒”)
ところで、教訓好きな童話に「イソップ童話」がある。以前にも触れたが、キツネ(ずるくて狡猾、悪知恵が働く役回り)が、歩き疲れて喉が渇いたとき、ブドウの実がたわわに実っているのを見つけて取ろうとするが届かず、悪態を吐いてその場を去る話がある。「フン」とか言ってる分にはいいのだが、性分が露わになる暴言はいただけない・・・という話だ。
(本ブログ関連:”イソップ キツネ”)
修身というか道徳につながる寓話を、教育の現場でどう扱われているか知らない。イソップ童話の寓意は早めに気づけば気付くほどよい。子どものころに習得しておけば、恥をさらすこともない。不幸なのは、口から吐いた言葉に何も気付かないことだ。
(老後についてタワマンの高層から発信を続けた老社会学者の弟子として、伝道の役割りをつづけた若者が、最近は作家になろうと方向転換している。でも性分は変わらないらしく、テレビのニュースショー(ワイドショー)で、WBCについて関心がないと公言していた)
イソップの寓意から、キツネの言葉をいってはいけないではなく、キツネにはなるなということを知るべきかもしれない。葉っぱを頭にのせてクルリと回転しても、尻尾を隠すことはできない。
国立国会図書館デジタルコレクション
①「ししの王国 : イソップ物語篇 (世界おとぎ文庫 ; 5)」(アイソポス 原作, 楠山正雄 編、小峰書店、昭和24(1949)年)
- 「21 ぶどうを たべそなった きつね」より抜粋
https://milestone-milestone.blogspot.com/2016/10/blog-post_12.html
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(略)
「あの ぶどうは、もう、じゅくしていることだとおもったら。なあに、とても すっぱくて、たべられたものではない。ありゃあ、ぶたの たべものさ。」と、まけおしみをいいいい、またひょろひょろと、出て行きました。
じぶんの力がたりなくて、ものごとがうまく行かないときに、そのわるくちをいいたがるのは、つまらないひとのくせです。
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② 「イソップお伽噺」(三立社、1911年、明44年9月、訳述者 巌谷季雄=小波)
ー 「一三三 正しき望み 狐と葡萄」より抜粋
https://dl.ndl.go.jp/pid/1169898/1/1
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(略)
それで幾度(いくど)も跳(は)ねて居(ゐ)る中(うち)に、體(からだ)は段々(だんだん)疲(つか)れるのに、葡萄(ぶだう)は一粒(ひとつぶ)も食(た)べられませんから、狐(きつね)はとう~自棄(やけ)を起(おこ)し、
「何(なん)だ! こんな青(あお)い葡萄(ぶだう)が食(た)べられるもんか。食(く)ったら酸(すっ)ぱくて仕様(しやう)がないだらう。」
と、毒(どく)づいて、其(その)まゝ行(い)ってしまひました。
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