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2026年8月13日木曜日

(Gemini)母親が男の子を育てること

ここ数日、うっとうしい雨天のため外出を控えている。
きょうも午後3時半の前後に雷雨となり、雷鳴がしばらく続いた。(先日 8/9 のように)近くで落雷が轟くまでには至らなかったが。

一日家にこもっていて、たまたま面白い Youtubeショートと巡り会った。小さな男の子の(女の子と違った)行動を紹介している・・・それも飛び切りの阿呆ぶりがよいのだ。

(本ブログ関連:”男の子”、”阿呆”)

■ Youtube(登録: Lilly Natalia)
「You are a boy mom」(2026年8月11日)
    ー https://www.youtube.com/shorts/dvYu1rvHEws

母親はどう思っているんだろう・・・男兄弟がいなかった女性の場合、男の秘密を知ってしまうんではないだろうかと、Gemini に訊いてみた。

■ Gemini

Q.ちょっと知りたいことに、女性は育児を通して人を見続けるわけで、特に男の子を育てたとき、(女性に男兄弟がいなかった場合)、男のちょろさを知ってしまうのではないかと不安です・・・半分冗談ですけど。
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A.その「半分冗談、でも半分本気」な視点、とても鋭くて面白いですね!
実際に息子の母親になった女性たち(特に男兄弟がなく「男性=ちょっとミステリアスな異性」として育った人)からは、まさに同じような感想がよく聞かれます。

育児を通して女性が「男のちょろさ」や「単純さ」に気づいていくプロセスには、いくつか典型的なパターンがあります。

1. 「単純な構造」が白日の下に晒される
異性のきょうだいがいないと、どうしても「男性」という存在にどこか神秘性や威厳を感じがちです。しかし、息子をゼロから育てると、その仮面が完全に剥がれ落ちます。
◎ 感情と行動の直結ぶり: お腹が減ったら不機嫌になり、褒められたらあからさまに調子に乗り、好きなものには驚くほどの集中力を見せるけれど興味のないものは視界にすら入らない。
◎ おだてに対する弱さ: 「かっこいい!」「すごい!」の一言で、さっきまで渋っていたお手伝いをドヤ顔でやり始める。

こうした姿を日々見ていると、「男性って、根本的な駆動原理(モーター)がものすごくシンプルなのでは……?」という確信に変わっていきます。

2. 「夫や職場の男性」の取扱説明書が手に入る
息子を育てることで、これまで謎だった「大人の男性の言動」の解像度が爆発的に上がることがあります。
◎「夫がなぜ一度に一つのことしかできないのか」
◎「なぜ男性はいくつになっても少年のままのような収集癖やこだわりを持つのか」
◎「なぜ指摘されたときに妙なプライドで頑なになるのか」

これらがすべて「あ、息子の進化系(あるいはそのまま)か」と納得できるようになり、結果として男性全体に対する手のひらの転がし方(扱い方)をマスターしてしまうという現象が起きます。まさに「ちょろさ」を見抜いた状態です。

3. 「ちょろさ」は「愛おしさ」と背中合わせ
「ちょろい」というと少し悪く聞こえるかもしれませんが、多くの母親にとってそれは「扱いやすさ」であり「可愛げ」でもあります。

裏表がなく、単純で、分かりやすい。女性同士のような複雑な駆け引きや裏の読み合いが不要な分、「男の子は単純で本当にかわいい」という着地点になることがほとんどです。

したがって、「男のちょろさを知ってしまうのではないか」というご不安(?)は、ほぼ間違いなくその通りになります、とお答えできます。

ただ、それは男性を見下すというよりは、「なんだ、男ってこんなに単純で愛すべき生き物だったのか」という一種の開眼に近い感覚です。男性側からすれば、手の内をすべて握られてしまうような恐怖(笑)はあるかもしれませんが、女性にとっては非常に生きやすくなる知見かもしれません。
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2026年7月21日火曜日

「こんにちは お母さん、こんにちは お父さん(キャンプからの手紙)」

先日(7/17)、ジリジリ暑い中を外出したとき、ランドセルを揺らしながら帰宅する小学生の一団とすれ違った。彼らは、両手に大きな荷物を持っていた。中には、更に透明のプラスティックの円筒に<長い穂>を伸ばした植物栽培(稲穂か?)の観察途中のようなものまで抱えた子もいた。なぜか、みなとても浮き浮き顔に見えた。

そうか、夏休みに入ったのだと! 家族との楽しい夏休みを思い描いているのだろう。

ところで、Youtubeに沼っていると、どこかで聞いたことのある曲と巡り合うことがある。たしかに、耳に残っているのだが、はたしてどこで、いつごろ聞いたやら・・・思い出せない。
そんな曲と、久し振りに巡り合い、懐かしく聴いた結果、タイトルとか歌詞情報を知って驚くことになる。合わせて、原典が由緒ある曲だったと知ることにもなるのだが。

それは、「ハロー・マダー、ハロー・ファダー(キャンプからの手紙)」(Hello Muddah, Hello Fadduh! (A Letter from Camp))*だ。そして、歌詞が何より傑作・・・そんな歌詞だったなんて知る由もなかった。それは、きっと、子どもの成長のため、両親からキャンプに放り込まれたのだろうけれど、苦痛でしょうがない少年の感想というか、ドタバタ劇のような展開をうまくまとめられないとぼけた表現で手紙文が構成されている。結局、男の子の、典型的な阿呆さを見事に描いている。
(*)Muddah、Fadduh: ニューヨークの特に東欧系ユダヤ人(イディッシュ語話者)の英語訛り(Google Labs)→ פאטער מוטער 

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

■ 歌詞(登録: For Ever Young  洋楽ロック(ロックて何だろう?))
「Hello Muddah, Hello Fadduh / Allan Sherman 和訳」(2025年01月26日)
    ー https://rockhistory.blog.jp/archives/26135053.html

■ Youtube(登録: The Allan Sherman Show)
「Hello Muddah, Hello Fadduh (Camp Granada Song) with Lyrics Sing-Along, Allan Sherman, 1963, updated」(2019/09/07)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=4yFTOvO0utY



原曲

■ Youtube(登録:MARIEKANA 〜piano duo Lumiere〜)
「[ピアノ連弾] 時の踊り/ポンキエッリ/ピアノデュオ ルミエール/La Danza Delle Ore/Ponchielli/4hands piano」(2023/10/20)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=UJzTzC5b8hs



付録
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歌詞は、Youtubeの「文字起こし機能」+ Chromeの「翻訳機能」を使ってください。

■ Youtube(登録: Melody Of Emem LoBus)
「YESTERDAY WHEN I WAS YOUNG - Shirley Bassey (Lyrics)」(2019/07/24)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=xLcBNJnckHs

■ Youtube(登録: Café des Chansons by Velorith) ← AIで生成された仏語オールディーズ
「Je t’ai perdu dans la nuit — Emotional French Song | Night Vibes & Deep Feelings」(2026/04/11)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=mGgltQTQpdU

2026年7月7日火曜日

小暑 2026、七夕

きょうは二十四節季の「小暑」で、暑さが本格的になり始めるころ。次の「大暑」(7/23)までの間には「梅雨明け」*になるだろう。
(*)梅雨明け: 平年7月19日ころに梅雨が明ける。

(本ブログ関連:”小暑”、”梅雨明け”)

七夕
合わせて、きょうは「七夕の節句」である。「織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)が、一年に一度のこの日、天の川に架かる橋**を渡って(橋上で)再会する」という伝説がある。
(**)天の川に架かる橋は、背が黒く腹が白いカラス科の「カササギ」たちが翼を繋いで、天の川に大きな橋を作ってくれたものという。

(本ブログ関連:”七夕”、”節句”)

■ Gemini
五節句の一覧表
日付正式名称 (節句名)別名・呼び名行事食・代表的な植物意味・願うこと
1月7日人日
(じんじつ)
七草の節句七草粥(ななくさがゆ)無病息災、邪気払い
3月3日上巳
(じょうし)
桃の節句・ひな祭り桃花酒、菱餅、ひなあられ、白酒女の子の健やかな成長と厄除け
5月5日端午
(たんご)
菖蒲(しょうぶ)の節句菖蒲湯、ちまき、柏餅男の子の成長、身を清め厄を払う
7月7日七夕
(しちせき)
たなばた・笹の節句そうめん、サトイモの葉の露芸事の上達、願い事の成就(笹飾り)
9月9日重陽
(ちょうよう)
菊の節句菊酒、栗ご飯、茄子不老長寿、繁栄(五節句の締めくくり)


カササギ
織姫と彦星のために架け橋となる、「カササギ」(「カシャ・カシャ・カシャ・カシャ」と鳴く)は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に登場する。日本の伝説には、同じくカラスの仲間が出てくる・・・日本サッカー協会のシンボルマークも。三本足の「ヤタガラス(八咫烏)」だし。

■ 青空文庫
「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)
 「銀河鉄道の夜」の中で、女の子のかおるがカラスと呼んだものは、カササギだった。
    ー https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/456_15050.html
    ー「まったく河原(かわら)の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光(びこう)を受けているのでした。」
    ー この場面は、旧暦の七夕(新暦の8/19)のころのようだ。ちなみに、「七夕祭り」を旧暦に行なう地域もある。

2025年7月5日土曜日

野鳥観察(84)

早朝6時過ぎ、野鳥観察(探鳥会)参加のため家を出た。前回(6/28)、寝坊して欠席したので挽回すべくしっかり準備してのことだ。玄関前の路地が一部黒く濡れているのが目に入った。昨晩9時前後に小雨が降ったようだ。(今晩も8時過ぎ、雷鳴がして雨になった)

(本ブログ関連:”野鳥観察”)

晴れ空なのに鬱陶しい(湿度80%)のなか、フィールドへ向かう。露が輝く公園広場にポツンとたたずむ「トウカエデ」の樹下の集合場所に着く。会員のお孫さんである小学生の男の子がひとり祖母を待っていた・・・直ぐに到着。子どもが加わると、探鳥会にエネルギーが与えられ活気が出る!

会長から、次のような解説をいただいた。
①  <セキレイ> の仲間の鳴き声
    ・セグロセキレイ: ジジィ ジジィ
    ・ハクセキレイ: チュチュン、チュチュン
    ・キセキレイ: チチンチン
② 鳥の<歩き方>
    ・スズメ: ホッピング
    ・カラス: ホッピングとウォーキングの両方

開始早々、公園の樹間は(「ガビチョウ」を除いて)静かだった。結論からいうと、観察種数は乏しく、何と(参加者数ー1)となった。とはいえ、私にしたら順路を巡るだけで汗が止まらない、貴重な運動にもなった。

今回も、ベテランの方から解説いただいたり、自分なりに目視とカメラで確認・整理したものを次に記す(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・ガビチョウ:「ヒョイヒーギュルル」という鳴き声がうるさいほど(図鑑にも無視される)
・シジュウカラ: 群れが木立に集まり、一羽一羽縫うように素早く飛翔する(写真を撮れず)
・ウグイス: ベテランの方は「ホーホケキョ」の声を聞いている
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・カルガモ: 小川の水門に2羽が休んでいた
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・チュウゴクアミガサハゴロモ: 葉裏に隠れた黒い<蛾>

カルガモ
観察会に出かけて何にも記録を残せないのは残念と、小川の水門のコンクリートに休んでいた2羽(「カルガモ」の番(つが)い?)をカメラにおさめた。

2024年5月25日土曜日

野鳥観察(67)

目覚まし時計の調子が悪い。To-doに合わせてアラーム設定したが、ピリ..ピリ..と微かに鳴るだけ。でも、野鳥観察(探鳥会)の場合は特別、わずかなアラーム音にも敏感に反応して起床する。

(本ブログ関連:”野鳥観察”)

手際よく準備完了。フィールドで虫に刺されるのが嫌なので長袖にしたところ、家を出て気付いた。意外に涼しく風がある。早朝のこの時間帯は、きょうの日付に変わった深夜から気温が下がり、集合時刻には底を打ったようだ(21℃ ↘ 19℃ ↗)。

公園に入り、集合場所に近づくと、「ウグイス」の鳴き声「ホーホケキョ」が響いた。

バードウォッチング開始早々、犬散歩と出会った。そのとき、連れの「イングリッシュ・セター」犬が、前方草地にいる「ハシボソカラス」に対し、猟犬として狩りの体勢をとったのを見て、みなが驚いた。実に印象的な場面だった。

きょうのフィールドは、しかし静かだった。

下記内容も含めて、会長からこんなお話をうかがった。
ー 草の茎(ツメクサ、オオバコ、スミレ、オヒシバ、レンゲソウ)を使って勝ち負けする、男の子の「相撲遊び」がある。
ー 樹木の幹に名前などを標示した板を「樹名板」という。

今回も、会長やベテランの方から解説いただいたり、自分なりに目視とカメラ写真で確認・整理したものから、次に記す(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・ボソ(ハシボソカラス): 姿も鳴き声も当たり前の存在
・ヒヨ(ヒヨドリ): ボソと同じく、姿も鳴き声も当たり前の存在
・ハクセキレイ: グラウンドに1羽いたが、カメラを向ける前に飛び立った
・カワセミ: 鳴き声がして、ベテランの方から、あれがカワセミの声と教えられた・・・
・ツバメ: 2~3羽が行ったり来たり飛翔した
・ムクドリ: 滑空する一瞬、普段のこの鳥らしくなく、おおらかに飛んで見せた
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・マルガモ: マガモとカルガモの交雑。カルガモ2羽と一緒に小川に浮かぶ
・カルガモ: 小川に1羽浮かんでいた(上記のカルガモとは別場所)
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・ケヤキ: 公園の遊歩道をさえぎるようにケヤキが並んでいる場所がある
  - 幹の太さが違うので植樹年度が違うようだ(スギ、ヒノキの植林は同一年一斉に行なう)
・ホルトノキ: 常緑広葉樹の高木であるが、葉が古くなると紅葉して落ちる(常時ある)
・オオシマザクラ: 紅い実が多数膨らみ、熟した黒い実は甘いとのこと(味見せず)
・イロハモミジ: プロペラのような赤い種が見えた
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・アカツメクサ: シロツメクサと同じ仲間だが、丈はアカツメクサの方が大きい
  - 明治期に、輸入品(ガラス製品など)のクッション材として使われた「詰め草」が起源

マルガモ
羽つくろいしたばかりの場面なので、よく見ると変な姿になっている。「マルガモ」が、何でこんなとき撮るのかと、意見ありそうな表情をしている・・・ように見える。



オオシマザクラ(写真左)とイロハモミジ(写真右)
・「オオシマザクラ」に実がなっていて、赤い実は若く、黒い実は熟して甘いようだ。何人かはチャレンジしていたが・・・反響が乏しかったので遠慮した。
・「イロハモミジ」にプロペラ状の赤い種ができた。いずれ風に乗って少しでも遠くへ着地するのだろう。



アカツメクサとシロツメクサ
・ちょうど「アカツメクサ」と「シロツメクサ」が隣り合って生えていた。同じマメ科だが、アカツメクサの方がシロツメクサよりやや丈が高いようだ。

2024年5月2日木曜日

深緑のサクラ並木

夕方、晴天ながらちょっと肌寒いなか、町に用があって出かけた。昨晩の雨がすべてを洗い流したせいか、街路樹の葉が西陽を受けて美しく輝いていた。帰り道、知る人ぞ知る秘密の桜並木の入口に寄った。若葉が、緑を濃く深めているのに気づいた。

(本ブログ関連:”桜並木”)

実は、今春の4月6日に、せっかくの満開のサクラを、あっさりとしか見ていない。帰宅途中だったので、十分に満喫しなかったのだ。しかも、例年楽しみにしていた、桜吹雪を浴びることもなく終わった。いろいろとタイミングを逸している。

サクラ並木
せめてきょう、夏に近づくこの時期に、緑深まる桜並木の様子を見ようとした。若葉がきらきらと西陽に照り輝いているのを確かめた。サクラへの義理を果たした気分。


シロツメクサ
並木道のそばに、生垣に囲まれた小さな広場があり、雑草の中にマメ科植物の「シロツメクサ」*(クローバ)の白い花(頭状花序)が咲いていた。夕陽に照らされて、どことなく遠慮気味である。
(*)シロツメクサの茎は地面を這うのに対して、「アカツメクサ」は枝分かれして立つ。

子どものころ、シロツメクサで「草相撲」**した記憶がある。女の子は、花柄を編んで首輪や冠(かんむり)にしたようだが・・・そちらを気にした覚えがない。男の子はそんなもんだ。
(**)草相撲: 一般に、雑草「オオバコ」を使った遊びという紹介が多い。

(本ブログ関連:”シロツメクサ”)

2024年4月8日月曜日

小学校の入学式

朝、ラジオを聴いていたら、きょうは小学校の入学式の日だという。幼稚園や保育園で年長さんだった子どもたちが小学生になるわけだが、小学生では一番下になる。そこにギャップを感じたりするらしい。でも、それはほんの一瞬で些細なことのように感じる・・・大人の考え過ぎだろう。

昼めしを食いに商店街へ行ったところ、入学式を終わったらしい家族連れ(おもに母子連れ)の集団がレストランや食堂を探しているのが目についた。回転寿司店に入ったところ、入口が順番待ちで混雑しているのを見て断念した。

これから、新一年生の通学姿を見ることになる。遠目に、大きくて重いランドセルだけが揺れながら歩いている、そんな可愛らしく目になごむ光景と出会えるのが楽しみだ。

ちなみに中学校の入学式は、明日9日(火曜日)とのこと。中学生になると、女の子の大方はすでに女性らしい大人の感性を持っているが、男の子はだいぶ遅れていて、中学2年の夏を過ぎてやっと男らしくなるようだ。むかし若いころに、中学生の塾の手伝いをした経験からいえることだが。


ミロのヴィーナス
1820年のきょう4月8日に、エーゲ海のミロス島(現ギリシャ領)で農民によって「ミロのヴィーナス」が発見されたそうだ。断片が見つかって、それらを組み合わせて西洋的美がよみがえったわけだが、いつ誰がそれをそれを語った(主導した)のか興味ある。

ミロのヴィーナスは、次のように4月8日と縁があるようだ。

現在、パリのルーブル美術館に展示されているが、「ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度、1964年(昭和39年)4月~6月*、日本の東京都(国立西洋美術館)および京都府(京都市美術館)で行われた特別展示のみである。」(Wikipedeia)とのこと。まさに同年、身体を競う「東京オリンピック」の大イベントに合わせて(対置して)、「ミロのヴィーナス展」がアートの大イベントとして開催されたことになる。
(*)国立西洋美術館 会期:1964年4月8日~5月15日 / 京都市美術館 会期: 1964年5月21日~6月25日

日本で「ミロのヴィーナス展」に多くひとびとが熱狂した(東京と京都会場の入場者数は約172万人)ようだが、当時の反響についてあまり記憶がないのは・・・どうして?
ー オリンピックについては、体操部に所属した特典で日本の女子体操チームの練習風景を東京都体育館で見学、また校内の抽選で小雨のなか馬事公苑で乗馬試合を観覧することができた思い出がある。

2023年12月12日火曜日

子どもの風景

昼、家を出るとき、朝方止んだ雨の湿りがまだ路面に残っているのに気づいた。それでも、きょうは晴れて思いのほか暖かく、最高気温は 17.8℃(13:51)だった。

街の飯屋で昼食を済ませたあとの帰り道、愉快な光景と出合った。下校時の小学低学年の子どもたちが、いろいろなグループになって、はしゃぎながら帰っていたのだ。

女の子たちは、互いの顔を見合わせて楽し気に会話をしながら歩いている。一方、男の子たちは例によって、てんでバラバラだ・・・、そんな中に、二人の男の子が、今朝雨だったので持参した透明のビニール傘を広げて、遊び道具にしていた。歩道にしゃがみこんで、街路樹の根元にある土をつまんでは、互いに相手の傘にかけ合っていたのだ。

透明なビニール傘の中から、かけられた泥がずり落ちる様を見るのがたまらないらしい。こんな喜びを、女の子は気付くことはないだろう。

(本ブログ関連:”ちいさな男の子は阿呆である”)

2019年10月31日木曜日

ハロウィンの街めぐり、NTT技術史料館(電信・電話)

NTT技術史料館
5年ほど前に訪れたことのある「NTT技術史料館」*へ出かけた。「西南の役」(明治10年:1877年)に使用された東京-熊本間の電信(モールス信号による通信技術)について、素人レベルながら教えてもらいたく願ったからだ。今回、デジタル交換機の初期開発にたずさわった方に館内を廻りながら説明いただき恐縮した。
(*)史料館: http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/

(本ブログ関連:”NTT技術史料館”)

電信機の発明者「モールス」(1791年~1872年)の電信機(模型)で、アルファベット別文字板(谷形に切り込みが入ったもの)があって、それで文章を組み立て、連続した文字板の凸凹を電気信号に変えて送信し、受信側は電圧の変化をもとに電磁石によってペン先を上下させて電信記号を表記するといった仕組みを知った。文字単位に板を設けるという発想が面白い。(電鍵は後で考えられたようだ)

「ペリー」が2度目の来航時(嘉永七年:1854年)に土産として献上された電信機は、「送信側の電信機上の電鍵でモールス符号を打つと、受信側の電信機の紙テープにエンボス(凹凸の傷がつく)されて、信号を送ることができ」る**というものだったそうだ。昔のコンピュータの「紙テープ」を思い出す。
(**)郵政博物館: https://www.postalmuseum.jp/column/collection/post_7.html

なお、当時の電池についてどんなものか知りたかったが、資料が不明なため、(また、遠距離の伝送路途中で増幅といったことがされたのかについても同様)別の機会に譲りたい。

西南の役以前、すでに国内の電信伝送路は相当発展していて、「錦絵」で知るようなやっとこどっこいの江戸情緒が残った風情ではなく、(輸入品に頼ったろうけれど)通信技術は相当充実したものだったようだ。何しろ普段目にする電柱を「電信柱」と今も呼んでいるくらい当り前なのだから。(西南の役当時の伝送路には、鉄線が使われていたという)

(参考)年表***
・1869年:東京~横浜間で電信(公衆電報)業務開始
・1871年:東京~京都間に電信ケーブルが引かれる
・1872年:京都~大阪間が開通
・1873年:神戸~長崎間が開通(東京~長崎の全線が結ばれる)
(***1)「北九州イノベーションギャラリー」: http://kigs.jp/db/history.php?nid=2462&PHPSESSID=8ab6d96e143c47cdec3a2f9f7
(***2)ITUジャーナル(Vol. 46 No. 7、2016.7): https://www.ituaj.jp/wp-content/uploads/2016/07/2016_07-07-spotMakuake1.pdf


ハロウィン
町をめぐると、小さな男の子とすれ違った。なにやら背に黒い羽が生えている。ハロウィンにふさわしく蝙蝠の翼のようだ。後ろのお母さんを確かめながら、坊やは飛ぶように走り抜けていった。

鉄道模型風にアレンジした遊び場があって、幼児たちを連れた家族が集まる。きょうは、魔法の棒を持ってきれいに着飾ったお姫さまたちが、小さな箱のような遊具の中で語り合っているのが見えた。そこはきっと童話にある夢の国なんだろう・・・ママチャリのお母さんたちに見守られながら。

2019年8月20日火曜日

子どもの好きなもの

以前(夏休み直前のころ)、帰宅する私の前を小学低学年の男の子たち3人が歩いていた。小学時代のこどもは真っ直ぐ歩けない。じゃれあって、横に広がったり、留まったりで、見ていてハラハラする。やがて、その中のひとりの男の子が、みんなと分かれて、私と同じ横道を曲がってどんどん先を進んだ。

そのとき、遠くで、ご近所のお婆ちゃんが路地に出て孫の帰宅を待っているのが見えた。
「お孫さんですか」とたずねた。たしか、3世代同居を始めたと聞いていたからだ。
「そうなんですよ、ちょっと帰りが心配で」と、孫を見つめながら応えた。
大人の会話の雰囲気を察したらしく、坊やは気安く話をできる相手と判断したのだろう、私にいきなり訊ねてきたのだ。
「おしり探偵知ってる」といって、なにやら「おしり探偵」の歌らしきものを歌いだした。実は良く知らないので、ネットで調べてみるからと返事するのが精一杯だった。突然、腕白目線の世界へ引き込まれてしまった。

子ども、とりわけ男の子は、お尻とか、ウンチ(うんこ)といった根源的下ネタが大好きだ。天真爛漫さは持ち上げすぎかもしれないが、かのモーツァルトも手紙にしたためたという。それが公認されたからという訳ではないだろうが、最近、書店で小学生向けの学習ドリルを見て驚いたというか、ニンマリしたことがある。素材(用語)に「うんこ」を多用する「うんこドリル」といったシリーズで、小学全学年に対応しているというのだ。

あの坊やは、見たところ一年生ぐらいだったか、「お尻」や「うんこ」への関心が絶頂期のころ。まして、できたばかりの友だちと話せば、これ以上愉快なものはないだろう。

2018年11月8日木曜日

Yiddish語 2018秋-6

ネットで話題になったことだが、或る作家が、昔の農民(百姓)がどんなものを食べていたかを記した内容について、学校の歴史教師が批判したという。外野から見て気になったのは、その教師が、学校が在る地元の郷土史を普段参照しているのだろうかということだ。

私の記憶では、学校の歴史授業で郷土史を語ってくれた教師はいなかった。自分たちの先祖の生活に戻って過去の一端を探れば、歴史が身近になったのではと大変惜しまれる。その上で、歴史教育家たちの作った教科書に戻って語れば、歴史が具体的になった気がするのだが。

江戸時代に開発されたこの地は、乾いた台地上にあり、小麦、野菜くらいしか作れず、水田は台地の下を流れる小川を囲むわずかな場所にしかなかったという。そんなわけで、生活は苦しく、日常の食事は雑穀が主体だった(うどんはハレの日ぐらい)。それは、明治大正期ころまで及んだという。
当然、江戸の時代に、長男以外に土地は相続されず、次男三男は家付きのまま一生独身で過ごすか、江戸の町に出るしかない。才能のある者は、運がよければどこかの農家の養子になって跡を継ぐことができた。

(本ブログ関連:”小麦”)

私たちは運がいい、そんな過去から生まれ残ったものであり、今この世界の中で驚くほど豊に暮らしている。私たちが口にする正義が、どんなに運のよいものか。

おっとと、今日のイディッシュ語の授業について記すはずだったのに・・・前段が長過ぎたようで。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

授業の前半は、慎重な女性とお気楽な男性の会話。内容を噛み砕くように、ゆっくりイディッシュ語のみのスタイルで解説いただく。せっかくのストーリー、先生の筆力でユダヤジョークらしい風味が増しているというのに・・・その面白さに、直ぐに気付けぬ残念さ。

後半は、児童向け教材「דער אָנהײבער(The Beginner)」の中から、男の子が、我がまま半分に、お母さんへ食べ物ねだりするといった内容。登場する男の子と女の子、どちらが年上なのやら、教科書のあちこちの場面で、二転三転するのが面白い。

そんなわけで、頭の中は柔軟体操になってしまい、帰りの地下鉄で転寝し放題だった。

2017年10月31日火曜日

ハロウィン 2017

隣り町からの帰り道、ハロウィンの夜、辻に小さな妖精が湧いた。ほとんど女の子、ディズニーのお姫様かとまごうばかり、可愛い衣裳のおちびさんたちが、それもお母さんに囲まれて。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

一夜限りの楽しさに、母親が思いを込めて縫ったろう、無理ない仕立てが好ましい。妖精の姿を見るたび、何度微笑んだことだろう。

ところで、男の子の姿をほとんど見かけない。ハロウィン行事が完全に定着しきってないためか、照れくささのためか。近所で菓子を配るようになれば、男の子も化け物に、吸血鬼になるだろう。

今夜も都心で、若者たちが貧欲にハロウィン熱に浮かれている。昔、クリスマスに、父親たちが三角帽子をかぶって街を飲み歩いたことがあった。そんなバカ騒ぎも廃れ、今や家族で楽しむ日本独自の年末行事になっている。渋谷交差点が、ハロウィンの夜、平静に人々が行き交う時代がいずれ来るだろう。

2017年2月10日金曜日

雪降り

訪問先から外に出ると、どんより空の下、雪が舞っていた。まるで行方の定まらぬ花吹雪のよう、風に任せてあちこちへ散った。地面に積もるほどでもない。東京の雪は、今シーズンで5回目だそうだ。

子どもは雪が大好きだ。初めての雪にはしゃぐさまに、懐かしい驚きと興奮を呼び覚ませてくれる。そんな純粋な振る舞いの数々を、Youtubeで見ることができる。よちよち歩きの幼子が、ふっくら積もった雪に、ころり転ぶのに笑ってしまう。

帰り道にも、楽しい場面に遭遇した。ある医院から母親に付いて出てきた小学生の男の子が、空からの雪によろこび、口を大きく開けて感蝕を確かめようとしていた。はたして満足できるほど口に入ったのか。母親は、それをたしなめるでなく、帰りの自転車の準備に忙しそう。

また、小学校の脇道を、傘を広げた低学年のランドセルが横並びしてふさいでいた。雪降りが止んだといっては大騒ぎ、小降りになったといっては傘を振り回す。集団を通り抜けた背後から、「雪だ!」、「雪だ!」と言い合っているのが聞こえてきた。一体、真っ直ぐ家に帰る気はあるのだろうか。

2016年7月15日金曜日

ちいさな男の子はやっぱり阿呆がよい

昨夜の豪雨は、今朝になって煙り雨に変わった。そんななか、隣町に買物に出かけた帰りのこと。学校が終わったランドセルの一団と出会った。時間帯からいって小学2年生だろうか、校門近くにできた水溜りに群がっていた。

(本ブログ関連:”ちいさな男の子は阿呆である”)

一人が泥水に足をつけた。すると競うように、別の一人がボクもできると飛び込んだ。そばを通り過ぎながら見ると、5、6人の男の子の中に、女の子が一人混じっていた。この時期の女の子は、精神年齢が勝っているようで、男の子たちを相手にしていられないのか輪から抜け出た。
あわてて一人の男の子が女の子を追いかけた。すると、更に後ろから、もう一人の男の子が傘の柄を突き出して、前を行く男の子のランドセルを引っ掛けるようにして追いついた。女の子は、もう彼らを完全に無視して先を進んでいる。

子どもたち一団と別れるように、道角を曲がった私の背後で、男の子が叫んでいるのが聞こえた。「さよなら、ユーリ君!」、「ユーリ君、ゆうれいだ~」とね。

幼い子どもは泥水の感触が好きだ。どろどろになるまで、濡れても汚れても平気で遊ぶ。言葉使いについても同様なものがあるのかもしれない。教えられ、操れるようになった言葉同士が、オーバラップするという不思議さに気付いたのだろう。言葉遊びに、泥水遊びと似た感蝕があるのに気付いたようだ。
そんな、感蝕に留まっている小さな男の子たちの世界は、どこかとぼけた阿呆振りが可笑しくてしょうがない。自分も通った道だけに。

彼らの時代は、泥水につかる感触がまだまだ楽しい。泥水の汚れとか、乾くのに手間取るという予測と無縁で、特に男の子は幼さから抜けきれないようだ。本当の意味で幼さを抜けきるには、中学2年の夏休みを過ぎてから、その頃になると、女の子もようやく認るようだ。

2016年5月28日土曜日

折り鶴

折り鶴を少し前にやってみたけれど、ちょっと間を空けると忘れてしまう。それでも、紙を折ったり折り返したりすると思い出すもの。子ども用の小さな折り紙の感触が導いてくれる。何とはなしにできあがるもの。

子どもの頃、折り紙に熱心じゃなかった。特に男の子は無縁といってよい。どこか女性的なものがあるようでなお更だろう。むしろ紙飛行機の方に関心があったかもしれない。けれど、それもそんなに飛んだという記憶もない。

折り鶴には、どこか感傷的なものがある。癒しのようなものだろうか。託す心が、鶴の形になる。想いをあつめて美しい姿になる。飛ぶことのない鶴に、願いが届くことを祈るようだ。

昔なつかしい、千葉紘子が歌った「折り鶴」(1972年、作詞安井かずみ、作曲浜圭介)は、しっとりとした叙情を感じさせる恋想いの歌だ。

ところで、昨日(5/27)、広島の平和記念公園でスピーチをした、<オバマ米大統領は、「サプライズ」の贈り物を残した。大統領手作りのカラフルな4羽の折り鶴>だそうだ。(朝日新聞、5/28)


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2016年3月3日木曜日

桃の節句

今日は「(桃の)節句」で、「雛祭り」の日である。節句の、3月3日は女の子の日、5月5日は男の子の日、そして7月7日は主に子どもが星に願う日だった。子どもたちの健康と平安を祈る日でもある。

雛祭りに、桃の花は欠かせない。室内で飾る桃は、桜よりも薄紅がまさって愛でたさも増し、幼い女の子によく似合うようだ。その桃の花が一面に咲いているのを、甲州の盆地に眺めたことがある。まさに、「桃源郷」を想わせるものだった。明るい陽射しに照らされた桃の花弁は、白く照り輝きもあって、ひな壇に飾られたものとはちがう趣があった、圧巻だった。

(本ブログ関連:”雛祭り”、”桃源郷”)

先日、招き猫像の並ぶ豪徳寺に行った。この寺が、彦根藩主の井伊家菩提寺であったことから思い出した。その昔、桃の節句、雛祭りの日に、江戸城へ登城する井伊直弼の一行が襲撃された。安政7年3月3日(旧暦)のことだ。このとき、牡丹雪が降っていたことは、映画などでもよく知られる光景だ。考えてみれば、雪景色の真っ白な江戸城下と、雛壇の赤い毛氈が対比する桃の節句であった。

桜田門外の変は、西暦では1860年3月24日になる。(今日から)20日近く後に降雪したことになる。ところで、桜については、今年の開花時期は、3月25日ころと予想されている(ウェザーマップ「桜開花予想」)。

こんなめでたい時期に発生した、桜田門外の変は、歴史の裏話で語られるように、その惨劇は凄まじいものだったという。

2015年9月22日火曜日

ビー・マイ・ベイビー

ラジオや白黒テレビの歌番組に、アメリカンポップスの新曲を求めた。ラジオの深夜放送で紹介される「ビルボード」や「キャッシュボックス」のヒットチャートを、明日の仲間内で披瀝するため、必死にメモしたりした。それを、日本人歌手が歌うころには、次はという得意顔している。まさに子どもである。

日本人歌手の歌が、カバーという意識はなかったし、原曲と聞き比べることもなかった。日本人歌手が演じて成立する独自の世界だったのだ。

そんな日本人歌手の中で、とりわけ歌のうまさに耳をそばだてたのは、弘田三枝子だった。ぽっちゃり顔した少女は、その後随分と変貌することになるが。彼女の発声はとても自然だし、余裕を感じた。パンチがあった。

弘田三枝子の歌唱力は、ロネッツ(The Ronettes)が歌う「Be My Baby」(1963年)と遜色ないというか、声質がピッタリである。当時の歌手の歌い方だったのかもしれない。この歌で、少女が男の子を「ベイビー」と呼ぶ気安さ、積極さに、もっといえば強引さに驚いたものだ。アメリカは違うなって。日本人歌手のカバーからアメリカを感じ、ますます染まっていくことになる。

そういえば、ブレンダ・リー(Brenda Lee)の「アイム・ソリー(I'm Sorry)」を聞いたときも、まず浮かび上がったのは弘田三枝子だった。いや、どっちが先だったのか・・・決まってるけれど。

(Youtubeに登録のMonotostereokingに感謝)

2014年10月9日木曜日

膝小僧をすりむいて

なんというか小学生だ・・・家路の途中つまづいて膝を打ち、すり傷をこしらえた。スボンを見れば、膝に小さな穴が開いている。そのとき感じなかった痛みが、家に着くとジワジワ出てくる。神様はよくしたもので、家に戻るまでの間、痛みを抑えてくれたようだ。

だいぶ前にも転んだことがある。錫高野に蛍石を採りに行ったとき、岩場!で思いっきり仰向けに引っくり返ったのだ。幸いリュックを背負っていたお陰で、脊椎は守られたが、帰りの車中、小さな振動にも激痛が走って大変だった。なのに、リュックいっぱいの採集鉱物を捨てようともしなかった。

子どものころは、足を怪我すると、赤チンキを塗ってもらった。空き地で遊ぶ腕白たちは、半ズボンの足先にあちこち赤い勲章を飾っていた。その赤チンキが有害とかで次第に使われなくなった。怪我自慢の証がなくなって、男の子はさぞ残念だったろう。

そう、子どもって、怪我したことを得意がった。特に骨折などして、腕に三角巾をしたりすると、晴れがましい。松葉杖など使えば最高だ。みなが寄り集まり、あれこれ尋ねると、まるで空を指差して高らかに歌うポスターのように高揚したものだ。

怪我自慢は、それだけではだめ。大事なことは、それにもめげず、みなと一緒に遊びまわらなければならない。これができてこそ、怪我は男の子の栄えある勲章なのだ。我が遊び声、ますます天に響き渡るようだった。

2014年3月11日火曜日

まあ、見てください

男の子なんだよね、こんなことになるのは。まあ、Youtubeを見てください。ギャグの教科書です。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=98LoiMZ59Jw

(本ブログ関連:”ちいさな男の子は阿呆である”)

2014年2月14日金曜日

あいつ、今頃鼻血ブーだぜ

バレンタインデーなんて、誰が考えたのでしょうね。日本の場合、チョコレートメーカーのキャンペーンから始まったという。一般に知られたのは1960年で、チョコレートを女性から男性にプレゼントするという習慣が本格的に定着したのが1970年代後半だそうだ。既に、にきび面の少年時代を過ぎていたので、この日にチョコレートを渇望する経験はなかった・・・。

バレンタインデーにチョコレートを貰った、貰わない、いろいろあるだろうけれど、こんな話がある。
バレンタインデーの日、学校も終わった小学5年生の男の子たちが、友人の家に集まった。一人が学校でチョコレートを一杯貰ったクラスの男子の名をあげて、「あいつ、今頃鼻血ブーだぜ」といって、他の仲間も一緒に「ヒヒヒ・・・」と笑ったそうだ。
そう、チョコレートを貰えない意味を、まだ十分に分かってない、けれど、どこかちょっと残念な気分もある。こんな時代の男の子は、最高で、お馬鹿である。それもいいな。

(本ブログ関連:”ちいさな男の子は阿呆である”)