折り鶴を少し前にやってみたけれど、ちょっと間を空けると忘れてしまう。それでも、紙を折ったり折り返したりすると思い出すもの。子ども用の小さな折り紙の感触が導いてくれる。何とはなしにできあがるもの。
子どもの頃、折り紙に熱心じゃなかった。特に男の子は無縁といってよい。どこか女性的なものがあるようでなお更だろう。むしろ紙飛行機の方に関心があったかもしれない。けれど、それもそんなに飛んだという記憶もない。
折り鶴には、どこか感傷的なものがある。癒しのようなものだろうか。託す心が、鶴の形になる。想いをあつめて美しい姿になる。飛ぶことのない鶴に、願いが届くことを祈るようだ。
昔なつかしい、千葉紘子が歌った「折り鶴」(1972年、作詞安井かずみ、作曲浜圭介)は、しっとりとした叙情を感じさせる恋想いの歌だ。
ところで、昨日(5/27)、広島の平和記念公園でスピーチをした、<オバマ米大統領は、「サプライズ」の贈り物を残した。大統領手作りのカラフルな4羽の折り鶴>だそうだ。(朝日新聞、5/28)
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