ラジオや白黒テレビの歌番組に、アメリカンポップスの新曲を求めた。ラジオの深夜放送で紹介される「ビルボード」や「キャッシュボックス」のヒットチャートを、明日の仲間内で披瀝するため、必死にメモしたりした。それを、日本人歌手が歌うころには、次はという得意顔している。まさに子どもである。
日本人歌手の歌が、カバーという意識はなかったし、原曲と聞き比べることもなかった。日本人歌手が演じて成立する独自の世界だったのだ。
そんな日本人歌手の中で、とりわけ歌のうまさに耳をそばだてたのは、弘田三枝子だった。ぽっちゃり顔した少女は、その後随分と変貌することになるが。彼女の発声はとても自然だし、余裕を感じた。パンチがあった。
弘田三枝子の歌唱力は、ロネッツ(The Ronettes)が歌う「Be My Baby」(1963年)と遜色ないというか、声質がピッタリである。当時の歌手の歌い方だったのかもしれない。この歌で、少女が男の子を「ベイビー」と呼ぶ気安さ、積極さに、もっといえば強引さに驚いたものだ。アメリカは違うなって。日本人歌手のカバーからアメリカを感じ、ますます染まっていくことになる。
そういえば、ブレンダ・リー(Brenda Lee)の「アイム・ソリー(I'm Sorry)」を聞いたときも、まず浮かび上がったのは弘田三枝子だった。いや、どっちが先だったのか・・・決まってるけれど。
(Youtubeに登録のMonotostereokingに感謝)