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2025年11月28日金曜日

暖かだったのにストーブをつけていた、雪女

アメダス(正式には「地域気象観測システム」)を見て驚いた。晩秋のきょうの最高気温が、20℃ を突破して、きのうと比べて 4℃ も暖かだったのだ。しあさってから12月(カレンダー上「冬」)となり、気分は寒い冬と思い込んでいた・・・。

月日    最高気温 時刻
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11/28 20.7℃ 12:42
11/27 16.6℃ 13:46

それなのにストーブをつけて、がんがん部屋の暖をとっていたのだ。20℃ 超えとはねえ、気付かなんだ。これから、しばらく気温の上がり下がりがあるようだ。

暖かくて寒い、こんな気分のとき、いっそ寒々しい「雪女」の物語を想い浮べてみる。
雪女といえば、雪深い北国の山中を想像してしまうが、(ハーンの「雪女」の原話)伝説の舞台は意外や意外、「多摩川(たまがわ)縁(べり)になった調布(ちょうふ)の在」(田中貢太郎「雪女」)という。

(本ブログ関連:”雪女”)

寒いのが苦手な私だが、なぜか彼女を一目見る誘惑にかられたい思いがないでもない。冷たい息を吹きかけて男たちを凍死させるイメージがあるが、柳田国男の「遠野物語」に登場する雪女は、童子をたくさん引き連れて橇遊びするという。

■ 青空文庫
「遠野物語」(柳田国男)
    ー https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52504_49667.html
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一〇三 小正月*の夜、または小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶともいう。童子をあまた引き連れてくるといえり。里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊そりっこあそびをして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるるは常のことなり。されど雪女を見たりという者は少なし。
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(*)小正月(こしょうがつ): 正月15日(本来旧暦)

2017年6月10日土曜日

運ぶもの

文字が容易でない時代、魂に託して想いを伝えることもあれば、獣がかわりに魂を運んだり伝えたりした。柳田国男の「遠野物語 一○○)に、狐が夢をかすめ取り、夢見るものの想いを悪知恵で運んでしまう話がある。

(本ブログ関連:”遠野物語”)

ある女房が、夢の中で、帰りの遅い主人を気遣って迎えに行こうかとするのを、狐の身を傭(やと)ってしまうことになる。深夜のこと、坂道で出くわした女を怪しみ、主人はそれをあやめて急いで帰れば、女房は命を取られそうな夢から覚めたばかりという。主人は元の場に戻って見れば、そこに一匹の狐が横たわっていた。

人の夢に潜り込んで、人の想いに便乗したのが狐の間違いだった。何かが足りないことに気付かぬ狐は、いっぱい食わしたつもりが、わけも分からぬうちに命を落としてしまうことになる。ことの顛末、子細がわからぬまま命を落とすくらいなら、知恵を落とすだけに留めて置けばよかったものを。

忘れたようで忘れられない、人の夢や魂を鳥や獣が運ぶシャーマニズム的世界がまだある。人の代わりをする超自然なものを身近に感じて託すことがある。もしかしたら、いまどきの何かがそれを担っているのかもしれない。

2019年6月8日土曜日

夢か現(うつつ)か幻か

最近、歳のせいか夢を見なくなった。夢は、昼間の緊張を解きほぐし、精神的再生のためとか、あるいは記憶のワークエリアの整理・削除のためともいわれる。夢はその意味で、昼間のルールと違った、予期しない自由な世界を繰り広げてくれる。

夢を見なくなるほどに、場面や展開を不意に変転する不思議な世界に関心が向く。若いころは、それなりにあやうい経験を楽しんだりして、そんなヒヤリ感がたまらなかった。歳をとると用心しすぎて無茶と縁遠くなる。夢がその代わりをしてくれるはずだった。

室生犀星の「ゆめの話」に、昔、ある武士が帰宅するため夜道を急いでいたところ、物陰に立つ女と出会う話がある。不審に思い、その女に近づくとするりと消える。不思議なことと思って自分の屋敷に着くと、門前にあの女がいて、急いで追うが見当たらない。門番も知らないという。
武士は、怪しさを感じながらも部屋に戻ると、先ほどの女が現れる。怪しんで肩先を斬りつけたところ、女は縁の下に逃げ去った。家中を探してみれば、板の間に女中が気絶していた。覚めた女中は、「実は先刻わたしが使いからかえると、一人の武士に途中であいました。そして御門から這入って縁側へぬけようとするところを抜き打ちに斬られたのでございます。ごらん下さいまし、このところに血がにじんでおります。」といった。しかし、門番は彼女が家を出る姿を見ていないという。

室生犀星は、女中が「夢遊病」だったのかもしれないと推測したが、これと似た伝承がある。以前(2017/6/10)ブログに記した、柳田国男の「遠野物語 」(一○○)にある、狐が夢をかすめ取る話だ。この場合、次のような展開になる。
< ある女房が、夢の中で、帰りの遅い主人を気遣って迎えに行こうかとするのを、狐の身を傭(やと)ってしまうことになる。深夜のこと、坂道で出くわした女を怪しみ、主人はそれをあやめて急いで帰れば、女房は命を取られそうな夢から覚めたばかりという。主人は元の場に戻って見れば、そこに一匹の狐が横たわっていた。>

(本ブログ関連:”遠野物語”)

柳田国男の伝承の場合、人の夢に狐が便乗したことになる。ことほど作用に、夢は誰のものでもないというか、奪われやすいようだ。私の夢を、今は誰かが(私に代わって)見ているかもしれない。

2019年8月11日日曜日

山の日 2019

きょうは、2016年以来施行されている祝日「山の日」だ。山にちなんだイベントもあるようだが、趣味の鉱物採集から遠ざかって以来、山に近寄ることもなくなった。いくつかの公園の中に、山の名を冠した標高50m~70m台の山がある。山というには余りにも低山。いつの間にか通り過ぎている。

(本ブログ関連:山の日”2016”、”2017”、”2018”)

「山の日」にちなんで、山にかかわる歌を思い浮かべた。その出しに「山には山の うれいあり」から始まる「あざみの歌」(作詞横井弘、作曲八洲秀章、1949年)がある。何と、昨年の今日もそれをブログに記していた。それじゃあ「山男の歌」ってか・・・、よほど山への想像力が足りないようだ。もともと、近場の高尾山が限界だったせいもある。

山といえば、おじさん好みの、山の怪異集「山怪」(山と渓谷社)シリーズがある。聞けばなんと累計17万部を突破したという。書店を巡ると書棚に真っ黒なカバーをした「山怪」シリーズが並んでいる・・・書店の規模に関わらず目にすることができる。どうやら秘かなブームのようだ。

(本ブログ関連:”山怪”)

「山怪」の発行元「山と渓谷社」のニュースリリース「累計17万部突破のベストセラー『山怪』第三弾! 現代版遠野物語『山怪 参 山人が語る不思議な話』刊行」*(2018/09/10)は次のように紹介している。(抜粋)
(*) https://www.yamakei.co.jp/news/release/20180910_02.html
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 インプレスグループで山岳・自然分野のメディア事業を手掛ける株式会社山と溪谷社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:川崎深雪)は、9月10日に『山怪 参  山人が語る不思議な話』を刊行しました。

 2015年6月に刊行されてベストセラーとなった『山怪 山人が語る不思議な話』、2016年1月に刊行された続編『山怪 弐 山人が語る不思議な話』(共に田中康弘・著)に続く第3弾に当たります。

 本書は、長年、マタギや狩猟など山に入り取材を続けてきた著者が、山に暮らす人や働く人をはじめ、多くの山人の元を訪ね、山の不可思議な体験談を取材しまとめた一冊です。本シリーズは「現代版遠野物語」として、新聞・雑誌等数多くのメディアで絶賛され、今作も同様に、すべて改めて取材した「現在形のフィールドワーク」であり、その集大成。シリーズ初となる北海道の取材を決行しています。

 また、前作『山怪』『山怪 弐』は、2018年8月15日放送のNHK BSプレミアム「異界百名山」の原案にもなりました。
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真っ黒な装丁をした本といえば、埴谷雄高の全集なんて思い出す・・・。

2013年7月26日金曜日

津波が湾内の泥を押し流すこと

異性を知らずこの世を去った若者を惜しんで、せめてあの世で男女の縁を結ばせようとする儀式が日本や近隣の国々にある。空想の婚姻でも、残された者にとっては、命の永続性を願うことに通じる。

しかし既婚者が亡くなったとき、あの世の世界に、以前と異なる男女の関係が突然現れたら厄介なことだろう。あの世は不可侵なのだから。

以前、NHKテレビで東北の大震災のドキュメント中に、柳田国男の「遠野物語」にある、次の伝承に通じるできごとが紹介された。
事実に人のこころの難しさを感じたが、あの世とこの世をさ迷う、現(うつつ)の幻視かもしれない。震災は、深く沈殿していた「わだかまり」を呼び覚ましつつも、津波という大きな不幸とともに流し去る機会を与えてくれたのかもしれない。

「遠野物語 九十九」(改行、読点任意設定)
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土淵村の助役北川清という人の家は、字火石(ひいし)にあり。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。
清の弟に福二という人は、海岸の田の浜へ婿(むこ)に行きたるが、先年の大海嘯(おおつなみ)に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元(もと)の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。

夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪(なみ)の打つ渚(なぎさ)なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正(まさ)しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々(はるばる)と船越(ふなこし)村の方へ行く崎の洞(ほこら)あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。

今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛(かわい)くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元(あしもと)を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退(の)きて、小浦(おうら)へ行く道の山陰(やまかげ)を廻(めぐ)り見えずなりたり。追いかけて見たりしが、ふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中(みちなか)に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩(わずら)いたりといえり。
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2014年3月13日木曜日

この時期に思うこと

記憶に残すということは、時代を経ても共有できる言葉で語り継いだり、民謡や踊りのように肉体化したりすることだろう。
ひとびとは、最も不幸な事実に直接触れるには心痛く、あえて欠落させる。そのような記憶の残渣を含めて、象徴的な物語に残し、共有してきたような気がする。

(本ブログ関連:”遠野物語”)

一方、将来に禍根と責任を残してしまった事々は、その事実を収集・検証し、記録の形にして、子孫に継承できるよう全力を尽くすべきだろう。

(本ブログ関連:”記憶の図書館”)

2015年6月21日日曜日

狐石

このブログでは、イ・ソンヒファンとしての奏上!以外に、趣味の鉱物採集について、及びイ・ソンヒが愛弟子イ・スンギ主演のSBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」のテーマ曲である「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌ったということから「狐」(九尾狐、稲荷など)について、それぞれ触れている。そこで、「狐」と「石」二つを合体したものをネットで調べてみた。結果、次の通りである。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

▼ 狐にちなんだ「石」について
・ 「狐石」という名の石がある。黄鉄鉱を「馬鹿の金」と呼ぶように、翡翠の偽もの扱いした民間伝承による名称のようだ。宝と間違えた滑稽さがにじみ出る。ところで、下記に示すように地名にも「狐石」があり、東北地方とりわけ福島県に集中している。妄想を膨らますと、かつて東北が「金」の大産地であったことと何かしら関係があるのだろうか。それとも、「遠野物語」風か。
・ 「狐石」という名の記念碑がある。「オクシズ」のサイトに、静岡市葵区足久保地区にある、<芭蕉>の句碑(句を刻んだ)「狐石」を次のように紹介している。感謝。(でも、狐の巣?の上に句碑を建てたというのは、いささか理解に苦しむ)
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「駿河路や はなたちばな(花橘)も 茶のにほひ」
さて、何故この石を「狐石」と呼ぶかというとここに狐がすんでいたことから・・・という説と茶葉の変化しやすい性質から「狐っ葉」と呼ぶことも関係するとか。本当のところは、なぞです。
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・ 直接的な名ではないが、狐の妖気と結びついた岩がある。伝説<玉藻の前>すなわち九尾狐が変身した毒石「殺生石」(栃木県那須町那須湯本温泉近く)こそ、まさに「狐」と「石」が合体したものとしてあげることができるだろう。(この件、「殺生石」についてはいくつか記載済み)

▼ 「狐石」という名の地名について
・ 「狐石」と名の付く場所を探したところ、「都道府県市区町村 データで遊ぼう」のサイトに地名リストが掲載されており、「狐岩」とともに次に列記する。感謝。
「狐石」の地名は10件あり、 東北の岩手、宮城、福島の3県に、特に福島県に集中しているのが興味深い。
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岩手県(2): 奥州市前沢区狐石/気仙郡住田町世田米狐石
宮城県(1): 石巻市小船越狐石
福島県(7): 須賀川市稲狐石/須賀川市森宿狐石/二本松市上川崎狐石/田村市船引町芦沢狐石/
                 伊達郡川俣町大字小神狐石/福島市飯野町大久保狐石/双葉郡広野町大字上浅見川狐石
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「狐岩」の地名は、「狐石」に比べて少なく全国に散らばる。岩手県遠野市狐岩、京都府南丹市美山町大字島狐岩、福岡県中間市狐岩の3件である。

(付記)
地元駅のエキナカ商店街に不二家がある。店前に立つ可愛いペコちゃん人形が、今回、ゆかたを着て、「白狐の仮面」をかぶっている。ついつられてケーキを求めたとき、狐の面は何かイベントでも指しているのかと尋ねたところ、夏らしさを表しているのですよという回答だった。仮面でペコちゃんはお顔が見えないが、小さくて見上げるような姿がなんとも微笑ましい。

2018年4月26日木曜日

春期イディッシュ語 2018-4th

中学時代、学校の図書館に《 聞き書きの日本の民話集 》がずらりと並んでいた。それぞれの民話に共通するものがあるのではないかと読み比べたりしたが、無力の子どもには、まとめる力などなくあっさり挫折した。けれど民話には、集団が育み受け継いだ独特な知恵があると今でも思っている。

(本ブログ関連:”遠野物語”)

古いイディッシュ(東欧ユダヤ人)の伝承(民話、小話)をもっと知りたい。庶民は、現実の厳しい生活を受け止め、苦境を切り抜けてきたわけで、それを面白おかしく笑い飛ばす軽妙さを持っているはず。そんな庶民のたくましさを、今日の「イディッシュ語教室」でも教えていただいた。イディッシュのひとびとへ、ちょっとだけ近づいた気がした。

今回は、前回(4/19)とつながりを持たせて理解を深めた。(前回欠席者への配慮もあってでしょうか)

① テキスト「Colloquial Yiddish」所収のイディッシュ民話(小話)から。
次の民話(小話)をグループに分かれてロールプレイした。
  ①-1.前回に引き続き「7と7は11(זיבן און זיבן איז עלף)」から。
  ①-2.以前学習の「二人のヘルムの住人(イディッシュ)と椅子(צװײ כעלעמער ייִדן און אַ בענקל)」から。

(本ブログ関連:”ヘルム(架空の阿呆村)”)

② イディッシュの歌から。
  ②-1.「Yome Yome(יאמע יאמע)」の歌詞原文と譜面を、音楽家が手配いただき、みなで読み歌った。
  ②-2.「Sleep my child(שלאָף מײַן קינד)」(ショーレム・アレイヘム詩)の紹介があった。

(Youtubeに登録のguauguau6に感謝)

③ 今回、イディッシュ語の大家上田和夫氏が、「言語学大辞典」(三省堂)に執筆された「イディッシュ語」について、若き中国語研究者が資料紹介され、先生大絶賛。


ポーランドについて造詣が深い若き中国語研究者から、「中欧 ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー」(沼野充義監修、新潮社)を貸してもらい・・・ゴールデンウィークの読書にさせていただく。

2021年12月22日水曜日

冬至 2021、民間信仰

きょうは、二十四節気の「冬至」で、日の出から日の入りまでの昼(日照)時間が一年中で最も短い日だ。東京天文台から見た日の出は 6:47、日の入りは 16:32になり、昼時間は 9時間45分となる。一方、昼時間が最も長い「夏至」(6月21日)の場合、日の出は 4:25、日の入りは 19:00になり、昼時間は 14時間35分となる。

(本ブログ関連:”冬至”)

冬至の昼時間が夏至のときと比べて、約5時間も短いのは驚きだ・・・一年中、昼時間が長ければ活気あふれそうだが、北極圏の「白夜」のように日没がないのはどうなんだろう。逆に冬至の前後に起こるという「極夜」では一日中太陽が昇らないわけで・・・憂鬱なことだろうなんて想像するが、そんなことをいうとトナカイを飼っている民族や、子どもたちへのクリスマスプレゼント準備に忙しいサンタクロースに失礼になる。

幸い、ほどよい緯度に住んでいるおかげで、冬至が生活の一区切りになる。これも体調が揃ってのことで、このところ右膝の調子がおもわしくなく日常の範囲が狭まった。外出も野外散歩から、座ってできることへと移っている。

■ 民間信仰
先日、2回(12/11、18)に渡って市民講座「日本人の民間信仰 - その起源と八百万(やおよろず)の神たち」(久保田裕道氏、東京都文化財研究所 無形民俗文化財研究室長)が開催された。民間行事や芸能、信仰などの精神的な回路(位置取り)として、次のような図解を中心に解説された。(柳田国男の「遠野物語」や折口信夫の「まれびと」の考えも紹介されつつ)

    集落(民間信仰の主な場所) - 田畑 - 里山 - 山(神がいる、山岳信仰の場所)

網羅的に整理・理解できないしろうとは、ある局面について関心がいくもの。本ブログでは、民間信仰に近いテーマの一つとして「お稲荷さん(稲荷信仰)」の話題を渉猟したりしている。稲荷信仰について、どのように触れられるか期待しつつ出かけた。

「家の神」として、<屋敷神>の紹介で久保田氏が調査対象にした東京都東村山市の例として「屋敷内に祠が設けられる(屋敷神は)、300軒以上で稲荷神。弁天・霊神が2ケタ、1ケタ台で水天宮・御嶽・八幡・観音・地蔵など」とのこと。
① 圧倒的に「稲荷神」が多い。屋敷神は転居してもそこに残るという。経済と結びつきの多いことから、東村山市は繁栄していたのだろう(稲荷神が武蔵野の新田開発時代のものか、維新以後の商業関連のものかうかがわなかったけれど)。

(本ブログ関連:”稲荷信仰”)

② 「地蔵」が1ケタ台というのもうなづける気がした。土地柄がよければ、疫病とも縁が薄いだろうし、子どもを捨てたり水子にすることも少なかったのだろう。(地蔵は、屋敷より地域の境界や外れに置かれたろうから)

(本ブログ関連:”地蔵”)

その他、「鬼」と火の関係など、しろうとにとって偏ったことだが興味・関心がうずうずと湧いてくる話題が多々あった。