記憶に残すということは、時代を経ても共有できる言葉で語り継いだり、民謡や踊りのように肉体化したりすることだろう。
ひとびとは、最も不幸な事実に直接触れるには心痛く、あえて欠落させる。そのような記憶の残渣を含めて、象徴的な物語に残し、共有してきたような気がする。
(本ブログ関連:”遠野物語”)
一方、将来に禍根と責任を残してしまった事々は、その事実を収集・検証し、記録の形にして、子孫に継承できるよう全力を尽くすべきだろう。
(本ブログ関連:”記憶の図書館”)
イ・ソンヒ ファンの日々よしなしごとの綴り