今夕、小田急「成城学園前駅」から数分の距離にある「アトリエ第Q劇場」で開かれた、「イディッシュ文学の夕べ」に出かけた。なお、この朗読会については、Twitter「#イディッシュ語」で知った。
(*)イディッシュ文学の夕べ: http://toyscampus.jp/?p=2299
この公演は、もともと関西を中心にイディッシュ文学の連続朗読会であるが、東京・特別編として公開された。宗教学 / ヨーロッパ史・アメリカ史の研究者である赤尾光春氏**(大阪経済法科大学客員研究員)を中心に、イディッシュ語文学作品の日本語訳書籍を朗読と解説された。(役者もしてますとのこと)
(**)赤尾光春氏: https://researchmap.jp/akaom/
本日の内容(上記「イディッシュ文学の夕べ」より、一部追記)
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第一部:シュテットル(shtetl: שטעטל)から世界へ(16:00~18:00)
[朗読]イシダトウショウ・土江優理・赤尾光春
・アイザック・バシェヴィス・シンガー「炉辺の物語」(西成彦訳『不浄の血』〔河出書房新社〕所収)、
・イツホク・レイブシュ・ペレツ「天までは届かずとも」(『世界イディッシュ短篇選』〔西成彦編訳、岩波文庫〕所収)
・ショレム・アレイヘム「ヴァフラクラケス」(『牛乳屋テヴィエ』〔西成彦編訳、岩波文庫〕より)
[演奏]大熊ワタル(クラリネット他)・こぐれみわぞう(チンドン太鼓、歌)・松本みさこ(アコーディオン)
第二部:彷徨える隠遁者――デル・ニステルの作品と生涯(19:00~)
[朗読]宮本荊・土江優理
・デル・ニステル「塀のそばで(レヴュー)」(『世界イディッシュ短篇選』〔西成彦編訳、岩波文庫〕所収)
[解説]赤尾光春(イディッシュ文学の歴史、デル・ニステルの解説)
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朗読会なるものは、初めての経験。今まで敷居の高さを感じて、近寄りがたい気がしていたが、正解でないかもしれないが読む演劇と解釈してはどうだろう。朗読された上記作品を読了していたが、今回読み聞かされて物語の視界が広がった。新鮮な経験だった。
イディッシュ文学の歴史について、第一世代の「ショレム・アレイヘム」、「イツホク・レイブシュ・ペレツ」、「メンデレ・スフォリム」があげられる。その後について、「アイザック・バシェヴィス・シンガー」が知られるが、彼は第三世代にあたる。中間の第二世代について、現在、日本語訳の書籍が出ていない。その意味で、(上記第二部で紹介された)」デル・ニステル(Der Nister)」が、第二世代作家といえる・・・そうだ。
ところで、デル・ニステルの作品「塀のそばで(レヴュー)」が今回朗読されたが、以前読んだときと同様頭がグルグルした。実は、この物語について、ロシア革命時代のユダヤ人の存在などを把握していないと理解できないと、赤尾氏から明快な解説があった。
・デル・ニステル: 埋葬地Abez村(ソ連最大の強制収容所があったヴォルクタ近隣)
・物語の舞台(サーカス): ロシア革命を暗示する、物語りに似た構図のサーカスの絵がある(=シャガール?)。
・ロシア革命期の「ユダヤ人共産党員」による、ヘブライ文化の徹底的な毀損(政治は容易に文化を侵食する)。
・登場人物のモデル:女曲芸師リリス=女性の悪霊、ほか
(追記)
ところで、芸術が政治性を帯びると、(敵対するもの同士が)背中合わせの関係になることがある。文学について不案内だが、例えば絵画、彫刻、映像の場合、対立するはずの「社会主義リアリズム」と「純正芸術」に極めて相同性を感じることがある。多分、大長編の「文学」作品といわれるものについても、危なっかしいものありそうな気がする。そんな例を身近に・近隣に見てきたはずだろう。
2019年3月16日土曜日
2019年3月15日金曜日
サンシュユ(山茱萸)
健診の帰り道、暖かい昼の陽射しする公園を通り抜けた。梅林北側に、青空に咲く「サンシュユ(山茱萸)」の爽やかな黄色の花が見えた。ぐんと伸びた枝を、小さな花が集まり飾っている姿は凛として清清しく、その対比は見事だった。
(本ブログ関連:”サンシュユ(山茱萸)”)
(本ブログ関連:”サンシュユ(山茱萸)”)
2019年3月14日木曜日
ヘルム
イディッシュの小話に、お馬鹿(阿呆、あんぽんたん)な人々が登場する街(町、村)がある。賢人(町の指導者、宗教的な指導者)といわれる人も、粗忽な者もみなどこかおかしい。大真面目に頓珍漢なのだ。
(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))
そんな、お馬鹿な場所の代表が「ヘルム(כעלעם[khelem])」だ。ポーランド語で「ヘウム(Chełm)」と呼ばれる(「L」の文字に斜め線(ストローク)を付けて[w]と発音)そうだ。ポーランド東部の国境沿いにあり、ウクライナに程近い。Wikipediaで歴史をたどれば複雑で、庶民はあっちに属したり、こっちに属したり大変だ。(一方、目鼻のきく知識人(インテリ)は、先読みの嗅覚が鋭く、融通がきき逃げるのも庶民より早い。それを「亡命」と呼ぶ)
ユダヤ人庶民は、そんな目の廻る場所を笑いの場に変えたようだ。お馬鹿なユダヤ人の住む架空の場所「ヘルム」として登場する。(「ヘウムの賢いユダヤ人」Wikipedia)
以前、イディッシュ語の授業で、ポーランドに永く住んだクラスメイトが、テキストに出てくるヘルムの町について、たしかにポーランドに存在するが、そんな理解をしたことはないと怪訝な顔をされた。笑いの場所「ヘルム」は、特定の街をターゲットにしたというより、落語の「長屋」と同様な、ユダヤ人の仮の舞台なのだろう。
「ヘルム」の人々は善良である。ただ融通がきかないだけである。
(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))
そんな、お馬鹿な場所の代表が「ヘルム(כעלעם[khelem])」だ。ポーランド語で「ヘウム(Chełm)」と呼ばれる(「L」の文字に斜め線(ストローク)を付けて[w]と発音)そうだ。ポーランド東部の国境沿いにあり、ウクライナに程近い。Wikipediaで歴史をたどれば複雑で、庶民はあっちに属したり、こっちに属したり大変だ。(一方、目鼻のきく知識人(インテリ)は、先読みの嗅覚が鋭く、融通がきき逃げるのも庶民より早い。それを「亡命」と呼ぶ)
ユダヤ人庶民は、そんな目の廻る場所を笑いの場に変えたようだ。お馬鹿なユダヤ人の住む架空の場所「ヘルム」として登場する。(「ヘウムの賢いユダヤ人」Wikipedia)
以前、イディッシュ語の授業で、ポーランドに永く住んだクラスメイトが、テキストに出てくるヘルムの町について、たしかにポーランドに存在するが、そんな理解をしたことはないと怪訝な顔をされた。笑いの場所「ヘルム」は、特定の街をターゲットにしたというより、落語の「長屋」と同様な、ユダヤ人の仮の舞台なのだろう。
「ヘルム」の人々は善良である。ただ融通がきかないだけである。
2019年3月13日水曜日
バスクの食べ物
今日の最高気温は 19.1℃(11:30)。先月(2月)20日の 19.5℃ 以来、今年に入って久し振りの暖かさだ。ただし外では風があり、スギ花粉が舞っている感じがして、外出がためらわれる。鼻水や目のかゆみという花粉症があるわけではないが、湯あたりのような「モワッ」としたのぼせた感がする。
若いころ花粉症に悩んだ。痒さに負けて目を掻き続ければ、必ず結膜炎になった。鼻の穴に小さく丸めたティッシュを詰め込んで鼻水対策もした。そんな経験も、歳をとると感度が鈍くなったせいかさほどでない。とはいえ、この季節はやっかいである。
ところで話し変わって、ポーランド菓子「ポンチキ」のイベントがあったとき、料理写真の著作もある写真家から、バスクに興味があるのなら「サンセバスチャン」の街料理がよいといわれた。ちなみに、Google Mapで都内のバスクレストランを検索すると、港区から中央区にかけてずらりと並ぶ。ユダヤレストランと比べて断然多い。どちらも興味がそそる。
若いころ花粉症に悩んだ。痒さに負けて目を掻き続ければ、必ず結膜炎になった。鼻の穴に小さく丸めたティッシュを詰め込んで鼻水対策もした。そんな経験も、歳をとると感度が鈍くなったせいかさほどでない。とはいえ、この季節はやっかいである。
ところで話し変わって、ポーランド菓子「ポンチキ」のイベントがあったとき、料理写真の著作もある写真家から、バスクに興味があるのなら「サンセバスチャン」の街料理がよいといわれた。ちなみに、Google Mapで都内のバスクレストランを検索すると、港区から中央区にかけてずらりと並ぶ。ユダヤレストランと比べて断然多い。どちらも興味がそそる。
2019年3月12日火曜日
お水取り
若い頃、仕事を早めに切り上げて、何度か奈良の東大寺二月堂で行なわれる「お水取り」の行事に出かけたことがある。記憶のままとどめておくには惜しい、今年こそと思いながら機会をかなえずにいる。
(本ブログ関連:”お水取り”)
夜がふけて、斜面に建つ二月堂の舞台から、長い竹の棒の先に火を灯した松明(たいまつ)の火の粉を撒き散らす。「童子」と呼ばれる世話役(僧侶の付き人)が担う。二月堂の下に集ったひとびとは、直接浴びることはないが、少しでも火の粉が降りかかることを求める。本来。仏教の法会(ほうえ)の「修二会(しゅにえ)」(天平勝宝4年(752年)以来連綿と続く)のひとつであるが、庶民にとっては、新たに春を知る行事ともいわれる。
実は、急いで駆けつけたものの、行事が終わっていたことが2回もあった。人々の帰り道にばったり出くわしたわけで、帰りの流れに合流して寒い奈良公園の夜道を抜けると、甘酒の屋台が立っていたりする。生姜風味のきいた甘酒は、チャンスを逃して残念な思いをしている者を温めてくれた。
一番最近といっても随分昔のこと、子どもと一緒に見たことだろう。少し小雨がぱらついていた。今夜の奈良の天気はどうだったろうか。(気象協会によれば、夕方6時は曇り空で、気温は12℃とのこと)
(本ブログ関連:”お水取り”)
夜がふけて、斜面に建つ二月堂の舞台から、長い竹の棒の先に火を灯した松明(たいまつ)の火の粉を撒き散らす。「童子」と呼ばれる世話役(僧侶の付き人)が担う。二月堂の下に集ったひとびとは、直接浴びることはないが、少しでも火の粉が降りかかることを求める。本来。仏教の法会(ほうえ)の「修二会(しゅにえ)」(天平勝宝4年(752年)以来連綿と続く)のひとつであるが、庶民にとっては、新たに春を知る行事ともいわれる。
実は、急いで駆けつけたものの、行事が終わっていたことが2回もあった。人々の帰り道にばったり出くわしたわけで、帰りの流れに合流して寒い奈良公園の夜道を抜けると、甘酒の屋台が立っていたりする。生姜風味のきいた甘酒は、チャンスを逃して残念な思いをしている者を温めてくれた。
一番最近といっても随分昔のこと、子どもと一緒に見たことだろう。少し小雨がぱらついていた。今夜の奈良の天気はどうだったろうか。(気象協会によれば、夕方6時は曇り空で、気温は12℃とのこと)
2019年3月11日月曜日
東日本大震災から8年
過去の天災を文字や映像で理解しても、恐怖感はなかなか伝わらない。日本人なら誰もが知っている、寺田寅彦の言葉「天災は忘れた頃にやってくる」は、震災の恐ろしさを再確認させる。経験の乏しい天災は、実感を湧かせるよう繰り返し「伝承」となるまで伝えていくしかない。
8年前の「東日本大震災」(2011年3月11日)で我が家は大きく揺れて、それなりの被害を経験した。今日、テレビで放送された大震災の回想番組を見ながら、いろいろな思いがよみがえった。呼び戻されることをためらい恐れてはいけないだろう。
(本ブログ関連:東日本大震災 2011年3月11日、12日、13日)
ところで、「阪神・淡路大震災」(1995年1月17日)を、その日の朝方のニュースで知ったとき、初め規模の大きさを知らず、後の詳報で次第に分かった。関東の当地は、かすかな揺れも感じなかったせいか、(残念ながら大いに反省すべきことだが)実感に乏しかったのだ。(その後の「東日本大震災」では、メディア技術の発達により、多くのできごとを瞬時に知ることができた)
人工に対する防災は人工しかないが、最後は、経験した震災を「物語」のようにして子どもたちに地道に伝え、周辺に広げて共有するのが最も良い方法かもしれない。
8年前の「東日本大震災」(2011年3月11日)で我が家は大きく揺れて、それなりの被害を経験した。今日、テレビで放送された大震災の回想番組を見ながら、いろいろな思いがよみがえった。呼び戻されることをためらい恐れてはいけないだろう。
(本ブログ関連:東日本大震災 2011年3月11日、12日、13日)
ところで、「阪神・淡路大震災」(1995年1月17日)を、その日の朝方のニュースで知ったとき、初め規模の大きさを知らず、後の詳報で次第に分かった。関東の当地は、かすかな揺れも感じなかったせいか、(残念ながら大いに反省すべきことだが)実感に乏しかったのだ。(その後の「東日本大震災」では、メディア技術の発達により、多くのできごとを瞬時に知ることができた)
人工に対する防災は人工しかないが、最後は、経験した震災を「物語」のようにして子どもたちに地道に伝え、周辺に広げて共有するのが最も良い方法かもしれない。
2019年3月10日日曜日
森山加代子
子どものころ、「演歌」以外に耳にした大衆曲は、「アメリカンポップ」だった。それも、日本人歌手が日本語でカバーしたものだ。その頃の記憶は曖昧で、歌謡史を諳んじているわけではないけれど、アメリカンポップ流行の初期に、原曲(英語)のまま歌う風潮はなかった。
カバー曲のタイトルは「悲しき~」シリーズのような、原曲と違って日本風だった。原曲名を知ったのは後のこと。歌詞の意味を理解したのは、関心があった場合だけだった。
歌謡界が、外国曲をカバーしなくなったのは、まだラジオ全盛の頃(演歌の存在が圧倒的な時代)。ビルボードやキャッシュボックスのヒットチャートを聞いて、翌日の教室で知ったかぶりしたものだ。そんな状況からか、分岐するように、日本のポップ歌手たちもオリジナル曲を歌うようになった。もしかしたら、カバーとオリジナル曲発生までに、10年間ぐらいの時間差があったかも知れない。
先日亡くなった「森山加代子」(1940年3月23日~2019年3月6日)は、そのさきがけだった。白黒ブラウン管の中で歌っていた記憶がつよい。芸能界特有の華やかさというより、どちらかといえば、ご近所のお姉さんのような存在で、明るいイメージがした。そして、少し控え目な気がした。
彼女は、テレビ時代の初期の大手芸能プロダクションに属した三人娘(中尾ミエ(1946年~)、伊東ゆかり(1947年~)、園まり(1944年~))より年齢が上だったし、かつ所属も別のプロダクションだったせいもあってか、時代にうまく乗れなかったような気がする。彼女が亡くなったことについて、ここ数日のテレビの芸能報道で、特別にコマをさくことがなかったのではないだろうか。
ところで、全日本歌謡情報センターの歌謡情報記事*「歌手の森山加代子が死去、享年78」(3/8)は、彼女の死去を次のように報じている。
(*)歌謡情報記事: https://www.kayou-center.jp/17721
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「月影のナポリ」「じんじろげ」「白い蝶ちょうのサンバ」などのヒット曲で知られる歌手の森山加代子が2019年3月6日に死去した。
1960年「月影のナポリ」でデビュー。同年、新人としては異例のスピードで『NHK紅白歌合戦』に初出場(「月影のキューバ」を歌唱)を果たす。1961年にリリースした「じんじろげ」は、その年の流行語にもなった。
「♪あなたに抱かれて わたしは蝶になる」という、早口言葉のような歌い出しが印象的な「白い蝶のサンバ」(1970年)が、オリコンチャートの1位を記録。この曲で『NHK紅白歌合戦』に、8年ぶりとなる4度目の出場を果たす。
2018年9月15日、千葉県の柏市民文化会館で行われた『オールディーズ ヒット パレード 青春チャリティーコンサート』が最後のステージとなった。
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(20年ほど前にテレビ出演したときの映像という)
(Youtubeに登録のAyakoFuji2に感謝)
カバー曲のタイトルは「悲しき~」シリーズのような、原曲と違って日本風だった。原曲名を知ったのは後のこと。歌詞の意味を理解したのは、関心があった場合だけだった。
歌謡界が、外国曲をカバーしなくなったのは、まだラジオ全盛の頃(演歌の存在が圧倒的な時代)。ビルボードやキャッシュボックスのヒットチャートを聞いて、翌日の教室で知ったかぶりしたものだ。そんな状況からか、分岐するように、日本のポップ歌手たちもオリジナル曲を歌うようになった。もしかしたら、カバーとオリジナル曲発生までに、10年間ぐらいの時間差があったかも知れない。
先日亡くなった「森山加代子」(1940年3月23日~2019年3月6日)は、そのさきがけだった。白黒ブラウン管の中で歌っていた記憶がつよい。芸能界特有の華やかさというより、どちらかといえば、ご近所のお姉さんのような存在で、明るいイメージがした。そして、少し控え目な気がした。
彼女は、テレビ時代の初期の大手芸能プロダクションに属した三人娘(中尾ミエ(1946年~)、伊東ゆかり(1947年~)、園まり(1944年~))より年齢が上だったし、かつ所属も別のプロダクションだったせいもあってか、時代にうまく乗れなかったような気がする。彼女が亡くなったことについて、ここ数日のテレビの芸能報道で、特別にコマをさくことがなかったのではないだろうか。
ところで、全日本歌謡情報センターの歌謡情報記事*「歌手の森山加代子が死去、享年78」(3/8)は、彼女の死去を次のように報じている。
(*)歌謡情報記事: https://www.kayou-center.jp/17721
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「月影のナポリ」「じんじろげ」「白い蝶ちょうのサンバ」などのヒット曲で知られる歌手の森山加代子が2019年3月6日に死去した。
1960年「月影のナポリ」でデビュー。同年、新人としては異例のスピードで『NHK紅白歌合戦』に初出場(「月影のキューバ」を歌唱)を果たす。1961年にリリースした「じんじろげ」は、その年の流行語にもなった。
「♪あなたに抱かれて わたしは蝶になる」という、早口言葉のような歌い出しが印象的な「白い蝶のサンバ」(1970年)が、オリコンチャートの1位を記録。この曲で『NHK紅白歌合戦』に、8年ぶりとなる4度目の出場を果たす。
2018年9月15日、千葉県の柏市民文化会館で行われた『オールディーズ ヒット パレード 青春チャリティーコンサート』が最後のステージとなった。
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(20年ほど前にテレビ出演したときの映像という)
(Youtubeに登録のAyakoFuji2に感謝)
2019年3月9日土曜日
「マハルリカ」
国名が変わることがある。以前、インドの南横、ベンガル湾にある「セイロン」は「スリランカ」に、また、黒海とカスピ海に挟まれた南コーカサスにある「グルジア」は「ジョージア」に国名を変更した。とはいえ、現地での変更に基づくのか、日本側の呼称の変更なのか確認が必要。
(本ブログ関連:”セイロン”)
今回、「フィリピン共和国」のドゥテルテ大統領みずから、国名を「マハルリカ(Maharlika)共和国」に変更したい意向を表明した。国名には由来がある。そもそも「フィリピン」とは、あるいは「マハルリカ」とはどんな意味を持つのだろうか、次のニュース記事で知ることになった。タガログ語、マレー語、サンスクリット語について、なんにも知らないが言葉の重要さをあらためて感じる。
・「フィリピン」は、かつての支配者の名に由来する。
・「マハルリカ」は、現地語の言葉で「忠義」の意味を持つ。
- タガログ語(英語辞書による)で、「生まれ、知性、性格、行動において高貴ないし偉大であること」を意味する。
- マレー語の「自由」の派生語である。
- サンスクリット語に由来の「気高く誕生した」など。
ちなみに、タガログ語の「Maharlika」を、ネットの「Online タガログ語 日本語 辞書」で参照すると、「高潔」と表示される。
http://www.etranslator.ro/ja/firipingo-nihongo-online-jisho.php
<共同通信>抜粋
Livedoorニュースに掲載の記事「フィリピン国名、マハルリカに? 大統領、植民地由来に嫌悪」(3/9)
http://news.livedoor.com/article/detail/16134470/
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・「フィリピン」という国名は、16世紀に宗主国だったスペインのフェリペ皇太子(後の国王フェリペ2世)にちなんでいる。
・「マハルリカ」の意味は、マレー語の「自由」の派生語やサンスクリット語の「気高く誕生した」など、複数の説がある。
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<sputnikニュース(日本語版)>抜粋
① 「ドゥテルテ大統領、国名の変更を望む=マスコミ」(2/13)
https://jp.sputniknews.com/politics/201902135918431/
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『マハルリカ』はマレー語の言葉だからだ・・・
「マハルリカ」は現代のフィリピン語で「王族」を意味しており・・・
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② 「マハルリカへのフィリピン改名は難しい=オピニオン」(2/25)
https://jp.sputniknews.com/opinion/201902255964467/
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現代のタガログ・英辞書によるとこの単語は「生まれ、知性、性格、行動において高貴ないし偉大であること」を意味する。だが研究者らは、「マカルリカ」の語源と実際の意味は解明されていないとしている。
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(本ブログ関連:”セイロン”)
今回、「フィリピン共和国」のドゥテルテ大統領みずから、国名を「マハルリカ(Maharlika)共和国」に変更したい意向を表明した。国名には由来がある。そもそも「フィリピン」とは、あるいは「マハルリカ」とはどんな意味を持つのだろうか、次のニュース記事で知ることになった。タガログ語、マレー語、サンスクリット語について、なんにも知らないが言葉の重要さをあらためて感じる。
・「フィリピン」は、かつての支配者の名に由来する。
・「マハルリカ」は、現地語の言葉で「忠義」の意味を持つ。
- タガログ語(英語辞書による)で、「生まれ、知性、性格、行動において高貴ないし偉大であること」を意味する。
- マレー語の「自由」の派生語である。
- サンスクリット語に由来の「気高く誕生した」など。
ちなみに、タガログ語の「Maharlika」を、ネットの「Online タガログ語 日本語 辞書」で参照すると、「高潔」と表示される。
http://www.etranslator.ro/ja/firipingo-nihongo-online-jisho.php
<共同通信>抜粋
Livedoorニュースに掲載の記事「フィリピン国名、マハルリカに? 大統領、植民地由来に嫌悪」(3/9)
http://news.livedoor.com/article/detail/16134470/
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・「フィリピン」という国名は、16世紀に宗主国だったスペインのフェリペ皇太子(後の国王フェリペ2世)にちなんでいる。
・「マハルリカ」の意味は、マレー語の「自由」の派生語やサンスクリット語の「気高く誕生した」など、複数の説がある。
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<sputnikニュース(日本語版)>抜粋
① 「ドゥテルテ大統領、国名の変更を望む=マスコミ」(2/13)
https://jp.sputniknews.com/politics/201902135918431/
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『マハルリカ』はマレー語の言葉だからだ・・・
「マハルリカ」は現代のフィリピン語で「王族」を意味しており・・・
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② 「マハルリカへのフィリピン改名は難しい=オピニオン」(2/25)
https://jp.sputniknews.com/opinion/201902255964467/
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現代のタガログ・英辞書によるとこの単語は「生まれ、知性、性格、行動において高貴ないし偉大であること」を意味する。だが研究者らは、「マカルリカ」の語源と実際の意味は解明されていないとしている。
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2019年3月8日金曜日
ビデオ漫画「お馬鹿村」
お馬鹿な生き方をしてみたいけど、実際は難しい。地は阿呆なのに、そのまま振る舞える場所もないし、時は遠に失した。何処かにないか、イデッシュの民話に出て来る「ヘルム」のような町もいい。日本じゃ、それに例える場所を知らない・・・、舞台は見せてくれるが、吉本新喜劇の「なんばグランド花月劇場」、むかしの浅草なら「デン助劇場」。ここは芸達者なつわものの仮の世界。
(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))
世界の誰れもが求めている、そんな場所はないものか。「お馬鹿村」に言葉は要らない、見りゃ分かる。次は、ロシア - ウクライナの スケッチコメディのテレビシリーズ(Calambur)だそうだがよく知りません。花の香りはよいけれど堆肥は臭い・・・飛んできた魚が生臭いという熊なんて。一方、釣った魚がどこかへ飛んでったようで・・・酒臭い同士はどうってことないのに・・・。続編をお楽しみということで・・・。
(Youtubeに登録のFool's Villageに感謝)
(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))
世界の誰れもが求めている、そんな場所はないものか。「お馬鹿村」に言葉は要らない、見りゃ分かる。次は、ロシア - ウクライナの スケッチコメディのテレビシリーズ(Calambur)だそうだがよく知りません。花の香りはよいけれど堆肥は臭い・・・飛んできた魚が生臭いという熊なんて。一方、釣った魚がどこかへ飛んでったようで・・・酒臭い同士はどうってことないのに・・・。続編をお楽しみということで・・・。
(Youtubeに登録のFool's Villageに感謝)
2019年3月7日木曜日
(資料)旧暦二月(きさらぎ)
今日から旧暦二月が始まる。カレンダー(気象庁)の春は、新暦の3月~5月。一方、旧暦の春は、旧暦の1月~3月。今を春の始まりと見るか、中ごろと見るか、微妙な差はあるが。一日中、雨がぼそぼそと降ったり止んだり、ときに春雷、春を楽しむほどでもない。
とはいえ、旧暦二月になったのだから、旧暦に従って楽しんでみよう。「江戸端唄集」(倉田喜弘編、岩波文庫)に収録の「とっちりとん」には、この旧暦「二月(きさらぎ、如月)」を唄ったものがある。「端唄」を楽しむほど「通」でも「粋」でもないし、そもそも聞く機会も乏しい。ただ、文庫本をめくると、二月の「稲荷祭り」から始まり、「きつね」に対する「たぬき」の存在を笑わせるくだりもあって転載させていただく。
(本ブログ関連:”端唄”。”稲荷”、”キツネ”)
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これはきさらぎ 稲荷のまつり* 初午(はつうま)** 二の午 三の午 みゝにたへぬは たいこのね さてもこんよく うちはやす 子供は絵馬をたづさへて ちんちよや╱╲の たへまなく こわめし あぶらげ やまをなす それで稲荷は よかろふが たぬきはなんと しやうぞいの
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*稲荷のまつり: 稲の神「稲荷神」(稲=農作業)を祭る。「きつね」はその使い。
「伏見稲荷大社」の「初午大祭」: 稲荷大神が稲荷山に鎮座した日に行なう(新暦2月2日に実施)
http://inari.jp/rite/?month=2%E6%9C%88#308
**初午: 旧暦二月の最初の「午の日」(旧暦2月4日⇒新暦3月10日)
「稲荷」の起源を調べれば、神道or神道+仏教(神仏習合)の由来があり、隆盛を探れば江戸商人が話題になり、分布を見れば意外にも関東・東北に多いのだ。農業だけでなく、商業まで手広くこなす、独立性の強い、個人の庭先にも鎮守する神でもある。
とはいえ、旧暦二月になったのだから、旧暦に従って楽しんでみよう。「江戸端唄集」(倉田喜弘編、岩波文庫)に収録の「とっちりとん」には、この旧暦「二月(きさらぎ、如月)」を唄ったものがある。「端唄」を楽しむほど「通」でも「粋」でもないし、そもそも聞く機会も乏しい。ただ、文庫本をめくると、二月の「稲荷祭り」から始まり、「きつね」に対する「たぬき」の存在を笑わせるくだりもあって転載させていただく。
(本ブログ関連:”端唄”。”稲荷”、”キツネ”)
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これはきさらぎ 稲荷のまつり* 初午(はつうま)** 二の午 三の午 みゝにたへぬは たいこのね さてもこんよく うちはやす 子供は絵馬をたづさへて ちんちよや╱╲の たへまなく こわめし あぶらげ やまをなす それで稲荷は よかろふが たぬきはなんと しやうぞいの
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*稲荷のまつり: 稲の神「稲荷神」(稲=農作業)を祭る。「きつね」はその使い。
「伏見稲荷大社」の「初午大祭」: 稲荷大神が稲荷山に鎮座した日に行なう(新暦2月2日に実施)
http://inari.jp/rite/?month=2%E6%9C%88#308
**初午: 旧暦二月の最初の「午の日」(旧暦2月4日⇒新暦3月10日)
「稲荷」の起源を調べれば、神道or神道+仏教(神仏習合)の由来があり、隆盛を探れば江戸商人が話題になり、分布を見れば意外にも関東・東北に多いのだ。農業だけでなく、商業まで手広くこなす、独立性の強い、個人の庭先にも鎮守する神でもある。
2019年3月6日水曜日
「はやぶさ2」タッチダウンの映像
3/4、JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、「はやぶさ2」が2/22に小惑星「リュウグウ」にタッチダウンしたときの映像をYoutubeに公開した。
(本ブログ関連:”はやぶさ”)
2/22 の本ブログで、「タッチダウン直後の画像」について、「ぼんやりシミのような部分は、推測するに、まず『サンプル採取のためのプロジェクタイル(弾丸)』を発射した結果、付近に舞い落ちた粉塵だろうか。」と記した。次のYoutube映像から、弾丸発射によると見られる岩石の小片が驚くほど多く飛び散っているのが分かる。ただし、小片が結果として「シミ」につながったかどうか・・・この映像だけでは分からない。
「シミ」について、専門家はどう解釈しているのだろうか。一説に、弾丸を打ち込まれたリュウグウの、地表下から(微細なものが)舞い上がったのではないかという推測もあるそうだ。
Youtube映像公開について、JAXAの紹介(3/5)
http://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/14160.html#anchor_no1
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ここから着地の初公開映像をご覧下さい!(SNS等で共有いただいて構いません)
国民の皆様からのご寄付を使わせていただき、小惑星探査機「はやぶさ2」に追加でカメラを搭載しています。
2月22日7:29に「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に着地し、サンプルを採取した、「人類の手が新たな星に届いた」瞬間の連続画像が見られます。
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(Youtubeに登録のJAXA | 宇宙航空研究開発機構に感謝)
(本ブログ関連:”はやぶさ”)
2/22 の本ブログで、「タッチダウン直後の画像」について、「ぼんやりシミのような部分は、推測するに、まず『サンプル採取のためのプロジェクタイル(弾丸)』を発射した結果、付近に舞い落ちた粉塵だろうか。」と記した。次のYoutube映像から、弾丸発射によると見られる岩石の小片が驚くほど多く飛び散っているのが分かる。ただし、小片が結果として「シミ」につながったかどうか・・・この映像だけでは分からない。
「シミ」について、専門家はどう解釈しているのだろうか。一説に、弾丸を打ち込まれたリュウグウの、地表下から(微細なものが)舞い上がったのではないかという推測もあるそうだ。
Youtube映像公開について、JAXAの紹介(3/5)
http://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/14160.html#anchor_no1
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ここから着地の初公開映像をご覧下さい!(SNS等で共有いただいて構いません)
国民の皆様からのご寄付を使わせていただき、小惑星探査機「はやぶさ2」に追加でカメラを搭載しています。
2月22日7:29に「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に着地し、サンプルを採取した、「人類の手が新たな星に届いた」瞬間の連続画像が見られます。
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(Youtubeに登録のJAXA | 宇宙航空研究開発機構に感謝)
啓蟄 2019、プリツカー賞
二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」、春の温もりに誘われて地中の虫たちが這い出るころをいう。そんなに実感があるわけではないが、虫と考えず人間に置き換えれば、ぼつぼつそんな気もしないわけではない。
(本ブログ関連:”啓蟄”)
昼までに、春雨が一降り二降りして、通りの路面がまだらに湿っている。昨日ほどの暖かさはないが、十分過ごしやすい。これから、気温が緩やかに上下して、雨も前後しながら本格的な春になるとテレビの気象解説者が語っていた。
ところで、素人にはその偉大さをよく咀嚼できないが、建築家の世界にノーベル賞に相当するといわれる「プリツカー賞」がある。今年の授賞者に、磯崎新氏が決まったとのこと。建築について全くの不案内なのに、日本の建築家が世界的に評価されたと聞けばうれしくなる。
下記の歴代受賞者を見ると、アメリカ発の賞だが、国籍に偏りが見られない。さすがアメリカと思いながらも、素人目には、つい日の丸が目に入ってしまう。
同氏のWikipediaの解説に、建築作品も写真で紹介されている。作品の所在を見ると、以前は九州や西日本に、最近は中国にも展開されているようだ。空に向かった四角い大砲のような建物もあれば、とぐろを巻いた曲面の建物もある。素人は表面的にしか見られないので、すごいとか、面白いという言葉が精一杯であるが。(専門家は、当然、素人と違った視点で作品を見て評価されているようだ)
歴代受賞者:Wikipedia-jpより(英語版は写真入り)
(本ブログ関連:”啓蟄”)
昼までに、春雨が一降り二降りして、通りの路面がまだらに湿っている。昨日ほどの暖かさはないが、十分過ごしやすい。これから、気温が緩やかに上下して、雨も前後しながら本格的な春になるとテレビの気象解説者が語っていた。
ところで、素人にはその偉大さをよく咀嚼できないが、建築家の世界にノーベル賞に相当するといわれる「プリツカー賞」がある。今年の授賞者に、磯崎新氏が決まったとのこと。建築について全くの不案内なのに、日本の建築家が世界的に評価されたと聞けばうれしくなる。
下記の歴代受賞者を見ると、アメリカ発の賞だが、国籍に偏りが見られない。さすがアメリカと思いながらも、素人目には、つい日の丸が目に入ってしまう。
同氏のWikipediaの解説に、建築作品も写真で紹介されている。作品の所在を見ると、以前は九州や西日本に、最近は中国にも展開されているようだ。空に向かった四角い大砲のような建物もあれば、とぐろを巻いた曲面の建物もある。素人は表面的にしか見られないので、すごいとか、面白いという言葉が精一杯であるが。(専門家は、当然、素人と違った視点で作品を見て評価されているようだ)
歴代受賞者:Wikipedia-jpより(英語版は写真入り)
| 年 | 受賞者名 | 国籍 |
|---|---|---|
| 1979年 | フィリップ・ジョンソン | |
| 1980年 | ルイス・バラガン | |
| 1981年 | ジェームス・スターリング | |
| 1982年 | ケヴィン・ローチ | |
| 1983年 | イオ・ミン・ペイ | |
| 1984年 | リチャード・マイヤー | |
| 1985年 | ハンス・ホライン | |
| 1986年 | ゴットフリート・ベーム | |
| 1987年 | 丹下健三 | |
| 1988年 | ゴードン・バンシャフト | |
| オスカー・ニーマイヤー | ||
| 1989年 | フランク・ゲーリー | |
| 1990年 | アルド・ロッシ | |
| 1991年 | ロバート・ヴェンチューリ | |
| 1992年 | アルヴァロ・シザ | |
| 1993年 | 槇文彦 | |
| 1994年 | クリスチャン・ド・ポルザンパルク | |
| 1995年 | 安藤忠雄 | |
| 1996年 | ホセ・ラファエル・モネオ | |
| 1997年 | スヴェレ・フェーン | |
| 1998年 | レンゾ・ピアノ | |
| 1999年 | ノーマン・フォスター | |
| 2000年 | レム・コールハース | |
| 2001年 | ヘルツォーク & ド・ムーロン | |
| 2002年 | グレン・マーカット | |
| 2003年 | ヨーン・ウツソン | |
| 2004年 | ザハ・ハディッド | |
| 2005年 | トム・メイン | |
| 2006年 | パウロ・メンデス・ダ・ロシャ | |
| 2007年 | リチャード・ロジャース | |
| 2008年 | ジャン・ヌーヴェル | |
| 2009年 | ピーター・ズントー | |
| 2010年 | 妹島和世 西沢立衛 (SANAA) | |
| 2011年 | エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ | |
| 2012年 | 王澍 | |
| 2013年 | 伊東豊雄 | |
| 2014年 | 坂茂 | |
| 2015年 | フライ・オットー | |
| 2016年 | アレハンドロ・アラベナ | |
| 2017年 | RCRアルキテクタス | |
| 2018年 | バルクリシュナ・ドーシ | |
| 2019年 | 磯崎新 |
2019年3月5日火曜日
バスク語の辞書?
例えば「バスク語」のような少数言語を独習する場合、超初心者のわたしにとって、どんな辞書を使用すればよいのだろう。果たして、どこまで(わたしの場合はいつまで)独習を続けられるか自信ない場合、どうなのか尚更考えてしまう。
(本ブログ関連:”バスク語”)
そこで簡便な「語彙集」作りをしてみた。
① 独習用に購入した、日本人著者のテキスト巻末にある「単語リスト」を利用する。
- 超初心者でも知る、著名な著者のテキストがあるのが幸いだ。
② 専門家やネット(例えばAmazonのカスタマーレビューなど)で評価の高い「バスク語辞書」を探す。
- 上記①の著者の別の書籍によれば、正式な「バスク語-日本語辞書は刊行されていません」とのこと。
- ところで、バスク語辞書と銘打ったものがあるが、Amazonのカスタマーレビューがない。調べてみれば、その著者が著した他の言語辞書が、専門家からサンドバックにされたりしている。
- 海外の信頼できる英語版辞書については、よき指導者からの推奨を聞きたい。
③ 海外のネットには、信頼できるテキスト(あるいはUnpublished typescript)が公開されている場合がある。その巻末にある「Vocabulary」を < 著作権に十分注意の上 > 利用する。
- 著作権に十分注意の上、著者・出版社が公開のpdfファイルを参照し、その巻末にある「Vocabulary」を利用する。
(本ブログ関連:”バスク語”)
そこで簡便な「語彙集」作りをしてみた。
① 独習用に購入した、日本人著者のテキスト巻末にある「単語リスト」を利用する。
- 超初心者でも知る、著名な著者のテキストがあるのが幸いだ。
② 専門家やネット(例えばAmazonのカスタマーレビューなど)で評価の高い「バスク語辞書」を探す。
- 上記①の著者の別の書籍によれば、正式な「バスク語-日本語辞書は刊行されていません」とのこと。
- ところで、バスク語辞書と銘打ったものがあるが、Amazonのカスタマーレビューがない。調べてみれば、その著者が著した他の言語辞書が、専門家からサンドバックにされたりしている。
- 海外の信頼できる英語版辞書については、よき指導者からの推奨を聞きたい。
③ 海外のネットには、信頼できるテキスト(あるいはUnpublished typescript)が公開されている場合がある。その巻末にある「Vocabulary」を < 著作権に十分注意の上 > 利用する。
- 著作権に十分注意の上、著者・出版社が公開のpdfファイルを参照し、その巻末にある「Vocabulary」を利用する。
(追記)
本ブログ「どんな方だったのだろう Alan R. King」(2019年3月20日水曜日)に記述
Alan R. King氏についてのWikipediaに、「彼の『代表作』の蘭に、『King, Alan R. (1982). A Basque Course: A Complete Initiation to the Study of the Basque Language.□ (未刊タイプ原稿)』が紹介されている」。
- 著書の最後に、豊富な語彙集(バスク語-英語)が掲載されている。
2019年3月4日月曜日
「フルーツ牛乳」が消えるそうだ
スーパーの棚に、バナナ風味の新商品の菓子や飲料があると必ず購入する。このごろスーパーに出向く機会が減ったためか、ブログに続けている「バナナ巡礼」の記述が停滞している。
(本ブログ関連:"バナナ")
わたしたち世代が子ども時代に、野球のグローブのように広がった黄色した「バナナ」の房は、豪華で貴重な食べ物だった。高級品だったのだ。それが自由化された現在でも、どんなに安価な扱いを受けても、大切な味に変わりない。バナナは子ども時代に羨望の味だった。一方、高級品の時代、なぜか道端で「バナナの叩き売り」があったのも懐かしい。
(参考)国立公文書館アジア歴史資料センターの「バナナが高級品だったってホント?」
https://www.jacar.go.jp/english/glossary_en/tochikiko-henten/qa/qa12.html
そんな貴重なバナナにかわって、バナナ色に着色した人工甘味(バナナ味)の棒アイスやガラス瓶入りのミルクがあった。中学校からの帰り道、途中の駄菓子屋に寄ってよく立ち食いしたものだ。雑然とした駄菓子屋の店内、子どもたちがたむろした軒下、車もほとんど通らない裏通り・・・。
最近、バナナ味の棒アイスは見かけなくなったが、紙パック入りのバナナ風味のミルクラテなどはときたま見かける。巡り合った幸運にうれしくなって、味を確かめるためつい買い求める。帰宅して口にするときの期待感がたまらない。
ところで、バナナ味とうたわないが、瓶入りの「フルーツ牛乳」があった。少しネットリ感がして、いろいろな果物をミックスしたようなイメージに仕上がっていた。小学校の給食に、ときたま配られたような記憶がある(?)。今も銭湯で売られているそうだが、外風呂に通うことがなく、風呂上りに飲んだ経験がない・・・貴重なことなのに残念。
そんな瓶入りのフルーツ牛乳が販売中止になると、J-CASTニュースの記事「銭湯の定番『フルーツ牛乳』終売へ 『平成も終わるけど、昭和も消えていく』」**(3/4)が伝えている。4月で販売終了という。タイトルの通り、わたしにとって、昭和が平成より以前の時代に遠く霞んでいくのが寂しい。昭和って消えるしかないのか?
(**)J-CASTニュース: https://www.j-cast.com/2019/03/04351771.html
(追記)
今回は明治が販売する清涼飲料水「明治フルーツ」とのことで、他社の「フルーツ牛乳」はまだ残ることだろう。
(本ブログ関連」”フルーツ牛乳”)
(本ブログ関連:"バナナ")
わたしたち世代が子ども時代に、野球のグローブのように広がった黄色した「バナナ」の房は、豪華で貴重な食べ物だった。高級品だったのだ。それが自由化された現在でも、どんなに安価な扱いを受けても、大切な味に変わりない。バナナは子ども時代に羨望の味だった。一方、高級品の時代、なぜか道端で「バナナの叩き売り」があったのも懐かしい。
(参考)国立公文書館アジア歴史資料センターの「バナナが高級品だったってホント?」
https://www.jacar.go.jp/english/glossary_en/tochikiko-henten/qa/qa12.html
そんな貴重なバナナにかわって、バナナ色に着色した人工甘味(バナナ味)の棒アイスやガラス瓶入りのミルクがあった。中学校からの帰り道、途中の駄菓子屋に寄ってよく立ち食いしたものだ。雑然とした駄菓子屋の店内、子どもたちがたむろした軒下、車もほとんど通らない裏通り・・・。
最近、バナナ味の棒アイスは見かけなくなったが、紙パック入りのバナナ風味のミルクラテなどはときたま見かける。巡り合った幸運にうれしくなって、味を確かめるためつい買い求める。帰宅して口にするときの期待感がたまらない。
ところで、バナナ味とうたわないが、瓶入りの「フルーツ牛乳」があった。少しネットリ感がして、いろいろな果物をミックスしたようなイメージに仕上がっていた。小学校の給食に、ときたま配られたような記憶がある(?)。今も銭湯で売られているそうだが、外風呂に通うことがなく、風呂上りに飲んだ経験がない・・・貴重なことなのに残念。
そんな瓶入りのフルーツ牛乳が販売中止になると、J-CASTニュースの記事「銭湯の定番『フルーツ牛乳』終売へ 『平成も終わるけど、昭和も消えていく』」**(3/4)が伝えている。4月で販売終了という。タイトルの通り、わたしにとって、昭和が平成より以前の時代に遠く霞んでいくのが寂しい。昭和って消えるしかないのか?
(**)J-CASTニュース: https://www.j-cast.com/2019/03/04351771.html
(追記)
今回は明治が販売する清涼飲料水「明治フルーツ」とのことで、他社の「フルーツ牛乳」はまだ残ることだろう。
(本ブログ関連」”フルーツ牛乳”)
2019年3月3日日曜日
松任谷由実「春よ、来い」
2019年3月2日土曜日
狐の狡猾さ
このブログは、キツネについていろいろな伝承を採集している。「西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇」(ティルベリのゲルウァシウス(Gervasius Tilberiensis)、池上俊一訳、講談社学術文庫)に所収の「第68章 狐の狡猾さ」を転載させていただく。結論から言えば、だます者は、甘い汁を吸おうと近づき寄る者たちを、最後には丸めてポンと捨てるということか。
(本ブログ関連:”キツネ”)
翻訳者解説によれば、原本は、1209年~1214年にかけて書かれたもので、聖職者ゲルウァシウスが赴任地や旅先での見聞、知人から聞いた話、古典の奇話などをまとめたものという。皇帝のための気晴らし本というべきか。素人の関心からいえば、こんな話、あんな話とつづく。石の話もあって楽しい。
(下記に改行を加えました)
-----------------------------------------------------------------------
狐の本性的狡猾(ずるがしこ)さについての話を耳にするとき、わたしどもは何より、この世ではもっと慎重に振る舞うべきことを学びます。
たとえばです、狐が蚤の激しい刺傷で痛がっているとき、かれは川辺にいって後ろ歩きをしながら尻尾の先を水に沈めます。すると蚤は水を感じて、キツネのからだのより乾燥した地帯に避難します。こうして徐々に尻からからだを湿してゆくあいだに、蚤たちは彼の鼻面の先まで這い登ってゆくことを余儀なくされます。
不幸な一隊が一旦唇まで到達するや、かれは口全体をペロッと舌なめずりします。そこで蚤は、あらかじめ狐が用意して口一杯に含んでいた麻屑か何か別の柔らかなものの中に突進してゆきます。狡賢い動物(狐)は、かれら(蚤)がほうほうの態で避難場所に逃げ込んだと感ずると、麻屑を吐き出し、水から上がってこの不衛生な災難から解放されるのです。
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(本ブログ関連:”キツネ”)
翻訳者解説によれば、原本は、1209年~1214年にかけて書かれたもので、聖職者ゲルウァシウスが赴任地や旅先での見聞、知人から聞いた話、古典の奇話などをまとめたものという。皇帝のための気晴らし本というべきか。素人の関心からいえば、こんな話、あんな話とつづく。石の話もあって楽しい。
(下記に改行を加えました)
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狐の本性的狡猾(ずるがしこ)さについての話を耳にするとき、わたしどもは何より、この世ではもっと慎重に振る舞うべきことを学びます。
たとえばです、狐が蚤の激しい刺傷で痛がっているとき、かれは川辺にいって後ろ歩きをしながら尻尾の先を水に沈めます。すると蚤は水を感じて、キツネのからだのより乾燥した地帯に避難します。こうして徐々に尻からからだを湿してゆくあいだに、蚤たちは彼の鼻面の先まで這い登ってゆくことを余儀なくされます。
不幸な一隊が一旦唇まで到達するや、かれは口全体をペロッと舌なめずりします。そこで蚤は、あらかじめ狐が用意して口一杯に含んでいた麻屑か何か別の柔らかなものの中に突進してゆきます。狡賢い動物(狐)は、かれら(蚤)がほうほうの態で避難場所に逃げ込んだと感ずると、麻屑を吐き出し、水から上がってこの不衛生な災難から解放されるのです。
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2019年3月1日金曜日
ポンチキ祭り
イディッシュ語教室にポーランドと縁のあるクラスメイトが多数いた。ワルシャワの音楽祭に参加したクレツマー音楽家たち(二人)、またワルシャワ滞在の長かったピアニスト、さらにポーランド語が堪能な不思議な若者(院生)の方々だ。授業でも、先生からポーランドに関連する書物の紹介があったりして身近に感じた。
(本ブログ関連:”ポーランド”)
昔、ポーランドが勢力を拡大したころ、ユダヤ人が多数が居住したこともあり、イディッシュ語とポーランド文化(語彙や地名など)との関わりは深かったようだ。授業で、食べ物の話題があれば、ポーランド菓子が語られたりした。
以前、外語大の「外語祭」を訪れたとき、学生たちが(多分専攻の言語に合わせて)国別のテントを並べて、その国独特な軽食や菓子を販売していた。ポーランドの模擬店では、「ラズベリージャム入りのドーナッツ『ポンチキ(Pączek)』」(日本では当り前の菓子になっている)が売られていた。さっそく求めて食した。
(本ブログ関連:”外語祭”、”ポンチキ”)
ところで、今日、このポンチキを主題に「ポンチキまつり」が、京王線「柴崎駅」近くにある「ポンチキヤ」*(ポーランド大好きな店のよう)で開かれた。興味しんしん、この機会に出かけてみることにした。
(*)ポンチキヤ: http://poland.saleshop.jp/
若者客が(立錐の予知もないほど)集って、居場所を探すほど。同世代と思われるおじさんと相席したところ、聞けば同じ年齢。食べ物を中心に撮影する写真家とのことで世界を巡られたようだ。ポーランドの食べ物でだけでなく、いろいろな国の料理も聞かせてもらった。まさにアーチストの見本のような生き方の人だった。
店の中心にロシア人男性がいて、モスクワの都市生活者の基本的な家庭料理をたずねれば、スープの「ソーリャンカ」がまさにソウルフードとのこと。(ポーランド料理でいえば「ジュレック」に当りそう・・・らしい)
そこへ、中国からの留学生が参加して、アジア(ツングース語から東南アジアの諸言語)だけでなくヨーロッパ(当然ポーランド語やロシア語も含めて)の言語について、縦横無尽さまざま教えてもらった。学問的関心は、中国古代の音韻学という・・・もうお手上げ。
幸運に、ユニークな名の「ポンチキまつり」で、素晴らしい人々と出会うことができた。
(さてこれから、土産に買ったスモークド・オイル サーディンを食べてみようか)
(本ブログ関連:”ポーランド”)
昔、ポーランドが勢力を拡大したころ、ユダヤ人が多数が居住したこともあり、イディッシュ語とポーランド文化(語彙や地名など)との関わりは深かったようだ。授業で、食べ物の話題があれば、ポーランド菓子が語られたりした。
以前、外語大の「外語祭」を訪れたとき、学生たちが(多分専攻の言語に合わせて)国別のテントを並べて、その国独特な軽食や菓子を販売していた。ポーランドの模擬店では、「ラズベリージャム入りのドーナッツ『ポンチキ(Pączek)』」(日本では当り前の菓子になっている)が売られていた。さっそく求めて食した。
(本ブログ関連:”外語祭”、”ポンチキ”)
ところで、今日、このポンチキを主題に「ポンチキまつり」が、京王線「柴崎駅」近くにある「ポンチキヤ」*(ポーランド大好きな店のよう)で開かれた。興味しんしん、この機会に出かけてみることにした。
(*)ポンチキヤ: http://poland.saleshop.jp/
若者客が(立錐の予知もないほど)集って、居場所を探すほど。同世代と思われるおじさんと相席したところ、聞けば同じ年齢。食べ物を中心に撮影する写真家とのことで世界を巡られたようだ。ポーランドの食べ物でだけでなく、いろいろな国の料理も聞かせてもらった。まさにアーチストの見本のような生き方の人だった。
店の中心にロシア人男性がいて、モスクワの都市生活者の基本的な家庭料理をたずねれば、スープの「ソーリャンカ」がまさにソウルフードとのこと。(ポーランド料理でいえば「ジュレック」に当りそう・・・らしい)
そこへ、中国からの留学生が参加して、アジア(ツングース語から東南アジアの諸言語)だけでなくヨーロッパ(当然ポーランド語やロシア語も含めて)の言語について、縦横無尽さまざま教えてもらった。学問的関心は、中国古代の音韻学という・・・もうお手上げ。
幸運に、ユニークな名の「ポンチキまつり」で、素晴らしい人々と出会うことができた。
(さてこれから、土産に買ったスモークド・オイル サーディンを食べてみようか)
2019年2月28日木曜日
シャビエル、ザビエル
日めくりカレンダーは、当日を意識付けするけれど、翌日に目配せが必要なときがある。今日は2月の28日、普段のならいせいで、つい明日は29日と思い込んでしまいそう。けれど2月は今日で終わり。「うるう年」でない限り、2月は28日までしかない。
話し変わって、バスク語のテキスト(「ニューエクスプレス バスク語」吉田浩美著)の会話に決まって登場する男性の名は「シャビエル(Xabier)」。気にもせず、ひとりの人物名とみていたが、Wikipediaで「Xabier」を検索すれば、ヨーロッパの男性名として、各国の読み方(呼び方)を紹介している。
1549年、日本へ来たスペインの宣教師「フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)」は、(これもWikipediaの記述によるが)<日本のカトリック教会ではイタリア語読みから慣用的に「ザベリオ」が用いられ、現在おもに「ザビエル」>が使われているという。
あのフランシスコ・ザビエルが「バスク人」だったのかと、彼の故郷を確認すると、(これまたWikiprdiaによれば)<生家のハビエル城はフランスとの国境に近い北スペインのナバラ王国のハビエルに位置し、バスク語で「新しい家」を意味するエチェベリ(家〈etxe〉+ 新しい〈berria〉*)のイベロ・ロマンス風訛りである。フランシスコの姓はこの町に由来する。>とのこと。
(*)berria: 新しい(new) berri に-a が付いた絶対格単数形
バスク語テキストでは、登場人物「シャビエル」と「ザビエル」の関係について触れているわけではないが、なんとなく学習に一歩近づく感がするのも不思議。
ところで、イディッシュ語テキスト「Colloquial Yiddish」(L. Kahn)に主に登場する男性の名は「דוד(Dovid)」は、ヘブライ語の「דָּוִד」に由来。すなわち、ユダヤ王の「ダビデ」であり、英語の男性名「David」につながる。
語学教材の著者は、登場人物に、その言葉(語学対象)に縁の深い名の登場人物を選ぶのだろう。さて、外国人向け「日本語教材」の場合、主な登場人物(男性)はどんな名になっているのだろうか。
(3/1:追記) 中国の留学生によれば、彼が学んだ日本語教材に登場した人物名は、男性は森/田中であり、女性は小野だったそうだ。
話し変わって、バスク語のテキスト(「ニューエクスプレス バスク語」吉田浩美著)の会話に決まって登場する男性の名は「シャビエル(Xabier)」。気にもせず、ひとりの人物名とみていたが、Wikipediaで「Xabier」を検索すれば、ヨーロッパの男性名として、各国の読み方(呼び方)を紹介している。
1549年、日本へ来たスペインの宣教師「フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)」は、(これもWikipediaの記述によるが)<日本のカトリック教会ではイタリア語読みから慣用的に「ザベリオ」が用いられ、現在おもに「ザビエル」>が使われているという。
あのフランシスコ・ザビエルが「バスク人」だったのかと、彼の故郷を確認すると、(これまたWikiprdiaによれば)<生家のハビエル城はフランスとの国境に近い北スペインのナバラ王国のハビエルに位置し、バスク語で「新しい家」を意味するエチェベリ(家〈etxe〉+ 新しい〈berria〉*)のイベロ・ロマンス風訛りである。フランシスコの姓はこの町に由来する。>とのこと。
(*)berria: 新しい(new) berri に-a が付いた絶対格単数形
バスク語テキストでは、登場人物「シャビエル」と「ザビエル」の関係について触れているわけではないが、なんとなく学習に一歩近づく感がするのも不思議。
ところで、イディッシュ語テキスト「Colloquial Yiddish」(L. Kahn)に主に登場する男性の名は「דוד(Dovid)」は、ヘブライ語の「דָּוִד」に由来。すなわち、ユダヤ王の「ダビデ」であり、英語の男性名「David」につながる。
語学教材の著者は、登場人物に、その言葉(語学対象)に縁の深い名の登場人物を選ぶのだろう。さて、外国人向け「日本語教材」の場合、主な登場人物(男性)はどんな名になっているのだろうか。
(3/1:追記) 中国の留学生によれば、彼が学んだ日本語教材に登場した人物名は、男性は森/田中であり、女性は小野だったそうだ。
2019年2月27日水曜日
春雨じゃ、濡れてまいろう(行こう)
わたしら世代には、春の雨に「春雨じゃ、濡れてまいろう(行こう)」と言って遊んだ記憶があるに違いない。まだチャンバラごっこができた時代だ。幕末の混乱だけじゃない、その後の維新の騒乱なんて何も知らず、原っぱを駆け回っていた。
雨が降れば、濡れるのも子どもの仕事。別にどうってこともない。泥んこだって厭わない。そんな時代が懐かしい。
雛菊 「月様、雨が…」
月形 「春雨じゃ、濡れてまいろう」
この台詞、芝居「月形半平太」の中で語られたもので、チャンバラ少年たちも知っていた。あいにく腕白たちしかいないので、雛菊の役回りは当然なかったが、みな好き勝手に月形になりきって春雨に飛び出して行った。
スタンドマイクの前に直立不動で歌った東海林太郎の「月形半平太の唄」(藤惣之助作詞、近藤政二郎作曲、日本ポリドール管弦楽団:1934年(昭和9年))がある。
(Youtubeに登録の0jac6に感謝)
雨が降れば、濡れるのも子どもの仕事。別にどうってこともない。泥んこだって厭わない。そんな時代が懐かしい。
雛菊 「月様、雨が…」
月形 「春雨じゃ、濡れてまいろう」
この台詞、芝居「月形半平太」の中で語られたもので、チャンバラ少年たちも知っていた。あいにく腕白たちしかいないので、雛菊の役回りは当然なかったが、みな好き勝手に月形になりきって春雨に飛び出して行った。
スタンドマイクの前に直立不動で歌った東海林太郎の「月形半平太の唄」(藤惣之助作詞、近藤政二郎作曲、日本ポリドール管弦楽団:1934年(昭和9年))がある。
(Youtubeに登録の0jac6に感謝)
2019年2月26日火曜日
歴史のことごと
小学生のころ、昭和史に残る重大事件について知った。同級生の縁者に、かつてその事件に関与した人物がいたと聞かされたからだ。昭和11年(1936年)2月26日、雪の降るの東京府において、陸軍青年将校たちが大規模な決起をした「二・二六事件」がそれだ。
今日のニュースに、この事件について触れられることはほとんどないようだ。忘れた振りをしているのか、それとも忘れ去ったのか。忌まわしい事件として、思い出して検証することが憚れるのだろうか。それとも、思い返す労に意味すらないのだろうか。
小学生同士のこと、一度だけ聞かされた内容を理解するに知識は乏しかったものの、それ以来、級友に会うと歴史の衣装がひらひらと見えるような気がしてならなかった。その後、当事者だった青年将校(大尉)の立場や経緯を知るたび、小学生のころの級友を思い出すことになる。
また、この事件について、従った(従わされた)下級兵士の中に、飄々とした話芸を見せた落語家の「柳家小さん (5代目)」がいたのは有名だが、多くの兵士はその後、何度も招集され前線(戦地)に送り込まれたという話がある・・・ネットに満州方面へという話題があるが、その先の地もまだ十分あった気がしてならない。
今日のニュースに、この事件について触れられることはほとんどないようだ。忘れた振りをしているのか、それとも忘れ去ったのか。忌まわしい事件として、思い出して検証することが憚れるのだろうか。それとも、思い返す労に意味すらないのだろうか。
小学生同士のこと、一度だけ聞かされた内容を理解するに知識は乏しかったものの、それ以来、級友に会うと歴史の衣装がひらひらと見えるような気がしてならなかった。その後、当事者だった青年将校(大尉)の立場や経緯を知るたび、小学生のころの級友を思い出すことになる。
また、この事件について、従った(従わされた)下級兵士の中に、飄々とした話芸を見せた落語家の「柳家小さん (5代目)」がいたのは有名だが、多くの兵士はその後、何度も招集され前線(戦地)に送り込まれたという話がある・・・ネットに満州方面へという話題があるが、その先の地もまだ十分あった気がしてならない。
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