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2014年10月25日土曜日

遠近法(消失点)

遠近法の絵画に、全てが集中して消える先に一体何があるのだろうか。絵画を見るままに見るといった、共通な視座があるのだろうか。もしかしたら、そのように見慣れているだけではないだろうか。時代とともに、絵画は、制作する者、所有する者、見る者それぞれにとって、入り混じったものがあるのではないだろうか。

(本ブログ関連:”遠近法”)

今の時代、映像を見慣れているので、遠近法は不思議でない。しかし、日本画に遠近法が登場したのは随分と後のことだ。なぜなのだろう・・・結局、日本画は、「日本画」という言葉とは違った存在だったのかもしれない。「西洋画」に対置して東洋画とか日本画といった配置をするのは、何かを歪めているかもしれない。

西洋画の遠近法について妄想したい。残念ながら、日本画の空間認識について何も知らないので・・・。

現実の世界を大きな升目を持つ網目を通して覗き、それと同じ升目のある画布に升目ごと転写すると、リアルな世界が再構成される。升目は一律でなく遠景が空気の厚い層に薄まり、全体像は遠近法の世界に収斂する。絵画工房の画工が気づかぬはずはない。

北方ルネッサンス絵画は、空間を緻密に埋める。隙間があってはならないのだ。間隙が存在したりすると、見える世界が崩壊するとでも思っているのだろうか、一部の隙があってはならないのだ。究極、視座をおろそかにできなくなる。
ファン・アイク(1395年頃~1441年)の「アルノルフィーニ夫妻像」は、遠近法の奥に壁に掛けられた鏡があり、そこに画家本人が描かれている。この絵画は、ファン・アイクの視覚を通したものでもあることになる。まるで、市民社会という視覚でもあるようだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)の初期作品「受胎告知」は、聖母マリアの右手の動きとは別に、精緻に描いた作品と評価される。この絵は、遠景に尖った峰を持つ白い山腹に視線が収斂する。けれど、その消失点を意識されることはないようだ。一点に集中する視座は、特に宗教画には好ましいのかもしれない。

遠近法を合理的な視点でとらえる道具に、ピンホール・カメラを原理にした、カメラ・オブスキュラがある。誰もが一度、ピンホールでできる上下さかさまの映像を見た経験があるだろう。まるで、手に取るように現実世界がすくい取れるような錯覚をする。

フェルメール(1632年~1675年)の絵画が特にアメリカで好まれるという。フェルメールの視座は、ファン・アイクのような自意識を感じられない。見たものを印画紙に落とした、対象化した世界のように見える。カメラ・オブスキュラの世界なのだ。多分、タイム・トリップして彼の時代を覗く即物的な感触が好まれるのだろう。

そして、シネマトグラフの動く映像に市民が驚嘆した時代、印象派の画家たちは格闘していた。当時、カメラ技術の進歩で、今は忘れ去られた写真家たちが絵画と対峙する世界を写し取っていた。画家が、視座を画家個人のものに取り戻そうとした時代、遠近法はどうやら重要ではなくなったようだ。

絵画は、遠近法の奥にある消失点の先に、結局何も見出しえなかったようだ。シネマトグラフがそれを越えたのだから、絵画は画家の自我に直結するしかなくなったのだろう。現代絵画は空間さえ再構成しようとした。

2024年7月10日水曜日

ミレイの「オフィーリア(Ophelia)」と泰西名画

19世紀の英国に登場した、アンチ古典主義の画家集団「ラファエル前派」の一人に、「ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais)」(1829年~1896年)がいる。特に彼の作品「オフィーリア(Ophelia)」(1851/52年)は、男性をおおいに惹きつけてやまない。

何度かブログに記したことだが、公園をなだらかに流れる小川の岸辺を、木立が被って陽の光がとざされる場所がある。絵画の中でしか知らぬが、平坦な地を流れる英国の川面を想い起させる。そして、そんな木陰の川筋を、ミレイの絵「オフィーリア」と結びつけたくなる誘惑にかられる。

(本ブログ関連:”ミレイ”)

ミレイ作「オフィーリア」
次の「Google Arts & Culture」*のリンクアドレス先で、ミレイの作品「オフィーリア」画像を高解像度(リンク先で表示の画像をダブルクリックする)で鑑賞できる。ひどくはかなく、残酷な、そして美しい作品だ。
(*)Google Arts & Culture
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タイトル: Ophelia
作成者: Sir John Everett Millais
作者の死亡地: London, United Kingdom
作者の出生地: Southampton, United Kingdom
作成日: Around 1851
実際のサイズ: w1118 x h762 mm
Provenance: Presented by Sir Henry Tate 1894
Original Title: Ophelia
タイプ: Painting
媒体/技法: Oil on Canvas
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ちなみに、上掲の絵画解説に「彼女が手にしている花は象徴的で、『ケシ(ポピー)』は死を、『ヒナギク(デイジー)』は純潔(無垢)を、 『パンジー』は無駄な(むなしい)愛を意味している」と記されている。これらの中で、唯一の救いはデイジーの花かもしれない。
(実は、彼女の死を劇中で伝えた「ガートルード王妃」は、「シラン(芝蘭)」(変わらぬ愛)の花も語る)

(本ブログ関連:”デイジー”、”メアリー・ブレア”)

シェークスピアの劇「ハムレット」4幕7場、ガートルード王妃の語り
ー 坪内逍遙(1859年~1935年)訳
ー「PD図書室」に掲載:感謝
http://books.salterrae.net/osawa/html/hamlet.html#hamlet-4-7
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斜(なゝめ)に生ふる「青柳」が、白い葉裏をば河水の鏡に映す岸近う、「雛(ひな)菊」、「いらぐさ」、 「毛莨(きんぽうげ)」……  褻(みだら)なる 農夫(しづのを)は汚らはしい名で呼べど、 清淨な處女(むすめ)らは死人の指と呼んでをる…… 「芝蘭(しらん)」の花で 製(こしら)へた 花鬘(はなかづら)をば手に持って、狂ひあこがれつゝ來やったげなが、 それを掛けうとて 柳の枝に、 攀(よ)づれば枝の 無情(つれな)うも、折れて其身は花もろともに、 ひろがる裳裾にさゝへられ、 暫時(しばし)は たゞよふ水の 面(おも)。  
最期(いまは)の苦痛をも知らぬげに、人魚とやらか、水鳥か、歌ふ小唄の幾くさり、 そのうちに水が 浸(し)み、衣も重り、身も重って、歌聲もろとも沈みゃったといの。
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泰西名画
西洋絵画に描かれる顔の表現で、いつも気になることがある。白人特有の皮膚によるのか、(西洋画の肖像画の技法として承知していることだが)皮下を走る静脈が強調されることだ。だから、明治期に欧州へ絵画留学した日本の画家が、帰国して日本人を対象に同様な表現を試みた・・・結局、アジア人に似つかわしくないことに気付くことになるのだが。

オフィーリアの絵に、青味を下地にした顔を見るたび、生を残し浮遊する凄みを感じざる得ない。

ミレイの絵画には、どこか古風な感触がある。ぼくらが子どものころ聞いた「泰西名画」(本来はただ西洋絵画の意味でしかないのだが)の言葉の持つ、重い響きと暗鬱なイメージにつながる。そんな想いをする人物がいる。

(本ブログ関連:”泰西名画”、”絵画①、②”)

以前読んだ、久世光彦著の「泰西からの手紙」(文芸春秋、1996.1~1997.12掲載より)から、そこで語られた「泰西名画」のイメージについて、似たような感想を持つことができる。
それは、泰西名画の言葉の響きに接した経験ある人なら大方が、夕暮れの光翳るなかに浮かぶ印象にたどりつくだろう。古書店で出会った古い美術書の、印刷技術が不十分な挿絵を見たときの印象だ。そんな思い出が語られる。
確かに昭和の時代、中産家庭の応接間には、泰西名画というにふさわしい古風な絵画が飾られていた。なぜあるのか誰も問わない、部屋の調和のために父親がどこからか運び込んだらしい、重い額縁に縁どられた絵があった。


参考:
(Youtube)「山田五郎 オトナの教養講座」
「【ミレイ】川で何してるの? 戯曲を描いたラファエル前派の最高傑作!【オフィーリア】」
https://www.youtube.com/watch?v=Fv05w_67pLo

2025年12月20日土曜日

(資料: Gemini)北方画家ブリューゲル・フェルメールの日本での普及

中学生のころ、学校の図書館にあった美術全集(十数巻の大部で、古代から現代まで)を1冊ずつ借り出して、興味が湧かぬ授業のとき、こっそり膝の上に置いてながめていた。有名な絵画や彫刻の写真を通じて、美術史を僅かだが知ることができた。
当時、「泰西名画」*という言葉がまだ残っていた。美術全集には、カラーとモノクロのページが混在した美術全集が発行された最後の時代だったのかもしれない。
(*)泰西名画の言葉から、滲んで粗悪なカラー印刷のイメージしか浮かばないのも事実。

日本絵画も含めて、主に西洋美術を中心にした本だった。その中でも、北方ルネッサンス絵画(ファン・アイクなど)を出発に、ブリューゲル(1525年~1530年頃)やフェルメール(1632年~1675年)を知った。また、彫刻について、ドイツ中世の宗教彫刻に関心がいった。天邪鬼だったせいもあって、イタリアルネッサンスの芸術には感心を持つことがなかった・・・。

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”、”ブリューゲル”、”フェルメール”)

高校生になって驚いたのは、(ある程度)リーズナブルなフルカラー美術全集が各出版社から競うように発行されたことだ。ますます絵画に近づいた気がした。

現在、ブリューゲルとフェルメールは大流行していて、Youtubeにもたくさんの解説動画ある。これほどポピュラーになったのは、フルカラーの美術全集が出版されたからに違いないと思い、生成AIの Gemini に確認してみた。


■ Gemini

Q.北方絵画の画家「ブリューゲル」や「フェルメール」が、日本で一般的に知られるようになったのはいつごろで、どんなきっかけだったのでしょうか? 例えば、カラー版美術全集の出版ブーム時代とか・・・。
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A.ブリューゲルやフェルメールが日本で一般的になった時期やきっかけについて、ご推察の通り「カラー版美術全集」の出版ブーム(1960年代後半〜70年代)は非常に大きな役割を果たしました。

それぞれの画家の普及プロセスを紐解くと、以下のようになります。

1. 普及の土壌:カラー版美術全集のブーム

1960年代、高度経済成長とともに日本の家庭に <「カラー版美術全集」> が普及しました。

  • きっかけ: 当時、平凡社や小学館、集英社などが競って豪華な全集を出版し、中流家庭のステータスシンボルとして応接間などに置かれました。

  • 影響: これにより、本場の美術館へ行けなくても、日本人は自宅で高精細な(当時の技術での)北方絵画のディテールに触れることができるようになりました。

2. ピーテル・ブリューゲル:1970年代に「知的な発見」

ブリューゲルが広く認知されたのは、1970年代に入ってからです。

  • 1972年の版画展: 日本初の本格的な紹介は、1972年に鎌倉近代美術館で開催された版画展と言われています。

  • 文学・思想界でのブーム: 1970年代、作家の森鴎外や堀辰雄などの文脈から離れ、改めて「中世ヨーロッパの庶民の暮らし」を活写した画家として再発見されました。特に澁澤龍彦などの幻想文学や、歴史家たちが彼の絵を「社会資料」として紹介したことで、知的好奇心の強い層から一般へと人気が広がりました。

  • 現在の立ち位置: 「バベルの塔」などの象徴的なモチーフにより、現在は子供から大人まで知る人気画家となっています。

3. フェルメール:1960年代の初来日と2000年の爆発

フェルメールの認知度は、数回の大きな「波」を経て現在の国民的人気に至っています。

  • 第1波(1968年):初来日

    「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」で、フェルメールの作品が初めて日本にやってきました(『ギターを弾く女』など)。しかし、当時はまだ「レンブラントの影に隠れた名匠」という扱いでした。

  • 第2波(2000年):社会現象化

    大阪市立美術館で開催された <「フェルメールとその時代」展> が決定的なきっかけです。初めて「フェルメール」を冠した大規模な展覧会で、60万人以上を動員。ここから「寡作の天才」「光の魔術師」というイメージが定着し、爆発的なブームが始まりました。

  • なぜ日本で人気?: 静謐な室内画や、控えめな光の表現が、日本人の感性(侘び寂びや私小説的な世界観)にフィットしたことも一因と言われています。

まとめ

画家一般化の時期     主なきっかけ
ブリューゲル      1970年代〜美術全集での紹介、1972年の版画展、文学・歴史文脈での再評価。
フェルメール2000年代〜2000年の大阪での大規模展覧会(それ以前は、美術愛好家の間での人気)。

美術全集は、いわば彼らの「予習」の場となり、その後の展覧会ブームで一気に実物の人気が爆発した、という流れがあります。

当時の美術全集のラインナップや、特定の作品についての詳細な解説などもお手伝いできます。何か気になる作品はありますか?

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2014年10月19日日曜日

遠近法

子どもの頃、児童画といわれる、遠近法とは全く異なる表現が嫌だった。それは、子どもの時代に見られる独特なもので、(大人が忘れた)子どもらしい表現と絶賛されるものだ。でも、当時は見えるように描いてこそ絵ではないのかと思ったものだ。
(今の私には、児童画の伸びやかな表現が可愛らしくてたまらない・・・歳をとって気づいたが)

児童画は、運動会などを表現するとき、運動場を絵の中心に配置して、絵の上側に頭を上向きにした子どもたちを描くのに対して、絵の下側には頭を下向きにした子どもたちを描く。まるで、地球上の人々を宇宙遠くから眺めるようだ。

これは、視座が運動場の中心にあって、全て見るために頭(眼球)を回転させることからくるのだろう。つまり、視座が絵の中心に配置しながら、視線は固定しない。もし、遠くから俯瞰するように、つまり視座を鳥の目のように上空に置けば、登場人物たちの頭は、すべて上向きになるのだが。そこで、遠近法でない集団画の場合、地面を斜めにして、視座と登場人物とが等距離になるようする。一定の範囲内に、登場人物を集団に分けて配置すると、均等に描写することができる。

例えば、日本画で、屏風絵「洛中洛外図」は、集団を区分するのに雲のようなものを挟み込んでいる。また、好みの絵が多い、北方ルネッサンス絵画の場合、遠近法の表現はあるものの、説明的な要素が多いものがある。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」に見られる宗教的な説諭、ピーター・ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」に見られる世俗の風刺のように、解釈を一義にして見る目を動かすことになる。

(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)

これらの作品は、今でいう絵画というよりは、絵に語られる物語なのではないだろうか。作品を、見る側の立場も含めて理解しなければならないような気がする。作品には3つの立場があるように思う。作品の制作者という立場(所有者と見る者を意識する)、作品の所有者(見せる側)、見る者(見る側)。それぞれが別個であるとは限らない。また、今風の絵画鑑賞という見る側が大衆化してきた時代変遷は興味深い。・・・もしかしたら、遠近法の絵画技法は、世俗化と連動しているのかもしれないなんて考えてしまう。

絵画は最初から「絵画」ではなかったと思う。私は、仏像や仏画が美術や芸術作品として語られるのに、今も違和感を感じる。

2025年6月25日水曜日

(情報)AIを活用した絵画の修復

時間の経過とともに顔料が剥がれたり、何らかの事故に遭った絵画(特に西洋の油絵など)を、修復師が本来の姿に戻す様子をYoutubeで見ることがある。絵画の技法も合わせて知ることができる貴重な記録だ。

従来の修復は、修復師の長年の経験に基づくもので作業に長時間を要していた。それに対して、新しい技術(ディープラーニング:AI)による修復方法*が、下記のようにYoutubeに紹介されている。70倍の作業効率があるという。
(*)MITの機械工学科の院生・エンジニア、Alex Kachine氏
    ー Nature:https://www.nature.com/articles/d41586-025-01776-8     (2025.6.11)

絵画の本来の姿をAIで再現し、欠損(修復)部分をプリンターで透明薄膜(マスク)に塗布し、それを原画に密着させるといった手順だ。修復手間から隅に見放された絵画を、何とか復活させる画期的な手法といってもよいのかもしれない。

下記Youtubeのコメント欄には、従来の絵画修復の細密な手順を考慮したうえでの「クリーニング」、「色味や明るさ調整」、「筆致」などの観点から様々な意見が寄せられている。

■ Youtube(登録:nature video)
「AIを活用した芸術作品の修復方法を発明したエンジニアに会う」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=ZhYBSMoC0qM

2019年7月30日火曜日

美術展「模写 ー 西洋絵画の輝き」

野川に沿った国分寺崖線の「はけ(崖)」のもとに小さな美術館がある。ここは、今回もそうだが、地方の美術館と連携して、個性的な美術展を開催(巡回)することがあるようだ。以前、イギリス絵画展「風景への視線」を鑑賞したことがある。

(本ブログ関連:”野川”)

今回は「模写ー西洋絵画の輝き」というタイトルで、イタリアおよび北方ルネッサンスやロシアのイコン画を中心に、模写した作品が展示された。しかも、原画が作成された当時の画材・技法を踏襲することにある。

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”)

1階の展示室で目に飛び込んできたのは、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」の新婦図像部分だ。どこまで目を凝らしても精緻である。修復を踏まえた、原画の画材や技法にそった模写の技術の凄さを知る。まさに、模写とは原画を「材質」から忠実に再現することにあるようだ。
油絵具を開発したヤン・ファン・エイクの時代は、「テンペラ技法」から油絵の過渡期であった。今回の美術展は、テンペラの技法を中心に据えており、彼の他作品および同時代の画家たちのテンペラ技法による絵画の模写も展示されている。

こちらも油絵による模写だが、ピーター・ブリューゲル(父)の「鳥罠のある冬景色」も、目を皿にして細部(筆致)を眺めた。模写の取り組みが感じられてくる。そして絵画の見方が一層深まったような気がした。

(本ブログ関連:”ピーター・ブリューゲル”)

2017年12月11日月曜日

印象派絵画と写真

印象派絵画と写真撮影が表現を競った時期があったようだ。そのような写真を記録した展示会や冊子を見かけないのは残念だ。(写真の出現は、画家たちに大いに驚異だったに違いない・・・、そこで画家たちは、映像を「個性」という名の個人的な美意識の世界に取り込んだ)

(本ブログ関連:”絵画”)

静止画から動画(シネマトグラフ)に変わったとき、画家は、三次元を二次元に分解したキュービズムで競った。こちらは、両者は映画や抽象画に発展したが。

印象派の絵画で気になることがある。緑陰を青で表現することだ。はたして、人間の視覚で感じ取れたことだろうか。

光を直接捉えるのに、ピンホール利用のカメラ・オブスキュラや、レンズの色収差からヒントを得たのではないだろうか。

(フェルメールの世界を髣髴させる、カメラ・オブスキュラの映像)

(Youtubeに登録のNational Geographicに感謝)

2009年6月29日月曜日

「朝鮮王朝の絵画と日本」図録(続)

岡山県立美術館に申し込んだ、同館開催中の「朝鮮王朝の絵画と日本」特別展の重厚な図録(カタログ)が届いた。先日のTVドラマ「風の絵師」に触発され、朝鮮王朝時代の絵画を一目見ようと入手した。

正直、チャジャンメン代しか持ち合わせていないのに、韓国宮廷料理を出されて途方に暮れているようなところだ。一品一品、これは如何にと訊ねることにしよう。

出品リストには、金弘道(キム・ホンド、김홍도:1745 - 1806)と申潤福(シン・ユンボク、신 윤복:1758 - ?)の名を記した作品は載っていないが、朝鮮絵画史年表に記載されている。後は、研究者(学芸員)の方々の解説を渉猟して、気分を味あわせていただく。

2017年5月1日月曜日

ブリューゲルの「バベルの塔」

今年の主要絵画展の一つに、P.ブリューゲルのものがある。彼の作品「バベルの塔」を展示会タイトルにしている。

ブリューゲルとの出会いは、ボッシュにつづく怪奇な絵柄に、いかにも中学生らしい好奇心から関心を持ったのが最初だ。印象派絵画がポピュラーだった時代、表に登場して大きく捉えられたりはしなかったが、彼の題材に農民の生活を描いたものがあって、「農民画家」と呼ばれたりした。いってみれば、ミレーの「落穂ひろい」に、知的な戦前・戦後世代が勝手に共感した想いに似たものだった。それに比べれば、私の興味は漫画的だったかもしれない。

(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)

ところで、ブリューゲルと彼の作品「バベルの塔」との間に、私にとっていまだに距離感がある。「バベルの塔」は、因習と諧謔の世界から、アルプス越えを機会に世界を広げた、宗教的な題材探しの時代のものだろう。ひとまわりして帰着した、その後の作品が農民の風景だったが、もちろん、それを(村を賞賛し、村に還った)人文主義的な共感として描いたとは思えない。人生に対する十分な皮肉と、十分な達観が混じっていた。

「バベルの塔」の絵画理解に建築学的に整合性があるといわれると、ブリューゲルは一体どこへ行ってしまったのかと戸惑うばかり。(北方ルネッサンス特有の空間恐怖的な)細部への執拗なこだわりに、正直、魅かれたことはない。どうして、あんな絵を描いてしまったのかという分析があるのなら、一度は聞いてもいいかなと思う次第*。

(*)Youtube: 山田五郎 オトナの教養講座
① 「【バベルの塔とは?】本当にあったの?神様が怒って壊した?なぜ?高くしすぎたから?ノアの方舟とも関係?そもそもどこに建っていた塔なの?」(2023.9.15)
https://www.youtube.com/watch?v=7APlp7wu_lw
- 当時のアントワルペンの画家たちが、こぞって同じテーマで描いた時代背景まで解説
② 「【超細密な大傑作!】虫メガネ必須級!?「バベルの塔」を細かく見ると掘削隊や鳶職人など建築関係者、なんと洗濯物まで描かれている??さらに遠くの街にも人が!?【バベルの塔・大バベル小バベル】」(2023.9.20)
- https://www.youtube.com/watch?v=p63ARp1Yae0&t=23s
③ 「付録付きテロップ改訂版【完全版!バベルの塔論考】山田五郎オトナの教養講座公認切り抜き【ピーテル・ブリューゲル1世/バベルの塔総集編】」(2024.2.26)
- https://www.youtube.com/watch?v=C3BaIwJWuHs


いまどきの、ブリューゲルへの関心が、主要絵画を見漁った結果、二番手、三番手の希少さを逆に誇るような風潮に遇したものでないことを祈るばかりだ。

2019年2月9日土曜日

横須賀湾巡り

歳をとると、小旅行でも手間が億劫になる。そんなとき、みな面倒みてくれるツアーは重宝だ。名所巡りだけでなく、海のもの・山のものの食道楽など多彩で楽しめる。だから利用者のわがままは膨らみ、趣味的なものまで加えて欲しくなる。

ツアーの最後に記述するアンケートに、海上自衛隊の艦船ごとに作られるカレーの味巡りはどうだろうと回答したことがある。あるとき、テレビの旅番組を見ていたら、横須賀湾内を巡るツアーが紹介された。何~だ、アンケートに希望したものは既にあったのだ。しかも、アンケートに応えた先の会社が企画したものだった。(同社のホームページでは見つからなかったのに・・・)

天気予報は、今日は降雪間違いなしという。早朝、家を出たとき、気配はまだなかったが、東海道線の車窓から川崎近辺の線路にうっすらと積もるものが見えた。集合場所の駅を、京急をJRと間違えて大いに慌てた。もちろん間に合ったが。

三笠の艦橋から艦首を望む
さて、京急の横須賀中央駅から徒歩で、岸壁に記念保存されている、「日露戦争」で連合艦隊の旗艦となった戦艦「三笠」を見学した。小雨が降り甲板が濡れていた。そして寒かった。

「日本海海戦」を前に、三笠の艦橋に立った東郷平八郎司令長官、秋山真之作戦参謀などが並ぶ絵画「三笠艦橋の図」を誰もが目にしたことがあるだろう。
同絵画に描かれた人物配置を確かめたく、保存の三笠の艦橋に上った。絵画にある主要な人物の配置が金属板で示されていた。

艦橋は写真の通り、絵画と比べて狭く感じた。艦首(写真奥)に向かって、先頭に東郷平八郎司令長官、左手手前に秋山真之作戦参謀の名が記されている。

ところで、艦内の旧士官室で、一般に行なわれてないツアー特典のカレーライスの食事があった。そのとき、三笠保存会の方から、三笠に関わる歴史・人物について興味深い話題が語られた。司馬遼太郎の作品で知られる、秋山真之参謀については、なかなかの男前で才能があったようたが、そうとうの聞かん坊で、その後の出世は順調でなかったという。

土産に、カレーの缶詰の詰め合わせを買ったのはいうまでもない。

2009年6月25日木曜日

「朝鮮王朝の絵画と日本」図録

岡山県立美術館で開催中の「朝鮮王朝の絵画と日本」特別展の図録(カタログ)を申し込んだ。(同展は東京での開催はなく、 栃木県立美術館、静岡県立美術館、仙台市博物館と巡回して、岡山県立美術館で最終となる)

同館の開催趣旨によると「・・・朝鮮王朝時代(1393~1910)の絵画に焦点を当て、・・・山水画、文人画、仏画、花鳥画、風俗画、民画などの名品と、朝鮮絵画からの影響を受けた日本の巨匠、宗達・大雅・若冲らの作品を・・・」展示とのこと。

先日見たTVドラマ「風の絵師」に触発され、知らぬままいるよりは、ほんの少しだけでも覗き見するとよいと思い図録を申し込んだわけだ。

2014年6月15日日曜日

ホキ美術館

FIFAワールドカップ「日本対コートジボワール戦」がおこなわれている丁度そのとき、有楽町マリオンにいた。実は朝日ホールで、日本では珍しい写実画専門の美術館である「ホキ美術館」の紹介を兼ねて、四人の画家たちの作品投影と、写実画家としての”本音”トークを聴く機会があった。

以前、クロッキー帳に、絵画集や雑誌写真などから、自分好みのものを毎日鉛筆で描き続けたことがある。15冊ほどになったけれど、転居したタイミングで、その習慣が薄れてしまった。今は、それをときたま懐かしく見ることがある。

(本ブログ関連:”絵画”)

素人がする模写の真似事だったが、丁寧に観察すればするほど、一日では描ききれない。そして、書き始めて気付いたことがある。北方ルネッサンス絵画に見られる、例えば聖母子像の聖母の衣装の襞などは、それ自体に意味があるように巧みに陰影をもって折れている。その執拗さを、たしかホイジンガだったか指摘していたと思うが、空間をそのままに何もないことへの恐怖があるという、ゴシック的な執拗さだ。

まあ、そんな大それた意識があった分けではないけれど、空間を細密に描く写実の世界に触れてみたかった。幸い、講演会場から、千葉の土気にある美術館までバスで運んでくれたのだ。

ホキ美術館は、スマートで近代的な佇まいをした個人美術館である。洒落た建築物の中に、講演会に出席された以外の画家たちの作品も多数展示されていて、十分に時間をかけて鑑賞できた。

作品の一つ一つ、作者の筆致が感じられ、題材を包む空気まで伝わってくるような気がした。一体どんな絵の具と筆を使い、どのような筆使いなのだろう。特に、展示作品のなかで、森本草介という画家の、セピア色の絵に吸い込まれた。穏やかな世界が描かれた、(キャンバス自体が東日本大震災を経験したという)少女像の≪未来≫は、光が時間が未来へ流れていくことを気付かせるようだ。見えるものを見えるまま素直に、画家の視線に沿って、描かれた世界に心安らぐ気がする。画家の視線に遊ばせてもらった気がする。

電車で行くには大変かもしれないが、この美術館へまた行きたいと思っている。

2009年8月9日日曜日

肩に力を入れずに普通がいちばん

何より普通がよい、肩に力を入れずに普通がいちばんだと思う。
近所のスーパーの2階にある書店で、「週刊西洋絵画の巨匠 ラファエロ」(小学館)の卷を購入した。このシリーズは廉価ながら、絵画(一部)の原寸印刷が付いているのが特徴で、この卷には「大公の聖母」(1504年、ピッティ美術館)が綴じられている。
むかし、ラファエロの聖母子像のくすんだカラー印刷物を教会が配っていた記憶がある。うまくいえないが、ラファエロの聖母の顔立ちは、フィレンツェ時代(1508年以前)のものがいかにもレオナルド・ダビンチの表現に似て清雅である。それ以降のものはラテンの、しかもどこかオリエンタルな香りがする。やはりフィレンツェ時代のものに心ひかれる。
ところでラファエロの絵画があれほど好かれるのに、なぜ評価を下げられるのだろうか。彼に対して平気で一家言を持たれるのはなぜだろうか。

作曲家グノーについても、誰もが聞きたい「アベマリア」があるのに同様の思いがする。むかし、LPレコードの「聖チェチリア荘厳ミサ曲」(ジャンクロード・アルトマン指揮:東芝音工)を聴いたとき、綺麗な旋律に驚いた。ところで、その後出されたジョルジュ・プレートル指揮のCD版(東芝EMI)にも、同じ日本語評論が付いており、「今日、われわれが聴いて、このミサ曲がバッハやベートーベンやモーツァルト等のそれと同列に並ぶほどの傑作であるかどうかは別としても」という説明がある。避け難く刻印されているのだ。
このミサ曲にしても、市民合唱団にしばしば採用されるほど好まれているのに、グノーに対して本心が語られないのはなぜだろうか。
※ LP盤(AA-9013)解説には歌詞が記載されていなかったので、学生時代に上野文化会館にある音楽資料室で、コーラス・スコア(確かEDITION PETERS版だった)から歌詞を書き写す真似事をしたことがある。その後、社会人になって安心して楽譜を購入した。
※ 実は国内盤CD(東芝EMI Angel:CC33-3834)の音質(録音)がいけない。同じ演奏でも輸入盤CD(EMI CLASSICS:CDC 7 47094 2)はクリアなのに。オーディオマニアではないが、それがはっきりわかるほどの違いだ。

(追記)
久し振りに強い地震があった。気象庁の発表によれば、「平成21年8月9日20時25分 気象庁発表/きょう09日19時56分ころ地震がありました。震源地は、東海道南方沖(北緯33.1度、東経138.5度)で、震源の深さは約340km、地震の規模(マグニチュード)は6.9と推定されます。」とのこと。関東では19時58分頃~20時01分頃に発生し、東京都多摩東部は震度3(東京都区内は震度4)と発表された。マグニチュード6.9は随分と大きい。また小金井の地震感度は3以上に思えた。
(参考)USGSの情報によれば、Magnitude7.1、Depth303.1 km 。

2022年6月30日木曜日

今年も半年が終わる

きょう(6月30日)で、2022年の前半が終わる。あっという間のこと、時間に追い越された感じして感傷にふける間もない。なにしろ暑い一日だった。

そんなさなか、隣り町に用事があって出かける。自転車のサドルが金属疲労したのだろうか軋んで安定しない。帰り道、自転車屋でサドルを交換してもらった。ペダルに力が入る。そのまま毎週通っている体操教室そばの小池に寄ってみた。

カルガモが2羽泳いでいるのが見えた。番(つがい)なのか、それとも成長した若鳥たちなのか・・・わたしにはそれを見極める眼力はないけれど。いっしょに水中に頭を突っ込んでは、エサをとっている様子を眺めた。

昼間のこと、陽射しが強く水面がギラギラ反射してまぶしい。池は生垣で囲われていて、カルガモに無用な警戒心を与えることもない。かれらはドンドン近づいてきた。



(付記)
・番(つがい)という言葉から、ショーレム・アレイヘムの短編「つがい」を思い出した。状況を飲み込めぬまま結末を迎えるつがいの雄鳥の悲哀というか、作者の冷めた目というか・・・。

・喫茶店で涼をとろうとしたときに読んだ久世光彦の「泰西からの手紙」にあげられた、泰西名画の対比として、印象派絵画を礼讃した <白樺> 連中への不満に納得する。
わたし的にもっといえば、白樺の意図には、印象派的共感から「個性」を主張したあざとさを感じるのだ。当時、写実的・古典的な絵画の作家(画家)を読みくだくには、相当な力量が必要だったはず。(今は、ネットにいろいろな映像素材があるけれど)

2009年6月22日月曜日

ドラマ「風の絵師」

韓国文化院ハンマダンホールで、韓国映画・ドラマ上映会があり、SBS制作・放送の時代劇ドラマ「風の絵師(바람의 화원)」(全二十話)の第一話、第二話が上映された。

朝鮮時代後期の二人の画家、号が檀園・金弘道(キム・ホンド、김홍도:1745 - 1806)と申潤福(シン・ユンボク、신 윤복:1758 - ?)の物語である。二人は宮廷画家で図画署の画院だった。今回は、図画署での師弟関係の始まりが描かれた。第一話から申潤福が実は男装の女性ということになっているが、その理由は第二話まででも説明されていない。朝鮮絵画史について不案内のため、ドラマの歴史的背景がどうなのか気になるところである。

わたしの関心は、当時の絵画製作過程、デッサンや岩絵の具などの顔料・画材について、どのように取り上げているかだ。ドラマで、絵師の部門(図画署)と顔料作りの部門との相克が垣間見えたりしたが・・・。

(参考)KBS world radioの「マルコメの韓国歴史おもしろ講談」(リンンク上記):
「金弘道と申潤福の違いはその絵の主題にあります。金弘道が主に市場で働く人々や、寺子屋での先生と生徒の様子など庶民の生活を描いたのに対して、申潤福の絵の主人公は妓生や男女のあいびきの姿などです。」、「申潤福は、その美人画のために結局は宮廷画家としての地位を失うことになりました。」

2026年9月5日土曜日

百舌鳥なくや入日さしこむ女松原(凡兆)

本当なら、きょうは野鳥観察(探鳥会)の日だった。天気予報で、早朝まで続く小雨が終わる境い目の時刻に、外をのぞくと薄明かりの通りが濡れている。フィールドの様子を想像し、どうしようかと思案した・・・ずるずるとしているうちに、結局、休ませていただくことにした。・・・その後、幹事さんから雨天のため中止になった旨のメールをいただいた。

季節の変わり方がめまぐるしい。あっという間に秋だ。

モズ
先日(8/31)、秋の季語「モズ」の、「高鳴き」について触れた。肉食性で「はやにえ」を作る、一見凄みがあるが、「カッコウ」、「ツツドリ」に托卵されることもあるというに及んで・・・う~む。

(本ブログ関連:”モズ”、”カッコウ”)

折々のうた: 野沢凡兆
さて、今度は第十巻、「第十  折々のうた」(大岡信、岩波新書、1992年9月21日)*に、江戸時代前期~中期の俳諧師 野沢凡兆**(生年不明~ 正徳4年⁅1714年])句がある。また、彼は医業に携わったものの(流行医ではなかった)、波乱にみちた人生だったようで、家族ぐるみで縁のあった芭蕉の門に入りながらも離反し、さらには入牢、極貧に終わったという。
(*)折々のうた:朝日新聞に掲載 1991.5.1~1992.4.30
(**)芭蕉の指揮のもと去来と凡兆により俳諧選集「猿蓑」を編集。後半、場所を凡兆宅に移して完成。

(本ブログ関連:”折々のうた”)

「第十  折々のうた」の、秋の項にとりあげられた次の句について、大岡信は、絵画的手法として「秋の入日が赤松の立ち並ぶ林にさしこむんで、光と影の鮮やかな構図を生み出している」、「言葉が的確に絵画的影像を呼びおこし、定着している」と評価しながら、先行きの不安を暗示している。

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百舌鳥(もず)なくや入日さし込む女松原***    凡兆
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(***)女松原(めまつばら):  女松はアカマツ、男松はクロマツ。


■「芭蕉の門人」(堀切実著、岩波新書、1991年10月21日)
「凡兆」の項の、タイトルに「芭蕉の抜擢に応えて、『猿蓑』に驚異のデビューを飾りながら、間もなく師から離反してしまった ”写生の演出家”」と添えている。(同項の後半に、芭蕉からの離反の理由について推察がある)
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 禅寺の松の落葉や神無月       『猿蓑』

  ながながと川一筋や雪の原    『猿蓑』
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著者は、上掲「百舌鳥なくや~」の句について「赤松の林に秋の入日がさしこむという鮮明な視覚的風景に、けたたましい百舌鳥の鳴き声を配した見事な景趣」、「写生的風景に見えて写生を超えたものであり、じつはきっちりと構成された俳趣の世界なのである」と評している。

■ 山梨県立大学
「野沢凡兆/加生(ぼんちょう/かせい)」
    ー https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/whoswho/boncho.htm
「猿蓑脚注    猿蓑集 巻之三」
    ー https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/sarumino30.htm#百舌鳥なくや

2018年9月12日水曜日

涼しいというより冷える

これまで暑い暑いと大騒ぎしたのが嘘のよう。夕方の冷え込みに驚く。半袖は間違えだったかと見回せば、行き交う大方のひとも同様に半袖姿。みな内心、涼しいとか、冷えると思っていることだろう。

気象庁の観測データによると、今月都心の最低気温が 20℃より下がったのは、昨日からで19.3℃、今日は18.1℃(04:28)と順調に推移している。とはいえ、秋は心がわりする季節。しばらく変動するらしい。

旅行社からパンフレットが届く。人びとを集めてのことゆえ、一足早い催事案内で、もっぱら紅葉鑑賞が中心。まだ辺りはその兆しはないものの、イメージだけ浮かぶ。

(本ブログ関連:”紅葉”)

Youtubeに、長野県茅野市にある「御射鹿池(みしゃかいけ)」の畔が紅葉した映像がある。まるで彩色されたように紅く染まった映像を、「G線上のアリア」の音楽と一緒に楽しむことができる。

同池は、ドイツで絵画修行した東山魁夷の作品「緑響く」のモチーフとなった場所だそうで、緑濃い頃の姿は、他のネット情報(ブログ「Shiho and ...」に感謝)でも紹介されている通り、絵画のような味わいがある。東山魁夷は、「緑響く」の絵の中に白馬が過ぎる様を空想して、「モーツァルトピアノ協奏曲第二楽章の旋律が響いているのを感じた」との記述がある。[長野県信濃美術館 東山魁夷館]


(Youtubeに登録のYatsugatake21_4K_Japanに感謝)

2026年9月7日月曜日

白露 2026、セキレイ

きょうは二十四節気の「白露」、大気が冷えて露を結ぶころ。さらに三つに分けた七十二侯では、鳥たちが何かと忙しく、「① 初侯:雁(かり)が飛来し始める(中国)、➁ 次侯:(留鳥の)鶺鴒(せきれい)が鳴き始める(日本)、③ 末侯:燕(つばめ)が南へ帰って行く(日本)」(Wikipedia)と並んでいる。

(本ブログ関連:”白露”)

秋になれば、野鳥観察(探鳥会)も忙しくなる(といっても、ベテランの方にとってだが。私は後に付いていくばかり)。野鳥が増えて写真がすこし賑わうので、結構なことであるが。ただし、次第に冷えていくのは辛いでもない。


セキレイ
妙に人懐っこい「セキレイ」について、昔はどうだったのか Gemini に問うてみた。抜粋

(本ブログ関連:”セキレイ”)

Q.セキレイを、昔(たとえば江戸時代)の人々が飼ったという話はありますか? 
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A.江戸時代には空前の「愛鳥ブーム」が巻き起こり、ウグイスやメジロをはじめ多種多様な鳥が飼育されていましたが、セキレイ(ハクセキレイ等)をペットとして愛玩用に飼っていたという記録はほとんど存在しません。
警戒心が薄いにもかかわらず、飼い鳥にならなかったのには明確な理由があります。

1. 食性が「生きた昆虫」中心で、餌の確保が困難だった
江戸時代に人気を博した飼い鳥(ウグイスやホオジロなど)は、すり餌(きな粉や魚粉、青菜などを混ぜた練り餌)で飼育する技術が確立されていました。しかし、セキレイは動く昆虫や蜘蛛を追いかけて捕食する食性が非常に強く、配合されたすり餌になじみにくい鳥です。飼育のハードルが高すぎました。

2. 籠(かご)の中では鳴き声や姿を鑑賞しづらい
江戸のペット鳥ブームで求められたのは、「優れた鳴き声(ウグイスなど)」か「鮮やかな美しさ(メジロやカナリアなど)」、あるいは「手乗りになるなつきやすさ(文鳥など)」でした。セキレイの鳴き声は「チチン、チチン」とシンプルで地味であり、さらに「地面を走り回り、尾羽を上下に振る」という最大の特徴的な仕草は、狭い鳥籠の中では再現できません。

3. 「見る鳥」というより神話・文化上の象徴だった
江戸の人々にとって、セキレイは飼う対象ではなく、絵画や陶磁器の意匠、あるいは物語の題材として愛される存在でした。
●『日本書紀』の神話: イザナギとイザナミの二神に「夫婦の営み(交合)」の手ほどきをした鳥(「教えて授けた鳥」=トツギオシドリ)として有名であり、吉兆や子孫繁栄の象徴とされていました。
● 絵画や意匠: 伊万里焼の皿や屏風絵などに「尾を振る姿」が数多く描かれ、身近な風物詩として親しまれていました。

なお、当時の「ハクセキレイ」自体、主に北海道や東北など北日本で繁殖する冬鳥であり、現在の関東や関西の都市部で年中見られるようになったのは昭和中期以降のことです(当時は「セグロセキレイ」や「キセキレイ」の方が身近でした)。
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2026年3月5日木曜日

啓蟄 2026

きょうは、二十四節気の「啓蟄(けいちつ)。陽気に誘われて土中の虫たちが這い出てくる。

(本ブログ関連:”啓蟄”)

あわせて、体操教室に出かけた・・・春らしい温さ(最高気温 17.5℃(14:37))につられて、体の動きが伸びやかになった気がした。(でも、この後の気温はパッとしないようだが)

子どものころ、原っぱの土を掘り返して、出てきたミミズを摘まむのに何の躊躇もなかった。今はどうだろうか・・・テカテカ光るぶっとい奴はダメだ。それに、スコップを使って腐植土の生産性を調べるような学生時代の真似ごとはないし。

啓蟄は、次の「春分」までの期間(3/5 ~ 3/19 )を、3つ侯(初・中・末侯)に分ける「七十二侯」がある。それぞれの侯に、<虫>・<桃の花>・<モンシロチョウ(紋白蝶)> が登場する。虫を除けば、何となく華やぐ感がしないでもない。


余談

春の美しさといえば、その透明感で万人受け(私もそのひとり)する作品が浮かぶ。ロシア出身でスペイン在住の、ウラジミール・ヴォレゴフ(Vladimir Volegov)・・・もっぱら、グラフィックアーティスト、ビジュアルアーティストとして紹介される。そんな彼の絵画作品を、Youtube*で多数(制作過程も含めて)見られる。
(*)Youtube Vladimir Volegov: https://www.youtube.com/@artvolegov/videos

そんなところへ、印象派の画家モネのスタイルを模したAI作品集「Extraordinary Visual Art」**がYoutubeに登場している。AI画像は、もともと実写に迫るのだから、モネ風のタッチも造作ない(視覚的な強調・サイズも絵画風に!)。だから、ヴォレゴフの領分を侵しかねないと思う・・・それも、動画にして!
(**)Youtube Extraordinary Visual Art: https://www.youtube.com/@ExtraordinaryVisualArt

2010年1月22日金曜日

イカロス

中学時代、教壇から見て教室の後ろ側の席に座っていた。授業に気乗りしなくなると、図書室から1巻ずつ借りていた美術全集本を取り出しては、膝の上に載せて隠れるように眺めていた。お気に入りは、北方ルネッサンスの巻だった。

代表的な画家ファン・エイク(兄弟)やデューラーは、その正統さに好奇心をくすぐられることはなかった。もっぱら奇妙な画風の画家にひかれたものだ。ボッシュからブリューゲルと、グリューネバルトあたりだった。(もちろん、デューラーの銅版画「メランコリア」には、好奇心を傾けた)
また同美術本に写真で納められた、ドイツ教会彫刻(木彫)の執拗な細密さに驚嘆した。

特に興味を持ったのは、ピーター・ブリューゲル(父)だった。ボッシュの系譜の怪奇な要素と、風刺の効いた庶民の諧謔さの要素に、もっぱら関心が向いた。絵画の中に配置された、ひとこまひとこまを謎解きのように楽しみ見るだけで、授業の退屈さから逃れることができた。
当時、ブリューゲルに「農民画家」という感想を思い浮かべることはなかった。 (むかし「農民画家」といわれたことと、庶民史に通じた現在の「農民画家」の解釈は当然異なるだろう)

後に、ポスターサイズの写真や絵画が流行った時期に、ブリューゲルの作品「農家の婚礼」と「農民の踊り」の印刷物を購入して部屋に飾ったりもした。
また最近では、彼の絵は図象学に囚われているようで、近寄りがたい画家になってしまった。反面、市民講座では人気の画家である。

ブリューゲルの作品に「イカロスの墜落のある風景」がある。<ロウ>で固めた羽をつけたイカロスが上空に飛び、太陽の熱で<ロウ>が溶けて海に墜落したギリシャ神話を題材にしている。その絵は、イカロスがどこにいるのかと探すほどにドラマチックではない。作画同時代の日常風景が(意味を持たせているのだろうが)描かれている。

ところで、宇宙航空開発機構(JAXA)が本年度打ち上げ予定の小型ソーラ電力セイル実証機を「IKAROS(イカロス)」と命名している。太陽の光を受けて、金星軌道に向かって宇宙を航海するというが、神話の通り太陽の方向に近づいていくのだ。この実証機イカロスへのメッセージを公募しているが・・・。

★★★★★ 孫がテレビCMに夢中になり母親の呼びかけに一顧だにしない動画が届いた ★★★★★