きょう(6月30日)で、2022年の前半が終わる。あっという間のこと、時間に追い越された感じして感傷にふける間もない。なにしろ暑い一日だった。
そんなさなか、隣り町に用事があって出かける。自転車のサドルが金属疲労したのだろうか軋んで安定しない。帰り道、自転車屋でサドルを交換してもらった。ペダルに力が入る。そのまま毎週通っている体操教室そばの小池に寄ってみた。
カルガモが2羽泳いでいるのが見えた。番(つがい)なのか、それとも成長した若鳥たちなのか・・・わたしにはそれを見極める眼力はないけれど。いっしょに水中に頭を突っ込んでは、エサをとっている様子を眺めた。
昼間のこと、陽射しが強く水面がギラギラ反射してまぶしい。池は生垣で囲われていて、カルガモに無用な警戒心を与えることもない。かれらはドンドン近づいてきた。
(付記)
・番(つがい)という言葉から、ショーレム・アレイヘムの短編「つがい」を思い出した。状況を飲み込めぬまま結末を迎えるつがいの雄鳥の悲哀というか、作者の冷めた目というか・・・。
・喫茶店で涼をとろうとしたときに読んだ久世光彦の「泰西からの手紙」にあげられた、泰西名画の対比として、印象派絵画を礼讃した <白樺> 連中への不満に納得する。
わたし的にもっといえば、白樺の意図には、印象派的共感から「個性」を主張したあざとさを感じるのだ。当時、写実的・古典的な絵画の作家(画家)を読みくだくには、相当な力量が必要だったはず。(今は、ネットにいろいろな映像素材があるけれど)