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2026年9月5日土曜日

百舌鳥なくや入日さしこむ女松原(凡兆)

本当なら、きょうは野鳥観察(探鳥会)の日だった。天気予報で、早朝まで続く小雨が終わる境い目の時刻に、外をのぞくと薄明かりの通りが濡れている。フィールドの様子を想像し、どうしようかと思案した・・・ずるずるとしているうちに、結局、休ませていただくことにした。・・・その後、幹事さんから雨天のため中止になった旨のメールをいただいた。

季節の変わり方がめまぐるしい。あっという間に秋だ。

モズ
先日(8/31)、秋の季語「モズ」の、「高鳴き」について触れた。肉食性で「はやにえ」を作る、一見凄みがあるが、「カッコウ」、「ツツドリ」に托卵されることもあるというに及んで・・・う~む。

(本ブログ関連:”モズ”、”カッコウ”)

折々のうた: 野沢凡兆
さて、今度は第十巻、「第十  折々のうた」(大岡信、岩波新書、1992年9月21日)*に、江戸時代前期~中期の俳諧師 野沢凡兆**(生年不明~ 正徳4年⁅1714年])句がある。また、彼は医業に携わったものの(流行医ではなかった)、波乱にみちた人生だったようで、家族ぐるみで縁のあった芭蕉の門に入りながらも離反し、さらには入牢、極貧に終わったという。
(*)折々のうた:朝日新聞に掲載 1991.5.1~1992.4.30
(**)芭蕉の指揮のもと去来と凡兆により俳諧選集「猿蓑」を編集。後半、場所を凡兆宅に移して完成。

(本ブログ関連:”折々のうた”)

「第十  折々のうた」の、秋の項にとりあげられた次の句について、大岡信は、絵画的手法として「秋の入日が赤松の立ち並ぶ林にさしこむんで、光と影の鮮やかな構図を生み出している」、「言葉が的確に絵画的影像を呼びおこし、定着している」と評価しながら、先行きの不安を暗示している。

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百舌鳥(もず)なくや入日さし込む女松原***    凡兆
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(***)女松原(めまつばら):  女松はアカマツ、男松はクロマツ。


■「芭蕉の門人」(堀切実著、岩波新書、1991年10月21日)
「凡兆」の項の、タイトルに「芭蕉の抜擢に応えて、『猿蓑』に驚異のデビューを飾りながら、間もなく師から離反してしまった ”写生の演出家”」と添えている。(同項の後半に、芭蕉からの離反の理由について推察がある)
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 禅寺の松の落葉や神無月       『猿蓑』

  ながながと川一筋や雪の原    『猿蓑』
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著者は、上掲「百舌鳥なくや~」の句について「赤松の林に秋の入日がさしこむという鮮明な視覚的風景に、けたたましい百舌鳥の鳴き声を配した見事な景趣」、「写生的風景に見えて写生を超えたものであり、じつはきっちりと構成された俳趣の世界なのである」と評している。

■ 山梨県立大学
「野沢凡兆/加生(ぼんちょう/かせい)」
    ー https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/whoswho/boncho.htm
「猿蓑脚注    猿蓑集 巻之三」
    ー https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/sarumino30.htm#百舌鳥なくや

2026年8月6日木曜日

山越の豆麩も遅し諫鼓鶏 (怒風)

商いをやっている方には縁起でもないが、「閑古鳥が鳴く」という言葉にある鳥は、野鳥の「カッコウ」を指すという。しかしながら本ブログ関連の通り、誰もが知るカッコウの姿を私は見たことも、鳴き声を聴いたこともない(とんでもなく鈍くて、ただ気付かないだけかもしれないが)。

(本ブログ関連:”カッコウ”)
 
ユニークな経歴を持ち、漱石や子規に傾倒した柴田宵曲(しばた しょうきょく、明治30年⁅1897年] ~ 昭和41年⁅1966年])の「古句を観る」(岩波文庫)の <夏> の項に、怒風*の次の句が紹介されている、「山を越した向うの里から豆腐を売りに来る。その大凡(おおよそ)の時間が決まっているのであろう。もう来そうなものだと思うが、なかなかやって来ない。どこかで閑古鳥(諫鼓鶏)の声がする、という山里の光景である」。
(*)怒風は、「高岡怒風(たおか/たかおか どふう)、江戸時代中期の大垣藩士で、芭蕉の門人である美濃派(大垣)の、兄斜嶺(しゃれい)とともに俳人」とのこと。
    ー「水の都 大垣」サイト「第四回 芭蕉来垣」
         http://www.ip.mirai.ne.jp/~binyou/basyou3.htm
    ー および Google Labsより。

(本ブログ関連:”柴田宵曲”、”俳諧”)

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山越の豆麩**も遅し諫鼓鶏(かんこどり)        (怒風)
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(**)豆麩は、①「豆腐」の「腐」の字を嫌った当て字で、「風流字」というのだそうだ。➁ また、岩波文庫では「麥」+「夫」の活字表記だが、Unicodeは、「麩」の通り「夕」が長く「しんにょう(辶)」のように伸びている。

上記、宵曲の解説は、そのままに解釈しつつ、「山越えに来る豆腐屋が遅いという点だけを描い(ている)」と記している。なるほど、朝食に待ち構えていたのかも知れない。

昔も今も、豆腐作り・売りは大変である。近所に <豆腐店> があれば身近に知ることだろうけれど。また、昔はリヤカーを轢いて豆腐屋が回っていた・・・後に自転車に替わったりした。
このこと(豆腐作りと販売)について、Google Labsは、「前夜から水に浸した大豆を深夜(午前1時〜3時頃)から早朝にかけて仕込んで製造し、朝食や昼食に間に合わせるため、朝の6時頃から午前中を中心にその日のうちに販売します。」とのこと。

待ち遠しい豆腐屋の声の代わりに、カッコウの鳴き声が山あいに木霊(こだま)する情景だ。


■ Gemini (抜粋)
ちなみに、カッコウと巡り会うには今夏は遅過ぎて、来晩春~初夏を待たねばならない。

Q.近所の公園には、本当に小さな小川と葦原(アシハラ)があり、託卵相手のオオヨシキリやモズ、ノビタキも観察されていますが・・・。この夏の時間帯としていつ頃がいいでしょうか?
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A.結論から申し上げますと、「今の時期(8月)」は、時間帯を問わずカッコウの姿や声を観測するのがかなり難しい時期に入っています。
● なぜ「夏の今の時期(8月)」は難しいのか?
・鳴くのをやめてしまっている(さえずりの終了)
カッコウが「カッコウ」と高く澄んだ声で鳴くのは、主に5月〜6月中旬頃の縄張り宣言やオスのアピール(繁殖期)です。7月に入ると鳴く回数が激減し、8月になるとほとんど鳴かなくなります。姿が地味な鳥ですので、鳴かない時期に樹上や草地に潜まれると発見が極めて困難になります。
・すでに南へ帰り始めている(秋の渡り)
カッコウは子育て(抱卵やヒナの育成)を自分でしないため、卵を産み落とした親鳥は、他の夏鳥よりも一足早く7月下旬〜8月にかけて南の国(東南アジアなど)へ渡りを始めます。8月にはすでに多くの個体が旅立っているか、通過移動の最中です。

● 来シーズン(春)に向けたベストタイミング
もし今シーズン出会えなかったとしても、オオヨシキリやノビタキ(春・秋の渡り)が訪れるその公園であれば、「来春の渡り期」には飛来する可能性が十分にあります。
・ベストシーズン: 5月上旬〜6月上旬
・狙い目の時間帯: 早朝(午前5時〜7時頃)
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2026年7月9日木曜日

魂がないと此世は面白し(武玉川)

南西諸島から西日本まで、梅雨が明けたようだ。東京の天気予報を見ると、これから晴れの日がしばらく続きそう(ただし来週末、怪しくなる模様だが)。平年通り、7月19日ころに「梅雨明け」になるかもしれない。

長雨から解放され、からっとした気分に戻りたいものだ。

歳時記を見ると、夏の季語が多いにもかかわらず、野鳥はどうやら限られている。夏の始まりを伝える「ほととぎす」、古式漁法の鵜飼の「鵜」が目につくくらい。現代俳句ではもちろん多様だろうけれど。

ここしばらく晴れ空が戻ってきそうなので、野鳥に限らず陽気なものを探してみたい。

今回は第八巻、「第八  折々のうた」(大岡信、岩波新書)に、連句の中からユニークなものを選んだ、「武玉川(むたまがわ)」*(江戸時代中期の俳人 慶紀逸(けいきいつ)選、寛延3年(1750年)~文化年間 )に掲載されたものだ。
(*)武玉川: 「連句」のお題としての「前句(五七五)」に対して応募した「付句(七七)」から主に選択しているとのこと。

(本ブログ関連:”折々のうた”)

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魂がないと此世(このよ)は面白し        (武玉川)
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「第八  折々のうた」で、こんな解説がされている。「なまじ魂などいうものがあるから、反省も後悔もする、いっそ魂などなかったら、どんなに面白おかしく暮らせるだろう」として、他の詩歌などと比べて「俳諧の自由さがよく出ている」と記している。

ところで同書(第一刷)に、この連句について「一体どういう情景を受けて作られた付句だったのだろう」という記述があるが、五七五の構成から、「付句」ではなく、「前句」が適切だったと思うのだが・・・。それとも、この句の前の句に対しての付句だったのか?(前後関係を知らず、暴論だったかもしれない) →  以下、Gemini に確認した結果を追記する。
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> Gemini より
『武玉川』に収められているような「前句付(まえくづけ)」のゲームにおいて、その役割は以下のように固定されています。
● 前句(お題): 「思ひ出しては動くシテツレ」(七・七の短句)
● 付句(解答): 「魂がないと此の世は面白し」(五・七・五の長句)
つまり、あらかじめ出題された七・七(前句)に対して、後から機知を利かせて付けられた五・七・五の側であるため、「魂がないと〜」は付句と呼ぶのが正解です。
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(追記)
「魂」を宗教的にいえば、本来的に仏教的でないのだが、江戸の人がそれをどの程度重きを置いて語ったのか気になる。もしかしたら、現代人のいう個人と等しいものというより、先祖につながるものだったかもしれない・・・。

2026年7月2日木曜日

(資料)季語:成立・季節ごとに代表的なもの、半夏生 2026

俳諧(俳句)の「季語」について、① その成立過程と、➁ 現在の「歳時記」で多く取り上げられる代表的なものを、Gemini に問い、一覧表にしてもらった。

ちなみに、きょうは <雑節> の「半夏生(はんげしょう)」である。この時期、ドクダミ科の多年草「ハンゲショウ」の葉の一部が、粉を塗(まぶ)したように白く変色する。凡人には、花魁のうなじの白化粧を想像してしまうのだが・・・。

(本ブログ関連:”半夏生”)

■ Gemini ①

季語の成立と定義の歴史
時代・時期主な出来事と季語の定義・役割
平安〜室町時代和歌・連歌の時代【本歌取り・本意(ほんい)の形成】
和歌の時代から、特定の言葉(「桜」=春など)に季節のイメージを固定する「本意」が育まれます。これがのちの連歌に受け継がれ、複数の人で歌を詠み繋ぐ(連句)ための共通ルール(寄合・しきたり)として、季節の言葉の基礎が作られました。
江戸時代前期
貞門・談林派
【季語の必須化と大衆化】
庶民の文芸として「俳諧の連歌」が流行。松永貞徳(貞門派)らによって、俳諧のルール(式目)が厳格化され、**「発句(最初の5・7・5)には必ず季の詞を入れる」**という決まりが明文化されました。日常の言葉や俗語(諧謔)も季語として取り入れられ始めます。
江戸時代中期
蕉風の確立
【芸術性・内面の重視】
松尾芭蕉(蕉風)により、単なる言葉遊びから高い芸術性へと昇華。芭蕉は季語を単なる記号ではなく、**「自然の生命(いのち)や季節の移り変わりと、人間の内面を響き合わせるもの」**として深く定義し直しました。
江戸時代後期
歳時記の発展
【分類と整理の時代】
与謝蕪村や小林一茶らが活躍する中、季語を網羅して分類・解説した「歳時記(俳諧歳時記など)」が数多く出版されます。これにより、どの言葉がどの季節に属するかが、一般の地本(出版物)として広く固定化・共有されました。
明治時代〜現代近代俳句の成立【「季題」の提唱と「季語」の定着】
正岡子規による俳句革新運動の中で、連歌から独立した「俳句」が確立。子規や高浜虚子は**「季題(のちに季語)」**という言葉を強く意識し、伝統的な「有季定型(季語を入れて5・7・5で詠む)」を俳句の本質として 定義しました。現代では、時代に合わせた「新季語(バレンタイン、冷房など)」も次々に生まれています。


■ Gemini ➁

季節ごとの代表的な季語(トップ3)
ー 鳥の代表として「ほととぎす」が入っている。
季節季語読み解説・背景
新年
初春 / 新春はつはる / しんしゅん新年の始まりそのものを祝う、歳時記の筆頭に来る時候の季語です。
初日の出はつひので元旦の日の出。新しい年の希望や祈りを象徴する非常に人気の高い季語です。
門松かどまつ正月に神様を迎えるために家の前に立てる飾り。新年の代表的な生活・行事の季語です。
春
桜 / 花さくら / はな歳時記で単に「花」といえば桜を指します。春を象徴する圧倒的な主役です。
蛙かえる冬眠から目覚めて鳴き出す蛙は、春の訪れ(動物)を生き生きと表現します。
朧月おぼろづき春の夜の、水分を含んだ空気でほのかにかすんだ美しい月を指します。
夏
ほととぎすほととぎす夏の到来を告げる鳥。古来より和歌や俳句で最も愛されてきた夏の主役です。
蛍ほたる初夏の夜を彩る光。はかなさと夏の情緒を象徴する代表的な天文・動物の季語です。
夕立ゆうだち夏の午後に激しく降る雨。現代でも非常になじみ深い夏の気候を表す言葉です。
秋
月つき歳時記で単に「月」といえば、一年で最も美しいとされる「秋の月(名月)」を指します。
紅葉もみじ / こうよう秋の山々が赤や黄に染まる様子。春の桜と並び、日本の四季を代表する美しさです。
蜻蛉とんぼ / あきつ秋の空を飛ぶ赤とんぼなど、秋の訪れと寂しさを感じさせる代表的な虫です。
冬
雪ゆき冬の美しさを象徴する言葉。歳時記では「暮の雪」や「新雪」など多くの派生季語があります。
寒椿かんつばき冬の厳しい寒さの中で、鮮やかな赤い花を咲かせる力強い冬の植物です。
枯木かれき葉を落とし、冬の寒空に立つ木々。冬の静けさや寂寥感(せきりょうかん)を表現します。

2026年6月25日木曜日

「台風」といつから言い始めたか? 俳諧でどう表現したか?

江戸時代の俳諧で、「台風」をどのように表現していたのか知りたく、ネットで検索してみた。そこで、「台風」といつから言い始めたのかだった。
台風を英語で「タイフーン(typhoon)」と呼ぶことついて、てっきり日本語の <台風> 由来と思っていた。それは「津波」を英語で「ツナミ(Tsunami)」呼ぶこととしかりと・・・。

ところが、英語のタイフーンの語源は、Wikipedia の <用語体系> によると、中国語(広東方言)・アラビア語・ギリシャ語などの影響から生まれたようだ。
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・初出は早くても1550年代で、中国語広東方言の tai fung 〈大風〉を起源とし、
・アラビア語で〈くるくる回る〉という意の tāfa に由来する طوفان ṭūfān 〈洪水を起こす暴風〉の意、
・およびギリシャ語で〈旋風〉を意味する tuphōn の影響を受けて、
現在の語形・用法となったと考えられる。
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そこで、江戸時代の俳諧で、台風をどのように表現していたのか知りたく、Gemini に問うてみた。

■ Gemini  より抜粋
Q.江戸時代の俳諧で、台風を詠った句で代表的なものはありますか? そうそう、当時、台風という言葉を使っていたのでしょうか?
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A.「台風」という言葉が誕生したのは、江戸時代が終わり、明治時代になってからのことです。

時代主な呼び方特徴・語源
平安〜江戸時代野分(のわき)、大風(おおかぜ)現代の台風だけでなく、突風や激しい嵐全般を指していました。
明治時代(末期)颱風(たいふう)気象学者の岡田武松(のちの中央気象台長)が、英語の typhoon や中国・台湾での呼び名(大風/颱風)の音に合わせ、学術用語として「颱風」と定めました。
昭和21年(1946年)台風戦後の当用漢字制定に伴い、難しい「颱」の字から簡略化され、現在の「台風」になりました。
俳諧の世界では、秋に吹く激しい暴風(現代でいう秋の台風)を「野分(のわき)」と呼び、重要な秋の季語としていました。「野の草を激しく吹き分ける風」という意味です。
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(付記)
・中国では、台風を含めて「颶風(ぐふう)」と呼ぶ(Labs)。
・もともと「華南地域(広東省・福建省・海南島など)に上陸していたが、高緯度(上海、山東半島、さらには北京周辺や東北部など)へ強い勢力を保ったまま直撃・進行するケースが増えてきた」(Gemini)。


それでは、梅雨どきの台風を表す季語  ⇔(「野分」が秋の台風というのに比して)
<梅雨どきの台風> の大風を表す季語として、次のものがある。(Gemini、他)
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・荒梅雨(あらつゆ):梅雨の終盤(現代の7月上旬ころ)。
・男梅雨(おとこづゆ):梅雨が明ける直前の6月下旬から7月中旬ころ、雷を伴う激しい雨が大量に降る。
・茅花*流し(つばなながし):梅雨の初期(旧暦5月、現在の5月下旬〜6月)に吹く、湿った強い南風。
・五月雨の「大風(おおかぜ)」:「梅雨」は主に「五月雨(さみだれ)」と呼び、その大風。
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(*)茅花(つばな、ちばな): イネ科の多年草である「チガヤ(茅萱)」の若い花穂。(萱:屋根を葺(ふ)く材料)

2026年6月20日土曜日

五月雨に蛙のおよぐ戸口哉(杉風)

俳諧(俳句)の季語に「五月雨(さみだれ)」があるが、旧暦の雨なので今の新暦でいえば6月中旬~7月中旬の梅雨の時期にあたる。東京が梅雨入り(6/7)して2週間ほどたつ。きょう明日、来週にかけて梅雨の長雨がつづきそう。

(本ブログ関連:”梅雨”)

夏の俳諧を、野鳥観察の趣味から探すと、もっぱら「ホトトギス」が紹介される。夏を知らせる陽の鳥(時鳥)に対して、五月雨(梅雨の雨)の鬱の気分に似つかわしくないようで一緒になるのは少ないそうだ・・・ちなみに、ホトトギスは梅雨の長雨のなかでもしっかり鳴くというが。

(本ブログ関連:”ホトトギス”)

今回は第六巻、「第六  折々のうた」(大岡信、岩波新書)に、芭蕉の大パトロンであった杉山杉風*(さんぷう)」(正保4年[1647年] ~ 享保17年[1732年])の、<雨の日に観察した、平明で生活実感のある句> と次に解説されるものがある。
(*)杉山杉風は、幕府御用を務めた魚問屋の主人で、深川の芭蕉庵を提供した。蕉門十哲の一人。

(本ブログ関連:”折々のうた”)

(今回は趣味の野鳥や水鳥とは別に)雨水に濡れる蛙(カエル)のいる光景を詠ったもので、「梅雨時、江戸市中の戸口に蛙が泳いでいるのである。こせつかない**作風が好ましい。」とのこと。
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五月雨(さみだれ)に蛙(かはづ)のおよぐ戸口哉(かな)        (杉風)
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(**)こせつかない: 気持ちにゆとりがあり、焦ったり・せわしくしない様子。

そういえば、最近住宅地でカエルの姿を見ない・・・当地、武蔵野台地は乾燥地帯だからだろうけれど。それに比べて、江戸時代の深川は、隅田川河口を埋め立ててできた土地でもあり、もともと水気のある場所だったといえるかもしれない・・・カエルが戸口にいてもおかしくないわけで。

2026年6月15日月曜日

(資料)ホトトギスの異名、W杯初戦:日本 2 ⇔ 和蘭 2

夏鳥として5月中旬ごろ飛来する「ホトトギス」にはさまざまな異名があって、古典のなかにそれが出てくる。活字化された出版物なら、おおかた注釈が施されているだろうが、一応その由来についてネット検索してみた。(ちなみに、きょうから旧暦五月が始まる)

(本ブログ関連;”ホトトギス”)

元来、農耕の時を告げる「時間の境界線」(時鳥)が、生死を分ける冥界と現世との「空間の境界線」(子規、不如帰、杜宇)に変容したと言えるようだ。(Gemini より)

■ Google検索 Labs
「ホトトギス」のの異名:

名前読み方由来・意味
時鳥ときどり / ほととぎす田植えの時期(初夏)に鳴くことから「時を告げる鳥」として親しまれた。
(郭公)かっこう / ほととぎす本来は「ほととぎす」と読むこともでき、古典文学や和歌の世界では「郭公=ほととぎす」として長く使われてきた。
 ⇒ 下表参照
子規しき鋭く鳴く様子や、中国の故事にちなんだ異名(俳人の正岡子規の号の由来でもある)。
 ⇒ 下表参照
不如帰ほととぎす鳴き声が「不如帰(カエルニシカズ)」と聞こえるという伝説に由来。
(徳冨蘆花の小説の題名にも使われた)
 ⇒ 下表参照
杜鵑とけん / ほととぎす鳴く時期に咲く「杜鵑花(ツツジ)」にちなんで名付けられた。
 ⇒ 下表参照
杜宇とう / ほととぎす中国の蜀の望帝「杜宇(とう)」がホトトギスに化身して鳴いたという故事に由来する。
蜀魂しょっこん / ほととぎすこちらも望帝の伝説に由来し、望帝の魂(魂魄)が鳥になったとされる。
卯月鳥うづきどり旧暦の4月(卯月)に鳴き始めることから。
勧農鳥かんのうどり田植えの季節を農民に知らせ、農作業を勧める鳥として。
 ⇒ 下表参照
沓手鳥くつてどりホトトギスの鳴き声が「沓手(くつて)」と聞きなされたことに由来。
 ⇒ 下表参照
無常鳥むじょうちょう仏教『十王経』に由来。死者の魂を運んだり、あの世の様子を伝えたりする鳥として、鳴き声が無常の世を嘆く鳥(冥土の鳥)とされた。


■ Gemini
江戸時代の書『俳諧新式』に紹介されているホトトギスの異名:

分類異名(呼び名)由来・意味
季節・農耕
卯月鳥(うづきどり)旧暦四月(卯月)を代表する鳥であることから。
早苗鳥(さなえどり)田植えの時期(早苗を植える頃)に鳴き始めるため。
勧農鳥(かんのうちょう)農民に田仕事の始まりを促す鳥とされる。
信仰・冥土
死出の田長(しでのたおさ)冥土(死出の山)からやってくる田の神の使い。
魂迎鳥(たまむかえどり)亡くなった人の魂を迎える、あるいは送る鳥という伝承。
鳴き声・習性
沓手鳥(くつてどり)鳴き声の聞きなし(音の当て字)から。
忍音鳥(しのびねどり)その年初めて聞く、ひそやかな鳴き声(忍び音)にちなむ。
漢名・伝説
杜鵑(とけん)中国の蜀の王(杜宇)の魂が化したという伝説から。
不如帰(ふじょき)「帰り去るに如かず(帰るのが一番だ)」という鳴き声の解釈。
子規(しき)鳴いて血を吐くという伝承から、血に染まった口を指す。
郭公(かっこう)中国での表記に由来(和歌や俳諧ではホトトギスを指す)。


■ 同志社女子大学
「『ほととぎす』をめぐって」(吉海 直人(日本語日本文学科 教授)、2016/07/15)
    ー https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2016-07-15-15-15
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「時鳥」「霍公鳥」「蜀魂」「無常鳥」「杜宇」「しでの田長」「早苗鳥」「田鵑」「勧農鳥」「夕影鳥」「黄昏鳥」「菖蒲鳥」「橘鳥」「卯月鳥」「妹背鳥」「うなゐ鳥」「魂迎鳥」「沓手鳥」「不如帰」「杜鵑」「子規」
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(追記)ワールドカップ

■ W杯初戦:日本2 ⇔ 和蘭 2
FIFAワールドカップの初戦試合を見られなかった・・・結果は、日本2⇔和蘭2に終わったようだが、いつまでたってもにわかファンには、これで良かったのかどうか判断できない。次はチュニジア戦だそうだ・・・今度は <勝ち> を願う。


(付記)寝違えて首が痛い
おとついの晩の寝相がよほど悪かったのか、首筋左側の痛みがつづいた。ネットで確認したところ、アイスノンのようなもので冷やすと良いという。コチコチに凍らせてタオルに巻き、しばらく首にあてたところ、やや落ち着いてきた。(サロンパスを貼ったりしているが・・・)

2026年6月1日月曜日

衣更えの日、長持ちへ春ぞくれ行く更衣(西鶴)

きょうから6月、気象庁の季節区分で「夏」(6~8月)の始まりである。季節の変わり目に家庭ですることに「衣更え」がある*。薄手のセーター類を奥に引っ込めたり、長袖シャツと半袖シャツを交替したりする(まだまだ色々あるだろうけれど)。
(*)衣更えは、古来年中行事として、旧暦の四月一日(今年は5/17)、十月一日(今年は11/9)に行なわれた。明治政府により、新暦の6月1日、10月1日と制定された。

だから、<語源紹介> や、季語をともなう <俳句解説> の夏のはじめに衣更えの話が出てくる。
手元の書籍を見ると:

①  「ことばの歳時記」(金田一春彦、新潮文庫)の <6月1日> のタイトルは「衣がえ」で、それについて蘊蓄を楽しめる。
・ひとつめに、学校で宿題や提出物を日ごろ忘れる子も、コロモガエの方は決して忘れないという。
・ふたつめに、古くコロモガエについて、源氏物語の冒頭に出てくる「いずれの御時にか、女御・更衣(こうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに・・・」にある <更衣> にさかのぼれば、更衣は、旧暦の四月一日に行なわれる、天皇のコロモガエをつかさどる女官の呼び名だったそうだ。

➁  そこで、<更衣**> の文字をそのまま使って <ころもがえ> と呼ぶわけで、「四季の俳句」(関森勝夫、楼風車社)の <夏> の項の最初に、江戸時代前期元禄の世に上方で活躍した俳諧師・浄瑠璃作者である井原西鶴(寛永19年⁅1642年] ~ 元禄6年⁅1693年])の俳諧が紹介されている。
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長持ちへ春ぞくれ行く***更衣(ころもがえ)    (西鶴)← 句集『落花集』に西鶴と記載
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(**)いってみれば、「更衣」に「レ点」を付ければよいのだが。
(***)くれ行く(暮れいく)は、(季節や年などが)終わりに近づく。夕暮れ、年の暮れに使うけど、この場合、妙に明るい くれ行き だ。

(付記)
上記に「夕暮れ」と書いてすぐ後、Youtubeで夕陽に目を向ける赤ちゃんの姿に出会った。本当に、人間って素晴らしいと感動をいただいた。

■ Youtube(登録: 花をそっと)
「夕暮れと赤ちゃん」(2022/07/28)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=n1JdY4-CGMo

2026年5月30日土曜日

卯の花をかざしに関の晴着かな(河合曾良)、ウツギ(空木)

先日(5/27)のブログで、唱歌「夏は来ぬ」を記したとき、歌詞の始めにある「卯(う)の花の 匂う垣根の・・・」の「卯の花」について、次のよう触れた。今回。もう少し調べてみることにした。
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歌の出だしにある「卯の花」とは何かを気にせず歌っていたが、落葉広葉樹の低木、白い花が咲く「ウツギ(空木:枝が中空)」の別名だった。
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(本ブログ関連:”ウツギ”)

ウツギの別名である <卯の花> は、「花期は5~7月*。枝先に円錐花序をつけ、直径10 ~ 15mm の白い花**を多くまとまって付け、垂れ下がって咲かせる」(Wikipedia)。
(*)卯月:旧暦四月(新暦:今年は 5/17 ~ 6/14)ころ。
(**)白い花が咲くことから「『雪』にまつわる品種(名)」がある。

そこで昼前、公園の自然観察センターて、「ウツギ」の位置を確認したところ、同センターの駐輪所奥にあると教えてもらい、写真に撮ってきた。写真左は「ウツギ」の全体像で樹高は 2.5m ほど、白い花は頂上部にあって(写真右)、手元で確認は難しい。花は小さく派手ではない。かえって、ハレの日に旅衣を飾るにふさわしいと感じた。


奥の細道

芭蕉(46歳)の奥羽・北陸を巡る旅に随行した河合曾良(41歳)が、「白河の關」で詠んだ俳諧が、紀行文「奥の細道」***に収められている。
(***)奥の細道:「青空文庫」版を元にして:
    ー https://www.aozora.gr.jp/cards/002240/files/61619_78128.html
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白川の關(白河の関)
心許(こころもと)なき日かず重なるまゝに、白川の關にかゝりて旅心定りぬ。いかで都へと便(たより)求めしも斷り(=理)也。中にも此(この)關は三關(くわん)****の一にして、風騒(ふうさう)の人(ひと)心をとゞむ。秋風(あきかぜ)を耳に殘し、紅葉(もみぢ)を俤(おもかげ)にして、青葉の梢(こずゑ)猶(なほ)あはれ也。
卯の花の白妙(しろたへ)に、茨(いばら)の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人(こじん)冠(かんむり)を正し衣裝を改めし事など、清輔(きよすけ)*****の筆にもとゞめ置かれしとぞ。

卯の花を かざしに關の 晴着かな                       曾良
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(****)三關:「奥羽三関」で、<白河の関>、<勿来(なこそ)の関>、<念珠ヶ関(鼠ヶ関、ねずがせき)>
(*****)① 清輔は、平安時代末期の歌人 藤原清輔。「袋草紙」に「古人、冠を正し、衣装を改めた」と記している。(山梨県立大学:「奥の細道」白河の関)
    ー https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno08.htm
➁ 俳諧:「(古人のように)冠や着替えの用意はない。道端に白く咲いている卯の花を折り取ってかざしとし、それを関越えの晴着としよう」/(かざすは髪に挿すの意なので)「しいて言えば、手にかざし持ったと考えるのがよいだろう」(「おくのほそ道  全訳注」久富哲雄、講談社学術文庫)・・・ 曾良は、その時までに。髪を剃っていたし!

芭蕉と曾良が訪れた当日は、実は霧雨だったとか。芭蕉は「奥の細道」という文芸作品を生み出す推敲の結果、晴れた日にしたという。

2026年5月13日水曜日

俳諧のなかのホトトギスの姿

野鳥観察(探鳥会)で「ホトトギス」は、鳴き声はすれど、その姿はベテランの方の指先にしかない。そこで、ベテランの方がアップした写真を見て姿を納得しても、野鳥図鑑を見るのと同様の感覚になる・・・現場で直に、ホトトギスを見たいのだが。探鳥会に参加しながら、実力はいつまでも低空しか飛べない。

俳諧(俳句)の夏の季語「ホトトギス」について、ブログに繰り返し記してきた。鳴き声を主にして夜に(夜陰に紛れて)とか、山奥に隠れているとかで姿が見えぬことから、元禄の俳諧では、ほととぎすがあえて飛ぶ姿に焦点を与えようとしてきたことを綴った。

(本ブログ関連:”ホトトギス”)

ユニークな経歴を持ち、漱石や子規に傾倒した柴田宵曲(明治30年⁅1897年] ~ 昭和41年⁅1966年])の「古句を観る」*(岩波文庫)の <夏> の項に、夏の季語「ホトトギス(時鳥)」について、下記のごとく解説している。抜粋。
(*)古句を観る: 江戸時代前期の元禄時期の俳諧を対象にしている。
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ほととぎすの句は、習慣的に夜を主とするようになってしまったが・・・元禄人は伝統に拘泥せず、昼の句がある。しかし、昼のほととぎすであるにかかわらず、一向、句の表(おもて)に姿を現してない
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結局、昼の句に、ほととぎすをとり上げているので、姿を意識(イメージ)するという解釈になったようだ。


<まったくの雑談>
米女優エマ・ストーンと市川実日子はよく似ているな。

2026年5月12日火曜日

武蔵野の月の山端や時鳥(大淀三千風)

昔の江戸市中といえば、都区部の一部を指していたし、新宿はその端の宿場町だった。まして武蔵野となると、更に外側だった。(検索AI Labs)
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・江戸市中は、東京23区中心部(千代田・中央・港・文京・台東・墨田・江東の一部・新宿・豊島の全域、および 渋谷区、品川区、目黒区、北区、板橋区の一部)の範囲。
・江戸に最も近い初宿(江戸四宿)は、品川宿(東海道)、内藤新宿(甲州街道)、板橋宿(中山道)、千住宿(日光・奥州街道)。
・新宿は、日本橋(中央区)から数えて最初の宿場であり、武蔵野を抜ける甲州街道と成木街道(青梅街道)の分岐点。
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「四季の俳句」(関森勝夫、桜風社)の <夏> の項に、俳諧師 大淀三千風(おおよど みちかぜ、寛永16年[1639年] ~ 宝永4年[1707年])の次の句がある。同書によれば、三千風の「(日本)行脚文集」の句で、日本橋よりの眺望と語られているそうだ。関森氏は、「武蔵野の平地の先の、低い山の重なりが目に浮かんだ。/ ほととぎす(時鳥)の声よりも、その飛ぶ姿に焦点のあることが理解される」と評している。

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武蔵野の月の山端や時鳥    (大淀三千風)
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(本ブログ関連:”ホトトギス”)

江戸市中の日本橋から、武蔵野の光景が眺望できたというのは驚きだ。現在の感覚からいえば、都下武蔵野は、新宿、ないし中野辺りを出ないと武蔵野らしさを感じないものだ・・・それも、中央線が高架になってから気づいたことだが。

月の山端とは、今以上に月の明かりを感じる夜、遠く秩父山地から奥多摩にかけての稜線を感じ取れたからだろう。そのとき、飛ぶホトトギスの姿までとは、江戸のひとの眼力に感心するばかりだ。

ちなみに、三千風は全国行脚に七年間巡遊したという。

2026年5月6日水曜日

端唄「一(ひと)声は」、ホトトギス(時鳥)

初夏に南から来る「ホトトギス(時鳥)」の姿をはっきり目視したことがない。ベテランの方は鳴き声(さえずり)から聞き分けるが、フィールドでそういわれても聞き逃している。
(閑話) ホトトギスと対にして語られる、同じく初夏の鳥「カッコウ」の鳴き声を、以前深夜に聞いたと思ったが、Gemini に確認したところ、「アオバズク」の聞き違いでないかと指摘された・・・)

(本ブログ関連:”ホトトギス”)

ホトトギスは、夜間から夜明けにかけて「キョッキョ、キョキョキョ」(「テッペン カケタカ」や「特許許可局」)とさえずり、田植えの時期を告げる(時を告げる)鳥として「時鳥」の名を与えられたようだ(検索AI Labs)。


端唄「一(ひと)声は」
ホトトギスの時を告げる意味合いから端唄にも使われ、待つこと・別れに通じ、報われぬ恋を語る象徴にもなる。
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一声は  月が啼いたか  ほとゝぎす
いつしかしらむ  みじか夜に  まだ寝もやらぬ  手枕(たまくら)に(や)
男ごゝろは  むごらしい  女ごゝろは  左様(そう)じゃない
片時逢わねば  くよくよと  愚痴なおもひで  泣いているわいな
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唄の出だし「一声は  月が啼いたか  ほとゝぎす」について、「江戸端唄集」(倉田喜弘 編、岩波文庫))は、次のように解説している。(要約)
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・滝野瓢水(江戸中期(享保〜宝暦期))の句「さてはあの月が鳴いたか時鳥(ほとどきす)」にもとづく。
 ・句意は、 ほととぎすが鳴いたと空を見れど姿がない、本当だったのか、ひょっとすると月が鳴いたのかもしれない。
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■ Youtube(登録: 0klz49)
「 一聲は(市丸)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=gUxknTS_r9E
    ー 解説より: 昭和13年(1938年) VICTOR RECORD 金ラベル、 端唄 唄唱 市丸



■ 東京小唄・清元・三味線教室
「一声は月」(2010年8月2日)より抜粋
    ー https://kiyuumi.com/archives/2010/08/post_246.php
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安政4年(1857)5月、江戸市村座「時鳥酒杉本(ほととぎす  さけはすぎもと)」上演の時作られた江戸端唄である。お梅  粂之介の心中を芝居にしたもので「一声は  月が啼いたか  時鳥」は「さてはあの月が啼いたか時鳥(一三子*)」の名句から採ったもの。・・・(「江戸小唄」木村菊太郎著より)
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(*)一三子: 端唄の元になった俳諧の作者(滝野瓢水)と一三子とがつながる資料をネットで見つけられない。

■ 芝恋の三味線・小唄教室
「小唄「一声は月」のご紹介。」
    ー https://rensi26.com/1178
    ー 芝居「時鳥酒杉本」の内容解説がある。

2026年4月22日水曜日

夕燕(ゆうつばめ)我には翌(あす)のあてはなき (一茶)、スズメとツバメ

畑地に隣接する住宅街の道を歩むとき、「スズメ(雀)」の「チッ・チュン、~」という鳴き声を耳にする。<さえずり>  だろうか、姿が見当たらず、あちこちから聞こえてくる。

スズメの名について、「野鳥の名前」(安部直哉、ヤマケイ文庫)は、次のように由来を説明している。
・スズメの「スズ」: 「チチ」、「チュンチュン」などの鳴き声の擬声語。
・スズメの「メ」: 群れのこと。「カモメ」、「ツバメ」と同じ。鳥を表す接尾語。

ちなみに、「ヤマガラ」を昔は「ヤマガラメ」と呼んだそうだ・・・「ことばの歳時記」(金田一春彦、新潮文庫)によれば、歌集「拾遺集」に収められているとのこと。


ツバメ(燕)
今度は第四巻、「第四  折々のうた」(大岡信、岩波新書)に、江戸後期の俳諧師 小林一茶(宝暦13年〈1763年〉~  文政10年〈1828年〉)の次の句が載っている。

(本ブログ関連:”折々のうた”)
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夕燕(ゆうつばめ)我(われ)には翌(あす)のあてはなき   (一茶、文化4年:1807年 作)
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ツバメは、明るい日射しのなかで宙を舞うのがふさわしく感じるが、<夕燕>になると、生きる必死さがにじみ出てくる。大岡信氏は「生活の気配の濃厚さ」と説明している。

小林一茶は、生きることに汲々としたのだろう。幼くしては母を失い、継母に痛めつけられ、15歳のとき、守ってくれた祖母を亡くしたことをきっかけに江戸に出たが、その後「俳諧師として立つべく苦闘したが果たさず、再び雪深い信濃にかえる」ことになる。そこで待っていたのは、異母弟との争いだった。

2026年4月6日月曜日

これはこれはとばかり花の芳野山(安原貞室)

今、奈良県の吉野山の斜面を這うように、「サクラ」(大部分が、白い花の「シロヤマサクラ」)の花が昇っているそうだ。観桜の機会がむつかしいので、ニュース映像で知ることになる。この地は、古来、桜の名所で、多くの人が訪れている。秀吉は、大層な花見の宴を催したという。

江戸時代、俳諧の貞門派、松永貞徳の高弟である「安原貞室(やすはら ていしつ)」(慶長15年(1610年)~ 延宝元年(1673年))も、爛漫の景色を見た。俳諧撰集「曠野(あらの)集 巻之一 」の巻頭句に「これはこれはとばかり花の芳野山」がある。

「これはこれは」と思わず口にした場面が浮かぶ。<これはこれは!> ふだん誰れもが口にする表現で技巧がないだけ、その感嘆振りに共感する。たぶん、おじさんがよく使いそうな言葉だけに・・・。

■ 山梨県立大学  芭蕉関係人名集
「阿羅野脚注 巻之一    花  郭  公  月  雪」 ← 阿羅野 = 曠野(あらの)
    ー 阿羅野: 蕉門の山本荷兮(かけい)が編纂し、元禄2年(1689年)に刊行した俳諧撰集
    ー https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/arano10.htm
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よしのにて
これはこれはとばかり花の芳野山            ←  芳野山 = 吉野山
我まゝをいはする花のあるじ哉              (八十村 路通)
・・・
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(本ブログ関連:”八十村 路通”)


■ 朝日新聞
「空から見下ろす『一目千本』 山肌覆う桜が満開に 奈良・吉野山」(2026年4月5日)
    ー https://www.asahi.com/articles/ASV4522RXV45UQIP00RM.html?ref=youtube
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 一目で千本の桜が見渡せることから「一目千本」と呼ばれ、約200種、3万本の桜がある。最も多いのは「シロヤマザクラ」で、「ソメイヨシノ」よりも白っぽい花が咲く。品種の違いや標高による寒暖差、日当たりなどが影響して、桜が咲く風景を長く楽しめる。

 吉野山観光協会によると、標高*が低い場所では、4日までに満開を迎えた。一帯で標高が最も高い「奥千本」では、10日ごろ満開になると予想している。
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(*)標高: 下千本(しもせんぼん)、中千本、上千本、奥千本と標高の低い順に約1ヶ月かけて開花が山を昇る。


■ Youtube(登録: 朝日新聞)
「奈良・吉野山の桜 「一目千本」山肌覆う桜が満開に」(2026/04/05)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=DPzN7Uy_HcA



■ 公益社団法人 日本地震工学会【公式】
    ー https://x.com/JAEEGAKKAI/status/2038081207733481981
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吉野の桜は「シロヤマザクラ」という古来種を主とし、後世普及用に品種改良した「ソメイヨシノ」に比べピンクが鮮やか**です。金峯山寺(きんぷせんじ)信仰から寄進されました。砂岩斜面に根を張る適応力があり平地に近い下千本から咲き始め1ヶ月見頃が続きます

「一目千本」の桜が著名な奈良県の858mの山。中央構造線南側***で隆起した砂岩の地形が水流で深く削られ、尾根と落差を形成。桜の古来種と平安以降の1000年の育成により、高度・場所ごとにのべ3万本の桜が咲き誇ります
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(**)シロヤマザクラの花の色合いが上記新聞記事と逆?  →  白い色が鮮やかが正しいようだ。
(***)吉野山は、中央構造線の南側「三波帯」の更に南側の「秩父帯」に属し、チャートや石灰岩、砂岩泥岩互層などで構成する。


(参考)

■ 万葉百科 奈良県立万葉文化館 
(万葉集)「歌詳細」 ー  山部赤人
    ー https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=924
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み吉野の象山のまの木末にはここだも騒く鳥の声かも(巻6-924)
(み吉野の象山(きさやま)の辺りの枝の先には、多くさえずり合う鳥の声が響く)
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(追記)

■ Gemini
「中央構造線」:関東から九州まで約1,000km以上にわたって続く巨大な断層
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・徳島県から和歌山県、、伊勢湾にかけての区間は、現在も活発に動く「活断層」として知られています。
・現在、南から「フィリピン海プレート」が「ユーラシアプレート」の下に沈み込んでいます。この際、日本列島を西向きに押し出す力が加わっており、その歪みが中央構造線沿いの断層を動かす原因の一つとなっています。
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■ 国土交通省天竜川上流河川事務所
「中央構造線読み方案内 -諏訪から大鹿村地蔵峠まで ー」(河本和朗著)
    ー https://mtl-muse.com/wp-content/uploads/2019/02/020328_yomikata.pdf

2026年4月4日土曜日

江戸時代の「花」、桜と梅

今朝はどんよりした曇り空だ。すでに九州を中心に雨降りで、東京は昼過ぎに雨になるという、そのまま日付に変わる未明まで雨天のようだ。したがって、きょうの外出(たとえば花見)は午前中くらいしかないと・・・早朝に思った。

そんな後ろ向きなことを考えているうちに、きょうの野鳥観察(探鳥会)の時間(今月から集合 6:30)を過ぎていることに気づいた。(頭の前側では、開始時刻が 6:30 であることを分かっていたのに、頭の後ろ側で 、今まで 7:00 だったのが抜けきれずいたようだ)
ー そんなこと考えているうち、朝寝に落ちて気付けば昼になっていた!
ー 夕方になって、横殴りのような荒れた風雨になった!

ところで、このところ江戸の俳諧に関心を持ち始めている。江戸文化で、花見の「サクラ」をどのように感じ、愛でていたのか気になり、Googleの生成AI Gemini に訊いてみた。Q&Aをそのまま次に記す。

(本ブログ関連:”折々のうた”)

■ Gemini

Q.江戸時代のひとびとは、「さくら」を見に行くのに「花見」と呼んでいましたか? 「花」の言葉の使い方で、<梅>や<桜>をどう区別していましたか?
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A.江戸時代の人々も、現代と同じように「花見」という言葉を日常的に使っていました。ただ、その言葉に込められたニュアンスや、梅と桜の呼び分けには、当時ならではの美意識や習慣が反映されています。

「花見」という言葉の広がり
江戸時代になると、それまでは貴族や武士のたしなみだった「花見」が、庶民の娯楽として爆発的に普及しました。
・一般的な呼称:  庶民の公認行楽として「花見」という言葉が定着しました。当時の浮世絵の題名や「江戸名所図会」などのガイドブックにも、はっきりと「花見」という文字が見られます。
・対象の変化:  平安時代以前は「花」といえば「梅」を指すことも多かったのですが、江戸時代には <「花」=「桜」> という認識が完全に定着していました。そのため、単に「花見に行く」と言えば、それは桜を見に行くことを指しました。

梅と桜の区別のしかた
当時の人々は、季節感や用途に応じて、言葉を巧みに使い分けていました。
対象主な呼び方特徴とニュアンス

桜
「花」
「観桜(かんおう)」
「花」という言葉を独占する特別な存在でした。江戸中期以降は、上野や隅田川の堤へ大勢で連れ立って出かける「集団レジャー」の象徴でした。

梅
「梅見(うめみ)」
「探梅(たんぱい)」
桜とは明確に区別し、わざわざ「梅を見に行く」と言いました。桜が「宴会」であるのに対し、梅は寒さの残る時期にその香りを静かに楽しむ「風流」なものとされました。

興味深い言葉の使い分け
・「探梅(たんぱい)」:  まだ花の少ない時期に、山野へ早咲きの梅を「探しに行く」という奥ゆかしい表現も好まれました。
・「桜狩(さくらがり)」:  桜を愛でることを、獲物を追う「狩り」に見立てた優雅な表現も残っていました(現代の「紅葉狩り」と同じ感覚です)。
・「花月(かげつ)」:  文人や教養のある人々の間では、花と月をセットにした風雅な表現が好まれ、俳諧や和歌の世界ではより専門的な季語として使い分けられていました。

江戸の人々にとって、梅は「春の訪れを知らせる香り」を、桜は「春の真っ盛りを祝う華やかさ」を楽しむものとして、明確に心の中で区別されていたようです。
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2026年3月31日火曜日

3月の終わり、今年の四分の一が過ぎる

きょう(3/31)で3月が終わる(旧暦 2/13)。今年も、あっという間に3ヵ月間(年間の四分の一)が過ぎた。気象庁の季節区分で「春」(3月~5月)の最初の月を経過した。

外は小雨(といっても、とびとびの時間に降る)、強い風(といっても、南の風)、夕方(17:00)になって気温は 17℃ へ上向きに・・・それでも、冬の気分から抜け出せず、ストーブを点けている。

テレビの天気予報で、桜が咲くころの雨「桜雨(さくらあめ)」が紹介された。馴染みの桜並木の花はどうなっているだろうか気掛かり。

■ Weather News
「催花雨や桜雨などなど  言葉で楽しむ桜の世界」
    ー https://weathernews.jp/s/topics/201702/280165/

■ 桜雨の言葉がいつごから使われ始めたのか、ChatGPTに問うた。
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「桜雨」という言葉自体は古くから和歌的な表現としての素地はありますが、<俳諧・俳句の季語として定着するのは主に近代(明治以降)> とされています。
・江戸期の俳諧では、「花の雨」という表現が主流。
・「桜雨」は、より叙情的・文学的な語として、近代俳句で広まる
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※ ChatGPT、Gemini 、Google検索などで、「桜雨」を使った例句(作例)を探したが、良いものが見つからない。


夜になれば、家のあちこちに吊るした壁掛けカレンダーから3月を剥がし4月にかえる。

なにより、春になると一日ねむたい。鼻水、くしゃみ、鼻や目の痒みなどないが、どうやら花粉症の影響らしい・・・。

2026年3月27日金曜日

鶯(うぐいす)のこゑ前方に後円に(鷹羽狩行)

「春告げ鳥」で知られる「ウグイス(鶯)」の鳴き声(さえずり:「ホーホケキョ」はあまりにポピュラー)を聞いたことはあるが、その姿をしっかり見た経験がない。
自然観察(探鳥会)のフィールドで、<さえずり> を耳にしても・・・目視(目で見て識別)できる迄にいまだ至ってない。

(本ブログ関連:”ウグイス”)

■ 日本の鳥百科(一部 Labs)
「ウグイス」の鳴き声より、文字化してみた
    ー https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1384.html
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・さえずり♂(春): ホーホケキョ
・地鳴き♂♀(秋・冬): ヂッヂッヂッ
・谷渡り♂(春末・夏): ピピピピ ~ ピ・ポ・ピ ~ピポ
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ウグイスの姿は地味だ。全身が薄茶(灰)色に見えるし、大きさだって13.5♀cm ~15.5cm♂の小型で、樹間を飛べばもう分からない・・・に決まっている。ベテランの方々はどうやって識別しているのだろう。

■ Youtube(登録: kazenotobuzon001) 
「ウグイス ホーホケキョ」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=zCshWxv85bE


折々のうた
今度は第二巻、「続  折々のうた」(大岡信、岩波新書)に、鷹羽狩行(たかは しゅぎょう、昭和5年 [1930年] ~ 令和6年 [2024年])の句が載っている。「『後方』が『後円』になってふっくらする。江戸俳諧風の言葉の機知である」と説明している。

(本ブログ関連:”折々のうた”)

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鶯(うぐいす)のこゑ前方に後円に  
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鶯の声の響きに、<前方後円墳>のイメージを重ねて、空間の広がりを意識している句だ。

2026年3月10日火曜日

雪、冬に逆戻り、 野烏(のがらす)の腹に蹴(け)て行く春の水(稲津祇空)

PCばかり見ていたため、雪が降っていたのに気付かなかった。

朝方、電話があって、きょう予定していた訪問に雪道は大変だろうということで、スケジュールを延期していただくことになった。

いそいで家の前の通りを覗いたところ、雪が積もっているではないか・・・これからも降るかもしれないと思った。まさに、寒の戻り・・・冬へ逆戻りだ。
ー きょうの日付にかわってなお、気温は下がり続けた。(3/9:24時 5.4℃ → 3/10:08時 0.6℃)

とはいえ、いずれ雪がとけ、崖線の湧水となって公園の小川に注がれるだろう。

ところで、公園には、「カラス」が多くいて、ある意味 傍若無人である。春先の繁殖期には気性もあらあらしくなる。そんなわけで、対策としてトラップが設けられているほど。
そんなカラスは、小川の水が温むと水浴びする。

今度は第十巻、「第十  折々のうた」(大岡信、岩波新書)に、江戸前期の俳人、稲津祇空(いなづ ぎくう、寛文3年:1663年 ~ 享保18年:1733年)の句が載っている。談林派から、やがて其角の門人となり、先師芭蕉の蕉風に傾倒し、作風を固めたとのこと・・・新書「 折々のうた」で、著者は <静かに物象を見つめてその内懐に入る作風を一人追及した>と。まるで、俳諧史をたどるよう。

(本ブログ関連:”折々のうた”)
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野烏(のがらす)の腹に蹴(け)て行く春の水
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ー 雪どけの水かさが増す「春の水」の小川のなか、カラスの腹を蹴るように、キラキラ水しぶきが反射している・・・そんな光景を想像する(公園の小川は、見下ろす位置にあり、水面がいつも輝いて見えるので)


生成AIの ChatGPT は、この句のなかの其角と芭蕉らしさを次のように区分けしている。
      要素                         出所
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・蹴て行く(発想)        | 其角的 |
・写生の情景                 | 芭蕉的 |
・余計な技巧の少なさ     | 芭蕉的 |
・軽い滑稽                  | 其角的 |
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(参考: Google Labs)
時代主な流派・動向特徴・キーワード中心人物
室町時代連歌(575-77の連句) 滑稽・娯楽性を取り入れる飯尾宗祇
江戸前期貞門派和歌・連歌の規律を重視。言葉遊びや滑稽さを追求松永貞徳
江戸前期談林派貞門の制約から自由な発想、軽口、遊戯性へ。日常語西山宗因
江戸前期蕉風談林の軽薄を正し「さび」「しおり」の芸術性確立松尾芭蕉
江戸前期蕉門十哲芭蕉の弟子たち(其角、嵐雪、去来など)芭蕉門下
江戸中期美濃派蕉門十哲の一つ(全国的に最も広まった派)各務支考
江戸後期与謝蕪村・新風芭蕉復帰を掲げ、絵画的な美を追求与謝蕪村
江戸末期小林一茶人間味、生活感、擬人化小林一茶
明治初期明治俳諧(停滞期)形式化し、俗物化-
明治中期俳句改革(子規)「俳諧」から「俳句」へ。写生正岡子規