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2017年10月3日火曜日

もみじ(紅葉)

小学校で学んだ合唱曲で一番記憶にあるのは、唱歌「もみじ」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲、1911年:明治44年)だろう。私にとって、琴線にふれるような思いで深い曲だ。

遅くまでみなで合唱曲の「もみじ」を練習したとき、教室の窓にきらきら輝く夕陽が差し込んだのを思い出す。そんな思い出を独り占めしたいのか、一緒の仲間たちの影がすっかり霞んでしまっているのだ。歌の気分に、記憶まで染まってしまったようだ。

(本ブログ関連:”紅葉”)

子どもの目に映った紅葉は、うっすらした赤い光景でしかない。それを確かめたく、大人になって山に登ったり、バスツアーで眺めた紅葉の景観は、大人の目のものでしかない。懐かしさを求めたはずのに、結局、観光気分にしかなれないのだ。

そんなことなら、子どものころに、もっとしっかり自然に親しんでおくべきだったと思うばかり。


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2017年10月2日月曜日

残り3ヶ月

飯屋の調理場から、「今年も3ヶ月しかない」という声が聞こえた。飯を食いながら、月日の過ぎる早さをあらためて感じる。何十回と繰り返してきた。そして、忘れては何度気付いたことか。

早速、来年のカレンダーを購入して、今吊るしているカレンダーの裏に合わせた。ただし、分厚い日めくりカレンダーは一緒にするのに苦しいので、もう少しして入手しよう。

時はあっけなく目の前を通り過ぎる。子どものころ、道路を走るトラックの排気ガスが好きで、道端に立って鼻をくんくんさせたもの。高じて、ガソリンスタンドへ遊びにいったりした・・・それはそれとして、時間がカレンダーのように次々めくれていくのを楽しもう。

昔の思い出、ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日~)の「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」(1960年)を聞こう。いかにも、若い女性にモテモテといった雰囲気(少々にやけ気味)から、てっきりイタリア系と想像していたが、実は「父はトルコから移民したユダヤ系、母はポーランド・ロシア系ユダヤ移民」(Wikioedia)だったとは。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)

1月から12月、カレンダーを見ては毎日思い続ける。今月は、ハロウィンの10月、ぼくらはロミオとジュリエット・・・なんという陽気さ。カレンダーをめくるのも苦じゃない。カレンダーにときめくなんて、うらやましい。


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2017年10月1日日曜日

イ・ソンヒの「水仙」

今日から10月。今年はもう1/4しか残っていない。あっというまに過ぎ去るだろう。日高市の巾着田で開催の「曼珠沙華まつり」は今日で終了した(そうだ)。

真っ赤な花弁と緑の茎だけで咲く曼珠沙華の群れ並ぶ光景は美しさを超えて圧倒的である(そして異様さも覚える)。その「曼珠沙華(ヒガンバナ)」と同じ<科>に属する花に、「水仙(スイセン)」がある。こちらは、冬から春にかけて咲く花だが、共に根に毒性を持っ。かたや死の影を持ち、かたや自己陶酔に溺れる。

水仙の可憐な姿に、自惚れの跡がかすかに精一杯に主張しているようにも見える。そんな負けん気が聞こえてくるような、独白だけの作品「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)が、イ・ソンヒの5集に収録されている。

(本ブログ関連:”水仙”)


(ふふふ) みんな過ぎたこと
いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい
未練! (ふん、ふふ)

わたしが 水仙を好きだったとしよう
その花が散ったとしよう
それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう
それも日を決めておいて
ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(はあ~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ


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(付記)
最近、遠出を控えている。それでも運動のつもりで、近隣の街に出かけて書店を巡った。
先日から気になり始めた、リトアニアの街「ヴィリニュス」(ユダヤ文化の花開いた街でもある)への関心から、昔、リトアニが大国であったこと、やがてロシアに押されたことで、「ルブリン合同」によりポーランドと連合して(併合されて)、「ポーランド・リトアニ大公国」ができたこと・・・についての平易な歴史解説書を探したが見つからなかった。こんなとき、Wikipediaは近道である。

2017年9月30日土曜日

「赤とんぼ」の捕らえ方

ちあきなおみの歌「赤とんぼ」について、先週触れたばかり。市井の別れ歌だ。

(本ブログ関連:”赤とんぼ”)

秋の空に浮かぶ「赤とんぼ」で思い出したことがある。高山の赤とんぼは、人に対する警戒心が薄い。だから、捕虫網を使わないでも、容易に手で捕れる。もちろん、山路の出会い、捕って標本にするつもりはない。

赤とんぼを、素手で捕らえる方法はちょっとの我慢だけ。

① 山道の石ころや岩の上に休んでいる赤とんぼに狙いを定める。
② 3mくらい離れたところから始める。片手を、ゆっくり、大きく回転する。
③ 手を回転させながら、そっと、赤とんぼに近づく。あせってはいけない。
④ 赤とんぼに1mほど近づいたら、手の回転を少し早める。あせってはいけない。
    このとき、赤とんぼの頭が、カク、カクと揺れ始めたらしめたもの。
⑤ 手の回転幅を狭め、腰をさげつつ、指先を赤とんぼに次第に近づける。
    赤とんぼの頭が、めまいでもしているかのように振り続けるのを確認する。
⑥ そして、両手で赤とんぼをくるむように捕まえる。

複眼の赤とんぼが、ひとの手の回転に目がくらんだに違いない。見えすぎるのも弱点だ。

2017年9月29日金曜日

不成就日

日めくりカレンダーの隅にその日の注記があって、暦注や伝統行事を示している。いつも素通りしがちなのに目がいった。「不成就日」と書かれていたのだ。

無力感に襲われるネーミング、成就できないなんて一体どうしたことだ。いろいろな行事が「凶」になるという。旧暦の特定日に「不成就日」があって、毎月4回巡ってくるという。

占いごとを、精緻に理論・体系化すると息苦しくなる。平穏な毎日を願っているはずなのに。出鼻をくじく先読みは、余計なお節介。それも、権威をもって語られたりすると、その言に怪しさが増す。

占いは、陽の当たる部分と影の部分を示す。吉凶の裏表。幸福と不幸、平和といくさ、生と死。避けられないもの、永遠に続かないもの。だから、ひとは占いを完全に捨て切れない。

今日は、何ごとも不完全。すべてに不成就であった。占いを待つでもない毎日のこと。

2017年9月28日木曜日

「おはようボルチモア」

先日、FM音楽番組から流れた曲に、60年代ポップスをほうふつさせる、いきのよいものがあった。耳に残った旋律というか、オールディーズ独得な歌い方にひかれてネットで探した。手元にメモしたわけではなかったけれど、歌詞に何度か出た言葉「ボルチモア」でYoutube(およびWikipedia)を検索するとすぐに見つかった。曲名は「Good Morning Baltimore」。

この曲、実はブロードウェイ・ミュージカル「ヘアスプレー(Hairspray)」(2002年、マーク・シャイマン作曲、スコット・ウィットマンおよびシャイマン作詞、マーク・オドネルおよびトーマス・ミーハン脚本)の代表曲のようだ。

原作は、コメディ映画「ヘアスプレー」(1988年、ジョン・ウォーターズ監督)であり、その後も同名「ヘアスプレー」(2007年、アダム・シャンクマン監督)でリメイクされている・・・という。

ところで、ボルチモアはアメリカの都市だが、その歴史について何にも知らない。聞いたことのある出来事といえば「大火」くらいか。まして、FMで聞いた「Good Morning Baltimore」の時代背景を知るよしもない。ただただオールディーズの郷愁にひかれただけだった。
「人種差別が色濃く残る、1962年のメリーランド州ボルチモアを舞台に、明るくふくよかな10代の女性主人公が地元のテレビ番組でダンサーとして、スターになる物語を描いている」とのこと。

2007年版の映画からと思う、次の「Good Morning Baltimore」は、とにかく明るくて陽気、健康で天真爛漫な主人公の若々しさがあふれる。どんなに憂鬱であっても、朝になれば未来が始まる・・・おはようボルチモア。


(Youtubeに登録のthecrazydude57に感謝)

2017年9月27日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」家族愛

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「両親や家族への愛」に関連する曲を紹介した。
(ブログ記述時点で、ネットで未見のため韓国語/英語版を参考にした)

始めに、親孝行の大事さを強調した中国元代の「二十四孝」をもとにした歌について次のように紹介された。
・中国の元代、孝行の徳目を編纂した「二十四孝」がある。真冬に鯉を獲ったり(=姜詩)、竹の子を採ったり(=孟宗)して親を奉養したり、また、年老いた母親のものも食べる幼子を地中に埋めようと穴を掘ったところ、金を得た(=郭巨)話など、これらをもとにした歌がある。

▼ 短歌(パンソリの喉慣らし曲)の「孝道(孝行)歌(효도가)」を聴く。淡々と歌う。

次に、パンソリ「沈清歌」で、沈清が命にかえて父の病を治そうとすることについて次のように紹介された。
・パンソリ「沈清歌」に、盲の父の目が開くよう、自ら船乗りに命を売った沈清が、船に乗って(印塘水の)海に身をなげるくだりが描かれている。船乗りは、沈清を犠牲(人柱)として祭祀を行なう。沈清は、死を控えて、父親がいる故郷に向かってお辞儀をしながらも、一人残る父親を案じる。

▼ パンソリ「沈清歌」から「沈清が海に沈むくだり(심청이 바다에 빠지는 대목)」を聴く。迫り来るものを想う。

最後に、沈清が身を投げる海(印塘水)に沈む前、船乗りに付いていく心情を現代的な観点で描いた創作曲について紹介された。

▼ 「清、海になる(청 바다가 되다)」を聴く。あまりに感傷的に、あまりに今様に。

2017年9月26日火曜日

キンモクセイ(金木犀)

この時期、「金木犀」が気になる。「彼岸明け」の今日、人影の乏しい公園に出かけて、広場に並ぶ大きな金木犀を見上げた。濃い緑葉のあちこち、オレンジ色の小さな花弁が点在する程度だが、独特の甘い香りが始まっていた。

(本ブログ関連:”金木犀”)

ちょっと前まで、しばらくの間、「百日紅」が小さな薄紅色の花を覆うようにして飾っていた。中国の古い絵を見るようで、霞んで、すごく地味で・・・。そんな地味さ加減が金木犀にもある。この時期、オレンジの花弁も咲き始めたばかり。

子どものころ、金木犀と(春を知らせる)「沈丁花」の香りが苦手だった。なんだか、年配の婦人方の香水を思い起させるからだ。でも、考えてみれば可笑しなこと。ずっと昔から、金木犀や沈丁花は、その香りを漂わせていたのだ。

(本ブログ関連:”沈丁花”)

やがて歳をとると、花の自然な香りに合わせるようになる・・・そんな気がする。

2017年9月25日月曜日

狢(ムジナ)

人を化かす動物といえば狐と狸。狡猾な化かしをする狐に比べて、どこか間抜けでお人好しの感がする狸。その狸を、「狢(ムジナ)」ともいうけれど、実体はアナグマのようだ。

写真などでみるアナグマは、狸のような丸みがなく愛嬌が不足している。まさに、イタチ科とイヌ科の違い。さらに狢とされる、ハクビシンにいたってはネコ科に属していて、もっと遠い。

この狢を題材にした、L.ハーンの怪談に登場するのは、狸でもアナグマでも、ましてハクビシンでもない。<のっぺらぼう> なのだ。夜道で、人の好い商人を巻き込んで化かして驚かす。その仕打ちは狐の化かし風。しかも、追い討ちをかけるように、屋台の蕎麦売りも組んで驚かす。

一体どうして、狢が <のっぺらぼう> なのだろう。顔を隠しながら相手を見る、正体不明の顔にしたのだろう。それとも、商人が迂闊だったのか。(顔を隠した狢に翻弄される商人、それとも目先しか見えない商人)

2017年9月24日日曜日

イ・ソンヒの底力

「イ・ソンヒが歌う他の歌い手の歌のコレクション(アイドルの歌からラップまで、完璧に消化されるハート・・・ぶるぶる、時代を超越したような声づかい)」といったタイトルの映像がYoutubeに登録されている。

イ・ソンヒが若い歌い手の歌を、自家薬籠中にするというか本歌取りしたというか、まさに彼女自身のものに変じてしまう。民謡からトロットまで含めて、あらゆるジャンルをおさめてしまう彼女なればこそ、まさにイ・ソンヒ ワールドといっていい。

今回は、いわゆるK-POPについても、彼女の歌唱力は易々と取り込んでしまう。時代を超えた普遍性が、安定感が・・・、そんな底力を見せつける場面集だ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒが歌ってみると”)

1. 술이야    바이브    /    酒だ    Vibe
2. 안되나요    휘성    /    だめですか    フィソン
3. 시간을 달려서    여자친구    /    時間を駆けて    GFRIEND
4. 잊지 말아요  백지영    /    忘れないで    ペク・ジヨン
5. 나를 슬프게 하는 사람들    김경호    /  私を悲しませるひとたち    キム・ギョンホ
6. 사랑 안해    백지영    /  愛さない    ペク・チヨン
7. 소주 한잔    임창정    /  焼酎一杯    イム・チャンジョン
8. 사랑합니다    Tim    /  愛します    Tim
9. 잘못된 만남    김건모    /  誤った出会い    キム・ゴンモ
10. 가시   버즈    /  棘    BUZZ


(Youtube登録者に感謝)

2017年9月23日土曜日

秋分の日 2017

今日は、「秋分の日」。昼夜の長さが同じというが、夏の余韻が残っていて、昼の時間が微妙に長いそうだ。しかし、空模様は芳しくなく、冷え冷えして気分はすっかり秋。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

この時期、「おはぎ」を供え物にする。おはぎは日常的な菓子であって、春の「ぼたもち」と比較されるが、<粒餡>と<漉し餡>で包むといった違いでしかなく、季節感の意識はない・・・それが正直なところ。

食べ物にこだわるのは、ここ数日食が進まないからだ。ネットで分かったことだが、先日処方された薬の副作用かもしれない。自己責任で服用を中止することにした。

ここ数年の中で、一番ついてない「秋分の日」。

2017年9月22日金曜日

ちあきなおみの「紅とんぼ」

先日、ちあきなおみの「黄昏のビギン」を聞いたばかり。秋雨に冷えた今日も、彼女の「紅とんぼ」(吉田旺作詞、船村徹作曲、1988年)を聴いてみよう。

(本ブログ関連:”紅とんぼ”、”黄昏のビギン”)

この「紅とんぼ」、歌手がその力量を競う歌でもあるようで、昔、歌謡番組でケイ・ウンスクと名前を失念したがもうひとり若手の女性歌手が歌い合った。ケイ・ウンスクの歌いこみは実に素晴らしかったように記憶している。

それでも、ちあきなおみの歌は、新宿の駅裏、そっと店仕舞いする酒場に出入りしたひとびと女将との関わりまでが、細やかに情感あふれて聞こえてくる。学生でもない、文士気取りでもない、口下手な男たちが集まるところ。何気ない言葉ひとつで癒しをもらう場所、そんな酒場「紅とんぼ」があったようだ。


(Youtubeに登録のHisaki TVに感謝)

2017年9月21日木曜日

さだまさしが歌う童謡「里の秋」

山肌が冷気に撫でられ、しだいに色づくのに合わせて、秋は深まる。終戦間もなく、秋は来たことだろう。童謡「里の秋」(作詞斎藤信夫、作曲海沼實、川田正子歌、1948年:昭和23年)は、南の島からの父の帰還を待つ母と子の歌だ。

母と子の会話を邪魔する喧騒もない、静かな静かな日々が想い起される。その時、その場に行くことはできないが、せめてこの歌から家族の再生を願わずにいられない。ぼくらは、そんな幸運のおかげで命をつないできたのだから。


(Youtubeに登録のkirakira 6050に感謝)

2017年9月20日水曜日

秋の彼岸入り 2017

手元のデジタル温度計が(室内ゆえ)25.8℃を示しているのに、なぜか冷える。夏の気配も今週までのよう、本格的な秋が始まる。

10月になれば再開することも多い。この夏しっかり復習・予習すると口にしたのを、今になって慌てる。学生時代の定期試験準備と似たようなもの。(さすがに社会人のときは、そんなズボラではなかったが)このたび、逃げ腰が治っていない。

きょうは、秋の「彼岸の入り」。3日過ぎ、4日目の23日土曜日には「秋分の日」。時間が前から来なくて、後ろから押すようになったのは幾年か。秋が人生にかぶさるようになってきたなんて・・・そんな感がしてしようがない。

(本ブログ関連:”彼岸”)

KBS WORLD「国楽の世界へ」金熙祚

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、金熙祚(김희조、1920年~2001年)、「散調(산조)」関連する曲を紹介した。

始めに、作曲家「金琪洙」(김기수、1917年~1986年)と「金熙祚」について次のように紹介された。
・音楽の継承の仕方に、西洋は楽譜を見て演奏し、一方、東洋は師匠の口を真似て口承した。同じ音楽も感動は人によって違うように、同じ師匠の元でも、弟子の音楽は少しずつ異なるだろう。師匠の通り奏しながらも自分のスタイルを作り上げる。
・1940年代に活動した「金琪洙」は、韓国初の国楽作曲家で、時代の変化に合わせて国楽を発展させてきた。そして、作曲家「金熙祚」などの手を経て、今日の創作音楽が定着した。

▼ 金熙祚作曲の「散調、テーマ(主題)による合奏曲」(KBS国楽管弦楽団)を聴く。楽譜が浮かぶよう。

次に、作曲家「金熙祚」の音楽家としての経歴について次のように紹介された。
・作曲家金熙祚は、1920年にソウル鍾路に生まれる。音楽との関わりは遅く、商業高校卒業後、銀行に勤めながらのこと。西洋楽器のピアノやバイオリン、ビオラなどに始まり、後に西洋の作曲を学ぶ。国楽との縁は、1950年代の「朝鮮戦争」(韓国戦争)の時、陸軍軍楽隊で民謡を編曲したのが始まり。除隊後、KBSで管弦楽団を作り、指揮と編曲を担当、民謡を編曲して演奏した。その後、国楽芸術学校教師、ソウル市国楽管弦楽団の作曲と指揮を担当して活動広げた。作品は、散調や民謡、パンソリなど民族音楽をテーマにしたものが多い。そして、音楽活動の過程で、貴重な音楽を残した。

▼ 全羅南道巨文島の漁師の歌「綱なう歌(술비소리)」を管弦楽用に編曲したものを聴く。原曲と編曲の比較も楽しい。

最後に、作曲家「金熙祚」の音楽家としての人となりを次のように紹介された。
・金熙祚は、高麗交響楽団で活動したことがある。ビオラとコントラバスを演奏した。コントラバスを演奏できる者がほとんどいない当時、彼は、指が短い弱点を克服して演奏した。また、彼が一番重視したのは、「聞き安い曲を作る」ことだったという。そのため、彼の音楽は今もたくさんの人々に親しまれている。

▼ 「フルートの独奏と国楽合奏のための舞踊幻想曲」を聴く。時代劇で篠笛を聴くような・・・親しみやすい。

2017年9月19日火曜日

雑談、雑談、山怪 [弐]

① いずれの本で読んだか、その本が見当たらぬ。「Jアラート」がうるさいという話から思い出したこと。昔、WWⅡでノルマンディ上陸作戦の死線を越えた連合軍兵士たちが、意気揚々とフランスの田舎路を通り抜けていたとき、農家の窓が開き老婦人が「うるさい」と叫んだという。いつの世にも日常を最優先する人がいる。

② テレビの美術番組で、徳川家光のころの絵図、<狩野探幽(1602~74)が描いた幻の作品「八尾狐図(やおのきつねず)」が、京都市内で(2015年に)発見された(参照: Art Annual Online)>と紹介されていた。
このブログでは、「九尾狐」について話題にしてきたこともあり、尾が八つなのはなぜか気になる。妖狐の尾は、最終九本まで増え続ける、丁度その手前という説があるようだが・・・。一方で、狐は稲荷神の使いでもある。

(本ブログ関連:”九尾狐”)

③ 以前紹介した山の奇談を収集、紹介した「山怪」(田中康弘、山と渓谷社)の第二弾ともいうべき「山怪 [弐]」を読んでいる。最初の「山怪」は主に猟師から話題を収集している。さらに、山と縁のある人まで広げたのが「山怪 [弐]」だ。
<山の神は女性だといわれている>、<嫉妬深く><若い男を好む>とか生臭い面もある。さて、武蔵御嶽神社は修験の場でもある。山犬(ニホンオオカミ)が眷属(神の使い)として有名だそうだ。同神社の護符は山犬の姿を刷ったもの。その護符を実家で見つけて、関係する人々を訪ねた「オオカミの護符」(小倉美恵子、新潮社)と出会った。これも次のお楽しみ。
ところで、狐信仰は、イヌ(オオカミ)との親和性が強いようであり、山の神の使い ⇒ 田の神の使い ⇒ 商業神信仰へと変遷したという話もある。

(本ブログ関連:”(稲荷信仰)神の使い”)

2017年9月18日月曜日

台風一過

久し振りに強風を経験した。と言っても深夜のこと。今日の日付に変わる夜空を、ヒューと喉を鳴らすような音が走って、そのたび風圧に家が軋んだ・・・多分そんな感じがして、大丈夫かと心配するほどだった。

テレビの台風情報を見ながら、台風は進路を日本海へ向けるだろうから、直接、風害はないと思い、いつのまにか寝入った。朝になれば、風音もなく、明るい陽射しが窓から差し込んだ。そりゃあ見事な台風一過だった。

(参考)台風18号の進路図(国際気象海洋株式会社)
            http://www.imocwx.com/typ/tyani_18.htm

図書館に、リトアニアのヴィリニュスの街について読み物を探しに出かけた。途中、夏の陽射しそのもの、まさに熱射を感じた。雨に洗われて空は澄み、木々の葉は一枚一枚くっきりと浮かんで見えた。暑さを帳消しにする清々しさだった。

ところで、リトアニアは複雑な地帯にある。ポーランド王国、ベラルーシ(白ロシア)が入り乱れ、領土の競り合い、それに伴う民族や言語の多様化といった歴史を持つ。そこに、割り込むようにしてユダヤの人びとがヴィリニュスの街に集合した。

現在の各国の国情から、過去を即断(イメージ)できない。ポーランドが想像以上の大国だったこと、そして、ポーランド王国とユダヤの民との関係を知る。歴史年表と地図が必要のようだ。

2017年9月17日日曜日

ちあきなおみの「黄昏のビギン」

台風18号の影響か、一日中雨が降りつづいた。おまけに、今日の東京の最高気温は20.9℃、最低気温は17.9℃とヒンヤリして、家の中にいても厚手の靴下をはいたほど。日中、20℃を切るのはつらい。(不思議なことに、最高気温は19:02になってのこと)

何度か玄関ドアを開けてみたが、そんなわけで、外出を思いとどまった。きっと今ごろ、小雨にけぶる公園では、真っ赤な曼珠沙華とサルビアが、パステル色のコスモスが雨風に揺れていることだろうと想像して・・・。(なあに、きのう公園で見てきたばかりなのだ)

せめて雨の余韻だけでも楽しもうと、ちあきなおみの「黄昏のビギン」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)を聞けば、部屋にこもったおじさんの想像力を押し広げてくれる。出歩けなかったせめてもの償いのようなもの。(原曲は、1959年の水原弘の歌)

(本ブログ関連:”黄昏のビギン”)

そして、昔のCFにならって、コーヒーでも楽しんでみようかと・・・。


(Youtubeに登録のmikuni1199に感謝)

2017年9月16日土曜日

(資料)ほのぼのボノボ

人間社会に似たサル集団に、ボノボの世界がある。オスとメスによる調和した、協調的な社会を好むようだ。それに対して、マッチョなオスが支配するのがジンパンジーの世界だ。

チンパンジーとボノボ社会を比較した講演会の要約がある。京大連続講座で語られた内容で、「チンパンジーとボノボから探るヒト社会の成立」(伊谷原一教授、2011年10月22日)は、素人にも分かりやすく比較紹介している。
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●チンパンジーの生態
  ① 地位の優劣と緊張関係
  ② 道具の使用
  ③ 雑食性
  ④ 薬草利用
  ⑤ オスによる子殺し

●「母権」のボノボ、「父権」のチンパンジー
・チンパンジーは、オスが集団を統率し、少ないオスが2~3倍のメスを集団に抱え込む。
・一方のボノボは、オスとメスの割合が1対1。しかも、メスたちは年長のメスを中心として連帯し、オスに対しても優位性を示すという。

・ボノボには「子殺し」は存在せず、成長後も母親に甘えるオスもいる。伊谷教授は「人間社会でいえば、オスはマザコン。メスは、おばちゃんを中心に徒党を組むので、怖くて文句を言えるオスはいません」とたとえ、会場の笑いを誘った。

・(ボノボの)このような社交的で積極的なメスの存在が、チンパンジーではなし得ない、異なる集団の平和的な共存を可能にしているという。異なる集団間で、メスたちが行き来して橋渡し役となり、「和平」を築くのだ。

・伊谷教授は「人間の家族として成り立つための条件を、ボノボはすべて兼ね備えています。人間のような家族やコミュニティーの形成に発展する可能性を秘めているともいえる」と結んだ。
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人間社会で「父系制」、「母系制」を語るとき、財産の継承が軸になる。それに比べて、チンパンジーやボノボには、不動産的な財産=所有物がない。社会を維持しているのは、融和的な集団力だけなのだ。物に頼らない集団の継承こそ、最も基本的なはず。いかに「コミュニケーション」をはかっているか参考すべきポイントがあるだろう。

そのなかでも、ボノボは共存を主眼にした社会形成をしているという。人間にそのままあてはまれば、素晴らしい社会を期待できる。しかし残念ながら、人間は、チンパンジーでもボノボでもないし、所有の仕方や社会の規模も違うため、別の選択をしたようだ。

2017年9月15日金曜日

「朝鮮日報読者権益保護委員会」9月定例会

韓国におけるオピニオン・ペーパーとして最大発行部数を誇る(保守系)日刊紙「朝鮮日報」を、読者立場から掲載記事について評価する「読者権益保護委員会」がある。そこに、何度か触れたが、イ・ソンヒが出席している。

(本ブログ関連:”読者権益保護委員会”)

9月11日に開かれた、報読者権益保護委員会の定例会議での評議内容が、9月15日付け同紙記事として掲載されている。緊張を高めつつある隣国関係、国内政治・社会問題まで幅広く取り上げ論じている。ただし、記事に、参加者個々がどのように発言したか明示していない。(イ・ソンヒなら、特殊学校新設問題について、積極的に発言したのではないかと推測する)

このブログは、イ・ソンヒにしか関心がない。
そこで、紙面掲載の写真をリンクさせていただく。

http://image.chosun.com/sitedata/image/201709/14/2017091403386_0.jpg

念のために、左から4人目がイ・ソンヒそのひとである。