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検索キーワード「木内石亭」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
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2026年6月18日木曜日

平賀源内と木内石亭の面識

小説や漫画に、ある人物が当代の歴史的人々とつぎつぎ巡り会う歴史ロマンがある。偶然の流れにしては出来過ぎだが・・・。幕末や維新の激動の時代を舞台にするとなお一層面白い。

出会いが、運命を切り分ける場面だとドラマチックになる。そんなに大げさでなくても、登場人物が知る人ぞ知る場合、話は盛り上がる。江戸時代(中期~後期)を駆け抜けたマルチ人間の平賀源内と、石を一途に愛したオタクの木内石亭との出会いは興味深いものだ。

(本ブログ関連:”平賀源内”、”木内石亭”)

■ レファレンス協同データベース
「江戸時代の鉱物学者:木内石亭と平賀源内の交流が書き表された文献を知りたい。」
    ー https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000097202 
    ー レファレンス事例詳細: 「人物叢書『木内石亭』(吉川弘文館 1989)の31ページに共に物産会に参加、207ページには交友があった旨書かれている。」

● 人物叢書「木内石亭」(斎藤忠、吉川弘文館)の本文を参照し抜粋
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友からの鞭撻(べんたつ)
(石亭の著書「雲根志」の成果から)彼の勉強には、多くの交友の力もあった。全国的に多い弄石(ろうせき:石趣味)の友は、彼に対してのよき資料の提供者ともなった。ことに谷川士清(ことすが)・平賀源内など、当時の名高い人物も、彼の交友であり、しかもよき先輩であったことは、彼に学問的な鞭撻をあたえたことだろう。
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■「近世 人物夜話」(森銑三、講談社文庫)
「平賀源内」抜粋
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・源内は官医 田村藍水*と共に物産の学を講究し、共にまた物産会、薬品会等を江戸に開いた。
・その勧誘状の後には、「諸国産物取次所」として三十箇所を列記してゐるが、その中に「近江山田、木内小半」とあるのが注目を惹く。小半は正しくは小繁(こはん)であり、即ち雲根志の著者木内(きのうち)石亭その人だったのである。
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(*)田村藍水(本草学)の門弟に、石亭は源内とほぼ同時期(源内が少し先)になった。

(補足)
平賀源内について:
・「火浣布(かかんぷ)」の発明で知られるが、実用性について当時の関係者から、そのサイズの小ささに否定的な評価があった。
・現在知られている彼の肖像は、細面であるが、実際は小太りだったようだ。
・関心(好奇心)が広いことから、国学者の賀茂真淵に入門したこともあった。惜しむらくは、獄死したため、博覧強記といえるものを書に残せなかったことだ。

(追記)
・杉田玄白は、獄死した源内を讃える300字程度の「処士鳩渓墓碑銘」を著した。(Wikipedia)
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「嗟非常人 好非常事 行是非常 何非常死 」 (ああ非常の人、非常の事を好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや) (大意)ああ、何と変わった人よ、好みも行いも常識を超えていた。どうして死に様まで非常だったのか
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■ 「江戸戯作」(神保五彌・杉浦日向子、新潮古典文学アルバム)
「贅の文学」(杉浦日向子):序にあたるここで源内のこと
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江戸戯作の嚆矢と目される-作者、平賀源内は、人の一生を、「寐れば起(おき)、おきれば寐、喰ふて糞(はこ)して快美(きおやり)て、死ぬるまで活きる命」(「痿陰隠逸伝(なえまらいんいつでん))」と、情け容赦、アラレもなく、バッサリ一刀の下に、切り捨てています。
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2015年5月18日月曜日

「石の中に潜んでいる竜」

鉱物には、相容れぬものが恰も共存しているように見えることがある。水晶(SiO2)の、透明で美しい六角柱の中に、例えば細い針状の植物が見える。実は、苦土電気石の針状結晶が抱有されたもので、「ススキ入り水晶」と呼ばれる。草状以外に、水が入っている場合もある。

透明柱状の先に、尖った錐状の頭を持った、満足できる水晶を採ったことがない。まして、「ススキ入り水晶」のような珍しいものは、標本でしか接したことがないけれど・・・。

メノウ(瑪瑙、主成分SiO2)の塊りに水が入っているもの(「水入りメノウ」)がある。こちらは、なぜか市中に出回っている。商品性があるのだろう。振ると、削り込んだ奥で水が揺れているのが見えたりする。その中で、魚が泳いでいないかと空想したくなる。

江戸時代、奇談を収集したものに「耳嚢」(根岸鎮衛著)がある。その一つに、石集めの奇人の代表である、木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」にまつわる話が収められている。長谷川政春訳の「耳袋」(教育社)で読んでみる。

(本ブログ関連:”石亭”、”石”)

(概要)
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あるとき、行脚の僧が石亭の家に泊まった。石亭が愛石を見ていると、僧が「珍しい石を持っていて、荷物に入れております」と答えた。

石亭の頼みに、僧はその石を見せた。色は黒く、こぶしのような形であって、くぼんでいるところに水気があった。石亭は、自分の石と交換を申し出た。僧は、欲を持つ身でないので譲った。

そして、この石を机の上に置き、硯の上にのせてみると、清浄な水が硯の中にみちて、その有様は、言い尽くしがたいものであった。

この石を大切にしていると、ある老人がつくづくと眺めて、「このように水気を生ずる石には、きっと竜がひそんでいるはず」、遠くへ捨てるようにと言った。しかし、石亭はかまわずいた。

ところがある時、空も曇ってどんよりしている時に、この石の中から気を吐く様子があった。驚いた石亭は、老人の言葉を思い出し、村人に捨てるよう頼んだところ、老人は焼き捨てるべきとまで言ったが、人里離れたお堂に納め置いた。

その夜更けに風雨も強く、雷鳴もはなはだしくなり、その堂の中から雲が立ち起こり、雨の激しく降る中を昇天するものがあった。後になって、このお堂に行ってみると、あの石は二つに砕け、堂の有様は、まったく竜が天にのぼったかのようであった。

そのため、村では奇妙なこともあるらしいと話しをした。そして、その折に、あの石を焼いてしまうべきといった者の家は、恐ろしいことに、こなごなに壊されていたと、ある人が語った。
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(参考)
「忍石(しのぶいし)」も、装飾的意味合いでよく見かける。まるで植物の葉の並びを石灰表面に描いたようだ。

2026年4月15日水曜日

石芝(せきし)

不老長寿、あるいは不老不死の食べ物・薬のなかで、仙人が食したという仙薬に「霊芝」がある・・・なんだか深夜のテレビ通販番組に出てきそうな漢方薬が浮かんでくるが。仙人ともども気になる名だ。

(本ブログ関連:”不老”、”仙人”)

仙人は病気をしない・・・というのも、風邪や腰痛で寝込んだり(女性の脛(はぎ)に目がくらんで落っこちることはあっても)するのを聞いたことがない・・・もしかしたら、あるかもしらないが。彼らはいただきを飛ぶエネルギーを持っている。それがうらやましい。

仙人の世界ではないが、アマチュアの鉱物趣味世界の頂上にいらした、関東の棲井欽一(さくらい きんいち:大正元年(1912年)~ 平成5年(1993年))氏、関西の益富寿之助(ますとみ かずのすけ:明治34年(1901年)~ 平成5年(1993年))氏を知らぬ者はいない。
さらに時代をさかのぼれば、江戸の本草学(奇石収集)の木内石亭(きうち せきてい:享保9年(1724年)~ 文化8年(1811年))が挙げられるだろう・・・ 鉱山関連で、平賀源内が出てきそうだが。

江戸中期、近江の木内石亭が記した「雲根志(うんこんし)」*に、不老長寿の「石芝」が収録されているという。どのようなものか、Googleの生成AI Gemini に問うてみた。
(*)雲根 = 石を指すとのこと。石の奇談に、雲がわく石の話がある・・・。

どうやら、伝説としての仙薬であり、実際には地衣類の「イワタケ」のようだ。キクラゲみたいなものを想像したが、もっと乾いて岩肌に張り付いている。「味はないが『キクラゲ』や『ワカメ』に似た弾力のある歯ごたえが特徴」とのこと。

■ Gemini

Q.木内石亭が記した「雲根志」に収録されている「石芝」は、植物との関係があると聞いていますがどのような内容ですか?
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A.「雲根志」に収録されている ≪「石芝(せきし)」が植物と関係があるという情報は、主に中国の古い書物に見られる仙人の食物としての「芝」≫ という概念に由来していると考えられます。

「石芝」と植物の関係について
「石芝」は、≪鉱物や化石、あるいは菌類(きのこ類)≫ を指す言葉として使われることがあり、その植物との関係は、以下の点に見られます。

1.仙草・霊芝としての概念
中国の道教や本草学における「芝」(霊芝)は、不老長寿の仙薬とされる架空の植物または縁起の良いキノコの総称です。この「芝」には、「石芝」「木芝」「肉芝」「菌芝」など、さまざまな種類があるとされ、「石芝」もその一種として古くから記載されてきました。

中国の古典における「石芝」の記述:
古代の神仙思想を記した書物などでは、「石芝」は石の姿をして海辺や石山に生じるとされています。これは、岩肌に張り付く地衣類(イワタケなど)や、特定の菌類(マンネンダケなど)、あるいは珍しい鉱物や化石が、仙人の食べ物である「芝」の一種として見なされたためと考えられます。

2.現実の生物としての「石芝」
「石芝」という語は、現代の生物学名や和名では主に以下のものを指します。
・地衣類(イワタケ:学名  Umbilicaria esculenta)は、岩の上に生育する地衣類(藻類と菌類の共生体)で、食用とされます。これも「石芝」と呼ばれることがあります。
・サンゴ(クサビライシ:草片石)は、石のような形をしたサンゴ(腔腸動物)の一種です。これも「石芝」の異名として知られています。
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2015年8月28日金曜日

「玉石の事」

先日、教育社版の「耳袋」(根岸鎮衛著、長谷川政春訳)に掲載の木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」について記したが、岩波文庫版「耳嚢」(長谷川強 校注)に「玉石の事」として類話が載っている。

(本ブログ関連:”石の中に潜んでいる竜”、”石”)

愛石家の木内石亭は、石に対して在るままに振舞ったが、今回の話しの主人公(商人)はせっかくの奇石を欲に走らせて台無しにする。ある意味、教訓的な展開であるが、唐人は、それにしてもどうしてその価値が分かったのだろう。彼らの石に対する偏愛は大したものだ。

石の中に、竜がいたり、魚がいたりする空想は、世界が入れ子になったような感覚がしてたまらない。この話で、もし唐人の指示通り石が磨かれたならば、その結果、玉を愛するのだろうか、それとも玉中の水に泳ぐ魚を愛するのだろうか。空想は膨らむ。

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いつの頃にやありけん、長崎の町家の石ずへ(礎)になしたる石あり。不断水気潤ひだしを唐人見て、「右石を貰ひたき」よし申しければ、「子細ある石ならん」と其主人是をおしみ、右石ずへを取替て取入れて見しに、とこしなへにうるをひ水の出るにぞ、「是は果たして石中に玉こそ有りなん」と色々評議して、ふちより連々に(引続いて)研とりけるに、誤って打割ぬ。其石中より水流れ出て小魚出たるが、忽ちに死しければ取捨て済しぬ。其事、跡にて彼唐人聞て涙を流して是をおしみける故委敷(くわしく)尋ければ、「右は玉中に蟄せし(隠れひそむ)ものありて、右玉の損ぜざるやうに静に磨あげぬれば千金の器物也。おしむべしおしむべし」といひしとや。世に蟄竜などいへる類ひもかかるものなるべしと、彼地へ至りしもの語りぬ。
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2015年8月31日月曜日

導かれるように石とめぐり合うこと

今日で、多分、子どもたちの夏休みは終わりだろう。長くて、短かった思い出いっぱいの夏だったに違いない。明日から新学期、久し振りに友だちに会う楽しさもある。へいちゃらに時間がやってくる彼らがうらやましい。

私には、暑くてどうしょうもない夏だった・・・おまけに、今年の2/3が終わってしまったのだ。何もしないまま、何もできずに、今年も記憶より早く夏が通り過ぎた。こちらはあっけない。

導かれるように時を過ごしたい。更にいえば、導かれるように石と巡り会いたいものだ。少しも上達しない石集めは、幸運の導きを願うだけ。時間は待ってくれないのだから。

そういえば、江戸時代の終わり近く、琵琶湖畔に居をかまえた木内石亭も、しっかり全国に石を探した。彼ほどになれば各地の石好き(弄石家)から産地情報も得たろう。そんな彼でも、「近江の田上山で道に迷って、思はぬ谷底へはひり込んで、そこで図らずも大きな水晶を拾ったことなどを記して、『これらは石が自分を導いてくれたのであらう』などとしてゐます」と、森銑三は「石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭」で語っている。(「日本の名随筆88 『石』」より・・・「おらんだ正月」所収)

この話し、石集めに長じた人だからこそ導かれるように石にめぐり合うことができたのだろう。そうでなくても、例えば団体で採集に出かけたとき、採集場所に至る山道でとんでもない石を拾ったりする人がいる。実にうらやましい限りだ。私は、一度も導かれたことはないけれど、分けてもらうのはしょっちゅうだ。

2013年11月28日木曜日

石が逃げる

本当は、石が逃げれば良いのだが。美しい結晶を内蔵した岩石が、人の気配を察して地中深くに退避したら石泥棒のような事件もなかったろうに・・・それはさておき。

俳人といっても、「古句を観る」の著者としてしか存じぬが、柴田宵曲(しばたしょうきょく、1897年9月2日~1966年8月23日)の短文「動く石」に下総国葛飾郡立石村の石掘りの話しがある。畑中にある石を掘り返そうとしたが根が深くなかなか取り出せない。翌日行ってみると、石はまた深く潜り込んでいたというのだ。

江戸時代、近江国の木内石亭(きうちせきてい、1725年1月14日~1808年4月6日)の「雲根志」*にも触れられていて、「石の根を見んとして掘ったところ、言い伝えるごとく黄色の木の根の形をした石が土中にはびこっていた。その時、忽(たちま)ち石が振動、手伝った者どもは前後不覚の体となり、大いに病んだという。その後、この石の根を穿(うが)ちほじる事を固く戒めたという。」との記載がある。

(*) 「雲根志」:九州大学総合研究博物館 DIGITAL ARCHIVE

この石、現在の東京都葛飾区立石にある「立石様」の由来のようだ。インターネットに、さまざまな記載を見ることができるので、それらを元に一度現地を訪ねてみたい。

ネットの情報から、石が地中に逃げるという立石様の周辺には、「南蔵院裏古墳」があることから、石室との関連が推測できる・・・つまり、地中に空洞があってズリ込んだのではないかということだが・・・素人考えなので不思議な話のままでいようか。

2019年11月17日日曜日

雲根志

近隣の駅ビルにある文具店へ蛍光ペンを買い求めに出かけた。先日、同店で購入したSTAEDTLERの蛍光ペン(黄色)はユニークで、一般の水溶性インキの蛍光ペンと違い、インクが固形ゲルでできている。書籍にマーキングしたとき、裏面に滲みることがない。筆圧とか書籍の紙質と関係なく印(しるし)を付けられるため、読み返したとき不都合を感じることはない。そこで他色のペンも揃えたく、橙色、緑色、水色を買い足した。

同駅ビルに大型書店があり、面白い本はないものかとふらりと寄った。好みの<鉱物関連>の書棚を見に行く。アマチュア向けの美しいし紹介本がつぎつぎと出版されている。素晴らしいことで、多分近隣国では見られない状況だろう。
ただ、どの本も息長く続くかというと、この分野では難しそうだ。先日、アマチュアの鉱物趣味団体の長老が亡くなられたが、その方の著書の<鉱物図鑑>が書店の棚から次第に見かけなくなってきている。(多分どの分野でもそうだろうが、同好者の年齢構成に偏りがある)

(本ブログ関連:”石”)・・・ 検索したページの最下段にある「次の投稿」で続く

文庫本のコーナーで、「江戸奇談怪談集」(須永朝彦 編著、ちくま学芸文庫)を見つけて求めた。本来奇談集は、短い話を取り留めなく集めたものが多い。それらの書の中から、編者の好みで集めたアンソロジーといったところだ。江戸の奇談として代表的な「耳嚢(耳袋)」から、石の話の「雲根志」(木内石亭)まである。(怪談は苦手なので後回し)

「雲根志」については、その中から二十話ほど採録されている。博物学の源流という評価と違い、あくまでも奇談に徹している。特に私の興味から、石の中に<世界>を見るような、一種マトリョーシカの入れ子構造的な面白さに関心がある。
石の中から水が流れ出るとか、虫が這い出るとか、しまいには少女のような姿が見えるといった、古人の好奇心や想像力には尽きることがない。

(本ブログ関連:”雲根志”)

ところで同店には、ネットで売れ行きランキング上位にある本が置いてなかった(店頭の電子検索でも在庫なしという)。人気が凄くて売り切れなのか、あるいは別の要因からか知らないが、書店ビジネスを考えると信じられないことだ。