本当は、石が逃げれば良いのだが。美しい結晶を内蔵した岩石が、人の気配を察して地中深くに退避したら石泥棒のような事件もなかったろうに・・・それはさておき。
俳人といっても、「古句を観る」の著者としてしか存じぬが、柴田宵曲(しばたしょうきょく、1897年9月2日~1966年8月23日)の短文「動く石」に下総国葛飾郡立石村の石掘りの話しがある。畑中にある石を掘り返そうとしたが根が深くなかなか取り出せない。翌日行ってみると、石はまた深く潜り込んでいたというのだ。
江戸時代、近江国の木内石亭(きうちせきてい、1725年1月14日~1808年4月6日)の「雲根志」*にも触れられていて、「石の根を見んとして掘ったところ、言い伝えるごとく黄色の木の根の形をした石が土中にはびこっていた。その時、忽(たちま)ち石が振動、手伝った者どもは前後不覚の体となり、大いに病んだという。その後、この石の根を穿(うが)ちほじる事を固く戒めたという。」との記載がある。
(*) 「雲根志」:九州大学総合研究博物館 DIGITAL ARCHIVE
この石、現在の東京都葛飾区立石にある「立石様」の由来のようだ。インターネットに、さまざまな記載を見ることができるので、それらを元に一度現地を訪ねてみたい。
ネットの情報から、石が地中に逃げるという立石様の周辺には、「南蔵院裏古墳」があることから、石室との関連が推測できる・・・つまり、地中に空洞があってズリ込んだのではないかということだが・・・素人考えなので不思議な話のままでいようか。