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2013年11月27日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風流

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第32回として、「風流(풍류)」について紹介した。

まず、統一新羅時代(676年~935年)末の文人崔致遠(최치원、858年~?)による、「風流」の紹介から次のように始まった。
・崔致遠は、まだ12歳の頃に一人、唐に留学して勉学に励み、(874年)18歳で外国人のための科挙試験に合格した。その後、「黄巣(こうそう)の乱」の討伐軍軍師として従軍する。その折、黄巣が掌握した地域に、非難の文書を書いて撒いた。その文書の素晴らしさに、黄巣が驚いたという逸話がある。黄巣の乱を治めたのは、刀の力でなく、崔致遠の文章力だったといわれるほど、彼の文書の影響が強く認識された。
・後に、新羅に帰国した崔致遠は、有名な人物の碑文など多く書き残した。「鸞郞碑序」に、花郎(화랑)に関する一節、「國有玄妙之道曰風流~」(国には玄妙な道理があり、これを風流という~」がある。(同文は、高麗時代の「三国史記」(作成:1143年~1145年)に記載されている)

▼ 「霊山会相(영산회상)」の中から「細霊山(세령산)」を聴く。そこかしこに、アリランの風味がしてくる風流音楽。

次に、「花郎」の教えでもあったといわれる、「風流」と音楽について次のように解説された。
・花郎は、新羅の貴族子息の教育機関、或いはそこで教育を受けた人たちを指す。 「鸞郞碑序文」にある風流は、花郎の道(教え)のひとつと言われる。花郎は、「国仙」と言いい、言葉の通り、仙人のように景色のよい場所を訪ねては修練に励み、そこで、歌や音楽を楽しんだとも言われる。風流という言葉が今日、粋に遊ぶこと、麗しい情緒、俗なことを避け、高尚な遊戯にふけることといった、意味を持つようになった理由も、こうした過程から来たといわれる。
・朝鮮時代となると、ソンビ(博識な学者)たちが「舎廊房(사랑방)」に集い、音楽を聴いたり、絵を描いたり、詩をしたため、互いに意見を言い合った。こうした空間を「風流房(풍류방)」と呼び、そこで演奏しあった音楽を「風流音楽」と呼ぶ。酒のたしなみもその一つのよう。

▼ 酒を勧める「歌辞 勧酒歌(가사 권주가)」を聴く。酒杯ゆらり時に任せ、香りと味を楽しみたくなる・・・このまま酔いどれて。

最後に、風流音楽の種類とその意義を次のように説明された。
・風流音楽を、単に「風流」と呼ぶこともある。(朝鮮時代後期の)曲目「霊山会相」や、「ドドゥリ(도드리)」といった音楽は、弦楽器を中心に構成される演奏曲で、弦を表す「ジュル(줄)」をつけて「ジュル風流」という。また管楽器がメインとなる構成の場合は、その演奏を「テ風流」と呼ぶ。「テ」とは、管楽器の原材料の竹(テナム、대나무)の「テ」にちなむ。
・風流音楽は、楽器の構成を単純化し、ゆったりとした、観照的なメロディーを持つという特徴がある。淡々としていているが、心身の緊張を解きほぐし、自分自身に没頭する瞬間を作る。

▼ 「新水龍吟(신수룡음)」、「副題、還生(환생)」を聴く。基調に硬く・・・今様である。