▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2017年5月5日金曜日

「走れ、走って逃げろ」

イ・ソンヒが主題歌を歌ったTVアニメ「走れハニー(달려라 하니)」(1985年~1987年放送)は、幼い頃に母を病気で亡くした少女ハニーが、しかもその後、父親が女性タレントに心移りするといった辛い境遇にありながら、中学の陸上選手として成長するスポーツドラマだ。

(本ブログ関連:”走れハニー”)

体育教師との強い絆に見守れたハニーは、目標と心の支えを得たればこそ、自分を見つめ陸上選手として活躍することができたのだろう。ソウルオリンピックの前年まで放送されたという。

似た題名だが、児童書に「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)がある。体験に基づくもので、時代は遡り、第二次大戦中のポーランド国内の農村や森に逃げて生き延びたユダヤ少年の幸運な出会いを語っている。このGWに読んでみたらと、教室で先生から紹介されたものだ。

死者は語ることができないといった話を先生はされたと思う。主人公(スルリック、逃亡中「ユレク」と名乗る)は、8歳から12歳ころまでの間に生死を分けた、そして偶然といっていい出会いに救われる。幸いにも過去を語る側に立てたのだ。街角や森の奥に隠れ住むユダヤの少年たち、牛飼いのため雇ってくれたポーランドの農民家族、逃亡を見て見ぬ振りをしたドイツ兵、・・・、一個人で相対したとき、素の人間があらわれ、善人もいれば、恐怖の人間もいた。

私が子どもの時代でも、まだ戦後の余韻が残っていて、テレビは今では考えられないほど太平洋戦争の記録映画を放映したし、漫画雑誌に少年の戦闘機パイロット物語が連載された。だから、戦争経験者の体験記も文芸春秋の特集号として掲載された。子どもながらに読んだ印象は、銃弾の銃創の激痛であり、ひもじさであり、果てのない逃走の記録だった。生き残った人々の言葉は、直接的で、肉体的なものだった。彼らの言葉には、その後語られるような分析(俯瞰)はなかった。

「走れ、走って逃げろ」もそうだ。過去も明日もない、今日をどうやって生き抜くか、それが精一杯なのだから。もし、少年の回想に、死を身近にする場面があるとすれば、逃走の途中、偶然再会した瀕死の父の言葉かもしれない。生きるためにすべきこと、そして忘れてはならないことを、父親は早く逃げるようさとしながら語った。

結果、少年は生き抜いた。体験者(主人公)の話をもとに著された「走れ、走って逃げろ」は、似た経験を持つとはいえ、作家(著者)の手になるものだ。もし本人が体験記として書いたらどうなったか気になるところだ。

(本ブログ関連:”ひまわり ”、”シェルブールの雨傘”、”君の名は”)

(5/6追記)
今日(5/5)は、祝日「こどもの日」であり、春分と夏至の中間で夏の始まりを示す「立夏」だ。実際は、明日・明後日の土日の休日が残っており、GWがまだ続く。

2017年5月4日木曜日

みどりの日 2017

今日(5/4)は祝日「みどりの日」。「憲法記念日」(5/3)、「こどもの日」(5/5)と共にゴールデンウィークの連休を構成する。「みどりの日」は、本来あった4月29日が「昭和の日」となり、かわって5月初旬の休みに組み込まれたようだ。

(本ブログ関連:”みどりの日”)

近頃は、土日・祝日などが充実し、働き過ぎといわれた<猛烈サラリーマン時代>と比べて休日が多い。とはいえ、みなが同じ歩調をとる時代と違い、他方で長時間労働の問題もあったりするわけで、誰もがみな休んでいるわけではない。

昔、緑化運動の一環として、<緑の羽根>をつけたりしたが、「みどりの日」と<緑の羽根>を直接結びつける言葉がネット上で見つからない。緑の羽根は、「みどりの月間」(4/15~5/14)と重なるが、「みどりの日」と直接つながっていないようだ。つまり「みどりの日」は、緑化運動に限定したものでなく、<自然に親しむ日>ということになるようだ。

疲れ目を癒すため、公園を眼鏡なしで散歩したりすると、若葉の濃淡が混ざり合って、辺り一面が複雑な緑陰となり心地よい春を味わえる。このところ、連日、そんな遊びをしている。

2017年5月3日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ノレカラク

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/26)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、京畿民謡「ノレカラク노랫가락)」他、京畿地方に関連した曲を紹介した。

始めに、元々巫女が歌った京畿民謡「ノレカラク」について次のように紹介された。
・国土に比べて山や渓谷が多く、他村への移動は容易でなかった。村ごとに独特な話し方と風習があり、民謡も地域差があった。半島南部の全羅道を中心に伝わる「南道民謡」は、太めの声で深い響きがあり、一方、北部に伝わる「西道民謡」は、鼻声が特徴。ソウル付近の京畿地方に「京畿民謡」があり、中央と人と物が往来しただけに、歌も明るい。
・京畿民謡「ノレカラク」は、歌の意で、「ノレ」は歌、「カラク」はメロディーを指す。ノレもカラクも同じかと思われるが、昔、階層によって呼び方が違った。支配階層が歌うのは「歌(ノレ、노래)」、民が歌うのは、「雑歌」から、「音(ソリ、소리)」、「カラク」などと呼ばれた。「ノレカラク」は、支配階層の楽しんだ歌詞を民が歌う意がある。元々、巫女が祭祀を捧げるときに歌ったものが民間に広まったものだ。

▼ <伴奏を聴くだけでも親しみが感じられる>という京畿民謡「歌調べ」を聴く。どこか大衆歌謡風で聞きやすい。

次に、京畿民謡の「京畿雑歌」の「フィモリ雑歌(휘모리잡가)」について次ように紹介された。
・京畿民謡は、誰もが簡単に歌えるものや、専門の歌い手でないと歌えないものがあった。そんなジャンルを「京畿雑歌」といい、長い歌をおとなしく座って歌ったり、立ちっぱなしで太鼓を叩きながら踊り歌ったりした。ユーモアのある歌詞を速いテンポで歌う、「フィモリ雑歌」という歌い方に、「蛙打令(맹꽁이타령)」がある。

▼ フィモリ雑歌で<強情な人を蛙に例えた>「蛙打令」で<都会人を蛙に例えた>ものを聴く。次々止まらない・・・

最後に、シャーマニズムの儀式「クッ(굿)」の「テカムノリ(대감놀이)」について次のように紹介された。
・シャーマニズムの儀式「クッ」は、巫女が供物を揃えて歌い踊る。かつて迷信といわれたが、最近、伝統的文化と捉えるようになった。神を最良にもてなす意で、巫女は着飾り優れた歌と踊りを披露する。儀式は、芸術的レベルと見られ、民間音楽にも影響を与えた。財運など縁起の良いと言われる「テカムノリ」がある。「テカム」は巫女が神を呼ぶときの呼び方で、「テカムノリ」は神を祀(まつ)る儀式を指す。

▼ <巫女が敷地神を祀り踊る(楽しく遊ぶ)厄払い>「テカムノリ」を聴く。掛け合いはないが次の映像も楽しい。

(ステージより民間での儀式を見る方が雰囲気が伝わる)

(Youtubeに登録の천승요に感謝)


(追記)
公園の帰り道、滅多に通ったことのない裏道の並木道で、急に目の前に何かが落ちてきた。怪しい気分になり、上着を脱いで見たところなんと、(ネットによれば)「返り襟」という、首からつながった襟の胸のあたりに、鳥のフンが白く! ・・・ 郷土館に駆け込んで水洗いしたが。シャーマニズムでは、鳥は魂を運ぶというが。記憶にある限り、人生で2度目のこと。

2017年5月2日火曜日

イ・ソンヒのLAコンサート

今月20日に予定されているイ・ソンヒの米LA単独公演について、コリアデイリー(LA中央日報)の記事「国民の歌姫イ・ソンヒ、R&Bの妖精パク・ジョンヒョンのLA単独コンサート 」(4/24、キム・ユンス記者)は、次のように報じている。(同記事は、別スケジュールだが、パク・ジョンヒョン(リナ・パーク)のLA単独コンサートについても触れているが、イ・ソンヒ部分について記す)

(本ブログ関連:”LAコンサート”、”ザ・グレートコンサート(The Great Concert)”)

----------------------------------------------------------
・今まさにカリフォルニアの春、5月に似合う二人の女性歌手の特別なコンサートが開かれる。まず、5月20日、国民の歌姫のイ・ソンヒの「ザ・グレート」*コンサートが、LA近郊に位置するパームスプリングスの「ファンタジー スプリングス カジノ リゾート」で開催される。

(*「ザ・グレート」: 昨年9月から今年4月初に開催された彼女の(韓国)国内ツアーのタイトル)

・デビューから30年も経ってしまった歳月も、心に響く繊細ながら切ない彼女の声は、ほのかな香りとなってLA在住韓国系の人々をしっとりと包むつもりである。少女でデビューし、国民の歌姫のタイトルの主人公となったイ・ソンヒの歌の実力は、昔も今も清らかで澄んだパワフルなボーカルが圧倒的である。聴衆をつかんだ爆発的な歌唱力は、あえて誰も侵犯できない、彼女だけの固有のトレードマークだ。

・甘美なバラードから軽快で活き活きした音楽まで、その上クラシカルな彼女の音楽性は、大韓民国のどんな歌謡ジャンルも思いのままできる最高の至尊(=王)女性歌手として遜色がない。その上、ドラマと映画の主題曲にももれなく、彼女の伝説は刻まれている。2015年に発表したイ・ソンヒの「因縁(인연)」は、1千万人の観客を動員した「王の男(왕의 남자)」に挿入され、国民的愛を受けた。

・彼女は、直接作詞、作曲し、歌を歌って最高の歌手境地である「シンソンラ(シンガーソングライター)」の面目を見せてくれたりした。のみならず、先日、泰然として水木ドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」のOST「風花(바람꽃)」を歌い、各種音源チャートの上位圏をさらった。最近では、歌謡競演(コンテスト)芸能番組に出演、一般人と共に歌い、最高のタイトルを獲得する光栄を抱いたりもした。昨年。全国ツアーを終えたイ・ソンヒは、デビュー32周年を迎え、ワールドツアーの途上に上がる、その最初の舞台が、まさにここ天使の街ロサンゼルスだ。「ザ・グレートコンサート イ・ソンヒ」は、すでに国内で4千席の「世宗文化会館」の完売を記録した名品コンサートとして有名である。国民の歌姫の情熱と細心ながらもダイナミックな歌唱力とレパートリー、そして記憶に残る舞台演出は、LAの歌謡ファンたちの胸に末永く残るだろう。

・イ・ソンヒの「2017 ザ・グレート イソンヒ LA公演」は、来る5月20日午後7時LA近郊パームスプリングスのファンタジースプリングスカジノ リゾートで開かれる。コリアデイリードットコムの ”핫딜(Hot deal)”は、60ドルA席から200ドルVIP席チケットを販売する。
----------------------------------------------------------

(5/3追記)
今日(5/2)、「調布飛行場」をぐるり巡る。NCA(新中央航空)保有のドルニエ機(Do228/Do228NG:全6機)の内、なんと5基が整備中のためか駐機しており、やがてもう一機が北の空から着陸するのが見えた。飛行場フェンスに我らおじさんたちがぶらさがるように張り付いていた。

2017年5月1日月曜日

ブリューゲルの「バベルの塔」

今年の主要絵画展の一つに、P.ブリューゲルのものがある。彼の作品「バベルの塔」を展示会タイトルにしている。

ブリューゲルとの出会いは、ボッシュにつづく怪奇な絵柄に、いかにも中学生らしい好奇心から関心を持ったのが最初だ。印象派絵画がポピュラーだった時代、表に登場して大きく捉えられたりはしなかったが、彼の題材に農民の生活を描いたものがあって、「農民画家」と呼ばれたりした。いってみれば、ミレーの「落穂ひろい」に、知的な戦前・戦後世代が勝手に共感した想いに似たものだった。それに比べれば、私の興味は漫画的だったかもしれない。

(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)

ところで、ブリューゲルと彼の作品「バベルの塔」との間に、私にとっていまだに距離感がある。「バベルの塔」は、因習と諧謔の世界から、アルプス越えを機会に世界を広げた、宗教的な題材探しの時代のものだろう。ひとまわりして帰着した、その後の作品が農民の風景だったが、もちろん、それを(村を賞賛し、村に還った)人文主義的な共感として描いたとは思えない。人生に対する十分な皮肉と、十分な達観が混じっていた。

「バベルの塔」の絵画理解に建築学的に整合性があるといわれると、ブリューゲルは一体どこへ行ってしまったのかと戸惑うばかり。(北方ルネッサンス特有の空間恐怖的な)細部への執拗なこだわりに、正直、魅かれたことはない。どうして、あんな絵を描いてしまったのかという分析があるのなら、一度は聞いてもいいかなと思う次第*。

(*)Youtube: 山田五郎 オトナの教養講座
① 「【バベルの塔とは?】本当にあったの?神様が怒って壊した?なぜ?高くしすぎたから?ノアの方舟とも関係?そもそもどこに建っていた塔なの?」(2023.9.15)
https://www.youtube.com/watch?v=7APlp7wu_lw
- 当時のアントワルペンの画家たちが、こぞって同じテーマで描いた時代背景まで解説
② 「【超細密な大傑作!】虫メガネ必須級!?「バベルの塔」を細かく見ると掘削隊や鳶職人など建築関係者、なんと洗濯物まで描かれている??さらに遠くの街にも人が!?【バベルの塔・大バベル小バベル】」(2023.9.20)
- https://www.youtube.com/watch?v=p63ARp1Yae0&t=23s
③ 「付録付きテロップ改訂版【完全版!バベルの塔論考】山田五郎オトナの教養講座公認切り抜き【ピーテル・ブリューゲル1世/バベルの塔総集編】」(2024.2.26)
- https://www.youtube.com/watch?v=C3BaIwJWuHs


いまどきの、ブリューゲルへの関心が、主要絵画を見漁った結果、二番手、三番手の希少さを逆に誇るような風潮に遇したものでないことを祈るばかりだ。

2017年4月30日日曜日

今年も1/3食ってしまった

あっけない4ヶ月。歳をとると一年が早い。時間が年々軽くなる。何ごとも、身になる感覚が乏しいからかもしれない。

いつもながら、一年をリンゴの実にたとえて、1/3の大きさを実感する。そんなリンゴを今まで何個食ってきたことやら。

ゴールデンウィークということで、この一週間は教室が休講となった。この機会、体を診てもらえば心配ごとが増える。

リンゴを正直に縦割りして食えば、時の速さが目に付くばかり。ならば芋虫のごとく潜り込んでウネウネ食いたいもの。

そうすれば、いつまでもリンゴの中を這い回り、少なくとも一年を気にせずに過ごせるのではないかと妄想してしまう。

2017年4月29日土曜日

散歩のついでに「冷たいたぬき蕎麦」

薄曇りの空、近所の公園に出かける。いつもと違った道筋で、小さな蕎麦屋が公園前にあるのを見つけた。蕎麦屋然とした小洒落た店構えではない。蕎麦通でもないので、ままよと入り口のガラス戸を開けた。客は誰もおらず、主人と奥さんが客席でテレビの競馬中継に見入っていた。

入り口に目立つように手書きした品書きがあって、その中から「冷たいたぬき蕎麦」を頼む。なんともゆるい店内、蕎麦が出てくるまでの間、少々不安になる。いってみれば、完全に地元客専用の蕎麦屋といった風情で、慣れたもの同士だから許されるような雑然さなのだ。

冷たいたぬき蕎麦は、今までに見たこともない不思議なものだった。蕎麦に天かす(揚げ玉)と少しの添え物といったシンプルなものではない。さらに、「もやし」*をたっぶりかぶせ、その上に「きざみ海苔」を散らしていた。蕎麦もボリュームたっぷり。そして、あまり冷たくない。

(*もやし: ネットに「もやし」入りの「冷やしたぬき蕎麦」の情報があったが・・・)

脱力感あふれたまま公園に入る。今日は、何度か参加したことのある「ウオーキングフェスタ」の開催日で、ひとびとで賑わっていた。公園広場にはテントがいくつも並び、スポーツ関連企業も出店しているようだ。その中に、もしかしたらウオーキング用の靴があるかもしれないと思って見に行こうとしたが、体を養生する方が先と気付く。気持ちだけは元気のまま・・・。


(4/30 追記)
今日(4/29)は祝日「昭和の日」だった。2006年まで「みどりの日」だった記憶の方が、私たち世代にとって強いかもしれない。「昭和」の後をついだ今上天皇は2年後に譲位(退位)され、「平成」の元号も過ぎていくことになる。

2017年4月28日金曜日

イ・ソンヒの「一人になった愛」

イ・ソンヒは、デビューアルバム第1集を、澄んでいながらも圧倒的な高音で歌いあげた。それでもヒットの烽火をあげるため、韓国歌謡の唱法を守ったものがあるようだ。売り出したばかりの彼女にとって、選曲・独自性など主張できるはずもないことだったろう。

女性を前面に出さぬ、独特なボーイッシュなイメージが女高生たちに大いに迎え受け入れられたが、まるでそのまま、1990年に来韓した「モントリオール室内楽団」と次のYoutubeのように共演した。そのとき歌った1集所収の「一人になった愛(혼자된 사랑)」(1985年)を、アルバム当時と聞き比べると、本来そうであったかのような錯覚をしてしまうほど変化している。もはや彼女の泳ぎを妨げるのを知らず。

(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)


風が雨を巻きあげて  さらっていった街に
捨てられた傘ひとつ  さびしく泣いていた
*
足もとには夕闇せまって  孤独な夜が深まれば
行く辺のないこの心 静寂(しじま)の中で明かした
しずむ 孤独だけが  切なくて

散らばる葉を集め  火をつけて
去った愛を探して  さびしい心 (Oh~)
そっと寄りそいみれば  それでも 暖かい、暖かい
ひとりいるより

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年4月27日木曜日

始めの4歩 イディッシュ語

4歩進むと、それなりに知恵が付いてくる。イディッシュ語能力が増したというわけではない。ただ、今日の学習部分を予習できるよう、事前にpdfファイルにしていただいたわけ。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

事前に教材に目を通せればしめたもの。オンラインキーボードの「LEXILOGOS」で学習部分を入力し、そのリンク先の①「変換」でローマ字転写(LEXILOGOS版)し、②「Yiddsh辞書」のYiddsh-English翻訳ツール(Google版)を使って内容を吟味できる。そんなわけだが、息切れしそう・・・なにしろ、これがずっと続くのだから。

ところで、一緒に学んでいる(ある言語の研究者修業中の)若者から、次のような興味深い話を教えてもらった
① セム語系の聖典を学ぶ子どもたちがよく体を前後に揺らしているのは、特定の言葉(内容)に沿ってリズムをとっているからだそうだ。(そうか、おじさんが闇雲に体を揺らしてもしょうがないことを知る)
② ヘブライ文字の、例えば単語にある(ו ,ז ,-ן)は(-n, z, u)だが、それを見分けるのは大変だと言ったところ、ポーランド語などでは単語の頭と尻尾で検討をつけるそうだ。イディッシュ語でもそうじゃないかとのこと。(そうか、老眼の問題じゃないと知る)

今日の「イディッシュ語」は、事前の予習ができていたので遅ればせながら付いて行けた。
・先生推奨の入門書レッスン3(אין ניו־יאָרק אױף דער גאַס)を輪読: ニューヨークの移民街、ユダヤ人通り、新聞、そして子どもたちの遊びと学校・・・といった内容。

帰り道、吉祥寺のジュンク堂に寄って、先生に教えていただいた児童書「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)を入手。結末に、イスラエルに行くという独特の文学形式があるという。

2017年4月26日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 茶

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、韓国の茶で仏教文化に関連した緑茶の曲を紹介した。(演奏音源は英語放送を参考)

始めに、韓国の緑茶(녹차)の種類、特に新茶について次のように紹介された。
・明日(4/18)は二十四節気の「穀雨」で、穀物に必要な雨が降るという日だ。この時期から本格的な農作業に入る。この頃、韓国南部で緑茶の新芽が出始める。穀雨以前に採取した茶を「雨前茶(우천차)」、初摘み茶の意の「初もの茶(첫물차)」ともいう。茶は、採取する時期や作り方、入れ方によってさまざまな種類がある。食事と同様、好きな人々と楽しむ茶が一番よい茶だろう。

▼ 박경선の茶の二詩を歌にした「茶香二題(차향이제)」(1998年)のカヤグム演奏部分を聴く。古色に染めて・・・

次に、茶の伝説を持つ、朝鮮後期の「草衣禅師(초의선사)」(1786年~1866年)について次のように紹介された。
・緑茶は、沸騰して少し冷ませた湯に入れる。茶の話題に欠かせぬ人物に、朝鮮後期の「草衣禅師」がいる。「草衣」は号。彼は、茶道を詩で表現した「東茶頌(동다송)」を著した。茶に関する伝説や効果、茶の種類や品質、茶の入れ方など多様な構成だが、茶は一人で飲むのが一番で、二人で飲むのはその次とのこと。

▼ 「東茶頌」の曲(韓国創作音楽研究会の演奏)を聴く。新茶の香りして・・・

最後に、仏教全盛の高麗の歴史書「三国遺事」(1270~80年頃)にある茶の記載について次のように紹介された。
・茶が体に良いのはよく知られていて、最近の研究によると、認知症の予防にも効果があるという。忙しい中でも、毎日茶を一杯ずつ飲む余裕がストレスを減らすという解釈もある。茶は古くから親しまれ、歴史書「三国遺事」に、国のために功を立てた僧侶に、王が茶を捧げたという故事もある。仏教では茶を重視する。詩「茶偈(다게)」は、仏教の儀式で茶を供養するときに歌う。<今捧げるこの清い水が、甘い露のような茶に変わる>という内容の詩だ。また、韓国では今も節句に、多くの家庭で先祖に儀式を捧げる伝統があって、「茶礼(차례)」と呼ぶ。

▼ 「茶偈の歌(다게송)」の曲を聴く。さまざま音色に飾られた・・・今様、

2017年4月25日火曜日

日記帳

ブログを欠かさず続けている。イ・ソンヒさんのコンサートに行ったときは、ソウルのホテルのPCから書いたり、鉱物採集旅行のときは家に戻って穴埋めしたりした。苦労したのは、PCが故障して修理に数日分の空白が生じて、後日、帳じり合わせしたことだ。

いまだにスマホの身分じゃないので、外出先からアクセスして書くことはできない。そんなとき、小さな手帳に要点だけメモることにしている。どうも日本人は昔から手帳に書くことが好きなようだ。

ところで、太平洋戦争中のこと、日本は敵性語として英語を一般に避けていたが、アメリカでは特定の軍人に日本語を集中特訓した。彼らは、戦場で日本兵の手帳(日記)を収集し、解読した。小さな手帳にびっしり書き込まれたであろう、大方くずし字風のものをよく読んだものだと思う。

捕虜収容所では、日記帳をもとに尋問した。そんな中、興味深い話がある。NHKのドキュメントで語られたことだ。将校クラスになると口が堅く、手帳だけでは話が進展しないとき、尋問者は手帳にフランス語で書かれているものを見つけた。そして、おもむろにフランス語で語りかけた。呼応するかのように、将校は親しく話し始めたという。インテリの将校を懐柔するのに、あなたは他の兵隊たちと違うといった風に持ち込んだのだ。これは、多分今でも共通した心性かもしれない。

2017年4月24日月曜日

ハナミズキの花

華麗に咲き誇った桜の花は、惜しまれながら散った。春を知らせてあっさりと去る一瞬のできごと。何ごともなかったように、今は若葉を春の陽に輝かせている。

桜の後を襲うように、ハナミズキが白や薄紅の花を咲かせている。ハナミズキの並木通りはいかがだろうか。でも、桜の余韻が強すぎたせいか、ハナミズキに後釜といった風情がぬぐえないのはどうしてか。原産地のアメリカのイメージがして、桜に続かないのが惜しい。ハナミズキにしても居心地が悪いようだ。

春寒に咲いた桜が、その美しさを満開にした頃の暖さとべて、今晩はやけに寒い。街灯に照らされたハナミズキは夜風に揺れて、どこか分の悪さを感じる。

さっと散ることもできず、いつまでも花を咲き続ける、身の置きどころがないハナミズキに馴染むのに、だいぶ時間がかかりそうだ。

2017年4月23日日曜日

運が良けりゃ

ミュージカル映画「マイフェアレディ(My Fair Lady)」(1964年)の一部を通信の講習に使ったことがある。オードリー・ヘプバーンが演じる勝気な主人公イライザが、ヒギンズ教授に関心を持たれたのは、そのロンドン下町訛りだった。

ヒギンズ教授は、音声の矯正の専門家であって、この映画の中に少しだけだが矯正装置が登場する。その映像をもとに、電話の発明家アレクサンダー・グラハム・ベル(通称アレック)にまで話をつなげる工夫をしてみれば、グラハム・ベルの一族が聾唖の矯正にかかわりがあったことまで面白おかしく膨らませることができる。

通信の説明と関係ないが、このミュージカルに「運が良けりゃ(With A Little Bit Of Luck)」の歌がある。空耳でも日本語タイトルとどんぴしゃり。全く調子がよくて納得する。

「運が良けりゃ」、つくづくそう思うのは、先祖がつなぐ命を守ってくれたこと。運が良かったからこそ。そして、今日生きていて語っている。運が良かった。すべては「神様のおぼしめしでさあ」と聞こえてくる。

ところで、この映画が制作された1964年に、イ・ソンヒが誕生した。実に、運がいいなあ。


(Youtubeに登録のrosen88kavalierに感謝)

2017年4月22日土曜日

(雑談)鉱物採集が上手な人

骨董商がわが子の教育に、優れた作品だけ徹底的に見せるそうだ。いい悪いの比較ではなく、跳びぬけた作品を通して、自然と眼力を養成するのだろう。

初期の月着陸映像がテレビ放送されたとき、地質学者が画面を指差して、あれを!と思わず口にしたという。どこかで聞いた話しだが、専門的に集中した人に見えるべくして見えたのだろう。

こんなことがあった。鉱物採集会の帰り道、その路上に当日最高の鉱物を超ベテランが偶然見つけたという。一方、ぐでぐで歩きながら、帰宅途中の駅にある温かい《うどん屋》しか浮ばぬ者には及びも付かない。もし同じ視界を経験したとして、素通りするのがせいぜい。

一緒に鉱物採集する仲間でもそうだ。年季の入ったベテランは、ほぼ同じ場所で採集しているにもかかわらず、驚くような美しい緑柱石を見つけてしまう。一尺四方の岩を砕いて、結晶を取り出すのだからかなわない。そんなとき謙遜されると、こちらはますます余裕がなくなる。

さて、これは鉱物採集に限ったことでないだろう・・・それを承知すると、凡人には居場所が無くなってしまうことになる。

2017年4月21日金曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒのデビュー曲である「Jへ」を初めて聞いたのは、ミン・へギョンだったか、ケイ・ウンスクだったか、K-POPのずっと以前のこと。当時、(日本で聞く)韓国歌謡にはなぜかアルコールの匂いがしていたとき、異質といっていい自然な旋律、曲調だった。というのも、韓国歌手のカバー曲はオリジナルを尊重し、自分の色を強調することが少なかった(最近まではそうだったと思う)。後に、彼女の透明感あふれる声を聞き、驚きが増したのはいうまでもない。

イ・ソンヒの凄さは、高音、透明な声質だけでなく、選曲があたかも彼女に生まれるべくして生まれたように、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)を聞けば、いかに調和しているか分かる。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

イ・ソンヒ礼賛は、彼女の歌を聞くたび深まり、尽きることはありません。


ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

(* 以下繰り返し)

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・


(Youtubeに登録の김현진に感謝)

2017年4月20日木曜日

始めの3歩 イディッシュ語

3歩踏み出したら思いっきり転げた。「石の上にも3年」、「三つ子の魂、百までも」、何ごとにも重要な出だしの<3>なのに・・・。

転げると本屋で衝動買いする癖があって、今回は御茶ノ水神保町の書泉グランテへ行く。ここは書店員さんの心意気が昔のまま。一方、いろいろな意味で、間口の広いS堂書店のレイアウト変更に驚く。何となく書籍購読者が減少したのが分かる気がする。久し振りの古書店街(本当に何年振りのこと)様子が変わり、あちこち古本屋が飲食店に衣がえしていた。

今日の「イディッシュ語」は、いきなりの単語の渦に全滅する。目が泳ぐ・・・眼球がヘラヘラして、頭の中で小さな花火が次々破裂する。宿題にするしかないと腹をくくる。
・前回紹介されたネット公開教材ソフトの「レベル1-2」(לאָמיר עסן אײַזקרעם)、
   定冠詞(男性・女性・中性)、勧誘 לאָמיר
・先生推奨の入門書レッスン2(דער לערער און די תּלמידים אין קלאַס)を輪読: 世界で話されているイディッシュ語について、教室で先生と生徒の対話・・・といった内容。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

2017年4月19日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 漁父四時詞

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「漁父四時詞(어부사시사)」など関連した曲を紹介した。

始めに、朝鮮中期の文人尹善道(윤선도、1587年~1671年)の隠遁生活と詩作について次のように紹介された。
・農作は農夫、魚釣りは漁師だが、漁師には更に二つの分類がある。生活のための職業と、学者ソンビが隠遁生活に風流として楽しむ場合だ。ソンビは、科挙試験に合格して名を知らしめることを義務としたが、一方で世の中から離れた隠遁生活を理想とも考えた。実際、若い時からの隠遁生活は稀で、歳をとって政界から引退して、または、島流しの場合だ。朝鮮中期の文人尹善道(号は孤山)は、全羅南道南岸の小島、甫吉(보길)島に隠遁し、漁師の四季を定型詩「漁父四時詞」に、季節ごと10編に計40篇であらわした。

▼ <静かで平和な漁村の風景を表現した>尹善道の詩を軽快に編曲した「漁父四時詞」を聴く。<曲中の「チクックチョン(지국총)」は櫓を漕ぐときの音>を指すとのこと。今様である。

次に、中国の故事、戦国時代の屈原の「漁夫之辞」を元にした「漁師辞(어부사)」について次のように紹介された。
・ソンビが漁師の生活などを歌った詩を一般に、「漁師辞」といい、中国の戦国時代の屈原に由来する。反対派に朝廷から追放された屈源は、川辺で漁師と出会う。なぜここで彷徨っているのかと尋ねられた彼は、世がみな濁っている中、一人正しく生きようとして追放されたと応えた。すると、漁師は笑って、清い人は物事にこだわらず、世間と共に移り変わるものといい、川の流れに合わせて生きると歌った。これを記録したのが、屈原の「漁夫之辞(漁父辞)」だ。その後、多くのソンビがこの詩を書いて歌った。

▼ 本来<(リード木管の)笛ピリのシンプルな伴奏で歌う>「漁師辞」を聴く。ピアノも加わって、今様に。

最後に、漁師辞に登場する白髪の老人の生き方を次のように紹介された。
・漁師辞には、川辺に暮らす白髪の老人りが出てくる。山で生活するより水の近くで生活する方が良いという。川辺の楽しい生活を表した曲である。

▼ <国楽とヒップホップを組み合わせた>「漁師辞」を聴く。何でもありの編曲で、今様に・・・う~ん。

2017年4月18日火曜日

忘れた言葉を話すこと

不思議な話しに、全く経験のないはずの外国語を、催眠状態で話せる人がいるという。正直なところ、どんなに学術的な体裁で報告されたとしても、にわかに信じがたいし、都市伝説にうっちゃった方が健全な気もするが・・・。

むしろ、事故で脳障害を起した患者が、言語能力に目覚め堪能になるといった話しの方が納得できる気がする。小さい頃、遊んで頭をぶつけた時、直ぐに足し算や引き算の暗算をして、頭がおかしくなってないか確認した・・・そう考えること自体、重症でない証拠だが。頭の怪我で語学の才能に目覚めるという、そんな幸運に巡り合っていたならなあとつくづく思うが、危ない賭けで・・・。

ずっと根拠ある事例に、言葉の呼び戻しという、そんな場面に遭遇した話しがある。「現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動」(鴨志田聡子著)に、イスラエルのイディッシュ語の集いに参加した高齢者が、幼少期にわずかに経験した忘れたはずのイディッシュ語を突然理解できるようになるという。その補注(p.150 #80)に、次のような紹介がある。
---------------------------------------------------------
彼らはイディッシュ語を幼少期に家庭で聞いて育ち、それ以降は聞く機会があまりなく、自分でも話すことはおろか、聞いても理解できないと思い込んでいるような人たちである。こういった人が何かのきっかけでイディッシュ語を聞いてみると、彼ら自身ですら驚くほど理解できる。筆者は初級のクラスで一緒に語学を学んだ高齢者が、読み書きや話すのは難しいのに、聞いたイデッシュ語はすべて理解し英語(彼女の第一言語)に同時通訳していたのを見たことがある。
---------------------------------------------------------

幼少期の経験、特に言葉は、使えばますます磨かれるが、使わなくてもいずれ出番を待っている。人間ってすごいな、素晴らしいなと感動してしまう。同書には、イスラエルで使用頻度の少なくなったイディッシュ語を家庭内で使っている家族があり、その理由を新聞に語る親の言葉を紹介している。
---------------------------------------------------------
なぜ私たちは子どもをイディッシュ語で育てているのでしょうか。・・・ イデッシュ語は私たちと先祖を直接つなぐので、子どもが歴史的視野と確かな文化的背景を基盤に自我を形成するのを助けます。・・・
---------------------------------------------------------

そう、自分たちの言葉は、自分の過去をつなぐばかりか、自分たちの先祖とも直接つながっている。時間をまたぐ文化の架け橋でもある。言葉は忘れてはならないものだ。

2017年4月17日月曜日

気になること

子どものころ、ずっと昔のことだが、親の語りに「欠食児童」という言葉があった。食事にがつがつするのを、たしなめる意味で使ったりした。戦中・戦後のひもじい時代の子どもたちを見てきたからこその言葉だろう。

でも、口にできるものがあった子どもはよかった。「戦災孤児」と呼ばれて、親の庇護を失った子どもたちが大勢いた。そんな子どもたちが、上野駅の通路に身を寄せていたと語ったが、それ以上くわしい話しはなかった。

3.11の直後、マスコミは沈黙した。両親を亡くした子どもたちがいたのに。直後のテレビの被災報道を見ながら、伝わらないもどかしさを感じた。

ようやく最近になって、テレビのドキュメント番組でも語られるようになったようだ。震災から5年近くかかった。

2017年4月16日日曜日

今年初めての夏日

暑かった。今年初めての夏日。午後2時半頃、都心の最高気温は26.1℃に達し、夏日の基準である25℃を超えたのだ。夜の廊下に冷気がわずかしかないのに驚かされる。

(本ブログ関連:”夏日”)

そういえば、夕方訪れた(一昨日のブログに掲載の)満開の桜並木は、小さな若葉が薄紅の花弁と入れかわり、力強い枝並みに変貌していた。もはや春でないといわんばかり。

思いのほか早く登場した夏日について、日本経済新聞の記事「東京都心で今年初の夏日 平年より11日早く」(4/16)は、次のように報じている。(抜粋)
----------------------------------------------
日本列島は16日、広く高気圧に覆われた影響で、鹿児島県など一部を除き全国的に晴れて気温が上がった。東京都心では日中の最高気温が26.1度まで上がり、今年初めて25度以上の夏日となった平年より11日前年と比べても2日早かった
----------------------------------------------

(参考)夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など気象庁の用語
            ------------------------------------------
            夏日   :日最高気温が25℃以上の日。
            真夏日:日最高気温が30℃以上の日。
            猛暑日:日最高気温が35℃以上の日。
            熱帯夜:夜間の最低気温が25℃以上のこと。(気象庁の統計種目にはない)
            ------------------------------------------