でも、口にできるものがあった子どもはよかった。「戦災孤児」と呼ばれて、親の庇護を失った子どもたちが大勢いた。そんな子どもたちが、上野駅の通路に身を寄せていたと語ったが、それ以上くわしい話しはなかった。
3.11の直後、マスコミは沈黙した。両親を亡くした子どもたちがいたのに。直後のテレビの被災報道を見ながら、伝わらないもどかしさを感じた。
ようやく最近になって、テレビのドキュメント番組でも語られるようになったようだ。震災から5年近くかかった。
イ・ソンヒ ファンの日々よしなしごとの綴り