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2014年4月8日火曜日

イ・ソンヒ 「Jへ」にまつわるビハインド・ストーリー

韓国経済の記事「イ・ソンヒ、イ・セゴン作曲家と『Jへ(J에게)』にまつわるビハインド・ストーリー公開」(4/8、ペ・ソニョン記者)に、イ・ソンヒが、デビュー曲「Jへ」との出会いについて、TV番組のインタビューで「裏話」を語ったと、次のように報じている。
すでに本ブログで、経緯を記しているが、彼女自身の言葉としては初めてのことなのだろうか。

ところで少し気になることがある。著作権について、そのあたりは初耳だ・・・下記の追記の中で氷解。

(本ブログ関連:”イ・セゴン(李世建、이세건)”)
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SBS「ヒーリング・キャンプ」放送画面
・歌手イ・ソンヒが「江辺歌謡祭」大賞を与えられた歌「Jへ」にまつわるビハインド・ストーリーを公開した。
・イ・ソンヒは、7日午後放送されたSBS「ヒーリング・キャンプ 楽しいじゃないか」に出演した。
・この日、イ・ソンヒは「高等学校2年の時、歌を歌いたくてチャン・ウクチョ(장욱조)音楽室を訪れ、その方面に無名の作曲家が楽譜をゴミ箱に捨てる姿を見た」と話した。当時、(私も)ついその楽譜を取って、「この曲、私が歌ってもかまいませんか?」と尋ねたというイ・ソンヒ、まさにその曲が「Jへ」であった。
・イ・ソンヒは、「楽譜というものが、私をときめかせた。楽譜は、音楽を知ることができるようにする通路であった。絶対にあの楽譜を捨ててはいけないという考えだけだった」と話した。
・イ・ソンヒは、「Jへ」で、「江辺歌謡祭」で大賞を受賞した。そうして国民歌手イ・ソンヒが誕生することができた。また、「Jへ」を作った無名の作曲家であるイ・セゴン作曲家に、著作権をすべて返したとも付け加えた。
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(追記)
news1の記事「『ヒーリングキャンプ』 イ・ソンヒ、「父が帯妻僧」告白・・・帯妻僧とは?」(4/9)に、父親について、次のように触れている記述がある。(抜粋)
これについても、本ブログで繰り返し、韓国仏教と照らし合わせて記している。

(本ブログ関連:”妻帯僧”・・・韓国では”帯妻僧”)
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・この日放送で、イ・ソンヒは自身の幼い時を言及して、父が帯妻僧であったことを明らかにした。 彼女は、「(父は)祈祷をとても多くしていたし、私は市内の学校に通いながら、森の中に住んだ」と明らかにした。
・続いて、「自然に、山寺で僧侶が経をとなえる声を真似たりした」と付け加えた。
・イ・ソンヒが言及した、帯妻僧は男僧侶のうち、結婚して妻と家庭を設けた特定の僧侶を示す言葉だ。火宅僧とも呼ぶ。
・イ・ソンヒの父の情報に接したインターネットユーザーは、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、そうですか」、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、自然に自然と近かったのですね」、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、この頃も帯妻僧はたくさんいらっしゃるのでしょうか?」などの反応を見せた。
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(追記)4/9
釜山comの記事「イ・ソンヒの父 帯妻僧の事実公開へ 『家族写真』注目・・・」(4/8)は、番組「ヒーリングキャンプ」の中でイ・ソンヒが語った家族のことについて、次のように報じた。(抜粋)
これについても、本ブログで繰り返し、彼女のプロフィールに照らして記している。

(本ブログ関連:”資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)
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・イ・ソンヒの父 帯妻僧
・この日放送(SBS「ヒーリング・キャンプ 楽しいじゃないか」)で、イ・ソンヒは「祖父は歌唱をしたが、私もその影響が大きいようだ」とか、「父も声が良かった。帯妻僧で祈祷をたくさんした」と話した。
・続いて、「父のために、幼年時代を森の中で暮らした。学校は、都心に通って、放課後には外と遮断された山寺で暮らした」とか、「とても大きな寺なので、数多くの僧侶と一緒に暮らした。その中にあって、常に僧侶が経を唱える時、私も知らずに真似したりした」と説明した。
・ひるがえって、イ・ソンヒは、去る2012年放送されたMBC「黄金漁場-膝打ち導師」に出演して、「父が宗教家だが帯妻僧だ。小学校6学年の時まで寺で暮らした」と、特異な家庭環境について明らかにしたことがある。
・当時、放送では、イ・ソンヒの帯妻僧だった父とともにとった家族の写真が公開されたりもした。
・イ・ソンヒの父が帯妻僧に、ネチズンは、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、以前にも公開された話だな」、「イ・ソンヒの父、帯妻僧、お経で鍛練された歌の実力?」、・・・などの反応を見せた。
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(追記)4/9
マネートゥデーの記事「イ・ソンヒの”Jへ”、作曲家のイ・セゴン 誰? 『ヒット曲製造機』」(4/8、キム・ポヨン記者)は、彼女の代表曲「Jへ」の作者イ・セゴンとの関係について、次のように報じている。(抜粋)
「Jへ」の著作権について、納得した。
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・イ・ソンヒは、「(『Jへ』を捨てようとした)その方(イ・セゴン)が勝手に歌えと言ったよ」として、「3年間大事に保管した『Jへ』を持って江辺歌謡祭に出場した」と話して驚きを誘った。
・続いて、イ・ソンヒは、その作曲家が「イ・セゴンだった」として、「著作権は、大会を契機にイ・セゴンに返した」と話して注目を引いた。
・イ・セゴンは、「Jへ」'をはじめとして、歌手イム・チャンジョンの「すでに僕に(이미 나에게로)」、「嘘のような真実」と、ミン・へギョンの「恋はもうやだ(사랑은 이제 그만)」などの曲を書いた実力派作曲家だ。特に「恋はもうやだ」はミン・へギョンの代表曲に数えられる曲で、彼女の全盛期スタートを切った曲で知らされている。
・これに接したインターネットユーザーは、「イ・ソンヒの『Jへ』の作曲家イ・セゴン。(ミン・へギョンの)『恋はもうやだ』も作曲したよ」、「イ・ソンヒの『Jへ』。 歌、本当に良い」、「イ・ソンヒの『Jへ』。 なぜ他の人(歌手)は拒絶した(受け入れなかった)のだろうか」、「イ・ソンヒの『Jへ』。イ・セゴンとの縁、珍しいね」などの反応を見せた。
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2022年9月6日火曜日

「Jへ」ビール、来年40周年記念コンサート予定

イ・ソンヒが1984年に「江辺歌謡祭」で歌った、デビュー曲である「Jへ(J에게)」の曲名を冠した缶ビール2種(ラガー、ピーチ・エール)が 7月13日に発売され、初期販売量40万個を完売したそうだ。

(本ブログ関連:”Jへ”、”江辺歌謡祭”)

写真は、韓国のSqueeze Brewery(스퀴즈 브루어리)社より7月13日に発売された「Jへ ビール」2種(左:ピーチ・エール、右:ラガー)。
http://squeezebrewery.com/news/?q=YToxOntzOjEyOiJrZXl3b3JkX3R5cGUiO3M6MzoiYWxsIjt9&bmode=view&idx=12107375&t=board


合わせて新聞報道によれば、来年*、イ・ソンヒの「40周年記念コンサート」開催が予定されているとのこと。来年に彼女は(数え歳で)還暦を迎える。
コンサートに行ってみたい気がするが・・・、膝と相談せねばならないし。
(*)来年は 2023年、1984年にデビューした「江辺歌謡祭」から正確には 39年目になる・・・。

韓国経済新聞
「イ・ソンヒの力 ・・・ 『Jへ ビール』の初期物量40万個が売り切れになった」(チョ·アラ韓経ドットコム記者、2022.09.02)より抜粋
https://www.hankyung.com/finance/article/2022090279747
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歌手イ・ソンヒのヒット・デビュー曲のタイトル(「Jへ」)を採った、「Jへ ビール」の初期物量40万個が完売した。

「Jへ ビール」は、風に髪が揺れるイ・ソンヒの(歌「Jへ」の歌詞)イメージを製品に込めて、「Jへ」の歌を記憶する中高年層とレトロ感性を好む MZ世代**をすべて攻略したと、所属事務所(フックエンターテインメント)は説明した。フックエンターテインメントは「イ・ソンヒは、来年行われる40周年記念コンサートの準備を始めている」と付け加えた。
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(**)MZ世代: 1981年~2010年生まれの広範な世代(10代~40代)を指す。(デジタル文化を浴びて価値観が多様化(なんでもあり)した若手消費者世代に見える)

(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”)

2012年5月30日水曜日

(資料)「Jへ」を歌う歌手

イ・ソンヒの「Jへ」は、大御所のパティ・キムに歌われたこともあるポピュラーな曲だけに、そのほか若い(中堅の)歌手たちにも歌いつがれている。Youtubeを探して視聴することができる。

・박정현 Lena Parkの「Jへ(J에게)」
・바다 BADAの「Jへ(J에게)」
・진주 Jinjuの「Jへ(J에게)」
・임태경 Im Taekyung の「Jへ(J에게)」
・백청강 Baek Chungkangの「Jへ(J에게)」
・이승기 Lee Seung Giの「Jへ(J에게)」

(本ブログ関連:"パティ・キムの「Jへ」")

(Youtubeの登録者に感謝)

2015年1月7日水曜日

(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介

イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が、今月発売されることを知った。先週、CDショップで確認したところ未だ扱っていないといわれたけれど・・・。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)

ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム

韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」

・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。

・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。

(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。

・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。

・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。

(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)

・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。

・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)

・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。

・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。

・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。

(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)

・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。

(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ”

・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。

(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。

・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
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(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。

2013年7月16日火曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

イ・ソンヒのデビュー曲であり、国民歌手に一挙に高めたのが「Jへ(J에게)」(1984年)だ。彼女には、圧倒的な歌唱力だけでなく、この曲の作者との不思議な出会い、大賞受賞したMBC第5回「江辺歌謡祭」(1984年7月29日)ステージ上のスタイルなど興味深いものがある。

その江辺音楽祭が催された時期にそろそろ迫ってきた。何度も聴いては胸にしみる「Jへ」をYoutubeで見てみよう。多分、2004年20周年コンサートの映像で、その最後に歌われたもののようだ。

(本ブログ関連:"Jへ-1"、"Jへ-2"、"Jへ-3"、"Jへ-4")



(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

2017年12月31日日曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

昨年の大晦日も、イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」(作詞・作曲 イ・セゴン)について記している。イ・ソンヒは、1984年、MBCの「江辺歌謡祭(강변가요제)」で大賞受賞して、初めて世に知られることになる。

イ・ソンヒの、この「Jへ」にまつわる、作者イ・セゴンとの出会い、「江辺歌謡祭」参加のいきさつと彼女の独特なスタイル(ファッション)、そして歌手デビューにまつわる家族との関わりなど興味深い話題がある。すべては、この「Jへ」から始まる。

(本ブログ関連:”Jへ”)


J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

*J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね

(*以下繰り返し)

寂しく歩くのね

(2014年のコンサートより)

(Youtubeに登録のLove Koreaに感謝)

2016年12月31日土曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

2016年はどんな年だったろうか。1年の階段を一段昇り切ったか、それとも一歩転げ落ちたか。私にしたら、日常の延長のまま師走を走り、大晦日に至った感じだが。それでも、ちゃんと過ごしたか自問する。

本年9月4日、イ・ソンヒのコンサート「The Great Concert」(世宗文化会館)にも行き、ファンとしての勤めも無事果たしたと思う。彼女が、それ以前にさまざまなテレビ番組に出演したこと、それ以後にテレビドラマのOSTを歌ったこともブログに記した。

今年も今日で最後。イ・ソンヒのコンサートの最後には、デビュー曲である 「Jへ」(1984年)が歌われる。彼女が高校時代に音楽教室に通ったこと、そこで 「Jへ」の作詞・作曲家と幸運に出会ったこと、大学時代に音楽バンド 「四幕五場」に参加したこと、そして音楽コンクール 「江辺歌謡祭」に出場して「Jへ」を歌い大賞を受賞したこと。天賦の才を元にして、いろいろな出会いを重ねてイ・ソンヒは歌謡界に解き放された。以降、30年余、「国民歌手」としてそのトップを走っている。

(本ブログ関連:”Jへ”)


J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

*J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね

(*以下繰り返し)

寂しく歩くのね

(1984年 「江辺歌謡祭」)

(Youtubeに登録の사사구통に感謝)

2009年8月4日火曜日

「Jへ」との出会い

ブログ「DAY by DAY」(7/28:作成者그렁그렁):
同ブログに、「Jへ(J에게)」との出会いをイ・ソンヒが次のように語っていると記している。
「高3の時、南営洞(남영동)の『チャン・ウクチョ(장욱조)音楽室』で歌の勉強をしたが、そこで会ったある無名の作曲家が捨てようとした楽譜が一つありました。どうせ捨てるなら、私にくれようとしましたよ。それがまさに『Jへ』だったわ。」
・チャン・ウクチョは、作曲家の方だろうか。
・「無名の作曲家」こそ、イ・セゴン(李世建(이세건))だった。
・イ・ソンヒが曲「Jへ」を授かった場面が、「チャン・ウクチョ音楽室」であることがわかったが、このときチャン・ウクチョは、イ・セゴンの曲をイ・ソンヒに橋渡しする仲介をしたのだろうか。

音楽サイト「JOOS」:
同サイトにイ・ソンヒの「Jへ」との出会いについて次のように記している。(⇒リンンク先の写真下解説開く)
「高等学校の時から『チャン・ウクチョ音楽室』に通って歌手としての道を準備したイ・ソンヒは、大学校の時に入った『4幕5場』という校内音楽サークルで、江辺歌謡祭に出場する冒険を敢行することになった。 当時無名の作曲家イ・セゴンの『Jへ』を持ってソロで出場して、決選に上がることになったし、学校の名誉のためにグループの名前で出て行って、大賞を握って一躍スターダムに上がることになった。」

(本ブログ関連:4/13、6/7、6/8)

(追記)イ・ソンヒは、今晩開催の「松島セントラルパーク」竣工記念のコンサート に出演する。

2016年9月2日金曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

イ・ソンヒの、歌謡界の出発点であり、歌姫として歌い続けるバックボーンの曲、それは「Jへ(J에게)」である。
1984年7月29日(日)、春川の南怡島(남이섬)で開かれた「江辺歌謡祭」に登場したイ・ソンヒは衝撃的だったし、その後次々と歌謡祭を制覇した。

彼女のコンサートに不可欠な、観客の青春を呼び覚まし熱くさせる歌、それが「Jへ」である。ステージで威風堂々歌う彼女の姿は素晴らしい。今回のコンサートで聴けるのを楽しみにしている。

(本ブログ関連:”Jへ”)


J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

■ Youtube(登録: ustine kelly)
「lee sun hee's "j"」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=Gie_dkj4ufc

2015年3月7日土曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

昨年4月、世宗文化会館での30周年コンサート「歌う イ・ソンヒ」(2014年4月)の始まりに、ステージにせり上がるイ・ソンヒの第一声は、1984年に歌ったデビュー曲「Jへ(J에게)」(作イ・セゴン)だった。威風堂々とさえ見える。まさにファンとともにあった歌だ。

(本ブログ関連:”Jへ” ⇒ リンク先表示右下「次の投稿」で更に続く)

ご覧の通り、会場は30周年コンサートらしい大人の雰囲気していて良い。もちろん、(次のYoutube映像に収録されていないが)コンサート後半には、観客らを熱狂させる(固有の琴線に響くというべきか)、「あ!昔よ」や「美しい江山」も歌われ、会場の熱気に圧倒される。彼女が長年支持される理由である。

「Jへ」

J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録のAlice Sk8erkittyに感謝)

2016年1月9日土曜日

イ・ソンヒとイム・ソンギュンがTV番組で「Jへ」を歌う珍しい映像

1984年7月29日(日)、春川の南怡島(춘천 남이섬)で開催された「江辺歌謡祭」に参加した、混声デュエット「4幕5場」のイ・ソンヒ(李仙姫、仁川専門大環境管理科 1年)とイム・ソンギュン(林成均、同機械科 2年)は、「Jへ」を歌い大賞受賞した。

(本ブログ関連:”イム・ソンギュン”)

同年10月21日に、若者にチャレンジ精神を与えたというMBCの番組「ヤング11(영11)*」に早速出演して「Jへ」を歌っている。二人がTV番組でデュエットする珍しい映像をYoutubeで見ることができる。
(* 「ヤング11」については「失われた思い出を探して」の「思い出のTV」に紹介あり。感謝。)

(本ブログ関連:”Jへ”)


J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2015年1月16日金曜日

イ・ソンヒとイ・スンギのデュエット「Jへ」

SBSの歌謡ショー「イ・ソンヒと友人達」(2004年8月21日)で、イ・ソンヒが愛弟子のイ・スンギと「Jへ」をデュエットするYoutube映像がある。画質も音質もよくて・・・素晴らしい。

(本ブログ関連:”「イ・ソンヒと友人達」(1)、(2)”)

イ・スンギとの数ある「Jへ」のデュエット中でも、息が合って楽しそう。最近、イ・スンギの主演映画「今日の恋愛」を、イ・ソンヒと彼女のファンが映画館を借り切って観覧したそうだ。まさに、箱入り息子。いつまでたっても息子は息子という、母親的なものが感じられるほのぼのした関係のようだ。

(本ブログ関連:”イ・スンギ”)

「Jへ」

J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録の아카시아 Acaciaに感謝)

2009年6月7日日曜日

J物語

イ・ソンヒの歌「Jへ」のJは誰なのか、どんな風に思われているのだろうかとインターネットで探したら、この本に出会ったので記す。(本ブログ関連:4/13)
それは作家シン・ギョンスク(申京淑(신경숙))の作品「J物語(J이야기)」(2002年、出版社:心の散歩(마음산책))である。出版社書評によると、全4部(44編)構成で、Jというある女性が成長して色々な人々との縁のなかで仕事をしたり、誰かを愛したり、結婚して、そして子供を産むといった、瞬間瞬間に出会う人生に対する洞察をきめこまかく書いたもので、それぞれ独立した話としても、Jという人物の一連の話としても読むことができる・・・とのこと。
申京淑は1963年に、イ・ソンヒは1964年に生まれており同じ世代だ。ちなみにデビューは、申京淑は1985年、イ・ソンヒは1984年である。だからといって、イ・ソンヒの「Jへ」と申京淑の「J物語」が関連があるというつもりはないが、韓国のWebを巡ると、イ・ソンヒの「Jへ」にどこかひっかかりを感じて読んだという一般の投稿書評を見つけることができる。
また日本の大学で、「J物語」を韓国語講読にしているシラバス(常磐大学 安岡明子)があった。

(追記)本ブログ6/8付けに、イ・ソンヒの歌「Jへ」のイニシャル<J>について由来を記した。

2015年11月7日土曜日

(資料) イ・ソンヒとのインタビュー(連合ニュース)

イ・ソンヒとのインタビューが、連合ニュースの記事「<インタビュー> イ・ソンヒ 『歌は無心の作業・・・「Jへ」は今聞いても胸がキュン』」(11/4、キム・ボギョン記者)に掲載された。若いファン層への感謝、後輩歌手たちへ助言、そして彼女の今後についてなど、31年間つちかった音楽経験を交えて聞くことができる。

イ・ソンヒの語り(=音楽観)には独特のものがあるという。以前、別のインタビュー記事にも、成程とうかがい知るような記述しているものがあった。今回は、どうだろうか・・・記者も苦心されたようだが、読み進むうちにイ・ソンヒらしさがやっぱり感じられてくる。妙に安心する。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ インタビュー”)

ところで、現在は充填期のようで、次ぎのアルバムまで時間がいるようだ。少々待ち遠しい気がするが楽しみである。

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「音楽は私を記憶する人との疎通(コミュニケーション)・・・若いファンたち感謝する」
「声は私だけの楽器・・・他の人が出てきて違うことを認めなきゃ」

イ・ソンヒは、誰もが自信をもって「国民歌手」と呼ぶことができる、数少ない歌謡界の巨匠中の一人だ。

1984年、「第5回 江辺歌謡祭」で、「Jへ」で大賞を獲得してデビューした彼女は、翌年1集のタイトル曲「ああ! 昔よ」を始め、「秋の風」、「分かりたいです」や、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」などをヒットさせて、1980年代の代表的ディーバ(歌姫)として座をつかんだ。

彼女は小さい体躯から出る爆発的な歌唱力でファンたちをひきつけて、初の<姉さん部隊>(=中高女学生ファングループ)を誕生させたりもした。

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1990年代にも着実に新曲を発表したイ・ソンヒは、2011年、米国カーネギーホールのアイザック・スターン・オーディトリウムで単独コンサートも開いた。昨年(2014年)には、デビュー30周年を記念して、正規15集「セレンディピティ(Serendipity)」を発表した。

最近、イ・ソンヒを、ソウル江南区清潭洞の所属事務所(=フックエンターテインメント)の建物で会った。TVよりはるかに若く見られる容貌に記者が驚くと、すぐに彼女は、「私がTVによく出てないからよ」と冗談を言った。

まず、最近の近況を尋ねた。イ・ソンヒは、昨年3月アルバムを発売するやいなや、全国ツアーコンサートを開いて1年余りをファンたちのそばで過ごした。今年には、光復70年記念番組のKBS「私は大韓民国」に出演して「1945合唱団」を指揮したりもした。

「いま、やっとスケジュールがまばらになりました。昨年は一年中公演して、今年は『私は大韓民国』を準備するために緊張を解くことができませんでした。番組が終わって、およそ2週間患いました。そうして、ちょっと日常を楽しんだのです。休む時、したいことなどをリストに書き込みました。今は、それらをしに歩き回るのに忙しいですね。 (笑い)」

彼女は歌手として31年を生きた。短くない時間の間、彼女は歌と喜怒哀楽を一緒にこなした。イ・ソンヒにとって、音楽はどんな意味であろうか。気になってきたところで、単刀直入に尋ねた。

「音楽は一種の疎通(=コミュニケーション)でしょう。歌う人は、歌で自分を表現します。私が過ごした時間にどんな考えをし、何をいいたいのか、結局、歌で語るんです。結局、私を記憶する人とずっと疎通(=コミュニケーション)するんです。」

数えきれないほど舞台に立って、ファンたちに会いながら、おのずから記憶に残る瞬間も多かったはずなのに。質問を投げると愚問賢答(=愚かな問にも賢く答える)が返ってきた。

「留めておく性格ではないので、何かを入れれば続けて注ぎます。歌もそうですよね。感情を続けて注ぎます。それで、うれしくても悲しくても、感情はその瞬間にだけ残るもののようです。そうするうちに、あえて過ぎ去った時間に何が残ったかどうか執着しない方です。」

このような回答を聞くと、気軽に他の質問をするのがためらわれた。だが、質問を止めることができなかった。発表した曲中、最も愛着がある曲を尋ねると、自然に「Jへ」という回答が出てきた。

「私はこの質問を受けたら、いつも『Jへ』と答えます。このように淡々と話しているけど、本当に『Jへ』は、今聞いてもキュンとします。おのずから過ぎた時間を振り返り見させる歌なんです。」

この他にも、最近、彼女の口の中で巡る歌がある。昨年発表した15集収録曲「今になって(이제야)」だ。「その時は分からなかったのでしょう/すべてを知っていて思ったが、愚かにも/感嘆符、休符も、そこに込められていることを」、という歌詞がなぜか胸に迫る。

「最近、私が元々進んだ方向からちょっと違うように、方向を定めました。そのように決めて見たら葛藤が多くなりました。すると、私も気づかぬ内に、この歌を口ずさんでいましたよ。この歌をしきりに歌うのを見て、私の視線が変わったことを感じます。」

イ・ソンヒといえば浮び上がるイメージがある。短いショートカットにメガネ、ズボン、スーツがそれだ。常にズボンだけはく彼女を見て、ファンたちは「イ・ソンヒの脚に大きい傷跡がある」とひそひそ話したりもした。彼女は、デビュー後7~8年間、素顔で放送に出たりもした。

一つのスタイルに固執した理由を尋ねると、「その時は、ただそれが良かった」という素っ気無い反応が返ってきた。

「今考えれば大したことないのに、その当時、瞬間瞬間ぶつかることが多かったです。化粧もして、メガネも外せというのが何となくいやだったんです。『歌う人が好きなスタイルで行くべきなのに、私がなぜあの人たちに従って行かなければならないのか?』という問いを持ち続けました。それで、固執半分、反抗心半分でずっと押し進めたら、そのまま私のスタイルに固まったんです。ところで、そうなるとそのスタイルが嫌いになりましたよ。(笑い) そのまま、その時その時やりたい通りに自然に従ったようです。」

イ・ソンヒの公演会場に、中壮年層の観客だけ訪れると考えると相当な誤算だ。彼女のコンサート会場にはいつも20~30代の観客で賑わっている。特に映画「王の男」のオリジナル・サウンドトラック(OST)に収録された「因縁(인연)」という歌が大ヒットを記録して、彼女は若い世代に名前を知らせた。イ・ソンヒが手紙好きという話を聞いて、直接、書いたファンレターを送る少女ファンも多い。

「公演会場で、観客席を見ればびっくりです。以前よりも観客が若くなっているとはっきりしてるんですよ。とてもありがたいことです。」

「最近、若いファンの意思表明が本当にどんどん目立ちます。公演レビューの掲示板も念入りに調べる方ですが、反応を見ればとてもおもしろいです。(笑い) 私を<姉さん>と呼ぶ中学生ファンがいるのだけど、自分のママも私を<姉さん>と呼ぶといいましたよ。そうしたところ、『うちの母さんも<姉さんファン>なのに家系図がどうなるのでしょう?』と尋ねたこともあります。」

イ・ソンヒは、MBCオーディション番組「偉大なる誕生2」で、メンターを引き受けるなど、後輩たちにも格別の愛情を注ぐ。しかし、最近の歌謡界を見ると物足りなさも大きいといった。<江辺歌謡祭>出身である彼女は、最近の雨後の竹の子のよう生じるオーディション番組を見ると、特にそのような感じを受ける。

「当時、<江辺歌謡祭>や<大学歌謡祭>は、私たち同士の祭りのような感じでした。もちろん決勝、準決勝と進んで競争したりしたが、みんな歌が好きだったし、お互いが違うということを認めましたよ。ところで、最近は本当に競争だけします。皆がみな違っているんですけど、私だけ頑張らなきゃという考えをするようで残念です。1、2位を獲る瞬間に歌手になるのではないのにね。」

彼女は話を続けた。

「声は私だけの楽器です。他の人が私より歌をもっと上手だとしても、私の場所を持つのではありません。全てみな違った声を持っていますね。自分だけの声を持ってこそ、より豊かに生きていけます。グルメ通りを考えてみてください。一つのレストランでなく、多様なレストランが集まっているので、多くの人が訪ねてくるのじゃないの。他の人が出てきて、違うということを認めれば、全てみな上手くやれます。」

イ・ソンヒは、後輩たちが尊敬して似たがる巨匠の中のひとりだ。それだけに最近のTVをつければ、イ・ソンヒの歌をリメークしたり真似て歌う歌手をよく見かける。そのような姿を見て、本来本人はどんな思いがするのか気になった。

「最近の後輩たちは本当に音楽が上手いです。以前には良いものを表現する方法も知りませんでした。また、音楽される方の多くが付き従う音楽をしましたよ。ところが最近は、音楽で上手く表現する世代になりました。私の歌を、後輩たちが歌ってくれたら余りにもうれしいです。それを聞いて、『あんな方向にも歌を歌うことができるのだろう』と感じたりもします。しかし、私が歌った方式そのままに歌う後輩を見ると、上手いとは別にちょっと物足りないです。」 そのような後輩に、先輩としてしたい助言はないだろうか。

「とにかく経験するんです。編み出すというのは積もることで、積もれば吐き出すことができなければなりません。音楽をする人たちは、音楽に吐き出さなければなりません。もちろん競争が全てではないが、そのような過程を勝ち抜くのも必要です。だが、記憶しなければならないものがあります。人のために、私がだめなものなんてありません。人もなるし、私もなるんです。」

インタビューを進めて、31年(=デビュー31年目)の内面はやはり違うという考えが頭の中を離れられなかった。急がず自身の考えを一つ一つ明らかにする、彼女のカリスマに圧倒される瞬間も多かった。一時間余りのインタビューを終えて、今後の計画をたずねた。「小さい巨人」イ・ソンヒの答はやはり特別だった。

「以前には、男性と女性の声を同時に持つ少年のような声だったとしたら、今は女らしい声になりました。そうするうちに、そこに合った歌を歌うことになったし、声も澄んだのですよ。私は今、50代以後にどんな歌を歌うのか悩んでいます。次のアルバムですか? アルバムを出すというのは無心にする作業です。それで何かいっぱい満たしてようやく、結果に結び付けられます。ところで今は、満たせる時間が長く続かなかったです。それで当分は計画はありません。」
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(Youtubeに登録のqueen sallyに感謝)

2015年10月29日木曜日

(資料) 「イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」

久し振りに、イ・ソンヒについての評論記事がネットを飾った。釜山日報(BUSAN.com)の「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)は、80年代に登場したイ・ソンヒの席捲と躍進について次にように語っている。

イ・ソンヒの4集、5集アルバムは、1988年、89年と連続リリースされた。これをリマスター版「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」として、2011年に再発行されている。昔からのファンの支持が、このような形に再結晶化したのだろう。本ブログで以前にも触れたが、名曲が網羅されている。記事では、ソン・シヒョンとの関わりが興味深い。

(本ブログ関連:”「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」”)

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1984年前半期、歌謡界最高のヒロインは、断然チェ・ヘヨン(최혜영)だった。彼女のデビューアルバム収録曲「それは人生(그것은 인생)」は、当時最高の人気曲であったし、後続曲の「水のような愛(물같은 사랑)」の人気も侮れなかった。そのままならば、年末の各種新人賞は、文字通り確実なものだった。

ちょうどその時、一瞬に地図をひっくり返してしまった問題ある、その人が忽然と登場する。彼女の名前はイ・ソン・ヒだった。 1984年夏、仁川専門大学生だったイ・ソンヒは、同じ学校のイム・ソンギュンと一緒に「4幕5場」という混成デュエットで、江辺歌謡祭に参加し、大賞を握った。受賞曲は「Jへ(J에게)」だった。その日を起点として歌謡界の人気版図は、荒波の中に巻き込まれていった。

江辺歌謡祭大賞後、ソロとして本格的な活動
84年の最高のヒット歌謡・・・各種賞獲得
ソン・シヒョンと出会って4・5集の付き合い、音楽も変化
5集には「五月の陽射し」など社会性の濃い曲

■ 歌謡界の地図塗り変えた「4幕5場」の登場 (1984年)

イム・ソンギュンの入隊のため、ソロで本格的な活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は、想像を超越した。 「Jへ」は、KBS歌謡トップテンで5週連続1位を占めるなど、絶大な人気を得て、1984年最高のヒット曲となり、年末のKBS歌謡大賞とMBC10代歌手歌謡祭の新人賞も、当然イ・ソンヒの獲得だった。個人的な感想を言えば、当時、私は、チェ・ヘヨンと「それは人生」が好きだった。イ・ソンヒと「Jへ」の登場は、少なくとも彼女(チェ・ヘヨン)には不運だった。「Jへ」の人気がどれだけすごいといったら、しばらくして「J あなたは」という類似品が出たこともあった。 (両方の曲とも、イ・セゴン(이세건)が作詞、作曲した歌だ)

■ 1985年、正式デビューとヒットパレード (1集、2集)

「Jへ」ただ一曲で、1984年を自分の年してしまったイ・ソンヒの正規1集は、翌年の1985年の初めに出た。ここで、「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」、「葛藤(갈등)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが相次いでヒットし、彼女は自分の人気が「Jへ」の一回で終わらないことを立証した。その年が経つ前(同1985年)に再度出した2集では、「秋の風(갈바람)」、「ケンチャナ(괜찮아)」、「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」などのヒット曲が続けて出たし、1986年出した3集でも「分かりたいです(알고 싶어요)」、「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、 「Young(영)」などが多くの愛(支持)を受けた。

(□ 1986年 3集)

■ イ・ソンヒ+ソン・シヒョン(송시현)、発展の証明書 4集、そして5集 (4集:1988年)

1988年2月に出た4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占めている。ここから彼女の音楽が意味のある変曲点を迎えたのだ。ところで、その変化の糸口を説明する名前の一つがある。まさにソン・シヒョンだ。

1987年「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで名前を知らせたシンガーソングライター、ソン・シヒョンはこの時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加を始めたが、4集でLPのA面タイトル曲である「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を含めて、全4曲が彼の作品である。二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和たし、以後も、彼はしばらくの間、イ・ソンヒと共にすることになる。

4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山(아름다운 강산)」である。韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメイクした「美しい山河」の評価は、多少分かれてるが、概ね編曲と演奏面ではそれほど高い点数を得ることができない。しかし、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは、非の打ち所がない。また、それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛(支持)されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞、作曲の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。

■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)

5集は、1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ姿を見せてくれた。アルバムのあちこちに社会性の濃い曲を配置したのだ。「五月の陽射し(오월의 햇살)」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。この他にも、5集は、(ロックバンド)「山鳴り(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作った二つの曲が収録されており、目を引くのが、同年イム・ジフン(임지훈)によっても発表された「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。ソン・シヒョンは4集に続き、5集でも極めて重要な役割を果たしている。アルバムの代表曲である「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷(겨울애상)」がまさに彼が作った曲である。

■ 80年代を貫いた名・歌・手  李・仙・姫(イ・ソンヒ)

最近、「私は歌手だ(나는 가수다)」に続いて「覆面歌王(복면가왕)」というTV番組が首都の話題だ。この番組に対して、好き嫌いが交錯しており、個人的には、他の長所・短所を離れて、多くの人々が、次のような点をもう一度考えてみることができようになったのは、大いに励みになる。歌手とミュージシャンは違う。したがって歌が上手なのと音楽を上手なことも全く違う次元の問題だ。もちろん、優れたソング・ライティング能力と歌唱力を兼ね備えて両方をうまくこなした場合、是非の余地はないが、天才的ソングライターだが、歌ができない人もいるだろうし、逆にソング・ライティング能力がないが、歌だけは最高に上手くすることもまたありだろう。私たちは、どちらか一方を無視したり、けなす必要なく、それぞれを認めればそれまでだ。

この大きな課題で、歌が上手ということも一つで定義されるものではないと、異議を申し立て方があることが分かる。正しい。筆者もやはり賛成する。歌手はそれ​​ぞれの個性があり、またそれぞれの歌にふさわしい声やボーカルスタイルもある。唯一の爆発的な声量を持って、高音領域でクールなシャウトを聞かせてくれることだけが歌の上手なわけではない。時には低めの口ずさむことがより優れた瞬間もある。

しかし、すべてのものを考慮しても、これだけは明らかである。イ・ソンヒは、優れた歌手であり、彼女なしでは決して80年代の歌謡を話すことができない。このシリーズを介して再び紹介されるイ・ソンヒの4集と5集は、彼女が活き活きしていた初期を過ぎて、本当によく似合う組み合わせだったソン・シヒョンと会って成し遂げられた発展的成果であり、80年代を貫いた彼女の明確な足跡を確認する、最も明澄な(明るく澄みわたった)証明書だ。
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2016年9月9日金曜日

【大衆音楽家列伝】 イ・ソンヒ

釜山日報の連載の「大衆音楽家列伝(대중음악가 열전)」は、まさにイ・ソンヒのコンサート(9/2~4)直前の絶妙なタイミング(9/2)に、彼女の音楽活動を振り返る、「【大衆音楽家列伝】25.イ・ソンヒ」(チェ・ソンチョル、ペーパー・クリエイティブ代表)の記事を掲載した。

内容は、イ・ソンヒが歌謡界にデビュー以来、現在にいたる音楽活動の小史であり、正規アルバムをもとに彼女の代表的な曲目を網羅している。コンサート後になったが、次に載せさせていただく。感謝。

次の記載の曲目と、今回9月のコンサート曲目を合わせて聴けば、イ・ソンヒの全体像を素早く理解することができるでしょう!

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小さい体躯で爆発的歌唱力… 「Jへ」ただ一曲でスターダム

(写真:略) ▲ 私たち大衆音楽の「ガール・クラッシュ」の元祖、イ・ソンヒは歌を運命のように思って生きてきた(デビュー以来)32年、この時代の名歌手だ。

・最近、よく話題になる単語の中に、「ガール・クラッシュ」(Girl Crush)という言葉がある。少女(Girl)と、「惚れる」意のクラッシュ・オン(Crush On)を合成した言葉で、女性が同性に感じる、性的な感情を伴わない強い好感と定義する。かくのごとくクラッシュの魅力に陥ったせいだろうか。最近、音源チャートの上位圏、および長期ランク(イン)の女性歌手だけで何と100人余りに達する。私たちの大衆音楽のガール・クラッシュ(一目惚れした少女)の元祖は、イ・ソンヒだ。

■ 「姉さん(オンニ)部隊」、追いかけ回しクラッシュ

・仏教音楽「梵唄」の伝授者の父をもつイ・ソンヒは、幼い時から歌手の才質(才能と気質)を見せた。大学1年のとき、「4幕5場」という校内音楽サークルに入り、父が反対した歌を思う存分歌うことができるようになったし、<江辺歌謡祭>に出場する冒険も敢行する。1984年夏、MBC江辺歌謡祭に、パーマヘアーに角(つの)製の枠メガネをかけた少女が登場する。イム・ソンギュンと共に「4幕5場」という混成デュエットで参加した彼女は、小さい体躯に似合わない爆発的な歌唱力で大賞を射止める。受賞曲は、「Jへ」であった。その日を起点に、歌謡界は波打つ。 イム・ソンギュンの入隊で、ソロとして本格活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は想像を超越した。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと仏教音楽”、”梵唄”)

江辺歌謡祭の大賞受けて、ソロ活動
大規模の「姉さん部隊」で、時代のアイコン
ゴールデン ディスク、5連覇の「珍記録」

ソン・シヒョンと出会って、4、5集で音楽的変化
香港俳優の張國榮(レスリー・チャン)とデュエット・コンサート
「その中であなたに出会って」、感性際立つ

・当時、或る放送会社でデビューした歌手は、別の放送会社に出演できないという慣例を破って、「Jへ」は、KBSの「歌謡トップ・テン」で5週連続1位を占めており、1984年の最高のヒット曲になった。年末、KBS歌謡大賞と、MBC「10代歌手歌謡祭」の新人賞、やはりイ・ソンヒが占めた。当時、歌謡界の厚いファン層である女子中高生の愛を一人占めした男性歌手全盛の時代に、ディーバ(歌姫)の出現は歌謡界はもちろん、女学校にも新鮮な風になった。

・イ・ソンヒは、数多くの女学生ファンを同行するガール・クラッシュのアイコンで、爆発的な人気を享受した。チョー・ヨンピルの「兄さん(オッパ)部隊」を威嚇した「姉さん(オンニ)部隊」、幼い女子中高生が公演会場で兄さん(オッパ)の代わりに姉さん(オンニ)を叫ぶようにさせた主人公、イ・ソンヒの事務所から金を払って人を動員したという流言飛語(デマ)まで飛び交うほど、当時の「姉さん部隊」の火力は途方もなかった。

(本ブログ関連:”姉さん部隊”)

■ ソン・シヒョンと共に変曲点、確かに

・「Jへ」ただ一曲で、1984年を自身の年にしてしまったイ・ソンヒの正規1集「イ・ソンヒ1集」(1985)は、(江辺歌謡祭の)翌年の1985年初め(1/25)に現れた。ここで、「あ! 昔よ」、「葛藤」、「少女の祈り」などが相次いでヒットし、彼女は自身の人気が「Jへ」の一回だけで終わらないことを立証した。その年が過ぎ行く前(11/25)に、再び出した2集「イ・ソンヒ Vol.2」(1985)では、「秋の風」、「ケンチャナ(大丈夫)」、「そう誤りは私にあります」などのヒット曲が引き続き出ており、1986年に出した3集「イ・ソンヒ3集」(1986)でも、「分かりたいです」、「暗闇は晴れて」、「ヤング」などが多く愛(=支持)を受けた。

・ゴールデン・ディスクの5連覇を始めとして、国内にある全部門の賞を全て受賞する珍記録をたてたりもする。以後、「イ・ソンヒ4集」(1988)は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占める。彼女の音楽が意味ある変曲点を迎えたためだ。その変化の端緒を説明する(人物の)名は、ソン・シヒョン(송시현)だ。

(写真:略) イ・ソンヒの音楽世界で意味ある変曲点になったアルバム「イ・ソンヒ4集」

・1987年、「夢みるような世界」のヒットで名を告げたシンガー・ソングライターのソン・シヒョンは、この時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加し始める。4集で、A面のタイトル曲「愛が散るこの場所で」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを」を含めて、全て4曲が彼の作品だ。二人の出会いは成功した。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく交わったし、以後も彼はしばらくイ・ソンヒと共に行動することになる。翌年、「イ・ソンヒ5集」(1989)で、イ・ソンヒはアルバムのここかしこに社会性の濃厚な曲を配置した。「五月の陽差し」は1980年の光州民主化運動の犠牲者の英霊を慰める曲であったし、「ひとしきり笑いに」も、やはり時代的痛みが滲んだ曲だった。通常の民衆歌謡に劣らず、深くやさしいものだった。

(本ブログ関連:”ソン・シヒョン”)

・ソン・シヒョンは、5集でも中枢的な役割をした。アルバムの代表曲である「ひとしき笑いで」と、「冬哀傷」は彼が作った曲だ。同年、チョコレートCFで最高の人気を謳歌した香港の故張國榮(レスリー・チャン)が初めての来韓する。張國榮は、イ・ソンヒと「Jへ」をデュエットで熱唱して、デュエット・コンサートを開いた。

・その縁で、張國榮は、後日イ・ソンヒを香港に招待する格別な親交を誇示したりもする。この時期に、香港BMGレコードを通じて、「It's Original Songs」というアルバムに、「Jへ」を収録発表し、英語で自身のヒット曲を翻案して歌った「Where The Love Falls..」(1989)などのアルバムも発表する。

(本ブログ関連:”張國榮 (レスリー・チャン)”)

・1990年の6集「イ・ソンヒ Ⅵ」(1990)では、「思い出のページをめくれば」が愛(支持)を受けたし、「去る者だけが愛の夢を見ることができる」という自作詩朗唱集と、カナダのモントリオール室内楽団と世宗文化会館で共演後、その実況アルバム「Lee Sun Hee ; Montreal Chamber Orchestra」(1990)を発表する。7集の「思い出の中を歩くのね」(1991)、キム・ヨンドンの国楽的な要素をたっぷり入れた8集の「李仙姫 八」(1992)、「イ・ソンヒ愛唱童謡」(1993)、9集の「イ・ソンヒ 9」(1994)、そして、多くの曲を自ら作詞/作曲したアルバム10集「First Love」(1996)を着実にリリースして、以前とは違った成熟した歌をリリースし始める。

■ あらゆる悪材料の中、挑戦は続く

・人気の下落と激しい浮上など、悪材料の中でも彼女の努力は続いた。11集以後、3年振りに発表した12集の「E Sunhee  My Life + Best」(2001)で、自作曲「離別小曲」と、パク・チニョンの「生きてみると」、ユ・ヨンソクの「この歌をかりて」、キム・ジョンソの「多分(アマ)」など、11曲の新曲とベスト16曲を入れて新しい活動の序幕を知らせた。2005年、<四十代に迎える春>の意を暗に盛り込まれている13集の「四春期」(2005)は、イ・ソンヒの自作曲である「因縁」をはじめとして、9曲の新曲と20周年ライブ コンサート実況の17曲を入れた。10集から始まったシンガー・ソングライターの面目が、円熟の段階に入り込んだことを意味する真の傑作と評価を受けた。

・1990年代以後、7集から始まったやむ得ない大衆的反応の退潮にも、イ・ソンヒは堅忍主義的姿勢で、自身の音楽的内容を執拗に発展させる。2009年、デビュー25周年を迎えて、新しい音楽的感性の10曲をアップグレードした自作曲で満たした14集「愛よ…」(2009)を発表し、活動を再開した。

・5年後、正規15集アルバムであると同時に、デビュー30周年記念スペシャルのアルバムである、「セレンディピティ Serendipity」(2014)を通じて、「女王の帰還」を知らせた。  

・彼女の音楽的力量が最高に発揮された今回のアルバム(15集)、果たせるかな、11曲中9曲が自作曲だ。「その中であなたに出会って」など、より一層円熟した深みある音楽と、限りなく繊細で感性的なボーカルを披瀝し、専らイ・ソンヒだけが出すことのできる感性を表わした。偶然を通じて運命に出会うという<セレンディピティ>の意のように、音楽に出会って歌を運命のように感じて生きてきた32年目の私たちの時代の名歌手イ・ソンヒ、どんな音楽においても輝く彼女の声と表現は拒否できない永続の美学であろう。  
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2009年8月25日火曜日

「Jへ」と「DJへ」

「文化日報(문화일보)」の「オピニオン(오피니언)」(8/22)にある記事「デスク見解 DJと歌謡の思い出」で、イ・ソンヒの曲「Jへ」と時代背景(大衆意識)について、キム・デジュン(金大中)前大統領が亡くなったことに合わせて、オム・チュヨプ(엄주엽)記者が語っている。
(注:そうとうな高踏論説につきご注意を!)
・「1980年代中盤、当時の政治状況下の若者たちは音楽喫茶店に閉じこもって時間をころした。音楽喫茶店ブームにのって出てきた歌がユン・シネ(윤시내)が歌った『DJへ(DJ에게)』(歌詞)であった。 83年に出たこの歌は空前のヒットを打った。(そのヒット分析としてある音楽評論家がいった)大衆の無意識にある(米国亡命中の)『キム・デジュン(DJ)』に対する懐かしさがこの歌のヒットにつながった。」
・「翌84年に江辺歌謡祭で大賞を受けて、一躍シンデレラになったイ・ソンヒの『Jへ』も同じ脈絡で解釈される。この歌も光復後のヒット曲”ナンバー10”に入る程たくさん流された。『Jへ』自体知らないうちに大衆の政治的渇望を解いたことを、イ・ソンヒは知っているのか分からない。」
(YouTubeへ登録のBuSanYoungDoBridgeに感謝)

(本ブログ関連:4/13、6/7、6/8、8/4)

2015年10月17日土曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの「Jへ」デュエット

SBS歌謡ショー、「イ・ソンヒと友人達(이선희와 친구들)」(2004年8月21日)で、イ・ソンヒと愛弟子イ・スンギが、彼女のデビュー曲「Jへ」をデュエットする場面がある。この年の同月、イ・ソンヒは、8月26日~28日に世宗文化会館大劇場で「Jへ 20年 イ・ソンヒ コンサート」を開いている。この放送の直後である。一方、放送少し前の6月25日に、イ・スンギは1集アルバムでデビューしている。

(本ブログ関連:”「イ・ソンヒと友人達」(1)、(2)”、”イ・スンギ”、”Jへ”)

イ・ソンヒとイ・スンギの「Jへ」のデュエット映像は様々あるが、次の映像は爽やかな師弟関係の始まりを示している。イ・ソンヒの眼差しから穏やかさと、すこぶる清潔感を、イ・スンギからは初々しさ(当時17歳)が感じられる。特に、イ・ソンヒの、白いシャツに勿忘草色した上着がとても似合っている(ファッションについて説明できないのが残念)。

(Youtubeに登録の아카시아 Acaciaに感謝)

2012年7月5日木曜日

(資料)ユン・ホジュン「世界を変えた歌36弾-イ・ソンヒ"Jへ"」

Daumミュージックに掲載のユン・ホジュン(윤호준)の「世界を変えた歌36弾 - イ・ソンヒ "Jへ"」(1/20)は、1984年の江辺歌謡祭に登場した後デビューを果たした、イ・ソンヒの姿を次(一部抜粋)のように記している。感謝。

・(「Jへ」受賞当時の)イ・ソンヒは小さな体躯で、大きな眼鏡をかけた平凡な容貌であったし、ズボン(スタイル)に固執した。(「Jへ」序奏部の)バース(verse、節(ふし))の低音域帯を歌う時、彼女は外見と一致した。もろくて細く震える声であり、純粋に見えた。しかしコーラス(chorus、リフレーン)が始まれば、立体的で圧倒的な声量で歌を強打した。どんなものも、彼女の前を遮れなかった。歌はあっという間に彼女に征服された。ズボンだけ着る少女の暴風のような内面、イ・ソンヒのキャラクターはそのように形成されたし、一瞬のうちに10代少女たちの心をとらえた。あえて荒い男性ロッカーを探す必要がなかった。妖艶な女性ソウル・ボーカルも必要なかった。彼女は、危険な男性と派手でけばけばしい女性という単純な設定を跳び越える領域を保有していた。少女たちは、平凡なイ・ソンヒの外見を自分たちといくらでも一致させることができた。そして、その次の過程は、イ・ソンヒに預けた。それにより、イ・ソンヒの途方もない声を祈るように、大胆になり熱くなることができた。彼女が「私は愛に落ちました」と、「燃えるような私の愛避けられなくて」と張り上げるたびに、ピリッとした戦慄が押し寄せてきた。

・イ・ソンヒは、「Jへ」から始まったイメージで、1980年代を生きたし、最高の人気を謳歌した。しおりにさしておいた色褪せたイチョウの葉を物語る「ヨン」が、少女たちだけの内密な世界を扱った歌が、人気歌謡の序列に上った時期はかつてなかった。レコードを発表するたびに、声がアップグレードされた彼女は、若い作曲家ソン・シヒョン(송시현)の歌を歌う時まで無敵だった。1990年代の入り口で「思い出のページをめくれば」を歌う時まで、イ・ソンヒは女子中高生たちのアバターであり、隠した欲望の代理人であった。

(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

(付記)
本日、上野動物園のジャイアントパンダのシンシンが無事出産した。更に数時間から一日以内に、半分の確率で、双子の第2子を期待できるかもしれないそうだ。

2015年1月2日金曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

高校時代、イ・ソンヒは、通っていた音楽室であわや消え去ろうとしていた譜面を作曲家から譲り受けた。後に20歳となる大学時代の夏、「江辺歌謡祭」(1984年)に出場してその曲を歌い大賞受賞した。「Jへ(J에게)」である。女学生たちに圧倒的な支持を受けることになる。

(本ブログ関連:”京郷新聞”)

1980年代当時の空気を知る、ソウルにいた日本人留学生の思い出に、なぜかカセットテープの彼女の歌を求めたという記述がある。考えてみれば、LPプレーヤーを持って留学するような時代ではなかった。

江辺歌謡祭には「4幕5場」というデュエットでステージに立ったが、髪型(チリチリパーマ)、丸縁のメガネスタイル、スカート(ベトナムスカート)というファッションのどれをとってもユニークだった。後の彼女は、コンサートでバックにその映像を映すことをためらわない。次のYoutube映像(デビュー20年のコンサート、2004年)で見ることができる。清清しいほどだ。

「Jへ」

J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録のjustine kellyに感謝)