曇り空の昼過ぎ、久し振りに都内を巡る。行き先は電車内で何となく決めた、山手線上の街、新大久保と新宿だ。どんよりした景観に気が重くて、さらにの遠出は躊躇する、ほどほどの距離である。
新大久保の駅前は相変わらずの混雑振り。メディアがいうほどもないと思いながら、<大久保通り>を進む。次第に客足の鈍さが気になり始めた。日曜日にしては、最盛期の半分、いや三分の一といったところだろうか。想像以上に変化が進んでいるようだ。冬の厳しさを感じた。
コリア・プラザのCD、書籍売り場を廻る。CD棚に、イ・ソンヒの2集リマスタリング・アルバム、最新の15集アルバム、30周年記念コンサート・ライブのCDが並んでいた。売り切りを急いでいるように見えて気になった。これ以上、新大久保にとどまることもなくて新宿に移動する。
紀伊国屋書店で、中島みゆきの歌詞集である、「中島みゆき全歌集 1975-1986」、「中島みゆき全歌集 2001-2014」(ともに朝日新聞出版)を求める。彼女の歌詞集は、以前購入の「中島みゆき最新歌詞集 1987-2003」と「中島みゆきnakajima miyuki全歌集」*(ともに朝日新聞出版)が手元にある。
(本ブログ関連:”中島みゆき”)
ちなみに、今回手にした「中島みゆき全歌集 1975-1986」は、以前購入の「中島みゆきnakajima miyuki全歌集」の新装版である。両巻末に詩人の谷川俊太郎の同じあとがき「大好きな『私』」があって、歌われる歌詞を文字で読むことについて、「歌の魅力がときにことば以上に、そのメロディやリズムや歌い手の声によっていることは誰もが知っている」ことを承知して、歌詞と詩を対比するかたちで次のような記述している。(下線は今回付記した)
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歌はことばの隠している意味と感情を増幅する。あるいは誇張すると言っていいかもしれない。だがそうすることで、歌は私たちがふだんとらえ損なっていることばの意味と感情を新しくよみがえらせてくれる。メロディとリズムに支えられたひとりの生身の歌い手の声がそれを可能にするのだ。だから活字になった歌のことばは、ある意味ではぬけがらにすぎないと言えるかもしれない。しかしまた音楽と声の助けなしにことばを読むことで、私たちは歌の肉体だけでなく、骨格とでもいうべきものを知ることができる。特にそのことばが、歌い手自身によって書かれている場合には、ひとりの歌い手の心の中にわけいることさえできるのだ。ことばと音楽と声はひとつの歌のうちで、決して分解できぬものとして存在しているのだが、書物は音楽にあふれたスタジオやコンサートホールとはまた違った静けさのうちでしか聞くこのできない隠された声、それを詩と呼んでもいいのではないだろうか。
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2015年12月6日日曜日
2015年12月5日土曜日
イ・ソンヒのアルバム12集 「この歌をかりて」
イ・ソンヒのアルバム12集は、ソウルの中古レコード店でCDを見つけることができなかった。日本国内で一度購入のチャンスがあったのを見逃してしまい後悔している。韓国のネットでは探し出せるが、購入手続きが面倒そうなので、いつか好機を待つ他になしとしている。
ところで、放送PDから(本格)制作者への道を進むキム・ソンフンという方のTwitter(@omstv101)に、この12集について次のような紹介がある(感謝)。日本ではなかなか見つからなかった理由があるようだ。
-----------------------------------------------
歌手イ・ソンヒの12集アルバムは、2001年に発売されるやいなや配給会社の問題で販売が中止された。12集アルバムの中で、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」の曲は、イ・ソンヒの歌手人生最高の音楽として挙げられる。しかし、中古CDどころか、音源サイトでも聞くことがない。そうした・・・
-----------------------------------------------
上記のTwitterの中で語られている通り、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」は本当に美しい曲で、ドラマチックな響きがして、すぐ感応してしまう。
(本ブログ関連:”この歌をかりて”)
(参考) 投稿サイトの”トゥデイ・ユーモア”で、「この歌は、実話を基に作った歌だそうです・・・聴覚障害のある方が障害のために、愛する人を去り、別れるしかなかった痛みを表現した」という伝聞を紹介されている。感謝。
分かってよ、多分私もそうしたわ
私に反対の家族は もう許してくれたの
あなたもおそらく親になれば、その心分かるわ
あなたを惜しんで そういうのを
幸せでなければならない、私の掌(てのひら)に書かいて
走って行ったあなたに 電話しようとしたの
そんなにも あなたのために練習した言葉
あなたを愛してる、私の声で
この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ
私は祈って、またこの世に来るなら
その時は このようにどうか生まれないように
誰かをただ愛することさえ
罪にならねばならぬ自分が嫌いです
この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
*
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ
(*以下繰り返し)
(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)
ところで、放送PDから(本格)制作者への道を進むキム・ソンフンという方のTwitter(@omstv101)に、この12集について次のような紹介がある(感謝)。日本ではなかなか見つからなかった理由があるようだ。
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歌手イ・ソンヒの12集アルバムは、2001年に発売されるやいなや配給会社の問題で販売が中止された。12集アルバムの中で、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」の曲は、イ・ソンヒの歌手人生最高の音楽として挙げられる。しかし、中古CDどころか、音源サイトでも聞くことがない。そうした・・・
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上記のTwitterの中で語られている通り、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」は本当に美しい曲で、ドラマチックな響きがして、すぐ感応してしまう。
(本ブログ関連:”この歌をかりて”)
(参考) 投稿サイトの”トゥデイ・ユーモア”で、「この歌は、実話を基に作った歌だそうです・・・聴覚障害のある方が障害のために、愛する人を去り、別れるしかなかった痛みを表現した」という伝聞を紹介されている。感謝。
分かってよ、多分私もそうしたわ
私に反対の家族は もう許してくれたの
あなたもおそらく親になれば、その心分かるわ
あなたを惜しんで そういうのを
幸せでなければならない、私の掌(てのひら)に書かいて
走って行ったあなたに 電話しようとしたの
そんなにも あなたのために練習した言葉
あなたを愛してる、私の声で
この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ
私は祈って、またこの世に来るなら
その時は このようにどうか生まれないように
誰かをただ愛することさえ
罪にならねばならぬ自分が嫌いです
この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
*
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ
(*以下繰り返し)
(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)
2015年12月4日金曜日
(資料)「歌謡番組が危ない?」
韓国歌謡界といえば、オーディション、メディアの変化、ランキングシステムといった状況のもと、グループ・アイドル歌手の生産と消費、それに対極する歌手の居場所といったものが話題にあがる。それに伴い将来の「歌謡番組が危ない?」といった歌謡番組存立そのものの話しまで出ている。
KBS WORLD RADIO(日本語放送)の番組「アジュンマの井戸端会議」の第376話「歌謡番組が危ない?」(11/19)は、随分ショッキングなタイトルだが、歌謡番組の出演システムや番組の存在について次のように伝えている。(抜粋表示)
(本ブログ関連:”アイドル”)
-------------------------------------------------------------
・地上波やケーブルテレビ各局の歌謡番組の放送は、楽曲のランキングを発表し、それで出演者が決まる。ランキングの意味が全くなく、いずれの番組も廃止するべきという声が上がっている。アイドル中心に反感が強いこと、それに番組の影響力が弱くなっていることが原因。
・ほとんど毎日放送される歌謡番組では、1位になる歌手が毎週のように変わるのが最近の趨勢。ランキング番組の主な視聴者は、ビジュアル重視で、アイドル歌手追っかけの忠誠度の高い10代だ。番組のランキングは、CD売り上げ、聴取回数、ミュージックビデオ再生回数などが評価対象となる。また視聴者の事前投票もかなりを占め、忠誠度の高いファンを持つアイドルに有利なシステムである。出演時間は3分前後だが、数回のリハーサルに半日は放送局で過ごさねばならない。
・最近まで音源チャートの上位ランクインしていた歌手たちは、最新曲で歌謡番組にほとんど出演しない。新曲で活動再開をアピールし、カムバック披露するのが、アイドルたちを除いて意味合いもなくなっている。
・歌謡番組のランキングは何の意味もないと切り捨てる歌謡関係者もいる。特定事務所の所属歌手により多くの時間を割き、忠誠度の高いファンを多く持つアイドルグループがカムバックと同時に1位になるような、構造的な問題を抱えている。
・マルチメディアの時代の到来で、放送局の歌謡番組に出演しなくとも、自身の楽曲を宣伝することができる機会が増えたのも、歌謡番組が軽視されるようになった理由の一つだろう。これからは新人も含めて歌謡番組には出演しない歌手がますます増えるのではないかと、業界ではみている。
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KBS WORLD RADIO(日本語放送)の番組「アジュンマの井戸端会議」の第376話「歌謡番組が危ない?」(11/19)は、随分ショッキングなタイトルだが、歌謡番組の出演システムや番組の存在について次のように伝えている。(抜粋表示)
(本ブログ関連:”アイドル”)
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・地上波やケーブルテレビ各局の歌謡番組の放送は、楽曲のランキングを発表し、それで出演者が決まる。ランキングの意味が全くなく、いずれの番組も廃止するべきという声が上がっている。アイドル中心に反感が強いこと、それに番組の影響力が弱くなっていることが原因。
・ほとんど毎日放送される歌謡番組では、1位になる歌手が毎週のように変わるのが最近の趨勢。ランキング番組の主な視聴者は、ビジュアル重視で、アイドル歌手追っかけの忠誠度の高い10代だ。番組のランキングは、CD売り上げ、聴取回数、ミュージックビデオ再生回数などが評価対象となる。また視聴者の事前投票もかなりを占め、忠誠度の高いファンを持つアイドルに有利なシステムである。出演時間は3分前後だが、数回のリハーサルに半日は放送局で過ごさねばならない。
・最近まで音源チャートの上位ランクインしていた歌手たちは、最新曲で歌謡番組にほとんど出演しない。新曲で活動再開をアピールし、カムバック披露するのが、アイドルたちを除いて意味合いもなくなっている。
・歌謡番組のランキングは何の意味もないと切り捨てる歌謡関係者もいる。特定事務所の所属歌手により多くの時間を割き、忠誠度の高いファンを多く持つアイドルグループがカムバックと同時に1位になるような、構造的な問題を抱えている。
・マルチメディアの時代の到来で、放送局の歌謡番組に出演しなくとも、自身の楽曲を宣伝することができる機会が増えたのも、歌謡番組が軽視されるようになった理由の一つだろう。これからは新人も含めて歌謡番組には出演しない歌手がますます増えるのではないかと、業界ではみている。
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2015年12月3日木曜日
イ・ソンヒ「一人になった愛」
イ・ソンヒの登場に驚いた作家たちには力が入っただろう。初集アルバムの作品は今も素晴らしい名曲揃いだ。それらを、力いっぱいに響かせたデビュー時と違い、時間を経るごとに更に豊かな作品になっていく。
イ・ソンヒの1集に所収の「一人になった愛(혼자된 사랑)」(1985年、作詞キム・キルソプ、作曲ソン・ジュホ)を、1990年10月に訪れたモントリオール室内楽団と協演している、次の映像を見て、いっそう洗練されていることが分かる。(それでも若々しい)この機会にソウルの世宗文化会館に立つことができた。
(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)
協演当時、音楽界での自身の立場について複雑な思いがあったようだ。彼女の自伝というべき思い出語りに、次のような記憶がある。
--------------------------------------
昨年の秋(1990年10月)には、カナダのモントリオール室内管弦楽団と共演した。あの「敷居の高い」世宗文化会館大講堂で。その楽団が著名な外国のクラシックオーケストラではなかったとしたら、私一人で世宗文化会館の舞台に立つということが可能だったのだろうか? ほろ苦い。また、私が望んだことは、外国楽団でない私たちのオーケストラであった。しかしながら、伴奏はできないというのだから、私だってどうすることができようか。
--------------------------------------
風が雨を巻きあげて さらっていった街に
捨てられた傘ひとつ さびしく泣いていた
*
足もとには夕闇せまって 孤独な夜が深まれば
行く辺のないこの心 静寂(しじま)の中で明かした
しずむ 孤独だけが 切なくて
散らばる葉を集め 火をつけて
去った愛を探して さびしい心 (Oh~)
そっと寄りそいみれば それでも 暖かい、暖かい
ひとりいるより
(*以下繰り返し)
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
イ・ソンヒの1集に所収の「一人になった愛(혼자된 사랑)」(1985年、作詞キム・キルソプ、作曲ソン・ジュホ)を、1990年10月に訪れたモントリオール室内楽団と協演している、次の映像を見て、いっそう洗練されていることが分かる。(それでも若々しい)この機会にソウルの世宗文化会館に立つことができた。
(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)
協演当時、音楽界での自身の立場について複雑な思いがあったようだ。彼女の自伝というべき思い出語りに、次のような記憶がある。
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昨年の秋(1990年10月)には、カナダのモントリオール室内管弦楽団と共演した。あの「敷居の高い」世宗文化会館大講堂で。その楽団が著名な外国のクラシックオーケストラではなかったとしたら、私一人で世宗文化会館の舞台に立つということが可能だったのだろうか? ほろ苦い。また、私が望んだことは、外国楽団でない私たちのオーケストラであった。しかしながら、伴奏はできないというのだから、私だってどうすることができようか。
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風が雨を巻きあげて さらっていった街に
捨てられた傘ひとつ さびしく泣いていた
*
足もとには夕闇せまって 孤独な夜が深まれば
行く辺のないこの心 静寂(しじま)の中で明かした
しずむ 孤独だけが 切なくて
散らばる葉を集め 火をつけて
去った愛を探して さびしい心 (Oh~)
そっと寄りそいみれば それでも 暖かい、暖かい
ひとりいるより
(*以下繰り返し)
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
2015年12月2日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 別れの歌
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<別れの歌>に関連した3曲を紹介した。
始めに、昔は特定の木を植えて道程(距離)を示したこと、東屋(あずまや)を置いたことについて次のように紹介された。
・昔の道は、目的地までの距離を示すのに木を植えて表した。10里の地点にハリゲヤキ、5里の地点にハンノキを植えた。5里を「オリ(오리)」と発音し、ハンノキを「オリナム(오리나무.=五里木)」と言うのは、これにちなんだと言われる。ちなみに、日本の1里≒4Kmは、朝鮮の10里≒4Kmとなり、単位は同じ「里」だが距離に違いがある。また、ハンノキは高く、遠くから見える。村々に東屋を5里ごとに建てたことから、5里(오리)の発音を付して「五里亭(오리정)」とも呼ぶ。人を迎え、別れる場所でもあった。例えば、パンソリ「春香歌(춘향가)」で、春香(춘향)と李夢龍(이몽룡)が別れたところが五里亭だ。
▼ 「春香歌」から、「五里亭の別れ(오리정 이별대목)」の場面を聴く。どことなく物静かだが、千遍思案を重ねてのこと。
次に、「春香歌」で春香と李夢龍の五里亭での別れと、その心情について次のように紹介された。
・李夢龍は地方官の息子で、地方官の家族が都に去る日、妓生の娘春香が五里亭まで追った。当時にすれば無茶と思えるが、それだけ切ない別れだったのだろう。京畿地域の歌い手が、この場面を歌で構成した、十二の雑歌の中に「出引歌」がある。日常の惣菜の青唐辛子、作りたてのキムチを、また昔も今も高級なタコ、アワビなどの食材を用意して五里亭に向かうところから始まる。別れを前に馳走を味わう余裕はないものの、心を込めて準備したのだろう。
▼ 京畿地域の雑歌から「出引歌(출인가)」を聴く。いつまでも明るく生きることを願う、恋すればの歌だろうか。
最後に、別れの後に恋人たちが安否を気遣い託した「青い鳥(청조)」の伝説について次のように紹介された。
・別れは悲しい。旅立たねばならぬ者がいて、その後に、いつまでも待つ者がいる。手紙のやり取りもままならぬ当時、人々は飛び交う鳥を見て心を慰めた。昔、朝からカササギがさえずると喜ばしいことがあると信じられた。中国では青い鳥がその役割をした。青い鳥に、恋人の安否を問う歌がある。女性歌曲(가곡)で、伝統的音階の「ウジョ(우조)」に、「チュンゴ(중거)」という歌曲がある。
▼ 鳥に歌いかける歌「青い鳥よ(청조야)」を聴く。柔らかい詩吟のよう。安否と安堵が重なる。
・最後に、キム・ボエさんの言葉「別れがあるからこそ、また再会の喜びもあるのだと思います。」
始めに、昔は特定の木を植えて道程(距離)を示したこと、東屋(あずまや)を置いたことについて次のように紹介された。
・昔の道は、目的地までの距離を示すのに木を植えて表した。10里の地点にハリゲヤキ、5里の地点にハンノキを植えた。5里を「オリ(오리)」と発音し、ハンノキを「オリナム(오리나무.=五里木)」と言うのは、これにちなんだと言われる。ちなみに、日本の1里≒4Kmは、朝鮮の10里≒4Kmとなり、単位は同じ「里」だが距離に違いがある。また、ハンノキは高く、遠くから見える。村々に東屋を5里ごとに建てたことから、5里(오리)の発音を付して「五里亭(오리정)」とも呼ぶ。人を迎え、別れる場所でもあった。例えば、パンソリ「春香歌(춘향가)」で、春香(춘향)と李夢龍(이몽룡)が別れたところが五里亭だ。
▼ 「春香歌」から、「五里亭の別れ(오리정 이별대목)」の場面を聴く。どことなく物静かだが、千遍思案を重ねてのこと。
次に、「春香歌」で春香と李夢龍の五里亭での別れと、その心情について次のように紹介された。
・李夢龍は地方官の息子で、地方官の家族が都に去る日、妓生の娘春香が五里亭まで追った。当時にすれば無茶と思えるが、それだけ切ない別れだったのだろう。京畿地域の歌い手が、この場面を歌で構成した、十二の雑歌の中に「出引歌」がある。日常の惣菜の青唐辛子、作りたてのキムチを、また昔も今も高級なタコ、アワビなどの食材を用意して五里亭に向かうところから始まる。別れを前に馳走を味わう余裕はないものの、心を込めて準備したのだろう。
▼ 京畿地域の雑歌から「出引歌(출인가)」を聴く。いつまでも明るく生きることを願う、恋すればの歌だろうか。
最後に、別れの後に恋人たちが安否を気遣い託した「青い鳥(청조)」の伝説について次のように紹介された。
・別れは悲しい。旅立たねばならぬ者がいて、その後に、いつまでも待つ者がいる。手紙のやり取りもままならぬ当時、人々は飛び交う鳥を見て心を慰めた。昔、朝からカササギがさえずると喜ばしいことがあると信じられた。中国では青い鳥がその役割をした。青い鳥に、恋人の安否を問う歌がある。女性歌曲(가곡)で、伝統的音階の「ウジョ(우조)」に、「チュンゴ(중거)」という歌曲がある。
▼ 鳥に歌いかける歌「青い鳥よ(청조야)」を聴く。柔らかい詩吟のよう。安否と安堵が重なる。
・最後に、キム・ボエさんの言葉「別れがあるからこそ、また再会の喜びもあるのだと思います。」
2015年12月1日火曜日
師走2015
今日から12月、旧暦名であるが「師走」となった。やっと冬らしい寒さが来た。外出に、思わず厚手のジャンパーと手袋を用意したくらいだ。夜の帰り道、冬着してよかったとつくづく思った。それほど頬をさすように冷えた。
(本ブログ関連:”師走”)
今年も残り1ヶ月しかなくて、部屋の「月別カレンダー」は一枚だけになってゆらゆら揺れている。「日めくりカレンダー」も薄くなり落ち着かないようだ。町中、クリスマスムード作りして、駅前や公園の木立をLED照明で飾っている。(こんな寒い夜中に、子どもたちが見に来るのだろうか)
1年をリンゴの実に例えて、軸を中心に縦に12等分すると、既に11/12食ってしまったことになる。1/12は一片というより、一枚といったほうがよいかもしれない。まるで一年がスライスされ、ポテトチップのようになっている。
師走の名と違い、生活はあわただしくない。歳のせいだろうか。カウチポテト族のように、この31日間を無為に過ごすことになりそうだ。それでも時間は過ぎていく、過ぎて行ってくれる。
(本ブログ関連:”師走”)
今年も残り1ヶ月しかなくて、部屋の「月別カレンダー」は一枚だけになってゆらゆら揺れている。「日めくりカレンダー」も薄くなり落ち着かないようだ。町中、クリスマスムード作りして、駅前や公園の木立をLED照明で飾っている。(こんな寒い夜中に、子どもたちが見に来るのだろうか)
1年をリンゴの実に例えて、軸を中心に縦に12等分すると、既に11/12食ってしまったことになる。1/12は一片というより、一枚といったほうがよいかもしれない。まるで一年がスライスされ、ポテトチップのようになっている。
師走の名と違い、生活はあわただしくない。歳のせいだろうか。カウチポテト族のように、この31日間を無為に過ごすことになりそうだ。それでも時間は過ぎていく、過ぎて行ってくれる。
2015年11月30日月曜日
イ・ソンヒの「少女の祈り」
総じて暖冬。昼の日向の温もりも、日陰に入ればヒンヤリする。月面であれ、宇宙であれ、太陽光のあたる部分とそうでない部分の温度差は想像以上。地上でも、砂漠の昼夜で随分と差がでる。そう考えると、この寒暖に不平もいえない。
紅葉は温度差が激しいほど美しいという。最盛期は過ぎたが、高尾山の紅葉はまだ見ごろとのこと。行ってみようかと思案するが、寒さと人の混み合いを想像するだけで足が遠のく。詩情がわかないが、近場の紅葉でおさめる。それにしても、紅葉を愛でるにふさわしい(人生の)時期もあるようだ。
イ・ソンヒの初めてのアルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、思い出が落葉のように重なる乙女の歌だ。次のYoutubeの歌声は、20周年コンサートのものだろうか。高音につやが加わって、なめらかに響く。たぶん、最も美しい紅葉だろう。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
(Youtubeに登録のseony7676に感謝)
紅葉は温度差が激しいほど美しいという。最盛期は過ぎたが、高尾山の紅葉はまだ見ごろとのこと。行ってみようかと思案するが、寒さと人の混み合いを想像するだけで足が遠のく。詩情がわかないが、近場の紅葉でおさめる。それにしても、紅葉を愛でるにふさわしい(人生の)時期もあるようだ。
イ・ソンヒの初めてのアルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、思い出が落葉のように重なる乙女の歌だ。次のYoutubeの歌声は、20周年コンサートのものだろうか。高音につやが加わって、なめらかに響く。たぶん、最も美しい紅葉だろう。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
(Youtubeに登録のseony7676に感謝)
2015年11月29日日曜日
なぜ仙人の話しをするのか
このブログは、イ・ソンヒのファンブログだ。とはいえ、毎日彼女のことを書き続ける力はない。そこで、彼女の歌の曲名や歌詞内容にキーワードを探し、思い浮かぶことを話題にしたりしている。テレビドラマの「僕のガールフレンドは九尾狐」挿入曲である、彼女の歌「狐の嫁入り(여우비)」(2010年)から、狐信仰、九尾狐、稲荷神社、(狐に関連して)山海経、聊斎志異、耳袋(嚢)など調べている。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)
また、イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄(ぼんばい:범패)」の指導者だったことから、韓国仏教、国楽などに関心を向けている。
そんな一つに、イ・ソンヒの名前がある。漢字名「李仙姫」に、なぜ「仙」の文字があるのかについて、彼女が誕生する前に父親が見た「夢」から選ばれたということを何度か触れた。
(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)
---------------------------------------
「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」
・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
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ここ数日、仙人について書き連ねている。いつか、仙人のいる仙境、あるいは桃源郷の世界を覗くことができたらと期待している。(とはいえ、仙人の事典のような列仙伝をめくると、彼らが普遍的な存在というよりは、一つの生き方に見えてくる。人模様というか、人様々というか。)
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)
また、イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄(ぼんばい:범패)」の指導者だったことから、韓国仏教、国楽などに関心を向けている。
そんな一つに、イ・ソンヒの名前がある。漢字名「李仙姫」に、なぜ「仙」の文字があるのかについて、彼女が誕生する前に父親が見た「夢」から選ばれたということを何度か触れた。
(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)
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「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」
・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
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ここ数日、仙人について書き連ねている。いつか、仙人のいる仙境、あるいは桃源郷の世界を覗くことができたらと期待している。(とはいえ、仙人の事典のような列仙伝をめくると、彼らが普遍的な存在というよりは、一つの生き方に見えてくる。人模様というか、人様々というか。)
2015年11月28日土曜日
仙人になりそこなう
国立国会図書館には、古書をネットで参照できるサービス、「近代デジタルライブラリー」がある。<仙人 支那>で検索すると、最近気になり探している中国の仙人話しを読むことができる。
(本ブログ関連:”仙人”、”国立国会図書館”)
池田大伍編の「支那童話集:新訳」(富山房、大正13年)に、「聊斎志異」*をもとに書いた「仙人修業」がある。仙人になりたいという思いはあるが、それを浅慮と見抜かれた男の話しだ。彼は、仙人になる一途さも、仙人になる躊躇もない。あるのは、その気になってしまう粗忽さだけだった。
(* 「聊斎志異」の「仙術修業 - 労山道士」を童話にした)
仙人になりたくて、(労山にいる)道士に弟子入りしたものの長続きしない王生は、ひと月、ふた月と我慢したものの、とうとう暇を申し出る。何を思ったか、一つだけ秘術を教え乞うたのだ。道士は、「それ見ろ。だから、わたしはお前には辛抱はできないといったのだ。」といいながらも、壁抜けの術を授けた。そして、その時は、王生にもそれができた。
家に戻った王生は、仙道を学んできたといいわけするが、長い留守に女房に散々なじられる。そこで、壁抜けの術を見せようとする。
------------------------------------
「ではやってみせるぞ」
と、家の壁から、五六尺離れて、呪文を唱えて、頭を突き出して、駆けぬけようとしますと、堅い壁で、どさんと頭が突当たって、目が眩んで転倒(ひっくりかえ)りました。お嫁さんが助けおこしてみると、額の上に、大きな卵ほどの瘤(こぶ)が出来ました。お嫁さんはあんまり馬鹿々々しさに、笑い出しました。王はぷんぷん怒って、「悪道士め、欺(だ)ましたな。」と、次団駄ふみましたが、どうすることもできませんでした。
------------------------------------
人にも見極めがある。適不適だけでなく、人格まで見抜くことだ。勘といってもよいし、経験から体得したものといってもよい。重要な仕事を共にする場合に至極当り前の判別だし、自分が編み出した術を伝授するとなればなおさら肝心である。
ところが、見極めからはずれた当人は、なぜそうなのか理解できない。はずした側にすれば、きつくいえないし、早く気付いて欲しいと願うばかりだ。
(本ブログ関連:”仙人”、”国立国会図書館”)
池田大伍編の「支那童話集:新訳」(富山房、大正13年)に、「聊斎志異」*をもとに書いた「仙人修業」がある。仙人になりたいという思いはあるが、それを浅慮と見抜かれた男の話しだ。彼は、仙人になる一途さも、仙人になる躊躇もない。あるのは、その気になってしまう粗忽さだけだった。
(* 「聊斎志異」の「仙術修業 - 労山道士」を童話にした)
仙人になりたくて、(労山にいる)道士に弟子入りしたものの長続きしない王生は、ひと月、ふた月と我慢したものの、とうとう暇を申し出る。何を思ったか、一つだけ秘術を教え乞うたのだ。道士は、「それ見ろ。だから、わたしはお前には辛抱はできないといったのだ。」といいながらも、壁抜けの術を授けた。そして、その時は、王生にもそれができた。
家に戻った王生は、仙道を学んできたといいわけするが、長い留守に女房に散々なじられる。そこで、壁抜けの術を見せようとする。
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「ではやってみせるぞ」
と、家の壁から、五六尺離れて、呪文を唱えて、頭を突き出して、駆けぬけようとしますと、堅い壁で、どさんと頭が突当たって、目が眩んで転倒(ひっくりかえ)りました。お嫁さんが助けおこしてみると、額の上に、大きな卵ほどの瘤(こぶ)が出来ました。お嫁さんはあんまり馬鹿々々しさに、笑い出しました。王はぷんぷん怒って、「悪道士め、欺(だ)ましたな。」と、次団駄ふみましたが、どうすることもできませんでした。
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人にも見極めがある。適不適だけでなく、人格まで見抜くことだ。勘といってもよいし、経験から体得したものといってもよい。重要な仕事を共にする場合に至極当り前の判別だし、自分が編み出した術を伝授するとなればなおさら肝心である。
ところが、見極めからはずれた当人は、なぜそうなのか理解できない。はずした側にすれば、きつくいえないし、早く気付いて欲しいと願うばかりだ。
2015年11月27日金曜日
仙人の心変り
季節が巡り、ようやく訪れた春に思いをあらたにするものだ。薄田泣菫は和やかな春に接して、掌編「春の賦」の後半に、次のような話しを紹介している。念願の仙人修行を成就したものの、一瞬の<ちょっとした>心変りした男を省察する。
中国のいつの時代だったか、馬明生は仙術の不老不死と飛翔にあこがれ、第一人者の安期生に弟子入りする。修業の後、「金液神丹方」を伝授される。この「神丹」を飲めば、不老不死となり、鳥のように空を飛べるというのだ。そこで、華陰山の山深く入り、教えられた秘法で仙薬を錬り、できあがった薬をてのひらに載せて、ほがらかな微笑さえも浮べて言った。
-----------------------------------------
「わしは、今これを服そうとしているのだ。次の瞬間には、わしの身体は鸛(こうのとり)のように、ふわりと空高く舞ひ揚ることができるのだ。大地よ。お前とは久しい間の……」
彼はこういつて、最後の一瞥を長い間の昵懇(なじみ)だった大地の上に投げた。
その一刹那、彼の心は変った。彼は掌面に盛っていた仙薬の全分量の半分だけを一息にぐっと嚥み下したかと思うと、残った半分を惜し気もなくそこらにぶち撒けてしまった。
飛仙となって、羽ばたきの音けたたましく大空を翔けめぐるべきはずだった馬明生の体は、見る見るうちに傴僂(せむし)のように折れ曲って、やがて小さな地仙*となってしまった。
-----------------------------------------
(* 地仙: 超越して飛翔できる天仙に対する、位の下る地上の仙人)
泣菫は、馬明生の一刹那の行動について、「彼の心変りも、詮じ詰めると、(時季がちようど春だったから感じる)そんなちよっとした理由にもとづくものではなかったろうか。/世の中にはよくそんなことがあるものだ。」と語る。
冬に枯れた心に、春は生命力を吹き込む。そんな自然を感応したとき、仙人の境界を知り、それを越えることに躊躇したのだろう。そうであるからこそ、人はより自然に引き寄せられる。わが身がどうであれ、地上の風景とともにあることを選んだのかもしれない。
(本ブログ関連:”仙人”)
中国のいつの時代だったか、馬明生は仙術の不老不死と飛翔にあこがれ、第一人者の安期生に弟子入りする。修業の後、「金液神丹方」を伝授される。この「神丹」を飲めば、不老不死となり、鳥のように空を飛べるというのだ。そこで、華陰山の山深く入り、教えられた秘法で仙薬を錬り、できあがった薬をてのひらに載せて、ほがらかな微笑さえも浮べて言った。
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「わしは、今これを服そうとしているのだ。次の瞬間には、わしの身体は鸛(こうのとり)のように、ふわりと空高く舞ひ揚ることができるのだ。大地よ。お前とは久しい間の……」
彼はこういつて、最後の一瞥を長い間の昵懇(なじみ)だった大地の上に投げた。
その一刹那、彼の心は変った。彼は掌面に盛っていた仙薬の全分量の半分だけを一息にぐっと嚥み下したかと思うと、残った半分を惜し気もなくそこらにぶち撒けてしまった。
飛仙となって、羽ばたきの音けたたましく大空を翔けめぐるべきはずだった馬明生の体は、見る見るうちに傴僂(せむし)のように折れ曲って、やがて小さな地仙*となってしまった。
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(* 地仙: 超越して飛翔できる天仙に対する、位の下る地上の仙人)
泣菫は、馬明生の一刹那の行動について、「彼の心変りも、詮じ詰めると、(時季がちようど春だったから感じる)そんなちよっとした理由にもとづくものではなかったろうか。/世の中にはよくそんなことがあるものだ。」と語る。
冬に枯れた心に、春は生命力を吹き込む。そんな自然を感応したとき、仙人の境界を知り、それを越えることに躊躇したのだろう。そうであるからこそ、人はより自然に引き寄せられる。わが身がどうであれ、地上の風景とともにあることを選んだのかもしれない。
(本ブログ関連:”仙人”)
2015年11月26日木曜日
(資料) 金泳三と歌手イ・ソンヒの握手
イ・ソンヒは27才となる1991年(6月20日)に、ソウル市会議員選挙にて麻浦地区から民自党候補として出馬し当選した。
(本ブログ関連:”ソウル市議会議員”)
連合通信の記事、「<YS死去> 金泳三と歌手イ・ソンヒの握手」(11/22)に、(イ・ソンヒがソウル市会議員選挙に出馬した)当時民自党代表だった金泳三(元大統領、1927年12月20日~2015年11月22日)と握手する写真(1991年6月)が掲載されている。
ちなみに、「金泳三」のローマ字名「Kim Young-sam」から「YS」と表記。(最近の)大統領名の略称として使われる。
(金大中元大統領は「DJ」と呼ばれる。イ・ソンヒと握手している写真を、ネットで見たことがある。)
(本ブログ関連:”ソウル市議会議員”)
連合通信の記事、「<YS死去> 金泳三と歌手イ・ソンヒの握手」(11/22)に、(イ・ソンヒがソウル市会議員選挙に出馬した)当時民自党代表だった金泳三(元大統領、1927年12月20日~2015年11月22日)と握手する写真(1991年6月)が掲載されている。
ちなみに、「金泳三」のローマ字名「Kim Young-sam」から「YS」と表記。(最近の)大統領名の略称として使われる。
(金大中元大統領は「DJ」と呼ばれる。イ・ソンヒと握手している写真を、ネットで見たことがある。)
2015年11月25日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 島々の歌
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<島々の歌>にふさわしい3曲を紹介した。
始めに、全羅道地域の多島海にある「巨文島(거문도)」ついて次のように紹介された。
・韓国には3,300の島があり、その内2,300は南側に位置する。特に、珍島を中心とする西南海岸、全羅道地域だけで、2,000近くの島が散在し、海域を「多島海」と呼ぶ。海辺で海苔やカキを養殖し、その向こうに島々が並ぶ。海は田、島は山に思える。島は陸地ほど往来の自由がないが、それぞれ独特で貴重な文化を残している。全羅南道の麗水沖に「巨文島」がある。
▼ 多島海の島歌「巨文島の舟歌(거문도 뱃노래)」を聴く。潮風を受け、波越える海の男たちのみなぎる力が聞こえる。
次に、巨文島の歴史と「甫吉島(보길도)」の文化(尹善道:윤선도、1587年~1671年)について次のように紹介された。
・巨文島は麗水に属し、麗水から船で2時間かかる多島海最南端の島だ。麗水と済州島の中間に位置する。1885年から2年間、英国に占拠された「巨文島事件」で知られる。巨文島の漁夫歌に、船で使う綱をないながら歌う「スルビ歌(술비소리)」、帰港するとき歌う「ソル歌(썰소리)」など様々ある、全羅道のリズムと方言が特徴だ。
また、南の島、「南島(남도)」には、観光客が多く訪れる「甫吉島」がある。朝鮮時代、詩人の尹善道が済州島へ渡るとき、その景色に魅了されて定着したほどだ。ここで風流を楽しみながら書を読み詩作した。甫吉島の四季を描いた「漁父四時詞(어부사시사)」も、ここで出来た作品だ。尹善道が手入れした建物と庭園は、「尹善道園林」といい多くの人々が訪れ、甫吉島の自然保護にも役立っている。
▼ (管)ソグム、(弦)ヘグム・カヤグム演奏「甫吉島の朝(보길도의 아침)」を聴く。陽光が次第に広がり渡る、今様である。
最後に、「珍島(진도)」の地理と、葬儀の歌「珍島タシレギ(진도다시래기)」について次のように紹介された。
・また、南島文化に欠かせなぬ場所が「珍島」だ。韓国で3番目に大きい島で、漁業より農業が盛んだ。美しい環境の影響か、数々の有名アーティストを輩出している。また、歌と関連した多様な無形文化財も保有しており、住民が積極的に参加、継承している。珍島には、葬儀を行う際、村人が喪家で歌い踊る風習があり、そのとき「珍島タシレギ」を歌う。珍島の人々の生き方がうかがえる歌だ。
▼ ”大きな悲しみも歌を歌いながら乗り越える”という歌「珍島タシレギ」を聴く。Youtubeでは寸劇もあるようで・・・賑やか。
始めに、全羅道地域の多島海にある「巨文島(거문도)」ついて次のように紹介された。
・韓国には3,300の島があり、その内2,300は南側に位置する。特に、珍島を中心とする西南海岸、全羅道地域だけで、2,000近くの島が散在し、海域を「多島海」と呼ぶ。海辺で海苔やカキを養殖し、その向こうに島々が並ぶ。海は田、島は山に思える。島は陸地ほど往来の自由がないが、それぞれ独特で貴重な文化を残している。全羅南道の麗水沖に「巨文島」がある。
▼ 多島海の島歌「巨文島の舟歌(거문도 뱃노래)」を聴く。潮風を受け、波越える海の男たちのみなぎる力が聞こえる。
次に、巨文島の歴史と「甫吉島(보길도)」の文化(尹善道:윤선도、1587年~1671年)について次のように紹介された。
・巨文島は麗水に属し、麗水から船で2時間かかる多島海最南端の島だ。麗水と済州島の中間に位置する。1885年から2年間、英国に占拠された「巨文島事件」で知られる。巨文島の漁夫歌に、船で使う綱をないながら歌う「スルビ歌(술비소리)」、帰港するとき歌う「ソル歌(썰소리)」など様々ある、全羅道のリズムと方言が特徴だ。
また、南の島、「南島(남도)」には、観光客が多く訪れる「甫吉島」がある。朝鮮時代、詩人の尹善道が済州島へ渡るとき、その景色に魅了されて定着したほどだ。ここで風流を楽しみながら書を読み詩作した。甫吉島の四季を描いた「漁父四時詞(어부사시사)」も、ここで出来た作品だ。尹善道が手入れした建物と庭園は、「尹善道園林」といい多くの人々が訪れ、甫吉島の自然保護にも役立っている。
▼ (管)ソグム、(弦)ヘグム・カヤグム演奏「甫吉島の朝(보길도의 아침)」を聴く。陽光が次第に広がり渡る、今様である。
最後に、「珍島(진도)」の地理と、葬儀の歌「珍島タシレギ(진도다시래기)」について次のように紹介された。
・また、南島文化に欠かせなぬ場所が「珍島」だ。韓国で3番目に大きい島で、漁業より農業が盛んだ。美しい環境の影響か、数々の有名アーティストを輩出している。また、歌と関連した多様な無形文化財も保有しており、住民が積極的に参加、継承している。珍島には、葬儀を行う際、村人が喪家で歌い踊る風習があり、そのとき「珍島タシレギ」を歌う。珍島の人々の生き方がうかがえる歌だ。
▼ ”大きな悲しみも歌を歌いながら乗り越える”という歌「珍島タシレギ」を聴く。Youtubeでは寸劇もあるようで・・・賑やか。
2015年11月24日火曜日
イ・ソンヒのカバー「未練」、「あなたの愛は」
民謡を含む国楽からトロットまで、あらゆるジャンルを網羅するイ・ソンヒの歌唱力について今更語ることはないだろう。先人の曲をカバーする際に、独自の色に染め上げるのではなく、真摯に向かい合い、その曲が本来持っているだろう音楽性を繊細にすくいあげる。歌声は聴く者の心に深く沁み込み響く。
(本ブログ関連:”「愛しか私はわからない」”、”トロット・メドレー ①、②、③”)
めずらしい(京畿道抱川市にある光陵林業試驗場での)映像がYoutubeにある。イ・ソンヒがカバーする次の2曲を聞くとき、原曲の持つ大衆性を、イ・ソンヒがいとも容易に引き出していることに気付く。しかも、今聞いても古色でなく、時代の臭いを感じさせないのに驚く。
・チャンヒョン(장현、1945年~2008年)の「未練(미련)」
・ヤン・ヒウン(楊姫銀、양희은、1952年~)の「あなたの愛は(내님의 사랑은)」
(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)
(本ブログ関連:”「愛しか私はわからない」”、”トロット・メドレー ①、②、③”)
めずらしい(京畿道抱川市にある光陵林業試驗場での)映像がYoutubeにある。イ・ソンヒがカバーする次の2曲を聞くとき、原曲の持つ大衆性を、イ・ソンヒがいとも容易に引き出していることに気付く。しかも、今聞いても古色でなく、時代の臭いを感じさせないのに驚く。
・チャンヒョン(장현、1945年~2008年)の「未練(미련)」
・ヤン・ヒウン(楊姫銀、양희은、1952年~)の「あなたの愛は(내님의 사랑은)」
(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)
2015年11月23日月曜日
小雪2015 外語祭
二十四節気の「小雪(しょうせつ)」にしては、冷え込みは鋭くないが、小雨まじりの曇天は重く、いかにも雪がぱらつき始めるこの候らしい気配がした。私は、「小雪」をどうしても「こゆき」と呼んでしまう。
(本ブログ関連:”小雪”)
そんな午前中、少し先の街にある大学の学園祭に、空模様を気にしながら出かけた。東京外国語大学(TUFS、タフス)の「93回 外語祭」である。各語学専攻の学生たち、主に2年生による「語劇」が催された。27の芝居の中から、「さようなら、カン・ハンナ(강한나、안녕)」(11:30~12:30)を観劇した。
(参考: TUFS外語祭2015朝鮮語科語劇)
芝居は、映画「カンナさん大成功です!(미녀는 괴로워!、美女はつらい)」のストーリーのようだ。歌唱の才能はあるが容姿のため、芸能界では影としてしか扱われず、強いコンプレックスを持った若い女性(カン・ハンナ)が、美容整形して(ジェニーに変身して)大成功をおさめる。その分、失ったものもあるが、それをどう回復させるかまでを若い学生たちが熱演した。
おもわず見入ってしまったが、考えてみれば演劇サークルの芝居ではない。彼らの演技に驚いたし、映像を取り入れたり、観客席を劇中の劇場に変換したりする演出にも感心した。久し振りに若い世代の熱気に触れた気がする。
(付記)
帰り道にある公園で、紅葉と落ち葉の景観を楽しんだ。紅葉が遅れているそうだが、うっかりすると見落とすかもしれない。大切な景色なので、ひとつひとつの機会を大事にしたい。
(本ブログ関連:”小雪”)
そんな午前中、少し先の街にある大学の学園祭に、空模様を気にしながら出かけた。東京外国語大学(TUFS、タフス)の「93回 外語祭」である。各語学専攻の学生たち、主に2年生による「語劇」が催された。27の芝居の中から、「さようなら、カン・ハンナ(강한나、안녕)」(11:30~12:30)を観劇した。
(参考: TUFS外語祭2015朝鮮語科語劇)
芝居は、映画「カンナさん大成功です!(미녀는 괴로워!、美女はつらい)」のストーリーのようだ。歌唱の才能はあるが容姿のため、芸能界では影としてしか扱われず、強いコンプレックスを持った若い女性(カン・ハンナ)が、美容整形して(ジェニーに変身して)大成功をおさめる。その分、失ったものもあるが、それをどう回復させるかまでを若い学生たちが熱演した。
おもわず見入ってしまったが、考えてみれば演劇サークルの芝居ではない。彼らの演技に驚いたし、映像を取り入れたり、観客席を劇中の劇場に変換したりする演出にも感心した。久し振りに若い世代の熱気に触れた気がする。
(付記)
帰り道にある公園で、紅葉と落ち葉の景観を楽しんだ。紅葉が遅れているそうだが、うっかりすると見落とすかもしれない。大切な景色なので、ひとつひとつの機会を大事にしたい。
2015年11月22日日曜日
いつまでも若いね
子どもの頃、両親が、映画俳優の山本富士子(1931年12月11日~)をいつまでも若いねえといっているのを聞いて、一体いつの話しかと距離を感じていた。今、私が、同じく(青春スターだった)俳優の吉永小百合(1945年3月13日~)がいつまでも若々しいねといえば、子どもたちが果たして納得してくれるだろうか。
お二人を記憶した時期による印象の差がそうさせたのだろうけれど。考えてみると、お二人の歳の差はわずか13歳だ。今の私の年齢からすれば、その差はほんの些細なこと。むしろ意外な感じがしたほどだ。
ちなみに、イ・ソンヒ(1964年12月14日~)もいつまでも若い。ただし、教室の先生から見れば、母親世代の歌手の話しになる。イ・ソンヒより芸歴が先輩で、70年代に「本当に本当に(진짜 진짜)」シリーズでヒロインを独占した青春スターのイム・イェジン(임예진、1960年1月24日~)との歳の差はたった4歳でしかない。イム・イェジンが10代の頃の笑顔は、本当に自然で健康的で愛らしい。Youtubeの映像で確認できる。
(本ブログ関連:”イム・イェジン”)
女性の若々しさを表現するのに「童顔(동안)」という言葉がある。彼女たちが人気を博したときも、無垢に通じるわらべの要素が多分に残っていたのだろう。まさに頃合いによろしいようだ。(若い頃整い過ぎると、老いて後その変化に驚くことがある)
お二人を記憶した時期による印象の差がそうさせたのだろうけれど。考えてみると、お二人の歳の差はわずか13歳だ。今の私の年齢からすれば、その差はほんの些細なこと。むしろ意外な感じがしたほどだ。
ちなみに、イ・ソンヒ(1964年12月14日~)もいつまでも若い。ただし、教室の先生から見れば、母親世代の歌手の話しになる。イ・ソンヒより芸歴が先輩で、70年代に「本当に本当に(진짜 진짜)」シリーズでヒロインを独占した青春スターのイム・イェジン(임예진、1960年1月24日~)との歳の差はたった4歳でしかない。イム・イェジンが10代の頃の笑顔は、本当に自然で健康的で愛らしい。Youtubeの映像で確認できる。
(本ブログ関連:”イム・イェジン”)
女性の若々しさを表現するのに「童顔(동안)」という言葉がある。彼女たちが人気を博したときも、無垢に通じるわらべの要素が多分に残っていたのだろう。まさに頃合いによろしいようだ。(若い頃整い過ぎると、老いて後その変化に驚くことがある)
2015年11月21日土曜日
仙人はたいへんだ
薄田泣菫のひとくち話集ともいえる随筆「艸木虫魚(そうもくちゅうぎょ)」に、仙人と路傍の石がいっとき対話をする「仙人と石」がある。本来、動と静、変幻と不動の対比を持つべき、仙人と石が互いに存在を語り合う不思議な話しだ。
(本ブログ関連:”薄田泣菫”)
仙人は、雲に乗って飛び回る、そんなイメージがあるが、石との対話で人間らしい悩みを見せる。出会いと別れは次のように語られる。
法力でこさえた驢馬にまたがり、一日五万里を巡る仙人がいた。あるとき旅に疲れて一休みした際、路傍に昔からいる白い石に呼びかけられて、なぜ駆け回るのか問われた。
「わしは幸福の棲む土地をたずねて、方々捜し歩きたかったからだ。」と仙人はこたえた。だが、その幸福は、「まだ見つからない。そしてわしはすっかり年をとってしまった。」とつぶやく。
石は、「どうだい、いっそここに落ちついて、わしと一緒に棲んじゃ。」と申し出るが、仙人は断わって、「そうだ。幸福を求めて。……こんなにして方々駆けずり廻って、やがて死ぬのが、わしの一生かも知れない。でも、わしは出かけなければならない。」といい、嵐のように飛んでいった。
-----------------------------
白い石は低い声で独語を言って、そのまま黙ってしまいました。
秋の日はそろそろ西へ落ちかかりました。途を間違えたらしいこがね虫が、土をもち上げて、ひょっくりと頭を出しましたが、急にそれと気づいたらしく、すぐにまた姿を隠してしまいました。
-----------------------------
何もかもが見えてしまう、見えると思っている仙人はたいへんだ。無為を手柄にする石とて同様。幸福を探しても気付かず、分からない。遣り過ごしている傍らにある、かわらぬことにこそ、本当の幸福があるかもしれないからだ。
(本ブログ関連:”仙人”)
(本ブログ関連:”薄田泣菫”)
仙人は、雲に乗って飛び回る、そんなイメージがあるが、石との対話で人間らしい悩みを見せる。出会いと別れは次のように語られる。
法力でこさえた驢馬にまたがり、一日五万里を巡る仙人がいた。あるとき旅に疲れて一休みした際、路傍に昔からいる白い石に呼びかけられて、なぜ駆け回るのか問われた。
「わしは幸福の棲む土地をたずねて、方々捜し歩きたかったからだ。」と仙人はこたえた。だが、その幸福は、「まだ見つからない。そしてわしはすっかり年をとってしまった。」とつぶやく。
石は、「どうだい、いっそここに落ちついて、わしと一緒に棲んじゃ。」と申し出るが、仙人は断わって、「そうだ。幸福を求めて。……こんなにして方々駆けずり廻って、やがて死ぬのが、わしの一生かも知れない。でも、わしは出かけなければならない。」といい、嵐のように飛んでいった。
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白い石は低い声で独語を言って、そのまま黙ってしまいました。
秋の日はそろそろ西へ落ちかかりました。途を間違えたらしいこがね虫が、土をもち上げて、ひょっくりと頭を出しましたが、急にそれと気づいたらしく、すぐにまた姿を隠してしまいました。
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何もかもが見えてしまう、見えると思っている仙人はたいへんだ。無為を手柄にする石とて同様。幸福を探しても気付かず、分からない。遣り過ごしている傍らにある、かわらぬことにこそ、本当の幸福があるかもしれないからだ。
(本ブログ関連:”仙人”)
2015年11月20日金曜日
仙人になりたい
上方落語に「口入屋(くちいれや)」(職業斡旋所)がある。船場にある大店の一番番頭が、今度こそ美女が奉公に来るよう、丁稚を使って口入屋に頼む。望み通り美人の女中が来て、店の男たちは大騒ぎになる。早速、夜分に、二番番頭が二階で寝ている彼女に近づこうとする。そんなことを用心したおかみさんが、二階につながる梯子を外していたため、膳棚を使ってよじ登ろうとするが崩れてしまう。次に一番番頭も同様で、二人して棚を支える羽目になる。また、手代は天窓の紐を使ってよじ登ろうとするが、紐が切れて池に落ちてしまう。・・・どれだけドタバタなことだろう。
美女に近づこうとして、夜中に棚を担いだり、池に落ちたりする凡人の滑稽な結末だが、仙人とて同じこと。久米仙人は、久米川の川辺で洗濯する若い女の脛(すね)足を見るや、飛術に失敗して墜落する。久米仙人に、凡人ながら共感してしまうのは私だけではないだろう。
芥川龍之介に「仙人」という短編がある。何をヒントにしたのだろうか、次のような話である。
その昔、大阪の口入屋に、不老不死の仙人になりたいと、権助という者が頼みに来た。口入屋は思案にくれるが、医者の家にひとまず奉公させることにする。
仙人になりたいと申し出る権助に、医者がなぜなりたいのかと問えば、大阪城の太閤様もいずれ死ぬ、栄耀栄華のはかなさからという。そこで、狡猾な医者の女房は、仙人になる術を教える口実に、二十年間ただ働きの約束をさせる。
そして、二十年目を迎えて、権助は仙人の秘術を願い出る。すると、何を思ったか医者の女房は、庭の松の木の一番高い梢にまで登らせて、しかも両手を離させたのだ。落下すれば、下の石に当たって命はない。
-----------------------------
権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操つり人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか?
「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました。」
権助は叮嚀に御時宜をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。
-----------------------------
まるで落語のようだが、落ちに、落ちることのない話しだ。仙人のごとく空中に浮かんだ権助がうらやましく思える。彼は自ずから飛ぶ術を体得してしまったのだから。しかも、近所の日常のなかで成し遂げた。
(本ブログ関連:”仙人”)
美女に近づこうとして、夜中に棚を担いだり、池に落ちたりする凡人の滑稽な結末だが、仙人とて同じこと。久米仙人は、久米川の川辺で洗濯する若い女の脛(すね)足を見るや、飛術に失敗して墜落する。久米仙人に、凡人ながら共感してしまうのは私だけではないだろう。
芥川龍之介に「仙人」という短編がある。何をヒントにしたのだろうか、次のような話である。
その昔、大阪の口入屋に、不老不死の仙人になりたいと、権助という者が頼みに来た。口入屋は思案にくれるが、医者の家にひとまず奉公させることにする。
仙人になりたいと申し出る権助に、医者がなぜなりたいのかと問えば、大阪城の太閤様もいずれ死ぬ、栄耀栄華のはかなさからという。そこで、狡猾な医者の女房は、仙人になる術を教える口実に、二十年間ただ働きの約束をさせる。
そして、二十年目を迎えて、権助は仙人の秘術を願い出る。すると、何を思ったか医者の女房は、庭の松の木の一番高い梢にまで登らせて、しかも両手を離させたのだ。落下すれば、下の石に当たって命はない。
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権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操つり人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか?
「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました。」
権助は叮嚀に御時宜をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。
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まるで落語のようだが、落ちに、落ちることのない話しだ。仙人のごとく空中に浮かんだ権助がうらやましく思える。彼は自ずから飛ぶ術を体得してしまったのだから。しかも、近所の日常のなかで成し遂げた。
(本ブログ関連:”仙人”)
2015年11月19日木曜日
イ・ソンヒの「歳月は流れても」
思い出を語るのに、イ・ソンヒの4集収録の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」(1988年)ほど、素直な曲はないだろう。まるで窓から差し込む陽を受けながら、アルバムのページをめくり見るような懐かしさだ。それは、日常の平穏に包まれながら感じる遠い記憶かもしれない。
4集がリリースした1988年はソウル・オリンピックの年であった。
以前、本ブログに掲載した、釜山日報「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)に、次にように紹介されている。(抜粋)
├-----------------------------------------------------------
4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山」である。(略) それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン作詞、作曲の「歳月は流れても」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。
-----------------------------------------------------------┤
ちなみに、本来ロック的な抵抗心があった「美しい江山」は、1988年には国民鼓舞的なものへと変身することになる。
「歳月は流れても」
歳月は流れても 私たちの心は
忘れられたその街に 残っています
歳月は流れても 私たちの愛は
散ったその時間に 残っているわよ
*
その昔の記憶を たどってみましょう
忘れられたその街を 歩いてみましょう
その昔は夢のように 散ってしまった
その時間はどこにあるのか 探してみましょう
歳月は流れても 思い出は残っている
忘れようとすればするほど 思い出します
忘れようとすればするほど 思い出します
(Youtubeに登録のJ-GODに感謝)
4集がリリースした1988年はソウル・オリンピックの年であった。
以前、本ブログに掲載した、釜山日報「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)に、次にように紹介されている。(抜粋)
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4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山」である。(略) それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン作詞、作曲の「歳月は流れても」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。
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ちなみに、本来ロック的な抵抗心があった「美しい江山」は、1988年には国民鼓舞的なものへと変身することになる。
「歳月は流れても」
歳月は流れても 私たちの心は
忘れられたその街に 残っています
歳月は流れても 私たちの愛は
散ったその時間に 残っているわよ
*
その昔の記憶を たどってみましょう
忘れられたその街を 歩いてみましょう
その昔は夢のように 散ってしまった
その時間はどこにあるのか 探してみましょう
歳月は流れても 思い出は残っている
忘れようとすればするほど 思い出します
(*以下繰り返し)
(Youtubeに登録のJ-GODに感謝)
2015年11月18日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 人を思いやる歌
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<人を思いやる心の歌>にふさわしい3曲を紹介した。
始めに、人と心をつなぐ最近のイベント日について、次のように紹介された。
・「バレンタインデー」(2/11)に、好きな人へチョコレートをあげ、「ホワイトデー」(3/14)にはキャンディをあげる。恋人たちに特別な日だ。他にも特別な日がある。恋人のいない者同士が集まって中華風ジャジャン麺を食べる日を「ブラックデー」と呼ぶ。また、11月11日は、1が四つ並ぶことから、(グリコの)「ポッキー」に似た菓子である(韓国ロッテの)「ペペロ」を恋人同士だけでなく、職場の同僚や学校の先生、友達などに配る「ペペロデー」がある。企業主導のイベントとの批判もあるが。
▼ 自分の愛を綿の布団に例えた詞が温かい歌「愛の歌(사랑가)」を聴く。ステップを踏んで愛を確かめる、今様である。
次に、「端午の節句」に扇子(부채)の下賜や、クネ(ブランコ、그네)に乗ることについて次のように紹介された。
・上記の他に、特定の贈り物をする日があった。「端午の節句」に、宮中で臣下に扇子が下賜されたりした。昔のソンビは、扇子を持ち歩き、自分の喜びや怒りの表情を隠すのに使用したという。ところで、端午の節句といえば、「春香伝(춘향전)」に、端午の節句にクネに乗った春香を、李夢龍(이몽룡)が見染めるという話がある。
▼ クネに乗る春香の姿を素材にした南道民謡「フィヨヌンチョン(휘여능청)」を聴く。風がかすめる気がしてくる。
最後に、真冬の冬至に「暦(カレンダー、달력)」を贈る風習について次のように紹介された。
・真冬の冬至に「暦(こよみ)」を贈る風習があった。冬至は、昼が最も短かく、次の日から長くなるので、昔は「小正月」とも呼ばれた。朝鮮時代、この頃に新年の暦を作って、王に捧げる風習があった。王が暦に印を押して官吏に配ると、それを家族や親戚に分けた。農業社会の当時、暦に種まき時期や農作物の刈り入れ時期を記した。祭祀を捧げる時期を記す重要な役割もした。暦を贈り合うのに、相手が健康で良い年を迎えるようにという思いが込められたのだろう。
▼ 人々の健康を祈る厄払いの歌「厄除け打令(액맥이타령)」を聴く。東西南北と中央、辺り四方に厄除けする。
(感想) 確かに、新しいカレンダーを持つことは、その一年が無事平穏であることの思いにつながりますね。
始めに、人と心をつなぐ最近のイベント日について、次のように紹介された。
・「バレンタインデー」(2/11)に、好きな人へチョコレートをあげ、「ホワイトデー」(3/14)にはキャンディをあげる。恋人たちに特別な日だ。他にも特別な日がある。恋人のいない者同士が集まって中華風ジャジャン麺を食べる日を「ブラックデー」と呼ぶ。また、11月11日は、1が四つ並ぶことから、(グリコの)「ポッキー」に似た菓子である(韓国ロッテの)「ペペロ」を恋人同士だけでなく、職場の同僚や学校の先生、友達などに配る「ペペロデー」がある。企業主導のイベントとの批判もあるが。
▼ 自分の愛を綿の布団に例えた詞が温かい歌「愛の歌(사랑가)」を聴く。ステップを踏んで愛を確かめる、今様である。
次に、「端午の節句」に扇子(부채)の下賜や、クネ(ブランコ、그네)に乗ることについて次のように紹介された。
・上記の他に、特定の贈り物をする日があった。「端午の節句」に、宮中で臣下に扇子が下賜されたりした。昔のソンビは、扇子を持ち歩き、自分の喜びや怒りの表情を隠すのに使用したという。ところで、端午の節句といえば、「春香伝(춘향전)」に、端午の節句にクネに乗った春香を、李夢龍(이몽룡)が見染めるという話がある。
▼ クネに乗る春香の姿を素材にした南道民謡「フィヨヌンチョン(휘여능청)」を聴く。風がかすめる気がしてくる。
最後に、真冬の冬至に「暦(カレンダー、달력)」を贈る風習について次のように紹介された。
・真冬の冬至に「暦(こよみ)」を贈る風習があった。冬至は、昼が最も短かく、次の日から長くなるので、昔は「小正月」とも呼ばれた。朝鮮時代、この頃に新年の暦を作って、王に捧げる風習があった。王が暦に印を押して官吏に配ると、それを家族や親戚に分けた。農業社会の当時、暦に種まき時期や農作物の刈り入れ時期を記した。祭祀を捧げる時期を記す重要な役割もした。暦を贈り合うのに、相手が健康で良い年を迎えるようにという思いが込められたのだろう。
▼ 人々の健康を祈る厄払いの歌「厄除け打令(액맥이타령)」を聴く。東西南北と中央、辺り四方に厄除けする。
(感想) 確かに、新しいカレンダーを持つことは、その一年が無事平穏であることの思いにつながりますね。
2015年11月17日火曜日
天気予報
今回(11/16)の鉱物採集は運がよかった。全員のスケジュールを重ね合わせると、実施は昨日しかなかった。調整が難しい場合、私の今日の予定をキャンセルすることも想定していたが・・・
昨日でよかった。小春日和、インディアンサマーという穏やか日和だったのだから。それに比べて、今日は天気が一変して、しとしと降りだ。
鉱物採集プランは、まず大ベテランに採集地を決めてもらい、もろもろ相談する。その上で、長期の天気予報から日程が決まる。大体1ヶ月前と2週間前くらいだ。できるだけ、採集日の前3日と後1日に好天が続くのが望ましい・・・。
そこで、1ヶ月前および2週間前の予報として一番あてにしているのは、ネットの「AccuWeather」を参照する。さらに、1週間前の予報として「Weathernews」も加えて参照する。両者が大きくずれることはないが念のためだ。
とはいえ、今回のように翌日の天気が大きく変化したりすると、天気予報のありがたさを思い知る。
鉱山*は山中なので、天気が山並みに影響されることがないか気になる。ピンポイントで天気予報を表示するけれど、その精度がどれくらいか知りたいところだ。
*) ちなみに、鉱山は産業であるので交通の便が要される。特に、近代まで稼動した鉱山の場合、道路事情が思いのほか良く、ときに「横付け」という、道路から直ぐに鉱山へ入る道があったりする。
昨日でよかった。小春日和、インディアンサマーという穏やか日和だったのだから。それに比べて、今日は天気が一変して、しとしと降りだ。
鉱物採集プランは、まず大ベテランに採集地を決めてもらい、もろもろ相談する。その上で、長期の天気予報から日程が決まる。大体1ヶ月前と2週間前くらいだ。できるだけ、採集日の前3日と後1日に好天が続くのが望ましい・・・。
そこで、1ヶ月前および2週間前の予報として一番あてにしているのは、ネットの「AccuWeather」を参照する。さらに、1週間前の予報として「Weathernews」も加えて参照する。両者が大きくずれることはないが念のためだ。
とはいえ、今回のように翌日の天気が大きく変化したりすると、天気予報のありがたさを思い知る。
鉱山*は山中なので、天気が山並みに影響されることがないか気になる。ピンポイントで天気予報を表示するけれど、その精度がどれくらいか知りたいところだ。
*) ちなみに、鉱山は産業であるので交通の便が要される。特に、近代まで稼動した鉱山の場合、道路事情が思いのほか良く、ときに「横付け」という、道路から直ぐに鉱山へ入る道があったりする。
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