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2016年4月7日木曜日

イ・ソンヒ「あなたが私を愛されるなら」

イ・ソンヒの曲に、熱い情念を抑えるように歌う、7集所収の「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」(1991年、作詞キム・ミソン、作曲キム・ジンリョン)がある。不確かな思いが切なくて、ある意味ドラマチックで回想的だ。小雨降る今日のような日に、じんわりと聞こえる。そして美しい編曲。

(本ブログ関連:”あなたが私を愛されるなら”)


あなた本当に 私を愛してるなら
今のようにだけ 私を愛してください
あなた本当に 私を望まれるなら
心の中だけで 私を愛してください

*あなたの目に映った私が、余りに痛々しく見えて
その痛みを和らげようと、私に来るのなら
目の前に私が見えなくて振り返ると
しだいに遠のく心、私に来るのなら

あなた本当に 私を愛してるなら
あなた本当に 私を望まれるなら

(*以下繰り返し)

あなた本当に 私を愛してるなら
あなた本当に 私を望まれるなら

(Youtubeに登録のYuni Jeonに感謝)

2016年4月6日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ARIRANG(アリラン)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、海外から見た「アリラン(ARIRANG)」に関連した3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”アリラン”)

始めに、朝鮮末に政治活動したホーマー・ハルバート(Homer Hulbert、1863~1949) について次のように紹介された。
・米ホーマー・ハルバートは宣教師、ジャーナリストかつ政治活動家だった。20代のとき英語教育で朝鮮へ渡る。後に朝鮮第26代王高宗の外交顧問となる。「第二次日韓協約(乙巳条約)」(1905)締結の際、それに抗して密使として米国に渡る。一方で、朝鮮の事情を西欧社会に知らせる役割もした。高宗に対し、1907年にオランダのハーグで開催の「第2回万国平和会議」へ密使派遣を助言した。韓国で生を終えたいと愛した。「ハルバートのアリラン」がある。(著書に「朝鮮亡滅」がある)

▼ 米ジャズミュージシャン「David Benoit & The Edge Effect」作曲演奏の「ハルバートのアリラン」を聴く。原曲はもっと平坦なのだろうか。

次に、「ハルバートのアリラン」について次のように紹介された。(参考: コリアネット記事)
・1896年、漢陽(現ソウル)で、ハルバートは偶然アリランを耳にする。その時の感動を手紙で妹に伝え、楽譜を添えた。アリランが西欧社会に伝わった最初だ。「アリランは朝鮮の人々にとって米のようなものだ」と言った。いつも暮らしの中にある音楽、心を豊かにする音楽という意だったろう。彼の楽譜のアリランは、歌詞とリズムが現在のものと少し違い、「ハルバートのアリラン」と呼ばれる。

▼ カザフスタンの民族音楽グループ「Turan」による「アリラン」演奏を聴く。颯爽として風の香りする。

最後に、カザフスタンの民族音楽グループによる「アリラン」について次のように紹介された。
・カザフスタンの民族音楽グループが、アリランの美しい音色に感嘆し、自然の美しさと偉大な愛を民族楽器で表現した。素朴に生きる人々の歌は、カザフスタンの人々にも伝わったようだ。アリランは、リズムが単純で、一度聴くと記憶に残る。海外ミュージシャンが注目する歌でもある。
(「趙義成の朝鮮語研究室 - 朝鮮を知る」より : 「スターリンが『朝鮮人は敵である日本人に内通するおそれがある』として,1930年代に中央アジアに強制移住させられる。現在ウズベキスタンやカザフスタンに朝鮮民族が多く住んでいる」)

(参考) カザフスタンの民族音楽グループ「Turan」の演奏: 「カザフの大地|草原の声」
(Youtubeに登録の✣ ᵀᵊᵑᴿᶤ • Spirit of the Steppe ✣に感謝)

▼ アカペラグループ「The Real Group」の歌で「アリラン」を聴く。そのままにソフトタッチで歌う、今様。

・韓国を代表する民謡アリランには特別なものがある。ただの民謡に留まらず、故郷の歌という意味があり、海外に住む韓国人は、この曲を聞くと故郷を浮かべる。

2016年4月5日火曜日

イ・ソンヒ所属事務所「フックエンターテインメント」の2015年業績

イ・ソンヒは、自分の歌を歌うため、ライブ劇場を買収したことがある(2002年)。そのいきさつのなか、彼女が現在所属する音楽事務所「フックエンターテインメント」の母体が誕生する。初期に、その経営に(役員として)関わったともいわれる。

(本ブログ関連:”フックエンターテインメント(후크엔터테인먼트)”、”ライブ劇場買収”)

その後、彼女に人生の大きな変転があり、渡米のため一切を放棄したようだ。帰国後、同フックエンターテインメントとの関係が復活され、現在に至っている。

(本ブログ関連:”渡米”、”(資料)イ・ソンヒが再婚した夫”)

マネートゥデイの記事、「イ・スンギ、イ・ソンヒの所属事務所、不動産だけ244億(ウォン)保有・・・賃貸収益が?」(4/4、中堅中小企業部キム・ゴンウ記者)は、フックエンターテインメントの昨年(2015年)の業績を報じている。2014年と2015年の対比から、業績をイ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの三人に依存すること、主な収益源であるイ・スンギが今年入隊したことによる売上減、それを補う不動産投資・賃貸業などの話題を紹介している。

(本ブログ関連:”イ・スンギ(이승기)の入隊”)

(参考)
2014年度の業績について、JobCoreaは、「金融監督院によれば、フックエンターテインメントは、2014年の売上高が159億3,500万ウォンで前年対比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。」と紹介している。

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昨年の営業利益、6億1,700万ウォン「前年比 86.8%↓」 … イ・スンギ入隊で収益悪化の可能性


・イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの所属事務所フックエンターテインメントの昨年の営業利益が、前年対比 86.8%急減した。今年は、主な売上(収益)源であるイ・スンギの軍入隊で収益がさらに悪化する見通しだ。

・ただし、244億ウォンを越える(江南)清潭洞の建物が強固なつっかい棒だ。賃貸収益だけ昨年営業利益を上まわる 7億ウォンに達すると推定される。

・4日、金融監督院によれば、フックエンターテインメント(以下フック・エンター)は、2015年の営業利益が 6億1700万ウォンで、前年対比 86.8%減った。 売上額は同期間、32.8%減の 93億5,300万ウォンだった

フック・エンターの営業利益が一桁の数を記録するのは、2012年監査報告書を提出した以後初めてだ。 これは売上が減った中で人件費が大きく増えたためと分析される

・昨年、人件費は 8億4,200万ウォンで、前年対比 34.5%増加した。 旅費交通費と福利厚生費などが減った反面、人件費が増加したという点で役職員(役員と職員)の年俸が大きく上昇したと推測される。

・2002年設立したフック・エンターは、歌手イ・ソンヒのマネージャー出身であるクォン・ジンヨン代表が持分(株式)100%を保有している。所属芸能人は、イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンなどである。


・フック・エンターは、サービス収入の91億ウォンのうち(アーティストに)71億ウォンを手数料で支給したアーティストの収益配分率は8対2の水準であると推定される。これは、昨年収益配分がアーティストに有利なコンサート売り上げ比重が高かったためと見える。

・フック・エンターは、去る2月1日に、主な売上(収益)源であるイ・スンギが軍に入隊し、2016年の営業活動が大きく萎縮している。イ・ソンヒはコンサート中心で、イ・ソジンはドラマ「結婚契約」出演が活動の大部分であるためだ。

・このため、攻撃的な企業営業よりは、安定した建物賃貸業で事業方向をかえたと推定される。フック・エンターは、昨年7月に138億ウォンを投資して江南区清潭洞の建物を買い取った。 2011年にも100億ウォン台の建物を買いとって話題になった。

・今回の建物買取で、フック・エンターの賃貸料収入は、年7億ウォンに達する見込みである。 だが、86億ウォンを国民銀行から借入年間利子が2億ウォン水準で、実際の収益は5億ウォンと予想される
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2016年4月4日月曜日

桜、木瓜(ぼけ)の花

近在の「桜」は満開して、おぼろに周りを花で明らめる<花明かり>する。「万葉集」(7C後半~8C後半《奈良時代末》編纂)に、こんな歌がある。実は、昨日(4/3)、市民講座があって、「万葉集」に採りあげられた桜にかかわる歌、28首ほど紹介された。そのなかで気に入った、素直な歌だ。

    見渡せば 春日の野辺に 霞(かすみ)立ち
          咲きにほへるは 桜花かも
                           (作者不詳、巻10 1872)

遠く、春日野の原に咲く「桜」花が、霞の中に浮かぶ情景を歌ったものだ。自己流に解釈すると、春日山の山裾に咲く桜の花が、日の傾むく夕べに、遠くに霞むようにぼんやりと見える。それでも花の香りは漂う・・・といいたいが、当時の「桜」は「山桜」が中心で、自然に(自生して)咲くものをいうとのこと(cf. 貴族が山桜を移植した「屋戸の桜」というものもあるが)。今のように、植樹して爛漫に咲き誇る「染井吉野」(江戸後期の交配)の桜花ではないという。自己流解釈は、ことほど都合よいもの。昨日の講師の方は、字のままに読むようにとのことだった。

ところで、最近、気になる花がある。「木瓜(ボケ)」の花だ。一瞬、梅に似た感じがするが、花弁が囲むように湾曲している。なにより、花の色合いがはっきりしている。白と朱である。不思議なことに、この二つの色を一つの木に咲かすものがある。それも枝の上で隣り合うようにして(花弁にも!白と朱が混在するものまである)。もしかしたら、色の違いは、大きな意味を持っていないのかもしれない。

「ボケ」の音には別の意味もある。「ボケ」すなわち、① 「呆(ほう)け」者といった間抜けであり、② 最近気になる、「惚(ぼ)け」である。前者も芳しくないが、後者はもっと空恐ろしい、なりたくないものだ。「木瓜(ボケ)」の花を見るとき、これらの「ボケ」の音がかぶさってきて、花の美しさが飛んでしまう気がする。

よく見れば、民家の生垣に白と朱を一木に咲かす「木瓜」の木がある。目立つ色具合なのに、今まで気にならなかったのは、数が少ないからだろうか、それとも色の按配が余りにこれ見よがし過ぎるからだろうか。

2016年4月3日日曜日

イ・ソンヒが「麦畑」を歌えば

いわゆる愛唱歌の「麦畑(보리밭)」(1952年、パク・ファモク*作詞、ユン・ヨンハ作曲)は、穏やかな旋律が耳に残る。哀愁もあって、老若男女に受け入れられた歌曲だろう。教科書にも採用されたそうだ。

(*) ブログ「jonagym」に、「麦畑」の作詞者で放送人であったパク・ファモクについて、「1952年、釜山で避難生活中に、海軍従軍作家団音楽家団に属していたバク・ファモク(朴和穆)作詞、ユン・ヨンハ(尹龍河)作曲で作られた。(斗山百科)」など、詳細な記述がある。感謝。

この「麦畑」は、クラシック歌手も手がけるようだが、イ・ソンヒが歌えば、彼女の不思議な力で国民歌謡になってしまう、そんな気がする。(Youtubeの映像で、化粧にだいぶ力が入っているようで微笑ましい)


麦畑(むぎばた) 間道(あいだみち)、通り抜ければ
誰かが呼ぶ  声がして
私を止める
昔の想いが  寂しくて
口笛吹けば
きれいな歌、耳元に  聞こえてくる
振り返れば、誰れも  見えなくて
夕焼けの  空だけが
目に満ちる

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝

2016年4月2日土曜日

ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、イ・サンウン、エンバ

イ・ソンヒに対するファンの気質にも関心がある。特に、彼女のファン層の中心である女性ファンの心理といっていいかもしれない。それは、いわゆる「女性的」なものを取り除いたところでの好意、憧れだろうか。一種、宝塚ファンに見られる深層を垣間見る気がする。(あくまでも、男の側からの視点に過ぎないが)

(3月30日、宝塚音楽学校の合格発表の様子をテレビニュースで見た)

イ・ソンヒの大衆音楽界デビューにともない登場したのが、歳下の若い女性が歳上の若い女性に対する憧れを込めた「姉さん(オンニ、언니)」の言葉を持つ、「姉さん部隊(언니부대)」(=若い女子学生のファングループ)だった。初の女学生ファン層である。評論風にいえば、当時の大衆音楽界の女性歌手が、女性を前面に出すことでファンを獲得していた(そうさせられた)ところに、新しいタイプの、女性歌手と女学生ファンが出現したことになる。

若いイ・ソンヒの紹介に使われた言葉に、<小さな体躯>で<独特な力強い、押し出すような、爆発的な高音>とか、<少年のような>という表現がある。彼女の26歳にしても初々しい姿を、モントリオール室内楽団との共演映像を見ると納得できるかもしれない。現在も若々しい<童顔>と形容される。

ところで、ハンギョレ紙の記事、「ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、イ・サンウン(Lee-tzsche)、エンバ* (양희은, 이선희, 이상은, 엠버)」(3/25、26修正、イ・スンハン:テレビコラムニスト)は、4人の女性歌手の持つ、(女性的なものと離れた)雰囲気を解説している。それは、トムボーイ(Tomboy)**と呼ばれる、ボーイッシュな要素だ。話題の中心は、ガールグループ f(x)メンバーのエンバについてだが、彼女の歌に込められたものを通じて、世界が固執する境界とそれに抗することについて記している。
(Youtubeに登録のquark2930、대중가요 1988、SMTOWNに感謝)

(*)エンバ(AMBER): Wikipediaによれば、「台湾系アメリカ人であり、韓国のガールズグループ f(x)のメインラッパーである。」とのこと。f(x)のメンバー構成から、中国市場を意識した戦略が見えてくる。
(**)トムボーイ: Wikipediaによれば、「Tomboy(トムボーイ)は英語でお転婆やボーイッシュの意。 元々は騒がしい男性という意味の言葉で、男性に対して使われる言葉であったが、次第に女性に対して使われるようになり、現在では完全に女性に対してのみ使われる言葉となっている。」とのこと。

(追記) もしエンバが韓国人歌手だったとしたら、韓国紙にこのような論調のコラムが書けるか、大きな関心がある。

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[土曜版](TVコラムニスト)イ・スンハンの ”スルタン オブ ザ TV”

(写真) ガールグループ、f(x)(エフエックス)メンバーであるエンバ
顧みると、韓国大衆音楽界に、「トムボーイ」がいなかったこともない。しかし、最近のエンバに対する韓国社会の視線は、イ・ソンヒとイ・サンウンを経験した国にしては、暴力的であることこの上ない。(エスエム・エンターテインメント提供)

・1940年代以前だけとしても、薄紅(以下「ピンク」)色は男子禁制の色ではなかった。フランス作家グザヴィエ・ドゥ・メストレ(Xavier de Maistre)は、自身の著書、「私の部屋旅行する方法(Voyage autour de ma chambre)」(1794年)で、部屋の雰囲気を改善したい男たちに部屋をピンク色に塗りなさいと薦めた。決闘をして逮捕され、42日間の自宅軟禁刑を受けた血気盛んな二十七の青年が、男たちに自信を持って推薦した色がピンク色だったのだ。
・ピンク色にジェンダー区分がつき始めたのは、20世紀初頭だったが、それにもまして最初は男性的な色と見なされた。1918年のアメリカの子供ファッション紙「アーンショウ インファンツ デパートメント(Earnshaw’s Infants’ Department)」に掲載された説明を見てみよう。「きっぱりとしていて、さらに力強い色であるピンク色が男の子に最も適した反面女の子は繊細で可愛らしい色である青色を着た時さらにきれいに見えます。」と。 ピンク色が女性的な色の扱いを受け始めた歴史が、未だ100年にならないという意だ。

・かなり最近まで、男が耳に穴を開けて通すのは奇怪なこと扱いされたが、この風潮も事実そんなに古いものではない。三国時代と高麗を経て朝鮮中期に至るまで、長年、耳輪(以下「イヤリング」)は性別の区分なしに幅広く愛された。韓半島の男たちの間でイヤリング文化が一段と弱まったのは、1572年に宣祖(선조)が「身體髮膚 受之父母(신체발부 수지부모)」に言及して、イヤリング禁止令を下した以後であった。イヤリング禁止令も一挙に効き目は挙がらなかった。
・禁止令を下してから25年後の1597年、「丁酉再乱」(=慶長の役)の時、朝鮮に派兵された明軍の経理(경리)の楊鎬(양호)が「朝鮮の軍隊が戦功を水増しするため、むやみに朝鮮人を殺しては倭賊(日本)に見せかけることがある」と追及すると、すぐに接伴使(접반사、外国使臣を接待した官職)の李德馨(이덕형)は、イヤリングの穴跡の有無で倭賊と朝鮮人を区別することができると答えた。当代、朝鮮の男たちの間では耳に穴を開けるのが王命でも、鎮めるのが難しい圧倒的な流行だったのを推し量ることができる要(かなめ)だ。

・突然、ピンク色やイヤリングの話を取り出したのは、「男らしさ」でも「女らしさ」を規定することの歴史が意外にそれほど長くなくて、それさえも自然な選択の結果でなく、色々な理由で数度人為的に変わってきたことを語るためであった。
・服飾やアクセサリー、色と趣向などの基準として、特定の性別を規定しようとする動きというのは、何とはかないことか。それでも、新しい商品や流行が登場するたびに、世の中はそれが男性的なのか女性的なのかをあえて問い詰めて、その基準に合わせて、あえて自身の男性性/女性性を積極的にアピールしない人たちは、性的指向を疑念されるのもしばしば経験している。「ひょっとして、指向がそうした側(の人)ではないだろうか?」という質問の後には、「ゲイ/レズビアンでもないが、なぜ女/男のようにふるまうのか」という問い、なぜ暗黙的である規範に従わないかという追及が隠れているのだ。語り口や行動様式、服を着る好みなどが、性的指向、性的同一性(アイデンティティ)とセットにして変わらないという事実に対する人々の無知は言うまでもなく。


・トムボーイキャラクターである、f(x)のエンバ
・男装女性という偏見
・ソロ曲「Beautiful」、「Borders」で
・自伝的な話、解き明かして
・「私を押さえ付ける圧迫に抗して」
・世間の批判に堂々としていて


・平凡な身分も名もない人々(張三李四)は、それでも目が向けられない方だ。大衆の前で、いかなる役割モデルになることが強要される芸能人の場合は、世界の視線を避けるのはさらに難しい。
・f(x)(エフ エックス)の「エンバ」は、同時代の韓国ガールグループでは簡単に見つけるのが難しかったトムボーイ(中性的で闊達な女性)キャラクターで、多くの女性ファンを引きつけたが、同時にデビューするやいなや彼女を「男装女性」というキーワードで修飾する人々とも向き合わなければならなかった。
・2009年韓国放送「ギャグコンサート」で、「ワン・ビホ」キャラクターで活動した(コメディアン)ユン・ヒョンビンは、エンバを指して「ガールグループというけれど男がいる。ハ・リスのような子」と話した。放送後、多くの視聴者からエンバとハ・リスの共に礼を欠くという批判を受けたにもかかわらず、そのような冗談がディレクター(PD)の事前検査でふるいにかけることも、編集過程で脱落することもなかったというのは、人々の偏見がどれくらい強いことか端的に見せる。

・顧みると、エンバが韓国の大衆音楽界に、初めて登場したトムボーイのキャラクターであることもなかった。
- ギターとフォーク、ジーンズ(青ズボン)の時代だった1970年代のヤン・ヒウンは、白いシャツにジーンズ(青ズボン)姿でギターを弾き、
- ミュージカルでスカート(チマ)を着たことがマスコミに特筆大書されるほどズボンを固執したイ・ソンヒは、「姉さん部隊」を率いて歩き回ることで有名だった。
- 「タムダディ」で一躍スターダムに上がったイ・サンウンはまた、大きな身長と短い髪、ジーンズ姿で女性ファンを魅了した。
あまりにも長い間、華奢だったり可愛らしいイメージで大衆を相手にするガールグループにだけ慣れて、そうなのか? エンバに対する韓国社会の視線は、イ・ソンヒとイ・サンウンを経験した国にしては暴力的であることこの上なかったもちろん、1980年代は、世界的にトムボーイ熱風が吹いた時期だったとの点も考慮するべきだが、時代が過ぎて流行が変わったといって、他人の好みや身なりなどを指摘して「模範的な」女性像あるいは男性像の中に相手を閉じ込めようとする試みが正当化されるわけではない。

・エンバは、このような世界の偏見に着実に反問してきた。2015年2月発表した、ソロアルバム「Beautiful」に収録されたタイトル曲「SHAKE THAT BRASS」のミュージックビデオもまた、友達とにぎやかに遊んでバスケットボールを楽しむ姿を入れたし、同名の自作曲「Beautiful」では、「鋭いことばが私の気持ちを深く切って」、世の中は、「狭い鳥かごのよう」だが、自身は他のどんなものでない自分自身になることであり、自身が自身たりえて幸せだと歌った。
・同年7月、自身のインスタグラムにあげた文では、メッセージが一層もっと鮮明になった。
「私は、女と男が、ある一つの外観に拘束されないと思います。美しさというのは、すべての形と大きさから出てきます。私たちはすべて違いますね。もし、私たちが皆同じメロディで歌うなら、どういうふうにハーモニーが存在することができるでしょうか? 他の人々と違うという理由だけで他の人をむやみに判断しないでください。私たち皆お互いの差異を尊重して成長できることを願います。」 嫌いな人たちはずっと嫌いだろうが、自分の面前で自身を冒とくすることは全然違うことなので、一つはっきりしておきたい言葉で始めたこの丁寧な文は、このように終了する。
「いつでも、自分自身になってください。自分自身に真正真実に生きることが、自らのためにできる最も大きなことです。」

・去る3月24日、公開されたソロ音源「Borders(境界)」でも、彼女は同じ話をする。1節で、エンバは世界の指差しに苦しむ。「ここに皆が私を眺めて、首を横に振るよ。私に何が問題なのか・・・(中略) 彼らが言う『完璧』に届くことができるならば、何でもするだろう。その後、多分、私が居る場所も見つけることができるだろう」。
All these people here staring and looking at me
Shaking their heads eyes down strong on me
What's wrong with me?
・・・
And I'd do anything to be what they call perfect
Then maybe I could find a place to call my own and belong

・しかし、すぐ次の小節から、彼女は違う可能性を思い浮かべて、違う歌を歌い始める。「だが、もし私が十分に強いならば、目を足元に置いて黙々と歩いていくだろうに。なぜなら、母さんが語ったよ。境界を越える時、窮地に追い込まれても、決して恐れるなと。真っすぐ立って、あなたの道のため戦えと。立ち上がって倒れて、再び立ち上がって。私を押さえ付ける圧迫に抗して」。
But if only I was strong
I'll be walking with my eyes down
eyes down eyes down
I'll keep my eyes down
eyes down eyes down

’Cause mom said I'd be crossing borders
Never be afraid even when you're cornered
Stand up straight fight your way
Fight your way fight your way

Stand up, fall down, up again
Up against the pressure I am in

・そうしては、世界に向かっていう。「見せ掛けしないのだ。はるかに多いことが前にあるから」。
No I won't play pretend
There's so much more ahead

・ソロで曲を発表する機会があるたび、エンバは自伝的な話を引き出して、世界の不当な偏見に抗して負けないことを誓った。

・そのメッセージは、もうエンバ本人だけでなく、他の人々と違うという理由で苦しむこれらみなのものとになった。エムネットに出演した時、エンバはこのように話した。「私の考えで、歌手はメッセージを伝達しなければならないのです。音楽で。 自分がいじめだと思う人たち、心が痛む人たち. 勝ち抜くことができます。そんなメッセージを伝達したいです。『エンバも勝ち抜いたので、あなたも勝ち抜くことができます』、そんな話をしてあげたいです」。数多くの基準として、他人の人生を裁いて、指差しするのが好きな世界で、その偏見は不当なことであり、美しさはあらゆる形態と大きさから来て、これ以上他の人々が望む姿を真似ないというメッセージを、世界に伝えるのが使命と考えた歌手が錐(きり)のように鋭く(境界を)突き抜いた。
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(Youtubeに登録のSMTOWNに感謝)

2016年4月1日金曜日

ストーブとよりを戻すこと

昨日、気温は19℃を越えた。穏やかな晴れた空に、桜の花の咲き誇るのを見んと公園に行った。春らしい陽射しに温もり、心まで伸びやかになった。都心では満開宣言まであった。

こんな風に過ごしやすくなるのに、年々時間がかかるようになった。冬の寒さから解放される目安は、10℃と思う。部屋から廊下に出る億劫さが薄れるからだ。そのうえ20℃を越えれば、自然に体が浮いてくる。

地元の気温で20℃を越えたのは、2月の13日と14日、3月の8日と17日だった。特に2月13日は24℃を越えた。そんなとき、もう充分に寒さに耐えたから、このまま突き進んで欲しいと願った。けれど、三寒四温のお天道様は許してくれなかった。

では、15℃ではどうだろうかと掛け合った。3月に入ると、特に月末になると15℃越えが続き、昨日の3月31日は19℃を越えた。もう大丈夫だろうと安心して、ストーブを押入れに閉まった。これから少しくらい寒くても、いつまでもストーブに頼っていられない。体を慣らす決心をしたのだ。

けれど、今日、私は負けた。

ストーブを抱えながら詫びた。済まなかった、もう一度部屋に戻ってくれと。現在、私のそばで、ストーブは赤い炎を揺らしている。少し熱いくらいに。

2016年3月31日木曜日

桜満開

木曜日の昼過ぎ、地元公園に桜の咲き具合を見に行く。驚いたことに、子どもたちと一緒の家族連れの姿が目立つ。公園中央の大きな広場の草原に、シートを敷いて食事をしたり、そのそばで遊んだりしている。普段、平日に見られない光景だ。どうやら、子どもたちの春休みを有効に使っているようだ。

例年、公園西側にある「たてもの園」前の広場は、桜の花に埋まる。桜花に誘われた大人たちも大勢集う。ここの桜も満開に近い見事な咲きぶりだった。4月2日(土)、3日(日)の「桜まつり」が楽しみだが、風が吹くと、わずかに花が舞い散るものまである。花見は、早ければ早いほどいいようだ。

今日、東京(都心)の桜が満開になった。日本経済新聞の記事、「東京都心で桜満開 平年より3日早く」(3/31)によれば、「気象庁は31日、東京都心で桜(ソメイヨシノ)が満開になったと発表した。同庁によると、平年より3日早く昨年より2日遅い。職員が靖国神社(千代田区)の標本木で8割以上の開花を確認した。」とのこと。ここ数日、都内は桜で浮かれることになる(きっと)。

公園から戻る途中、近所の桜並木道の様子をうかがう。ほとんど人影もない、全くの穴場だ。通りを両側から覆うように、背の高い桜が花のアーケードを作っていた(本当に)。

桜の美しさを感じるのは、花弁を通して空を見上げるときだ。白い花弁が重なって薄いピンク色に見え、それらがゆっくり風に揺れる。花の合間から背景の青空が顔をのぞかすとき、記憶に通じる桜になる。桜の花はいつまでも変わらない。

(本ブログ関連:””)

2016年3月30日水曜日

BANANA LATTE

バナナほど食べやすい果物はない。さらに、ミルクと砂糖少々まぜてミキサーにかけると、もっと食べやすく(飲みやすく)なり、美味さが増す。子ども時代、バナナは高級品だったからか、好きな色が黄色だった。今でも、スーパーやコンビニの食品コーナーに行けば、黄色の容器を探す。私のバナナ巡礼である。

(本ブログ関連:"バナナ")

一昨日、コンビニで見つけた、バナナ飲料「smooth & milky BANANA LATTE」(果汁1%、500ml)を飲む。乳飲料(牛乳30%)に類別されるだけあって、マイルドで甘みを抑えたアッサリしたバナナ風味がよい。爽快感がある。いわゆる、バナナ特有の飲んだ後に喉をイガイガさせることがないのもありがたい。ネットを参照すると、好評価のようだ。

製造元が、森乳業株式会社とあり、森永乳業と見誤ってしまった。パッケージは淡い黄色を地に、上面に「BANANA LATTE」の文字でアピールし、側面は驚くほど飾り気がない、バナナ一本で勝負。今まで探し求めてきたバナナ味の食品中、素人ながら最高におしゃれなパッケージデザインと思う。


(追記)
中央日報の記事、「【NOW!ソウル】『バナナ牛乳』のカフェが東大門にお目見え!」(3/29)は、ソウルの東大門近くに「バナナ牛乳(바나나맛우유)」の店が登場したと次のように報じている。近くに清渓川の小川が流れ、片岸沿いに中古書店が並ぶ。イ・ソンヒの雑誌記事を探したが見当たらなかったけれど・・・いつかバナナ牛乳も飲んで、古本探しする楽しみがありそう。

(本ブログ関連:"バナナ牛乳")
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・1974年の誕生以来韓国人に根強い人気を誇る飲料会社ピングレの「バナナウユ(バナナ牛乳)」の専門カフェ「YELLOW CAFE」が、今月東大門(トンデムン)エリアの「現代シティアウトレット東大門店」地下2階にオープンしました。
・「YELLOW CAFE」には、「バナナウユ」を主材料にしたラテ、シェイクなどの飲み物と、バナナソフトクリーム(3,500ウォン)、プリン、タルトなどデザート類があり、オリジナルキーホルダーやマグカップも販売されています。
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2016年3月29日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 絵

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「絵」に関連した3曲を紹介した。

始めに、1866年、フランス艦隊の江華島占領(丙寅洋擾、병인양요)と当時の朝鮮文化について次のように紹介された。
・朝鮮時代末の大院君体制下、フランスの江華島侵攻(1866年)は、西欧による最初の侵入事件である。1ヵ月ほどで占領したフランス軍は、財宝などを略奪して撤退する。ときのフランスの将軍は、<貧しい家にも本があり、また、床暖房、寺院にかけられた肖像画、越冬用キムチ漬けの甕>など記録した。朝鮮文化を知り、3千冊にのぼる書籍も持ち帰ったという。

▼ パンソリ「春香歌(춘향가)」から春香の「部屋飾り(방치레)」を伽耶琴(カヤグム)演奏と歌で聴く。淡々と描写するよう。

次に、朝鮮時代に絵が広く好まれたことを、パンソリ「春香歌」(春香伝)や「歳画(세화)」を通じて、次のように紹介された。
・朝鮮時代、本に劣らず絵も好まれ、どの家にも絵が掛かった。パンソリ「春香歌」で、春香の部屋を飾る「部屋飾り」は、その様を詳しく描写する。南部にある全羅北道南原地域は、漢陽(現ソウル)から遠く離れた地だ。そこに引退した妓生の娘、春香は、四方の壁に数々の絵を飾った。
・昔、人々は正月に「歳画」を掛け、悪鬼払いした。虎や鷹の動物絵が多かった。学者ソンビは、詩を書いたり絵を描くことも基本的嗜みとした。有名な画家の逸話に、人々が彼らの絵を手に入れようとする物語がある。絵は日常生活の一部だった。

▼ 奚琴(ヘグム)の演奏「月下情人(월하정인)」を聴く。月明かりに照らされた二人の姿と心を今様に描く。

最後に、朝鮮後期の画家、申潤福(신윤복, 1758年~没年不詳)の絵「月下情人」などについて次のように紹介された。
・「月下情人」の絵は、朝鮮後期の画家、申潤福の代表作のひとつだ。月明りの下、ある家壁の角に、男女が立つ姿を描き、「月の光が照らす真夜中に、二人の心は二人だけが知っている」と残した。
     月沈沈夜三更
     両人心
     事両人知
後世の人々は、この言葉から二人の心がどうなのかを推し量った。申潤福や金弘道(김홍도、1745年~没年不詳)は、朝鮮時代の庶民生活を描いた風俗画で知られる。喜ぶ民を描いたからこそ、それら作品が後の世にも知られた。

▼ パンソリ「水宮歌(수궁가)」から「兎絵像のくだり(토끼 화상 대목)」を聴く。なんだかアニメ風な味わいがする・・・。

・亀は、兎を捕まえに陸地へ行く計画を立てるが、海の中で生きたため、兎を一度も見たことがない。そこで、絵師を呼び、兎の絵を描いてもらう、興味深い場面を歌った内容だ。

2016年3月28日月曜日

イ・ソンヒとキュヒョンの初対面

相変わらず、「スーパージュニア」のキュヒョンについて存じませんが、4月17日初放送するSBSの「ファンタスティック・デュオ」で、イ・ソンヒとデュエットということで、本ブログでもとりあげている次第。今日、その二人が本放送前に会ったという。

(本ブログ関連:”ファンタスティック・デュオ”)

アジアトゥデイの記事、「『ファンタスティック・デュオ』 イ・ソンヒ x キュヒョン、実際の出会い成功・・・びっくりデュエット舞台」(3/28、パク・スルギ記者)は、次のようにサプライズな初対面を報じている。
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・歌手イ・ソンヒとスーパージュニアのキュヒョンが、実際に会い、びっくりデュエットを結成した。

・イ・ソンヒとキュヒョンは、28日に進行されたネイバーVアプリ(V App)に電撃出演した。この日進行された放送は、当初キュヒョン独りで進行される状況だったが、イ・ソンヒが予告なしに録音室の現場にびっくり訪問し、デュエットが電撃実現した。

・先に、キュヒョンは、「イ・ソンヒと一緒に歌いたい曲を練習する」と明らかにし、イ・ソンヒの「縁(因縁、인연)」を挙げたが、折りよくイ・ソンヒが訪問し、キュヒョンは、とても驚き後ずさりしながら90度に曲げる挨拶で笑いを誘った。イ・ソンヒは、「目がとても澄んできれいだ」と、キュヒョンに挨拶のことばをかけて、キュヒョンも「とてもお美しくていらっしゃる」と応え、暖かい雰囲気を作り出した。

・以降、二人はすぐにその場で、デュエットとなる「縁(因縁)」を歌って、完璧な(互いの)気息を誇って、本放送での「デュエット」を期待させた。

・制作陣は、「イ・ソンヒ x キュヒョン、レッドベルベット x イム・チャンジョンに続く特急スターたちのコラボ・デュエットが待機中」と、期待感を持たせた。

・一方、「ファンタスティック・デュオ」は、現在、(ネットの)「エブリシング」アプリを介してデュエット志願者を受け付けており、誰でも大韓民国最高の歌手とのデュエットをすることができる。「日曜日が良い - Kポップスター5」の後続として、来る4月17日初放送される。
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2016年3月27日日曜日

公園の桜は何分咲きか

桜を目あてに、日曜日の公園は人であふれるかもしれない、そんな思いがして早朝(六時半頃)出かけた。外はとても冷えて、完全な冬仕度をする。襟首もかため、手袋までした。それほど寒かったのだ。途中、民家の「ハクモクレン」はすっかり花を落とし、小学校の垣根の「沈丁花」は香りを潜めていた。

公園は、人影がまばらだった。外周の遊歩道をランニングする大人くらい。さすがに、こんな朝早くに、この寒さのなか出かける家族の姿は見かけない。

桜の木々が集まって「桜祭り」を賑わす、「たてもの園」前広場に着くまで、いくつか花をながめたので次に記す。

・「コトラブシ辛夷)」:公園の端にあるテニスコートはがらんとして寂しい。その近くにコブシが一本、白い花を咲かせていた。細い白い花弁が何ともわびしく、盛りを過ぎたのだろうか風に揺れていた。

・「サンシュユ山茱萸)」:ちょっと前、黄色の花を咲かせた「ロウバイ臘梅)」の近くで、それより高木なサンシュユが黄色の花を飾っていた。近く寄ると、花の構造が全く違うのが分かる。黄色の小さな花を集めた塊りが、多数になって木を覆っている。

・「ミツマタ三椏)」:今日の一番の驚きだった。近寄ると濃密な香りがする。和紙原料の木から想像もできない。花は、小さな白色の筒状の先に四弁の花が咲き、その塊りが多数覆う。小さな花弁の表面は、橙色、黄色に染まっていた。

・「サクラ)」:満開時に空を隠すほどと比べれば、まだまだの咲き。何分咲きというのか基準を知らない。ネットの感想では、一から二分咲き、三分咲き、三分から五分咲きと様々書かれている。さて、三分咲きとでもいうのだろうか。(ちなみに、自宅近所の桜並木は五分咲きといった感じがするが・・・)

(本ブログ関連:「」)

公園にしばらくいたが、朝日に照らされたときだけ暖まる、まだそんな時間帯だった。

2016年3月26日土曜日

チョ・ジェヒョン「【コラム】不快な映画広告と集団主義」

中央日報(日本語版)の記事、「【コラム】不快な映画広告と集団主義」(3/26)は、日頃の同紙に珍しい論調だ。チョ・ジェヒョン(米ネバタ州立大経営大学院)という若者が記した、いわゆる国民鼓舞のムードや風潮に対する一種警世的なコラムになっている。

コラム中、イ・ソンヒの広告応援歌「頑張れコリア(힘내라 코리아)」について触れている部分がある。この曲は、彼女の歌ったアニメソング「走れハニー(달려라 하니)」をベースにしたものだ。映画館で(公共的)広告として使われているようで、「頑張れコリア」を載せたYoutubeに様々なコメントが寄せられている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ「ひとしきり笑いで」”、”イ・ソンヒと政治”)

なお、このコラム投稿者の所属について、中央日報の日本語版は「ネバタ州立大経営大学院」=MBAとなっているが、韓国語版では「ネバダ州立大経営学部3年生」となっている。

어려울때
네 곁을 지켜주는
내가 있어
다시 일어나

힘내라
힘내라
힘내라 대한민국

행복의
날까지!
힘내라 코리아

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・映画館に行くたびに不都合な広告2つを見る。一つは、ある大型劇場が後援する「プレミアムコリア(프리미엄 코리아)」であり、もう一つは、歌手イ・ソンヒが歌う「頑張れコリア」だ。ともに趣旨はよい。「私たちは韓国が誇らしい国であることを忘れていました」、「厳しくても頑張れコリア!」という内容だからだ。それでも何か引っ掛かる。なぜだろうか。

・歌にもなった名演説で米国のオバマ大統領は「Yes. We can!」を10回以上も繰り返す。この文章の主語の「私たち(We)」は「私(I)」が自発的に集まって生じた集団だ。このためオバマ大統領の演説に多くの市民が共感して呼応した。これに対し、これらの広告は私が誇らしい人間であることを想起させるのではなく、私たちの国が誇らしい国であることを強調する。個人が幸せな日でなく大韓民国が幸せな日まで頑張ろうという。

・チャン・カンミョンの長編小説『韓国が嫌で』に登場する女主人公ケナは、なぜ豪州に移民をしたのかという質問に愛国歌(韓国の国歌)と豪州の国歌を例に挙げる。愛国歌では神が守るのも大韓民国であり、万歳を享受するのも大韓民国だ。豪州の国歌は、「豪州の人よ、喜ぼう。私たちは若くて自由だ」で始まる。こうした価値観の違いが、韓国を離れた理由だと彼女は話す。映画館の広告が不快である理由も同じだ。集団の栄光を称賛する歌を聴いて、私たちは「なぜ私が誇らしく、私が幸せではいけないのか」を無意識の中で問う。

・もちろん集団主義は必ずしも否定的なものではない。韓国が短い期間に先進国入りするのに共同体を優先視する文化が少なからず影響した。全世界を驚かせた「金集め」運動で通貨危機を克服した経験もある。しかし集団主義が過ぎると全体主義やファシズムになることもある。

・ペイパルの共同創立者ピーター・ティールは著書『ゼロ・トゥ・ワン』で、「不明瞭な悲観主義」に触れている。欧州の多くの若者は未来に悲観的だが、どれほど、そしてどんな方法でさらに悪くなるか知らないため、社会的な成功や物質的な豊かさよりも、自己充足的な小さな満足を追求する傾向があるという。多くの韓国人もこうした「不明瞭な悲観主義」の中で暮らしている。もう韓国社会も構成員に「頑張れ大韓民国(힘내라/대한민국)」のような常套句の代わり、「あなたが幸せになればよい」「あなただけの幸せを探せ」と励ます時ではないだろうか。
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(面接室前の廊下に並ぶ姿は? 屋上でバッティングしたボールはどこへ?)

(Youtubeに登録の도미정、Blue K、NH農協銀行に感謝)

2016年3月25日金曜日

イ・ソンヒ「あなたの香り」

春は、冬に隠れた色彩や香りを復活させる。心浮き立つに相応しい記憶を呼び覚ます。春風に想いを乗せて届けよと、イ・ソンヒは、14集所収の「あなたの香り(그대 향기)」を歌う。彼女の声は、ときに少女の顔をのぞかせる。

(本ブログ関連:”あなたの香り”)

春は不思議なもの、生命すべてに躍動を与える。赤ん坊は無垢にしてあらゆる可能性を手にする。青春もまさに字義の通り、うらやましい限りだ。大人だって、この春を折に心新たにしたいのに・・・。


*あなたはなつかしい愛でしょう
なつかしさは 愛と同じ

重さに耐え切れなかったなつかしさ
風に乗せてみます

聞こえますか 私の心の声
届くように差しあげる祈り

**陽射しあふれる ある春に
私たちのまた会える日を
忘れずに覚えます
あなたを待つでしょう

踊る春風に乗った
あなたの香り思い出します
なつかしさは愛になって
あなたに届くでしょう

(*以下すべて繰り返し)

(**以下繰り返し)

あなたに届くでしょう

(Youtubeに登録のjung kang yeolに感謝)

2016年3月24日木曜日

「祇園小唄」

昔、時代劇俳優に高田浩吉がいた。彼が登場すると、銀幕がぱっと活気づく華やかさ、艶があった。しかも画面の中で歌って聞かせるのだ。LPレコードの記憶だろうけど、「伊豆の佐太郎」の「はいた草鞋(わらじ)に」のフレーズがいつまでも残っている。役者のイメージは、股旅ものだったが、過去の映画出演リストを見ると意外な感じがした。「伊豆の佐太郎」の歌詞の印象が余りにも大きかったからだろうか。

彼の娘に女優の高田美和がいる。彼女がカバーする、春に始まる歌、「祇園小唄」(昭和5年:1930年、作詞:長田幹彦、作曲:佐々紅華、歌唱:藤本二三吉)は、春夏秋冬に恋を歌う。今様にアレンジすることもなく、自流のイメージに合わせることもない、古風に歌い聴かせる。

春の京、霞に曇る東山、見上げれば登る月が見える。祇園の賑わい、過ぎ行く若者たちにも、「清水へ祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき」(与謝野晶子、歌集「みだれ髪」、1901年)。もしかしたら、京都の町に対する妄想かもしれない。(蛇足だが、朝日新書「京都ぎらい」(井上章一著)で、京都の町の別の一面が見えるような、見えないような・・・)

※ 「祇園小唄」(JASRAC No.024-0015-4 著作権消滅曲)


月はおぼろに 東山
霞む夜毎の かがり火に
夢もいざよう 紅桜
しのぶ思いを 振袖に
祇園恋しや だらりの帯よ

夏は河原の 夕涼み
白い襟あし ぼんぼりに
かくす涙の 口紅も
燃えて身を焼く 大文字
祇園恋しや だらりの帯よ

鴨の河原の 水やせて
咽(むせ)ぶ瀬音に 鐘の声
枯れた柳に 秋風が
泣くよ今宵も 夜もすがら
祇園恋しや だらりの帯よ

雪はしとしと まる窓に
つもる逢(お)うせの 差向(さしむか)い
火影(ほかげ)つめたく 小夜(さよ)ふけて
もやい枕に 川千鳥
祇園恋しや だらりの帯よ


 (Youtubeに登録の藤本二三代に感謝)

2016年3月23日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 甫吉島と尹善道

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、全羅南道南岸にある甫吉島(보길도)と、尹善道윤선도、1587年~1671年、号は孤山)に関連した3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”尹善道”)

始めに、全羅南道南岸の小さな甫吉島と朝鮮中期の尹善道について次のように紹介された。
・全羅南道南岸の島「甫吉島」は、美しい景観で知られる。ソウルから木浦まで、最も速い列車でも4時間近くかかる。そこから半島最南端の海南に車で1~2時間近くかけて、さらに船に乗り1時間程の距離にある。交通が発達した今も遠い。徒歩で移動した朝鮮時代、もっと時間がかかったはず。でも、甫吉島は一度は行ってみたい自然の美しい所だ。また、朝鮮時代の代表的詩人、尹善道が詩作した場所でもある。

▼ (管)ソグム、(擦弦)ヘグム、カヤグム演奏「甫吉島の朝(보길도의 아침)」を聴く。長閑な朝の情景を今様に彷彿させる。

次に、尹善道が甫吉島に居たいきさつと、彼の作品「五友歌(오우가)」について次のように紹介された。
・尹善道は学者、政治家、そして優れた詩人でもあった。政治に空しくして世俗を去る決心し、済州島へ向かう。途中、暴風に遭い、寄ったのが甫吉島で、景色に魅せられここに変更する。芙蓉洞부용동)に池を作り、そばに東屋を建て、舟遊びと風流を楽しんだ。芙蓉洞の山麓に庭園を作り、茶を楽しみ書を読む。ここでの作品の「五友歌」は<わが友が何人かと聞かれれば、水と石、松と竹、そして月の明かりだ>という内容だ。自然を友として暮らす風流を表した作品だ。

▼ 「五友歌」から、「わが友の数は何人だろう(내 벗이 몇이냐)」を聴く。風流に自然に親しむ如く。

最後に、尹善道の子孫、尹偉(윤위、1725年~1756年)の「甫吉島識(보길도지)」と尹善道の「漁父四時詞(어부사시사)」について次のように紹介された。
・尹善道の子孫、朝鮮中期の文臣尹偉が甫吉島を訪ね、「甫吉島識(보길도지)」を書した。その内容に尹善道の風流が浮かぶ。<天気が良いと東屋に行き、池に舟遊びする。子弟に五色の服を着せ、尹善道の書「漁父四時詞」の詞を歌わせる。東屋では管弦の演奏を聴き、人々の踊りを観覧する。踊る姿が池に映るのを見た>と、華やかに遊んだようだ。その時歌われた「漁父四時詞」は、海辺に暮らす漁師=学者(ソンビ)の四季を歌ったものだ。

▼ 「漁父四時詞」から、「春の歌」を歌と演奏で聴く。春は東風(秋は西風だが)、帆は穏やかな風に押されるよう。今様。

・「漁父四時詞」は、春、夏、秋、冬の詞で構成され、尹善道65歳の作品で、言葉の美しい響きをよく表したものと評される。

2016年3月22日火曜日

ペタラギ「きみは春雨がとても好きですか」

中学生頃の男子は、好きな女子について、集まっては互いにその名を口にした。不思議なことにおおかた一致した。思い返すとその子は、つんとした目鼻立ちをして、華やかというよりスポーツタイプだったようだ。それが、高校生になると、男子は互いに話さなくなる。・・・

高校時代に気になった女学生を、卒業後、皆が白状したことがある。高校生どうし誰も口にしなかったある女学生だった。物静かでしとやかな、そっと見守りたいと思わせるひとだった。もしかしたら、私の仲間がそんな風(に奥手)だったのかもしれない。大学生になれば、共有する話でもなくなる。

ああ青春してるなと思う歌がある。ペタラギ(배따라기)の「きみは春雨がとても好きですか(그댄 봄비를 무척 좋아하나요)」(1984年、이혜민、양현경)はどうだろうか。イ・ソンヒがデビューした年にリリースされたものだ。私の青春は、それよりもっと昔のことだが。

(本ブログ関連:”きみは春雨がとても好きですか”、”春雨”)


きみは、春雨が とても好きですか
わたしね、雨が降れば 思い出浸(ひた)るわ

きみは、風音が とても好きですか
わたしね、風が吹けば 風に歩くわ

さびしい僕の胸に こっそりと近づき
愛を植えおいて 去ったその人を
ぼくは[わたしは]、本当に 憎みはしません

きみは、落ち葉散れば 何を考えるのですか
わたしね、二人歩いた 松並木独り歩くわ
             _____________

きみは、春雨が とても好きですか
わたしね、雨が降れば 思い出浸(ひた)るわ

さびしい僕の胸に こっそりと近づき
愛を植えおいて 去ったその人を
ぼくは[わたしは]、本当に 憎みはしません

きみは、落ち葉散れば 何を考えるのですか
わたしね、二人歩いた 松並木独り歩くわ
松並木独り歩くわ
松並木独り歩くわ


(Youtubeに登録のutopia43に感謝)

2016年3月21日月曜日

桜開花

都心の桜(ソメイヨシノ)が開花した。KYODO NEWS【共同通信社】は、千代田区にある靖国神社境内の桜の標準木が開花したと次のように報じた。(Youtubeのメモより)
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・気象庁は21日、東京都心で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。昨年より2日、­平年より5日いずれも早い。21日午前11時ごろ、気象庁の担当者が、千代田区の靖国­神社にある標本木で、8輪の花が開いたのを確認した。
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同ニュースのYoutube映像で、気象庁担当者が「お待たせしました」と桜の開花の観測結果を語ったところ、そこで待ちかまえていたマスコミ以外の一般客から拍手があった。ようやく訪れた春への安堵と期待の瞬間だ。

(本ブログ関連:””)

標本木から約21Km内陸にある、地元公園の桜も例年より早く見られるだろう。ちなみに、「桜祭り」が4月2日(土)~3日(日)に予定されている。楽しみだ。

「さくらさくら」の歌は、その起源が江戸期の子供用筝(琴)の手ほどき曲という(Wikipedia)、誰にも親しみ深い曲だ。ところが、歌詞の順番を知って驚いた。私の記憶にあるのは、二番の歌詞といわれる、「桜 桜 / 弥生の空は / 見渡す限り / 霞か雲か / 匂ひぞ 出づる / いざや いざや / 見に行かん 」だからだ。

一番の歌詞に当てられたものが、昔(1941年・昭和16年)からといわれると、見ず知らぬ人が座敷に笑いながら座っているような違和感を感じる。今まで気付かなかったことの方が問題だが。

(Youtubeに登録のFlügel Rüberzahlに感謝)

2016年3月20日日曜日

春分の日2016

今日は、昼夜の長さが同じという、二十四節気の「春分」。昼・夜を比べて、最大・最小・同じというのは、一年を区分する目安にしやすい。しかも昼の長さが温暖さに比例し、四季の区別に通じるなら、気分一新できる日でもある。

「春分の日」は、実際には昼の方が長くなっているそうだ。今日は朝から晴れて温く過ごしやすい。ここ数年の「春分の日」を振り返ってみると、晴れだった日が多く、寒い日は少しあったが、天気に恵まれている。

(本ブログ関連:「春分の日」)

こんな穏やかな日曜日は、桜の開花宣言が欲しい。東京の開花日を、Weathermapは3/19(土)、Weathernewsと気象協会は3/21(月)と予想している。その間をとって、今日なら按配よろしかったのではと願ったが、都内千代田区にある靖国神社の(桜の)標本木を、気象台職員が観察したところ、開花は明日に持ち越されたらしい。

温もりに誘われて、昼過ぎに地元公園に出かけた。都下、武蔵野台地(都心より1~2℃低い)ゆえ、桜の陽気に至っておらず、開花の気配もない。陽が陰り始めると、風に冷たさが増す。今年の「桜祭り」は、4月2日(土)~3日(日)、もう少し先とのこと。

ちなみに、公園内にある「江戸東京たても園」では、特別展「小金井の桜-春の江戸東京めぐり」を開催している。江戸東京の桜名所の賑わいを、浮世絵(主に歌川広重の作品)や、工芸品(手箱や印籠)などを使って紹介している。小金井桜については、徳川吉宗の代、武蔵野新田開発に伴い、小金井に桜を植えて名所にしたことを、江戸後期の「江戸名所図絵」や、明治末期の「風俗画報」など展示資料でうかがい知ることができる。

2016年3月19日土曜日

イ・ウンハ「春雨」

夕方までと予報された小雨が、昼過ぎ思いのほか早くあがった。気温も穏やかで、早春の厳しさはない。それでもストーブの温もりが、輻射が、赤外線が恋しくて、点けたり消したりする。本当にわがままなことだ。

春の雨には、濡れて寒いようで、それでも構わぬ、そんな気にさせるものがある。雨を忘れさせるものがある。イ・ウンハ(이은하)の「春雨(봄비)」(1979年、作詞:イ・ヒウ、作曲キム・ヒガプ)は、そんな春雨に再会を歌う。心を濡らす深くせつない旋律が、想いを手繰り寄せる、ハスキーボイスがたまりません。

(本ブログ関連:”イ・ウンハ”)


春雨に去ったひと、春雨に濡れて戻ったよ
あのときは、あの日には、笑って別れたが
今日このひととき、今日このひととき
あまりに惜しく
互いに涙で、窓を見るよ (あ~あ~あ)
春雨に戻ったひと、雨に胸濡らすよ

(以上繰り返し)


(Youtubeに登録のsoya iに感謝)