イ・ソンヒの作品に、ささやくように始まる、2集所収の「涙に咲く花(눈물속에 피는 꽃)」(1985年)がある。デビュー時の彼女の特徴である、突き抜けるような高音を遺憾なく発揮している、やや硬質な感じする作品だ。挿入の独白は、独特な雰囲気がある。後にLPで、語り(台詞)だけのもの、詩集まで出した。
アルバム第1集と2集は、本格デビュー初年(1985年)に出されたものだ。この曲は、彼女のイメージから、傷心の少女が精一杯に女ごころを歌うようで、当時の大人から見れば可愛らしく見えたかもしれない。柔道着を着た少女が女ごころを歌っているようなさまが浮かぶ。彼女の童顔は後の強力な武器になる。
(本ブログ関連:”涙に咲く花”)
“愛は 別れに、なおいっそう輝くでしょう
一人で寂しさを感じたとき、なおいっそう美しいでしょう”
あなたの目に映った 私の姿は
そんなに悲しい顔で 泣いていたのですか
思わず流れた 私のこの涙は
そんなにもあなたの心を 苦しめましたか
遠い空 見つめながら悲しみを消し去ろうと
気づかうあなたの姿は、むしろ私の心に
石を投げているのですね 涙に咲く花よ
“孤独が訪ねてくれば、こらえてしまうでしょう
こらえ続けて寂しくなれば、それだけで泣いてしまうでしょう”
こんなにつらい別れを 始めなければならないのは
もしかしたらあなたと私の 試練ではないでしょうか
私たちの目に宿る 涙に咲く花よ
(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)
2015年9月5日土曜日
2015年9月4日金曜日
パク・ミンギュの噂
正直言うと、イ・ソンヒを除いて、関心を持った韓国の歌手や小説家に戸惑いを覚える。韓流以前の頃、人気のあった歌手ケイ・ウンスクの歌を聞き続けたが、彼女のその後の生き方に大変残念な思いがある。母国へ帰った後も厳しい。
また、文学とは縁遠いながら、イ・ソンヒとほぼ同年輩であり、社会的評価もほぼ同時期に進んだ作家の申京淑(신경숙)の小説を読んだりした。ところが、今年6月に盗作問題が大きく報じられることになる。(実は、以前にも指摘されていたという)
(本ブログ関連:”盗作問題-①、②”、”申京淑”)
ところで、今年7月、東京国際ブックフェアに出かけて、一般向けの韓国産鉱物図鑑について問い合わせた。その際、ある出版社の方にも相談したこともあって、同社の文学シリーズにある「亡き王女のためのパヴァーヌ」(パク・ミンギュ、박민규、吉原育子訳)を求めたりした。この小説については、Twitter風小説とでもいうのだろうか、恋愛小説であり・・・若い女性向けで、映画化の話にぴったりのストーリー展開である。
(本ブログ関連:”東京国際ブックフェア”)
何と、この若手人気作家パク・ミンギュにも盗作疑惑の話しが出ているという。東亜日報掲載のニュース1の記事「”盗作疑惑” 小説家パク・ミンギュ、『盗作は交通事故のような問題・・・』」(9/3)は次のように報じている。
盗作は交通事故とは違う。小説家の言葉として随分軽すぎる。私の方こそ交通事故にあったみたいだ。
├-----------------------------------------------------------
・「盗作が倫理的な談論でなく、交通事故のような現実的な問題になりました。最小限のガイドラインでも設置しなければなりません」
・デビュー作「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」の盗作疑惑が提起された小説家パク・ミンギュが、小説専門文芸誌「アクストゥ(Axt、斧)」秋号を通じて、盗作を防ぐガイドラインの設置が必要という意見を出した。
・加えて、文学での盗作是非が、他分野よりもっと大きな波紋を起こす理由が、文学に書かれた「純粋」という概念のためだと主張した。だが、パクは自身の盗作疑惑については明らかで詳しい立場を明らかにすることはなかった。
・パクは、ペ・スア「アクストゥ」編集委員と行ったインタビューで、「盗作が交通事故のような問題」になって、「接触事故、追突、衝突でのひき逃げ、保険詐欺などの多様な形態の盗作がありえることになった」とし、「故意でなければ口をつぐむ理由も、隠す理由もない。その場ですぐ提起され、調整するのが最善」と話した。
・「だが(文人たちは)文を上手く書いて、登壇をして作家になる訓練だけ受けるだけで、これに伴う危険、乃至は安全規則遵守についてはどんな準備も対策もない」と、文壇内部のシステム問題を指摘した。
・彼はまた、「大衆音楽の場合には、ガイドラインと合意を導く調整機構により、大半の問題を解決することを知っている。今からでもそのようなシステムを構築しなければ、一方的な主張と黙秘権の悪循環は絶えず繰り返されるだけだ」といった。
・また、「お互いの文学観がみな違ので、盗作に関する考えもみな違うため、ガイドラインの構築のためには長い間の協議が必要だ」とし、「(しかしながら)最小限のガイドラインでも設置してこそ、この問題を解決することができる」と強調した。
・文学界にだけこのようなシステムが樹立できず、他分野に比べて盗作の是非が大きく浮び上がる理由は、文学を純粋なものと見る観点から求めた。パクは、「(盗作が繰り返されることが)文壇権力の保護という問題が台頭したが、私の観点ではさらに長い間の本質的な理由がある。 一つの単語でまとめようとするなら『純粋』だ」と語った。
・彼は、「純粋文学(순수문학)」という単語がヨーロッパの「fine art」を翻訳した日本語からきたものと見ている。彼は、西洋文学を輸入したことについて劣等感を隠すために*、日本が「純粋」という言葉を入れたと見て、長い時間が経って徐々に単語の意味そのままに、文学のアイデンティティになってしまったと解釈した。
(* ここだけ、パク本人の言葉がない間接的な語りだ。言質をとられないためか、それとも記者の思い入れか)
・「長官や総理候補の論文盗作にも鈍感な韓国人が、一介の作家の盗作に公憤する理由」は、世の中がいくら腐ってくずれても文学は純粋だろうという、人々の普遍的信頼が裏切られたところのためという指摘だ。
・彼は、「(この)純粋の監獄から抜け出さなければならない」としながら、盗作でない「模倣」については擁護する態度を見せた。彼は、「模倣と創作は絶えずお互いに影響を与えて発展すること」と付け加えた。
・一方、作家は「三美スーパースターズ・・・」などに対して提起された盗作疑惑について、「アクストゥ」のインタビュー提案を受けて、詳しい解明と反駁文を書こうか考えもしたが・・・無意味である気がした。いうことは(その前にもマスコミに)大まかに話した。その後の判断は、各自の役割」と、言葉を慎んだ。
・先月の「月刊中央」8月号では、パク・ミンギュの2003年デビュー作「三美スーパースターズ・・・」と、短編「昼寝」がインターネット掲示板の文章と、日本の漫画*を盗作したという疑惑が提起された。「三美スーパースターズ・・・」は第8回ハンギョレ文学賞受賞作であり、「昼寝」は2007年「文芸中央」夏号に掲載された短編だ。**
(* 「月刊中央」によれば、小学館「ビッグコミックオリジナル」連載の「黄昏流星群」(弘兼憲史作)・・・見てない⇒見たに変化)
(** 韓国ハフィントンポストの記事「小説家パク・ミンギュ、盗作を認めて心から謝罪する」(9/4))
・パク・ミンギュは、その後あるメディアとのインタビューで、「三美スーパースターズ・・・」盗作疑惑について、「当時インターネット掲示板に『人名辞典』という書き込みが掲載された。私は、この文を一種の80年代スズメシリーズ(참새시리즈)のようなユーモアで認識した。そこに、三美の選手たちの名前も数人入っていた」とし、「著作権がある文だと全く認識できなかった」と明らかにした。
・また、「昼寝」は、当時痴呆にかかった母を療養院に送り、心が痛くて書いた文だと釈明した。
-----------------------------------------------------------┤
(追記)
他者の作品からヒントを得て、自分の世界で膨らますことはよくあるのではないだろうか。和歌で言えば本歌取りがある。それは、時代の状況に光と影を与えられ、命を吹き込む作業の結果だろう。素人には、文学史に作品が残ったでしか知りえないことだ。作家の内面にどうして入り得よう。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」の最終直前の節で、スイスの光景が描かれる。「黄昏流星群」(弘兼憲史作)の1巻に、スイスの雪山の場面が登場するのをネットでちらりと見て、素人はいらぬ詮索をする。疑心暗鬼になったのは事実だ。
また、文学とは縁遠いながら、イ・ソンヒとほぼ同年輩であり、社会的評価もほぼ同時期に進んだ作家の申京淑(신경숙)の小説を読んだりした。ところが、今年6月に盗作問題が大きく報じられることになる。(実は、以前にも指摘されていたという)
(本ブログ関連:”盗作問題-①、②”、”申京淑”)
ところで、今年7月、東京国際ブックフェアに出かけて、一般向けの韓国産鉱物図鑑について問い合わせた。その際、ある出版社の方にも相談したこともあって、同社の文学シリーズにある「亡き王女のためのパヴァーヌ」(パク・ミンギュ、박민규、吉原育子訳)を求めたりした。この小説については、Twitter風小説とでもいうのだろうか、恋愛小説であり・・・若い女性向けで、映画化の話にぴったりのストーリー展開である。
(本ブログ関連:”東京国際ブックフェア”)
何と、この若手人気作家パク・ミンギュにも盗作疑惑の話しが出ているという。東亜日報掲載のニュース1の記事「”盗作疑惑” 小説家パク・ミンギュ、『盗作は交通事故のような問題・・・』」(9/3)は次のように報じている。
盗作は交通事故とは違う。小説家の言葉として随分軽すぎる。私の方こそ交通事故にあったみたいだ。
├-----------------------------------------------------------
・「盗作が倫理的な談論でなく、交通事故のような現実的な問題になりました。最小限のガイドラインでも設置しなければなりません」
・デビュー作「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」の盗作疑惑が提起された小説家パク・ミンギュが、小説専門文芸誌「アクストゥ(Axt、斧)」秋号を通じて、盗作を防ぐガイドラインの設置が必要という意見を出した。
・加えて、文学での盗作是非が、他分野よりもっと大きな波紋を起こす理由が、文学に書かれた「純粋」という概念のためだと主張した。だが、パクは自身の盗作疑惑については明らかで詳しい立場を明らかにすることはなかった。
・パクは、ペ・スア「アクストゥ」編集委員と行ったインタビューで、「盗作が交通事故のような問題」になって、「接触事故、追突、衝突でのひき逃げ、保険詐欺などの多様な形態の盗作がありえることになった」とし、「故意でなければ口をつぐむ理由も、隠す理由もない。その場ですぐ提起され、調整するのが最善」と話した。
・「だが(文人たちは)文を上手く書いて、登壇をして作家になる訓練だけ受けるだけで、これに伴う危険、乃至は安全規則遵守についてはどんな準備も対策もない」と、文壇内部のシステム問題を指摘した。
・彼はまた、「大衆音楽の場合には、ガイドラインと合意を導く調整機構により、大半の問題を解決することを知っている。今からでもそのようなシステムを構築しなければ、一方的な主張と黙秘権の悪循環は絶えず繰り返されるだけだ」といった。
・また、「お互いの文学観がみな違ので、盗作に関する考えもみな違うため、ガイドラインの構築のためには長い間の協議が必要だ」とし、「(しかしながら)最小限のガイドラインでも設置してこそ、この問題を解決することができる」と強調した。
・文学界にだけこのようなシステムが樹立できず、他分野に比べて盗作の是非が大きく浮び上がる理由は、文学を純粋なものと見る観点から求めた。パクは、「(盗作が繰り返されることが)文壇権力の保護という問題が台頭したが、私の観点ではさらに長い間の本質的な理由がある。 一つの単語でまとめようとするなら『純粋』だ」と語った。
・彼は、「純粋文学(순수문학)」という単語がヨーロッパの「fine art」を翻訳した日本語からきたものと見ている。彼は、西洋文学を輸入したことについて劣等感を隠すために*、日本が「純粋」という言葉を入れたと見て、長い時間が経って徐々に単語の意味そのままに、文学のアイデンティティになってしまったと解釈した。
(* ここだけ、パク本人の言葉がない間接的な語りだ。言質をとられないためか、それとも記者の思い入れか)
・「長官や総理候補の論文盗作にも鈍感な韓国人が、一介の作家の盗作に公憤する理由」は、世の中がいくら腐ってくずれても文学は純粋だろうという、人々の普遍的信頼が裏切られたところのためという指摘だ。
・彼は、「(この)純粋の監獄から抜け出さなければならない」としながら、盗作でない「模倣」については擁護する態度を見せた。彼は、「模倣と創作は絶えずお互いに影響を与えて発展すること」と付け加えた。
・一方、作家は「三美スーパースターズ・・・」などに対して提起された盗作疑惑について、「アクストゥ」のインタビュー提案を受けて、詳しい解明と反駁文を書こうか考えもしたが・・・無意味である気がした。いうことは(その前にもマスコミに)大まかに話した。その後の判断は、各自の役割」と、言葉を慎んだ。
・先月の「月刊中央」8月号では、パク・ミンギュの2003年デビュー作「三美スーパースターズ・・・」と、短編「昼寝」がインターネット掲示板の文章と、日本の漫画*を盗作したという疑惑が提起された。「三美スーパースターズ・・・」は第8回ハンギョレ文学賞受賞作であり、「昼寝」は2007年「文芸中央」夏号に掲載された短編だ。**
(* 「月刊中央」によれば、小学館「ビッグコミックオリジナル」連載の「黄昏流星群」(弘兼憲史作)・・・見てない⇒見たに変化)
(** 韓国ハフィントンポストの記事「小説家パク・ミンギュ、盗作を認めて心から謝罪する」(9/4))
・パク・ミンギュは、その後あるメディアとのインタビューで、「三美スーパースターズ・・・」盗作疑惑について、「当時インターネット掲示板に『人名辞典』という書き込みが掲載された。私は、この文を一種の80年代スズメシリーズ(참새시리즈)のようなユーモアで認識した。そこに、三美の選手たちの名前も数人入っていた」とし、「著作権がある文だと全く認識できなかった」と明らかにした。
・また、「昼寝」は、当時痴呆にかかった母を療養院に送り、心が痛くて書いた文だと釈明した。
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(追記)
他者の作品からヒントを得て、自分の世界で膨らますことはよくあるのではないだろうか。和歌で言えば本歌取りがある。それは、時代の状況に光と影を与えられ、命を吹き込む作業の結果だろう。素人には、文学史に作品が残ったでしか知りえないことだ。作家の内面にどうして入り得よう。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」の最終直前の節で、スイスの光景が描かれる。「黄昏流星群」(弘兼憲史作)の1巻に、スイスの雪山の場面が登場するのをネットでちらりと見て、素人はいらぬ詮索をする。疑心暗鬼になったのは事実だ。
2015年9月3日木曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 盂蘭盆
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/26)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、旧暦の7月15日の「盂蘭盆(うらぼん、백중*)」にかかわる3曲を紹介した。(* 백중を一律「盂蘭盆」と呼ぶことにする)
(本ブログ関連:”盂蘭盆”)
始めに、夏の「草刈り(김매기)」から解放される、旧暦7月15日の「盂蘭盆(백중)」について次のように紹介された。
・漢字の米は、十に八を上下に重ねる。米一粒できるまで、八十八回の手がかかる意だ。中でも「草刈り」は、真夏の強い日差しと地面から上がる熱で、本当に大変な作業だ。汗が目に入り、色々な虫が飛びつく。時間の余裕もなく、休む時間もない。こんな作業を三回ほど経て、やっと草刈りが終わると、今年の農作が終わった気がして、みな祭り気分で楽しむ。それが旧暦7月15日、「盂蘭盆」と呼ばれる日で、今年は8月28日だ。
▼ 「盂蘭盆の日(백중날)」の歌を聴く。家族の平穏を祈る・・・今様に洗練した歌いはアフリカのリズムのよう。
次に、盂蘭盆を「作男日(奴婢日、머슴날)」と呼んだり、「道軍楽(길군악)」について次のように紹介された。
・盂蘭盆は、草刈りを終えて「草取り鎌(호미)」を洗うことから、この日を、来年のために「草取り鎌を洗っておこう」とも呼ぶ。盂蘭盆は、草刈りを終えてみなで喜ぶ日で、一番一生懸命働いた者、農作の「壯元(장원)」を選ぶ。本来、壯元は科挙の首席合格者を指す。農作の壯元になった者を牛に乗せて帰る風習があった。地主は、新しい服や、休暇も与えたという。歌い踊りながら村に帰る時に歌うものを「道軍楽」 という。歩きながら演奏する音楽だ。また、盂蘭盆は「作男日」ともいい、村に市場が開かれ、余裕のできた作男のため、民族競技の「相撲(씨름)」が開かれたという
▼ 「道軍楽」を聴く。豊年満作、誇りと勇壮、湧き出る自信、エネルギー、民俗の逞しさ。いいね。
最後に、釈迦の優れた弟子「目連」と盂蘭盆について次のように紹介された。
・盂蘭盆は盂蘭盆節とも呼び、仏教で、祖霊を供養して「倒懸(逆さ吊り)の苦」を救う日だ。釈迦の弟子に「目連」がいた。目連の母は生きている時の行いが悪く地獄で苦しんだ。目連が悲しむと、釈迦は母を助ける方法を教えた。僧侶が精進を終えて日常の修行に戻る日に、百種類の馳走と五つの果物で供養をすれば救われるという。その日が陰暦の7月15日、盂蘭盆が盂蘭盆節と呼ばれるようになった。供養すると、生きた親はもちろん、亡くなった親も生まれ変わることができるという。
▼ 仏教音楽の供養を終えてから歌う詩歌「悔心曲(回心曲、회심곡)」を聴く。経文でなく、民謡要素が強いとのこと。
・盂蘭盆には、色々な意味がある。両親を想う日であることはもちろん、草刈りを終えて楽しむ日でもあった。
(本ブログ関連:”盂蘭盆”)
始めに、夏の「草刈り(김매기)」から解放される、旧暦7月15日の「盂蘭盆(백중)」について次のように紹介された。
・漢字の米は、十に八を上下に重ねる。米一粒できるまで、八十八回の手がかかる意だ。中でも「草刈り」は、真夏の強い日差しと地面から上がる熱で、本当に大変な作業だ。汗が目に入り、色々な虫が飛びつく。時間の余裕もなく、休む時間もない。こんな作業を三回ほど経て、やっと草刈りが終わると、今年の農作が終わった気がして、みな祭り気分で楽しむ。それが旧暦7月15日、「盂蘭盆」と呼ばれる日で、今年は8月28日だ。
▼ 「盂蘭盆の日(백중날)」の歌を聴く。家族の平穏を祈る・・・今様に洗練した歌いはアフリカのリズムのよう。
次に、盂蘭盆を「作男日(奴婢日、머슴날)」と呼んだり、「道軍楽(길군악)」について次のように紹介された。
・盂蘭盆は、草刈りを終えて「草取り鎌(호미)」を洗うことから、この日を、来年のために「草取り鎌を洗っておこう」とも呼ぶ。盂蘭盆は、草刈りを終えてみなで喜ぶ日で、一番一生懸命働いた者、農作の「壯元(장원)」を選ぶ。本来、壯元は科挙の首席合格者を指す。農作の壯元になった者を牛に乗せて帰る風習があった。地主は、新しい服や、休暇も与えたという。歌い踊りながら村に帰る時に歌うものを「道軍楽」 という。歩きながら演奏する音楽だ。また、盂蘭盆は「作男日」ともいい、村に市場が開かれ、余裕のできた作男のため、民族競技の「相撲(씨름)」が開かれたという
▼ 「道軍楽」を聴く。豊年満作、誇りと勇壮、湧き出る自信、エネルギー、民俗の逞しさ。いいね。
最後に、釈迦の優れた弟子「目連」と盂蘭盆について次のように紹介された。
・盂蘭盆は盂蘭盆節とも呼び、仏教で、祖霊を供養して「倒懸(逆さ吊り)の苦」を救う日だ。釈迦の弟子に「目連」がいた。目連の母は生きている時の行いが悪く地獄で苦しんだ。目連が悲しむと、釈迦は母を助ける方法を教えた。僧侶が精進を終えて日常の修行に戻る日に、百種類の馳走と五つの果物で供養をすれば救われるという。その日が陰暦の7月15日、盂蘭盆が盂蘭盆節と呼ばれるようになった。供養すると、生きた親はもちろん、亡くなった親も生まれ変わることができるという。
▼ 仏教音楽の供養を終えてから歌う詩歌「悔心曲(回心曲、회심곡)」を聴く。経文でなく、民謡要素が強いとのこと。
・盂蘭盆には、色々な意味がある。両親を想う日であることはもちろん、草刈りを終えて楽しむ日でもあった。
2015年9月2日水曜日
東京オリンピック・パラリンピック
東京オリンピックの話題で何かとせわしいけれど、五年先のこと、さほど心配していない。それより、どうやって見ようか、ちゃんと見られるだろうか、チケットはどうすればいいのだろうと、考えればきりがない。
どんな競技に関心あるかと問われれば、体操(個人)かな・・・。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、10月10日(⇒「体育の日」)~10月24日の間開催された。一方、2050年の東京オリンピック・パラリンピックは、7月24日(金)~8月9日(日)で、前回より2ヶ月半ほど早い。温暖化による暑さが増しているので、熱暑対策が必要だろう。
天気に左右されない室内競技がようさそうだ・・・。
1964年の馬事公苑、霧雨けぶるなか行なわれた、乗馬競技を観戦した。といって、クラスに配布されたチケットを持って出かけたわけで、どんな競技なのかもよく分からなかった。遠くで行なわれる正装した人馬一体の競技をただただ見ていた。
それにしても、2050年のオリンピックを見る楽しみって一体なんだろう・・・。(チケットは子どもたちに譲りなさい)
どんな競技に関心あるかと問われれば、体操(個人)かな・・・。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、10月10日(⇒「体育の日」)~10月24日の間開催された。一方、2050年の東京オリンピック・パラリンピックは、7月24日(金)~8月9日(日)で、前回より2ヶ月半ほど早い。温暖化による暑さが増しているので、熱暑対策が必要だろう。
天気に左右されない室内競技がようさそうだ・・・。
1964年の馬事公苑、霧雨けぶるなか行なわれた、乗馬競技を観戦した。といって、クラスに配布されたチケットを持って出かけたわけで、どんな競技なのかもよく分からなかった。遠くで行なわれる正装した人馬一体の競技をただただ見ていた。
それにしても、2050年のオリンピックを見る楽しみって一体なんだろう・・・。(チケットは子どもたちに譲りなさい)
2015年9月1日火曜日
二百十日 2015
今日は雑節の「二百十日」。この言葉、今よりも子ども時代の方が馴染んだ記憶がある。昔、台風襲来のたび、木造家屋は強くなかったのだろう、親父が木の雨戸に釘を打ち付けて固定していた思い出がある。
いまどきの戸建ては、とっくに縁側がなくなって久しいけれど、庭に面して雨戸を使う、大きな背丈サイズのガラス戸を並べるものが少ない。耐震構造のためか、エアコンなどの普及もあってか、できるだけ戸口を小さくする傾向にあるように見える。一見、洋風だが、湿度の高いモンスーン地帯の伝統的な家屋とは、かけ離れた気がする。
私の記憶にある、最大の台風被害は、「伊勢湾台風」(1959年、昭和34年)だ。子どもの頃、転校してきた級友から被災の経験をそれとなく聞いた。けれど、それ以上深入りすることがはばかれた。テレビや新聞記事から知っていたからだ。子どもながらに、興味本位に聞く話ではなかった。
今夕、帰り道に本屋へ寄って外に出ると、路面に小さな点がついていた。始めは微かに雨粒を感じた。次第に、雨脚が強くなった。帰宅してまもなく、屋根を叩く本降りとなった。どうも天候に恵まれない日のようだ。
1923年(大正12年)の今日、関東大震災が起きた。「防災の日」である。
いまどきの戸建ては、とっくに縁側がなくなって久しいけれど、庭に面して雨戸を使う、大きな背丈サイズのガラス戸を並べるものが少ない。耐震構造のためか、エアコンなどの普及もあってか、できるだけ戸口を小さくする傾向にあるように見える。一見、洋風だが、湿度の高いモンスーン地帯の伝統的な家屋とは、かけ離れた気がする。
私の記憶にある、最大の台風被害は、「伊勢湾台風」(1959年、昭和34年)だ。子どもの頃、転校してきた級友から被災の経験をそれとなく聞いた。けれど、それ以上深入りすることがはばかれた。テレビや新聞記事から知っていたからだ。子どもながらに、興味本位に聞く話ではなかった。
今夕、帰り道に本屋へ寄って外に出ると、路面に小さな点がついていた。始めは微かに雨粒を感じた。次第に、雨脚が強くなった。帰宅してまもなく、屋根を叩く本降りとなった。どうも天候に恵まれない日のようだ。
1923年(大正12年)の今日、関東大震災が起きた。「防災の日」である。
2015年8月31日月曜日
導かれるように石とめぐり合うこと
今日で、多分、子どもたちの夏休みは終わりだろう。長くて、短かった思い出いっぱいの夏だったに違いない。明日から新学期、久し振りに友だちに会う楽しさもある。へいちゃらに時間がやってくる彼らがうらやましい。
私には、暑くてどうしょうもない夏だった・・・おまけに、今年の2/3が終わってしまったのだ。何もしないまま、何もできずに、今年も記憶より早く夏が通り過ぎた。こちらはあっけない。
導かれるように時を過ごしたい。更にいえば、導かれるように石と巡り会いたいものだ。少しも上達しない石集めは、幸運の導きを願うだけ。時間は待ってくれないのだから。
そういえば、江戸時代の終わり近く、琵琶湖畔に居をかまえた木内石亭も、しっかり全国に石を探した。彼ほどになれば各地の石好き(弄石家)から産地情報も得たろう。そんな彼でも、「近江の田上山で道に迷って、思はぬ谷底へはひり込んで、そこで図らずも大きな水晶を拾ったことなどを記して、『これらは石が自分を導いてくれたのであらう』などとしてゐます」と、森銑三は「石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭」で語っている。(「日本の名随筆88 『石』」より・・・「おらんだ正月」所収)
この話し、石集めに長じた人だからこそ導かれるように石にめぐり合うことができたのだろう。そうでなくても、例えば団体で採集に出かけたとき、採集場所に至る山道でとんでもない石を拾ったりする人がいる。実にうらやましい限りだ。私は、一度も導かれたことはないけれど、分けてもらうのはしょっちゅうだ。
この話し、石集めに長じた人だからこそ導かれるように石にめぐり合うことができたのだろう。そうでなくても、例えば団体で採集に出かけたとき、採集場所に至る山道でとんでもない石を拾ったりする人がいる。実にうらやましい限りだ。私は、一度も導かれたことはないけれど、分けてもらうのはしょっちゅうだ。
2015年8月30日日曜日
イ・ソンヒの「秋の風」
秋の風は、言葉の災いを気付かせる警告であり、親しい仲に隙間風が吹く前兆である。どちらにしろ、秋風はひんやりして沁みる。もう夏には戻れない。
秋風に舞い散る落ち葉を見ると、とたんに詩人になって憂いに浸ったりする。取り返しのつかない事態に気付いたふうでもない。風のせいにするには、あまりに軽すぎる。こんなこと繰り返して過ぎるのだろう。
ところで、イ・ソンヒの2集収録の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、思い出を運ぶ西風だ。彼女の歌は、秋にとまどう心に吹く、凡庸の心に一種の清涼剤である。(今月始めに記したというに、デビュー当時の初々しい声をまた聴きたくなった)
(本ブログ関連:”秋の風”)
「秋の風(カルパラム)」
小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ
ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」
小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」
(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)
秋風に舞い散る落ち葉を見ると、とたんに詩人になって憂いに浸ったりする。取り返しのつかない事態に気付いたふうでもない。風のせいにするには、あまりに軽すぎる。こんなこと繰り返して過ぎるのだろう。
ところで、イ・ソンヒの2集収録の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、思い出を運ぶ西風だ。彼女の歌は、秋にとまどう心に吹く、凡庸の心に一種の清涼剤である。(今月始めに記したというに、デビュー当時の初々しい声をまた聴きたくなった)
(本ブログ関連:”秋の風”)
「秋の風(カルパラム)」
小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ
ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」
小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」
(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)
2015年8月29日土曜日
花火
遠くで花火の音がする。随分乾いた響きだ。十数分間のこと、大きな祭りではないのかもしれない。それでも、あのドンと突き抜けるような振動に、しばらく耳をそばだてる。
(本ブログ関連:”花火”)
子どもの頃の花火の思い出は、父が働いた会社の工場敷地で行なわれた夏の行事だ。夜の薄暗がりの中、ずっと低いところから見上げた空に、四方に広がり走る光の粒と、地響きのような揺すぶる音。遠くから眺めたはずなのに、記憶の花火は、私の周りを光で覆った。
やがて、花火が天空に炸裂して光の粒が散り、消滅するさまを鑑賞できるようになる。興奮とその余韻、静かに終わりゆく夏に、秋の涼しさが呼びさまされるような気配すらする。
海外での「日本デイ」のイベントに、花火を打ち上げる光景をYoutubeで見ることがある。ヨーロッパでのこと、観客の歓声から、どんな花火のスタイルに関心があるか分かる。空間、余白を残すことの少ない彼らの感覚からだろうか、光が点で消滅するよりも、筋を残しつつ消える方が好まれるようだ。自然体験や幼い頃の思い出など重なって表象されるだろう美意識の違いかと思ったりする。
(本ブログ関連:”花火”)
子どもの頃の花火の思い出は、父が働いた会社の工場敷地で行なわれた夏の行事だ。夜の薄暗がりの中、ずっと低いところから見上げた空に、四方に広がり走る光の粒と、地響きのような揺すぶる音。遠くから眺めたはずなのに、記憶の花火は、私の周りを光で覆った。
やがて、花火が天空に炸裂して光の粒が散り、消滅するさまを鑑賞できるようになる。興奮とその余韻、静かに終わりゆく夏に、秋の涼しさが呼びさまされるような気配すらする。
海外での「日本デイ」のイベントに、花火を打ち上げる光景をYoutubeで見ることがある。ヨーロッパでのこと、観客の歓声から、どんな花火のスタイルに関心があるか分かる。空間、余白を残すことの少ない彼らの感覚からだろうか、光が点で消滅するよりも、筋を残しつつ消える方が好まれるようだ。自然体験や幼い頃の思い出など重なって表象されるだろう美意識の違いかと思ったりする。
2015年8月28日金曜日
「玉石の事」
先日、教育社版の「耳袋」(根岸鎮衛著、長谷川政春訳)に掲載の木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」について記したが、岩波文庫版「耳嚢」(長谷川強 校注)に「玉石の事」として類話が載っている。
(本ブログ関連:”石の中に潜んでいる竜”、”石”)
愛石家の木内石亭は、石に対して在るままに振舞ったが、今回の話しの主人公(商人)はせっかくの奇石を欲に走らせて台無しにする。ある意味、教訓的な展開であるが、唐人は、それにしてもどうしてその価値が分かったのだろう。彼らの石に対する偏愛は大したものだ。
石の中に、竜がいたり、魚がいたりする空想は、世界が入れ子になったような感覚がしてたまらない。この話で、もし唐人の指示通り石が磨かれたならば、その結果、玉を愛するのだろうか、それとも玉中の水に泳ぐ魚を愛するのだろうか。空想は膨らむ。
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いつの頃にやありけん、長崎の町家の石ずへ(礎)になしたる石あり。不断水気潤ひだしを唐人見て、「右石を貰ひたき」よし申しければ、「子細ある石ならん」と其主人是をおしみ、右石ずへを取替て取入れて見しに、とこしなへにうるをひ水の出るにぞ、「是は果たして石中に玉こそ有りなん」と色々評議して、ふちより連々に(引続いて)研とりけるに、誤って打割ぬ。其石中より水流れ出て小魚出たるが、忽ちに死しければ取捨て済しぬ。其事、跡にて彼唐人聞て涙を流して是をおしみける故委敷(くわしく)尋ければ、「右は玉中に蟄せし(隠れひそむ)ものありて、右玉の損ぜざるやうに静に磨あげぬれば千金の器物也。おしむべしおしむべし」といひしとや。世に蟄竜などいへる類ひもかかるものなるべしと、彼地へ至りしもの語りぬ。
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(本ブログ関連:”石の中に潜んでいる竜”、”石”)
愛石家の木内石亭は、石に対して在るままに振舞ったが、今回の話しの主人公(商人)はせっかくの奇石を欲に走らせて台無しにする。ある意味、教訓的な展開であるが、唐人は、それにしてもどうしてその価値が分かったのだろう。彼らの石に対する偏愛は大したものだ。
石の中に、竜がいたり、魚がいたりする空想は、世界が入れ子になったような感覚がしてたまらない。この話で、もし唐人の指示通り石が磨かれたならば、その結果、玉を愛するのだろうか、それとも玉中の水に泳ぐ魚を愛するのだろうか。空想は膨らむ。
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いつの頃にやありけん、長崎の町家の石ずへ(礎)になしたる石あり。不断水気潤ひだしを唐人見て、「右石を貰ひたき」よし申しければ、「子細ある石ならん」と其主人是をおしみ、右石ずへを取替て取入れて見しに、とこしなへにうるをひ水の出るにぞ、「是は果たして石中に玉こそ有りなん」と色々評議して、ふちより連々に(引続いて)研とりけるに、誤って打割ぬ。其石中より水流れ出て小魚出たるが、忽ちに死しければ取捨て済しぬ。其事、跡にて彼唐人聞て涙を流して是をおしみける故委敷(くわしく)尋ければ、「右は玉中に蟄せし(隠れひそむ)ものありて、右玉の損ぜざるやうに静に磨あげぬれば千金の器物也。おしむべしおしむべし」といひしとや。世に蟄竜などいへる類ひもかかるものなるべしと、彼地へ至りしもの語りぬ。
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2015年8月27日木曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 七夕
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「七夕(칠석)」にかかわる3曲を紹介した。
(本ブログ関連:”七夕”)
始めに、年に一度だけ彦星(牽牛)と織姫(織女)が出会う「七夕」について次のように紹介された。
・昔、玉皇上帝の治める国に、牛飼の彦星と機織りの織姫がいた。恋に落ちて仕事を疎かにした二人に怒った玉皇上帝は、二人を天の川の両端に送り、年に一度だけ会えるようにした。いざその日も、二人は天の川にさえぎられて会えない。これを知ったカササギは、二人が会えるよう翼を連ねて架け橋(烏鵲橋)を作った。それを織姫が渡って彦星に出会う日を「七夕」という。明日(8/20)は旧暦7月7日、「七夕」だ。
▼ 演奏曲「牽牛と織女(견우직녀)」を聴く。国楽をカテゴリーにした東洋風バンド。今様である。
・七夕に雨が多い。七夕の前日や当日の雨は、彦星と織姫の喜びの涙、また当日の夜や翌日の雨は、悲しみの涙という。彦星は「わし座」のアルタイル、織姫星は「こと座」のベガにあたる。この二つは天の川を挟み東西に位置し、七夕の頃、空の中央に並ぶ。架け橋を作ったカササギは、七夕が過ぎると頭の毛が抜ける。二人が橋を踏んで渡ったから、橋を作るため石を頭で運んだからなど説がある。実際はこの頃、古い羽から新しい羽に換羽する。伝説は人々が自然を理解する方法でもあった。
次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」から李夢龍(이몽룡)と春香(춘향)の出会いについて次のように紹介された。
・地方官の息子、李夢龍は、ある春の日、楼閣「広寒桜(광한루)」で南原地域の景色を鑑賞した。晴れた日に外出して、美しい乙女に巡り合えるのではと期待した。
▼ パンソリ「春香歌」から「赤城歌(적성가)」を聴く。彦星と織姫に例えて、高いトーンが地声のように歌う。
・<広寒桜も良いが、彦星と織姫の烏鵲橋の方が好きだ>から始まる。<自分は彦星になるが、織姫は誰だろう。ここでその相手と巡り合いたい>という。後に李夢龍と春香が、彦星と織姫に劣らぬ恋に落ちるのを予告する場面である。
最後に、七夕の節句に、星に向かって願い事することについて次のように紹介された。
・七夕は星に関連した節句で、この日に星に向かって願い事をした。北斗七星に向かっては家族の長寿を願った。また、子供たちは学問を、乙女は縫い物が上手になれるように祈った。
▼ 二弦の擦弦楽器の奚琴(해금:ヘグム)の演奏で、「七夕」を聴く。「たなばたさま」(1941年、作詞権藤はなよ、作曲下総皖一)・・・子ども時代を懐かしむ。
(本ブログ関連:”七夕”)
始めに、年に一度だけ彦星(牽牛)と織姫(織女)が出会う「七夕」について次のように紹介された。
・昔、玉皇上帝の治める国に、牛飼の彦星と機織りの織姫がいた。恋に落ちて仕事を疎かにした二人に怒った玉皇上帝は、二人を天の川の両端に送り、年に一度だけ会えるようにした。いざその日も、二人は天の川にさえぎられて会えない。これを知ったカササギは、二人が会えるよう翼を連ねて架け橋(烏鵲橋)を作った。それを織姫が渡って彦星に出会う日を「七夕」という。明日(8/20)は旧暦7月7日、「七夕」だ。
▼ 演奏曲「牽牛と織女(견우직녀)」を聴く。国楽をカテゴリーにした東洋風バンド。今様である。
・七夕に雨が多い。七夕の前日や当日の雨は、彦星と織姫の喜びの涙、また当日の夜や翌日の雨は、悲しみの涙という。彦星は「わし座」のアルタイル、織姫星は「こと座」のベガにあたる。この二つは天の川を挟み東西に位置し、七夕の頃、空の中央に並ぶ。架け橋を作ったカササギは、七夕が過ぎると頭の毛が抜ける。二人が橋を踏んで渡ったから、橋を作るため石を頭で運んだからなど説がある。実際はこの頃、古い羽から新しい羽に換羽する。伝説は人々が自然を理解する方法でもあった。
次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」から李夢龍(이몽룡)と春香(춘향)の出会いについて次のように紹介された。
・地方官の息子、李夢龍は、ある春の日、楼閣「広寒桜(광한루)」で南原地域の景色を鑑賞した。晴れた日に外出して、美しい乙女に巡り合えるのではと期待した。
▼ パンソリ「春香歌」から「赤城歌(적성가)」を聴く。彦星と織姫に例えて、高いトーンが地声のように歌う。
・<広寒桜も良いが、彦星と織姫の烏鵲橋の方が好きだ>から始まる。<自分は彦星になるが、織姫は誰だろう。ここでその相手と巡り合いたい>という。後に李夢龍と春香が、彦星と織姫に劣らぬ恋に落ちるのを予告する場面である。
最後に、七夕の節句に、星に向かって願い事することについて次のように紹介された。
・七夕は星に関連した節句で、この日に星に向かって願い事をした。北斗七星に向かっては家族の長寿を願った。また、子供たちは学問を、乙女は縫い物が上手になれるように祈った。
▼ 二弦の擦弦楽器の奚琴(해금:ヘグム)の演奏で、「七夕」を聴く。「たなばたさま」(1941年、作詞権藤はなよ、作曲下総皖一)・・・子ども時代を懐かしむ。
2015年8月26日水曜日
イ・ソンヒが歌う「幸せの国へ」
フォークロック歌手ハン・デス(한대수*、韓大洙, 1948年3月12日~)が作詞作曲して歌った「幸せの国へ(행복의 나라로)」(1974年)を、解放70周年を祝う「国民大合唱」(8/15)の舞台で、イ・ソンヒが大学連合合唱団とともに歌った。
(*)ハン・デスの生い立ち(Wikipediaより)
├-----------------------------------------------------------
核物理学者である父ハン・チャンソクとピアニストである母パク・チョンジャの間に生まれた。慶尚南道釜山で生まれ育ったハン・デスは、7才の頃アメリカに留学中だった父が失踪して、後に続いて母が再婚するため、神学者である祖父と住んだ。彼の祖父ハン・ヨンギョ博士はアンダーウッド博士とともに延世大学校を設立して初代学長と大学院長を勤めた。1955年釜山ナム・イル初等学校に入学したが、3年後の1958年にアメリカに移民し、ニューヨークのハーレムにあるP.S 125初等学校を卒業した。1961年、韓国に戻って慶南中学校に入学した。1964年に入学した慶南高等学校を通う間、父を発見したという報せに接して、1965年再びアメリカに渡り、ロングアイランドのA.G Berner高等学校に転校するなど、紆余曲折の末高等学校を終えた。1966年ニューハンプシャー大学獣医学科に入学したがすぐに退学して、適性に合ったニューヨークの写真学校に入学した。・・・
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名門に生まれながら、無力な子ども時代のハン・デスにとって、守るべきものが不在という直面するには余りに大きな人生の波だった。その経験から、本当の幸せを、愛に恵まれる渇望を、軽快なフォーク調ながら青春の葛藤に歌いこんだのではないかと推し量る。四季、人生、風、流れる先に幸せの国を見つけよう・・・。未来への応援歌である。
(Youtubeに登録の강기남に感謝)
(追記) 「3放世代」
若い韓国世代の問題に「3放世代」がある。「就職で非正規職雇用に苦しむ青年を、『88万ウォン世代』と呼び、更に恋愛・結婚・出産を放棄する『3放世代』とも呼んだ。マイホームと人間関係まで放棄した『5放世代』、夢と希望も放棄する『7放世代』が登場した」と、国民日報の記事(8/28)は語っている。ひとごとではない・・・。
(*)ハン・デスの生い立ち(Wikipediaより)
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核物理学者である父ハン・チャンソクとピアニストである母パク・チョンジャの間に生まれた。慶尚南道釜山で生まれ育ったハン・デスは、7才の頃アメリカに留学中だった父が失踪して、後に続いて母が再婚するため、神学者である祖父と住んだ。彼の祖父ハン・ヨンギョ博士はアンダーウッド博士とともに延世大学校を設立して初代学長と大学院長を勤めた。1955年釜山ナム・イル初等学校に入学したが、3年後の1958年にアメリカに移民し、ニューヨークのハーレムにあるP.S 125初等学校を卒業した。1961年、韓国に戻って慶南中学校に入学した。1964年に入学した慶南高等学校を通う間、父を発見したという報せに接して、1965年再びアメリカに渡り、ロングアイランドのA.G Berner高等学校に転校するなど、紆余曲折の末高等学校を終えた。1966年ニューハンプシャー大学獣医学科に入学したがすぐに退学して、適性に合ったニューヨークの写真学校に入学した。・・・
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名門に生まれながら、無力な子ども時代のハン・デスにとって、守るべきものが不在という直面するには余りに大きな人生の波だった。その経験から、本当の幸せを、愛に恵まれる渇望を、軽快なフォーク調ながら青春の葛藤に歌いこんだのではないかと推し量る。四季、人生、風、流れる先に幸せの国を見つけよう・・・。未来への応援歌である。
(Youtubeに登録の강기남に感謝)
(追記) 「3放世代」
若い韓国世代の問題に「3放世代」がある。「就職で非正規職雇用に苦しむ青年を、『88万ウォン世代』と呼び、更に恋愛・結婚・出産を放棄する『3放世代』とも呼んだ。マイホームと人間関係まで放棄した『5放世代』、夢と希望も放棄する『7放世代』が登場した」と、国民日報の記事(8/28)は語っている。ひとごとではない・・・。
2015年8月25日火曜日
「こうのとり」5号の把持・結合完了
宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の5号機「こうのとり5」は、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームにより、昨晩(8/24)19時29分に把持され、本日02時28分に、電力・通信ラインの結合をもって「結合完了」された。
(本ブログ関連:”こうのとり”)
「こうのとり」は円筒形した少々地味な姿であるが、ISSで油井亀美也宇宙飛行士がロボットアームを操作してキャッチし、NASA管制センターから交信担当者の若田光一氏が支援する様子を見た子どもたちに、宇宙がよりリアルにそしてより身近に感じられたのではないだろうか。子どもたちは未来に生きるのだから、大きな夢を与え託すことは大人の責務だ。
朝日新聞の記事「日本チーム、こうのとりドッキング成功『感慨深い』」(8/25)は、今回のミッションに日本チームが関わっていることについて次のように報じている。(抜粋)
├-----------------------------------------------------------
・こうのとりは19日、鹿児島県の種子島宇宙センターからH2Bロケットで打ち上げられた。24日午後7時29分、ISSに滞在中の油井亀美也宇宙飛行士が操作するロボットアームでキャッチされ、ドッキングに向けて金具による固定や電源の接続などの作業を進めていた。
・キャッチは米ヒューストンの米航空宇宙局(NASA)の管制センターから若田光一さんが支援。筑波宇宙センターからこうのとりの管制にあたったJAXAの松浦真弓リードフライトディレクターは「日本チームで成功できたのは感慨深い。日本人同士通じるものがあり、やりやすかった」と語った。
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8/24 : ISSのロボットアーム(SSRMS)による宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機の把持ライブ中継 =録画
- 映像の時間35分40秒頃から 油井氏、若田両氏の日本語談話が聞こえる。
(Youtubeに登録のJaxa映像)
(本ブログ関連:”こうのとり”)
「こうのとり」は円筒形した少々地味な姿であるが、ISSで油井亀美也宇宙飛行士がロボットアームを操作してキャッチし、NASA管制センターから交信担当者の若田光一氏が支援する様子を見た子どもたちに、宇宙がよりリアルにそしてより身近に感じられたのではないだろうか。子どもたちは未来に生きるのだから、大きな夢を与え託すことは大人の責務だ。
朝日新聞の記事「日本チーム、こうのとりドッキング成功『感慨深い』」(8/25)は、今回のミッションに日本チームが関わっていることについて次のように報じている。(抜粋)
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・こうのとりは19日、鹿児島県の種子島宇宙センターからH2Bロケットで打ち上げられた。24日午後7時29分、ISSに滞在中の油井亀美也宇宙飛行士が操作するロボットアームでキャッチされ、ドッキングに向けて金具による固定や電源の接続などの作業を進めていた。
・キャッチは米ヒューストンの米航空宇宙局(NASA)の管制センターから若田光一さんが支援。筑波宇宙センターからこうのとりの管制にあたったJAXAの松浦真弓リードフライトディレクターは「日本チームで成功できたのは感慨深い。日本人同士通じるものがあり、やりやすかった」と語った。
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8/24 : ISSのロボットアーム(SSRMS)による宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機の把持ライブ中継 =録画
- 映像の時間35分40秒頃から 油井氏、若田両氏の日本語談話が聞こえる。
(Youtubeに登録のJaxa映像)
2015年8月24日月曜日
イ・ソンヒの「少女の祈り」
イ・ソンヒの美しく透き通る結晶のような声は、どこまでも澄んで響く。彼女の初めてのアルバムに収録した「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、当時、彼女が少女たちに支持され、受け入れられ、そして共振された理由がうかがえる。いわば意図的なテーマであり旋律でもあるだろうけれど、今も彼女のカラオケ曲の上位にリストされる美しい曲だ。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
イ・ソンヒは手記に、この第1集アルバムの反響について次のように記している。
├-----------------------------------------------------------
・1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。
・<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは、「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
-----------------------------------------------------------┤
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
イ・ソンヒは手記に、この第1集アルバムの反響について次のように記している。
├-----------------------------------------------------------
・1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。
・<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは、「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
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風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)
2015年8月23日日曜日
処暑 2015
夏も終わりに近づいた。最高気温は次第に30℃近辺をかすめる。それに気付くと何だかさびしくなるものだ。
(本ブログ関連:”夏の終わり”)
きょうは、二十四節気の「処暑」。暑さまじり聞こえるセミの鳴き声に、鬱陶しさしかなかったものの、今ではゆく夏を必死に生きようとするあわれさを感じる。百日紅の花は今が盛りである。
(本ブログ関連:”処暑”、”百日紅”)
日の入りが早くなっているのに気付く。今年の東京(天文台①、②)の「日の入り」は、6月24日~7月4日まで一番遅く、19:01だった。それが昨日は、18:22まで約40分も早まっているのだ。
気温がさがり、日照時間が減る。そしてツクツクホウシの鳴き声が聞こえてくる。子どもたちには、夏休みの宿題を終えて残り休みを全うする子もいるだろうし、必死で宿題に取り組んで残りの日数を勘定している子もいるだろう。
赤い夕陽がさし込んだ畳の上に、遊び疲れて横になりまどろんだ頃が懐かしい。庭木にツクツクボーシ、ツクツクボーシと鳴く声、台所からコトコトとまな板の上で刻む音が聞こえてくる。それら全てが溶け合った、そんな思い出がおじさんにもあるものだ。
(本ブログ関連:”夏の終わり”)
きょうは、二十四節気の「処暑」。暑さまじり聞こえるセミの鳴き声に、鬱陶しさしかなかったものの、今ではゆく夏を必死に生きようとするあわれさを感じる。百日紅の花は今が盛りである。
(本ブログ関連:”処暑”、”百日紅”)
日の入りが早くなっているのに気付く。今年の東京(天文台①、②)の「日の入り」は、6月24日~7月4日まで一番遅く、19:01だった。それが昨日は、18:22まで約40分も早まっているのだ。
気温がさがり、日照時間が減る。そしてツクツクホウシの鳴き声が聞こえてくる。子どもたちには、夏休みの宿題を終えて残り休みを全うする子もいるだろうし、必死で宿題に取り組んで残りの日数を勘定している子もいるだろう。
赤い夕陽がさし込んだ畳の上に、遊び疲れて横になりまどろんだ頃が懐かしい。庭木にツクツクボーシ、ツクツクボーシと鳴く声、台所からコトコトとまな板の上で刻む音が聞こえてくる。それら全てが溶け合った、そんな思い出がおじさんにもあるものだ。
2015年8月22日土曜日
砂金採り・リベンジ?
台風接近すれど小笠原近海まで、前線は停滞すれど日本海・東北一帯に雨曇りという天気予報で、東京の朝は明るい。今日の砂金採集は、ちょっとした幸運に恵まれたようだ。
(本ブログ関連:”砂金”)
早朝のJR駅で、採集仲間と待ち合わせした。ところが、思わぬ事態に陥る。当方の連絡ミスで全員集合できず、次回にお預けという残念至極の結果となってしまったのだ。別働の仲間にも連絡を手間取り慌てふためく。せっかくの晴れ空だったというに。
駅で散会したものの、そのまま帰宅してしまうわけにはいかなかった。気持ちが治まらない。で、砂金採集を決行。私鉄に乗り換えて多摩川へ単独出かけたのだ。
西武多摩川線是政駅から是政橋を渡り、稲城側岸辺におりる。武蔵野線鉄橋手前にある、川に突き出た草の茂る場所で・・・炎天直下パンニングした。主に、草の根に集中して狙ったが、残念ながら柴金と巡り会うことはできなかった。
柴草の泥をパンニングすると、流に水煙して小魚が寄ってくる。そのあと、雲母のニセ金がパンニング皿で空しく点滅した。
じりじりと日照りに押されて、パンニングが荒くなる。にわか砂金採りの悲しいところ、腰も痛いし喉も渇く。おまけに長靴の具合が悪く水漏れする。撤退の理由を考え始めた・・・のだ。
電車のクーラーにやっと一息つく。今日の大失敗のリベンジにもならず帰路につく。
(本ブログ関連:”砂金”)
早朝のJR駅で、採集仲間と待ち合わせした。ところが、思わぬ事態に陥る。当方の連絡ミスで全員集合できず、次回にお預けという残念至極の結果となってしまったのだ。別働の仲間にも連絡を手間取り慌てふためく。せっかくの晴れ空だったというに。
駅で散会したものの、そのまま帰宅してしまうわけにはいかなかった。気持ちが治まらない。で、砂金採集を決行。私鉄に乗り換えて多摩川へ単独出かけたのだ。
西武多摩川線是政駅から是政橋を渡り、稲城側岸辺におりる。武蔵野線鉄橋手前にある、川に突き出た草の茂る場所で・・・炎天直下パンニングした。主に、草の根に集中して狙ったが、残念ながら柴金と巡り会うことはできなかった。
柴草の泥をパンニングすると、流に水煙して小魚が寄ってくる。そのあと、雲母のニセ金がパンニング皿で空しく点滅した。
じりじりと日照りに押されて、パンニングが荒くなる。にわか砂金採りの悲しいところ、腰も痛いし喉も渇く。おまけに長靴の具合が悪く水漏れする。撤退の理由を考え始めた・・・のだ。
電車のクーラーにやっと一息つく。今日の大失敗のリベンジにもならず帰路につく。
2015年8月21日金曜日
百日紅
今年、少し早めに百日紅(さるすべり)の花に気付いた。満開は、例年の通り今頃である。小さな花が群れ集まって、自然に溶け込むように咲く。どこか東洋風である。香り漂わせるわけでもなく、まるで古い装飾に似合いそうだ。
(本ブログ関連:”百日紅”)
高浜虚子の「百日紅」の掌文に、百日紅に一向に気がつかなかったといい、葉の存在も全然眼に入らなかつたというのもうなづける。地味なのだ。香の匂いしそうな古風さもあるのだが。桜のように青い空に薄桃色の花びらを浮かべるわけでなく、梅のように寒さに逆らうようにして咲く意志を感じることもない。百日紅は、夏の陽射しに朦朧としながらすれ違うとき気付く、塀越しの花木かもしれない。
実際、百日紅を庭木にして、始めてその姿を知った虚子のようにはいかない。子ども時代に、猿も滑り落ちるという名の由来を持った木肌にしか関心がなかった。小花を集めて身にまとった、この木が百日紅だと気付くのはずっと後のことだ。
雨まじりの急ぎ道、いつも見る百日紅が視界にない。なあに、天気になれば気付くだろうよと、百日紅は鷹揚だ。お前は俺のように、毎年花を咲かせ続けることができるのかい・・・ってね。
(本ブログ関連:”百日紅”)
高浜虚子の「百日紅」の掌文に、百日紅に一向に気がつかなかったといい、葉の存在も全然眼に入らなかつたというのもうなづける。地味なのだ。香の匂いしそうな古風さもあるのだが。桜のように青い空に薄桃色の花びらを浮かべるわけでなく、梅のように寒さに逆らうようにして咲く意志を感じることもない。百日紅は、夏の陽射しに朦朧としながらすれ違うとき気付く、塀越しの花木かもしれない。
実際、百日紅を庭木にして、始めてその姿を知った虚子のようにはいかない。子ども時代に、猿も滑り落ちるという名の由来を持った木肌にしか関心がなかった。小花を集めて身にまとった、この木が百日紅だと気付くのはずっと後のことだ。
雨まじりの急ぎ道、いつも見る百日紅が視界にない。なあに、天気になれば気付くだろうよと、百日紅は鷹揚だ。お前は俺のように、毎年花を咲かせ続けることができるのかい・・・ってね。
2015年8月20日木曜日
「こうのとり」5号(続)
昨晩(19日)打ち上げた、「こうのとり」の経過について、sorae.jpの記事「『こうのとり』5号機、初期高度調整軌道制御を完了 順調に飛行中」(8/20)は次のように報じている。(抜粋)
無人飛行のためだろう、国際宇宙ステーションに着いてから宇宙飛行士の入室まで結構時間がかかるものだ。昨日の毎日新聞記事のように、「滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する」ことになるそうだ。
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・宇宙航空研究開発機構(JAXA)は8月21日朝、「こうのとり」5号機にとって最初の軌道修正(初期高度調整軌道制御)が完了したと発表した。24日の国際宇宙ステーション(ISS)到着に向けて、順調に飛行を続けている。
・「こうのとり」5号機は2015年8月19日20時50分49秒、H-IIBロケットによって種子島宇宙センターから打ち上げられた。ロケットは順調に飛行し、打ち上げから15分後に「こうのとり」が分離され、予定通りの軌道に入った。
・その後、機器の立ち上げなどにも成功し、8月21日4時25分に最初の軌道修正となる初期高度調整軌道制御が完了したことが確認された。
・今後、23日2時55分ごろに第1回軌道修正を、24日12時7分ごろに第2回軌道修正を、そして同日15時12分ごろに第3回軌道修正を行い、徐々にISSへと近づいていく。
・そして8月24日の夜にISSのすぐそばにまで接近し、19時55分ごろにISSのロボット・アームによって把持(キャプチャー)される。その後、25日0時30分ごろに、固定金具を使ってISSに取り付けられ、3時ごろに「こうのとり」の与圧キャリアにある圧変電器(DDCU)の起動完了をもって、「結合完了」となる。与圧キャリア内への宇宙飛行士の入室は25日に予定されている。
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無人飛行のためだろう、国際宇宙ステーションに着いてから宇宙飛行士の入室まで結構時間がかかるものだ。昨日の毎日新聞記事のように、「滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する」ことになるそうだ。
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・宇宙航空研究開発機構(JAXA)は8月21日朝、「こうのとり」5号機にとって最初の軌道修正(初期高度調整軌道制御)が完了したと発表した。24日の国際宇宙ステーション(ISS)到着に向けて、順調に飛行を続けている。
・「こうのとり」5号機は2015年8月19日20時50分49秒、H-IIBロケットによって種子島宇宙センターから打ち上げられた。ロケットは順調に飛行し、打ち上げから15分後に「こうのとり」が分離され、予定通りの軌道に入った。
・その後、機器の立ち上げなどにも成功し、8月21日4時25分に最初の軌道修正となる初期高度調整軌道制御が完了したことが確認された。
・今後、23日2時55分ごろに第1回軌道修正を、24日12時7分ごろに第2回軌道修正を、そして同日15時12分ごろに第3回軌道修正を行い、徐々にISSへと近づいていく。
・そして8月24日の夜にISSのすぐそばにまで接近し、19時55分ごろにISSのロボット・アームによって把持(キャプチャー)される。その後、25日0時30分ごろに、固定金具を使ってISSに取り付けられ、3時ごろに「こうのとり」の与圧キャリアにある圧変電器(DDCU)の起動完了をもって、「結合完了」となる。与圧キャリア内への宇宙飛行士の入室は25日に予定されている。
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KBS WORLD「国楽の世界へ」 光復節
【遅れたが前回の「KBS WORLD『国楽の世界へ』 井邑詞」は、本ブログ8/13付けで記載した】
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、戦前日本統治下における朝鮮の音楽にかかわる3曲を紹介した。
始めに、無声映画「アリラン(아리랑)」で流された歌「アリラン」について次のように紹介された。
・1926年、本格的映画館団成社(단성사)で封切られた、無声映画「アリラン」の主人公崔永鎭(최영진)は、独立運動に参加して投獄後、精神に不調をきたす。帰郷後、妹を襲おうとした男を殺し捕縛され、村人は泣き崩れる。映画に流れた音楽が「アリラン」だった。「アリラン」は民族の歌となり、今日に至るまで、人々の心の深く刻まれている。
▼ 地域ごと伝わるアリランと区別した「本調アリラン」を聴く。穏やかに、爽やかに聴く。
(本ブログ関連:”アリラン”)
・統治下の時代、国を取り戻そうとした中に芸術に携わる人もいて、それなりの方法で努力した。
次に、林芳蔚(임방울*、1904,5?年~1961年)の「スクテモリ(쑥대머리)」について次のように紹介された。
・パンソリの歌い手、林芳蔚は、「スクテモリ」で大スターになった。そのレコードは、100万枚も売れたという。「スクテモリ」は、髪の毛が乱れた様子を指す。パンソリ「春香歌(춘향가)」で、獄中の春香が泣きながら悔しさを表現する歌う場面がある。不当な力の前で、民は「スクテモリ」を歌いながら心をなだめただろう。
(* : DAUMの白紙のブログに詳細記載あり)
▼ 「スクテモリ」を聴く。パンソリ世界の独特の歌い語り。
最後に、朴東實(박동실、1897年~1969年)の「烈士歌(열사가)」について次のように紹介された。
・植民地下35年の歳月が過ぎ、1945年8月15日に韓国政府が樹立する。喜びの中で、人々は民族のプライドを取り戻す英雄を求めて歌われたのが「烈士歌」だ。1930年頃から作られはじめたという。独立に活躍した人々をパンソリで構成したもので、地方でパンソリを教えた朴東實が陰で作ったという。
(* : 韓国学中央研究院に詳細記載あり)
▼ 「柳寛順の烈士歌」を聴く。いつ頃できた歌だろうか。
・植民地下の人々が守ろうとした民族の精神と文化を振り返ってみた。
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、戦前日本統治下における朝鮮の音楽にかかわる3曲を紹介した。
始めに、無声映画「アリラン(아리랑)」で流された歌「アリラン」について次のように紹介された。
・1926年、本格的映画館団成社(단성사)で封切られた、無声映画「アリラン」の主人公崔永鎭(최영진)は、独立運動に参加して投獄後、精神に不調をきたす。帰郷後、妹を襲おうとした男を殺し捕縛され、村人は泣き崩れる。映画に流れた音楽が「アリラン」だった。「アリラン」は民族の歌となり、今日に至るまで、人々の心の深く刻まれている。
▼ 地域ごと伝わるアリランと区別した「本調アリラン」を聴く。穏やかに、爽やかに聴く。
(本ブログ関連:”アリラン”)
・統治下の時代、国を取り戻そうとした中に芸術に携わる人もいて、それなりの方法で努力した。
次に、林芳蔚(임방울*、1904,5?年~1961年)の「スクテモリ(쑥대머리)」について次のように紹介された。
・パンソリの歌い手、林芳蔚は、「スクテモリ」で大スターになった。そのレコードは、100万枚も売れたという。「スクテモリ」は、髪の毛が乱れた様子を指す。パンソリ「春香歌(춘향가)」で、獄中の春香が泣きながら悔しさを表現する歌う場面がある。不当な力の前で、民は「スクテモリ」を歌いながら心をなだめただろう。
(* : DAUMの白紙のブログに詳細記載あり)
▼ 「スクテモリ」を聴く。パンソリ世界の独特の歌い語り。
最後に、朴東實(박동실、1897年~1969年)の「烈士歌(열사가)」について次のように紹介された。
・植民地下35年の歳月が過ぎ、1945年8月15日に韓国政府が樹立する。喜びの中で、人々は民族のプライドを取り戻す英雄を求めて歌われたのが「烈士歌」だ。1930年頃から作られはじめたという。独立に活躍した人々をパンソリで構成したもので、地方でパンソリを教えた朴東實が陰で作ったという。
(* : 韓国学中央研究院に詳細記載あり)
▼ 「柳寛順の烈士歌」を聴く。いつ頃できた歌だろうか。
・植民地下の人々が守ろうとした民族の精神と文化を振り返ってみた。
2015年8月19日水曜日
「こうのとり」5号機
油井亀美也・宇宙飛行士が搭乗している「国際宇宙ステーション(ISS)」の元へ、当初8/16に予定していた「宇宙ステーション補給機(HTV、愛称:こうのとり)」5号機が今晩打ち上げられた。最近、各国の物資補給機が民営化の流れで行なわれ、不調なのが気になる中でのこと。
(本ブログ関連:”油井亀美也・宇宙飛行士”、”こうのとり”)
毎日新聞の記事「こうのとり:H2Bロケットで打ち上げ成功 JAXA」(8/19、斎藤広子記者)は、次のように報じている(抜粋)。また、解説記事でコスト削減について触れている。
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・三菱重工業と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は19日午後8時50分、国際宇宙ステーション(ISS)へ物資を運ぶ無人補給機「こうのとり」5号機を搭載したH2Bロケット5号機を鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げた。約15分後、こうのとり5号機は予定通り地球周回軌道に投入され、打ち上げは成功した。
・JAXAによると、こうのとり5号機は24日にISSに到着し、滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する。
・H2Bは、こうのとり打ち上げを主目的に、主力ロケットH2Aを改良してJAXAと三菱重工業が共同開発。2009年の1号機以降、5回連続の打ち上げ成功となった。H2Aと合わせた成功率は97%(33回中32回成功)となった。今回の事業費総額は約360億円。
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(参考) 打ち上げ映像: 始めの10分は飛ばしてください。打ち上げ(Lift off)は、1:00あたりからで・・・。
(参考) 成27年度 全国小・中学生 作文絵画コンテスト 作品大募集、油井宇宙飛行士からのメッセージ
(Youtubeに登録のJAXAに感謝)
(本ブログ関連:”油井亀美也・宇宙飛行士”、”こうのとり”)
毎日新聞の記事「こうのとり:H2Bロケットで打ち上げ成功 JAXA」(8/19、斎藤広子記者)は、次のように報じている(抜粋)。また、解説記事でコスト削減について触れている。
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・三菱重工業と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は19日午後8時50分、国際宇宙ステーション(ISS)へ物資を運ぶ無人補給機「こうのとり」5号機を搭載したH2Bロケット5号機を鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げた。約15分後、こうのとり5号機は予定通り地球周回軌道に投入され、打ち上げは成功した。
・JAXAによると、こうのとり5号機は24日にISSに到着し、滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する。
・H2Bは、こうのとり打ち上げを主目的に、主力ロケットH2Aを改良してJAXAと三菱重工業が共同開発。2009年の1号機以降、5回連続の打ち上げ成功となった。H2Aと合わせた成功率は97%(33回中32回成功)となった。今回の事業費総額は約360億円。
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(参考) 打ち上げ映像: 始めの10分は飛ばしてください。打ち上げ(Lift off)は、1:00あたりからで・・・。
(参考) 成27年度 全国小・中学生 作文絵画コンテスト 作品大募集、油井宇宙飛行士からのメッセージ
(Youtubeに登録のJAXAに感謝)
2015年8月18日火曜日
イ・ソンヒの愛車? ポルシェ 911ターボS
イ・ソンヒの乗用車が、何と<ポルシェ911ターボS>だそうだ。先日、自動車運転免許証を返納した私は、自動車にいたって関心が乏しいので、それがどれほど凄いことなのかよく分からないが。
イ・ソンヒが、いわゆる高級スポーツカーでがんがん飛ばすようには思えなかった。彼女の素地である、若い頃に洋楽好きでバンド活動にはまったことを考えれば、むべなるかなということかもしれない。
(参考)
イ・ソンヒは、多感な中学時代に経験したジム・リーブス、レイフ・ギャレットなどの音楽や、教師との出会いを、そして夢膨らむ高校時代に、5人組(歌)の音楽グループ結成などした。
(参考)
1980年代初頭、新村(신촌)にあった、ひたすらヘビ・メタルだけ聞かせるカフェ「レジスタンス(레지스탕스)」に、おかっぱ頭の女子高生イ・ソンヒが通っていたというのだ。当時の彼女は、「それは、メタルが世界のすべてであると思っていた」という。彼女のイメージとギャップがあって可愛らしくおかしい。
アジア・トゥデイの記事「【フォト】 清らかな声の歌手イ・ソンヒ・・・趣味は速度を楽しむ?」(8/18、ペ・ソンウン記者)には、果たして彼女の車なのか、高級車の写真付きで次のような紹介がされている。
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・歌手イ・ソンヒの自動車が、「ポルシェ 911ターボS」であることが分かった。このモデルは、基本販売価格が2億5,900万ウォン(日本では、2,539万円)からなるスーパー・スポーツカーで、(韓国)国内では昨年11月から公式販売されている。
・「911ターボS」には、燃料直噴装置を備えた3.8リットル6気筒ターボチャージャーエンジンが搭載されており、最大出力は、560馬力で最高速度318km/hの性能を誇る。停止状態から時速100kmまでの時間は3.1秒に過ぎない。
・車体は、アルミニウム-鋼鉄複合構造を利用した軽量デザインで構成され、軽いながらも高強度であることが特徴だ。これにより、高速で走っても事故時、運転者の保護がうまくできることで知られている。
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昨年販売のスポーツカー、昨年の彼女の業績を考えれば、自分を誉めてあげたいというちょっとしたプレゼントだろう。
(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”)
イ・ソンヒが、いわゆる高級スポーツカーでがんがん飛ばすようには思えなかった。彼女の素地である、若い頃に洋楽好きでバンド活動にはまったことを考えれば、むべなるかなということかもしれない。
(参考)
イ・ソンヒは、多感な中学時代に経験したジム・リーブス、レイフ・ギャレットなどの音楽や、教師との出会いを、そして夢膨らむ高校時代に、5人組(歌)の音楽グループ結成などした。
(参考)
1980年代初頭、新村(신촌)にあった、ひたすらヘビ・メタルだけ聞かせるカフェ「レジスタンス(레지스탕스)」に、おかっぱ頭の女子高生イ・ソンヒが通っていたというのだ。当時の彼女は、「それは、メタルが世界のすべてであると思っていた」という。彼女のイメージとギャップがあって可愛らしくおかしい。
アジア・トゥデイの記事「【フォト】 清らかな声の歌手イ・ソンヒ・・・趣味は速度を楽しむ?」(8/18、ペ・ソンウン記者)には、果たして彼女の車なのか、高級車の写真付きで次のような紹介がされている。
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・歌手イ・ソンヒの自動車が、「ポルシェ 911ターボS」であることが分かった。このモデルは、基本販売価格が2億5,900万ウォン(日本では、2,539万円)からなるスーパー・スポーツカーで、(韓国)国内では昨年11月から公式販売されている。
・「911ターボS」には、燃料直噴装置を備えた3.8リットル6気筒ターボチャージャーエンジンが搭載されており、最大出力は、560馬力で最高速度318km/hの性能を誇る。停止状態から時速100kmまでの時間は3.1秒に過ぎない。
・車体は、アルミニウム-鋼鉄複合構造を利用した軽量デザインで構成され、軽いながらも高強度であることが特徴だ。これにより、高速で走っても事故時、運転者の保護がうまくできることで知られている。
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昨年販売のスポーツカー、昨年の彼女の業績を考えれば、自分を誉めてあげたいというちょっとしたプレゼントだろう。
(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”)
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