秋の風は、言葉の災いを気付かせる警告であり、親しい仲に隙間風が吹く前兆である。どちらにしろ、秋風はひんやりして沁みる。もう夏には戻れない。
秋風に舞い散る落ち葉を見ると、とたんに詩人になって憂いに浸ったりする。取り返しのつかない事態に気付いたふうでもない。風のせいにするには、あまりに軽すぎる。こんなこと繰り返して過ぎるのだろう。
ところで、イ・ソンヒの2集収録の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、思い出を運ぶ西風だ。彼女の歌は、秋にとまどう心に吹く、凡庸の心に一種の清涼剤である。(今月始めに記したというに、デビュー当時の初々しい声をまた聴きたくなった)
(本ブログ関連:”秋の風”)
「秋の風(カルパラム)」
小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ
ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」
小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」
(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)