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2015年10月13日火曜日

さても夜道の寒さよ

久し振りの教室、今夜から後期が始まった。賽の河原の石積みか、それとも生来の怠け癖のためか、一向に進歩がないのに気付く。「どじでのろまなカメ」でも、いいことにしよう。

刺激を受けての帰り道、夜風が寒い。いつのまにこんなに冷えるようになったのだろう。気分はもう冬。おかげで、赤色に連なって点滅する道路工事のランプが、クリスマスの電飾のように見えてくる。動画にしてアップしたい気分だった。

夜分9時過ぎの気温は17℃くらい。昔の井の頭公園プールの水温だ。やっぱり冷たいか。寒さがどんどん増す。帰り道を考えて、これからは厚着が必要かもしれない。

(付記)
近所のコンビニで、飲料水「毎日の 朝バナナオレ」(エルビー)を見つけた。以前、飲んだような、そうでないような不確かだったが、購入してみた・・・やはり、去年、味見していた。
本物のバナナか使われているかどうか、私の喉は、アレルギーのイガイガで判定できる。今回もイガイガ感があったので合格。バナナ味の巡礼はまだ続く。

(本ブログ関連:”バナナ味”)

2015年10月12日月曜日

(雑談) 体育の日の昼寝

「体育の日」の祝日、穏やかな陽射しに誘われて、辺りをぐるりと散歩した。

(本ブログ関連:”体育の日 ”)

小学校の校庭で、町内会の運動会が開かれたようだ。昼ころ学校前を通ったとき、人影がまばらだった。もしかしたら、午前中に終わってしまったのかもしれない。それとも、昼休みだったのだろうか。

以前、ひまわりを咲かせて、あっというまに刈り取った畑地に、ネットを被せた畝が複数並んでいる。ネットは真っ白なものと、薄紅色のものがある。色の違いは何なのか、一体何を栽培しているのだろう。

佇んでいると、ぽかぽか陽気に昼寝したくなる。でも、昼寝は午後3時までだそうだ。「3時のおやつ」というじゃないか・・・、そのときが一番、気を抜きたくなるというに。しかも、30分以上はだめ、それ以上だと本格的な睡眠に入るそうで、20分以内が目安という。

頑張って昼寝をしなかった。けれど、夕方に転寝してしまった。とろりとまどろんだので、その時間が分からない。

2015年10月11日日曜日

金鉱の妖霊 乾麂子

鉱物採集に、大方はズリ(選鉱後の石捨て場)の斜面を漁る。体力と好奇心があれば、腰の深さまで掘り返す人もいる。そうでなければ、表面採集といいつくろって、ズリ表面を軽く掻く。私は後者である。

鉱物産地には、鉱山跡ゆえ坑口がそのままになっていることがある。ベテランは、坑道に入って探すこともあるそうだが、現地に詳しい仲間がいる場合のようだ。表面採集する者には、坑口を覗くことはあっても、中に踏み込む勇気はない。

先だって、鉱物仲間の方から聞いた話、暗闇を進んで行くと、立て坑らしいものがあって、水がたまっているような音がしたという。無茶なことをと、唖然とした。

鉱山には、女王が登場する童話の世界もあるが、実際、死と隣り合わせゆえに恐怖が勝る。岡本綺堂の「中国怪奇小説集 子不語」に、死んでいることを知らずさまよう亡者が登場する「金鉱の妖霊」がある。彼らを「乾麂子(かんきし)」という。(「青空文庫」より)

(本ブログ関連:”坑夫”)

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・乾麂子(かんきし)というのは、人ではない。人の死骸の化したるもの、すなわち前*に書いた僵尸(きょうし)のたぐいである(*「僵尸(屍体)を画く」)。雲南地方には金鉱が多い。その鉱穴に入った坑夫のうちには、土に圧されて生き埋めになって、あるいは数十年、あるいは百年、土気と金気に養われて、形骸はそのままになっている者がある。それを乾麂子と呼んで、普通にはそれを死なない者にしているが、実は死んでいるのである。

・死んでいるのか、生きているのか、甚だあいまいな乾麂子なるものは、時どきに土のなかから出てあるくと言い伝えられている。鉱内は夜のごとくに暗いので、穴に入る坑夫は額の上にともしびをつけて行くと、その光りを見てかの乾麂子の寄って来ることがある。かれらは人を見ると非常に喜んで、烟草をくれという。烟草をあたえると、立ちどころに喫ってしまって、さらに人にむかって一緒に連れ出してくれと頼むのである。その時に坑夫はこう答える。

・「われわれがここへ来たのは金銀を求めるためであるから、このまま手をむなしゅうして帰るわけにはゆかない。おまえは金の蔓のある所を知っているか」

・かれらは承知して坑夫を案内すると、果たしてそこには大いなる金銀を見いだすことが出来るのである。そこで帰るときには、こう言ってかれらを瞞のを例としている。
「われわれが先ず上がって、それからお前を籃にのせて吊りあげてやる」

・竹籃にかれらを入れて、縄をつけて中途まで吊りあげ、不意にその縄を切り放すと、かれらは土の底に墜ちて死ぬのである。ある情けぶかい男があって、瞞すのも不憫だと思って、その七、八人を穴の上まで正直に吊りあげてやると、かれらは外の風にあたるや否や、そのからだも着物も見る見る融けて水となった。その臭いは鼻を衝くばかりで、それを嗅いだ者はみな疫病にかかって死んだ。

・それに懲りて、かれらを入れた籃は必ず途中で縄を切って落すことになっている。最初から連れて行かないといえば、いつまでも付きまとって離れないので、いつもこうして瞞すのである。但しこちらが大勢で、相手が少ないときには、押えつけ縛りあげて土壁に倚りかからせ、四方から土をかけて塗り固めて、その上に燈台を置けば、ふたたび祟りをなさないと言い伝えられている。

・それと反対に、こちらが小人数で、相手が多数のときは、死ぬまでも絡み付いていられるので、よんどころなく前にいったような方法を取るのである。
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(追記)http://open-lit.com/listbook.php?cid=4&gbid=160&start=0 より。「開放文學」に感謝。
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 乾麂子
  乾麂子,非人也,乃僵屍類也。雲南多五金礦,開礦之夫,有遇土壓不得出,或數十年,或百年,為土金氣所養,身體不壞,雖不死,其實死矣。
  凡開礦人苦地下黑如長夜,多額上點一燈,穿地而入。遇乾麂子,麂子喜甚,向人說冷求煙吃。與之煙,噓吸立盡,長跪求人帶出。挖礦者曰:「我到此為金銀而來,無空出之理。汝知金苗之處乎?」乾麂子導之,得礦,必大獲。臨出,則紿之曰:「我先出,以籃接汝出洞。」將竹籃繫繩,拉乾麂子於半空,剪斷其繩,乾麂子輒墜而死。
  有管廠人性仁慈,憐之,竟拉上乾麂子七八個。見風,衣服肌骨即化為水,其氣腥臭,聞之者盡瘟死。是以此後拉乾麂子者必斷其繩,恐受其氣而死;不拉,則又怕其纏擾無休。
  又相傳,人多乾麂子少,眾縛之使靠土壁,四面用泥封固作土墩,其上放燈台,則不復作祟;若人少乾麂子多,則被其纏死不放矣。
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乾麂子はあわれだ。坑夫になる前身を語られず、まして地の底にいて自らの死も知らずにいる。出会った坑夫に金銀の蔓(鉱脈)を教える引きかえに地上へ上がることを願う。しかし、地上で、彼らは忌み嫌われる存在でしかない。

私は、幸いにも今までに恐怖と遭遇したことはない。ただ、山中を歩くとき、草を踏む音、靴を引きずる音、潅木をかする音、それらが微妙にずれあって、最後尾にいて、あたかも私の後にもうひとり誰かがついてきているような錯覚を覚えることがある。

2015年10月10日土曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

イ・ソンヒの動画は、Youtubeで見たのが最初だった。次の映像と同じものだが、少々左右が圧縮されて面長になっている。以前見たものは、自然な印象で、頬に膨らみもあり健康的で、何より、歌唱力に圧倒されたものだ。2004年、世宗文化会館での、20周年記念コンサートの姿だ。

そのとき歌われた、4集収録の「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(1988年、作詞・作曲:ソン・シヒョン)は、若さの生硬さに磨きが加わり、美しく余韻を含んで響いた。その10年後の昨年には、円熟味を増した。

(本ブログ関連:”愛が散るこの場所”)


「愛が散るこの場所」

花びら舞い散るとき、あなた目覚めないで
あれほど美しかった、花びらだったじゃない

愛が遠のくとき、あなた黙って去るのですか
あれほど愛した思い出が、壊れるのか恐わくて

*愛が散るこの場所、思い出だけ悲しくて
あなた目覚めないで、涙見せたくないのよ

私が恋しいとき、あなた帰ってきてもいいわよ
あれほど愛した昔に、戻りたいです

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のd'abord musiqueに感謝)

2015年10月9日金曜日

善意

イ・ソンヒは、善意の人である。デビュー当初、困難な状況にあっても強く生きる学生たちを支援する慈善活動を始めた根幹にある。宗教的環境に育ったことも、その背景にあるのかもしれない。

イ・ソンヒは、善意を信じるからこそ、人を信じたのかもしれない。ときに、善意を実現するために、政治の世界を往来したこともある。

イ・ソンヒは、歌手人生を切り開いてきた。善意の明かりをいったん手元に置いて、自らの道筋を照らす齢にいるのではないだろうか。

善意のくびきから、どうか自由になって欲しい。思い過ごしだろうか。

2015年10月8日木曜日

寒露 2015、「猿に始まり狐に終わる」こと

今日は二十四節気の「寒露」。「露が冷気により凍りそうになるころ」(Wikipedia)だそうで、今朝は相当に冷え込んだ。

寒露の音から、カンロ飴や甘露煮をイメージして「甘露」が浮かんで、甘味を帯びそうな気がする。「うまい、うまい」と絶賛するのに、「甘露、甘露」と殿様が(昔の映画で)いったりもした。

ところで、地元にある武蔵野大学で、狂言師の野村萬斎氏(1966年~)を迎えて、武蔵野大学客員教授の羽田昶氏との対談を聴く公開講座があった。能楽資料センターによる連続公開講座(「けものイロイロ―― 能・狂言に見る鳥獣・霊獣」)の最終回だが、初めて知って、初めて同敷地を訪れた次第。

最終回のテーマは、「猿に始まり狐に終わる」という、狂言に現れる生き物について、野村萬斎氏の経験に照らしながら語るかたちで進行された。

狂言の初舞台は、3,4歳ころに「靱猿(うつぼざる)」の舞台で猿の姿に扮することから始まるそうだ。今回のテーマにある、<狐に終わる>というべき演目として、「釣狐(つりぎつね)」を初めて演じた(披(ひら)いた)のが1988年とのことで、ここから真の演者としてわざを深めていくことになったという。

狂言のスタンスに、「このあたりのものでござる」という言葉があるというそうだ。人、生き物すべてに通じる考え方であり、立場(領分)という。物語が、この理(ことわり)から外れるとき、狂言は滑稽さの中に逆転や逆襲の姿が見え隠れすることになる。

(<狐>に関心あって講演会に出かけたが、とてつもなく大きな世界に出会った気がした)

(Yotubeに登録のodessanokaidanchに感謝)

2015年10月7日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風流音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、ソンビ선비)が「風流(풍류)」を楽しむときに聞いた音楽にかかわる3曲を紹介した。

始めに、自ら「看書痴(간서치)」と称した、李徳懋이덕무、1741年~1793年) の詩について次のように紹介された。
・ソンビが風流を楽しむとき聞く音楽を、風流音楽という。朝鮮後期のソンビ李徳懋の詩に、「秋の風は心を元気にし、森を通り過ぎる風は、まるでコムンゴのように聞こえる。水鳥はひっそりと、陶淵明の詩を聞いている。彼の詩は心の中を清くし、平和で古めかしい」という内容がある。李徳懋は本を読むことが好きで、自ら「看書痴」(読書に没頭し、世事に興味ない人)と表現したほどだ。秋風を感じながら詩を謳うソンビの趣に、一度は真似てみたい、それにぴったりの音楽がある。

▼ 朝鮮後期、風流音楽の「霊山会相(영산회상)」の一曲目、大笒(テグム)演奏「上霊山(상령산)」を聴く。ゆたりと響く。

次に、洪吉周(홍길주、1786年~1841年)の「読書の5つのレベル」について次のように紹介された。
・李徳懋と同時代のソンビの洪吉周は、読書を5つのレベルに分けて記録した。① 最も高いレベルは、体を清くすること。② 古いものから学び、今直面した問題にうまく適用させること。③ 文章を磨き上げて、世の中に名を知らせること。④ 記憶力を生かし、他の人に誇示すること。⑤ 最も低いレベルでは、暇つぶしに読書をして時間を無駄にすること。昔、ソンビにとって読書は、生活そのものであり義務でもあった。早朝、読書で一日を始め、昼寝するときも本をそばに置いた。時には、友人と自然の中で、詩を作ったり、絵や音楽を楽しんだ。これを風流と言いう。

▼ 風流音楽「霊山会相」の6曲目、下絃の楽曲の意、「下絃還入(하현도드리)」演奏を聴く。風流と素朴の一体のよう。

最後に、ソンビの風流とは別の「民間風流(민간풍류)」について次のように紹介された。
・ソンビが風流を楽しむときに聞く風流音楽(または風流)という。九曲で構成される霊山会相などが代表的だ。また、庶民のパンソリが宮廷でも親しまれ、風流音楽は、地方から貴族に、そして庶民へと伝わった。このように変化した風流を、「民間風流」という。わずか数十年前まで、各地に律房(율방)という風流の室内演奏空間があった。人々が定期的に集まり、聞かせるためでなく、自分たちが好きな音楽を演奏していた。

▼ 民間風流から「クルゲヤンチョンとウチョ(글게양청, 우조)」を聴く。舞いを誘う趣がある。なるほど民間だ。

・「クルゲヤンチョン」は、ソウルの風流「ヤンチョントドゥリ」と同じ曲だが、ソウルでなく全羅道地域の律房で歌われたもの。

2015年10月6日火曜日

「ノーベル物理学賞」梶田隆章・東京大宇宙線研究所長

昨日、大村智・北里大特別栄誉教授の「ノーベル医学生理学賞」受賞に続き、今日は「ノーベル物理学賞」を梶田隆章・東京大宇宙線研究所長らが受賞した。受賞理由は、「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノの振動の発見」とのこと。

「ニュートリノ」と聞いた瞬間から頭が混乱する。まして、その重要さが悲しいかな、とんと理解できないのだ。小柴昌俊・東京大学名誉教授が2002年に「ノーベル物理学賞」を受賞されたときもそうだった・・・何となく素通りしていた。

この後、「戸塚洋二・東京大特別栄誉教授」の業績、「(岐阜県・神岡鉱山にある)スーパーカミオカンデ」や「ニュートリノ振動」などのキーワードについて、テレビの解説を聞いて判ったつもりになるしかないだろう・・・けれど。

「Newton」の次号を購入して、絵解き記事を見ることにしよう。「ノーベル医学生理学賞」あり、「ノーベル物理学賞」ありで、楽しくなりそうだ。

2015年10月5日月曜日

「ノーベル医学生理学賞」大村智・北里大特別栄誉教授

今年のノーベル医学生理学賞は、日本の大村智(さとし)・北里大特別栄誉教授(80)らが受賞した。大村氏の業績は、「回虫寄生虫によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」とのこと。

ノーベル賞については、いつも聞くたび初めて知ることばかりだが、今回は日本とは余り縁のない風土病の患者を救っている医薬品の研究に対してのようだ。微細な遺伝子工学が華々しい今どき、研究を理解できないがゆえに一見地味に見えるが、これからテレビの解説を聞くたびに業績の偉大さを知ることになるだろう。

ご自身の口から、「人のために(役立つ)研究をする」という、子どもたちにとっても大きな道標となる素晴らしい業績だ。


(追記1)
スポニチの記事「受賞の大村さん ノーベル財団インタビューに『私はラッキー』」(10/5)に、次のような逸話を紹介している。
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・大村さんは、放線菌の一種が「エバーメクチン」という有用物質を作ることを見つけた。大村さんは「微生物が重要だとの信念は正しかった」と感慨深げに振り返った。
・発見の現場は静岡県のゴルフ場近く。(ノーベル)財団側から経緯を聞かれると、大村さんは笑いながら「ゴルフが好きだからと思われるでしょうが、コースの芝の上ではなく、コース脇の木立でした」と答えた。
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(追記2)
初めて社会へ出たときの経歴が、その後の研究への視点を定めたのだろうか。(Wikipediaより)
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1954年 - 山梨県立韮崎高等学校卒業後、山梨大学学芸学部自然科学科へ進学。
1958年 - 山梨大学学芸学部自然科学科卒業。大学卒業後は理科教諭として東京都立墨田工業高等学校定時制に勤務。
1963年 - 東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了
1963年 - 山梨大学助手
1965年 - (社)北里研究所入所
・・・・・
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(追記3)
NHKテレビによると、農家のあとを継ぐ予定だった高校時代に、盲腸で入院したとき、父親から大学への進学が許されたという。

2015年10月4日日曜日

丸木橋

先日、伊豆下田の高根山鉱山に鉱物採集に行ったとき、どうということない小川に架かった小さな橋を渡った。丸木を束ねたもので、一本橋でないにもかかわらず、丸木というだけで足が一瞬すくんだ。

昔、どこだったか、小さな沢(≒小川)だが深くえぐった急流で、そこに架かる一本の丸木橋を渡ったことがある。同行者はすいすいと渡ってしまったのについていけないのだ。丸木を見るだけで足がふらつき、途中で立ち往生するに決まっていると予感した。

付近で一本の大きな枯れ木を探し出し、それを杖代わりにして川底に突き刺し、カニの横歩きのようにすり足して、3点を支えに渡った。2速歩行を断念したのだ。帰りはどうしたかって? そう、遠回りして川筋の上流にある橋を探したわけだ。元の位置に戻るのに苦労したのはいうまでもない。果たして、同行者と落ち合えるだろうか心配した。

バランスをとるのは難しい。支点の置き場所に困るのだ。自身が支点になると思っても、足元がぐらついていたら、絶えず支点を移動させなければならない。そうなると自信もなくなる。丸木橋の上は、まさに瀬戸際で、頼りになるものは体力しかないのだから。

今日は久し振りに、地元飛行場を一周し、大きな霊園を抜けて、川辺に続く公園を巡った。これで体力がついたかどうだか。地に足がつく大事さを感じた。

2015年10月3日土曜日

イ・ソンヒの「世界中が眠りに落ちた後から」

イ・ソンヒの12集所収の「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年)は、雪景色の中に終わりを告げる物語りを歌う。どこか遠くから伝わるような荘厳で、絶対的な孤独の響きがする。

「一晩中雪が降ってきました。世界中が眠りに落ちた後から/悲しい私の心もわからぬまま朝はくるでしょう。・・・」

心のままに世界があったら、留まりつづけるかもしれない。夕べがあり朝があること、四季があること、もしかしたら幸いなことかもしれませんね。

この曲を、なぜか以前のこの時期にも選んでいた、冬が来る前に。

(Youtubeに登録のCool Kidに感謝)

2015年10月2日金曜日

谷村新司のShowTime [チョー・ヨンピル編]

1984年、イ・ソンヒが「江辺歌謡音楽祭」でデビューした同じ年、谷村新司は、韓国で現在「歌王」あるいは「国民歌手」と呼ばれるチョー・ヨンピル、香港のアラン・タムの3人と共にアジアの音楽祭「PAX MUSICA」の第1回を東京で開催した。谷村新司は、盟友となったチョー・ヨンピルと久し振りにソウルで対談をしている。

(本ブログ関連:”チョー・ヨンピル”)

その内容は、東日本大震災の直後、NHK-BSの「谷村新司のShowTime [チョー・ヨンピル編]」*(2011年4月16日)で放送された。(* : ブログ「チョーヨンピルファン」に感謝)

対談を通して、チョー・ヨンピルの音楽に対する真摯な態度を知ることができる。そして、音楽家として、時代の同伴者として、その立ち位置とスケールの大きさを教えてくれる。

(Youtubeに登録のHyunWoo Yoonに感謝)

2015年10月1日木曜日

(雑談) スマートフォンと本と情報

先日、都心に映画を見に行った帰り、電車の出入り口付近に立っていると、スマートフォンを手にした客が次々乗り込んできた。驚いたことは、おじさんたちまでがだ。

混んだ車内で、スマートフォンをながめる必然性があるのだろうか、いぶかしんだ。それとも、手持ち無沙汰で、暇つぶしからだろうか。回りのみながスマートフォンを手にしている光景は少々異様だった。不思議なこと、新宿駅からがらりと客が入れ替わったのだ。今度は本や新聞を読む客が増えてきたのだ。ほっとしたのはいうまでもない。ようやく、見慣れた昔の姿に戻った。

そうはいっても、5人も集まれば4人はスマートフォン、1人はガラケー、あるいはそれも持たないといった時代だ。でも、おじさんは取り残されたといった気後れはまだない。

ところで、一般家庭の(教育関連を除く)情報・通信費用は、どれくらいかかっているのだろうか。費用対効果について、1年分集計して考える必要性があると思うのだが。

TV(NHK)新聞固定電話携帯電話(スマフォ/ガラケー)×n人インターネット回線費+・・・+書籍(週刊誌)

相当な額を使って世情を知ることになるが、そんなに賢くなったような気がしない。

2015年9月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋夕、餅、風流

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、秋夕(추석、旧暦8月15日)、餅(떡)、風流(풍류)にかかわる3曲を紹介した。

始めに、節句や祭祀に、餅を食べた風習と喜びについて次のように紹介された。
・食べ物が十分でなかった昔、ことわざに「飯の上に餅」(飯の上に餅までのせてくれる)がある。良いものの上に、さらに良いものを添える意だ。日本の「錦上に花を添える」と同じようだ。餅は貴重な食べ物で、節句や祭祀に、すなわち秋夕にも用意した。精米場所(방앗간)に湯気が立つ。籠の中には、米が入り、作りたての餅を食べて幸せそうにしていた姿があった。

▼ 京畿民謡、穀物をつく臼(방아)の歌「臼打令(방아타령)」を聴く。どこか土俗的な精霊の響きを感じる。

次に、「三国史記」(1143年~1145年)記載の百結(백결、414年~?)の「臼打令」曲について次のように紹介された。
・餅に色々な種類がある。正月(설날)と盆には定番で、正月には、細長い餅(가래떡)を食べる。盆に当たる秋夕には、胡麻や栗などを入れた餅(송편)を食べる。「三国史記」に、餅をつく音を玄琴(コムンゴ거문고)で演奏した、百結先生の話がある。彼は玄琴が好きで、喜びや悲しみを全て玄琴で表現したという。ある日、節句を控え近所で臼をつく音が聞こえた。妻は、うちには穀物がないと心配したところ、先生は、生きることも死ぬことも、富貴もこの世で論じるものではない、悲しんではならない。君のために餅つきの音を演奏して慰めよういって、玄琴で演奏した「臼打令」曲は、今は失われたが、風流が残っている。

▼ 月に薄い雲がかかり光の輪が現れる「月暈(달무리)」の演奏を聴く。古皮袋に入れた新しい葡萄の酒のよう。今様である。

・三国史記に、百結先生の出身は記録されてないが、ある家譜によると、朴堤上(박제상)の息子、朴文良(박문량)と記録される。父朴堤上は新羅の人で、高句麗に捕まった王の弟を助けたという。

最後に、宮廷の機織りを競う行事について次のように紹介された。
・盆の秋夕にみなが集まり歌い踊る風習があった。これは、高句麗の第2代王の瑠璃は、宮廷の女性を二組に分け、機織りの競争をさせた。7月15日から一ヶ月間機織りをし、8月15日に勝敗を分けた。負けた方はご馳走を準備して勝った方をもてなし、音楽と踊りを楽しんだ。

▼ 演奏「風流都市(풍류도시)」を聴く。中国風の香りの物語的、今様の響きする。

・機織りを競った後、馳走と音楽、歌と踊りを楽しむことを「嘉俳(가배)」といった。これは、秋夕の別名でもある。

2015年9月29日火曜日

2度目の「怪しい彼女」

再び、映画「怪しい彼女수상한 그녀)」(2014年)を見た。1度目は昨年7月に都下の映画館で、2度目の今晩は四谷にある韓国文化院でだ。ともに大きなスクリーンなので、その分、感動も比例する。

(本ブログ関連:”映画「怪しい彼女」”)

この映画は、ハートウォーミングであり、コメディであり、ファンタジーだ。しかも涙腺を決壊させる。いつのまにか溜まった心の澱を浄化させてくれる、まことに爽快な映画でもある。

「ソウルミュージック・・・」、「えっ、ソウル?」、私も混乱する。

ところで、昔、話題の映画を何度見たかということが、芸能雑誌やラジオなどで語られた。記憶にあるのは、映画「ウェストサイドストーリー」を数十回見たというのだ。映画チケット代金を考えたら・・・。私にしてみれば、阿佐ヶ谷のすえた臭いのする古びた2番館で見ただけで、数を重ねる意欲は足りなかったが。

映画「怪しい彼女」は、不思議なことに、また見ようという気にさせてくれた。地下鉄駅までの帰り路、夜風が目元に涼しかった。

2015年9月28日月曜日

金木犀

そういえば、去年も同じ頃、金木犀(キンモクセイ)について記した。秋の落ち着きを感じさせる金木犀と、冬の寒さを和らげる沈丁花(ジンチョウゲ)の花は、季節の変化を香りで知らせる。

(本ブログ関連:”金木犀”、”沈丁花”)

子どものころ、実は、金木犀と沈丁花の香りは苦手だった。甘ったるくて濃い感じがした。それが歳とともに、季節感といった大きな感性で受容できるようになった。もしかしたら、嗅覚が鋭敏でなくなったからだろうか、なんて考えたりもする。

昼前、近くの公園を散策した。園内施設である建物園の入口両サイドに、金木犀の巨木が並んでいる。樹下を通るとき、甘い香りが漂うのを感じる。見上げると、オレンジ色の小さな花が咲き、飾っているのに気付く。

実は、もう一ヶ所、金木犀を楽しめる場所がある。公園への路に、金木犀が頭上まで、歩道を覆うように密集しているのだ。この歩道は、いずれ道路拡張工事のため取り除かれる運命にある。もしかしたら、この景観は今年で最後かもしれない。そう思うと、貴重な香りがしてくる。

(追記)
今夜の月は、いつもと比べて大きく見えるという「スーパームーン」だ。夜分、この目で確かめようと、近所の畑地まで出かけて空を見上げた。月は高く浮かんでいた。そうか・・・な、大きい・・・かな、ぶつぶついいながら佇んだ。乱視の目には、普段も「スーパームーン」だが。

2015年9月27日日曜日

十五夜 2015

旧暦八月十五日となる、この十五夜に昇る月を「中秋の名月」*という。帰宅路、雲の横たわるの東の空に、丸い月が、西の夕陽を受けて薄紅色に染まりながら顔を出していた。ところで今晩の月は、<満月>でなく、明夜に楽しめるという(それも、今年最大の「スーパームーン」になるそうだ)。

(* 今晩、地元公園で「お月見のつどい」が催されたが、昼間に、次の催事に出かけたので参加できなかった)

中秋の中日、日比谷公園で開催された「日韓交流おまつり 2015 in Tokyo」に、前の教室仲間たちとともに出かけた。薄曇りながら、雨が降ることなく、ときに晴れ間も広がり天候に恵まれた。会場は<昨年>と同じだが、人出は盛況だし、催事テントも増えたようだ。また、ステージとは別に、花壇広場で演じられた珍しい伝統綱渡りを見たりした。

大勢で出かけると、めいめいが売店で買った食べ物を持ち寄って昼食したり、休憩時にも菓子(ホットク)を食べたりといった祭り気分を味わえ満喫した。例によって例のごとく、(イ・ソンヒについて)ファン心理でいろいろしゃべった・・・しゃべり過ぎた。

(参考: 今年2015年、日韓民間交流関連「イベントカレンダー」・・・外務省の掲示より)

2015年9月26日土曜日

イ・ソンヒの童謡「秋の夜」

アルバム「イ・ソンヒ 愛唱童謡(이선희 애창동요)」に収録された2番目の曲、創作童謡「秋の夜(가을밤)」(1993年、作詞イ・テソン、作曲パク・テジュン)を耳にすると、母の帰りを待ちわびる子どもたちの不安と確信の切ない想いが浮んでくる。そんな秋に陽が沈むとき、子どもたちに語りかけてくれるのは、夜空の星々のきらめきしかない。童謡は、大人にも一時、郷愁と癒しをくれる。

(本ブログ関連:”童謡”)

秋の夜、さびしい夜、虫鳴く夜
わらぶき家の裏山道が、暗くなるとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

秋の夜、静かな夜、眠れぬ夜
雁の鳴き声が、高く低いとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

(Youtubeに登録のKi Young Anに感謝)

2015年9月25日金曜日

(雑談) 食欲が戻りつつあること

いまだに体調思わしくなく全快にいたらぬが、食欲が徐々に生じているらしい。

そう気付くのは、中華鍋の焼き入れに始まり、中華料理を調理するYoutube映像を見るようになったからだ。

「炒飯(チャーハン)」、「青椒牛肉絲(チンジャオロースー)」、それに大好きな「回鍋肉 (ホイコーロー)」ができあがっていくのを見ていると、自然と力が湧いてくる。独特な鍋の使い方、しゃもじの技にホレボレする。食欲を感じている。

スーパーの地下フードコートに、四川料理の店があって、そこの回鍋肉はたまらない。四川風の、黒々と味噌がからみ、花椒(山椒)の香りとピリピリとする舌。完全回復したら食べに行きたいものだ。

2015年9月24日木曜日

イ・ソンヒの家族史

イ・ソンヒの家族史について、何度かこのブログで触れた。仏教音楽の梵唄(ぼんばい:범패)指導者である父親から音楽的影響を受けたことや、優しい眼差しの祖父との関係などだ。

(本ブログ関連:”資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)

コリア・デイリーの記事「イ・ソンヒ、いま明す秘密の家族史 “ひとたびの女王は永遠の女王”」(9/23、イ・ユンミ記者)は、以前イ・ソンヒがイ・スンギと共にテレビ出演した際の話題で、本ブログに未入手の情報を、次の太字のように紹介した。(抜粋)

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イ・ソンヒの歌を教えた初の師匠チョン・ギョンス(정경수)*作詞家は、「イ・ソンヒに対する父の格別な愛情が、今日の国民のディーバ(歌姫)として、イ・ソンヒが愛された契機を作った」と話した。

(* チョン・ギョンスについて初耳である。2012年に「韓国歌謡作家協会第9代会長」に選出された(当時59歳の)人物か?・・・出会いの時期、場所について不明)

・イ・ソンヒは、ある放送に出演し、過去の政治に身を置いたビハインド・ストーリーを公開した。イ・ソンヒは、「もともと、”少年少女家長助け合い”に関心があった。海外進出を控えていたある日、所属会社で私に相談もなしに市会議員に登録した。それでやむを得ず、政治活動をするようになった」と、政治を始めることになった契機を明らかにした。

(cf.本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのソウル市議会議員選出馬の背景”、および ”(続き)”)

・続いて、「政治*をしながら、生涯初めて冷たい視線を受けた。とても恐ろしかった。私に社会を分からせる最も貴重で大切な時間だった。もし、それを体験しなかったなら、今も夢だけで暮らす十やはたちの少女だったろう。人間関係を結ぶことについて多くを学んだ」と話した。

(* イ・ソンヒは、政治と関わりで、歌手として境界が鮮明でない面がある。民自⇒民主⇒セヌリと大きく振れる傾向にある。政治的な痛みを政治で補おうとする限り、振れは止まらなくなる。)

・イ・ソンヒの(ソウル)市会議員出馬ポスターを見たネチズンは、「<イ・ソンヒの市会議員(登録?)記号1番の時期>、<あどけなくて整ったイ・ソンヒの記号1番の時期>、<麻浦(地区)の娘に笑わせるイ・ソンヒ記号1番のころ、あんな姿もあったなんて>、<イ・ソンヒの今日の栄光は父のため>、<妻帯僧である父、イ・ソンヒの幼い時の夢は、歌手でなく何だろう政治家>、<政治家に転進したイ・ソンヒ、歌手女王が似合うよ>」などの反応を見せた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの政治”)
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この記者、かなり皮肉っぽいのでは?

2015年9月23日水曜日

秋分の日 2015

祝日「秋分の日」の今日、のんびり外出したい予定があったが、体調が思わしくなく家におとなしくした。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

実は、阿久悠記念館に行ってみたかったのだ。森進一と桂銀淑が歌った、「昭和最後の秋のこと」(1997年、作詞阿久悠、作曲浜圭介)の秋を、それも昭和の秋を思い浮かべ、訪れてみたいと思っていた。

わたしたちより、もう一世代上の昭和のイメージかもしれないが、心の襞にしみ込む歌だ。繰り返される詞、「昭和最後の秋のこと」から、遠ざかった昭和をしみじみ思い返す。心にとどめる最後の秋は、「雨にうたれる彼岸花」であり、「時に晴れ間が広がって」、「山の紅葉に照りはえて」と色彩的である。四季の秋は、次の秋の循環を予兆させる。

ことばを大切にした作詞家の詞には、時代のドラマ性があった。今聞く意義を知らせた。見て聞くだけでない、歌えば自身にイメージが再生され、記憶を巻き戻すことができたのだ。

この機会に、過ぎ去った昭和の秋と出あってみたかったのだが。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 パンソリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、民族芸能のひとつで、物語りに節をつけて歌う「パンソリ(판소리)」にかかわる3曲を紹介した。今回は、意地悪い人物に焦点をあてる。

 (本ブログ関連:”パンソリ”)

始めに、パンソリ「興甫歌흥보가)」に登場する意地悪な人物、兄ノルボ(놀보)について次のように紹介された。
・漢方では、人の内臓すべて合わせて「五臓六腑」といい、五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓の内臓)、六腑(大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱)を指す。また、心の中を指す表現でもある。物語に、五臓六腑に意地悪が加わった、五臓七腑の者が登場する。パンソリ「興甫歌」の、善良な弟興甫に対する兄ノルボ*である。「興甫歌」は、ノルボの人物説明から始まる。火に油を注ぐのはもちろん、独り身の未亡人をいじめ、医師から針を盗み、美しい絹織物に水鉄砲で水をかける。乗馬して畑を横切り、泣く赤坊をいじめ、盲人を川に導くという悪者である。
・「興甫歌」の観客は、ノルボに似た人を思い浮かべ笑っただろう。意地悪い人物が、反省してまともになるストーリーである。

 (*)ノルボの漢字表記:ノル=”奴”の下に”乙”、ボ=甫 ・・・ (「パンソリ」申在孝、平凡社東洋文庫)

▼ 「興甫歌」から、「ノルボの意地悪(놀보심술)」を聴く。いつの世も身内の欲深さと善良さ。「興甫歌」の始まり。

次に、パンソリ「沈清歌(심청가)」に登場する継母となったペンドについて次のように紹介された。
・パンソリに、ノルボ以外にも意地悪な人物がいる。「沈清歌」に登場する淫女ペンドもそうだ。孝行娘の沈清は、盲目の父の目を治すため船乗りに身を売る。その金を目当てにペンドは、沈清の父に接近して妻となり、財産を酒やたばこに使い果たす。村人は彼女の悪口をいう一方で、悪口を楽しんだ。
・ペンドはノルボほど大罪でないかもしれないが、当時の女性への視線から、ノルボ以上に非難を受けたかもしれない。

▼ 「沈清歌」から、「ペンドばばあの行ない(뺑덕어멈의 행실)」を聴く。飯、肉、酒、滅多にしないこと。食うだけの楽しみ。

最後に、歌詞だけが伝わるパンソリ「ピョンガンセ打令(변강쇠타령)」の男女について次のように紹介された。
・当時、非難を受けた二人の男女が登場するパンソリ「ピョンガンセ打令」は、歌詞だけ伝わる。男ピョンガンセは怠け者で、博打にも手を出す。さらに、夫を次々亡くした哀れな女オンニョがいる。
・ピョンガンセ打令は、最も貧しい人々の暮らしを描いたもので、語り手が太鼓に合わせて物語りを歌う。

▼ 「ピョンガンセ打令」を聴く。歌詞だけ・・・巫女の歌のリズムを借りてパンソリにしているという解説がある。

2015年9月22日火曜日

ロコモ教室

今日は、シルバーウィークの連休後半、地元体育館で開かれた特別健康教室に行く。

ロコモといってもロコモコじゃない。ロコモティブ・シンドローム(Locomotive syndrome)とならぬよう、座学と軽い運動だ。

膝痛になったときの、膝のマッサージの仕方、立ち上がり方、そして予防のための歩き方などについて軽い実技があった。

今のところ痛みはないけれど、お世話になっている我が膝に目を向けることにした。

ビー・マイ・ベイビー

ラジオや白黒テレビの歌番組に、アメリカンポップスの新曲を求めた。ラジオの深夜放送で紹介される「ビルボード」や「キャッシュボックス」のヒットチャートを、明日の仲間内で披瀝するため、必死にメモしたりした。それを、日本人歌手が歌うころには、次はという得意顔している。まさに子どもである。

日本人歌手の歌が、カバーという意識はなかったし、原曲と聞き比べることもなかった。日本人歌手が演じて成立する独自の世界だったのだ。

そんな日本人歌手の中で、とりわけ歌のうまさに耳をそばだてたのは、弘田三枝子だった。ぽっちゃり顔した少女は、その後随分と変貌することになるが。彼女の発声はとても自然だし、余裕を感じた。パンチがあった。

弘田三枝子の歌唱力は、ロネッツ(The Ronettes)が歌う「Be My Baby」(1963年)と遜色ないというか、声質がピッタリである。当時の歌手の歌い方だったのかもしれない。この歌で、少女が男の子を「ベイビー」と呼ぶ気安さ、積極さに、もっといえば強引さに驚いたものだ。アメリカは違うなって。日本人歌手のカバーからアメリカを感じ、ますます染まっていくことになる。

そういえば、ブレンダ・リー(Brenda Lee)の「アイム・ソリー(I'm Sorry)」を聞いたときも、まず浮かび上がったのは弘田三枝子だった。いや、どっちが先だったのか・・・決まってるけれど。

(Youtubeに登録のMonotostereokingに感謝)

2015年9月21日月曜日

河津鉱山、高根山鉱山

昨晩の急な鉱物採集のお誘い、すぐに受けてしまったがちょっと心配事があった。この一週間、風邪から腹を下したようで、この数日、絶食に近い状態で過ごしていたからだ・・・大丈夫かな?

熟睡もままならず、早朝ひょいと出かけてしまった・・・フラフラしながら。欲に勝るものはない。待ち合わせのJR駅から車に同乗させていただき、目指すは伊豆、河津鉱山蓮台寺へ。

【河津鉱山(蓮台寺近辺)】

・朝の暖かい陽射しを受け、ガイドブックの採集場所(地図)を元に見当するが、それらしき場所が見つからない。迷い込んだ道先で、(H氏が)畑作業をしていた老夫婦から話しをうかがった・・・鉱山のズリ石は辺りに並んだ民家の石垣奥に埋込んだというのだ・・・途方に暮れる。
・結局、大沢川に架かる橋を渡って、採石場に至る最初の道端にある広場で採集を始めた・・・が、結果は全く思わしくない。磁鉄鉱、水晶、石英(微細群晶)のみ。テルルはいずこに。

【高根山鉱山】

・河津鉱山を早々にギブアップして、高根山鉱山へと転進する。住宅地の奥、こんな所にといった場所だ。民家の横を抜けて山に入る(ちょっと登る)とすぐにズリが目に入る・・・草木が茂って手の打ちようがない。硬マンガン鉱を割ると、石英?の透明薄片で埋まっていたが・・・そんなものなのだろうか。
・H氏はもう一段上側に探しに行く・・・お土産に、閃亜鉛鉱(べっ甲亜鉛)と水晶(美小群晶)をいただいた。

残念な成果、腹の回復は明日に持ち越しのようだ。

2015年9月20日日曜日

シルバーウィーク

実質、昨日(土曜日)から「シルバーウィーク」の長期連休に入った。月曜日と水曜日が祝日だった場合、その間の火曜日も<国民の休日>になるというルールがあるそうで、今年9月、6年ぶりの5連休となった。(月曜日:「敬老の日」、水曜日:「秋分の日」)

といって、この連休にとりたてて予定もない・・・連休特別教室の健康体操に出かけるくらいかな。

そんなとき鉱物採集のお誘いをいただいた。一度も行ったことがないけれど、誰もが知っている伊豆の河津鉱山だ。

昔、鉱物の会に同行して、河津海岸にある「やんだ」の浜で沸石を探した記憶がある。熱中しているうちに潮が満ちてきて、トレッキングシューズを水浸しにした。初心者の悲しさ、沸石の地味さがよくわからぬまま、隣りの菖蒲沢で金を夢見て銀黒を探した。眼力の乏しさ、銀黒らしきものを判別できず・・・、後日、リベンジしたものの再度要領をえなかった。

今回は、河津鉱山(蓮台寺方面)だ・・・さてどうなることか。夢も欲望も歌い流すことはできないよ。

2015年9月19日土曜日

社日 2015

雑節に「社日(しゃにち)」がある。余り耳にしない言葉だが、日めくりカレンダーの端に「社日」と小さく記してある。地元への関心の乏しさにあらためて気付く。

産土神(うぶすながみ)」(土地の守護神)を祀る日とのこと。昔は、生まれた土地から恵みを授かって、そこで一生を過ごし家をつないだことだろう。大地は命の源泉であり、郷土を意識したことだろう。(新田地帯の農家の次男・三男坊は独身のまま家付きになるか、養子や奉公人となって家を出るか決めねばならなかったが)

地元に「産土神」を冠した小さな社がある。300年ほど前に創建されたもので、毎年、初詣には必ず参っている。普段、鳥居をくぐることはあまりないけれど、そこに鎮座しているというそれだけで充分な、郷土の支柱のような存在だろう。

先ほど出かけてみたところ、境内に人々が集まって、来週の例祭に向けて何やら組み立てていた。子ども祭りもあるという、童心になって寄ってみようか。

2015年9月18日金曜日

もみじ

日本の秋は、木々の葉を色鮮やかに染める。特に、もみじの紅葉の美しさは欧米人を驚かせるようだ・・・、そんな感想を以前テレビで知ったことがある。山の起伏に展開する独特な景観であって、広い大地を波のように色付けていく様とは、およそ違った印象を持つのだろう。

日本建築の粋(美意識)に借景がある。部屋の内から望む、庭園と自然の背景が織り成す景色を、一幅の絵のように楽しむ。昔の室内は照明があるわけでなく、一層明暗と色彩が際立ったことだろう。残念ながら、今の私たちには贅沢過ぎるし、そんな余裕もない。

子どものころ、音楽の時間に歌った「紅葉(もみじ)」(作詞 高野辰之1876年~1947年、作曲 岡野貞一1878年~1941年)は、いつまでも忘れられない。おじさんの心に、歌や景色に、そんなにも素直に感じることができたという証である。ひとなみに無垢な時代があったんだ。

(本ブログ関連:”紅葉”、”もみじ”)

(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)

2015年9月17日木曜日

秋?なのにもうストーブを出してしまった

半袖から長袖へ、秋の衣替えしても今日は寒い。去年(2014年)の東京の平均気温は、9月が23.2℃、10月が19.1℃、11月が14.2℃、他方、一日雨の9月中旬の今日、気温は地元で17℃ほど。来月の10月より更に11月並みの冷え方だ。

秋の初めに降り続く長雨(霖)を「秋霖」というそうだ。墨絵の風情する、霞む山裾の森に降る雨のよう。止まぬ雨は、秋の深まりを一層感じさせる。

テレビで誰かが、秋を飛び越えそうなほどの冷え方といっていた。寝冷えもしたので(理由と言い訳を重ねて)、とうとうストーブを出してしまった。弱火にポカポカして、心地よくとろりとする。それにしても、これから先の冷え込みが思いやられる。

ところで、この秋、韓国ギャラップが秋といえば思い浮かぶ歌を調査(自由回答)した結果*を、スポーツ朝鮮の記事「秋といえば思い浮かぶ歌 ~」(9/16、イ・ジョンヒョク記者)が次のように報じている。(抜粋)
(* : 2015年9月8日~10日、全国満19歳以上の男女1011人=携帯電話に、「秋」といえば思い出す歌を尋ねた結果)
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(韓国)20/30代は「秋が来れば」、40代は「忘れられた季節」、50代は「コスモス咲いている道」、60歳以上は「コスモス咲いている道」と共に「秋」を最も多く思い出した。総じて若年層よりも40代以上の中高年層がより多彩な秋の歌を言及した。

・「コスモス咲いている道(코스모스 피어있는 길)」(キム・サンヒ 김상희、6.7%)
・「忘れられた季節(잊혀진 계절)」(イヨン 이용、6.3%)
・「秋が来れば(가을이 오면)」(イ・ムンセ 이문세、5.6%)
・「秋(가을)」(ペク・ナムソク백남석 作詞、ヒョン・ジェミョン현제명作曲童謡、4.3%)
・「秋を残していった愛(가을을 남기고 간 사랑)」(パティ・キム 패티김、3.7%)
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(Youtubeに登録者に感謝)

この調査結果に、イ・ソンヒの「秋の風」がランク入りしてないのが残念。

2015年9月16日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 船

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「船(배)」にかかわる3曲を紹介した。

始めに、李朝末の朴趾源(박지원、1737年3月5日~1805年2月5日)の文集「熱河日記(열하일기)」に記された、漁船の出港の曲「ペタラギ(배따라기)」について、次のように紹介された。
・海辺の人々に海はどんな存在か。最も有難く、恐ろしい存在でもある。漁船の出港に、無事を祈るのみだ。李朝末巨匠、朴趾源の文集「熱河日記」に、舟が去りいく意の「ペタラギ」の曲について記録がある・・・ただし、今、彼の描いた「ペタラギ」は継承されていない。
・悲しい曲調の歌だが、出舟する過程を記している。まず、舟を花などで飾り、妓生一組が並ぶ。そして、軍隊の礼節からはじめ、ラッパを吹き出す。すると、村中が音楽を奏し、妓生は絹織物に刺繍をした衣服を着て船の両側に立つ。みなが漁夫の歌を歌いだし、演奏がはじまる。舟が錨を上げて旅立つと、妓生は歌を歌って祝う。

▼ 舟の出るを歌う平安道民謡「ペタラギ」を聴く。厳かな祝い歌か。(cf. フォークグループのペタラギの歌もよい)

・「ペタラギ」を素材にした、1920年代の金東仁(김동인、1900年10月2日~1951年1月5日)の小説「ペタラギ」がある。兄は、美しい妻と弟の仲を疑い、結局、誤解の末、妻は自ら命を絶ち、兄弟は縁を切る。自分の過ちを後悔した兄は漁夫になり、数十年をかけて弟を探し歩く。でも、弟が歌う「ペタラギ」は聞こえてくるものの、弟を探すことはできなかった。

次に、2010年の砲撃事件の島、延坪島に伝わる民謡「難逢歌(난봉가)」について次のように紹介された。
北方限界線の南側にある延坪島は、海上に列車が走るように平らな形から、延坪島と呼ばれる。美しい景色があり、北の海を見渡すことができる、絵のような砂原が広がる。島に伝わる歌「難逢歌」で疲労を解消する人々の島だ。

▼ 延坪島の「難逢歌」の歌を聴く。難逢(난봉)は本来「放蕩の人」を指すという・・・海の大らかさか、今様に響く。

最後に、ソウルを横切る漢江を頻繁に往来した舟、「紫船ふね(시선배)」について次のように紹介された。
・朝鮮戦争(韓国戦争)の頃まで、ソウルを横切る漢江は重要な交通路だった。景色も見事で、昔、金持ちの両斑は妓生たち乗せて舟遊びを楽しんだ。地方から、税として穀物搬送船もあった。江原道の木材を筏で運ぶ人々もいた。特に、漢江を頻繁に往来した舟を「紫船ふね」と呼んだ。ソウルより車で約2時間にある江華島から肉や木材を、当時の都漢陽(現ソウル)に運んだ。最大限、内陸に行けるよう、船底を広く平らにした。麻浦、永登浦、露梁津などに有名な渡し場があったが、今は痕跡はなく、歌だけが伝わる。

▼ 紫船ふねの歌から「櫓を漕ぐ音(노 젓는 소리)」の歌を聴く。歌に調和して櫓を漕ぐ音も聞こえてきそう。

2015年9月15日火曜日

パク・ミンギュのこと

韓国を代表するといわれた小説家の申京淑とパク・ミンギュが、最近、文壇を騒がせた噂と問題について触れるのは、今回で終わりにする。朝鮮日報(日本語版)記事「【萬物相】盗作の告白」(9/129/8)、キム・グァンイル論説委員)は、書き出しにアメリカの有名人や小説家に起った盗作問題に触れながら、パク・ミンギュの印象(自家撞着した弁明)と今後の立ち位置について突き放すかのように、以下の通り語っている。(抜粋)

(本ブログ関連:”申京淑”、”パク・ミンギュ”)

同じ朝鮮日報(日本語版)の記事であるが、「『文芸創作学科が韓国文学を台無しに』有名作家発言が物議」(9/129/12)、パク・ヘヒョン文学専門記者)は、小説家の黄晳暎(황석영、1943年1月4日~)の、大学教育に文芸創作学科が必要かという発言を紹介している。ちなみに、パク・ミンギュは、中央大学校文芸創作学科卒である。

パク・ミンギュの小説「亡き王女のためのパヴァーヌ」しか知らないけれど、その作風は、Twitter風であり、ある意味書き留めたスケッチ集を使っているのではと思いながら読んだ。

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・女性小説家・申京淑(シン・ギョンスク)氏が故・三島由紀夫氏の作品を盗作したのではないかという騒動はまだ記憶に新しいが、このほど小説家パク・ミンギュ氏が盗作を告白した。2003年の長編小説『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』と、07年の短編小説『昼寝』がインターネット掲示板の文章や日本の漫画を見て書いたものだと認めたものだ。
出世作の『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』は1990年代、パソコン通信の掲示板に野球ファンが掲載した文章と多くの部分で似ていた。また、パク・ミンギュ氏は「ずいぶん前に日本の漫画『黄昏流星群』を読んだ記憶がある」とも言った。そして自ら「明らかな盗用だ」と言い切った。

・10年前に初の短編集『カステラ』を出したパク・ミンギュ氏にインタビューしたことがある。当時の同氏は変わった風ぼうで話題だった。ひざまでの長さがあるヒッピー風の長髪をある日突然バッサリと切り、ファンキーな金色に染めた。家でもヒッピー風の服やアクセサリーを身に着けて小説を書いた。スキーのゴーグルのように大きなサングラスをかけて現れ、インタビュー中もずっと外さなかった。
高校時代は「クラスの平均点を引き下げるヤツ」で、中央大学文芸創作科にはカンニングで入学したという。すべてが盗用でも同氏は反逆的な小説家として残ると思っていた。

・映画監督のキム・サンジン氏は、「一流は世の中を守り、三流は世の中を変える」と言った。その時、パク・ミンギュ氏は三流を自任し、世の中を変えてやるとでも言うように食ってかかった。「芸術は盗作であるか、革命であるか、そのいずれかだ」と言ったゴーギャンよろしく、パク・ミンギュ氏も「韓国文壇の近親相姦風潮が小説の発展を妨げている」と「革命」の声を上げた。当時は文壇をひっくり返すかのように見えたが、10年を過ぎた今はただ盗作をするだけの人間だったと告白した格好だ。実感はない。盗作の告白ではなく、世の中をばかにしているのかもしれない。今も不穏な存在だ。
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(資料) 韓国の音楽・小説など盗作・剽窃の状況 ・・・ ナムWiki

2015年9月14日月曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

イ・ソンヒの8集所収の「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」(1992年、作詞・作曲キム・ヨンドン)は、まるでオルゴール箱から聞こえてくるような、素朴な響き(編曲クロードチェ)がする。少女にあるような、そんな自分に夢見ているといった感覚だろうか。微笑ましい。とはいえ、この歌は彼女がソウル市議会議員選挙で民自党候補として当選後リリースされているわけで、そんなに華奢でもなかったろう。

(本ブログ関連:”あなたに会いたいときは”)

一日 眠れぬ孤独さよ
流れ去った、時を彷徨って
あなたは見知らぬ 場所で待つでしょう
私も見知らぬ 場所で待つでしょう

私の喜び 包んだ 暖かな心
私の悲しみ 触った 柔らかな手
今は草花散った 夢の中のなのに
今は過ぎた愛の ささやきだけなのに

*こんなに、あなたに会いたい時は
心深く 愛はるかにたずねて
どこかに どこかに 去らねばならないのね

(*以下繰り返し)

どこかに どこかに 去らねばならないのね


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)


(追記) <噴火警報・予報: 阿蘇山>
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火山名  阿蘇山  噴火警報(火口周辺)  平成27年9月14日10時10分  福岡管区気象台

<阿蘇山に火口周辺警報(「噴火警戒レベル」3、入山規制)を発表>
 火口から概ね2kmの範囲では、噴火に伴う大きな噴石に警戒をしてください

<「噴火警戒レベル」を2(火口周辺規制)から、3(入山規制)に引上げ>

1.火山活動の状況及び予報警報事項
 中岳第一火口では、本日(14日)09時43分に噴火が発生しました。
噴火に伴い、火口から弾道を描いて飛散する大きな噴石を確認しました。噴煙は火口縁上2000mまで上がりました。
 今後も同程度の噴火が発生し、弾道を描いて飛散する大きな噴石が火口から1km以上に飛散する可能性があります。
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2015年9月13日日曜日

スペック

人の品性を語るのに「人品」という言葉がある。道徳性や教養といった人として備わるべき特性を指す。それを、履歴書や健康診断書に記載されるような項目で判断することがある。韓国で一般に、「スペック(스펙)」といわれるものだ。

通常、スペック(spec)は、製品の諸元、機能仕様書の項目といった風に使われる。人にも「仕様書」項目があるごとく判断するのがすごい。学歴、身長、職業、年収、・・・顔の美しさ、といった按配である。不足すればルーザー(루저)、敗者となる。そうならないよう、親はわが子に期待し投資することになる。

KBS「【芸能手帳】 勉強で親孝行しました!派手なスペックのスター2世」(9/10)で、イ・ソンヒの母娘の関係についても、彼女が人並みに<親馬鹿?>であるが、それが錯覚でなかったと、次のようにレポートしている。(抜粋)

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・歌謡界の女王、イ・ソンヒさんの娘ヤン・ウォンさんもアメリカで留学中です。
・ヤン・ウォンさんは、アイビーリーグの一つの学校であるコーネル大学校でジャーナリズムを専攻しているんですが。
・イ・ソンヒさんは、少し前のある放送(2014.04.16 SBS)で、幼かったときの娘の逸話を聞かせてくれました。
・<録音>イ・ソンヒ(歌手):「私たちの娘が天才だと思いました。生まれてから胸に置いて童話の本を私が読んであげたが、二、三度読んだ後に再びそこをぴったり広げると、子がそのまま言うんですよ」
・世の中すべての親たちが、「私の子どもは天才」という錯覚をしますでしょ ~、幼いとき童話の本読んだ子供が、今は世界的な名門大に通っていますので、イ・ソンヒさんの思いは錯覚ではなかったようですね。
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参考) イ・ソンヒの家庭
92年  (91年ソウル市議会議員当選後)、86年以来のマネージャーだった前夫ユン・ヒジュン(윤희중)と結婚。
93年  娘(ヤンウォン、양원)生まれる。
98年  協議離婚。
99年  (IMF時代の後)夫のユン・ヒジュンは、事業の失敗で自死する。(6月5日)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの娘”)

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒが再婚した夫”)

2015年9月12日土曜日

早朝の地震(震度4)

早朝、うつらうつらしているところ、いきなりドンと揺れた。来た!と一瞬身構える。立て続けに、ドドドと部屋が振動する。昨晩から付けっぱなしのテレビ画面の中で、司会者たちが地震を伝えた。横になったままどうすることもできない。体感震度は優に4を越えていたが・・・。

何かが落ちたらしい。机の小さな本立てに無造作に積んだ書類がずり落ちたようだ。そんなものだった。幸い家財道具が倒れるほどでもなかった。充分目覚ましできていないときだけに、東日本大震災の恐怖がよぎった。

(本ブログ関連:”東日本大震災”)

テレビのチャンネルを次々切り替える。栃木・茨城・宮城各県の大雨のときもそうだったが、NHKの情報発信の初動に、さすが公共放送とその役割を認識する。どうやら、地元は震度4、近隣の街では最大の5弱だったようだ。

平成27年09月12日05時54分 気象庁発表
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12日05時49分頃地震がありました。
震源地は東京湾(北緯35.5度、東経139.8度)で、震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
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テレビ解説によれば、心配される首都直下型大地震と比べて震源の深さがより深いため、別のものと説明された。私にしてみれば、ただ恐れおののくばかりだったが・・・。

(付記)
今日、国勢調査の案内資料をもらった・・・ネット記入は便利だ。

2015年9月11日金曜日

大雨(続)

台風一過の空とは別に、昨日の大雨は北上し、宮城県に新たな堤防決壊の被害をもたらした。午前3時過ぎ、栃木県・茨城県に出されていた「大雨特別警報」が宮城県にも出されたのだ。

NHKのニュースWEBの記事「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水」(9/11、16時38分)によれば、「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水 - 国土交通省などによりますと宮城県大崎市を流れる渋井川は、11日午前、古川西荒井地区で堤防が決壊して氾濫したほか、宮城県を流れる吉田川とその支流は、富谷町と大和町で水位が上昇して水があふれ、周辺の地域が水に浸かっているのが確認されました。」とのこと。(抜粋)

(Wikpedia「鬼怒川」より)
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・(鬼怒川は)江戸時代までは毛野国(栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野河」あるいは穏やかな流れを意味する「衣川」「絹川」と書かれた。
・<六国史続日本紀>には古来毛野河は下総国と常陸国の境界を成しているとあり、また<常陸風土記>には、かつて筑波西部は紀の国であり毛野河が各郡の境界を成していたとある。
平安時代の書物(<延喜式兵部式>、<倭名類聚抄>など)には「河内郡衣川」や「下野国驛家衣川」などが見え、江戸時代の古地図にも「衣川」とあり、明治時代に編纂された<日本地誌提要>では「絹川」とされているが、<下野國誌>には「衣川」とあり、かつては「きぬがわ」が「衣川」「絹川」と書かれていたことが判る。
「鬼怒川」という表記は明治政府が編纂した<古事類苑>に見られ、これが「鬼怒川」の初出である。「鬼怒川」の表記は、暴れ川である「鬼が怒る川」から「鬼怒川」となった、などと云われるが、「鬼怒」は明治期以降の当て字である。
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今夕、午後8時前に、「大雨特別警報」がすべて取り下げられた・・・。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梅窓

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、妓生の梅窓(매창、1573年~1610年)にかかわる3曲を紹介した。
(本放送は先月末までアーカイブされたが、今月から聴けなくなった)

始めに、梅窓と詩人の劉希慶(유희경, 1545年~1636年)の関係を歌った詩について次のように紹介された。
・朝夕に涼しい風も感じられ、夏が過ぎて、秋が訪ねくるようだ。今年も終わりに近づく。なぜか、懐かしい人を思い出す季節でもある。全羅北道の扶安地域に、妓生の梅窓が住んでいた。昔の恋人を愛しく思い詩を書いた。梨の花が咲く春に涙で見送った彼は、秋になっても戻ってこないという内容だ。彼とは詩人の劉希慶で、梅窓が二十歳のとき、28歳年上の彼と恋に落ちた。低い身分出身の詩人であった。梨の花がまるで雨のように降る様を指して、「梨花雨(이화우)」と言う。

頭学時調(지름시조、定型詩)の歌「梨花雨」を放送と別に、”ustreamの댕기언니”で聴く。秋風に舞う花弁・葉の如く。

次に、梅窓は、黄真伊(황진이、1506年?~1567年?)と並ぶ妓生(詩妓)だったことを次のように紹介された。
・梅窓は、黄真伊と並ぶ朝鮮時代を代表する詩妓だ。梅窓が亡くなると、人々は彼女の詩を探し、地方で身分を誇示した村役人が金を集めて詩集を作った。男女や身分の関係が厳しい時代、、妓生の詩集を出したのは驚くべきことだ。
・梅窓は、「洪吉童(홍길동)」の著者、許筠(허균、1569年~1618年)とも親しかった。彼は、梅窓を妓生としてでなく、人生や芸術を語り合える友としたようだ。梅窓に送った面白い手紙がある。梅窓がコムンゴを奏でながら歌っている姿を、通りがかったソンビが詩に表し広く知られた。詩を聞いた許筠は、梅窓へ冷やかす手紙を送った。梅窓が歌ったのは許筠を恋しいからという噂が流れ、悔しいという内容だ。梅窓がそのとき歌ったのは、「山慈姑鳥(산자고새)」という鳥の名の曲・・・だ。

▼ 「山慈姑鳥」の演奏。

最後に、梅窓は様々な人に囲まれて人生を終えたと次のように語られた。
・梅窓はコムンゴが好きで、亡くなる時もコムンゴと一緒に埋葬して欲しいと遺言を残したという。38歳の若さで亡くなると、許筠は残念な気持ちを文に残した。梅窓は妓生だが、詩や歌、コムンゴにも優れ、人柄が良く、清い人で、自分はその才能が本当に好きだったと。妓生であったが、彼女は幸せな人だった。劉希慶のような恋人と許筠のような友がいたからだ。それに、自身の詩を詩集にしてくれる人々までいた。

▼ 愛しい気持ちを込めた詩を音楽にした「남하여 편지 伝치말고」(他の人に手紙を渡さず、あなたが運び人となって直接手紙を持ってきてください)を放送と別に、”Youtube”で聴く。聴く。歌い手の恋しい気持ちが伝わるという。今様である。

2015年9月10日木曜日

大雨

昨日の昼過ぎ、映画会へ出かけた。雨はようやく晴れ、一時西の空に青空さえ見せた。夕方到着した地下鉄駅を出ると、映画会場までの道は土砂降りに変わった。そして今日、連日の雨も、昼過ぎには小雨となって止んだ。台風が日本海へ抜けたとほっとしたところだった。

そんなとき、テレビで栃木県鬼怒川の堤防決壊という実況中継ニュースが続いた。NHKのニュースWebによると、「茨城・鬼怒川で堤防決壊 各地で河川増水 : 国土交通省によりますと、茨城県内を流れる利根川水系の鬼怒川は、10日午前6時すぎに常総市の若宮戸付近で堤防から水があふれ、午後0時50分ごろには常総市新石下付近で堤防が決壊して氾濫しました。」(9/10、17時35分)という。(抜粋)

水没家屋からヘリコプターで救援される様子を見ながら、被災の大きさに驚く。被災者一人ひとりに名前があること、救援者に一人ひとり名前があること、忘れてはならないと感じた。

栃木県は日頃の鉱物採集の範囲で、鬼怒川沿いに車を走らせ、鬼怒川温泉を脇に見ながら鉱物産地へ向かうことがある。常に同乗者の身なれど、ナビゲータ能力については、行きと帰りの道筋が同じだと気付かないほど。そんなわけで、鬼怒川が栃木から茨城方面に南下しているということも未だ理解できていない。

いいわけすると、小学校高学年で地元地理を学ぶわけだが、そのころ九州から東京に転向したため、都内はもちろん関東周辺の地勢が直感できないままでいる。土地勘が鈍いのはそのためかもしれない・・・。

2015年9月9日水曜日

映画「シークレット・サンシャイン(密陽)」

以前、レンタルのDVDで視聴した、チョン・ドヨン(전도연)主演の映画「シークレット・サンシャイン(密陽、밀양)」(2007年)を、韓国文化院のホールで見た。これで2度目の鑑賞である。

(本ブログ関連:”密陽”、”チョン・ドヨン”)

DVDの場合、自分のペースで見てしまい、思い込みが生じるのではないかと気になる。それを大勢の息遣いに触れながら大ホールで観覧すると、意識の共有が感じられ、あらたな理解を楽しめる。

もう一つの楽しみは、スクリーンのチョン・ドヨンに会えることだ。彼女は、この映画で、「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を受賞した。「接続」(TV放送)、とりわけ「わが心のオルガン」(VHS)以来のファンである。

映画の最後に登場する陽だまりの光景にいたる、ストーリー展開をじっくり見ることができた。主人公イ・シネ(チョン・ドヨン)が悲劇的な事件の結果、キリスト教会へ宗教的に傾倒する中で生じる、神へ、自己へ、そして他者への不信(疑念)と葛藤を描いている。信仰を持つことで、果たして許されるのか、許すことができるのかと。映画は、そこにソン・ガンホが演じる、主人公に興味を持つ気のいいおじさんを登場させる。彼は、主人公を日常へと結びつける役回りだ。

神は見えない、もしかしたら、裏庭の隅の平凡な陽だまりにあるのかもしれない。

2015年9月8日火曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」

イ・ソンヒの11集に所収の「神がまた許すなら(신이 다시 허락한다면)」(1998年、作詞・作曲:チョン・ヨンア)は、愛を語るのに、魔法のような想いであり、神に願いたいという切なさがある。情熱的でありながら、一方で、旋律は結晶を透過する研ぎ澄まされた光のよう。

イ・ソンヒの高音の世界に美しく輝く、とても印象深い曲だ。だから本ブログで何度も想い入れさせていただいている。

(本ブログ関連:”神がまた許すなら”)


何を いっているのかと、見つめられた ときは
何も 感じられなくて、あなたから去ってしまいたい

<分かるでしょう、どんなわけか、始まった全てのことを
時が経ち みな変わっても、この瞬間の記憶は欲しくて、

わからない 魔法のように、あなたへの 想い
神がまた 許すなら>
あえてあなたを、最後の愛で、う~う

(<  >繰り返し)
私の想いを 受けてくださるなら

わからない 魔法のように、あなたへの 想い
神がまた 許すなら
あえてあなたを、最後の愛で


(Youtubeに登録のMusic Mookに感謝)

2015年9月7日月曜日

パク・ミンギュの記事

小説家パク・ミンギュ(朴玟奎)の噂(盗作)について、今日の韓国紙日本語版記事に一斉に掲載された。
記事では、パク・ミンギュの小説「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」(15万部の売り上げ)で、盗作についての釈明は報じられているが、「昼寝」の盗用元になったといわれる「黄昏流星群」(弘兼憲史作)については、釈明という直接的なものはない。以下一部抜粋する。

(本ブログ関連:”パク・ミンギュ”)

① 朝鮮日報 「韓国の小説家、『黄昏流星群』盗用認める」(9/7、キム・ギョンピル記者)

・「パク氏は『月刊中央』9月号に寄稿し、『チェ・ガンミン氏とチョン・ムンスン氏の指摘について』という文章で、人生の黄昏時を迎えた男女を主人公にした『昼寝』の盗作疑惑について「『黄昏流星群』は昔読んだ記憶がある』とし、『普遍的なロマンスの構図とはいえ、客観的に見て似た面が確かにあるようだと認めた。その上で、『(作品を)あらためて検討し、必要があると思えば措置を取る。ご指摘に心から感謝する』と述べた。」

② 中央日報 「韓国人小説家、盗作認める…『インターネットの文章と日本の漫画を盗用した』」(9/7

・「パク氏は月刊中央8月号に掲載されたインタビューでも『三美スーパースターズ』の盗作事実を認めるような発言をしていた。やはり小説に使っていたインターネット著作物『プロ野球記名事典』を「著作権のあるものと認識していなかった」と釈明した。だが、『昼寝』については認知症になって苦労した自身の母親のために書いた作品で、盗作論争がおきて心が痛いと述べた。しかし、冷静になって検索をしてみると該当作品を読んだ覚えがあるとし、今回、その類似性を認めた。」

③ 東亜日報 「『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』の朴玟奎氏、盗作を認める」(9/7

・「申京淑(シン・ギョンスク)氏に続き、盗作疑惑を受けてきた小説家の朴玟奎(パク・ミンギュ)氏(47、写真)が、盗作指摘を認めた。」
・「朴氏は最近発売された小説レビュー文芸誌・アクストの9月号と10月号(← 隔月刊)に掲載されたインタビューで、文壇の盗作を巡る議論について、自分も同様に盗作疑惑を受けていると明らかにしながら、「最小限のガイドラインでもまとめてこそ、この問題を解決できるだろう」と指摘した。このインタビューは最初に盗作疑惑が持ち上がったごろに行われたと、アクスト側は明らかにした。」

2015年9月6日日曜日

同じ本の二度買い

同じ本を2度買ってしまった。昨日のこと、久し振りに近隣の街に出て、大きな本屋に寄り、いつのように地学関連のコーナーで何かおもしろい書籍はないものかと探す。山梨県の山梨日日新聞社発行、山日ライブラリー(新書版)の「山梨の奇岩と奇石」(石田高著)に、「甲州金山」の紹介があるのを目にして購入した。

商店街の喫茶店で読んでいるうちに、もしかして、わが家の書棚にあるのでは?と気付いた。そんなわけで、現在手元には同じ本が2冊ある。

以前だったら、おのれの粗忽さに呆れるわけだが、今はそうでない。やっちまったという諦念しかない。いいじゃないかと笑い飛ばす余裕もある。

ちなみに、上記紹介の末尾に「甲州金山一覧」があり、「湯之奥金山」について「下部町湯ノ奥にあり、地質は新第三系の火山砕屑岩や泥岩で、金を多く含んだ鉱石。”湯之奥千軒”などといわれたくらい往時は盛んに採掘された。金山に係わる下部町営の博物館が町内にある」とある。

(本ブログ関連:”砂金”)

2015年9月5日土曜日

イ・ソンヒの「涙に咲く花」

イ・ソンヒの作品に、ささやくように始まる、2集所収の「涙に咲く花(눈물속에 피는 꽃)」(1985年)がある。デビュー時の彼女の特徴である、突き抜けるような高音を遺憾なく発揮している、やや硬質な感じする作品だ。挿入の独白は、独特な雰囲気がある。後にLPで、語り(台詞)だけのもの、詩集まで出した。

アルバム第1集と2集は、本格デビュー初年(1985年)に出されたものだ。この曲は、彼女のイメージから、傷心の少女が精一杯に女ごころを歌うようで、当時の大人から見れば可愛らしく見えたかもしれない。柔道着を着た少女が女ごころを歌っているようなさまが浮かぶ。彼女の童顔は後の強力な武器になる。

(本ブログ関連:”涙に咲く花”)


“愛は 別れに、なおいっそう輝くでしょう
一人で寂しさを感じたとき、なおいっそう美しいでしょう”

あなたの目に映った 私の姿は
そんなに悲しい顔で 泣いていたのですか
思わず流れた 私のこの涙は
そんなにもあなたの心を 苦しめましたか

遠い空 見つめながら悲しみを消し去ろうと
気づかうあなたの姿は、むしろ私の心に
石を投げているのですね 涙に咲く花よ

“孤独が訪ねてくれば、こらえてしまうでしょう
こらえ続けて寂しくなれば、それだけで泣いてしまうでしょう”

こんなにつらい別れを 始めなければならないのは
もしかしたらあなたと私の 試練ではないでしょうか
私たちの目に宿る 涙に咲く花よ

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年9月4日金曜日

パク・ミンギュの噂

正直言うと、イ・ソンヒを除いて、関心を持った韓国の歌手や小説家に戸惑いを覚える。韓流以前の頃、人気のあった歌手ケイ・ウンスクの歌を聞き続けたが、彼女のその後の生き方に大変残念な思いがある。母国へ帰った後も厳しい。

また、文学とは縁遠いながら、イ・ソンヒとほぼ同年輩であり、社会的評価もほぼ同時期に進んだ作家の申京淑(신경숙)の小説を読んだりした。ところが、今年6月に盗作問題が大きく報じられることになる。(実は、以前にも指摘されていたという)

(本ブログ関連:”盗作問題-”、”申京淑”)

ところで、今年7月、東京国際ブックフェアに出かけて、一般向けの韓国産鉱物図鑑について問い合わせた。その際、ある出版社の方にも相談したこともあって、同社の文学シリーズにある「亡き王女のためのパヴァーヌ」(パク・ミンギュ、박민규、吉原育子訳)を求めたりした。この小説については、Twitter風小説とでもいうのだろうか、恋愛小説であり・・・若い女性向けで、映画化の話にぴったりのストーリー展開である。

(本ブログ関連:”東京国際ブックフェア”)

何と、この若手人気作家パク・ミンギュにも盗作疑惑の話しが出ているという。東亜日報掲載のニュース1の記事「”盗作疑惑” 小説家パク・ミンギュ、『盗作は交通事故のような問題・・・』」(9/3)は次のように報じている。

盗作は交通事故とは違う。小説家の言葉として随分軽すぎる。私の方こそ交通事故にあったみたいだ。

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・「盗作が倫理的な談論でなく、交通事故のような現実的な問題になりました。最小限のガイドラインでも設置しなければなりません」

・デビュー作「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」の盗作疑惑が提起された小説家パク・ミンギュが、小説専門文芸誌「アクストゥ(Axt、斧)」秋号を通じて、盗作を防ぐガイドラインの設置が必要という意見を出した。

・加えて、文学での盗作是非が、他分野よりもっと大きな波紋を起こす理由が、文学に書かれた「純粋」という概念のためだと主張した。だが、パクは自身の盗作疑惑については明らかで詳しい立場を明らかにすることはなかった。

・パクは、ペ・スア「アクストゥ」編集委員と行ったインタビューで、「盗作が交通事故のような問題」になって、「接触事故、追突、衝突でのひき逃げ、保険詐欺などの多様な形態の盗作がありえることになった」とし、「故意でなければ口をつぐむ理由も、隠す理由もない。その場ですぐ提起され、調整するのが最善」と話した。

・「だが(文人たちは)文を上手く書いて、登壇をして作家になる訓練だけ受けるだけで、これに伴う危険、乃至は安全規則遵守についてはどんな準備も対策もない」と、文壇内部のシステム問題を指摘した。

・彼はまた、「大衆音楽の場合には、ガイドラインと合意を導く調整機構により、大半の問題を解決することを知っている。今からでもそのようなシステムを構築しなければ、一方的な主張と黙秘権の悪循環は絶えず繰り返されるだけだ」といった。

・また、「お互いの文学観がみな違ので、盗作に関する考えもみな違うため、ガイドラインの構築のためには長い間の協議が必要だ」とし、「(しかしながら)最小限のガイドラインでも設置してこそ、この問題を解決することができる」と強調した。

・文学界にだけこのようなシステムが樹立できず、他分野に比べて盗作の是非が大きく浮び上がる理由は、文学を純粋なものと見る観点から求めた。パクは、「(盗作が繰り返されることが)文壇権力の保護という問題が台頭したが、私の観点ではさらに長い間の本質的な理由がある。 一つの単語でまとめようとするなら『純粋』だ」と語った。

・彼は、「純粋文学(순수문학)」という単語がヨーロッパの「fine art」を翻訳した日本語からきたものと見ている。彼は、西洋文学を輸入したことについて劣等感を隠すために*、日本が「純粋」という言葉を入れたと見て、長い時間が経って徐々に単語の意味そのままに、文学のアイデンティティになってしまったと解釈した。

(* ここだけ、パク本人の言葉がない間接的な語りだ。言質をとられないためか、それとも記者の思い入れか)

・「長官や総理候補の論文盗作にも鈍感な韓国人が、一介の作家の盗作に公憤する理由」は、世の中がいくら腐ってくずれても文学は純粋だろうという、人々の普遍的信頼が裏切られたところのためという指摘だ。

・彼は、「(この)純粋の監獄から抜け出さなければならない」としながら、盗作でない「模倣」については擁護する態度を見せた。彼は、「模倣と創作は絶えずお互いに影響を与えて発展すること」と付け加えた。

・一方、作家は「三美スーパースターズ・・・」などに対して提起された盗作疑惑について、「アクストゥ」のインタビュー提案を受けて、詳しい解明と反駁文を書こうか考えもしたが・・・無意味である気がした。いうことは(その前にもマスコミに)大まかに話した。その後の判断は、各自の役割」と、言葉を慎んだ。

・先月の「月刊中央」8月号では、パク・ミンギュの2003年デビュー作「三美スーパースターズ・・・」と、短編「昼寝」がインターネット掲示板の文章と、日本の漫画*を盗作したという疑惑が提起された。「三美スーパースターズ・・・」は第8回ハンギョレ文学賞受賞作であり、「昼寝」は2007年「文芸中央」夏号に掲載された短編だ。**

(* 「月刊中央」によれば、小学館「ビッグコミックオリジナル」連載の「黄昏流星群」(弘兼憲史作)・・・見てない⇒見たに変化)
(** 韓国ハフィントンポストの記事「小説家パク・ミンギュ、盗作を認めて心から謝罪する」(9/4))

・パク・ミンギュは、その後あるメディアとのインタビューで、「三美スーパースターズ・・・」盗作疑惑について、「当時インターネット掲示板に『人名辞典』という書き込みが掲載された。私は、この文を一種の80年代スズメシリーズ(참새시리즈)のようなユーモアで認識した。そこに、三美の選手たちの名前も数人入っていた」とし、「著作権がある文だと全く認識できなかった」と明らかにした。

・また、「昼寝」は、当時痴呆にかかった母を療養院に送り、心が痛くて書いた文だと釈明した。
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(追記)
他者の作品からヒントを得て、自分の世界で膨らますことはよくあるのではないだろうか。和歌で言えば本歌取りがある。それは、時代の状況に光と影を与えられ、命を吹き込む作業の結果だろう。素人には、文学史に作品が残ったでしか知りえないことだ。作家の内面にどうして入り得よう。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」の最終直前の節で、スイスの光景が描かれる。「黄昏流星群」(弘兼憲史作)の1巻に、スイスの雪山の場面が登場するのをネットでちらりと見て、素人はいらぬ詮索をする。疑心暗鬼になったのは事実だ。

2015年9月3日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 盂蘭盆

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/26)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、旧暦の7月15日の「盂蘭盆(うらぼん、백중*)」にかかわる3曲を紹介した。(* 백중を一律「盂蘭盆」と呼ぶことにする)

(本ブログ関連:”盂蘭盆”)

始めに、夏の「草刈り(김매기)」から解放される、旧暦7月15日の「盂蘭盆(백중)」について次のように紹介された。
・漢字の米は、十に八を上下に重ねる。米一粒できるまで、八十八回の手がかかる意だ。中でも「草刈り」は、真夏の強い日差しと地面から上がる熱で、本当に大変な作業だ。汗が目に入り、色々な虫が飛びつく。時間の余裕もなく、休む時間もない。こんな作業を三回ほど経て、やっと草刈りが終わると、今年の農作が終わった気がして、みな祭り気分で楽しむ。それが旧暦7月15日、「盂蘭盆」と呼ばれる日で、今年は8月28日だ。

▼ 「盂蘭盆の日(백중날)」の歌を聴く。家族の平穏を祈る・・・今様に洗練した歌いはアフリカのリズムのよう。

次に、盂蘭盆を「作男日(奴婢日、머슴날)」と呼んだり、「道軍楽(길군악)」について次のように紹介された。
・盂蘭盆は、草刈りを終えて「草取り鎌(호미)」を洗うことから、この日を、来年のために「草取り鎌を洗っておこう」とも呼ぶ。盂蘭盆は、草刈りを終えてみなで喜ぶ日で、一番一生懸命働いた者、農作の「壯元(장원)」を選ぶ。本来、壯元は科挙の首席合格者を指す。農作の壯元になった者を牛に乗せて帰る風習があった。地主は、新しい服や、休暇も与えたという。歌い踊りながら村に帰る時に歌うものを「道軍楽」 という。歩きながら演奏する音楽だ。また、盂蘭盆は「作男日」ともいい、村に市場が開かれ、余裕のできた作男のため、民族競技の「相撲(씨름)」が開かれたという

▼ 「道軍楽」を聴く。豊年満作、誇りと勇壮、湧き出る自信、エネルギー、民俗の逞しさ。いいね。

最後に、釈迦の優れた弟子「目連」と盂蘭盆について次のように紹介された。
・盂蘭盆は盂蘭盆節とも呼び、仏教で、祖霊を供養して「倒懸(逆さ吊り)の苦」を救う日だ。釈迦の弟子に「目連」がいた。目連の母は生きている時の行いが悪く地獄で苦しんだ。目連が悲しむと、釈迦は母を助ける方法を教えた。僧侶が精進を終えて日常の修行に戻る日に、百種類の馳走と五つの果物で供養をすれば救われるという。その日が陰暦の7月15日、盂蘭盆が盂蘭盆節と呼ばれるようになった。供養すると、生きた親はもちろん、亡くなった親も生まれ変わることができるという。

▼ 仏教音楽の供養を終えてから歌う詩歌「悔心曲(回心曲、회심곡)」を聴く。経文でなく、民謡要素が強いとのこと。

・盂蘭盆には、色々な意味がある。両親を想う日であることはもちろん、草刈りを終えて楽しむ日でもあった。

2015年9月2日水曜日

東京オリンピック・パラリンピック

東京オリンピックの話題で何かとせわしいけれど、五年先のこと、さほど心配していない。それより、どうやって見ようか、ちゃんと見られるだろうか、チケットはどうすればいいのだろうと、考えればきりがない。

どんな競技に関心あるかと問われれば、体操(個人)かな・・・。

1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、10月10日(⇒「体育の日」)~10月24日の間開催された。一方、2050年の東京オリンピック・パラリンピックは、7月24日(金)~8月9日(日)で、前回より2ヶ月半ほど早い。温暖化による暑さが増しているので、熱暑対策が必要だろう。

天気に左右されない室内競技がようさそうだ・・・。

1964年の馬事公苑、霧雨けぶるなか行なわれた、乗馬競技を観戦した。といって、クラスに配布されたチケットを持って出かけたわけで、どんな競技なのかもよく分からなかった。遠くで行なわれる正装した人馬一体の競技をただただ見ていた。

それにしても、2050年のオリンピックを見る楽しみって一体なんだろう・・・。(チケットは子どもたちに譲りなさい)

2015年9月1日火曜日

二百十日 2015

今日は雑節の「二百十日」。この言葉、今よりも子ども時代の方が馴染んだ記憶がある。昔、台風襲来のたび、木造家屋は強くなかったのだろう、親父が木の雨戸に釘を打ち付けて固定していた思い出がある。

いまどきの戸建ては、とっくに縁側がなくなって久しいけれど、庭に面して雨戸を使う、大きな背丈サイズのガラス戸を並べるものが少ない。耐震構造のためか、エアコンなどの普及もあってか、できるだけ戸口を小さくする傾向にあるように見える。一見、洋風だが、湿度の高いモンスーン地帯の伝統的な家屋とは、かけ離れた気がする。

私の記憶にある、最大の台風被害は、「伊勢湾台風」(1959年、昭和34年)だ。子どもの頃、転校してきた級友から被災の経験をそれとなく聞いた。けれど、それ以上深入りすることがはばかれた。テレビや新聞記事から知っていたからだ。子どもながらに、興味本位に聞く話ではなかった。

今夕、帰り道に本屋へ寄って外に出ると、路面に小さな点がついていた。始めは微かに雨粒を感じた。次第に、雨脚が強くなった。帰宅してまもなく、屋根を叩く本降りとなった。どうも天候に恵まれない日のようだ。

1923年(大正12年)の今日、関東大震災が起きた。「防災の日」である。

2015年8月31日月曜日

導かれるように石とめぐり合うこと

今日で、多分、子どもたちの夏休みは終わりだろう。長くて、短かった思い出いっぱいの夏だったに違いない。明日から新学期、久し振りに友だちに会う楽しさもある。へいちゃらに時間がやってくる彼らがうらやましい。

私には、暑くてどうしょうもない夏だった・・・おまけに、今年の2/3が終わってしまったのだ。何もしないまま、何もできずに、今年も記憶より早く夏が通り過ぎた。こちらはあっけない。

導かれるように時を過ごしたい。更にいえば、導かれるように石と巡り会いたいものだ。少しも上達しない石集めは、幸運の導きを願うだけ。時間は待ってくれないのだから。

そういえば、江戸時代の終わり近く、琵琶湖畔に居をかまえた木内石亭も、しっかり全国に石を探した。彼ほどになれば各地の石好き(弄石家)から産地情報も得たろう。そんな彼でも、「近江の田上山で道に迷って、思はぬ谷底へはひり込んで、そこで図らずも大きな水晶を拾ったことなどを記して、『これらは石が自分を導いてくれたのであらう』などとしてゐます」と、森銑三は「石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭」で語っている。(「日本の名随筆88 『石』」より・・・「おらんだ正月」所収)

この話し、石集めに長じた人だからこそ導かれるように石にめぐり合うことができたのだろう。そうでなくても、例えば団体で採集に出かけたとき、採集場所に至る山道でとんでもない石を拾ったりする人がいる。実にうらやましい限りだ。私は、一度も導かれたことはないけれど、分けてもらうのはしょっちゅうだ。

2015年8月30日日曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

秋の風は、言葉の災いを気付かせる警告であり、親しい仲に隙間風が吹く前兆である。どちらにしろ、秋風はひんやりして沁みる。もう夏には戻れない。

秋風に舞い散る落ち葉を見ると、とたんに詩人になって憂いに浸ったりする。取り返しのつかない事態に気付いたふうでもない。風のせいにするには、あまりに軽すぎる。こんなこと繰り返して過ぎるのだろう。

ところで、イ・ソンヒの2集収録の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、思い出を運ぶ西風だ。彼女の歌は、秋にとまどう心に吹く、凡庸の心に一種の清涼剤である。(今月始めに記したというに、デビュー当時の初々しい声をまた聴きたくなった)

(本ブログ関連:”秋の風”)

 「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」

今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年8月29日土曜日

花火

遠くで花火の音がする。随分乾いた響きだ。十数分間のこと、大きな祭りではないのかもしれない。それでも、あのドンと突き抜けるような振動に、しばらく耳をそばだてる。

(本ブログ関連:”花火”)

子どもの頃の花火の思い出は、父が働いた会社の工場敷地で行なわれた夏の行事だ。夜の薄暗がりの中、ずっと低いところから見上げた空に、四方に広がり走る光の粒と、地響きのような揺すぶる音。遠くから眺めたはずなのに、記憶の花火は、私の周りを光で覆った。

やがて、花火が天空に炸裂して光の粒が散り、消滅するさまを鑑賞できるようになる。興奮とその余韻、静かに終わりゆく夏に、秋の涼しさが呼びさまされるような気配すらする。

海外での「日本デイ」のイベントに、花火を打ち上げる光景をYoutubeで見ることがある。ヨーロッパでのこと、観客の歓声から、どんな花火のスタイルに関心があるか分かる。空間、余白を残すことの少ない彼らの感覚からだろうか、光が点で消滅するよりも、筋を残しつつ消える方が好まれるようだ。自然体験や幼い頃の思い出など重なって表象されるだろう美意識の違いかと思ったりする。

2015年8月28日金曜日

「玉石の事」

先日、教育社版の「耳袋」(根岸鎮衛著、長谷川政春訳)に掲載の木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」について記したが、岩波文庫版「耳嚢」(長谷川強 校注)に「玉石の事」として類話が載っている。

(本ブログ関連:”石の中に潜んでいる竜”、””)

愛石家の木内石亭は、石に対して在るままに振舞ったが、今回の話しの主人公(商人)はせっかくの奇石を欲に走らせて台無しにする。ある意味、教訓的な展開であるが、唐人は、それにしてもどうしてその価値が分かったのだろう。彼らの石に対する偏愛は大したものだ。

石の中に、竜がいたり、魚がいたりする空想は、世界が入れ子になったような感覚がしてたまらない。この話で、もし唐人の指示通り石が磨かれたならば、その結果、玉を愛するのだろうか、それとも玉中の水に泳ぐ魚を愛するのだろうか。空想は膨らむ。

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いつの頃にやありけん、長崎の町家の石ずへ(礎)になしたる石あり。不断水気潤ひだしを唐人見て、「右石を貰ひたき」よし申しければ、「子細ある石ならん」と其主人是をおしみ、右石ずへを取替て取入れて見しに、とこしなへにうるをひ水の出るにぞ、「是は果たして石中に玉こそ有りなん」と色々評議して、ふちより連々に(引続いて)研とりけるに、誤って打割ぬ。其石中より水流れ出て小魚出たるが、忽ちに死しければ取捨て済しぬ。其事、跡にて彼唐人聞て涙を流して是をおしみける故委敷(くわしく)尋ければ、「右は玉中に蟄せし(隠れひそむ)ものありて、右玉の損ぜざるやうに静に磨あげぬれば千金の器物也。おしむべしおしむべし」といひしとや。世に蟄竜などいへる類ひもかかるものなるべしと、彼地へ至りしもの語りぬ。
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2015年8月27日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 七夕

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「七夕칠석)」にかかわる3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”七夕”)

始めに、年に一度だけ彦星(牽牛)と織姫(織女)が出会う「七夕」について次のように紹介された。
・昔、玉皇上帝の治める国に、牛飼の彦星と機織りの織姫がいた。恋に落ちて仕事を疎かにした二人に怒った玉皇上帝は、二人を天の川の両端に送り、年に一度だけ会えるようにした。いざその日も、二人は天の川にさえぎられて会えない。これを知ったカササギは、二人が会えるよう翼を連ねて架け橋(烏鵲橋)を作った。それを織姫が渡って彦星に出会う日を「七夕」という。明日(8/20)は旧暦7月7日、「七夕」だ。

▼ 演奏曲「牽牛と織女(견우직녀)」を聴く。国楽をカテゴリーにした東洋風バンド。今様である。

・七夕に雨が多い。七夕の前日や当日の雨は、彦星と織姫の喜びの涙、また当日の夜や翌日の雨は、悲しみの涙という。彦星は「わし座」のアルタイル、織姫星は「こと座」のベガにあたる。この二つは天の川を挟み東西に位置し、七夕の頃、空の中央に並ぶ。架け橋を作ったカササギは、七夕が過ぎると頭の毛が抜ける。二人が橋を踏んで渡ったから、橋を作るため石を頭で運んだからなど説がある。実際はこの頃、古い羽から新しい羽に換羽する。伝説は人々が自然を理解する方法でもあった。

次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」から李夢龍(이몽룡)と春香(춘향)の出会いについて次のように紹介された。
・地方官の息子、李夢龍は、ある春の日、楼閣「広寒桜(광한루)」で南原地域の景色を鑑賞した。晴れた日に外出して、美しい乙女に巡り合えるのではと期待した。

▼ パンソリ「春香歌」から「赤城歌(적성가)」を聴く。彦星と織姫に例えて、高いトーンが地声のように歌う。

・<広寒桜も良いが、彦星と織姫の烏鵲橋の方が好きだ>から始まる。<自分は彦星になるが、織姫は誰だろう。ここでその相手と巡り合いたい>という。後に李夢龍と春香が、彦星と織姫に劣らぬ恋に落ちるのを予告する場面である。

最後に、七夕の節句に、星に向かって願い事することについて次のように紹介された。
・七夕は星に関連した節句で、この日に星に向かって願い事をした。北斗七星に向かっては家族の長寿を願った。また、子供たちは学問を、乙女は縫い物が上手になれるように祈った。

▼ 二弦の擦弦楽器の奚琴(해금:ヘグム)の演奏で、「七夕」を聴く。「たなばたさま」(1941年、作詞権藤はなよ、作曲下総皖一)・・・子ども時代を懐かしむ。

2015年8月26日水曜日

イ・ソンヒが歌う「幸せの国へ」

フォークロック歌手ハン・デス(한대수*、韓大洙, 1948年3月12日~)が作詞作曲して歌った「幸せの国へ(행복의 나라로)」(1974年)を、解放70周年を祝う「国民大合唱」(8/15)の舞台で、イ・ソンヒが大学連合合唱団とともに歌った。

(*)ハン・デスの生い立ち(Wikipediaより)
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核物理学者である父ハン・チャンソクとピアニストである母パク・チョンジャの間に生まれた。慶尚南道釜山で生まれ育ったハン・デスは、7才の頃アメリカに留学中だった父が失踪して、後に続いて母が再婚するため、神学者である祖父と住んだ。彼の祖父ハン・ヨンギョ博士はアンダーウッド博士とともに延世大学校を設立して初代学長と大学院長を勤めた。1955年釜山ナム・イル初等学校に入学したが、3年後の1958年にアメリカに移民し、ニューヨークのハーレムにあるP.S 125初等学校を卒業した。1961年、韓国に戻って慶南中学校に入学した。1964年に入学した慶南高等学校を通う間、父を発見したという報せに接して、1965年再びアメリカに渡り、ロングアイランドのA.G Berner高等学校に転校するなど、紆余曲折の末高等学校を終えた。1966年ニューハンプシャー大学獣医学科に入学したがすぐに退学して、適性に合ったニューヨークの写真学校に入学した。・・・
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名門に生まれながら、無力な子ども時代のハン・デスにとって、守るべきものが不在という直面するには余りに大きな人生の波だった。その経験から、本当の幸せを、愛に恵まれる渇望を、軽快なフォーク調ながら青春の葛藤に歌いこんだのではないかと推し量る。四季、人生、風、流れる先に幸せの国を見つけよう・・・。未来への応援歌である。

(Youtubeに登録の강기남に感謝)


(追記) 「3放世代」

若い韓国世代の問題に「3放世代」がある。「就職で非正規職雇用に苦しむ青年を、『88万ウォン世代』と呼び、更に恋愛・結婚・出産を放棄する『3放世代』とも呼んだ。マイホームと人間関係まで放棄した『5放世代』、夢と希望も放棄する『7放世代』が登場した」と、国民日報の記事(8/28)は語っている。ひとごとではない・・・。

2015年8月25日火曜日

「こうのとり」5号の把持・結合完了

宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の5号機「こうのとり5」は、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームにより、昨晩(8/24)19時29分に把持され、本日02時28分に、電力・通信ラインの結合をもって「結合完了」された。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

「こうのとり」は円筒形した少々地味な姿であるが、ISSで油井亀美也宇宙飛行士がロボットアームを操作してキャッチし、NASA管制センターから交信担当者の若田光一氏が支援する様子を見た子どもたちに、宇宙がよりリアルにそしてより身近に感じられたのではないだろうか。子どもたちは未来に生きるのだから、大きな夢を与え託すことは大人の責務だ。

朝日新聞の記事「日本チーム、こうのとりドッキング成功『感慨深い』」(8/25)は、今回のミッションに日本チームが関わっていることについて次のように報じている。(抜粋)
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・こうのとりは19日、鹿児島県の種子島宇宙センターからH2Bロケットで打ち上げられた。24日午後7時29分、ISSに滞在中の油井亀美也宇宙飛行士が操作するロボットアームでキャッチされ、ドッキングに向けて金具による固定や電源の接続などの作業を進めていた。

・キャッチは米ヒューストンの米航空宇宙局(NASA)の管制センターから若田光一さんが支援。筑波宇宙センターからこうのとりの管制にあたったJAXAの松浦真弓リードフライトディレクターは「日本チームで成功できたのは感慨深い。日本人同士通じるものがあり、やりやすかった」と語った。
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8/24 : ISSのロボットアーム(SSRMS)による宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機の把持ライブ中継 =録画
- 映像の時間35分40秒頃から 油井氏、若田両氏の日本語談話が聞こえる。
(Youtubeに登録のJaxa映像)

2015年8月24日月曜日

イ・ソンヒの「少女の祈り」

イ・ソンヒの美しく透き通る結晶のような声は、どこまでも澄んで響く。彼女の初めてのアルバムに収録した「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、当時、彼女が少女たちに支持され、受け入れられ、そして共振された理由がうかがえる。いわば意図的なテーマであり旋律でもあるだろうけれど、今も彼女のカラオケ曲の上位にリストされる美しい曲だ。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)

イ・ソンヒは手記に、この第1集アルバムの反響について次のように記している。
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・1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。

・<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは、「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
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風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして   空しく歩く うつろな心は

*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ

引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら

(*以下繰り返し)

この夜が明けたら


(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

2015年8月23日日曜日

処暑 2015

夏も終わりに近づいた。最高気温は次第に30℃近辺をかすめる。それに気付くと何だかさびしくなるものだ。

(本ブログ関連:”夏の終わり”)

きょうは、二十四節気の「処暑」。暑さまじり聞こえるセミの鳴き声に、鬱陶しさしかなかったものの、今ではゆく夏を必死に生きようとするあわれさを感じる。百日紅の花は今が盛りである。

(本ブログ関連:”処暑”、”百日紅”)

日の入りが早くなっているのに気付く。今年の東京(天文台)の「日の入り」は、6月24日~7月4日まで一番遅く、19:01だった。それが昨日は、18:22まで約40分も早まっているのだ。

気温がさがり、日照時間が減る。そしてツクツクホウシの鳴き声が聞こえてくる。子どもたちには、夏休みの宿題を終えて残り休みを全うする子もいるだろうし、必死で宿題に取り組んで残りの日数を勘定している子もいるだろう。

赤い夕陽がさし込んだ畳の上に、遊び疲れて横になりまどろんだ頃が懐かしい。庭木にツクツクボーシ、ツクツクボーシと鳴く声、台所からコトコトとまな板の上で刻む音が聞こえてくる。それら全てが溶け合った、そんな思い出がおじさんにもあるものだ。

2015年8月22日土曜日

砂金採り・リベンジ?

台風接近すれど小笠原近海まで、前線は停滞すれど日本海・東北一帯に雨曇りという天気予報で、東京の朝は明るい。今日の砂金採集は、ちょっとした幸運に恵まれたようだ。

(本ブログ関連:”砂金”)

早朝のJR駅で、採集仲間と待ち合わせした。ところが、思わぬ事態に陥る。当方の連絡ミスで全員集合できず、次回にお預けという残念至極の結果となってしまったのだ。別働の仲間にも連絡を手間取り慌てふためく。せっかくの晴れ空だったというに。

駅で散会したものの、そのまま帰宅してしまうわけにはいかなかった。気持ちが治まらない。で、砂金採集を決行。私鉄に乗り換えて多摩川へ単独出かけたのだ。

西武多摩川線是政駅から是政橋を渡り、稲城側岸辺におりる。武蔵野線鉄橋手前にある、川に突き出た草の茂る場所で・・・炎天直下パンニングした。主に、草の根に集中して狙ったが、残念ながら柴金と巡り会うことはできなかった。

柴草の泥をパンニングすると、流に水煙して小魚が寄ってくる。そのあと、雲母のニセ金がパンニング皿で空しく点滅した。

じりじりと日照りに押されて、パンニングが荒くなる。にわか砂金採りの悲しいところ、腰も痛いし喉も渇く。おまけに長靴の具合が悪く水漏れする。撤退の理由を考え始めた・・・のだ。

電車のクーラーにやっと一息つく。今日の大失敗のリベンジにもならず帰路につく。

2015年8月21日金曜日

百日紅

今年、少し早めに百日紅(さるすべり)の花に気付いた。満開は、例年の通り今頃である。小さな花が群れ集まって、自然に溶け込むように咲く。どこか東洋風である。香り漂わせるわけでもなく、まるで古い装飾に似合いそうだ。

(本ブログ関連:”百日紅”)

高浜虚子の「百日紅」の掌文に、百日紅に一向に気がつかなかったといい、葉の存在も全然眼に入らなかつたというのもうなづける。地味なのだ。香の匂いしそうな古風さもあるのだが。桜のように青い空に薄桃色の花びらを浮かべるわけでなく、梅のように寒さに逆らうようにして咲く意志を感じることもない。百日紅は、夏の陽射しに朦朧としながらすれ違うとき気付く、塀越しの花木かもしれない。

実際、百日紅を庭木にして、始めてその姿を知った虚子のようにはいかない。子ども時代に、猿も滑り落ちるという名の由来を持った木肌にしか関心がなかった。小花を集めて身にまとった、この木が百日紅だと気付くのはずっと後のことだ。

雨まじりの急ぎ道、いつも見る百日紅が視界にない。なあに、天気になれば気付くだろうよと、百日紅は鷹揚だ。お前は俺のように、毎年花を咲かせ続けることができるのかい・・・ってね。

2015年8月20日木曜日

「こうのとり」5号(続)

昨晩(19日)打ち上げた、「こうのとり」の経過について、sorae.jpの記事「『こうのとり』5号機、初期高度調整軌道制御を完了 順調に飛行中」(8/20)は次のように報じている。(抜粋)

無人飛行のためだろう、国際宇宙ステーションに着いてから宇宙飛行士の入室まで結構時間がかかるものだ。昨日の毎日新聞記事のように、「滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する」ことになるそうだ。
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・宇宙航空研究開発機構(JAXA)は8月21日朝、「こうのとり」5号機にとって最初の軌道修正(初期高度調整軌道制御)が完了したと発表した。24日の国際宇宙ステーション(ISS)到着に向けて、順調に飛行を続けている。

・「こうのとり」5号機は2015年8月19日20時50分49秒、H-IIBロケットによって種子島宇宙センターから打ち上げられた。ロケットは順調に飛行し、打ち上げから15分後に「こうのとり」が分離され、予定通りの軌道に入った。

・その後、機器の立ち上げなどにも成功し、8月21日4時25分に最初の軌道修正となる初期高度調整軌道制御が完了したことが確認された。

・今後、23日2時55分ごろに第1回軌道修正を、24日12時7分ごろに第2回軌道修正を、そして同日15時12分ごろに第3回軌道修正を行い、徐々にISSへと近づいていく。

・そして8月24日の夜にISSのすぐそばにまで接近し、19時55分ごろにISSのロボット・アームによって把持(キャプチャー)される。その後、25日0時30分ごろに、固定金具を使ってISSに取り付けられ、3時ごろに「こうのとり」の与圧キャリアにある圧変電器(DDCU)の起動完了をもって、「結合完了」となる。与圧キャリア内への宇宙飛行士の入室は25日に予定されている。
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KBS WORLD「国楽の世界へ」 光復節

【遅れたが前回の「KBS WORLD『国楽の世界へ』 井邑詞」は、本ブログ8/13付けで記載した】

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、戦前日本統治下における朝鮮の音楽にかかわる3曲を紹介した。

始めに、無声映画「アリラン(아리랑)」で流された歌「アリラン」について次のように紹介された。
・1926年、本格的映画館団成社(단성사)で封切られた、無声映画「アリラン」の主人公崔永鎭(최영진)は、独立運動に参加して投獄後、精神に不調をきたす。帰郷後、妹を襲おうとした男を殺し捕縛され、村人は泣き崩れる。映画に流れた音楽が「アリラン」だった。「アリラン」は民族の歌となり、今日に至るまで、人々の心の深く刻まれている。

▼ 地域ごと伝わるアリランと区別した「本調アリラン」を聴く。穏やかに、爽やかに聴く。

(本ブログ関連:”アリラン”)

・統治下の時代、国を取り戻そうとした中に芸術に携わる人もいて、それなりの方法で努力した。

次に、林芳蔚임방울*、1904,5?年~1961年)の「スクテモリ(쑥대머리)」について次のように紹介された。
・パンソリの歌い手、林芳蔚は、「スクテモリ」で大スターになった。そのレコードは、100万枚も売れたという。「スクテモリ」は、髪の毛が乱れた様子を指す。パンソリ「春香歌(춘향가)」で、獄中の春香が泣きながら悔しさを表現する歌う場面がある。不当な力の前で、民は「スクテモリ」を歌いながら心をなだめただろう。
(* : DAUMの白紙のブログに詳細記載あり)

▼ 「スクテモリ」を聴く。パンソリ世界の独特の歌い語り。

最後に、朴東實(박동실、1897年~1969年)の「烈士歌(열사가)」について次のように紹介された。
・植民地下35年の歳月が過ぎ、1945年8月15日に韓国政府が樹立する。喜びの中で、人々は民族のプライドを取り戻す英雄を求めて歌われたのが「烈士歌」だ。1930年頃から作られはじめたという。独立に活躍した人々をパンソリで構成したもので、地方でパンソリを教えた朴東實が陰で作ったという。
(* : 韓国学中央研究院に詳細記載あり)

▼ 「柳寛順の烈士歌」を聴く。いつ頃できた歌だろうか。

・植民地下の人々が守ろうとした民族の精神と文化を振り返ってみた。

2015年8月19日水曜日

「こうのとり」5号機

油井亀美也・宇宙飛行士が搭乗している「国際宇宙ステーション(ISS)」の元へ、当初8/16に予定していた「宇宙ステーション補給機(HTV、愛称:こうのとり)」5号機が今晩打ち上げられた。最近、各国の物資補給機が民営化の流れで行なわれ、不調なのが気になる中でのこと。

(本ブログ関連:”油井亀美也・宇宙飛行士”、”こうのとり”)

毎日新聞の記事「こうのとり:H2Bロケットで打ち上げ成功 JAXA」(8/19、斎藤広子記者)は、次のように報じている(抜粋)。また、解説記事でコスト削減について触れている。
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・三菱重工業と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は19日午後8時50分、国際宇宙ステーション(ISS)へ物資を運ぶ無人補給機「こうのとり」5号機を搭載したH2Bロケット5号機を鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げた。約15分後、こうのとり5号機は予定通り地球周回軌道に投入され、打ち上げは成功した。

・JAXAによると、こうのとり5号機は24日にISSに到着し、滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する。

・H2Bは、こうのとり打ち上げを主目的に、主力ロケットH2Aを改良してJAXAと三菱重工業が共同開発。2009年の1号機以降、5回連続の打ち上げ成功となった。H2Aと合わせた成功率は97%(33回中32回成功)となった。今回の事業費総額は約360億円。
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参考) 打ち上げ映像: 始めの10分は飛ばしてください。打ち上げ(Lift off)は、1:00あたりからで・・・。

(参考) 成27年度 全国小・中学生 作文絵画コンテスト 作品大募集、油井宇宙飛行士からのメッセージ
(Youtubeに登録のJAXAに感謝)

2015年8月18日火曜日

イ・ソンヒの愛車? ポルシェ 911ターボS

イ・ソンヒの乗用車が、何と<ポルシェ911ターボS>だそうだ。先日、自動車運転免許証を返納した私は、自動車にいたって関心が乏しいので、それがどれほど凄いことなのかよく分からないが。

イ・ソンヒが、いわゆる高級スポーツカーでがんがん飛ばすようには思えなかった。彼女の素地である、若い頃に洋楽好きでバンド活動にはまったことを考えれば、むべなるかなということかもしれない。

参考
イ・ソンヒは、多感な中学時代に経験したジム・リーブス、レイフ・ギャレットなどの音楽や、教師との出会いを、そして夢膨らむ高校時代に、5人組(歌)の音楽グループ結成などした。

参考
1980年代初頭、新村(신촌)にあった、ひたすらヘビ・メタルだけ聞かせるカフェ「レジスタンス(레지스탕스)」に、おかっぱ頭の女子高生イ・ソンヒが通っていたというのだ。当時の彼女は、「それは、メタルが世界のすべてであると思っていた」という。彼女のイメージとギャップがあって可愛らしくおかしい。

アジア・トゥデイの記事「【フォト】 清らかな声の歌手イ・ソンヒ・・・趣味は速度を楽しむ?」(8/18、ペ・ソンウン記者)には、果たして彼女の車なのか、高級車の写真付きで次のような紹介がされている。
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・歌手イ・ソンヒの自動車が、「ポルシェ 911ターボS」であることが分かった。このモデルは、基本販売価格が2億5,900万ウォン(日本では、2,539万円)からなるスーパー・スポーツカーで、(韓国)国内では昨年11月から公式販売されている。

・「911ターボS」には、燃料直噴装置を備えた3.8リットル6気筒ターボチャージャーエンジンが搭載されており、最大出力は、560馬力で最高速度318km/hの性能を誇る。停止状態から時速100kmまでの時間は3.1秒に過ぎない。

・車体は、アルミニウム-鋼鉄複合構造を利用した軽量デザインで構成され、軽いながらも高強度であることが特徴だ。これにより、高速で走っても事故時、運転者の保護がうまくできることで知られている。
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昨年販売のスポーツカー、昨年の彼女の業績を考えれば、自分を誉めてあげたいというちょっとしたプレゼントだろう。

(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”)

2015年8月17日月曜日

(雑談) 体にいいこと

朝から雨は降ったり止んだり。雨雲に覆われた空は陽射しもままならず、夕方の陰りも早く感じる。不安な空模様に、週末の砂金採りの天気が気になる。そのころに、南に発生した台風の影響はまだ至らないようだが。

砂金採りのため、体力作りに励んでいる。先週、体操教室が夏休みで一週休みだった。いつも教室では、運動の随所に、この動作を家でやってくださいという勧めがある ・・・ でも、やれるんだったら、ここには来てませんよねという言葉をいただくのだ。仰る通りだ。

以前購入したバランスボールに坐って、体幹を鍛えている?が、飽きっぽい性格のため何かいいものはないかと探した。近隣の街で、金属バネとは違う、軽くて柔らかい合成ゴム製の簡易エキスパンダー、すなわちフィットネス用ツールを見つけて、試している最中。

だらだらと、ながら運動するのに便利。バランスボールに坐ってこの簡易エキスパンダーを左右に引き伸ばしたが、おじさんには不安定。椅子に坐ってで充分、ちょっとはまっている。果たして何日続くか、それでも運動しないより、した方がいいに決まっている。


(付記)
あるところで、トロット音楽教室があると聞いて申し込んだが、応募者不足で開催ならず。トロット教室があるとはと珍しく思ったが、トロットは自分で練習しなさいという天の声が聞こえた気がする。仰る通りだ。

2015年8月16日日曜日

砂金採りの天気予報

夜分、激しい土砂降りになった。まるで、渓流の川底を水中録音したような、雨音が辺りを引っくり返した。

今週末、砂金採りを予定している。気掛かりだ。Weathernewsの天気予報は、天気記号が午前曇り・その後晴れ、最高気温32℃、降水確率30%。同じく、AccuWeather日本語)は、32.8℃、降水確率(午前)20%→(午後)10%。期待と希望で、まあいけそう。

昔、土砂降りの久慈川支流で、砂金採りしたことがある。川の水位が次第に上がってきて気が気でなかった。同行の師匠は泰然とした。廻りで川遊びしていた学生たちは早々に引き上げていたというに。

びしょ濡れになっても、神は応えてくれなかった。帰り道、近くの金山に寄ってみたが、銀黒すら巡り会えなかった。

今回は、砂金の粒だ、ナゲットだ、金の延べ棒だ。

2015年8月15日土曜日

近くの民家にある稲荷

近所を散策すると、不思議なことに、あちこちの民家に小さな稲荷を目にする。ある民家は塀の中に道路と平行に区画された柵の中に、しっかりした造りの鳥居と稲荷堂が建っている。また、ある民家の稲荷は道路と直角にじかに参ることができる、こじんまりした鳥居と稲荷堂が置かれている。不思議なものもある。ある民家は低い柵の中に、腰高の赤い鳥居だけあがあって稲荷堂はない。

(本ブログ関連:”稲荷”)

江戸期、稲荷信仰は商人に受け入れられた。人々の祈り場であったのだろう。近くに、江戸の記録を持つ昔ながらの稲荷神社がある。数多くの鳥居が並び、それなりに大きな境内と稲荷堂が立つ。この辺りは江戸期に新田開発された農業地帯だった。

近所の民家に稲荷をしっかり探せば、さらに見つかるだろう。昔の新田(麦や陸稲など)地帯の農家が稲荷を持っていたのだろうか。あるいは、江戸というより、以降の宅地化のなか、飛び地のようにできた新造の住宅がそれを据えたのだろうか。

ところで、人々は、狐の持つ力にあやかりたい。稲にかかわる農業の神の使いとして。あるいは、夜に狐火を灯す不可思議さに。あるいは、狐の憑依という最も原始的、心的な霊力に感応したいという欲求があったのだろうか。誰にも、決して他人にいえないものがあるものだ。

狐のずる賢さに都会人は共感するかもしれない。しかし、昔は新田開発のもと農民による共同体であり、狐の裏をかくような豹変さは不適だったはず。それなのに、現在、民家に古ぼけた稲荷堂を多数見る。近くの稲荷はどのようないきさつがあってできたのか知りたいところだ。

2015年8月14日金曜日

イ・ソンヒのカバー「愛しか私はわからない」

イ・ソンヒは、バラードもポップスも、東洋的・国楽的範疇も自分のレパートリーにする。そしてトロットも民謡もしかり、名曲のオリジナルを尊重し、新しい息吹をいれて本歌取りする。

そんなイ・ソンヒのカバー曲中で、シム・スボン(심수봉)が作詞作曲して歌った、女性に人気だったという本格的トロット「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年)のカバーは、当のシム・スボンが最も印象に残ると評したほどだ。まさに釘付けになる。デビュー20周年のコンサート(2004年、世宗文化会館)ステージで、バラードに変身したのをYoutube映像で見てみよう。

(本ブログ関連:”愛しか私はわからない”、”シム・スボン”)

(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

2015年8月13日木曜日

左利きの日

今日は「左利きの日」だ。私の場合、変則的な左利きで、気分は左利きの側にいる。
・食事の箸は右手だが、スプーンは左手を使う
・字を書くのは右手だが、絵は左手で描く
・ハサミは右手だが、カッターは左手に持つ
・バッティングは右打ちだが、投球は左投げ

今も箸の持ち方が悪く、悪筆であるのは、小さいときに利き手を矯正されたからに違いないと言い訳している。もちろんそんな話し聞いたこともないし、誰も信じてもくれない。

この世の化学物質で、アミノ酸はほぼ左手方(L型)で、右手方(D型)を圧倒している。だから左利きは大きな顔をしてよいのだ。

右左から、鏡像関係の話題が出てくる。私が左手を挙げると、鏡の中の私は右手を挙げている。

左利きで便利なのは、鏡を見ながら髭剃りするとき、顔の半分を右手と左手で等分して剃ることができる・・・それくらいだ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 井邑詞

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/5)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代の「楽学軌範(악학궤범)」(1610年、開版)に載った、男女の間を歌う「井邑詞정읍사)」など、古謡にかかわる3曲を紹介した。

始めに、古謡「井邑詞」の由来と記録について次のように紹介された。
・約1,000年前のこと、全羅北道井邑詞の地に住んでいた夫婦の話し。ある日、遠く出掛けた夫が帰ってこないので、妻は不安で心細くなり、月に向かって祈る歌がある。「お月さまちょっと高く昇って(달하 노피곰 도다샤)」で始まる歌だ。この歌「井邑詞」は、高麗時代にも広く歌われ、朝鮮時代に「楽学軌範」に初めて載る。リズムは忘れられたが、ハングル歌詞が残る。
(参考:KoreaDaily NewYork

▼ 「井邑詞」の歌詞からリメイクした歌「お月さまちょっと高く昇って」を聴く。素朴で、今様である。

次に、「井邑詞」の系譜と、合奏曲「壽齊天(수제천)の評価について次のように紹介された。
・「井邑詞」は、高麗時代の宮中でも、太鼓を叩き踊る「舞鼓(무고)」の伴奏演奏時に歌われ、伴奏は朝鮮時代まで受け継がれた。朝鮮後期、舞踊「牙拍舞(아박무)」に合わせ演奏された。最近は、伝説の人物処容(처용)が仮面で踊る「処容舞(처용무)」に伴奏される。「井邑詞」は、合奏曲「壽齊天」でも伝わる。この管楽器合奏は、雄々しいリズムが特徴。伝統音楽中、最も高く評されていて、内外の音楽学家に、<乱れた世俗から逃れ空高くそびえ立ち、春の日差しに輝く大きな山のようだ>、<魂が息をする音に、まるで夢を見たかのような一時を過ごしたのがなんと幸せであるか分からない>といわれた。

▼ 「壽齊天」の演奏を聴く。古皮に入れた新しい酒、随分と洗練された演奏だ・・・。

最後に、百済の世界遺産登録について次のように紹介された。
百済は660年まで続いた古代国家で、今のソウルから、忠清道と全羅道地域を領土とした。長い歳月、当時の歴史や文化は消えてしまったが、一部痕跡が残る。大きな寺や古墳跡などから、独特な暮らしを垣間見ることができる。第39回ユネスコ世界遺産委員会で、忠清南道と全羅北道に位置する、考古学の遺跡の登録が決まった。

▼ 「井邑詞」のコムンゴ演奏を聴く。時間を絵にしたような、ゆたりと親しむ。

終わりに、(意外や)百済文化は一般に馴染まれていないとのこと、今回の登録をきっかけに・・・という話しで結ばれた。

2015年8月12日水曜日

砂金

近々、砂金採集に行く。このところ、雨交じりの天気が続いて気になる。

金は人を虜にする。昔、自然から金を採るのに山師がいた。勘がいいだけでなく、山を巡り歩く行動力と識見を持ち合わせ、実務上の金山経営という巨大プロジェクトの運営もできる才ある人だった。

(本ブログ関連:”金山”、”山師”)

金採取を作業で見ると、① 金鉱脈のある鉱山から直接採り出す方法と、② 金鉱山からこぼれて川水に流れたものを採り出す方法がある。
① 山金は、金を含む金鉱石を掘り出し、火にかけて砕き、更に臼で引いて砂状にし、最後にパンニングして取り出すと思っていたが、どうやら違うようだ。火に強い大きな容器(坩堝)に、砂状にしたものと炭を混ぜ入れ、高温に熱して金を溶かし出すという。
② 砂金は、上記①の金鉱石を産する山を源流に持つ川岸で、草の根に付着した砂を篩(ふるい)にかけ、パンニングして採り出す。アメリカ西部やアラスカのゴールドラッシュに見られた光景だ。

日本は昔、黄金の国といわれた。金山を由来する川であれば、多摩川だって、荒川だって砂金は採れるようだ。といって、奥地にエル・ドラードが存在したことはないけれど。

パンニングして採れる砂金は、光の反射具合で確かめて分かる微細な粒でしかない。粒といっても、色具合は爽やかな黄金色だ。小さな蓋付き(試験管状)容器に水を満たし、採った砂金をくぐらせて、スルッと落ちるようなら金、ユラユラ落ちるようなら金雲母。

砂金が大きな粒で見つかれば、ナゲットという。この場合は、パンニングの必要はないだろう。砂金が採れた経験は1回しかなく、ナゲットは夢のまた夢。もしナゲットを手にしたら、笑いを押し殺すのに苦労するだろう。もちろん、チキン・ナゲットのようなサイズは知らない。

ところで、自然とは反対に都市鉱山がある。ここでは、金鉱山より効率が良いそうだ。鉱物マニアの世界ではないけれど。ときどき、TVで都市鉱山で採れた金を成型した延べ棒を見たりすると、唖然とする。

2015年8月11日火曜日

中島みゆき「歌姫」

中島みゆきの歌の中で、特にお気に入りの曲「歌姫」がYoutubeに登録された。彼女の姿をYoutubeで見るのは、特別なケース、例えば公式チャンネルが登録するような場合に限られるだろうから、次の映像は本当に!貴重。ほんのいっときの蜃気楼、幻かも知れないが・・・この機会を楽しもう。

(本ブログ関連:”歌姫 ①”、”歌姫 ②”)

少し長めの歌である分、旋律ばかりでなく、歌詞についても描写、詞の配置、対比、物語性など、おじさんたちの心をじわじわと揺さぶる名曲だ。

(Youtubeに登録のYuri Pilkoに感謝)

2015年8月10日月曜日

(雑談) 自動車運転免許証

数十年間、ペーパードライバーだった。自動車運転免許証は、身分証明証代わりに使っていた。これまで免許証を更新していたが、とうとう先日返納した。

地元の警察署窓口で、何で?という顔をされた。この制度は、高齢化による危険運転防止の意味でおこなわれていて、相当の高齢者を対象にしているというのだ。でも本当は、返納したことですっかり歳をとったと気落ちさせないためのお愛想?、気遣いかもしれない。

余談だが、ある作家が語っていた。行きつけのバーに、メニューにはない、馴染みの客だけに出す饅頭がある。それを得意がっていた男が、あるとき店のドアを開けると、知らない客がカウンターで、饅頭を食っていたというのだ。自分だけと思うのは合点し過ぎるという話しもある。

さて、自動車を持たない生活をしていたので、これからも何も変わらない。自動車運転免許証の代わりに、運転経歴証明証が交付される。免許証に似たカードスタイルで、立派に(公的に)身分証明証の役割を果たしてくれる。先日も、携帯電話の乗り換えに役立った。

鉱物採集では、H氏の車の助手席にいつも同乗させていただいている。行き道・帰り道の光景が違って見えるという全くの役立たずだが、お世話になっている。

2015年8月9日日曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

風に風圧があるように、陽射しにも圧力を感じる。夏真っ盛りの昨日、「立秋」だったことを忘れていた。とはいえ、二十四節気が巡れば、たとえその気配がなくても、秋の心構えをする。暦とはそういうものなのだろう。

秋は、夏の余韻を残して幕を開ける・・・若者たちにはことさら。そして、イ・ソンヒの2集収録の「秋の風(갈바람)」(1985年、作詞チョン・ウニ、作曲ナム・クギン)は、秋の風が去るように、ひとの心も遠ざかる哀切さを歌う。

(本ブログ関連:”秋の風”)


「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」

今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」


(Youtubeに登録の四死球通に感謝)

2015年8月8日土曜日

(資料) 「外華内貧」のK-POP

特有の音楽事務所のタレント養成システムとオーディション番組での選抜、歌って踊るタレントグループ歌手と歌を主体にした歌手など、韓国音楽界には様々な対比がある。その実態について、朝鮮日報日本語版の記事、「【コラム】「外華内貧」のK-POP」(8/8、権承俊(クォン・スンジュン)記者)は、歌手が本来の歌に専念する場所が少ないことについて、下記のように伝えている。

(資料)過去10年間の歌謡界のトレンド  2014年12月17日
(資料)氾濫するガールズグループの市場  2013年3月15日
(資料)アイドル過剰時代  2013年2月20日
(資料)韓国アイドルグループ歌手の今後の動向  2012年11月21日
(資料)大衆は"100%本物の音楽"を望む  2012年12月12日
(資料)韓国オーディションの歴史  2011年3月2日

パティ・キム、イ・ミジャなどにつながる、歌を歌い聞かせる本来の意味での歌手をイ・ソンヒに見るものにとって、今様の次々と、しかもグループで送り出すスタイルに馴染めない。歳のせいかもしれないけどね。それにしても、タレント養成システムは投資がかかり、次々生産しなければならないだろう。大変なことだ。

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・韓国のポップス界では最近、「イ・スマンとヤン・ヒョンソク(共に韓国大手芸能プロダクションのトップ)の上にキム・テホがいる」という話がよく出る。キム・テホ・プロデューサーが演出するバラエティー番組『無限挑戦(무한도전)』(MBC)が2年に1回、歌手にオファーを出して開催する「無限挑戦歌謡祭」出演すると、音楽配信チャートやポータルサイトの検索ワードランキングでたちまち上位になるからだ。今回は、バンドhyukohとシンガーソングライターZion.Tがキム・プロデューサーの「お眼鏡」にかなった。音楽配信チャートで50位圏外だった2組の歌は、放送後に1-5位を独占した。「K-POP界で最も権威があるのは『無限挑戦』」と言われるわけだ

・hyukohとZion.Tは、ディープな音楽ファンの間では高い評価を得ていたが、一般の人々には無名のミュージシャンだった。彼らを一気にK-POP界で最も注目されるスターに引き上げたのが音楽番組ではなく、バラエティー番組だったというのが少々引っ掛かる。

地上波の音楽番組が一般大衆に対し良い音楽を広く紹介するという本来の趣旨を失って久しい1時間の番組放送中、アイドルが歌い踊り笑顔を振りまくのが最近の音楽番組の全てだ。地上波3局とも同じアイドルたちが出てくるので、ほかの曲が聞きたい視聴者は見るチャンネルがない。その「すき」を突いてきたのがキム・プロデューサーのような、目の付け所が鋭い演出家たちだ。今回も『無限挑戦』では、パク・ジニョン(J・Y・Park)、G-DRADON、IU(アイユー)といったスターたちと共に、hyukohとZion.Tにオファーを出した。G-DRAGONを見ようと思って『無限挑戦』にチャンネルを合わせた視聴者が、hyukohの曲を聞いて興味を持ったのだ。大手芸能事務所に所属するアイドルではないミュージシャンたちが、音楽番組でなく『無限挑戦』に出るのは、今やK-POP界でおなじみの光景になった結局、音楽番組には彼らの居場所がないのだ

問題は、バラエティーはあくまでもバラエティーということだ。人気バラエティー番組『日曜日、日曜日の夜に』(MBC)の「覆面歌王(복면가왕)」コーナーに出てくる歌手は奇妙な覆面をかぶり、「化学兵器室クレオパトラ」のような変なニックネームで呼ばれている。繊細な感情表現が必要なバラードを歌っても、覆面をかぶっているため全く感情移入できない。「自分の正体を気付かれてはならない」という番組ルールのため、歌手は本来の歌い方を変に崩して歌う。バラエティー番組では結局、面白おかしく笑えるかどうかが優先されるので、こうしたことは全て甘んじて受け入れるしかないケーブルテレビチャンネルMnet『スーパースターK』のようなスター発掘番組も同じだ。歌の実力よりもさまざまな事情を抱えた人の方が注目される優勝しても一発屋に終わり、次のシリーズに入るとすぐに忘れ去られる愚直なまでに良い音楽を作り、直球で勝負するミュージシャンは貧しくて孤独なだけだ

・こうしたいびつな構造の責任は全員にある。<音楽番組プロデューサー>は、変化や革新を拒み、<バラエティー番組プロデューサー>は、視聴率を口実にミュージシャンを連れてきてショーをさせる。<ミュージシャン>は、一般の人々に知ってもらいたいという切実な思いからこれを受け入れ、<一般の人々(大衆)>、はただ面白がるだけだ。これ正常だと思う人はほとんどいないはずだが、変えようと思って立ち上がる人もいない。「K-POPだ」、「韓流だ」とこれまで以上に華やかさをアピールするK-POP(韓国大衆音楽)界が直面している「外華内貧(外見は華やかだが中身がないこと)」の現実だ
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2015年8月7日金曜日

8月7日は「バナナの日」

バナナ味する菓子や飲み物を探してはブログに記載している。なのに今日8月7日が、「バナナの日」ということに今まで気付かずにいた。ネットのニュースで知った次第。何たる不覚、バナナに陳謝したい。

(本ブログ関連:”バナナ”)

バナナ輸入組合のサイト「バナナ大学」に、「第11回 バナナ・果物 消費動向調査」(2015年7月)がある。一番よく食べる果物であり、歳とるほどに、朝食に最もよく食べられるという。(同サイトには、バナナ・テストもあるよ)

な~んだ、普段そっけない振りしながら、本当は皆好きなんだ。

バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。

イ・ソンヒの「見知らぬ海辺で」

イ・ソンヒの11集所収の「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(1998年)は、先日掲載した彼女のカラオケ・リストの中で、最後尾に位置するけれど、すぐに引き込まれるだろう私の好みの曲であり、本ブログに何度か記している。

ところで、次のYoutube映像は、このところ続けて借用しているlys2187氏の登録で、この方がイ・ソンヒに持っているイメージがよく分かる。ファンによって、それぞれの印象があるだろうけれど、イ・ソンヒの清潔感にフィットしていて同感である。感謝。

(本ブログ関連:”見知らぬ海辺で ”)


あなたを全て忘れるため、ここまで来たのよ
空が、青い海と出会う場所に

一つずつ思い出を取り出して、もう二度と私の心に込められぬよう
そう、あなたを私も捨てたくて、私のこころから去ってよ (ha~)

たとえ、こんなに、あなたを押しやってみても、戻ってくる
白い波のように、もう一度探しに来て

あなたもまた心に、まだ私がいるのなら、私に帰ってきて
昔のように、私を愛してよ
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一人残った時間は、恐ろしい沈黙になってしまって
たとえ私がいやだといっても、別れのときだったの (ha~)

この世の全ては、あなたから始まって、あなたがいない
私の現実という、深い悪夢だけよ

帰ってきて、私のそばに、私の手を握って
私の息が尽きるその日まで、あなたを待っているわ (ha~)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

(付記)
マイク性能の向上のおかげで大ヒットした若い女性歌手たちが登場する以前、これほど音楽性豊かな表現力を持った彼女の力量に、あらためて驚嘆しないわけにはいかない。

2015年8月6日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 笛

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、笛(① 振動する皮膜を持つ横笛「大笒テグム대금)」、② 同じく振動する皮膜を持つ尺八に似た長めの縦笛「洞簫(トゥンソ퉁소)」、③ 洞簫に似た短めの(振動する皮膜はない)縦笛「短簫(タンソ:단소)」など)にかかわる3曲を紹介した。

始めに、「庭園(정원)」と「園林(원림)」の特徴、園林で有名な「瀟灑園소쇄원)」について次のように紹介された。
・花樹を整えた「庭園」を、昔は「園林」と多くいった。庭園は計画的、人工的であるが、園林は自然を意識して、建物などの配置を工夫しており、全羅南道潭陽(담양)にある、「瀟灑園」が伝統的な園林文化を表している。ひっそりとした竹林の先に小川があり、その合間に小さい東屋があちこちに建つ。小川が滝となり、竹筒を流れる水滴が池になるといわれる。

▼ 大笒で、池に魚が泳ぐ様を奏する曲「瀟灑園」を聴く。夕暮れの池を揺らす風もなく、悠然と池魚が走るよう。今様である。

次に、竹の構造や性質と、楽器「洞簫」の構造について次のように紹介された。
・潭陽は竹林で有名だ。竹は、まっすぐ伸び節がしっかりしている。内部は空だが仕切りがあって丈夫だ。昔から、ソンビの謙遜を象徴する木でもあった。柔軟ながらも簡単に折れないため、生活用品として広く使われた。特に、竹は柔軟でひんやりした性質があり、竹で編んだ敷き物や籠、扇子などは夏の必需品とされた。
・次の曲は、洞簫の演奏だ。洞簫は、音の高さを調整する穴以外に、「聴空(청공)」という穴がある。ここに薄い膜を貼り付けるのは大笒と似ているが、① 大笒は横笛、② 洞簫は縦笛という違いがある。

▼ 洞簫散調から、「晋陽調(진양조)」というリズムをの演奏を聴く。音域の広い楽器のようだが、演奏は難しそう。

・人前で自分を主張できないが、一人になると文句言う人を指して「部屋の中の洞簫」という。人に聞かれぬよう、部屋の中で一人で演奏する意から、臆病な人をからかう表現だ。ことわざにあるよう、洞簫は広く親しまれた楽器であった。

最後に、洞簫に似て短い楽器「短簫」について次のように紹介された。
・洞簫と似た縦笛に、洞簫より短いため、短簫と呼ばれる楽器がある。聴空がなくて、竹の透き通った響きが特徴だ。

▼ 短簫演奏、清い声の意「清声曲(청성곡)」を聴く。小中学校でも学ぶ楽器とか、演奏家にかかれば素晴らしい音色に。

2015年8月5日水曜日

猛暑日 新記録更新

気温35℃以上の猛暑日が続く。そのうえ、日中に健康体操教室に出かけたせいか、体がクタクタに・・・無理ない運動のはず、歳が逆らえないのか、熱暑のせいか。

(本ブログ関連:”とりあえず地元は「猛暑日」”)

本日の日本気象協会tenki.jpの記事「猛暑日 東京新記録 仙台25年ぶり」(2015年8月5日 11時57分)は、連日の猛暑を次のように報じている。(抜粋)
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・きょうも強い日差しが照りつけ、各地で気温がグングン上がっています。東京は11時44分に気温が35度0分に達し、6日連続の猛暑日きのうに続き、東京の猛暑日連続記録を更新しました。
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これまで、連続猛暑日記録は4日間だった。それが5日間の記録となったのが昨日。昨日のtenki.jpの記事「東京 5日連続猛暑日 約140年で初」(2015年8月4日 12時22分)は、次のように報じている。(抜粋)
├-----------------------------------------------------------
・東京で12時7分に最高気温が35度1分まで上がり、5日連続の猛暑日になりました。5日連続猛暑日は、およそ140年間で初めてです。
・東京のこれまでの連続猛暑日記録は4日で、過去6回です。
    2015/08/03までの4日 / 2013/07/10までの4日 / 2010/08/18までの4日 / 2010/07/24までの4日 /
    1994/08/05までの4日 / 1978/08/24までの4日
    となっています。
・東京は5日(水)から7日(金)にかけても、猛暑日が予想されています。
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どうやら、猛暑日は明日も続くらしい。温暖化と関係あるのだろうか・・・亜熱帯化?

2015年8月4日火曜日

イ・ソンヒの「恋文」

先日の、イ・ソンヒのカラオケ・リストに、7集所収の「恋文(연서)」(1991年)が入ってないのが不思議だ。彼女の澄んだ歌声と、波寄せるような美しい旋律が織り成す印象深い曲なのに。しかも編曲が一層際立たせる。

(本ブログ関連:”恋文”)

人気が如何であれ、お気に入りの曲を毎年(或いはそれ以上)、なにかしら感想を記しているが、今回は、じっと耳をそばだてるだけにしよう。(物語性についての希望もあるのだが・・・)


あなたを愛したから、心にあなたがとどまる
空の部屋を用意して、ロウソクを灯したわ

あなたへ笑顔を、部屋の壁に描いて
その懐に眠入りながら、夢を見ます

*冷たい風 空の果て、届くのを待ち疲れても
空の部屋 置かれた あなたの写真
私を じっと、見つめるのね

愛してます、言葉の代わりに、あなたの笑顔見たいのです

(*以降繰り返し)

愛してます、あなたのその言葉を、もう一度聞きたいのです

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)