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2014年9月16日火曜日

地震、震源は茨城県南部

昼過ぎ、久し振りにグラッときた。揺れだした瞬間、いつもとちょっと違うなという嫌な予感がする。さてどうしようと考えているうちに揺れが増してくる。体感震度3くらいかなと思って、ある意味覚悟を決めた矢先、早々に治まってしまった。この程度でよかったと、一息つく。

気象庁の地震速報(平成26年09月16日12時33分 発表)は次の通り。
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16日12時28分頃地震がありました。震源地は茨城県南部(北緯36.1度、東経139.9度)で、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6と推定されます。
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気象庁の発表の通り、当地の震度は3だった。気になるのは、震源が「茨城県南部」(北緯36度、東経140度辺り)ということだ。いつも、ここを震源とした揺れが大きいのだ。

(本ブログ関連:”茨城県南部”)

最近、「栃木県北部」震源について要注意という週刊誌情報もあるが・・・そろそろということかもしれない。気になるばかりだ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/10*)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第71回として、「秋(가을)」にまつわる話を紹介した。
(*)先々週(9/3)の「国楽の世界へ」は、特別企画「メディカル韓流」のためお休み。

始めに、秋が来たことで、旧暦を元にした節句の伝統行事を次のように紹介された。
・収穫、読書など色々な修飾語が付く秋は、肌寒くなり、若干寂しさを感じる季節でもある。家族のありがたさを感じ、節句に村中を訪ねて家族や友人、お互いの幸せを祈る風習があった。
・陰暦に、月に一度節句があった。1月: 「正月(설날)」があり、また満月になる15日は一年の中で最も月が大きく見える「テボルム(대보름)」の日だ。/2月: 先祖の墓参りで、冷や飯を食べる「寒食(한식)」の日になることが多い。/3月3日: 日本の「桃の節句」に当たる「サムジンナル(삼짇날)」、またはツバメが戻る日ともいう。/4月: 釈迦の誕生を祝う「初八日(초파일)」。/5月: 「端午(단오)の節句」。/6月: 東方に流れる川水で髪を洗う「流頭(유두)」の日。/7月: お中元に当たる「百中(백중)」。/8月: お盆に当たる「秋夕(추석)」。/9月: 菊酒を飲む「重陽(중양)」。/10月: 新穀を神に供える「上月(상달)」。/11月: 昼が最も短い「冬至(동지)」があり、この日小豆粥を食べる。秋が来た、収穫の時期を知らせる。

▼ 「祝願德談(축원덕담)」の歌を聴く。村中を訪ねて幸せを祈る・・・活を入れられるようなマーチングだ。

次に、「農楽(のうがく、농악)」)などの風習を通じて、心のつながりを次のように説明された。
・節句に、笛や太鼓などに合わせて踊る「農楽」の音が広がる。村中を訪ねて幸せを祈る風習だ。現代も必要だろうし、不幸の多い年にはなお更だ。久々の故郷も親しく一時を終えれば別れが来る。音楽と共にあれば、思い出は長く残るだろう。
・パンソリ「沈清歌」は、王妃になった沈清が秋空の月を眺めながら、故郷の父を思う場面がある。

▼ パンソリ「沈清歌」から「秋月満庭(추월만정)」の歌を聴く。こころ振り絞るようにして切なく親を思う場面だろう。

最後に、秋の空を飛ぶ雁に思う歌を次のように紹介された。
・雁は、懐かしい人の消息をもたらす使いとされてきた。沈清も父親に手紙を書いて、それを雁に伝えて欲しいと願う。今年のお盆、秋夕に色んな事情で両親と時間を過ごせなかった方もいらっしゃるでしょう。父を恋しく思い涙を流して手紙を書いた沈清の気持ちも、同じように寂しかったことだろう。
・高麗時代の学者ソンビ、權思復(권사복)には、空を自由に飛び交えるのに危険な田に降りた雁についての名詞「放雁」がある。田に落ちた雁を助ける時に作った詩のようだ。
雲漢猶堪任意飛
稻田胡自蹈危機 ・・・

▼ 竹笛タンソ(短簫、단소)の演奏「野原で(들판에서)」を聴く。風音、草葉の揺れに、野原も次第に息づいてくる。

金寶愛(キム・ボエ)さんの言葉、「今年の秋にも穀物は実を成しています。秋の収穫があるから、わたしたちは今日も感謝の中で生活できるのだと思います。今年の秋も実りの多い豊作になることを祈ります」

2014年9月15日月曜日

子どもは自然だ

子どもは自然だ。決して飾ることはない。だから自然の変化に素直に感応して、喜びを全身で表す。

虹を見れば大人も心が奪われる。それは、どこかで経験した驚きであり始原的だ。虹の美しさはどんな言葉を使っても表現することができないからだ。詩人は、その感動の源をたどって、「子どもは大人の父である」と表現する。

ネットで偶然見つけた、15ヶ月の子どもが空から降る雨粒に、初めて経験する映像がある。自然と交わる感動を見せる。もしかしたら、全ての親は、わが子の昔に見ていたはずだ。それが蘇ってくるのだろうか、新鮮な興奮するワクワク感を少しの間共有したい。

映像は、アメリカ在住の韓国系親子のようで、”面白いの”と語りかける。


Kayden + Rain from Nicole Byon on Vimeo.

2014年9月14日日曜日

(資料)子ども:韓国「少子化」

社会人になった頃、既に少子化がいわれ、教育産業の縮小が予測されていた。先日、有名な大学予備校が全国に展開している教室を数校だけ残すと発表した。(余談だが、昔聞いた話しでは、予備校舎の窓の並びから、将来マンション転用を考慮しているだろうということだったが・・・)

少子化のおかげで、子どもは両親とその両方の祖父母からお年玉がもらえる、ということも話題になって久しい。成長して結婚すれば、若夫婦の両肩に、いずれ各々の両親の世話がのしかかることになるのだが。

朝鮮日報(日本語版)の記事「少子化: 『韓国は2750年に消滅』 -『最初に消えるのは釜山』 国会立法調査処が予想」(8/23、キム・ドンソプ保健福祉専門記者、関連:韓国版)は次のように、少子化による人口減(「韓国は2750年に消滅」)を伝えている。(年代を見やすく改行、抜粋を容赦)

700年後の未来世界は誰にも分からないけど、100年先なら、世情が変わらなければある程度予想範囲だ。予測の中で、人口予測は、ある意味確度の高い未来予測だ。予測値への驚きは、宇宙から地球を見たときと同じだろうが・・・同じように受け入れられるかどうか気になる。

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現在の少子化問題が解決しなければ、韓国の人口は2750年にゼロになる恐れがあるとの見通しが発表された。

(韓国の)国会立法調査処(省庁の一つ)は(8月)22日、合計特殊出生率が昨年(1.19)のままなら、次の見通しを明らかにした。(合計特殊出生率: 15歳から49歳の女性が一生に産む子どもの平均数)
・2136年: 122年後の人口が1000万人に減少し、
・2750年: 人口は消滅するだろう。

これは、野党・新政治民主連合の梁承晁(양승조)議員が、国会立法調査処に依頼したのを受け、立法調査処が独自に開発したシミュレータの「立法・政策需要予測モデル(NARS 21)」を使って推計した結果だ。英オックスフォード大学のデビッド・コールマン教授は、2006年「韓国は少子化が進んで人口が消滅する地球で初めての国になるだろう」と予測している。

現在、韓国の人口は5043万人だが、合計特殊出生率が1.19人のままなら、
・2056年: 4000万人になり、
・2100年: 2000万人へと半減すると予想。(1930年(2100万人)とほぼ同じ)
・2200年: 300万人まで人口が急減、
・2256年: 100万人になり、
その後は500年かけて徐々に消滅していくと予測されている。
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(参考)日本の将来人口予測:
「将来人口は,平成22年国勢調査人口等基本集計結果及び同年人口動態統計の確定数が公表されたことを踏まえた」(総務省統計局「人口の推移と将来人口」)、ちなみに、今年は「平成26年」=2014年で、表中に記載はない

平成 (1,000人)
22 128,057
23 127,799
24 127,515


27 126,597
32 124,100
37 120,659
42 116,618
47 112,124
57 102,210
67 91,933
77 81,355
87 70,689
97 61,434
107 53,322
117 46,098

2014年9月13日土曜日

バナナ味巡礼

バナナは、輸入自由化されるまで、病気見舞の(今は見かけぬ)果物詰め合わせ籠を飾る必需品だった。だから、子どもにとって、バナナは身内に入院する者がいるときしか相伴できない、普段食べられぬ高価な果物だった。私にとって、バナナの黄色は黄金色に匹敵した。子どものころの好きな色は黄色だったのだから。

当時、バナナに似た味の菓子や飲み物を見つけると喜んで口にした。それが今、スーパーでバナナが当り前に並べられ、信じられない安値で売られている。いつまでも懐かしく、愛しい果実だ。今でも、バナナ味した食品を見つけると、すぐに求める。私がスーパーに行く目的のひとつである。

今日の教室で、バナナが好きか嫌いかの話題になったとき、苦手という人もいた。な、何と言うことを・・・と思ったが、時代が変わったのかもしれない。そう思えば納得できる。でも、私はバナナを捨てない。バナナが好きで、バナナ味にこだわる!

以前、本ブログで、韓国のバナナ牛乳に触れたことがある。そのコマーシャル映像について、教室で話したところ、先生も印象に残っていて、有名なCFのようだ。それが次のYoutube映像である。ああ、子どもにはかなわない。

(本ブログ関連:”バナナ”)

まだまだ、バナナ味巡礼は続けるよ。


(Youtubeに登録のChris Chengに感謝)

2014年9月12日金曜日

(資料)子ども:韓国「男子選好」風潮の弱まり

近頃、3世代同居は、都市部では生活環境から難しく、しかも法で裏打ちされた<家>という伝統的な制度も希薄なため、家族は親子2世代でしか成立しない現状だ。子どもにとって、<家>は成長して巣立つ仮の場所でしかない。高齢化する親にとって、子育ては人生の中でウエイトが小さくなる。それでも、子どもが自立した後、親は新しい親子関係を考える。

高齢化時代の親(特に寿命の長い母親にとって)は、いつまでも親たろうとして、子どもとの関係が永く続くことを願う。親は、子を(特に娘を)わが身に同化して若さを求め、子は(特に娘は)、産まれたわが子(孫)の世話を親に求める。体力を残した高齢化時代の親にも終末は来る。現状の、親子関係が、相互の期待するような形で続くのか気になるところだ。

中央日報の記事「男児出生比が過去最低…勉強・就職に競争力のある娘を好む傾向=韓国」(9/10)は、高齢化を背景にした親にとって、子どもを男子から女子へと選好が変化していると次のように報じている。(年代を見やすく改行、抜粋を容赦)

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# 娘ばかり3人の・・・イ・ボクジャさん(59、女性)。男児を好む傾向が強かった時期に・・・いつも身の狭い思いだったが・・・「最近ぞっとするような軍隊内の殴打事件のニュースを見るたびに、娘だけを産んだのがどれほど幸いかわからないという気がする」と話した。

# 続けざまに息子2人を産んで周辺からのお祝いを一身に受けた・・・パク・グァンスさん(49、女性)だったが・・・「息子が2人だが両親の結婚記念日どころか誕生日も忘れて過ぎ去ることが多い」と愚痴った。「この頃、きれいに服を着ている60代の女性は、たいてい娘を持つ母親」として「娘を産めなかったのが重ね重ね残念」と話した。

1990年代にピークだった「男子選好」の風潮が弱まっている。統計庁が9日に確定した「2013年出生統計」によれば、
・2013年: 女児100人あたりの男児出生の性比率は105.3人。統計庁基準で81年以降、最低値。
・1990年: 116.5で最高値になった後、徐々に下がって
・2003年: 110以下になった。
・2007年: 106.2を記録して初めて「正常男女比(103~107)」の範囲内に入ってきた。
女性が男性よりも寿命が長い・・・男児の数が3~7%多いのが正常・・・。
統計庁のユン・ヨンオク人口動向課長は・・・「男子選好の風潮が弱まったという明らかな傍証」と分析した。

(注)日本は、80年代以降、105~106の間を行ったり来たりしているようだ。(三重大学奥村教授資料

大学進学率は、女性が追い抜いた。
・2009年: 初めて女性が82.4%で、81.6%の男性を追い抜いた。
・2013年: 進学率の差が7.1ポイント(女性74.5%、男性67.4%)と一層広がった。

成績の格差は・・・公務員採用試験ではすでに女性の勢いが強い。
外交官試験で女性が
・2010年: 60%を占めた
・2013年: 59.5%を記録した。
司法試験の女性合格者比率は40.2%、
5級公開採用は46%に達する。
大企業の人事担当イ氏は「成績順で選べば女性が過半数を超える時が多い」と吐露した。

最近、軍隊内の殴打事件まで噴出しながら、息子よりも娘を好む比率が高まった。
韓国女性政策研究院のキム・ナンジュ博士は「男児を好む傾向が退潮したのは、仕事をする女性たちが増えながら、育児負担が相対的に小さい娘を好むことになった上に、女性の発言権が高まったため」と説明した。
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(付記)
わたしたちは、まだ3世代同居時代の幻想から抜けられずにいるのかもしれない。将来、親子関係に、また別のモデルが生まれるかもしれない・・・動物の親は巣立ち後の子に寄り添わない。

2014年9月11日木曜日

星を求めて

文学の世界で、SF小説は相変わらずマニアック、辺境のままだろうか。サイエンス重視が強調されたハードコアとか、ちょっと哲学的なニューウエーブとか、いろいろあったけれど、今はどんな感じかな。

私にすれば、肩がこらない、空想世界に翼を広げたファンタジーが一番気楽だった。レイ・ブラッドベリの場合、ハロウィンの世界からホラーへ半歩、ダブリン市民について文学へ半歩といった具合に、縦横無尽なところがよかった。

うすうす気付いたのは、日本のSF作家の重鎮たちが若い頃に、ブラッドベリの洗礼を受けたであろうことを。どこかウェットな彼らの初期作品に、ブラッドベリに通じるものを見たことがある。

ところで、私はサーカスを身近に知らなかったからこそ、その歓声と照明の裏側に、得体の知れない何かがあるのではないかというファンタジーを容易に受け入れた。なにより、アメリカの子どもたちにも共通するだろう闇に対する好奇心に触れた楽しさがあった。そこは屋根裏だったり、部屋の隅だったり、ベッドの下だったり・・・日常の中にこそ闇は大きく広がっている。

そんなわけで、何度か触れたけれど、楽しいはずのサーカスと犯罪が組み合わさった意外性に関わらず、旋律が美しい「星を求めて(Look For A Star)」の流れる映画「恐怖のサーカス(Circus of Horrors)」(1960年)がある。映画は未見であるが、音楽の方はビリー・ヴーン(Billy Vaughn)楽団の演奏でおなじみだった。

(本ブログ関連:”星を求めて”、”サーカス”)


(Youtubeに登録のTheRadioVenusに感謝)

2014年9月10日水曜日

アン・ジョンアの「愛しい私の妹」

暑い夏をやり過ごして一息ついたとき、街路樹のふもとに枯れ葉があるのを見て、ふと我に返ることがある。まぶしい陽射しを受けて、蒸散をしきりにしていたあの緑の葉たちが、いつのまにか散歩道に散っているのだ。季節の変わりが、こんなにもあっけないのかと。気付かぬうちに、何か大事なものも一緒に消え去ったような感覚に襲われる。

KBS WORLDラジオ番組「国楽の世界へ」の郷歌編(8/27)で、亡きを「妹」*を語った僧侶の伝承から作られた歌、アン・ジョンア(안정아)は歌う「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)(作詞コン・ジンア、作曲カン・サンク)が紹介された。童謡をおもわせる、緩やかな旋律とテンポを繰り返して、懐かしさへと導く優しい曲だ。

(*)番組では「姉」としていたが、歌詞を探したら、僧侶が先に亡くした「妹」(여동생)について語ったという注釈があった。

この「愛しい妹」の曲と歌詞は、ネット上で知ることができる。⇒ <>、<歌詞>、感謝。


「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)

どこまで行ったのか、どこまでなのか
一つだけつながった、とても綺麗な木の葉(このは)
どこまで行ったのか、どこまでなのか
何も言わず去ってった、愛しい私の妹

急に吹いてくる、冷たい風のために
あまりに寒いので、ブルブル震えるよ
枯れ落ちたその葉の間に
風が吹いて探すこともできない遠い所に

どこまで行ったのか、どこまでなのか
一つだけつながった、とても綺麗な木の葉(このは)
どこまで行ったのか、どこまでなのか
何も言わず去ってった、愛しい私の妹

どこまで行ったのか、どこまでなのか
何も言わず去ってった、愛しい私の妹
愛しい私の妹


(参考)
姉を探す歌もある。姉への母性に近い思慕と、ともに遊んだ昔への郷愁に近いものだ。日本の童謡「赤とんぼ」では(子守の)「姉や」に対して、イ・ソンヒの5集所収の「お姉ちゃん(누나야)」(作詞・作曲キム・チャンワン、1898年)では姉に対して、通じるものがある。

(本ブログ関連:”お姉ちゃん(누나야)”)

2014年9月9日火曜日

季節の変わり

ああ、すっかり秋になったなあと感じるのは、身にまとう物が次第に厚手になっただけじゃない。この昼間、熱いコーヒーを飲んでいて、なるほどと気付く。夏は、冷蔵庫に水出しの麦茶、緑茶、そして紅茶も冷やして飲んだ・・・順を追ってローテーションしていたが、最近その頻度が滞っている。
どうやら、熱さが心地よくなってきたようだ。飲み物まで季節変わりしている。

近所の散歩道、街路樹が葉を落とし始めている。暑さ疲れと思ったが、どうもそうではないようだ。秋の気配をキャッチしたからだろう。いずれの散歩道も、足元に落ち葉が寄せ集まっている。次の年、若葉が広がるように役目を終える。

「言葉」の文字に「葉」がある。季節を巡れば、葉はやがて枯れ落ち朽ち。言葉も季節の変わり目に果てるのだろうか。

ときに秋風に、舞い散る言葉もあるように思う。一方で、美しい花を咲かす木々は、ひとびとの手で寿命を延ばされる。
惜しむらくは、とうに寿命が尽きたのに朽ちようとしない、いさぎよくない枯れ木が、秋の風を寒々とすることだ。

2014年9月8日月曜日

白露、中秋2014

今日は旧暦8月15日、二十四節気の「白露」。大気は冷えて露が出始める頃だそうだが、冷気を感じるまではないものの、外出に長袖が増えてきた。

(本ブログ関連:”白露”)

しかも今日は、秋の真ん中を指す「中秋(仲秋)」と重なる。この巡り合わせを、河北新報の記事「ススキ秋風ゆらり 38年ぶり白露と中秋」(9/8)は、次のように紹介している。
・「仙台市天文台によると、ことしは1976年以来、38年ぶりに白露と旧暦8月15日の『中秋』が重なる珍しい年回りとなった。ただ、月が満ち欠けする周期と暦にはずれがあるため、中秋の名月は必ずしも満月とは限らない。ことしは9日が満月になる。」

(本ブログ関連:”中秋(中秋の名月)”)

ということで、中秋の十五夜に「月見」を楽しむ、「中秋の名月」の満月は、明晩(9日)にお預けということになる。今日は一日、激しい雨はないものの、路面がずっと濡れた生憎の空模様だった。
コンビニのレジ横に、月見団子を飾ったセットを置いてあって、客が気付くよう売っていたが、思案のしどころだった・・・。

2014年9月7日日曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

イ・ソンヒの歌唱力をまさに象徴する、3集に収録の「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)は、初期ながらしっとりして重厚であり、透過光のように澄む。それだけに数々の伝説を生んだ。この歌が、黄真伊(ファン・ジニ:황진이)の漢詩を本歌取りしたように語られたのもその一つだ。

(本ブログ関連:”分かりたいです”、”黄真伊”)

ところで、イ・ソンヒの自伝に相当する思い出の記に、この歌についてファンの次のような反応を語っている。もうちょっとで、中島みゆきになってしまうところだった・・・ような。
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3集では「分かりたいです」が最も多い愛を受けた(人気があった)曲だ。1987年4月の一ヶ月間、放送回数107回を記録したので、いつでも何処ででも聞こえる歌だったと言える。”やはり”タイトル曲でないこの歌が大ヒットした原因は、ヤン・インジャ先生*の歌詞のためのようだ。「忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか」などの歌詞は、女性心理を見抜いたという評を聞いて、それゆえに男性ファンからは「男に疲れさせる(重い)歌」という愚痴も聞こえてきた。
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*ヤン・インジャは、この曲の作曲者キム・ヒガプの妻。


「分かりたいです(알고 싶어요)」

月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
               ____

一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください

(Youtubeに登録のsoya iに感謝)

2014年9月6日土曜日

デング熱

デング(dengue)熱」の感染が全国に広がっている(70人を超えたよう)。デング熱の症状を引き起こすデングウイルスは、蚊を媒介して、人から人へうつるという。蚊は、ヒトスジシマカといわれるが・・・。

最初、デング熱を「テング(天狗)熱」と聞き間違えた。へぇ~というほどに無知だった。

病名の由来について、テレ朝News(9/4)は次のように報じている。
・「デング熱の『デング』という呼び名については諸説ありますが、国立感染症研究所によりますと、英語の『ダンディ』にあたるスペイン語『デングエロ』が語源とされ、強烈に痛む背中をかばうあまり、背筋を伸ばした歩き方が『ダンディ』に見えてしまうことからこう呼ばれるようになったという」ことだそうだ。

今回、感染の中心地といわれる代々木公園で採集した蚊から、デングウイルスが見つかったというが、何という名の蚊なのかまでは伝わってこない。どこかに具体的な情報でもあるのだろうか。

(9/4、厚生省「デング熱の国内感染症例について」(第六報))

今日の語学教室で話題になったことだが、蚊が電車の乗ればどこでも行ける・・・というわけ。ちなみに、テレビ解説によれば、蚊自体はそんなに遠くへ飛ぶ力はないという。

とはいえ、近所の公園を散歩すれば蚊に食われる。以前のように、刺されたところをムヒでも塗っておけばということでは済まない心配事が増えた。
先日、庭の草取りをしたばかり・・・そのとき、半袖姿だったため、腕先を思いっきりヤブ蚊に刺されてしまった。後になって、ヒヤリとしている。

ところで、蚊といえば、あのブンブン音(モスキート音)をイメージして、高音の聴覚検査がある。Youtubeを参考に確認したところ、歳相応の結果で、納得よりも、ちょっと残念な気分。

(本ブログ関連:”この世の果て”)

2014年9月5日金曜日

アイドル曲の歌詞は・・・2年前の記事

2012年3月5日の中央日報の記事「韓流アイドルの曲は意味不明の歌詞ばかり…『ひどすぎる!』」()()は、アイドル歌手の、というより流行のPOP曲特有の傾向について、以下のように記している。(抜粋・・・指摘曲名が多数あるため)

2年前の記事だが、さて今はどうだろう。いまだに指摘のままか、それとも変わっているのか、流行に不案内だが、そうなんだろうなという気がしないでもない。そして、K-POP特有でもあるまい。

歌詞を大事にしないという、音楽関係者の言葉がしょっちゅうラジオ!から流れてくる。歌をダウンロードで購入すれば、歌詞カードを手に持つことはない。眺められることのない歌詞(歌声)は、小刻みに連打する楽器へと化す。「ストーリー」を込めることのない音(歌声)に、もう、そうなってしまっているのだろう。

LPやCDを聴きながら、歌詞カードを見たとき、歌と本当に相(あい)対しているという、あの高揚を忘れられない。

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以前の韓国歌謡には人生が込められていたパティ・キムチョー・ヨンピルシム・スボンの歌まであえて遡らなくても、1990年代までも歌謡曲の歌詞にはひとつのストーリーがあった。チャジャンミョン(ジャージャー麺)を契機に母親に対する愛を歌ったG.O.Dの「お母さんへ(어머님께)」、人生の主人公は自身であることを叫ぶイム・サンア(임상아)の「ミュージカル(뮤지컬)」などなど。

最近の歌謡界ではこうした意味深い情緒は期待しにくい。意味もわからない擬声語がリフレーンだけでなく歌全般で繰り返される。ハングル歌詞の間に英語を無理に挟んで入れたり、卑俗語を使ったりもする。若い世代の感覚に訴える「Fad」(一時的な流行)へ回すにはその程度が激しいという指摘が出ている。

#特定単語の繰り返し   (列挙)

歌謡評論家のソン・ギチョル氏は、「数行の歌詞のために一生心に残る歌がある最近は曲だけ中心になり、歌詞は付属的なものになる傾向があって残念だ」と話した。

#英語の歌詞を挿入   (列挙)

#「フックソング」(短いリフレーンに繰り返しの歌詞で楽しさ与える音楽)も良いが…  (列挙)

ある作曲家は、「以前は作詞をした後で曲を付ける傾向が多かったが、最近は状況が逆転して、曲を作った後に歌詞をつけることが多いリズムとメロディに合わせたら歌詞がおかしくなるものだ」と分析した。最近インターネットの音楽チャートで歌謡曲1曲の寿命は平均1~2週にすぎないが、早期に歌を記憶させるために憶えやすいフックソング(短いリフレーンに繰り返しの歌詞で楽しさ与える音楽)で終わるということだ。

歌謡評論家イム・ジンモ氏も「大衆音楽とは誰が聞いてもうなずける普遍性がなければならない。K-POPが世界へ進出していくのに普遍性がない歌詞は障害物になるだろう」と指摘した。
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(Youtubeに登録のxradman、MBCkpopに感謝)

2014年9月4日木曜日

(資料)イ・ソンヒの日本語曲「空がくれたもの」、「見せたいけしき」

「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」、久し振りに博物館見学する。

以前、大手町にあった「逓信総合博物館」は、日本の情報通信技術の歴史を、貴重な現物展示で見せてくれた。電電公社からNTTへと時代の流れもあって、ちょうど一年前に同館は閉館した。その歴史的な資産の一部が、現在、三鷹の「NTT技術史料館」に引き継がれている。電信技術(ペリー来航の土産品西南の役に急遽張られた電信線)や交換機(アナログからデジタル=コンピュータ化)など貴重な見学ができた。人の身長ほどあるVAD法光ファイバ母材を見たとき、オートクレーブで作られた人工水晶を思い出した、透明なものSiO2は美しい。あらためて、素人質問に長時間ガイドいただいたご担当に感謝。

温故知新。知らずにいたら何も始まらない。

イ・ソンヒには、多分唯一の日本語曲がある。8cmのCDシングルに収められた「空がくれたもの」と「見せたいけしき」だ。(次のYoutubeの映像にあるように、カセット版もあったのかもしれない)

インターネット(gooORICON STYLEなど)から、次のような情報が得られる。
・「空がくれたもの」: ポニーキャニオン PCDA-00449 1993年05月21日発売
・歌手: イー・ソンヒ(表記に注目!)、作詞:夏目純、作曲:都志見隆、編曲:萩田光雄
・価格: 1049円(税込)
・放送: 「空がくれたもの」は、ABC「朝だ!生です 旅サラダ」の音楽に使用されたという話しもあるが、未確認。

(本ブログ関連:”見せたいけしき”)
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの日本公演”、”(資料)イ・ソンヒの過去の日本公演と日本語曲”)
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの思い出(政界進出、安全地帯の作曲)”)

以前、韓国のブログで、(音質の良い)「見せたいけしき」の歌を聴くことができた。最近、サイト登録者限定とか会員登録限定といった形でログイン要求をする傾向にあって、聴くことが難しくなった。そんなとき、Youtubeに「空がくれたもの」と「見せたいけしき」の2曲が登録されたのだ。何という幸運・・・もしかしたら、今の内かもしれない。永く見られることを切に願う。

Youtube映像を登録された方は、ご自身のfacebookにイ・ソンヒの昔の貴重な写真やテレビ出演の動画をふんだんに掲載している。新しい発見ができたこと感謝。

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2014年9月3日水曜日

聊斎志異の「狐の嫁入り-狐嫁女(こかじょ)」

SBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」(韓国、2010年8月11日~9月30日)で、イ・ソンヒはOST(劇中歌)「狐の嫁入り(여우비)」(歌詞)を担当した。現代風の若者と無垢ながら伝説の九尾狐が、ふとしたきっかけで恋に落ちる、ファンタジック・コメディのラブストーリーであるが、物語中、気象現象の「狐の嫁入り」を示す「お天気雨」を何度か見せてくれた。

(本ブログ関連:”僕のガールフレンドは九尾狐”、”狐の嫁入り”)

中国清の奇談集「聊斎志異」(蒲松齢作、立間祥介編訳、岩波文庫)に、「狐の嫁入り-狐嫁女(こかじょ)」がある。

(概要)
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殷(いん)天官が若いとき、肝試しにある廃屋に一晩泊まる。すると夜中、厳かに現れた集団が結婚式を催し、それに立ち会う結果となる。祝いの酒を振舞われ、その出来事のしるしとして、秘かに酒盃の金杯を懐に入れてしまう。

そのとき、主人公は美しい花嫁を目撃する。「佩玉(はいぎょく)がコツコツと鳴り、麝香(じゃこう)の馥郁(ふくいく)たる香りがただよってきた」、そっと窺ってみると「翡翠の鳳凰の髪飾り、水晶の耳輪がゆれて」いた。宴の終わり、金杯の数が足りないことがわかるが、その場はおさまり、事無きを得た。

その後、進士に及第した主人公は遠くの地に赴任する。その祝いに、金杯の酒を飲むことになるが、祝い主から次のような話を聞く。「(金杯)これはもともと八個一組のもので、・・・(今)七個しかございませんでした。・・・」。その杯こそ、主人公が肝試しで手にしたものとそっくりだったのだ。

主人公は、その話しを聞いた後、手元の金杯を祝い主に届けさせた。返礼に訪れた祝い主に、いきさつを話す中で、「狐が千里も離れたところの物を自在に取り寄せる能力を持っているものの、それをいつまでも手元に留めておくものでないことを、このときはじめて知ったのだった」と。
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この物語に、狐を直接想わせる姿で登場はない。また、金杯の数が、八または七で、九とも違い、九尾狐を連想することができない。ただ一ついえるのは、狐の化身、花嫁が非常に美しかったことだ。どうやら、異種として、狐の嫁に求める姿は、「まことに絶世の美人」ということになる。

(Youtubeに登録のPieKilledJasonに感謝)

(付記)
ここ数日の間、何処からともなく昆虫が私の部屋に入ってきた。カナブン3匹、アシナガバチ1匹である。一体どこを通り抜けてのことか、不思議だ。

2014年9月2日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 郷歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第70回として、主に新羅時代の歌「郷歌(きょうか、향가)」*(表記を「郷札(きょうさつ、향찰)」)、および「吏読(りとう、이두)」にまつわる話を紹介した。

(*)「古代朝鮮語解読のさわり」(趙義成 東京外国語大学大学院准教授): 「(現存20数種)数が圧倒的に少ないため、解読自体がままならないし、ここから判別される単語の数も微々たるものである。郷歌は全て漢字で表記されているが、表記法は漢字の音と訓を複雑に組み合わせている」・・・言葉の専門家が言語+漢文+歴史など総動員して・・・

始めに、「郷歌」の表記「郷札」と、「吏読」について、次のように紹介された。
・郷歌は、民族固有の歌という意味がある。新羅時代から始まり、高麗時代でも広く歌われた歌の原型といわれる。
・ハングルができる前、言葉を表現する方法として、中国の漢字と文章の形式をそのまま使ったり、漢字の音読み・訓読みを借用して表記した。このような表音式の表記法を「郷札」、または「吏読」と言う。「郷歌」は「郷札」で表記された。

▼ 郷歌「処容歌(처용가)」の歌を聴く。中国風の香りして洗練された歌い・・・今様である。

次に、「処容歌」に関わる、異人あるいは巫俗信仰とつながる処容(처용)の説話を次のように解説された。
・郷歌には、ストーリーが伝わり、当時の人々の暮らしを想像できる。郷歌「処容歌」は、東海龍王の息子、処容が作った。ある日、悪い病を移す悪霊が処容の妻を狙う。それを見た処容は怒る代わりに歌を歌いながら踊った。すると悪霊は処容の人柄に感動して、二度と現れないと誓った。その時から伝染病が流行りだすと、処容の顔を書いて門の前に貼り付ける風習ができた。処容の踊りは現在までも伝わっている。
・処容が新羅と取引をしていた中東地域の商人であったと推定する学者もいる。

▼ 「薯童謠(서동요)」を笙に似た笙簧(생황)と琴に似た伽耶琴(가야금)で聴く。繰り返す旋律に古きをしのぶ。

最後に、薯童謠のストーリーと、現存郷歌の少ない曲数への取り組みについて、次のように説明された。
・薯童謠は、百済の貧しい少年が新羅の姫に心を奪われて作った歌で、善化(선화)姫が薯童(서동)に恋に落ちる内容。薯童自身でなく村の子供たちに教え歌わせ、子供を通じて国中に広がった。この歌を聞いた王は善化姫を追い出す。そして、薯童は善化姫を迎え入れて結婚し、後日百済の王になったという話だ。
・民族の歌の原型ともいわれる郷歌だが、現在に至るまで伝わっている歌は多くない。新羅時代の歌が14曲、高麗時代の歌が11曲、計25曲。今は歌のリズムは消え、歌詞だけが残る。国文学者が主に研究を続けてきたが、最近は音楽をする者も郷歌に注目している。

▼ 「愛しい妹(보고픈 내 누이*)」の歌を聴く。綺麗な調べ、幼い心のまま、「赤とんぼ」のような捜し求める切なさがある。

(*)歌詞を探したら、僧侶が先に亡くした妹(여동생)について語ったという注釈があった。

金寶愛(キム・ボエ)さんの言葉、「歌や伝統は、私たちがいつでも取り出して使える、まるで宝石箱のような気がします。これからも、沢山の歌が作られ永らく伝わって欲しいものです」

2014年9月1日月曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

イ・ソンヒが音楽界へ本格デビューした初年、立て続けに出したアルバムの2集に収録した「秋の風(갈바람)」(1985年、作詞チョン・ウニ、作曲ナム・クギン)は、秋の風に託してしみじみと別れの哀切を聞かせる。この歌は、彼女が時を重ねるたび磨かれていくようだ。

(本ブログ関連:”秋の風”、”オギヨディオラ”)

「秋の風」の「갈바람」(「갈」は「秋(가을)」の略、「바람」は「風」)は、船員(漁師)言葉だ。「秋に吹く風(西風、서풍)」を意味する。

KBS WORLDラジオの「違いの分かる韓国語」に、漁業に関わる風を次のように紹介している。
・샛바람 = 동풍(東風)                  船乗りの語
・하늬바람 = 서풍(=西風)             農村·漁村で「西から吹く風」を指す語.
・마파람 = 남풍(南風)                  船乗りの言葉
・된바람 = ① 북풍(北風)              船乗りの語
          ② 激しく吹く風.

10年前、イ・ソンヒが20周年記念コンサートで歌った「秋の風」は、もしかしたら彼女が最も輝いていた時期かもしれない。もちろんその後、時を重ねて、ミュージシャンとして、アーティストとして完成したことはいうまでもない。当時の映像がYoutubeにある。一度削除されたものだけに、この登録がいつまでも見られるよう願う。

「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」
今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

*ああ、あなたは「カルパラム」、雲を作る「カルパラム」
ああ、あなたは「カルパラム」、私のこころ奪った「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のyongjoon parkに感謝)

(補足)
KBS WORLDラジオの「国楽の世界へ」で、「晩秋」の回に、朝鮮時代の申光洙(신광수、1712年~1775年)の「關山戎馬(관산융마)」の詩が次のように始まると紹介された。
・「秋の川は寂寞として魚さえ寒い(秋江寂寞魚龍冷)/人々は西風を受けながら仲宣楼(중선루)に登っている(人在西風仲宣樓)」・・・。

2014年8月31日日曜日

公園散歩

夏を惜しむような陽射しに誘われて、昼過ぎ、近場の公園へ出かけた。途中、コンビニで新聞を買う。公園で読むためだ。

テニスの練習帰りらしい中学生たちとすれ違う。彼らを見て思った。「若いってのはいいな、若いだけでおつりが出る」と。無邪気だし、スポーツを楽しんでいるようで、うらやましく懐かしい。
そういえば、公園にはテニスコートがいくつもある。実際、そのそばを通れば、テニスを楽しむ若者たちで賑わう歓声が聞こえてくる。

公園広場は、休日にもかかわらず、思ったほど人出がない。盆休みにエネルギーを使い果たしたのだろう。夏休み最後だというのに・・・でも、親には親の言い分がある。

おさなごが、親に抱かれて泣いている。転んだのか、それとも意志が通じなかったのか。悲しげに泣くのに問うてみたい。「それほどに、つらいのか」と。「そうだ」と応えるに決まっているけど。

さて、いつもながら後悔するのは、木立下のベンチで新聞読みだ。桜が咲いた後には小さな虫が落ちてくるし、夏の終わりにはヤブ蚊に襲われる。今日も半袖姿だったため、腕を4ヶ所も刺された。
代々木公園で蚊(ヒトスジシマカ)に刺されて、高校生が「デング熱」に感染したのを思い出し、あわててベンチを離れた。

帰路、図書館に寄った後、見上げると、重いねずみ色の雲が覆い始めていた。

2014年8月30日土曜日

「Hidden Singer3」イ・ソンヒ編、地上波3社を抜いて視聴率1位記録

イ・ソンヒは、7/23(土)にJTBCの「Hidden Singer3」に出演して、歌まね挑戦者と競った。正直、挑戦者のチャレンジ力というか歌唱力に戸惑った。

(本ブログ関連:”「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ編」第2回 視聴率8.4%”)

なるほど伯仲するような雰囲気はあったんだ・・・と触れた、dongA.comに掲載(8/29)のアジア経済の記事「イ・ソンヒ、まねて歌う最も難しい歌手1位…理由は?」は、その上で、当日の放送を「地上波3社を抜いて視聴率1位を記録する気炎を吐いた」と次のように報じている。

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「HIDDEN SINGER3」が、去る23日放送された「イ・ソンヒ編」の裏話(ビハインド ストーリー)を公開した。

イ・ソンヒは、先に、付いて歌うのが最も難しそうな歌手1位に選ばれたことがある。だが、(今回の)放映時、歌まね挑戦者(能力者)たちが驚くべき実力で、実際のイ・ソンヒと寸刻を争って(次々登場して)、パネラーと聴衆に混乱をもたらして大きな話題になった。

実際に狭い空間で、自分の順番を待って歌を歌うのが、歌手にはとても奇妙な状況にならざるをえない。だから、歴代歌手は緊張で拍子を逃すなどの失敗をしたり、歌を歌うとき自身の特徴をさらに浮わつかせたりした。

だが、イ・ソンヒは自分がはっきりするような状況は最大限排除して、忠実に歌に内包された音楽的な部分だけ表現したという。歌で対決を繰り広げて、もうちょっと美しい放送を作ろうと思った風だ。おかげで歌まね挑戦者の優れた実力と原曲に対する愛情がより一層引き立って見ることができた。

歌まね挑戦者を直接指導した「HIDDEN SINGER」の公式ボーカル・トレーナーのチョ・ホンギョンは、「イ・ソンヒさんの歌唱力とヒット曲などを見ると、真似て歌うには困難と考えるほど難しかった。だから歌まね挑戦者をトレーニングして、イ・ソンヒさんの『音楽性』を最大限似ているように表現するのに主眼を置いた。」と伝えた。

特に、3ラウンド「美しい江山」の場合、原曲でイ・ソンヒがあまりにも力があって、きっぱりして真っ直ぐに落ちる唱法で歌っただけ、挑戦者などが非常に難しがったという。このために、シャトルラン(往復持久走)など特別なレッスンをしたが、ついにイ・ソンヒが「息(호흡)」と呼ぶ後半を、挑戦者は「口(입)」と呼ばなければならなかった。

このラウンドで、イ・ソンヒを先んじたキム・ウォンジュも、イ・ソンヒに比べて足りない体格と声量で練習時不足が見られた。しかし、キム・ウォンジュは、自身の音楽的メンター(師、指導者)のイ・ソンヒに完ぺきな歌をリリースするという一念で、実戦で120%の技量を発揮した。

「HIDDEN SINGER3」は、イ・ソンヒに会うために「スーパースターK6」本戦進出をあきらめたキム・ウォンジュと、声帯結節ができるほど練習に没頭したキム・ハヨン、イ・ソンヒのヒット曲「美しい江山」で2005年「全国のど自慢」上半期・下半期大賞を受けたチョン・ミエなどそうそうたる歌まね挑戦者たちとイ・ソンヒの美しいハーモニーで、地上波3社を抜いて視聴率1位を記録する気炎を吐いた

(略)

報に接したインターネットユーザーは、「HIDDEN SINGER3イ・ソンヒ編、イ・ソンヒの(次)2編をしてくれたらいいな」、「HIDDEN SINGER3イ・ソンヒ編、イ・ソンヒ最高だった」、「HIDDEN SINGER3イ・ソンヒ編、おもしろい」などの反応を見せた。
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2014年8月29日金曜日

(資料)京郷新聞 1984年「江辺歌謡祭」でイ・ソンヒが大賞受賞した記事

イ・ソンヒが、1984年に「Jへ」で大賞受賞したMBC第5回「江辺歌謡祭」(7月29日)の結果について、「京郷新聞」(7月31日)が報じた記事「若い熱気むんむん『江辺歌謡祭』 - MBC 創作曲・進行手腕目立つ」(【聖】記者)を、NAVER提供の「デジタルニュースアーカイブ」で見ることができる。

7月29日(日)に開催された歌謡祭の結果は、月曜日が新聞休刊だったため、7月31日(火)に掲載されている。

記事の最後に、「李嬢は仏教界に従事する李鐘圭氏(50)の長女。」と記されている。イ・ソンヒが登場した最初から、父親と仏教との関係について知られていたことになる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと江辺歌謡祭新聞記事”、”NAVERデジタルニュースアーカイブ”)

当時の紙面について
① 使用の文字、記述
 ・ 括弧書きを” ”ではなく、「 」を使用(横書・縦書き同様)
 ・ 名前に漢字を使用(例:李文世=イ・ムンセ、이문세)
 ・ 敬称に「嬢」、「君」を使用
 ・ 句点をピリオドではなく、「。」を使用
② 歌謡界への健全化の意向を反映して、「健全さ」を強調

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先日29日、京畿道加平郡南怡島にて開かれた「84MBC江辺歌謡祭」決戦大会は、3,000余名の傍聴客が集まった中、決戦進出の10チームが出場、熱烈な競り合いを広げた。MBCは、若い大学生たちの好評に支えられて、第5回を迎えたこのたびの江辺歌謡祭の決戦実況をTVおよびラジオで生中継、夏夜の舞台をなお一層熱気でいっぱい満たした。

キャンパスのアマチュア歌手たちの登用門である「84MBC江辺歌謡祭」出品作は、大賞の栄誉を抱いた「Jへ」を始め、若者たちの切ない恋と友情を描いた曲が大部分で、エレキギターを動員した激しい曲よりは穏やかで情感ある曲が主流をなした。

文化放送がキャンパス内の隠れた人材を発掘のため設けたこのたびの行事は、参加曲がみな創作曲という点で、放送には意味あることとして受け取っている。

一方、このたびの行事は進行を引き受けた、李文世・吉恩貞2人の軟な話術が舞台ならびに放送席の雰囲気を健全に誘導し一層引き立つ舞台だった。李君は夏キャンプで広がりやすい低俗な揶揄怪声を笑(え)みで誘導する老練味を見せたし、先の4月、歌謡界にデビュー、初めての舞台進行を引き受けた吉嬢は、経験がない学生たちがまごつかないように安定感ある態度で司会に臨んだ

大賞の栄誉を抱いた混声デュエット「4幕5場」のメンバー、李仙姫嬢(18・仁川専門大環境管理科 1年)と林成均君(22・〃機械科 2年)は、思いがけない喜びに返って面食らった表情。

仁川専門大の音楽サークルである「4幕5場」メンバーの二人は、先春校内のギター発表会で息を合わせた後、ずっとデュエットで技量を磨いてきたと。「今、歌手としての基盤が固まったようです。趣味だけでした音楽を、今からは本格的に始める考えです」李嬢は、先輩の紹介で高校時代に歌手の張旭朝の作曲事務所(室)で、歌の練習をした隠れた経歴者。

「受賞曲もチャン・ウクチョ氏の事務所で会った先輩からもらいました」李嬢と林君は、参加曲を選定した後、約2ヶ月間、暇があるたびに息を合わせて来たと述べた。

「キャンパスソングは、大学のサークル活動の中でも人気がある課外活動ですよ」淡々とした表情の林君は、李嬢とは別に、将来の歌手活動は「考えて見るつもり」と、慎重な態度。

このたびの歌謡祭で、李嬢は高音の処理に巧みで(熟練している)、飾り気のない唱法で人気を集め、林君は豊かな低音で和音を合わせ拍手を受けた。李嬢は仏教界に従事する李鐘圭氏(50)の長女
林君は公務員である林炳業氏(52)の二男一女の末っ子である。
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