2年前の記事だが、さて今はどうだろう。いまだに指摘のままか、それとも変わっているのか、流行に不案内だが、そうなんだろうなという気がしないでもない。そして、K-POP特有でもあるまい。
LPやCDを聴きながら、歌詞カードを見たとき、歌と本当に相(あい)対しているという、あの高揚を忘れられない。
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以前の韓国歌謡には人生が込められていた。パティ・キム、チョー・ヨンピル、シム・スボンの歌まであえて遡らなくても、1990年代までも歌謡曲の歌詞にはひとつのストーリーがあった。チャジャンミョン(ジャージャー麺)を契機に母親に対する愛を歌ったG.O.Dの「お母さんへ(어머님께)」、人生の主人公は自身であることを叫ぶイム・サンア(임상아)の「ミュージカル(뮤지컬)」などなど。
最近の歌謡界ではこうした意味深い情緒は期待しにくい。意味もわからない擬声語がリフレーンだけでなく歌全般で繰り返される。ハングル歌詞の間に英語を無理に挟んで入れたり、卑俗語を使ったりもする。若い世代の感覚に訴える「Fad」(一時的な流行)へ回すにはその程度が激しいという指摘が出ている。
#特定単語の繰り返し (列挙)
歌謡評論家のソン・ギチョル氏は、「数行の歌詞のために一生心に残る歌がある。最近は曲だけ中心になり、歌詞は付属的なものになる傾向があって残念だ」と話した。
#英語の歌詞を挿入 (列挙)
#「フックソング」(短いリフレーンに繰り返しの歌詞で楽しさ与える音楽)も良いが… (列挙)
ある作曲家は、「以前は作詞をした後で曲を付ける傾向が多かったが、最近は状況が逆転して、曲を作った後に歌詞をつけることが多い。リズムとメロディに合わせたら歌詞がおかしくなるものだ」と分析した。最近インターネットの音楽チャートで歌謡曲1曲の寿命は平均1~2週にすぎないが、早期に歌を記憶させるために憶えやすいフックソング(短いリフレーンに繰り返しの歌詞で楽しさ与える音楽)で終わるということだ。
歌謡評論家イム・ジンモ氏も「大衆音楽とは誰が聞いてもうなずける普遍性がなければならない。K-POPが世界へ進出していくのに普遍性がない歌詞は障害物になるだろう」と指摘した。
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