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2025年4月29日火曜日

昭和の日(昭和100年)

きょうは、国民の祝日「昭和の日」で、昭和世代にとってわずかに残った証のような日である。テレビの芸能番組では、過去を懐かしむ最も古い時代として扱われる。そりゃそうだろう、今年は <昭和100年> にあたるのだから。

昭和世代にとって、最大のできごとといえば、戦前・戦後と語られる歴史的区分となった「WWⅡ(第2次世界大戦)」だろう。それに参戦した当時の日本政府は「大東亜戦争」と閣議決定した。一方、連合国側は「太平洋戦争」と呼んだ。

ブログに記したことだが、随分と以前、新入社員から「戦争に行ったのですか」とたずねられた経験がある・・・若者にとって、WWⅡについての話し振りから、私はすでに遠い過去の人間のように思われたのかもしれない。

演歌に「昭和最後の秋のこと」(阿久悠 作詞、浜圭介 作曲、1999年)がある。ともにハスキーボイスの森進一と桂銀淑が歌った。森進一は、意外にあっさりと唄い流している。桂銀淑には、今となっては昭和をどう思っていたのか知りたいところだ。
私は、この歌をカラオケの持ち歌にした。歌うほど万感胸に迫るものがあったが、戦争を経験した人たちに(この歌が)どう受け入れられたのか知らない。

(本ブログ関連:”昭和最後の秋のこと”)

■ Youtube(登録: cbrbn)
「昭和最後の秋のこと  森進一 mori sinichi」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=9yV_Mbmn8IY

2024年4月29日月曜日

昭和の日 2024

昭和の時代は、大正15年(1926年)12月25日に始まり、昭和64年(1989年)1月7日*に終わった。この時代で大きな節目となったのは、第2次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)だろう。それを基準に、昭和の時代の様々なできごとには「戦前」、「戦後」の区分が付された。
(*)官報: 昭和64年(1989年)1月7日付 号外特第3号
ー https://www.npb.go.jp/product_service/books/kanpo/unique2.images/image2-1_large_2.png

わたしは戦後の世代である。戦前に対して大いに意識が隔絶している。子ども心に敗戦の余波を感じたものだ。私たち世代は、敵国だった軍人が街中を闊歩している時代から始まった。
地方都市に住んでいたころ、地域の繁華街を布製の帽子(ギャリソン・キャップ)をかぶった米軍兵士たちとすれ違ったこと。ハレの気分で親について行った老舗百貨店の高いフロアから見おろした隣接の敷地に、米軍の軍用車がぎっしり並んでいるのを見たこと。小学校の校庭から、空高く双胴のプロペラ機 C-119 輸送機が浮かんでいるのが見えたこと。

親の転勤で東京に来て、昭和の繁栄を享受した。戦後の高度成長を実際に担ったのは、戦争経験者たちだった。彼らはがむしゃらに働いた。工業地帯の排煙を「七色の煙」といったり、公害を引き起こしたりした。今ではすっかり忘れられたかもしれないが、海外の僻地へ恐れず出向き商売に邁進した。彼らは、敗戦直後の貧窮から国民を救ってくれた。

昭和は、平成、令和の時代を経て、遠の歴史の中にある。

私のカラオケの持ち歌だった歌謡曲に「昭和最後の秋のこと」(阿久悠作詞、浜圭介作曲、1999年7月1日)がある。最近とんとカラオケ通いもなくて、Youtubeで久しぶりに聴くだけだ。
ちなみに昭和の最後は、天皇が崩御された昭和64年(1989年)1月7日の冬の日だった。

作詞家の阿久悠が、がん告知を受けた後のインタビューで、こんなことを口にしている。
「阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲史」(篠田正浩 他 責任編集、柏書房、2007年)
ー 「ガンの告知を受けて、まず最悪のことから考えた」(阿川佐和子との対談、週刊文春、2004.6.3号)より抜粋
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阿川  今回出された『生きっぱなしの記』は、日経新聞の「私の履歴書」の連載をまとめられたものですね。”生きっぱなし” というテーマは最初から?

阿久  いや、これは時の語り部というかたちで書こうかなと思っていたんです。僕は歌謡曲なり作詞に対して、その歌からどのくらい時代を想起できるかを一つのテーマにしているものですから、それは大げさに言えば、時の語り部と言えるかもしれないと。それがまとまってみたら、誰に対してなのか遺言のようになってしまいました。
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上記インタビュー内で語られたのによれば、がん告知を受けたのは、2001年7月だったそうだ。なので、「昭和最後の秋のこと」は1999年7月にリリースされているので、それ(告知)以前の作品だったことになる。


(資料)元号
・明治元年(慶応04年) 1868年~
・大正元年(明治45年) 1912年~
・昭和元年(大正15年) 1926年~
・平成元年(昭和64年) 1989年~
・令和元年(平成31年) 2019年~

2022年12月30日金曜日

(資料)エノケンの「最後の伝令」に雪が降る

喜劇王エノケン(榎本健一、1904年~1970年)が出演した軽演劇「最後の伝令」について知りたくネット上を探した。

子どものころ、父親からエノケンといえば「最後の伝令」だと聞かされたことがある。その後、夜遅くにテレビ(もしかしたら4チャンネルの日本テレビだったか)で、偶然にも「最後の伝令」の芝居(スタジオ撮影版だったか?)と巡りあった。

芝居は米国の南北戦争下、若い男女の悲恋物語のはずが、役者や裏方の手違いが連続して舞台がハチャメチャになってしまう。まさに抱腹絶倒、腹がよじれて笑いが止まらなかったよう記憶している。「メリーさん、メリーさん」のセリフも、父から聞いた通り発せられたし、紙製の雪が降ったし・・・。

最近になって、ネットのYoutubeや「国立映画アーカイブ」サイトで、「最後の伝令」の動画情報がないか検索したがたどり着けなかった。そこで<映画>や<芝居>についての文字情報を検索したところ、次のような記事を見つけることができた。


<映画についての文字情報>

① 映画評があるブログ「幻想館」*
映画「極楽大一座 アチャラカ誕生」のストーリー紹介・・・より抜粋
・「最後の伝令」を劇中劇にした映画(1956年、東宝、白坂依志夫脚本、小田基義 監督)
・ストーリーを、詳細に記述している。雪降りの場面もしっかり描写されている。感謝。
(*)「幻想館」: http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou59/gokurakudaiichizaatyarakatanjou.html
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・軍隊内で芝居を演じた戦友が、戦後も旅回り一座で役者を続けている。
・一座で脚本化志望の若者と、町の娘との恋物語り。
・演目にリアリズムが必須といわれ、米国の南北戦争を素材にする(・・・とは?)
・劇中劇「最後の伝令」は、エノケンの口上で始まる。
・雪の舞う舞台・・・舞台・裏舞台でドタバタが始まる。
・普段おんな方を演じる役者が、軍人姿となって「メリーさん、メリーさん、大変だ!」という所作の怪しさ。
・ラストに雪がどさっと落ちてくるなど・・・まだまだある。
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② 神保町シアターのフィルム情報
映画「極楽大一座  アチャラカ誕生」(S31('56)/東宝/白黒/スタンダード/53分)・・・より抜粋
https://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/kigeki.html
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・ 映画制作・俳優陣の情報(略)
・エノケンの「メリーさん、メリーさん」で知られる、伝説のアチャラカ劇「最後の伝令」(菊谷栄 作、1902年~1937年)が観られるのはこの映画だけ! 
・柳家金語楼、古川ロッパ、トニー谷、三木のり平ら、日本の喜劇人たちが勢揃い。
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③ MOVIEWALKER PRESS
映画「極楽大一座 アチャラカ誕生」(1956年6月1日公開、53分、コメディ)・・・より抜粋
https://moviewalker.jp/mv24688/
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・昭和七年(1932年)、浅草玉木座**で公演して好評を博し、昨年秋に日劇、同年暮にも東京宝塚劇場で上演された同名喜劇の映画化である。
・芝居、南北戦争余話大悲劇(「最後の伝令」)の幕は切って落されたが、稽古不十分で舞台上のケンカが持ち上り、場内は爆笑の連続となった。だが観客の爆笑に気をよくした荒金興行主と古沢閣下は大喜び。かくて中久保と真知子の恋人同士も目出度く結ばれることになった。
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(**)昭和五年(1930年)浅草の玉木座・・・という記述もある。


<論文・レポート>

① 「演劇研究 : 演劇博物館紀要」(中野正昭、43, 99-122、2020年)
「エノケン喜劇『最後の伝令』(1931)とフランク・キャプラ映画『陽気な踊り子』(1928) -喜劇にみるアメリカ映画のアダプテーション(脚色)-」
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=58090&file_id=162&file_no=1
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・「最後の伝令」の原案が、映画「陽気な踊り子(The Matinee Idol)」の劇中劇「アーロンに帰れ(Come Back to Aaron)」であることの分析。
ー (本来、旅芸人のヒロインとブロードウェイの一流コメディアンのメロドラマであるはずの)映画の劇中劇で演じられる、旅芸人一座の演目「アーロンに帰れ」のドタバタといい、映画全体を通じての男女のおさまり具合といい、「最後の伝令」はうまく吸収している。
・後半を「最後の伝令」と「アーロンに帰れ」の展開ごと、詳細に比較している。
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(参考)
映画「The Matinee Idol(陽気な踊り子)」(1928年)
■ Youtube (登録:Steve Miller Talks)
「THE MATINEE IDOL (1928) - Starring Bessie Love and Johnnie Walker」(降雪場面  46:10)
https://www.youtube.com/watch?v=mKz3MVre99o

② ニッポンヲシロウ
「時代と戦い、激動を生きた、ニッポンの喜劇人たち」
https://www.tv-asahi.co.jp/ss/137/japan/top.html


<新たな劇団の演劇ガイド-文字情報>

① 劇団回帰線
「最後の伝令」(2013.10.24-27、シアターZOO)、舞台化の演出・西脇秀之
http://kaikisen.info/saigono/denrei.html
・「最後の伝令」単独の劇なのか未確認
・芝居の解説より・・・抜粋。
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・「最後の伝令」(原案・榎本健一、脚色・菊谷栄)
・舞台は、アメリカ南北戦争。若い兵士とその帰りを待つ恋人の物語。しかし女のもとには悲しい知らせが届く。「メリーさん、メリーさん、大変だ…」嗚呼!悲涙血涙の大悲劇……のはずが、セリフはとちる、出もとちる。
・座員たちはその場しのぎの連続で、舞台の上も裏もひっちゃかめっちゃ! 徹頭徹尾のデタラメ、貫徹するドタバタに笑った口がふさがらない!
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② その他
・「最後の伝令」の作家菊谷栄に焦点をあてたものがある。

2015年9月23日水曜日

秋分の日 2015

祝日「秋分の日」の今日、のんびり外出したい予定があったが、体調が思わしくなく家におとなしくした。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

実は、阿久悠記念館に行ってみたかったのだ。森進一と桂銀淑が歌った、「昭和最後の秋のこと」(1997年、作詞阿久悠、作曲浜圭介)の秋を、それも昭和の秋を思い浮かべ、訪れてみたいと思っていた。

わたしたちより、もう一世代上の昭和のイメージかもしれないが、心の襞にしみ込む歌だ。繰り返される詞、「昭和最後の秋のこと」から、遠ざかった昭和をしみじみ思い返す。心にとどめる最後の秋は、「雨にうたれる彼岸花」であり、「時に晴れ間が広がって」、「山の紅葉に照りはえて」と色彩的である。四季の秋は、次の秋の循環を予兆させる。

ことばを大切にした作詞家の詞には、時代のドラマ性があった。今聞く意義を知らせた。見て聞くだけでない、歌えば自身にイメージが再生され、記憶を巻き戻すことができたのだ。

この機会に、過ぎ去った昭和の秋と出あってみたかったのだが。

2009年10月9日金曜日

カラオケ

中学時代の仲間と八重洲のカラオケ(B・E)に行く。週末のため、利用は3時間だけで延長は断られた。なるほど帰り際の1階受付ロビーは、順番待ちのサラリーマンやウーマンたちで大混雑していた。
さて、わたしのカラオケは、次の通りおじさんのための歌である。
・イ・ソンヒ:「J에게」、「나항상 그대를」、(カラオケリストに「사랑아...」がない?)
・パティ・キム:「이별」
・チョー・ヨンピル:「돌아와요 부산항에」
・チェ・ジンヒ:「사랑의 미로」
・ハン・ミョンスク:「노란 샤쓰의 사나이」
・ラナエロスポ:「사랑해」
・ケイ・ウンスク:「私には貴方だけ(나에겐 당신밖에)」、および「昭和最後の秋のこと」
等等。