昭和の時代は、大正15年(1926年)12月25日に始まり、昭和64年(1989年)1月7日*に終わった。この時代で大きな節目となったのは、第2次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)だろう。それを基準に、昭和の時代の様々なできごとには「戦前」、「戦後」の区分が付された。
(*)官報: 昭和64年(1989年)1月7日付 号外特第3号
ー https://www.npb.go.jp/product_service/books/kanpo/unique2.images/image2-1_large_2.png
わたしは戦後の世代である。戦前に対して大いに意識が隔絶している。子ども心に敗戦の余波を感じたものだ。私たち世代は、敵国だった軍人が街中を闊歩している時代から始まった。
地方都市に住んでいたころ、地域の繁華街を布製の帽子(ギャリソン・キャップ)をかぶった米軍兵士たちとすれ違ったこと。ハレの気分で親について行った老舗百貨店の高いフロアから見おろした隣接の敷地に、米軍の軍用車がぎっしり並んでいるのを見たこと。小学校の校庭から、空高く双胴のプロペラ機 C-119 輸送機が浮かんでいるのが見えたこと。
親の転勤で東京に来て、昭和の繁栄を享受した。戦後の高度成長を実際に担ったのは、戦争経験者たちだった。彼らはがむしゃらに働いた。工業地帯の排煙を「七色の煙」といったり、公害を引き起こしたりした。今ではすっかり忘れられたかもしれないが、海外の僻地へ恐れず出向き商売に邁進した。彼らは、敗戦直後の貧窮から国民を救ってくれた。
昭和は、平成、令和の時代を経て、遠の歴史の中にある。
ちなみに昭和の最後は、天皇が崩御された昭和64年(1989年)1月7日の冬の日だった。
作詞家の阿久悠が、がん告知を受けた後のインタビューで、こんなことを口にしている。
「阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲史」(篠田正浩 他 責任編集、柏書房、2007年)
ー 「ガンの告知を受けて、まず最悪のことから考えた」(阿川佐和子との対談、週刊文春、2004.6.3号)より抜粋
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阿川 今回出された『生きっぱなしの記』は、日経新聞の「私の履歴書」の連載をまとめられたものですね。”生きっぱなし” というテーマは最初から?
阿久 いや、これは時の語り部というかたちで書こうかなと思っていたんです。僕は歌謡曲なり作詞に対して、その歌からどのくらい時代を想起できるかを一つのテーマにしているものですから、それは大げさに言えば、時の語り部と言えるかもしれないと。それがまとまってみたら、誰に対してなのか遺言のようになってしまいました。
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上記インタビュー内で語られたのによれば、がん告知を受けたのは、2001年7月だったそうだ。なので、「昭和最後の秋のこと」は1999年7月にリリースされているので、それ(告知)以前の作品だったことになる。
(資料)元号
・明治元年(慶応04年) 1868年~
・大正元年(明治45年) 1912年~
・昭和元年(大正15年) 1926年~
・平成元年(昭和64年) 1989年~
・令和元年(平成31年) 2019年~