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2015年9月2日水曜日

東京オリンピック・パラリンピック

東京オリンピックの話題で何かとせわしいけれど、五年先のこと、さほど心配していない。それより、どうやって見ようか、ちゃんと見られるだろうか、チケットはどうすればいいのだろうと、考えればきりがない。

どんな競技に関心あるかと問われれば、体操(個人)かな・・・。

1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、10月10日(⇒「体育の日」)~10月24日の間開催された。一方、2050年の東京オリンピック・パラリンピックは、7月24日(金)~8月9日(日)で、前回より2ヶ月半ほど早い。温暖化による暑さが増しているので、熱暑対策が必要だろう。

天気に左右されない室内競技がようさそうだ・・・。

1964年の馬事公苑、霧雨けぶるなか行なわれた、乗馬競技を観戦した。といって、クラスに配布されたチケットを持って出かけたわけで、どんな競技なのかもよく分からなかった。遠くで行なわれる正装した人馬一体の競技をただただ見ていた。

それにしても、2050年のオリンピックを見る楽しみって一体なんだろう・・・。(チケットは子どもたちに譲りなさい)

2015年9月1日火曜日

二百十日 2015

今日は雑節の「二百十日」。この言葉、今よりも子ども時代の方が馴染んだ記憶がある。昔、台風襲来のたび、木造家屋は強くなかったのだろう、親父が木の雨戸に釘を打ち付けて固定していた思い出がある。

いまどきの戸建ては、とっくに縁側がなくなって久しいけれど、庭に面して雨戸を使う、大きな背丈サイズのガラス戸を並べるものが少ない。耐震構造のためか、エアコンなどの普及もあってか、できるだけ戸口を小さくする傾向にあるように見える。一見、洋風だが、湿度の高いモンスーン地帯の伝統的な家屋とは、かけ離れた気がする。

私の記憶にある、最大の台風被害は、「伊勢湾台風」(1959年、昭和34年)だ。子どもの頃、転校してきた級友から被災の経験をそれとなく聞いた。けれど、それ以上深入りすることがはばかれた。テレビや新聞記事から知っていたからだ。子どもながらに、興味本位に聞く話ではなかった。

今夕、帰り道に本屋へ寄って外に出ると、路面に小さな点がついていた。始めは微かに雨粒を感じた。次第に、雨脚が強くなった。帰宅してまもなく、屋根を叩く本降りとなった。どうも天候に恵まれない日のようだ。

1923年(大正12年)の今日、関東大震災が起きた。「防災の日」である。

2015年8月31日月曜日

導かれるように石とめぐり合うこと

今日で、多分、子どもたちの夏休みは終わりだろう。長くて、短かった思い出いっぱいの夏だったに違いない。明日から新学期、久し振りに友だちに会う楽しさもある。へいちゃらに時間がやってくる彼らがうらやましい。

私には、暑くてどうしょうもない夏だった・・・おまけに、今年の2/3が終わってしまったのだ。何もしないまま、何もできずに、今年も記憶より早く夏が通り過ぎた。こちらはあっけない。

導かれるように時を過ごしたい。更にいえば、導かれるように石と巡り会いたいものだ。少しも上達しない石集めは、幸運の導きを願うだけ。時間は待ってくれないのだから。

そういえば、江戸時代の終わり近く、琵琶湖畔に居をかまえた木内石亭も、しっかり全国に石を探した。彼ほどになれば各地の石好き(弄石家)から産地情報も得たろう。そんな彼でも、「近江の田上山で道に迷って、思はぬ谷底へはひり込んで、そこで図らずも大きな水晶を拾ったことなどを記して、『これらは石が自分を導いてくれたのであらう』などとしてゐます」と、森銑三は「石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭」で語っている。(「日本の名随筆88 『石』」より・・・「おらんだ正月」所収)

この話し、石集めに長じた人だからこそ導かれるように石にめぐり合うことができたのだろう。そうでなくても、例えば団体で採集に出かけたとき、採集場所に至る山道でとんでもない石を拾ったりする人がいる。実にうらやましい限りだ。私は、一度も導かれたことはないけれど、分けてもらうのはしょっちゅうだ。

2015年8月30日日曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

秋の風は、言葉の災いを気付かせる警告であり、親しい仲に隙間風が吹く前兆である。どちらにしろ、秋風はひんやりして沁みる。もう夏には戻れない。

秋風に舞い散る落ち葉を見ると、とたんに詩人になって憂いに浸ったりする。取り返しのつかない事態に気付いたふうでもない。風のせいにするには、あまりに軽すぎる。こんなこと繰り返して過ぎるのだろう。

ところで、イ・ソンヒの2集収録の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、思い出を運ぶ西風だ。彼女の歌は、秋にとまどう心に吹く、凡庸の心に一種の清涼剤である。(今月始めに記したというに、デビュー当時の初々しい声をまた聴きたくなった)

(本ブログ関連:”秋の風”)

 「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」

今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年8月29日土曜日

花火

遠くで花火の音がする。随分乾いた響きだ。十数分間のこと、大きな祭りではないのかもしれない。それでも、あのドンと突き抜けるような振動に、しばらく耳をそばだてる。

(本ブログ関連:”花火”)

子どもの頃の花火の思い出は、父が働いた会社の工場敷地で行なわれた夏の行事だ。夜の薄暗がりの中、ずっと低いところから見上げた空に、四方に広がり走る光の粒と、地響きのような揺すぶる音。遠くから眺めたはずなのに、記憶の花火は、私の周りを光で覆った。

やがて、花火が天空に炸裂して光の粒が散り、消滅するさまを鑑賞できるようになる。興奮とその余韻、静かに終わりゆく夏に、秋の涼しさが呼びさまされるような気配すらする。

海外での「日本デイ」のイベントに、花火を打ち上げる光景をYoutubeで見ることがある。ヨーロッパでのこと、観客の歓声から、どんな花火のスタイルに関心があるか分かる。空間、余白を残すことの少ない彼らの感覚からだろうか、光が点で消滅するよりも、筋を残しつつ消える方が好まれるようだ。自然体験や幼い頃の思い出など重なって表象されるだろう美意識の違いかと思ったりする。

2015年8月28日金曜日

「玉石の事」

先日、教育社版の「耳袋」(根岸鎮衛著、長谷川政春訳)に掲載の木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」について記したが、岩波文庫版「耳嚢」(長谷川強 校注)に「玉石の事」として類話が載っている。

(本ブログ関連:”石の中に潜んでいる竜”、”石”)

愛石家の木内石亭は、石に対して在るままに振舞ったが、今回の話しの主人公(商人)はせっかくの奇石を欲に走らせて台無しにする。ある意味、教訓的な展開であるが、唐人は、それにしてもどうしてその価値が分かったのだろう。彼らの石に対する偏愛は大したものだ。

石の中に、竜がいたり、魚がいたりする空想は、世界が入れ子になったような感覚がしてたまらない。この話で、もし唐人の指示通り石が磨かれたならば、その結果、玉を愛するのだろうか、それとも玉中の水に泳ぐ魚を愛するのだろうか。空想は膨らむ。

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いつの頃にやありけん、長崎の町家の石ずへ(礎)になしたる石あり。不断水気潤ひだしを唐人見て、「右石を貰ひたき」よし申しければ、「子細ある石ならん」と其主人是をおしみ、右石ずへを取替て取入れて見しに、とこしなへにうるをひ水の出るにぞ、「是は果たして石中に玉こそ有りなん」と色々評議して、ふちより連々に(引続いて)研とりけるに、誤って打割ぬ。其石中より水流れ出て小魚出たるが、忽ちに死しければ取捨て済しぬ。其事、跡にて彼唐人聞て涙を流して是をおしみける故委敷(くわしく)尋ければ、「右は玉中に蟄せし(隠れひそむ)ものありて、右玉の損ぜざるやうに静に磨あげぬれば千金の器物也。おしむべしおしむべし」といひしとや。世に蟄竜などいへる類ひもかかるものなるべしと、彼地へ至りしもの語りぬ。
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2015年8月27日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 七夕

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「七夕(칠석)」にかかわる3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”七夕”)

始めに、年に一度だけ彦星(牽牛)と織姫(織女)が出会う「七夕」について次のように紹介された。
・昔、玉皇上帝の治める国に、牛飼の彦星と機織りの織姫がいた。恋に落ちて仕事を疎かにした二人に怒った玉皇上帝は、二人を天の川の両端に送り、年に一度だけ会えるようにした。いざその日も、二人は天の川にさえぎられて会えない。これを知ったカササギは、二人が会えるよう翼を連ねて架け橋(烏鵲橋)を作った。それを織姫が渡って彦星に出会う日を「七夕」という。明日(8/20)は旧暦7月7日、「七夕」だ。

▼ 演奏曲「牽牛と織女(견우직녀)」を聴く。国楽をカテゴリーにした東洋風バンド。今様である。

・七夕に雨が多い。七夕の前日や当日の雨は、彦星と織姫の喜びの涙、また当日の夜や翌日の雨は、悲しみの涙という。彦星は「わし座」のアルタイル、織姫星は「こと座」のベガにあたる。この二つは天の川を挟み東西に位置し、七夕の頃、空の中央に並ぶ。架け橋を作ったカササギは、七夕が過ぎると頭の毛が抜ける。二人が橋を踏んで渡ったから、橋を作るため石を頭で運んだからなど説がある。実際はこの頃、古い羽から新しい羽に換羽する。伝説は人々が自然を理解する方法でもあった。

次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」から李夢龍(이몽룡)と春香(춘향)の出会いについて次のように紹介された。
・地方官の息子、李夢龍は、ある春の日、楼閣「広寒桜(광한루)」で南原地域の景色を鑑賞した。晴れた日に外出して、美しい乙女に巡り合えるのではと期待した。

▼ パンソリ「春香歌」から「赤城歌(적성가)」を聴く。彦星と織姫に例えて、高いトーンが地声のように歌う。

・<広寒桜も良いが、彦星と織姫の烏鵲橋の方が好きだ>から始まる。<自分は彦星になるが、織姫は誰だろう。ここでその相手と巡り合いたい>という。後に李夢龍と春香が、彦星と織姫に劣らぬ恋に落ちるのを予告する場面である。

最後に、七夕の節句に、星に向かって願い事することについて次のように紹介された。
・七夕は星に関連した節句で、この日に星に向かって願い事をした。北斗七星に向かっては家族の長寿を願った。また、子供たちは学問を、乙女は縫い物が上手になれるように祈った。

▼ 二弦の擦弦楽器の奚琴(해금:ヘグム)の演奏で、「七夕」を聴く。「たなばたさま」(1941年、作詞権藤はなよ、作曲下総皖一)・・・子ども時代を懐かしむ。

2015年8月26日水曜日

イ・ソンヒが歌う「幸せの国へ」

フォークロック歌手ハン・デス(한대수*、韓大洙, 1948年3月12日~)が作詞作曲して歌った「幸せの国へ(행복의 나라로)」(1974年)を、解放70周年を祝う「国民大合唱」(8/15)の舞台で、イ・ソンヒが大学連合合唱団とともに歌った。

(*)ハン・デスの生い立ち(Wikipediaより)
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核物理学者である父ハン・チャンソクとピアニストである母パク・チョンジャの間に生まれた。慶尚南道釜山で生まれ育ったハン・デスは、7才の頃アメリカに留学中だった父が失踪して、後に続いて母が再婚するため、神学者である祖父と住んだ。彼の祖父ハン・ヨンギョ博士はアンダーウッド博士とともに延世大学校を設立して初代学長と大学院長を勤めた。1955年釜山ナム・イル初等学校に入学したが、3年後の1958年にアメリカに移民し、ニューヨークのハーレムにあるP.S 125初等学校を卒業した。1961年、韓国に戻って慶南中学校に入学した。1964年に入学した慶南高等学校を通う間、父を発見したという報せに接して、1965年再びアメリカに渡り、ロングアイランドのA.G Berner高等学校に転校するなど、紆余曲折の末高等学校を終えた。1966年ニューハンプシャー大学獣医学科に入学したがすぐに退学して、適性に合ったニューヨークの写真学校に入学した。・・・
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名門に生まれながら、無力な子ども時代のハン・デスにとって、守るべきものが不在という直面するには余りに大きな人生の波だった。その経験から、本当の幸せを、愛に恵まれる渇望を、軽快なフォーク調ながら青春の葛藤に歌いこんだのではないかと推し量る。四季、人生、風、流れる先に幸せの国を見つけよう・・・。未来への応援歌である。

(Youtubeに登録の강기남に感謝)


(追記) 「3放世代」

若い韓国世代の問題に「3放世代」がある。「就職で非正規職雇用に苦しむ青年を、『88万ウォン世代』と呼び、更に恋愛・結婚・出産を放棄する『3放世代』とも呼んだ。マイホームと人間関係まで放棄した『5放世代』、夢と希望も放棄する『7放世代』が登場した」と、国民日報の記事(8/28)は語っている。ひとごとではない・・・。

2015年8月25日火曜日

「こうのとり」5号の把持・結合完了

宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の5号機「こうのとり5」は、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームにより、昨晩(8/24)19時29分に把持され、本日02時28分に、電力・通信ラインの結合をもって「結合完了」された。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

「こうのとり」は円筒形した少々地味な姿であるが、ISSで油井亀美也宇宙飛行士がロボットアームを操作してキャッチし、NASA管制センターから交信担当者の若田光一氏が支援する様子を見た子どもたちに、宇宙がよりリアルにそしてより身近に感じられたのではないだろうか。子どもたちは未来に生きるのだから、大きな夢を与え託すことは大人の責務だ。

朝日新聞の記事「日本チーム、こうのとりドッキング成功『感慨深い』」(8/25)は、今回のミッションに日本チームが関わっていることについて次のように報じている。(抜粋)
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・こうのとりは19日、鹿児島県の種子島宇宙センターからH2Bロケットで打ち上げられた。24日午後7時29分、ISSに滞在中の油井亀美也宇宙飛行士が操作するロボットアームでキャッチされ、ドッキングに向けて金具による固定や電源の接続などの作業を進めていた。

・キャッチは米ヒューストンの米航空宇宙局(NASA)の管制センターから若田光一さんが支援。筑波宇宙センターからこうのとりの管制にあたったJAXAの松浦真弓リードフライトディレクターは「日本チームで成功できたのは感慨深い。日本人同士通じるものがあり、やりやすかった」と語った。
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8/24 : ISSのロボットアーム(SSRMS)による宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機の把持ライブ中継 =録画
- 映像の時間35分40秒頃から 油井氏、若田両氏の日本語談話が聞こえる。
(Youtubeに登録のJaxa映像)

2015年8月24日月曜日

イ・ソンヒの「少女の祈り」

イ・ソンヒの美しく透き通る結晶のような声は、どこまでも澄んで響く。彼女の初めてのアルバムに収録した「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、当時、彼女が少女たちに支持され、受け入れられ、そして共振された理由がうかがえる。いわば意図的なテーマであり旋律でもあるだろうけれど、今も彼女のカラオケ曲の上位にリストされる美しい曲だ。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)

イ・ソンヒは手記に、この第1集アルバムの反響について次のように記している。
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・1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。

・<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは、「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
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風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして   空しく歩く うつろな心は

*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ

引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら

(*以下繰り返し)

この夜が明けたら


(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

2015年8月23日日曜日

処暑 2015

夏も終わりに近づいた。最高気温は次第に30℃近辺をかすめる。それに気付くと何だかさびしくなるものだ。

(本ブログ関連:”夏の終わり”)

きょうは、二十四節気の「処暑」。暑さまじり聞こえるセミの鳴き声に、鬱陶しさしかなかったものの、今ではゆく夏を必死に生きようとするあわれさを感じる。百日紅の花は今が盛りである。

(本ブログ関連:”処暑”、”百日紅”)

日の入りが早くなっているのに気付く。今年の東京(天文台①、②)の「日の入り」は、6月24日~7月4日まで一番遅く、19:01だった。それが昨日は、18:22まで約40分も早まっているのだ。

気温がさがり、日照時間が減る。そしてツクツクホウシの鳴き声が聞こえてくる。子どもたちには、夏休みの宿題を終えて残り休みを全うする子もいるだろうし、必死で宿題に取り組んで残りの日数を勘定している子もいるだろう。

赤い夕陽がさし込んだ畳の上に、遊び疲れて横になりまどろんだ頃が懐かしい。庭木にツクツクボーシ、ツクツクボーシと鳴く声、台所からコトコトとまな板の上で刻む音が聞こえてくる。それら全てが溶け合った、そんな思い出がおじさんにもあるものだ。

2015年8月22日土曜日

砂金採り・リベンジ?

台風接近すれど小笠原近海まで、前線は停滞すれど日本海・東北一帯に雨曇りという天気予報で、東京の朝は明るい。今日の砂金採集は、ちょっとした幸運に恵まれたようだ。

(本ブログ関連:”砂金”)

早朝のJR駅で、採集仲間と待ち合わせした。ところが、思わぬ事態に陥る。当方の連絡ミスで全員集合できず、次回にお預けという残念至極の結果となってしまったのだ。別働の仲間にも連絡を手間取り慌てふためく。せっかくの晴れ空だったというに。

駅で散会したものの、そのまま帰宅してしまうわけにはいかなかった。気持ちが治まらない。で、砂金採集を決行。私鉄に乗り換えて多摩川へ単独出かけたのだ。

西武多摩川線是政駅から是政橋を渡り、稲城側岸辺におりる。武蔵野線鉄橋手前にある、川に突き出た草の茂る場所で・・・炎天直下パンニングした。主に、草の根に集中して狙ったが、残念ながら柴金と巡り会うことはできなかった。

柴草の泥をパンニングすると、流に水煙して小魚が寄ってくる。そのあと、雲母のニセ金がパンニング皿で空しく点滅した。

じりじりと日照りに押されて、パンニングが荒くなる。にわか砂金採りの悲しいところ、腰も痛いし喉も渇く。おまけに長靴の具合が悪く水漏れする。撤退の理由を考え始めた・・・のだ。

電車のクーラーにやっと一息つく。今日の大失敗のリベンジにもならず帰路につく。

2015年8月21日金曜日

百日紅

今年、少し早めに百日紅(さるすべり)の花に気付いた。満開は、例年の通り今頃である。小さな花が群れ集まって、自然に溶け込むように咲く。どこか東洋風である。香り漂わせるわけでもなく、まるで古い装飾に似合いそうだ。

(本ブログ関連:”百日紅”)

高浜虚子の「百日紅」の掌文に、百日紅に一向に気がつかなかったといい、葉の存在も全然眼に入らなかつたというのもうなづける。地味なのだ。香の匂いしそうな古風さもあるのだが。桜のように青い空に薄桃色の花びらを浮かべるわけでなく、梅のように寒さに逆らうようにして咲く意志を感じることもない。百日紅は、夏の陽射しに朦朧としながらすれ違うとき気付く、塀越しの花木かもしれない。

実際、百日紅を庭木にして、始めてその姿を知った虚子のようにはいかない。子ども時代に、猿も滑り落ちるという名の由来を持った木肌にしか関心がなかった。小花を集めて身にまとった、この木が百日紅だと気付くのはずっと後のことだ。

雨まじりの急ぎ道、いつも見る百日紅が視界にない。なあに、天気になれば気付くだろうよと、百日紅は鷹揚だ。お前は俺のように、毎年花を咲かせ続けることができるのかい・・・ってね。

2015年8月20日木曜日

「こうのとり」5号(続)

昨晩(19日)打ち上げた、「こうのとり」の経過について、sorae.jpの記事「『こうのとり』5号機、初期高度調整軌道制御を完了 順調に飛行中」(8/20)は次のように報じている。(抜粋)

無人飛行のためだろう、国際宇宙ステーションに着いてから宇宙飛行士の入室まで結構時間がかかるものだ。昨日の毎日新聞記事のように、「滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する」ことになるそうだ。
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・宇宙航空研究開発機構(JAXA)は8月21日朝、「こうのとり」5号機にとって最初の軌道修正(初期高度調整軌道制御)が完了したと発表した。24日の国際宇宙ステーション(ISS)到着に向けて、順調に飛行を続けている。

・「こうのとり」5号機は2015年8月19日20時50分49秒、H-IIBロケットによって種子島宇宙センターから打ち上げられた。ロケットは順調に飛行し、打ち上げから15分後に「こうのとり」が分離され、予定通りの軌道に入った。

・その後、機器の立ち上げなどにも成功し、8月21日4時25分に最初の軌道修正となる初期高度調整軌道制御が完了したことが確認された。

・今後、23日2時55分ごろに第1回軌道修正を、24日12時7分ごろに第2回軌道修正を、そして同日15時12分ごろに第3回軌道修正を行い、徐々にISSへと近づいていく。

・そして8月24日の夜にISSのすぐそばにまで接近し、19時55分ごろにISSのロボット・アームによって把持(キャプチャー)される。その後、25日0時30分ごろに、固定金具を使ってISSに取り付けられ、3時ごろに「こうのとり」の与圧キャリアにある圧変電器(DDCU)の起動完了をもって、「結合完了」となる。与圧キャリア内への宇宙飛行士の入室は25日に予定されている。
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KBS WORLD「国楽の世界へ」 光復節

【遅れたが前回の「KBS WORLD『国楽の世界へ』 井邑詞」は、本ブログ8/13付けで記載した】

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、戦前日本統治下における朝鮮の音楽にかかわる3曲を紹介した。

始めに、無声映画「アリラン(아리랑)」で流された歌「アリラン」について次のように紹介された。
・1926年、本格的映画館団成社(단성사)で封切られた、無声映画「アリラン」の主人公崔永鎭(최영진)は、独立運動に参加して投獄後、精神に不調をきたす。帰郷後、妹を襲おうとした男を殺し捕縛され、村人は泣き崩れる。映画に流れた音楽が「アリラン」だった。「アリラン」は民族の歌となり、今日に至るまで、人々の心の深く刻まれている。

▼ 地域ごと伝わるアリランと区別した「本調アリラン」を聴く。穏やかに、爽やかに聴く。

(本ブログ関連:”アリラン”)

・統治下の時代、国を取り戻そうとした中に芸術に携わる人もいて、それなりの方法で努力した。

次に、林芳蔚(임방울*、1904,5?年~1961年)の「スクテモリ(쑥대머리)」について次のように紹介された。
・パンソリの歌い手、林芳蔚は、「スクテモリ」で大スターになった。そのレコードは、100万枚も売れたという。「スクテモリ」は、髪の毛が乱れた様子を指す。パンソリ「春香歌(춘향가)」で、獄中の春香が泣きながら悔しさを表現する歌う場面がある。不当な力の前で、民は「スクテモリ」を歌いながら心をなだめただろう。
(* : DAUMの白紙のブログに詳細記載あり)

▼ 「スクテモリ」を聴く。パンソリ世界の独特の歌い語り。

最後に、朴東實(박동실、1897年~1969年)の「烈士歌(열사가)」について次のように紹介された。
・植民地下35年の歳月が過ぎ、1945年8月15日に韓国政府が樹立する。喜びの中で、人々は民族のプライドを取り戻す英雄を求めて歌われたのが「烈士歌」だ。1930年頃から作られはじめたという。独立に活躍した人々をパンソリで構成したもので、地方でパンソリを教えた朴東實が陰で作ったという。
(* : 韓国学中央研究院に詳細記載あり)

▼ 「柳寛順の烈士歌」を聴く。いつ頃できた歌だろうか。

・植民地下の人々が守ろうとした民族の精神と文化を振り返ってみた。

2015年8月19日水曜日

「こうのとり」5号機

油井亀美也・宇宙飛行士が搭乗している「国際宇宙ステーション(ISS)」の元へ、当初8/16に予定していた「宇宙ステーション補給機(HTV、愛称:こうのとり)」5号機が今晩打ち上げられた。最近、各国の物資補給機が民営化の流れで行なわれ、不調なのが気になる中でのこと。

(本ブログ関連:”油井亀美也・宇宙飛行士”、”こうのとり”)

毎日新聞の記事「こうのとり:H2Bロケットで打ち上げ成功 JAXA」(8/19、斎藤広子記者)は、次のように報じている(抜粋)。また、解説記事でコスト削減について触れている。
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・三菱重工業と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は19日午後8時50分、国際宇宙ステーション(ISS)へ物資を運ぶ無人補給機「こうのとり」5号機を搭載したH2Bロケット5号機を鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げた。約15分後、こうのとり5号機は予定通り地球周回軌道に投入され、打ち上げは成功した。

・JAXAによると、こうのとり5号機は24日にISSに到着し、滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する。

・H2Bは、こうのとり打ち上げを主目的に、主力ロケットH2Aを改良してJAXAと三菱重工業が共同開発。2009年の1号機以降、5回連続の打ち上げ成功となった。H2Aと合わせた成功率は97%(33回中32回成功)となった。今回の事業費総額は約360億円。
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(参考) 打ち上げ映像: 始めの10分は飛ばしてください。打ち上げ(Lift off)は、1:00あたりからで・・・。

(参考) 成27年度 全国小・中学生 作文絵画コンテスト 作品大募集、油井宇宙飛行士からのメッセージ
(Youtubeに登録のJAXAに感謝)

2015年8月18日火曜日

イ・ソンヒの愛車? ポルシェ 911ターボS

イ・ソンヒの乗用車が、何と<ポルシェ911ターボS>だそうだ。先日、自動車運転免許証を返納した私は、自動車にいたって関心が乏しいので、それがどれほど凄いことなのかよく分からないが。

イ・ソンヒが、いわゆる高級スポーツカーでがんがん飛ばすようには思えなかった。彼女の素地である、若い頃に洋楽好きでバンド活動にはまったことを考えれば、むべなるかなということかもしれない。

(参考)
イ・ソンヒは、多感な中学時代に経験したジム・リーブス、レイフ・ギャレットなどの音楽や、教師との出会いを、そして夢膨らむ高校時代に、5人組(歌)の音楽グループ結成などした。

(参考)
1980年代初頭、新村(신촌)にあった、ひたすらヘビ・メタルだけ聞かせるカフェ「レジスタンス(레지스탕스)」に、おかっぱ頭の女子高生イ・ソンヒが通っていたというのだ。当時の彼女は、「それは、メタルが世界のすべてであると思っていた」という。彼女のイメージとギャップがあって可愛らしくおかしい。

アジア・トゥデイの記事「【フォト】 清らかな声の歌手イ・ソンヒ・・・趣味は速度を楽しむ?」(8/18、ペ・ソンウン記者)には、果たして彼女の車なのか、高級車の写真付きで次のような紹介がされている。
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・歌手イ・ソンヒの自動車が、「ポルシェ 911ターボS」であることが分かった。このモデルは、基本販売価格が2億5,900万ウォン(日本では、2,539万円)からなるスーパー・スポーツカーで、(韓国)国内では昨年11月から公式販売されている。

・「911ターボS」には、燃料直噴装置を備えた3.8リットル6気筒ターボチャージャーエンジンが搭載されており、最大出力は、560馬力で最高速度318km/hの性能を誇る。停止状態から時速100kmまでの時間は3.1秒に過ぎない。

・車体は、アルミニウム-鋼鉄複合構造を利用した軽量デザインで構成され、軽いながらも高強度であることが特徴だ。これにより、高速で走っても事故時、運転者の保護がうまくできることで知られている。
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昨年販売のスポーツカー、昨年の彼女の業績を考えれば、自分を誉めてあげたいというちょっとしたプレゼントだろう。

(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”)

2015年8月17日月曜日

(雑談) 体にいいこと

朝から雨は降ったり止んだり。雨雲に覆われた空は陽射しもままならず、夕方の陰りも早く感じる。不安な空模様に、週末の砂金採りの天気が気になる。そのころに、南に発生した台風の影響はまだ至らないようだが。

砂金採りのため、体力作りに励んでいる。先週、体操教室が夏休みで一週休みだった。いつも教室では、運動の随所に、この動作を家でやってくださいという勧めがある ・・・ でも、やれるんだったら、ここには来てませんよねという言葉をいただくのだ。仰る通りだ。

以前購入したバランスボールに坐って、体幹を鍛えている?が、飽きっぽい性格のため何かいいものはないかと探した。近隣の街で、金属バネとは違う、軽くて柔らかい合成ゴム製の簡易エキスパンダー、すなわちフィットネス用ツールを見つけて、試している最中。

だらだらと、ながら運動するのに便利。バランスボールに坐ってこの簡易エキスパンダーを左右に引き伸ばしたが、おじさんには不安定。椅子に坐ってで充分、ちょっとはまっている。果たして何日続くか、それでも運動しないより、した方がいいに決まっている。


(付記)
あるところで、トロット音楽教室があると聞いて申し込んだが、応募者不足で開催ならず。トロット教室があるとはと珍しく思ったが、トロットは自分で練習しなさいという天の声が聞こえた気がする。仰る通りだ。

2015年8月16日日曜日

砂金採りの天気予報

夜分、激しい土砂降りになった。まるで、渓流の川底を水中録音したような、雨音が辺りを引っくり返した。

今週末、砂金採りを予定している。気掛かりだ。Weathernewsの天気予報は、天気記号が午前曇り・その後晴れ、最高気温32℃、降水確率30%。同じく、AccuWeather(日本語)は、32.8℃、降水確率(午前)20%→(午後)10%。期待と希望で、まあいけそう。

昔、土砂降りの久慈川支流で、砂金採りしたことがある。川の水位が次第に上がってきて気が気でなかった。同行の師匠は泰然とした。廻りで川遊びしていた学生たちは早々に引き上げていたというに。

びしょ濡れになっても、神は応えてくれなかった。帰り道、近くの金山に寄ってみたが、銀黒すら巡り会えなかった。

今回は、砂金の粒だ、ナゲットだ、金の延べ棒だ。

2015年8月15日土曜日

近くの民家にある稲荷

近所を散策すると、不思議なことに、あちこちの民家に小さな稲荷を目にする。ある民家は塀の中に道路と平行に区画された柵の中に、しっかりした造りの鳥居と稲荷堂が建っている。また、ある民家の稲荷は道路と直角にじかに参ることができる、こじんまりした鳥居と稲荷堂が置かれている。不思議なものもある。ある民家は低い柵の中に、腰高の赤い鳥居だけあがあって稲荷堂はない。

(本ブログ関連:”稲荷”)

江戸期、稲荷信仰は商人に受け入れられた。人々の祈り場であったのだろう。近くに、江戸の記録を持つ昔ながらの稲荷神社がある。数多くの鳥居が並び、それなりに大きな境内と稲荷堂が立つ。この辺りは江戸期に新田開発された農業地帯だった。

近所の民家に稲荷をしっかり探せば、さらに見つかるだろう。昔の新田(麦や陸稲など)地帯の農家が稲荷を持っていたのだろうか。あるいは、江戸というより、以降の宅地化のなか、飛び地のようにできた新造の住宅がそれを据えたのだろうか。

ところで、人々は、狐の持つ力にあやかりたい。稲にかかわる農業の神の使いとして。あるいは、夜に狐火を灯す不可思議さに。あるいは、狐の憑依という最も原始的、心的な霊力に感応したいという欲求があったのだろうか。誰にも、決して他人にいえないものがあるものだ。

狐のずる賢さに都会人は共感するかもしれない。しかし、昔は新田開発のもと農民による共同体であり、狐の裏をかくような豹変さは不適だったはず。それなのに、現在、民家に古ぼけた稲荷堂を多数見る。近くの稲荷はどのようないきさつがあってできたのか知りたいところだ。