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2015年7月1日水曜日

笑う門には福来たる

昔のことで曖昧だが、笑いの構造について、「笑い=恐怖+攻撃 」というのを聞いた記憶がある。多分、博物学隆盛の時代の分類学的な観察から出たものだろう。もしかしたら、ダーヴィンとローレンツの考えを、一緒くたにしてしまったからかもしれない。

とはいえ、何となく分かるような気もする。笑いは、出会いを調整する。まさに初原的な、赤ちゃんの笑い顔に心が緩まぬ人はいない。赤ちゃんにとっては、すべてが新しい世界との出会いである。

(同時に、赤ちゃんは驚きにも笑う ⇒ Youtube「FUNNY BABIES COLLECTION 2」、登録者に感謝)

世間に出て知恵を蓄えた大人になると、笑いもどうやら変質して、嘲笑や恫喝をも含んだものまでになる。その最たるは、いじめ芸を見るときの、もしかしたら人間の最も残酷な笑いかもしれない。

(余談だが、他人に対する最大の敵対表情は<侮蔑>だと、TEDで聞いたような記憶がある)

のどかな笑いは、いいものだ。勘違いによる笑い、無垢な心で本質を指摘されること、そして日常の些細なズレによるもの。とりわけ、生活の中で感じる笑いがいい。

以前、お笑い劇場としてテレビ中継されたものがあった。記憶に残るものに、藤山寛美の新喜劇、大宮敏充のデン助劇団の芝居がある。学校から帰って一人のとき、しょっちゅう見ていたものだ。

エノケンこと榎本健一のお笑い芝居を残念ながらテレビで見ることはできなかったが、ずっと昔に、メリーさん、メリーさんで有名な「最後の伝令」の再現芝居(NTV)を見たとき、腹を捻らせて笑い転げた。

韓国語教室で、昔の韓国お笑い番組に「笑う門には福来たる(웃으면 복이와요)」があったと聞き、さっそく、Youtubeで見ると、吉本風なアドリブを効かせた、役者たちの素朴な間合い(掛け合い)によるもののようだ。庶民にとって身近に感じられる笑いは、浸透力があって底堅いもの。

2015年6月30日火曜日

(雑談) ガラケーからガラケーへ

今年も今日で半分終える。あっという間のことだった。そして、この調子で残り後半もいくだろう。

時間に取り残されたように何をせずとも、日めくりカレンダーは薄くなる。

ガラパゴス島のゾウガメ、ロンサ・ムジョージもすでに息絶えた。生あるものには限りがある。

ガラケー(ガラパゴスケータイ)もそうだろうが、その系統樹は大事にしたい。

昨日、通信会社を乗り換えた。でも、ガラケーの火を絶やすことはない。

わたしには、スマホは酸っぱ過ぎるのだ。コン!

2015年6月29日月曜日

イ・ソンヒの歌をYoutubeでカラオケしよう

韓国の代表的カラオケ機器企業、KY(クムヨン・金泳)カラオケ(금영노래방、KY【Kumyoung】)が、Youtubeに各種カラオケ曲を提供している。もちろん、イ・ソンヒの歌も、ほ・ほ・ほ~(サンタクロースのように言おう)というほど沢山!網羅していて、視聴+歌うことができる。

ちょっとアレンジが入っている曲もあるが、それよりカラフルな幾何模様の映像(昔風にいえばサイケデリック)に目がまわりそう、それもご愛嬌。部屋にこもって、一人カラオケすると、あれれ、もっと上手く歌えたはずなのに・・・(イ・ソンヒの、あの情感がこれっぽっちもない)と反省する。

「思い出のページをめくれば」

ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ
眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

2015年6月28日日曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

以前、教室でカラオケが話題になり、イ・ソンヒの「Jへ」を歌うと言った(言ってしまった)。まっ、それも勢いでのことだが。(もちろん、カラオケでの評価を別にして、「冬哀傷」も「五月の陽射し」も歌っている)

歌を楽しむのに、カラオケで歌うのもよいが、聴いてこそ、その美しさにひたれるものがある。イ・ソンヒの「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(1988年、作詞・作曲:ソン・シヒョン)は、まさに聴くための曲かもしれない。

(本ブログ関連:”愛が散るこの場所”)

幸いYoutubeで、彼女が若い頃にどう歌っていたかを(観客の女学生の嬌声を含めて)古い映像で知ることができる。そして、人生を重ねることで、それがどう変遷したかも知ることができる。2004年の20周年コンサート、2014年の30周年コンサートと経て、その美しさは深く厚みを増しているのに気付く。観客も自身の人生をもう一度読み返しながら耳を傾けたことだろう。


「愛が散るこの場所」

花びら舞い散るとき、あなた目覚めないで
あれほど美しかった、花びらだったじゃない

愛が遠のくとき、あなた黙って去るのですか
あれほど愛した思い出が、壊れるのか恐わくて

*愛が散るこの場所、思い出だけ悲しくて
あなた目覚めないで、涙見せたくないのよ

私が恋しいとき、あなた帰ってきてもいいわよ
あれほど愛した昔に、戻りたいです

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のO TWOに感謝)

2015年6月27日土曜日

狐と玉

先日、「狐石」について触れたが、民間伝承的な名称でのようで、信仰と直接的な関わりはないようだ。地名についても、ネット上の情報だけで、所在地以上のことは不明。

では、狐と玉について進んでみたい。とはいえ、ほんの入り口に過ぎないが。

(以前、「那須野の殺生石」で触れた、宮中を騒がせて捕えられた狐の「猶額にありたる白玉」とは別のものとして)

稲荷神社の狐には、宝玉を口にくわえるものがある。「如意宝珠」のようだが、本来、菩薩や観音が持つものを、なぜ狐がくわえるようになったのか。

ところで、「韓国民族文化大百科事典」にある「狐玉説話(여우구슬설화)」では、神異譚として、狐の持つ如意宝珠を奪って、天地を見極めた話しがあるようだが、その如意宝珠の由来は触れていない。

稲荷の狐は、農業に関わるといわれているので、ここで夢想して地中の玉と結びつけるのは無理があるだろう。

いかにも霊験あらたかそうな気がする。あるいは、きらりと光らせて威嚇の効果もあるやもしれぬ。

2015年6月26日金曜日

(雑談) USB扇風機

昔、マイコン時代にMZ-700からFMV-deskpower SEへ、本格的にPCと呼ばれるようになってノート型に変わり、NT331から現在に至る。すべて、順調に故障しての更新だった。

最後の故障機は、熱を発生してダウンした。メーカーに送ってみたものの、マザーボードの交換という。修理の見積もりは、新規PC購入と天秤にかけるようなものだった。臨終を宣告されたも同然。

現在使用中のノートPCは、長年使用なので、いずれボディーが熱くなりブルー画面になるだろうと気掛かり。最近の製品は、耐久性が増しているのか、怪しい兆しがないのが幸い。

それでも、ずっとつけっぱなしに酷使するのは先行心配。そこで、台所用の浅いカゴを逆さまにして、その上にノートPCを載せて下部に熱が溜まらぬようにしている。さらに隣り街の電気屋で購入したUSB扇風機を使って、熱を外に吐き出させるようにしている。実に健気で、大したものだ。

2015年6月25日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 端午の節句

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/17)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、今月20日にあたる陰暦5月5日の「端午(단오)の節句」に関わる3曲を紹介した。

始めに、「端午の節句」に、パンソリ「春香歌」(춘향가)で、李夢龍(이몽룡)と春香(춘향)の出会いを次のように紹介された。
・官職の息子、李夢龍は、部屋にこもって勉強していたが退屈になり、使いの者を連れて、広寒楼に出かけた。美しい景色の中、遠くにブランコ(그네)に乗る女性が目に入る。当時、家の外に出ない女性もこの「端午の節句」は子供の日で、おしゃれしてブランコに乗っても叱られぬ日だ。その女性こそ、パンソリ「春香歌」の主人公春香である。春香を見て、「白と赤の花が見事に咲いている」と言い、雪のように舞う花びらと杏子の花が落ちる中、ブランコの春香を、月のようで、また、太陽のような美しい女性がいると歌う。・・・この瞬間を境に、春香と李夢龍の恋がはじまる。

▼ パンソリ「春香歌」から「春香がブランコに乗る場面(춘향이 그네타는 대목)」を聴く。詩吟や語りのよう様々に歌う。

次に、「端午の節句」の行事、相撲「シルム(씨름)」や水辺で遊ぶ曲「ドンドルナリ(돈돌날이)」を次のように紹介された。
・「端午の節句」の陰暦5月5日(今年は6月20日)は、初夏の美しい季節だ。みずみずしい樹木と、太陽の陽射しが気持ち良い。田植えもある程度終わり一息つく。豊作を願う祭祀を済ませ、ご馳走と酒を楽しむ日で、男の子は韓国式相撲「シルム」を楽しみ、女の子はブランコに乗る。また、北方の咸鏡道地域では、女性が海や川で遊ぶ曲「ドンドルナリ」が伝わる。「回る(돌다)」という、ぐるっと回って元に戻る意で、新しい日が巡るの意もある。正月や盆の秋夕(추석)、端午の節句に女たちが集まり歌う。笛など楽器で演奏し、興がわくと、立ち上がりみな踊りはじめる。

▼ ぐるっと回って元の位置に戻るの意の民謡「ドンドルナリ」を聴く。同じフレーズを繰り返す、どこか巫俗(始原)的な気もする。

・洞簫(퉁소)の笛と太鼓の演奏と歌で演じられた。家族や弱い者にだけ怒鳴る人を「部屋の中の洞簫」という。洞簫演奏はするものの、人前では自信がなく、部屋に鍵をかけて一人で演奏する人を指す。昔、人気のあった楽器で、最近は、咸鏡道地域によく使われる。どこか懐かしい音色が特徴だ。

最後に、「端午の節句」の行事、「江陵端午祭」と祭祀曲「城隍堂参り祭祀(성황당맞이 굿)」を次のように紹介された。
・「端午の節句」の開かれる江原道江陵地域の「江陵端午祭」は、ユネスコ人類無形遺産に登録さた。端午祭は、江陵地域だけでなく、近くの村の住民も共に楽しむ。この日のため、酒を醸す過程から祭祀を捧げるまで、一ヵ月以上かかる。また、北の地方だけでなく、釜山に至るまで、東海岸の漁村で行われた祭祀曲「城隍堂参り祭祀」は、豊漁を願い、その他に豊作や家族の健康など幅広く祈る、村の人々の祭祀でもあった。

▼ 豊漁と豊作を願う祭祀曲「城隍堂参り祭祀」を聴く。いかにも精霊と通じ合う祭祀の響きがする。

2015年6月24日水曜日

イ・ソンヒとイ・スンギ「その中であなたに出会って」デュエット

先週(6/19)、KBS2で放送された「ユ・ヒヨルのスケッチブック」では、イ・スンギの舞台にイ・ソンヒが登場した。彼の「棘(とげ)」(가시)をデュエットするYoutube映像を、本ブログにも載せさせていただいたが、今度は、イ・ソンヒの「その中であなたに出会って」(그 중에 그대를 만나)のデュエット映像を見つけたので、ここに載せさせていただく。

(本ブログ関連:”その中であなたに出会って”)

イ・ソンヒは、いつもと比べて少し抑え気味に、そして静かに聞かせる。イ・スンギは、背景から色付けするように歌い合わせる。師弟の息遣いが見る者に伝わり、引き込まれていく。新しい味する「その中であなたに出会って」を聞くことができる。

(Youtubeに登録のMusic Space cheolinに感謝)

(付記)
イ・ソンヒは減量したのだろうか。今回の映像を見て感じた次第。

2015年6月23日火曜日

申京淑の謝罪

韓国で文学界を飛び越えた話題が、ようやく結着の段階に入ったようだ。朝鮮ドットコムの記事「申京淑 1週間ぶりに謝罪 『盗作の指摘正しいと思う…読者らに謝罪』」(6/23、7:56)は、当事者の釈明を次ように伝えている。

小説家申京淑については、イ・ソンヒと同世代であり、彼女たちに共通の言葉を探してブログに載せてきた。昔、申京淑は、放送作家であり、歌謡曲の作詞も手がけたこともあるという。その経験から、時代に合わせ過ぎたのかもしれない。15年前(にも指摘された)のこととはいえ。

(本ブログ関連:”申京淑”)

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去る16日、盗作論議(論難)に包まれた小説家申京淑(52)が、1週間ぶりに自身の過ちを認めた。 また、問題になった短編「伝説」を本人の作品目録から除外させると明らかにした。

23日、京郷新聞の報道によれば、申(京淑)氏は、「問題になった三島由紀夫の小説『憂国』の文章と、『伝説』の文章を何度も照し合わせて見た結果、盗作(剽窃)という問題提起をするのが正しいという気がした」として、「いくら記憶をかきまわしてみても、『憂国』を読んだ記憶はないけれど、今は私の記憶を信じることができない」と述べた。

引き続き、申氏は、「出版社と相談して、『伝説』を作品集から外(はず)す」といって、「文学賞審査委員をはじめ、全てのものを降ろして自粛する時間を設ける」と述べた。

15年前の去る2000年に、すでに、チョン・ムンスン文学評論家が、「申京淑作家の『伝説』と三島由紀夫の小説『憂国』が似ている」という問題提起をしたけれども、対応しなかった理由については、「2000年にそのような文が載せられたという話は聞いたが、私が読んだりもしない作品(『憂国』)を持ってきて、そんなことがあるかと思ったので読まなかった」といい、「その時読んだら良かっただろう」と遺憾を表示した。

申氏は、小説家イ・ウンジュン(45)が、16日、盗作疑惑を再び提起した時、出版社<創批>に「『憂国』を読んでみたこともない」と話したことについては、「かなり以前に一度体験したことなので、15年前と同じ考えで、知らないことだと答えた」といって、「私に対する批判の文は、耐える自信がないため、たくさん読まなかったし読めない」と説明した。

一方、申氏は、「伝説」の他にも、「母をお願い」、「汽車は7時に出るよ」、「別れのあいさつ(작별인사)」など、彼女の作品全般にあふれる盗作疑惑と関連しては、「創作は、読書の影響から完全に自由なことなくて、いくつかの考えは時代と国境を越えて全く知らない状態でも共通点を持つ」としながら、「私の文章で書いた文だが、評壇や読者らの指摘に対して深く省察してみる」と述べた。

また、「重い鳥の足跡(무거운 새의 발자국)」、「遠く、限りない道の上に(멀리, 끝없는 길 위에)」など1990年代初期に書いた断片の題名が詩の一節で、無断に盗用したという指摘に関連して、「詩から題名を取ってくることは、当時、文壇でたびたびあったことであり、詩人が私の友人であった事情もある」としながら、「もしそれが誤ったことだったら、ひょっとして残念な心を持ったとすれば、私は間違って生きてきたこと」と釈明した。

彼女は続いて、「この問題を提起した文学者をはじめとして、私の周辺のすべての方々、何より私の小説を読んだ多くの読者に心より謝罪申しあげる」と、「すべてがきちんと見られなかった私のせい」と述べた。

しかし、申氏は、「どう考えてみても。臨機応変式の絶筆宣言はできない。私に文学は命のようなものであり、文を書くことを終えるなら、生きても生きていることでない」として、「原稿を書いて壷に隠しても、文学という地で倒れたのだから、その地に(手を)ついて立ち上がりたい」と明らかにした。
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2015年6月22日月曜日

夏至 2015

今日は、一年で一番日の長い「夏至」。朝から陽射しするけれど、ここ連日、曇りと晴れが入れかわるらしい。まぶしい朝陽が欲しい。

(本ブログ関連:”夏至”)

日めくりカレンダーを見ると、陰暦の記載あり。今月は「水無月」となる。(実際は、旧暦5月7日で「皐月」だが)
陰暦でいう「水無月」って、この時期、水が無いわけではないのに ・・・ 「無」=「な」=格助詞の連体修飾で「~の」にあたる、なんて久し振りの古語辞典参照。つまり、<水の月>。

でも旧暦5月7日なら、「皐月」=「早苗月」のはず ・・・ 季節感でいえば、田植時期のこちらの方が実感する。考えてみれば、古語は<京都>が基準だろうから、そんなものかもしれない。(と思ってネットで調べれば、関西の田植え時期は意外と遅い?)

どうも言葉に無関心過ぎたようだ。

キム・ヒジンの「永遠の私の愛」

キム・ヒジン(김희진)の声は、聞くたびにほっとさせてくれる。彼女の2集に収録のデビュー曲でもある「永遠の私の愛(영원한 나의사랑)」(2008年)は、フォークだけでなく、大衆歌謡的な雰囲気があって耳に馴染む。彼女が、人々の心に残っただろう昔の歌を丁寧に歌い続けていることでもあるが。

(本ブログ関連:”キム・ヒジン”)

キム・ヒジンのホームページに、「7080フォーク系」と説明されている。誰にも好かれる澄んだ美しい声と、健康的で、しかも愛らしいお嬢さんといった雰囲気だからだろう。あの眉間に皺を寄せるくせがご愛嬌、飾らないところがいい。そうはいっても女性のこと、ちょっとずつ変身している・・・こんなふうに。

キム・ヒジンのホームページより
1990年に、ともにこの世を去った兄妹デュオ、ヒョンとトク(チャン・ヒョン、チャン・ドク)が再び脚光を浴びようとしている。キム・ヒジンは、パク・スンファと共にオマージュ事業に関わっている、とのこと。
そうそう、イ・ソンヒと、ヒョン・トク兄妹との<ライイバル・シリーズCD>があるので、この機会にまた聞いてみよう。


「永遠の私の愛」
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葉先に 露のように   あなたの澄んだ瞳
いつも 私だけ愛する心に   私、私、幸せです

苦しくって つらいたびに   常に 愛で包んでくれる
あなたの暖かい心に、私は   いつも あなたに感謝してる

あなたは、私の人生   永遠(とわ)に、私の愛
いつも あなたと一緒なのよ   永遠(とわ)に、私の愛
                        ____

野に咲いた きれいな花のように   あなたのうるわしい姿よ
いつも、私だけ信じてくれる心に   私、私、幸せです

寂しくって 悲しいたびに   常に 野花のようなあなたよ
あなたの強い心に、私は   いつも あなたに感謝してる

*
あなたは、私の人生   永遠(とわ)に、私の愛
いつも あなたと一緒なのよ   永遠(とわ)に、私の愛

(*)以下繰り返し
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(Youtubeに登録のrhythm7777777に感謝)

2015年6月21日日曜日

狐石

このブログでは、イ・ソンヒファンとしての奏上!以外に、趣味の鉱物採集について、及びイ・ソンヒが愛弟子イ・スンギ主演のSBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」のテーマ曲である「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌ったということから「狐」(九尾狐、稲荷など)について、それぞれ触れている。そこで、「狐」と「石」二つを合体したものをネットで調べてみた。結果、次の通りである。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

▼ 狐にちなんだ「石」について
・ 「狐石」という名の石がある。黄鉄鉱を「馬鹿の金」と呼ぶように、翡翠の偽もの扱いした民間伝承による名称のようだ。宝と間違えた滑稽さがにじみ出る。ところで、下記に示すように地名にも「狐石」があり、東北地方とりわけ福島県に集中している。妄想を膨らますと、かつて東北が「金」の大産地であったことと何かしら関係があるのだろうか。それとも、「遠野物語」風か。
・ 「狐石」という名の記念碑がある。「オクシズ」のサイトに、静岡市葵区足久保地区にある、<芭蕉>の句碑(句を刻んだ)「狐石」を次のように紹介している。感謝。(でも、狐の巣?の上に句碑を建てたというのは、いささか理解に苦しむ)
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「駿河路や はなたちばな(花橘)も 茶のにほひ」
さて、何故この石を「狐石」と呼ぶかというとここに狐がすんでいたことから・・・という説と茶葉の変化しやすい性質から「狐っ葉」と呼ぶことも関係するとか。本当のところは、なぞです。
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・ 直接的な名ではないが、狐の妖気と結びついた岩がある。伝説<玉藻の前>すなわち九尾狐が変身した毒石「殺生石」(栃木県那須町那須湯本温泉近く)こそ、まさに「狐」と「石」が合体したものとしてあげることができるだろう。(この件、「殺生石」についてはいくつか記載済み)

▼ 「狐石」という名の地名について
・ 「狐石」と名の付く場所を探したところ、「都道府県市区町村 データで遊ぼう」のサイトに地名リストが掲載されており、「狐岩」とともに次に列記する。感謝。
「狐石」の地名は10件あり、 東北の岩手、宮城、福島の3県に、特に福島県に集中しているのが興味深い。
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岩手県(2): 奥州市前沢区狐石/気仙郡住田町世田米狐石
宮城県(1): 石巻市小船越狐石
福島県(7): 須賀川市稲狐石/須賀川市森宿狐石/二本松市上川崎狐石/田村市船引町芦沢狐石/
                 伊達郡川俣町大字小神狐石/福島市飯野町大久保狐石/双葉郡広野町大字上浅見川狐石
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「狐岩」の地名は、「狐石」に比べて少なく全国に散らばる。岩手県遠野市狐岩、京都府南丹市美山町大字島狐岩、福岡県中間市狐岩の3件である。

(付記)
地元駅のエキナカ商店街に不二家がある。店前に立つ可愛いペコちゃん人形が、今回、ゆかたを着て、「白狐の仮面」をかぶっている。ついつられてケーキを求めたとき、狐の面は何かイベントでも指しているのかと尋ねたところ、夏らしさを表しているのですよという回答だった。仮面でペコちゃんはお顔が見えないが、小さくて見上げるような姿がなんとも微笑ましい。

2015年6月20日土曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの「ユ・ヒヨルのスケッチブック」ステージ

昨晩放送の、イ・ソンヒとイ・スンギが出演したKBS2の番組、「ユ・ヒヨルのスケッチブック」の映像が、早速Youtubeに登録された。(登録者に感謝)

(本ブログ関連:”ユ・ヒヨルのスケッチブック”、”イ・スンギ”)

イ・スンギが「棘(とげ)」(가시)を歌う舞台に、にこやかに登場するイ・ソンヒ。そして同曲を歌い始める・・・デュエットに入り、やがて美しいハーモニーで終わる。イ・ソンヒが歌うと、別の曲に聞こえてしまうのは贔屓の引き倒しというもの。それにしても、師匠であり、お母さん役の力はすごい。

もうひとつは、イ・ソンヒの真骨頂、「因縁(인연)」(2005年)である。この曲を聞くたび感じる、湧き出るような感動は、同じ東洋的感性からくるからなのだろうか。幸いなことだ。

KBSと契約しているわけでないので、他にどんな曲を歌ったのか、おいおい(できればYoutubeに期待して)調べてみたい。



2015年6月19日金曜日

イ・ソンヒとイ・スンギ、今晩「ユ・ヒヨルのスケッチブック」に出演

聯合ニュース掲載のニュースエンの記事「イ・スンギ ”イ・ソンヒとのデュエットは本当にしたくなかった、ぺしゃんこイカになった気分”」(6/18 ファン・ヒェジン記者)によれば、6/16収録のイ・ソンヒとイ・スンギ出演のKBS 2TV「ユ・ヒヨルのスケッチブック」で、イ・ソンヒとイ・スンギのさまざまなエピソードが語られたようだ。なお同番組は、本日午後11時40分から放送されるという。

(本ブログ関連:”ユ・ヒヨルのスケッチブック”)
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・師弟関係にあるイ・ソンヒとイ・スンギが「スケッチブック」に出演した。

・イ・ソンヒとイ・スンギは、6月16日に行われたKBS 2TV「ユ・ヒヨルのスケッチブック(유희열의 스케치북)」録画に参加した。

・デビュー31年目の「歌謡界の女帝」イ・ソンヒは、イ・スンギを援護射撃するためスケッチブックのステージに上がった。イ・スンギの歌の間、サプライズ登場したイ・ソンヒは、甘美な声とパワフルな声を行き交わせながらスケッチブックの観客たちの心を盗んだし、予期せぬイ・ソンヒの登場に観客たちは雷のような拍手と歓声を送った。

・アルバム広報でもコンサート広報でもない、イ・スンギを援護射撃するために出たイ・ソンヒは、「スンギがスケッチブックに出るというので、私が役立とうかと思って出てきた。そして、スンギに付いて出て、私の顔を映したかった」と話し、観客たちの笑いを誘った。続いて、イ・スンギは、正規6集アルバム「そして・・・(그리고...)」のディレクティング(音楽監督)をイ・ソンヒがしてくれたと、「既にディレクティングまでしてくださったついでに、責任を負って欲しいという気持ちで出演をお願いした」と述べた。

・MCのユ・ヒヨルは、イ・ソンヒとデュエット舞台をしたイ・スンギに、「イ・ソンヒと一緒に歌を歌った人は、イカになるけれど・・・」とはどんなものか尋ねて、イ・スンギは「ただのイカではなくて、高速道路でぺしゃんこに押しつぶして売るイカ*になったようだ」と答えた。続いてイ・ソンヒは、「デュエット舞台について会議をして、私の歌を一緒にやったらどうかとスンギに意見を出した」と語って、イ・スンギは、「本当にやりたくなかった」と話し、録画会場を笑いの海にした。

(*)参考:ブログ「根強いオリーブの木(꿋꿋한올리브나무)」、感謝

・また、スケッチブックを4年ぶりに出演したイ・ソンヒは、スケッチブックがこんなに長寿になると思ったかという質問に、「ユ・ヒヨルさんが無色、無臭なので長寿できると思った」と答え、皆を怪訝にした。続けてイ・ソンヒは、「悪い意味じゃなく、他の番組はMCの色が濃くて、音楽が埋没したりもするが、ユ・ヒヨルさんは音楽をよく紹介できるようサポートが上手い」と、MCのユ・ヒヨルを賞賛した。

・一方、この日の録画で、イ・ソンヒに呼び名を​​先生としたイ・スンギは、「歌手をしているけれど、私の歌を教えてくださった方である。先生と呼ぶ」と話し、イ・ソンヒは、「スンギの母と父と、私は年齢が同じだ。お母さんの気持ちでスンギに接する」と言って、師弟関係の厚い情を感じさせた。これに対して、MCのユ・ヒヨルは、「イ・スンギのお母さんと言ったが、もちろん、恋愛相談もするか」と尋ねて、イ・ソンヒは、「恋愛相談はしない。けれど、スンギはとても男のなかの男のスタイルだ」と述べた。続いて「今、スンギは男らしさが最もホットな時期だ」と言って観客たちを皆驚かせた。

・MCのユ・ヒヨルは、模範生イメージが強いイ・スンギは、実際にどうかとイ・ソンヒに聞いたところ、イ・ソンヒは模範生イメージという言葉にびっくりしながら、「スンギは、私たちの所属事務所(フックエンターテインメント)で最も模範的ではない。パーティーがあればいつも両腕に酒を持って現れる」と述べた。続いて、イ・スンギとイ・ソンヒは所属事務所内であったエピソードと、酒瓶を持って来るようになった理由が、イ・ソジンからであることを明らかにして、当時の状況を説明して観客たちを興味津々にした。

・31周年の歌手イ・ソンヒは、この日の録画を通じて、生涯初めて(テレビで)歌ってみた歌が、小学校ミュージカル(公開放送)のとき、スズメ役をして歌った歌であると明らかにし、当時あったエピソードや歌を歌った。また、歌手として最もやりがいがみなぎる時は、「歌に数多くの人々が集まって一つになり、共感されるとき」と答え、観客たちの心を感動させた。

・イ・ソンヒ、イ・スンギ、オクサンタルビが出演した「ユ・ヒヨルのスケッチブック」は、6月19日午後11時40分放送される。
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(追記)
(Youtubeに登録の백산に感謝)

2015年6月18日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 済州島の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/10)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮半島の南に位置する島、<済州島(제주도)>の歌に関する3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”済州島”)

始めに、済州島の景観と李漢雨(이한우、1823年~1881年)作「瀛州十景歌(영주십경가)」について次のように紹介された。
・済州島といえば、透き通ったきれいな海、島の中心にそびえ立つ漢拏山(한라산)。柑橘類の「ハンラボン(漢拏峰、デコポン)」や「天恵香」。独特な方言、ウォーキングコース(제주올레)も思い浮かぶ。特有の景色と文化を誇る一方で、陸地と離れた島として、生活は大変な面も多かったが、反面、固有の文化が守られている。
・昔、瀛州といった済州島の十の景色を歌う「瀛州十景歌」がある。海底噴火でできた「城山日出峰(성산 일출봉)」など、済州島の景勝地を歌う。

▼ 水瓶(허벅)を棒で叩きながら歌う「瀛州十景歌」を聴く。民謡に聞こえるが、詩作時期を考えると成立はいつか。

次に、竹編みの「竹籠(クドク、구덕)」と、それを元にした「赤ん坊竹籠(애기 구덕)」について次のように紹介された。
・水瓶は、女性が頭に載せて水汲みに行くが、済州島では「竹籠」に入れ、紐を付けてかついだ。水がこぼれぬよう、こぶし大の小さな口が特徴。竹籠は、水瓶を運ぶ以外、洗濯物や魚や餅を入れたり、祭祀の供え物を入れる竹籠もあった。
・竹籠に、「赤ん坊(エギ、애기)竹籠」という揺り篭がある。面白い仕掛けがあって、籠の中間の高さに、縦横に紐を編み合わせ、その上に麦わらを敷き、赤ん坊を寝かせる。赤ん坊が大小便をしても麦わらに吸い取らせる。また、底が丸いため、手や足で揺らすと赤ん坊がすぐに眠る。風が強いこの島では、置いておけば自然に揺れるという。

▼ 赤ん坊の揺り籠歌「赤ん坊竹籠を揺らす音(애기 구덕 흥그는 소리)」を聴く。(お婆さんの歌声に心穏やかになり、自然と眠たくなりそう、という)・・・なるほど、リフレインは単調でも、安定感があるなあ。

・済州島独特の文化、「赤ん坊竹籠」は、今では子供用品として販売され、竹の代わりに丈夫な鉄のものも出ている。伝統を受け継ぐ姿が素晴らしい。

最後に、海女が船で海に出るとき歌う民謡「離於島サナ(이어도사나)」について次のように紹介された。
・済州島民謡に、海女が船で海に出るとき歌う民謡「離於島サナ」がある。単純で元気の良いリズムが特徴。

▼ 民謡「離於島サナ」を編曲した「離於島の歌(이어도의 노래)」を聴く。陽射しに照らされて陽気に歌う編曲。

・離於島は、済州島から約150キロメートル離れた場所にある水中の暗礁で、幻の島としての象徴的な場所でもある。小説や映画、歌でも広く知られる。

2015年6月17日水曜日

作家申京淑の噂

日本でも取り上げられることの多い韓国の女流作家申京淑(신경숙、1963年1月12日~)の作品について、ある問題が提起された。文学とは永遠に縁のない、この素人にとっても、耳を疑うできごと、衝撃だ。

(本ブログ関連:”申京淑”)

NEWSIS/朝鮮日報日本語版の、以下の記事、「申京淑の『伝説』は三島由紀夫『憂国』を盗作」(2015/06/17 11:31)には驚かされた。三島由紀夫の作品を・・・よりによって。
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「申京淑『伝説』は三島由紀夫『憂国』を盗作」 - 韓国人作家が疑惑提起

 韓国を代表する小説家、申京淑(シン・ギョンスク)氏(52)が作家の三島由紀夫(1925-70年)の作品を盗作したとする主張が提起された。

 小説家で詩人でもあるイ・ウンジュン(이응준、1970年~)氏(45)は16日、インターネット新聞のハフィントンポスト韓国版で、申氏の短編小説『伝説』(1996年)の一部が三島由紀夫の短編小説『憂国』(韓国で83年に発刊)を盗用していると主張した。イ氏が盗用の疑いを提起した部分は以下の箇所だ。

▼ (三島由紀夫『憂国』韓国語版)
  「二人とも実に健康な若い肉体の所有者だったため、彼らの夜は激しかった。夜だけでなく、訓練を終えてほこりだらけの軍服を脱ぐ間さえもどかしく、帰宅するなり妻をその場に押し倒すことが一度や二度ではなかった。麗子もよく応えた。最初の夜を過ごしてから1カ月たつかたたないうちに、すでに麗子は喜びを知る体になり、中尉もそんな麗子の変化を喜んだ」

▼ (申京淑『伝説』)
  「二人とも健康な肉体の持ち主だった。彼らの夜は激しかった。男は外から帰ってきて、ほこりがついた顔を洗いながらも、もどかしく急いで女を押し倒すのが常だった。最初の夜を過ごしてから2カ月余り、女はすでに喜びを知る体になった。女の清逸な美しさの中に官能はかぐわしく、豊かに染み込んだ。その成熟さは歌を歌う女の声にも豊潤に染みわたり、今や女が歌を歌っているのではなく歌が女に吸われてくるようだった。女の変化を一番喜んだのは、もちろん男だった」

 イ(・ウンジュン)氏は「三島由紀夫『憂国』の盗作は、小説家が特定分野の専門知識を小説の中で説明したり、表現したりするために小説以外の文献の内容を地の文や登場人物の対話中で活用するといった、いわゆる『小説化作業』の結果では決してない」と指摘。プロの作家としては到底認められない、明らかな「作品の窃盗行為」だとした。

 続けて、申氏の小説はさまざまな言語に翻訳されて、海外で一定の成果を収めているとしながら、「もし盗作がニューヨークやパリ、英国に伝わったらどうなるか。日本の文筆家や大衆がこの事実を知ったらどうなるか。これは隠そうとしても隠されるものではなく、隠せば隠すほど悪臭を放つ韓国文学の恥だ」と強調した。
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ちなみに、中央日報の記事、「申京淑、三島由紀夫作品 盗作した」(6/17)は、もう一歩踏み込んでいて、彼女のこの行為は(問題提起者によれば)、2000年秋からのことであるとか、韓国文壇の「沈黙のカルテル」、巨大出版社の社長と編集部の操縦、とまで書かれている。

この情報の発端となった、ハフィントンポスト韓国版の、小説家で詩人でもあるイ・ウンジュンの長々とした内容「偶像の闇、文学の堕落 | 申京淑の三島由紀夫盗作」(6/16)は、申京淑の人間・夫婦関係も含めて、もっと厳しい韓国風の表現がある。・・・韓国文人たちの「沈黙の共犯」と。

(資料)上記ハフィントンポスト韓国版掲載
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▼ (三島由紀夫『憂国』韓国語版)
두 사람 다 실로 건강한 젊은 육체의 소유자였던 탓으로 그들의 밤은 격렬했다. 밤뿐만 아니라 훈련을 마치고 흙먼지투성이의 군복을 벗는 동안마저 안타까와하면서 집에 오자마자 아내를 그 자리에 쓰러뜨리는 일이 한두 번이 아니었다. 레이코도 잘 응했다. 첫날밤을 지낸 지 한 달이 넘었을까 말까 할 때 벌써 레이코는 기쁨을 아는 몸이 되었고, 중위도 그런 레이코의 변화를 기뻐하였다.
─  三島由紀夫、 キム・フラン訳, 「우국(憂國)」, 『金閣寺, 憂國, 宴会は終わって(宴のあと)』, 主友 世界文学20, 株式会社主友, P.233. (1983年1月25日 初版印刷, 1983年1月30日 初版発行)

▼ (申京淑『伝説』)
두 사람 다 건강한 육체의 주인들이었다. 그들의 밤은 격렬하였다. 남자는 바깥에서 돌아와 흙먼지 묻은 얼굴을 씻다가도 뭔가를 안타까워하며 서둘러 여자를 쓰러뜨리는 일이 매번이었다. 첫날밤을 가진 뒤 두 달 남짓, 여자는 벌써 기쁨을 아는 몸이 되었다. 여자의 청일한 아름다움 속으로 관능은 향기롭고 풍요롭게 배어들었다. 그 무르익음은 노래를 부르는 여자의 목소리 속으로도 기름지게 스며들어 이젠 여자가 노래를 부르는 게 아니라 노래가 여자에게 빨려오는 듯했다. 여자의 변화를 가장 기뻐한 건 물론 남자였다.
─  申京淑, 「伝説(전설)」, 『昔、家を出るとき(오래전 집을 떠날 때)』, 創作と批評社, P.240-241. (初出1994年⇒1996年9月25日 初版発行, 後に 2005年8月1日 同じ出版社として名(創作と批評社)を圧縮して改名した「創批(창비)」で 『ジャガイモを食べる人々(감자 먹는 사람들)』と小説集題名だけ変えて再出版された)
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2015年6月16日火曜日

ノ・サヨンの「出会い」

イ・ソンヒの世界にだけ遊ぶ身に、若い世代の曲は全く縁遠い。だから、教室で、コヨーテの「出会い」を聞いてきたという話しにも、ノ・サヨン(노사연)の「出会い(만남)」(1989年)しか浮かばない。

(本ブログ関連:”ノ・サヨン”)

愛とは決して偶然でないという確信は強くて切ない。誰もがそんな記憶を持っているからこそ、思い出の曲として歌われつづけているのだろう。韓国で、70~80年代に輝かしい学生時代を過ごした世代も、今や中高年世代として若者たちに押されている。俗に7080世代と呼ばれ、我が歌が懐メロになるのに抗しているようにも見えるけれど。

(本ブログ関連:”(資料)韓国ギャラップ調査「愛唱曲 2004-2014比較」”、”7080世代の好きな曲”)

美しい歌「出会い」を、SMAPの草彅剛が韓国語の語りと照れを入れて歌った珍しい映像がある。ノ・サヨンの歌と並べてみた。そういえば、彼は現在、초난강をすっかり卒業したようだ。


(Youtubeに登録のpops8090、KBKに感謝)

イ・ソンヒの「少女の祈り」

イ・ソンヒのコンサートに必須な曲の一つに、初めてのアルバムに収録した「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)がある。デビュー時のアピールである、高音で元気良く溌剌とした、パワフルな歌い方とは若干違って、いかにも少女らしい雰囲気する曲だ。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)

イ・ソンヒの声の特質に、高音部で一瞬反り返ったようなところがあるが、そこに幼い少女のような響きがして、デビューすぐに女子学生たちに受け入れられ要素の一つではなかったかと推測する。この「少女の祈り」は、まさに特徴的である。甘くて、清くて、可愛らしいこの曲に、おじさんの心も洗われそう。

(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

2015年6月15日月曜日

ヤドランカ「誰かがサズを弾いていた」

2011年4~5月、NHKの音楽番組「みんなのうた」で放送された、ヤドランカが歌う「誰かがサズを弾いていた」(作詞:友利歩未、作曲:ヤドランカ)に、想像を搔きたてられる。遠く異境をさすらうというに、彼女の声質にどこか安らぐ。

(本ブログ関連:”誰かがサズを弾いていた”)

夜の砂漠、星の明かりはいかばかりと空想に酔う。異国の美酒は、緑眼の胡姫たちを紛れ込ませる。いや、酔いを深めたのは、隊商の駱駝の背で美しく輝く石たちだった。

     絹の道行く キャラバン
     駱駝の背には 宝物
     ルビー、サファイヤ、トルコ石
     時に素敵な 歌までも
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     (同曲の歌詞より)

映像には、懐かしいイラスト作家の宇野亜喜良が命を吹き込んだ、碧眼の美女を登場させ、この歌に幻想の香りをつける。砂漠の夜、空は青色を深くして、輝く星は金色に、まるでラピスラズリを散らしたよう。ああ、やがて夜がしらむ。


誰かがサズを弾いていた 投稿者 CIMBAL_CINTA

2015年6月14日日曜日

砂金と玉

先日、KBS WORLD放送「国楽の世界へ」(6/3)で、「春香伝」にまつわる話しがあり、次のように紹介された。「地方官の息子李夢龍は、妓生の娘春香との待ち合わせの間、本(詩傳、大学、周易・・・)を読んでも落ち着かず、使用人とおしゃべりを始めた。それが(パンソリ)『春香歌』の中で歌われる『千字注解』の場面」である。(参考:「春香伝」(許南麒訳))

(常々思うに、パンソリは漢語が張り巡らされていて、いってみれば、カタカナにあふれたファッション誌のごとく、漢文素養が無いよりは在った方が良いということになりそう。パンソリは、大衆自身の手によるというより、ストーリーを借りて、趣味人が衒学風に味付けした手遊びに見えることがある)

上記にある、「千字文」(小川環樹、木田章義注解)を見ると、砂金と玉に触れているところがある。この書は漢詩で、異なる千文字の漢字から作られていて、江戸の寺小屋の教材にも使われた(子ども向け)漢字学習書だ。
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金生麗水/玉出「・昆」崗     「・昆」=「山」偏+昆
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(砂金は(今の浙江省にある川)麗水より採れ/玉は「・昆」崗 (崑崙山)の峰より採れる)

この「千字文」(小川環樹、木田章義注解)に、北魏の李暹の注があって、次にような話しが載っている。(抜粋)
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・麗水は川の名で、砂金を産出し、他のものより勝るので「金生麗水」という。
・南楚の荊山の崑崗谷から美玉が産出する。楚の卞和(べんわ)は、巧みに玉を見分けることができた。あるとき、谷で玉の原石(玉璞)を見つけ、楚の文王に献上したが、文王は見分けられず怒り、卞和の左足を切らせた。文王が亡くなって武王となり、卞和は再び原石を献上したが、再び疑心にかかり右足を切られた。卞和は、二つの玉が見分けられないことを知り血涙した。
・武王が崩じ、成王となり、卞和は今度も原石を献上した。成王は、これを磨かせると美しい玉となった。値の付けられぬ、まさに城に金を満たせるほど価値のあることから、王は「連城の玉」と名づけた。
・成王は、北方の趙の国王の娘と結婚したく、納得しない趙王に卞和の美玉を与えて認めさせた。両国はこの玉を賞めたたえて、「連城の珍」と名づけた。
・西方の秦国の昭王は、趙王の美玉を知り、十五の城を割いてこれと交換した。
(以下略)
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石好きの欲には底知れぬものがある。特に、権力者の場合、石の持つ永遠性に魅力を感じているのかもしれない。市井においては、他から影響を受けてない堅牢な独自性や自律性に惹かれたのかもしれない。

(本ブログ関連:”石”)

暑い8月、ひんやりした沢の水にひたって、砂金採りに行く計画をしている。私の場合、もっと即物的で、単なる物欲でしかないけれど。