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2014年2月25日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 橋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第44回として、「橋(다리)」にまつわる話を紹介した。

まず、江原道の旌善(チョンソン)を流れるアウラジ川と、旌善アラリの歌の紹介から次のように始まった。
・山深い旌善地域に、平昌(ピョンチャン)を源流とする松川(ソンチョン)と、三陟(サムチョク)を源流とする骨只川(コルジチョン)が交わる広い流れがある。韓国語の「交わる(어울리다)」の語源となる、アウラジ(아우라지)だ。
・旌善は松が多く、旧都漢陽(ハニャン)で使う木材を筏に組み、この川で運んだ。筏を操る船頭は、長い川下りに疲れや孤独を紛らすため、広く知られる「旌善アラリ」を歌った。畑仕事や、女性の家事にも歌われ、様々な歌詞が残っている。その一つに、愛しい人を恋偲び待つ、切ない歌がある。昔、アウラジの両岸に住む若い男女が、人知れず会っていたが、ある日、洪水で川が増水して舟が流され、会えぬ辛さを歌った歌詞が伝わっている。

▼ 「アラリキンソリ(아라리 긴소리)」を聴く。アリランの流れに沿った歌・・・どこかノンビリして。

・現在、アウラジの川辺に、歌詞の恋人を待つ女性が銅像*で再現され、その前の川に、平たい石を置いた飛び石の簡単な橋が作られている。冬に旌善を訪れる観光客のため、昔を感じられる丸太の乱雑な渡り橋だ。ただし、住人は、その脇の丈夫な現代式の橋を渡る。

    (*)銅像写真:ブログ「歳月&風景の中の話(세월&풍경속 이야기)」に感謝

次に、七夕や春香伝に伝わる橋について、次のように紹介された。
・橋は、流れを渡る他に、川向こうの住人に会う手段でもある。七夕の日(7月7日)、空に牽牛と織女が一年に一度出会う橋がかかる。二人が会えるよう、鵲(カササギ)が体を合わせて作る橋を、韓国語で烏鵲橋(オジャッキョ、오작교)という。全羅北道の南原に、春香伝の主人公、春香(チュニャン)と李夢龍(イ・モンリョン)が初めて会う広寒楼(クァンハンル)の前に、石の烏鵲橋がかかる。この橋の描写は、李夢龍が歌った赤城歌の中にも登場する。

▼ 春香歌の中の「赤城歌(적성가)」を聴く。一目惚れの舞台を歌う・・・自ら牽牛に例えるか。

最後に、北斗七星の伝説を次のように紹介された。
・あるところに、7人の息子を持つ未亡人がいた。この母は部屋を温かくしても、寒い寒いと暮らした。実は、夜に家を出て、小川を越えて、隣村の妻を亡くした男のもとを訪れた。毎日、冷水に足をつけて渡り、骨の髄まで寒さが染みた。そこで息子たちは、母に内緒で、小川に石橋をかけた。この石橋を渡り帰る母は喜び、感謝を込めて「この橋を作ってくれた人を必ず星にしてあげてください」と神に願った。7人の息子たちは、その後、夜空に輝く北斗七星になった。

▼ 「My heart is azure」を聴く。ラピスラズリの青色を想わせ・・・今様の響きする。

2014年2月24日月曜日

後始末から仕度へ

相変わらず路肩の雪は固まったまま。東西を走る街の通りで、陽の当たる側にも積雪がまだまだ残っている。民家の塀越しに梅の花が咲いているのを見るにつけ、もう雪は似つかわしくないのではと思ってしまう。早く雪解けしてくれないかな・・・どっこい、わが家の塀に張り付いた雪は一向に応えてくれない。

ソチ冬季オリンピックが終わって、きっとソチ市は宴の後片付けに追われていることだろう。いい意味で余韻が残るこの街も、金メダルが与えられるに違いない。

おじさんは、睡眠のリズムを回復できず苦労する。連夜のソチ冬季オリンピック放送のせいか、それとも暖かくなってきた春の兆しのせいか、今夕食後も、ストーブの温もりもあって転寝してしまった。外は寒く、家の中は暖かい。

冬の後始末と、春の仕度が共存する。気ぜわしいような、まどろんだような。赤い炎を揺らめかす石榴石が懐かしい。遅くなったが、この赤色の石を探しに行きたい季節になった。ぼちぼち、モードを切り替えよう。

2014年2月23日日曜日

大きくなる袂石(たもといし)

寒さが薄らいだようだ。ストーブを何度か消して、部屋の温度を調節したりした。このまま、春に突っ走って欲しい。

昔の着物スタイルには、袂(たもと)に手を入れて寒さをしのぐことがある。反対側の袂に手を入れて、両手を組むようにするとちょっと雄雄しく、手の側の袂にそのまま収めてしまうとちょっと滑稽に見える。着方ひとつで様子が変わる。

そんな袂の中に入れていた石にまつわる伝説がある。その石が大きくなるというのだ。柳田国男の「日本の伝説」に「袂石(たもといし)」の項があって、約36種の資料から紹介している。
基本的に、意図或いは無意識に、それも小石から荷運びのバランスをとるためまで含めて持ち帰った石や、自然に現れた石が、次第に大きくなり、結果として、元来名もないはずの石に名が与えられ、霊力を信じられるようになるという伝説だ。

(参考)
日本の伝説」の「袂石」の項にある、始めから9例ほど伝説を分類した。

伝承  採取者            採取場所         設置場所        大きさ  
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備後  百姓               安芸宮島参詣  小さなほこら     高さ一尺八寸、周り一尺二三寸程
信州  農民               富士             家の近く          大きな岩
信州  女                  天竜川の川原  水神様の前       大きな岩
熊野  -                  -                ほこら             大きな円形の岩、高さ二間半、周り七間
伊勢  菅公               播州袖の浦     菅原社            高さ五尺ばかり
土佐  曽我兄弟の母   関東              山                  高さ二間半、周り五間
肥後  神功皇后        三韓征伐         海の水の底      滑石という青黒い色の岩
筑前  神功皇后        (産み石)      海岸の岡の上   三尺余り
下総(ある家)主人  紀州熊野        ほこら              -
・・・
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現代、人が見向きもしない石に、名が与えられたばかりに、石好きは熱中し、嫉妬し、度を越すことがある。それは、石だからそうなのではなく、対象が何であれ、誰もが陥る「言葉」の罠にはまったからかもしれない。宗教的な信仰が、科学の信仰に変わって現れているだけかもしれない。

(本ブログ関連:”石の世界”)

2014年2月22日土曜日

もう雪は降らない?

今週はずっと寒かった。先週(2/14)の雪降りから一週間過ぎて、積雪は陽射しを受けたにもかかわらず溶けようともしない、道端に残ったままだ。おかげで、路面を底冷えの厳しい風が吹いてくる。

今月、東京には降雪が2回あった。1回目(2/8)はサラサラと乾いていたが、2回目(先週2/14)は、どこか湿り気があり重かった。1回目の積雪があっさり消え去ったのに反して、2回目は、すぐに溶けず、ザラザラと固く氷結して根付いた。

・・・ここで、うたた寝する・・・
連日深夜、オリンピック放送をうつらうつら観戦して、睡眠も適当になってしまった。結局、夕食後の暖かいストーブの前で眠ってしまう。フィルムの切れた映画のよう。
・・・ここで、目が醒める・・・

今日外出先で、3月に雪になりそうという話を聞いた(・・・ネットでは未確認だけれど)。話題は、もっぱら雪掻きだったが、そんなこともありかな。そうなると、今残っている固い雪の上に更に積もるわけで、雪掻きが大変だ。

2014年2月21日金曜日

イ・ソンヒ 30周年記念15集アルバム 最新情報

いよいよ待望の、イ・ソンヒのアルバム15集が、(当初2月予定から)3月発売に決まったようだ。韓国日報の記事「歌手イ・ソンヒ、30周年記念アルバム カウントダウン開始・・・ファンの熱い愛(支持)増す」(2/19、韓国スポーツ、ムン・ミヨン記者)は、MV撮影やファンクラブの動向など含めて、その準備状況を次のように報じている。

それにしても、イ・ソンヒのファンクラブの底力を知るニュースだ。彼女のファンはロイヤリティーが高い!

(本ブログ関連:”30周年”)
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・歌手イ・ソンヒの30周年記念アルバムが、ファンたちに出会う準備をつくして、カウントダウンを開始した。

・イ・ソンヒは、3月にデビュー30周年を記念する15集アルバムを発売する。イ・ソンヒ側関係者によれば、アルバムの仕上げ段階で、3月初めのミュージックビデオ撮影を終えた後、本格的な活動に乗り出す

・アルバム発売は、2009年14集「愛よ・・・」以後5年振りだ。15集アルバムの発売カウントダウンが本格化されると、すぐにファンも忙しくなった。イ・ソンヒファンは、所属会社と力を合わせて30周年を迎えたイ・ソンヒのための特別なイベントを準備している。

・イ・ソンヒのファンクラブ関係者は、「最近、イ・ソンヒの15集のアルバムについて、所属会社と会議を進めた。30周年記念アルバムであるだけに、さまざまな企画が準備されている。そのうちの最初の企画は、チャ・ウンテク監督が演出を引き受けたミュージックビデオ現場だ。イ・ソンヒに対する愛を、ファンたちの愛を表現する場になるだろう」と説明した。

・この関係者によると、ファンがサプライズイベントをする場は、3月初めに進行するタイトル曲のミュージックビデオ現場だ。ファンは、イ・ソンヒのコミュニティを中心に、大々的なプレゼントを準備している。

・この関係者は、「イ・ソンヒは、1984年江辺歌謡祭で大賞を受けてデビューして今まで30年が過ぎたが、相変わらず韓国を代表する最高のディーバ(歌姫)だ。ファンも30年前の心と変わりない。ミュージックビデオ現場で、イ・ソンヒがファンの心をそのまま感じることができる場になるだろう」と付け加えた。

・イ・ソンヒは、1984年のデビュー後、「ああ、昔よ」、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」などヒット曲​​を出した。
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MVは、アルバムにパッケージされるのか、規格はリージョンフリーなのか。何より15集のアルバム内容はどうなのか気になる。また、今後の30周年記念コンサート情報も知りたいものだ。

2014年2月20日木曜日

小川の跡

江戸の昔、雑木林の台地を開墾して作った新田地帯に、玉川上水から引き込んだ(分水の)貴重な小川が縦横していた。その存在は限られているが、住宅地に変貌した当地のふとした建物脇に跡を見つけることができる。

住宅地の裏通りの、更に陰になるようにして存在する、幅3mにも満たない小道がある。散歩道というより、 土地の区分であるような役割をしている。通路は、場合によって道半ばで終わったりしている。近所の小川跡の小道は、石畳にして整備されているが、幼稚園の広場に突き当たって途切れている。まあ、それもいいかもしれない。

中には、小川と谷(川)が上下にクロスした(築樋(つきどい)の)跡もある。それを示す解説のプレートも立っていて、ときたま、その場所を通り過ぎるのだが、木立に覆われて構造を見極めることができない*。ただし、上側の小川跡の窪みが遠く続いているのが見える。いつかその先まで辿ってみたいと思う。

来週後半辺りから、春らしさが訪れるという。もう少し温んできたら、小川跡巡りも悪くないな。

(*)2/21追記:
築樋(つきどい)について説明のプレートを見て上記赤字修正。
② 小川の跡を、わき道に沿って辿ってみたところ、本来の築樋と見られる処があった。低地を流れる川と交差するように、上に小川が跨ぐための橋が作られていた。

2014年2月19日水曜日

イ・ソンヒの「涙に咲く花」

イ・ソンヒには、2集所収の(可愛らしい)傷心の恋歌「涙に咲く花(눈물속에 피는 꽃)」(1985年)がある。

Youtubeで同曲を探したら、同じタイトルを付して、実力派ジャズ歌手ウンサン(웅산)が歌う「L'Immensità(눈물 속에 피는 꽃)」に出会った。ただし、この「L'Immensità」(永遠)は、1967年のサンレモ音楽祭で入賞したジョニー・ドレッリ(Johnny Dorelli)の歌であるが・・・イタリア音楽好きの石仲間に知らせようかな。
ちなみに、韓国のブログ情報によれば、「当時、国内に入ってきた外国の曲の中で盛んにヒットした・・・翻案曲で、音楽喫茶店のDJたちの人気選曲対象」だったそうだ(「詩人ヒョン・テソプ」に感謝)。なるほど、Youtubeには他に、この「L'Immensità」に合わせて音楽喫茶店の古い写真や懐古イベントポスターを並べたものもあったりして・・・心象風景を形作った曲なのだろう。

イ・ソンヒ自身の「涙に咲く花」を聴いてみよう。
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“愛は 別れに、なおいっそう輝くでしょう
一人で寂しさを感じたとき、なおいっそう美しいでしょう”

あなたの目に映った 私の姿は
そんなに悲しい顔で 泣いていたのですか
思わず流れた 私のこの涙は
そんなにもあなたの心を 苦しめましたか

遠い空 見つめながら悲しみを消し去ろうと
気づかうあなたの姿は、むしろ私の心に
石を投げているのですね 涙に咲く花よ

“孤独が訪ねてくれば、こらえてしまうでしょう
こらえ続けて寂しくなれば、それだけで泣いてしまうでしょう”

こんなにつらい別れを 始めなければならないのは
もしかしたらあなたと私の 試練ではないでしょうか
私たちの目に宿る 涙に咲く花よ

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(Youtubeに登録のwindmillsofmusicに感謝)

2014年2月18日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 小正月

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第43回として、旧暦1月15日(満月)の「小正月 (정월대보름)」にまつわる話を紹介した。

まず始めに、小正月の民俗行事の紹介から次のように始まった。
・年中行事の半分以上が正月(陰暦1月)に集中する。新年の始まる月であり、農業も休み、羽根を伸ばす季節だ。小正月は、旧正月よりも風習が多く、人々に意味が大きかった。
陰陽の考え(空・太陽・男性・火などは陽、地・月・女性・水などは陰に分ける)により、満月は女神であり、地・水のイメージが重なり、出産・豊饒を司ると信じられた。小正月(満月)の日、村には風物(プンムル、풍물)を奏する一団が家々を回り祝った。当日、村人が作ったタルチプ(달집)の薪の山に火をつけたり、子供たちは畦や畑などに火を入れた。

▼ 創作打楽器グループ“Puri”による「キルグンアク(道軍楽、길군악)」を聴く。・・・どこか耳慣れた今様な。

・この「キルグンアク」は、軍隊行進の演奏を起源とするが、昔は名節を向かえる度に、風物牌(プンムルペ、풍물패、牌=集団)という演奏集団が村を回って演奏した。

(次に、小正月にまつわる風習について、次のように説明された)
・朝鮮時代、金昌業(김창업, 1658年~1722年)の詩に、小正月の夜に、「今晩、橋の上で足踏みをして遊ぶのだ」と記載がある。この日、橋を足踏みして渡ると、一年間、両足が丈夫だと信じられた。橋(다리)と足(다리)とが、同じ文字からきた風習のようだ。
・この機会に、家にこもっていたヤンバンの家の女性も外出したし、彼女たちを見ようと男たちも集まり、橋の上は混み合ったという。人々が集まるこの日は、大道芸人に稼ぎ時で、道端でパンソリの歌い手の大きな声が響き渡った。

▼ 「前山打令(앞산타령)」を聴く。山々の名を込めて・・・ゆったりして、これで小正月の踏橋遊びを?

最後に、小正月の遊びや演劇について次のように解説された。
カンガンスルレ강강술래)やウォルウォリチョンチョン월워리청청)などは、小正月の女性の代表的な遊びだ。女性たちが月光を浴びながら丸く円を描いて立ち、歌を歌い踊る。豊作を願う意味が込められたという。女性たちに過酷な時代に、小正月とチュソク、一年にこの二日くらい、名節を口実に思いっきり遊べた。
・綱引きも地域により様々な形で伝承された。村の男女が両端に別れて綱引きをする。女性が勝てば豊年と信じられた。
・夜になると、仮面劇(タルチュム、탈춤)が始まる。踊りと音楽を共に楽しむ、一種の演劇といえる。農民に君臨したヤンバンを馬鹿にしたり冷やかして笑うが、この日ばかりはヤンバンも口を挟まぬのが暗黙の了解だった。

▼ コムンゴ・アンサンブル“Geomun”による「タルハ(달하)」を聴く。インドネシア、中国・・・響きは今様に広がる。

2014年2月17日月曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

連日深夜のオリンピック放送で、寝不足は限界にきた。夕食後、テレビを見ながらいつのまにか寝入ってしまった。ふと気付いて、いやぁまいったな・・・と思う。このわずかな寝貯めのおかげで、また深夜のオリンピック観戦に力が入ってしまうのだから。いっそ、うたた寝のまま眠ってしまえば楽なのに。でも気になる。

ところで、昔、NHKテレビが新年の放送*で、韓国歌謡番組(KBS「'88年末決算 歌謡トップ10」)を紹介している。次々登場する歌手の中で、イ・ソンヒが6集所収の「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年2月1日)を歌っている映像(Youtube、07:23~)を見ることができる。ちなみに、チョー・ヨンピルが歌う「ソウル・ソウル・ソウル」は、'88ソウル・オリンピック(9月17日~10月2日)の代表曲だ。

    (*)1989年の新年を丁度迎えたばかりの放送

宮崎キャスターは、イ・ソンヒの装いから、「女子中学生の間で・・・お化粧っけがなくて、飾り気のない、さり気なさが大変な人気のもとになっている」など紹介している。松平キャスターも「電車の中にいるような・・・」と、おじさん語りしているよ。日本で紹介された貴重な映像だ。


(Youtubeに登録のkazux377に感謝)

2014年2月16日日曜日

(資料)犬猫の飼育数

以前、韓国では猫を飼う家庭が少ないという話を韓国語教室で聞いたことがあるが、次のような調査結果があるので、日韓対比してみる。(日韓人口比=126,497千人:48,391千人、WHO発表:2013年5月15日)
人口比を勘案して、
・犬の飼育は、日韓同じような割合といえる。
・猫の飼育は、日本より韓国は確かに少ないようだ。猫について、文化的、伝統的にどのような捉え方をしているのか興味深い。

韓国
農林水産検疫検査本部は、去る2012年10月17日(社)韓国社会経済研究院に依頼して実施した「動物の保護に関する国民意識調査」の結果を発表した。
・調査によれば、国民の動物保護に対する意識は、予想よりも積極的で関心度が高い水準で現れ、伴侶動物を飼うことへの関心が増加していることが明らかになった。

「伴侶動物の飼育実態」を見ると、犬や猫を飼う家庭の割合は17.9%で、全国伴侶動物の飼育家庭数は、約359万世帯と推計されており
・伴侶動物の飼育規模を推計すると、犬は約440万匹猫は約116万匹を飼育していることが明らかになった。

日本
一般社団法人ペットフード協会が発表した「平成23年度 全国犬・猫飼育実態調査」(2011年12月26日、55,719サンプル)結果によれば、犬や猫を飼う家庭の割合は、犬は17.7  猫は10.3で、飼育世帯数は、犬は947.3万世帯、猫は552.1万世帯と推計され、
飼育規模は、犬は約1,193.6万匹  猫は960.6万匹を飼育していると推計される。

(注)
上記の日韓比較で、「犬猫を一緒に飼っている世帯」は不明。

(お口直し)
フレームポイントのシャム猫と黒パグ犬の追っかけっこに、キャッキャッと笑いながらヨチヨチ歩きの赤ちゃんが参加するYoutube映像がある。(登録者Monique Bに感謝)

ソチ冬季オリンピック いぶし銀のレジェンド

深夜0時を過ぎて実施される、ソチ冬季オリンピックの男子スキージャンプ、ラージヒル*を見ようと頑張ったが、寝不足のためか見失ってしまった。日本の最初の滑走者、清水礼留飛のジャンプを見たような・・・その後について何も覚えていない。横着して横になってテレビを眺めたせいか、あっさり睡魔に襲われてしまったようだ。

    (*)冬季オリンピックのスキージャンプには、ノーマルヒルとラージヒルがあって・・・。

結局、朝になって、付けっ放しのテレビ画面から、今や伝説となった葛西紀明(のりあき)が銀メダルを獲得したと知った。41歳の快挙である・・・それなのに寝過ごすなんて、勿体無いことをしてしまった。

彼は、1992年のアルベールヒル冬季オリンピック以来、7回目にして、個人として初めてメダルに輝いたという。すさまじい執念と克己力である。まさに、いぶし銀に相応しい栄誉だ

さらに凄いのは、インタビューで、次の目標は金メダルといった。・・・すぐにあきらめて、すぐに眠ってしまう身には、驚異としかいいようがない。もって生まれた才能と言い訳しがちだが、彼の強い持続力に・・・にわかファンは、ため息つくしかない。

2014年2月15日土曜日

ソチ冬季オリンピック男子フィギュア金メダル

昨晩の雪は、先週土曜日(2/8)と積雪量が確実に違う・・・夜半、通りを覗いたがすっかり雪に埋まっていた。何しろ、屋根下にある玄関ドアを開けるのに手間取るほど積もったていたのだ。

例によって夜更かしのため、今日の日付に変わった深夜に一眠りして、目を覚まし、うつらうつらの中、ソチ冬季オリンピックの男子フィギュア・フリースケーティングをテレビで視た。そんなわけで、高橋大輔と羽生結弦(ゆづる)の演技には間に合った。(町田樹(たつき)の結果は、画面の順位表で知った)

にわかファンのため、演技内容については何となく判断する。例えば、ジャンプ後に着氷したときのバランス具合を見つめる程度・・・ジャンプの種類を知っているわけではない。まして配点の加減など、テレビ解説で以前聴いたことはあるが忘れている。

高橋大輔は、善戦したと思う。順位がどうであれ、彼はフィギュアスケート選手団の良き支えになったのではないだろうか。
そして、ショートプログラム史上初の100点超えの101.45をマークした羽生結弦は、一瞬ひやりとした場面もあったものの溌剌とした演技で、日本男子フィギュア史上初の金メダルを獲得したのだ。ライバルのパトリック・チャン(カナダ)と接戦を繰り広げた。フィギュアスケートは、演技構成や出場順位など、ある意味精神的な競技でもあるようだ。

ところで、おじさんの目から見ると、羽生結弦の随分と長い足に驚く。何より10代がオリンピックを頑張っている。つくづく時代を感じる。


(追記)
昨夜来の雪は、朝には雨となり午前中いっぱい降り続けた。ようやく明るんだ昼過ぎに通り道の雪片付けを始めた。先週と比べて倍の量だったろうか。とはいえ、こんな比でないのは十分承知しているが、雪国の忙しさを思い知った気がした。
ドスン、ドスンと落ち続けた屋根の雪は、夕方にはすっかり静まってしまった。
・・・雪道不安なため外出もままならず、また教室も休みとなった。余波は大きい。

2014年2月14日金曜日

また大雪だ

先週土曜日(2/8)以来の大雪だ。雪は降りやまず、家の周りは真っ白に覆われている。積雪量は、今日の方が多いかもしれない。すでに気分は豪雪だ。
冬ならば仕方ないと諦めるが、この雪降り、明日にはもつれて大雨、強風に変わるという。少々うんざり。

これから、まだ雪に見舞われるかも知れない。雪景色の中の歴史的な事件でよく知られているものに、「二・二六事件(1936年2月26日~29日)」しかり、「桜田門外の変(安政7年3月3日、1860年3月24日)」しかりだ。春になっても、油断ならない。

気象庁予報部から、当地に大雪警報が発表(本日17時21分)された。(風雪関連のみ:抜粋)
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当地 [発表]大雪警報 風雪,雷,着雪注意報 
 雪 警戒期間 14日夜遅くから 15日朝まで
    注意期間 15日朝まで
    24時間最大降雪量 30センチ

 風 注意期間 15日未明から 15日夕方まで
   北の風のち南の風
   最大風速 13メートル
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あいつ、今頃鼻血ブーだぜ

バレンタインデーなんて、誰が考えたのでしょうね。日本の場合、チョコレートメーカーのキャンペーンから始まったという。一般に知られたのは1960年で、チョコレートを女性から男性にプレゼントするという習慣が本格的に定着したのが1970年代後半だそうだ。既に、にきび面の少年時代を過ぎていたので、この日にチョコレートを渇望する経験はなかった・・・。

バレンタインデーにチョコレートを貰った、貰わない、いろいろあるだろうけれど、こんな話がある。
バレンタインデーの日、学校も終わった小学5年生の男の子たちが、友人の家に集まった。一人が学校でチョコレートを一杯貰ったクラスの男子の名をあげて、「あいつ、今頃鼻血ブーだぜ」といって、他の仲間も一緒に「ヒヒヒ・・・」と笑ったそうだ。
そう、チョコレートを貰えない意味を、まだ十分に分かってない、けれど、どこかちょっと残念な気分もある。こんな時代の男の子は、最高で、お馬鹿である。それもいいな。

(本ブログ関連:”ちいさな男の子は阿呆である”)

2014年2月13日木曜日

寝不足だ

連日深夜に実況される、ソチ冬季オリンピック放送のせいで?寝不足だ。

いつもながら、スキー・ジャンプやスノーボードの選手が競技直後に、得点を見つめるため戻ってくる場所へ、きちんとすべり止まるのに感心する・・・なせって、勢いあまって囲いにぶつからないからだ。当たり前なのだろうが、素人には、そんなに簡単に止まるもんじゃないのでは・・・なんてね。

特に10代の若い選手を見ると、幼さに生意気言ってもかわいいし、しっかりした語りには立派に彼らを育てたご家庭をおもう。そして、競技しているときの選手の姿に、「すごいなあ」、「えらいなあ」、「がんばれよ」と親類にでもなったような気持ちでいる。

昔はオリンピック選手を羨望したけれど、今は彼らの溌剌とした動作に元気をもらい、10代の若い選手には愛おしささへ感じる。そして、彼らを今見つめている、中学生や小学生がいるのは、 何よりうれしい。いずれであれ、子どもたちの夢をかなえるのは大人の責任だ。

(追記)
ところで、話は変わるが、愛らしい気になる映像がある。「ギューっとして シリーズ」とでも名づけようか。
・ひとつは、TVコマーシャルで、飲んだ乳製品の容器を閉めるため、母親に「ギューっとしてね」といわれた女の子が、いつもギューっと抱かれていることを思い出したのだろう、両手をあげて母親を見上げるようにしがみついてくる映像だ。
・もうひとつは、実写で、幼い幼い女の子が子猫を頬ずりしてギューっと抱き続けているものだ。こんなに幼い頃に愛情を与えることができるのかと感心する。いうまでもなく、この子がそれ以上に愛情を受けているからだけど。「それはあなたの赤ちゃんなの?」と問いかけられても、ひたすら抱き続ける眼差しが愛しい。
・最後は悲しい話であるが、22週目の妊婦が脳出血で脳死状態のまま28週目に帝王切開して男児を出産、翌日生命維持装置がはずされた。残された夫は、妻に赤ちゃんをギューっと抱かせたかったろうし、赤ちゃんがギューっと抱かれること望んだろうけれど・・・。

2014年2月12日水曜日

イ・ソンヒのスターストーリー全12回をまとめて掲載

イ・ソンヒは、27歳当時、彼女の生い立ちとさまざまな思い出を「イ・ソンヒのスターストーリー」として「スポーツ韓国」紙に連載した。(1991年3月8日~4月5日)
本ブログでは、その内容を日に分けて紹介してきたが、次のようにまとめることにした。

ほぼ、暦年スタイルで綴られた彼女の自伝*全12回を、本ブログ画面左側にある、「ブログ本文&資料」の「●資料:이선희 Profile  (自伝~1991年、27歳まで)」に一括掲載する。

    (*) 自伝: 本文に「自伝」という直接的な表現はないが、内容と語りから自伝といえるだろう。

本ブログのメイン・テーマの一つである、イ・ソンヒの天性の音楽的才能を生んだ環境と、どのように影響を受けたのかについて、かなりの程度知ることができた。

また、関係者がネット上でイ・ソンヒについて語る内容は、ほぼ本資料に基づいているといっても過言でない。その意味で大変貴重な資料である。

上記自伝以降についても、イ・ソンヒがどのように音楽生活を過ごしたか、できるだけ彼女自身の言葉をベースに資料収集したい。

2014年2月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 馬

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/5)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第42回として、「馬(말)」にまつわる話を紹介した。

まず始めに、馬にまつわる逸話の紹介から次のように始まった。
・新羅の昔、没落した王朝の末裔に一人の青年がいた。両親は再興を期待して、幼くから厳しく躾けた。
・しかしながら成長した彼は、身分の低い娘と恋に落ちる。それを知った母は強く叱り、二度と娘の元へ行かぬよう誓わせたが、或るとき、酒に酔い乗馬して家に帰る彼の前に、娘の迎える姿があった。彼を思いやった馬が、娘の元へ導いたのだ。母との誓いを守る彼は、その馬の首をはねて家に戻った。娘は彼を恨めしく思い「怨詞(원사)」を歌った。三国統一に最大級貢献した新羅の将軍金庾信(김유신、595年~673年)の若い頃の逸話だ。(「破閑集」)

▼ 玄琴(コムンゴ)演奏による「新羅幻想曲」を聴く。御簾越しに流れるような・・・今様である。

次に、この逸話に触れた、李公升の詩について次のように説明された。
・金庾信に捨てられた娘は天官女(천관녀)といい、後年(三国統一後)、金庾信が彼女のために建てた天官寺(천관사)の名から付けられたようだ。天官女には、妓生(기생)あるいは巫女(무녀)とする説などある。
・天官女の歌「怨詞」は忘れられたが、高麗時代、慶州に赴任した李公升(이공승、1099年~1183年)が、天官寺の前を通りかかり、金庾信と天官女に関連してしたためた詩が伝えられている。その要約は、「青年と哀れな女性の愛の話も心痛む・・・が、最も気の毒なのは、忠誠を誓ったという罪だけで、かわいそうに命を落とした金庾信の馬であったのではないか」というものだ。*

    (*)ブログ「タルマル(달마루、天と地?)」に踏査情報がある。感謝。

▼ 大琴(대금)による「河臨城(하림성)」を聴く。笛の大きさに比して高音澄明な響き・・・今様である。

・「河臨城」は、伽耶琴(カヤグム)楽師の于勒(우륵)を受け入れた新羅王真興(진흥、534年~576年)の宮殿の名という。

最後に、建国神話での馬との関わりについて次のように解説された。
・新羅建国の赫居世居西干の出生にまつわる神話に、ある日、蘿井(나정)という井戸端で白馬がいななきながら天へ登った。そこに大きな卵が落ちていて、中から生まれたのが赫居世居西干だ。また、高句麗建国の東明聖王(朱蒙)も幼い頃、馬の面倒を見る仕事をしたと伝えられている。

▼ 男唱歌曲(界楽)「鐵驄馬に乗って(철총마 타고)」を聴く。雉狩りに行こうとするに、悠然としながらも心ははやる、馬は胴震いする、そんな感じかな。

・終わりに、岸さんから「ひとと深い関係を持った馬のように、どんなシーンでも心温まる関係を築けるような一年にしたいものですね」とのこと。まさに、おっしゃる通りです。

2014年2月10日月曜日

バイキング・ザ・バイキング

昨晩のテレビで、ドラゴン退治の伝説をCGを使って紹介するなか、バイキングに触れるところがあって、ふと思い出したことがある。主題歌の一節に「バイキング・ザ・バイキング」と歌うアメリカのテレビシリーズだ。

1960年に放送されたTV番組に「バイキング(Tales of The Vikings)*」があった。当時、子どものなので、バイキング(ヴァイキング)の歴史的な背景・・・キリスト教との対立など知る由もなかったが、戦いにあけくれる展開に毎回釘付けになったものだ。ある意味、海洋民族?に対する親和があったのかもしれない。

    (*) 「クラシック・テレビ・アーカイブ」に詳細な紹介がある。

ソチ冬季オリンピック開催式に入場した北欧諸国の選手団が掲げた国旗に、十字架のデザインが多いことに気付く。


(Youtubeに登録のStephen Carrollに感謝)

2014年2月9日日曜日

雪かき

降雪はいつ止んだのだろう。今朝はすっかり晴天になって、屋根上から積雪の塊がドスン、ドスンと音をたてながら落ちたり、溶けた水滴が雨だれのようにポトポト垂れている。

昨日のうちに、(前回の積雪の反省から)、門のレールに水道水をチョロチョロ流し続けていたので、雪に埋もれることもなく開閉がスムーズなのは幸いだ。後は、玄関前と通り道の雪かきだ。

今日は、降雪の心配もないようなので、玄関前の雪は水道水で溶かす。同様に、家の前の通りに水を撒くのは、凍結の心配というご意見もあるだろうから、新品の雪かきスコップで取り除いた。このスコップ、軽くて作業が楽だ。思いのほか短時間で終えることができた。

雪塊が屋根から落ちる音が続く。前回の降雪で、2階の屋根から落下した雪の塊が、1階屋根の雨どいを壊してしまったことがある。今回はどうだろう・・・ちょっと心配。


ところで、昨日の都心の降雪について、日本経済新聞の記事「東京都心で積雪27センチ、戦後4位 628人けが」(2/9 1:48、共同)は次のように報じている。(抜粋)
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・日本列島は8日、南海上を急速に発達しながら進んだ低気圧の影響で、東京都心(大手町)で戦後4番目となる27センチの積雪を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となった。都心で20センチを超える積雪は1994年2月以来、20年ぶり。東日本や東北では9日にかけて大雪が続く所があるという。
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東京の最深積雪:「気象統計情報」(気象庁
  年  cm
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1994 23
1995   2
1996 14
1997 -- (該当現象:なし)
1998 16
1999   0 (該当現象:1未満)
2000   0
2001   8
2002 --
2003  1
2004   0
2005  2
2006   9
2007 --
2008  3
2009  0
2010   1
2011   2
2012   4
2013   8  ← あれ、もっと降ったような気がするが!
2014 27 (2/8現在)
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2014年2月8日土曜日

大雪警報

サラサラ粒の雪が一日中降り続く。止む気配がない。通りに、雪が大好きなはずの子どもたちの姿を見ることができない。あっという間に、雪が肩に積もる。

徒労を承知で、家の前を雪かきした。次に、玄関先の蛇口から、門が雪に埋まらぬよう水を撒いて降雪を溶かしたが、小一時間もすると、辺りはしっかり雪に埋もれている。しかも、蛇口が凍ってしまい水が出てこないのだ。慌てて、熱湯をかけて解凍した。凍結防止のために、ちょろちょろと水を流し続けることにした。

テレビの気象情報では、降雪量(高さ)が、「~年振り」と次々更新して報じられている。


気象庁予報部は、当地に次のように「大雪警報」を発表した。(抜粋)

2月8日16時29分発表
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当地 [継続]大雪警報 風雪,着氷,着雪注意報 

 雪 警戒期間 9日未明まで
    注意期間 9日未明まで
    24時間最大降雪量 40cm
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なんと降雪量が、24時間で40cmだって!

イ・ソンヒの「雪は降る」

朝方、やはり雪は降っていて、外を覗けばすでに真っ白だ。積雪が吸音材になって実に静か・・・じっくりというか、絶え間なく降り続いている。テレビの天気予報は、本格的な降りとなるので、できるだけ外出を控えるよう伝えた。

予定した遅めの新年会は延期と連絡があった。以前のこと、大雪の晩遅くに帰宅したら、何と門が雪に埋まってしまい開かずに焦ったことがある。今日の雪かきが・・・心配だ。

ともあれ、銀世界ともなれば、イ・ソンヒの「雪が降る(눈이 내리네)」(S.Adamoの1963年の”Tombe la neige”より)を聴かないわけにはいかない。イ・ソンヒにはキャロル・アルバムというシリーズ?があって、「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年11月20日)に、この曲が収められている。随分しっとりした情緒ある歌い方だ。

(本ブログ関連:”雪が降る”)


(Youtubeに登録のKnightmareに感謝)

ソチ冬季オリンピック開会式

日本時間8日午前1時(現地7日午後8時)過ぎ、ロシアの黒海*沿岸都市ソチで、「第22回冬季オリンピック競技ソチ大会」が始まる。

(*) 「黒海」の名の由来について、Wikipediaによれば、黒海の深層で嫌気性バクテリアの発生する硫化水素と、水中の鉄イオンが結合して黒色の硫化鉄が発生したため、との説を紹介している。

早目にテレビの前に座っていたら、ストーブの温もりでいつのまにかうたた寝してしまっていた。開会式の実況放送を見過ごしたかと慌てたが・・・大丈夫、まだ間に合う・・・でも眠い。

全競技種目は、7競技98種目(内12は新種目)だそうだ・・・ところで、日本の出場競技は何種目?

今大会のメダル目標は、長野五輪(金5、銀1、銅4)を越えるとのこと。


(追記) うたた寝しつつ、開会式を見ながら
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・日本選手団は遅いなあ・・・うたた寝して見失ったのかと心配したら、最後に登場の主催国ロシア選手団の直前だった。そうか、ロシア語(キリル文字)で日本は、「Япония(Yaponiya)」となり、文字順で最終だ。お陰でちゃんと、日本選手たちの姿を見ることができたよ。
・開会式を飾るショーのなかで、歴史を象徴して、機関車を模したものが会場高くに登場したのを見たとき、なぜかセルゲイ・エセーニンの詩を思い返した。ソ連時代の始まりは、工業化であり、その象徴が国民大衆にとって機関車だったのだろう・・・馬を凌駕する速さとその力強さは、同時に不安さえ覚えたのかもしれない。

(本ブログ関連:”ロシア”、”ソ連”、”セルゲイ・エセーニン”)

2014年2月7日金曜日

雪かきスコップ

今日も寒さが緩む気配なく、寒気が顔を刺す。コートの襟首を閉じて冷気の侵入を防禦する。
どんよりとした空を怪しんで、DIYショップで雪かきスコップ(シャベル)*を購入した。柄(え)以外は、プラスティック製(刃先は金属で一部補強)のため軽く、雪降りの中での雪かき作業が軽便かもしれない。

    (*)スコップとシャベルの違いについては、JISに定義されているようだ。

気象庁によれば明日8日に雪が積もりそうで、当地に「大雪注意報」(2月7日17時40分、気象庁予報部発表)が発令された。(抜粋)
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・東京都の注意警戒事項
東京地方では、大雪や空気の乾燥による火の取り扱いに注意してください。

・当地: [発表]大雪注意報
雪 注意期間 8日明け方から8日夕方にかけて以後も続く、24時間最大降雪量 15センチ
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さあ準備万端、雪よ!いつでも降って来い。というものの、明日8日の晩に、遅めの新年会を予定しているのだが・・・どうなることやら。

明日、大雪になったら、イ・ソンヒの「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)をブログに書こうかな。

2014年2月6日木曜日

春の七草

立春に入った矢先、雪に見舞われて寒い日が続く。週末にひと雪あるかも知れないという。積雪が心配で、スーパーの店頭に並んだ雪かき(スコップなど)が気になる・・・早めに購入すべきかどうか。

うっとおしかったストーブが、まだ役目を終わらない。とてもじゃないが春は暦の名ばかりだ。

旧暦で見れば、今日はまだ1月7日で寒いはずだ。昔は、この日に春の七草を食べたという。先日、このブログに(1/7)に七草粥についてメモして、春の息吹を期待したのに・・・まだ遠いな。

七十二候を書いたガイドブックに、春の七草を小寒の項に入れてあるのを見て、はたと気付いた。すべて旧暦のなかで考えれば順当だったのに、このブログでは新暦で節気を記して、旧暦で思いをはせるという、まことにまとまりの悪いことをしている。旧暦の言葉は、旧暦がおさまりよいというもの。

ところで、国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、「七草粥を作るときに歌う歌を知りたい」の問いに対して、次のような回答がある。
「1月6日の夜、七草をまな板の上に載せて、包丁で刻むときに歌う歌で、地域によって歌詞は異なる。例えば、山梨県では、『唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、あわせてこわせてバッタバッタ』と唱え、栃木では『七草なずな唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬうちにすととんとんとんとん』、宮城では、『七草ただげ七草ただげ七草なずなとうどの鳥といなかの鳥と通らぬ先に七草ただげ』と唱える。」

<七草粥を作るときの歌>でいう七草とは、「春の七草」、「秋の七草」両方を指しているのだろうか・・・「唐土の鳥」と「日本の鳥」というように、渡りの<時期>に符合させているとイメージしてしまうが。

2014年2月5日水曜日

(予定)イ・ソンヒの2014コンサート・スケジュール

イ・ソンヒの公式ホームページを覗いたら、自由掲示板に、ファンからのコンサート・スケジュールの問い合わせに、4月予定と回答が記されている。
(回答者は、イ・ソンヒの(ファンによる)30周年記念事業推進委員会の方のよう)

さて、チケットをどうしよう。

2014年2月4日火曜日

立春2014

春雨だ濡れていこう、といっても知られぬ時代になったのだろうか。無声映画を見たわけではないので、もしかしたら市川歌右衛門の映画のせりふだったのか・・・それとも、小雨の中を強気になって走り出した子どものころの掛け言葉だったのか。

昨日と打って変わって、一年の季節の始まりというに、小雨でひんやりしている。

(本ブログ関連:”立春2010”、”立春2012”、”立春2013”)

(追記) 立春に降雪
栗林に降る雪
あるテキストを求めて書店を巡って、昨日は地元の2軒になく、今日は小雨が霙(みぞれ)に変わりつつあるなか近くの街に出かけて、ようやく2軒目で手に入れた。さて、地元駅に戻って、駅ホームから外を眺めると、絶え間なくベタ雪というかドカ雪が回転しながら落ちてきた。真っ白な空に、隙間がないようにさえ見えた。

雪降りはますます勢いづいた。この街を走るマイクロバスで帰宅したのは正解だった。降雪の気配はしばらく続いたが、陽の沈んだ外に改めて様子をうかがうと、路面に積雪はなく、ただ夕暮れの中に存在を示すように、わが家のポストの上にこんもり雪が残っていた。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 旧正月

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第41回として、「旧正月元旦(ソルラル、설날)」にまつわる話を紹介した。

まず、ある晦日、貧しさに溜息つく妻へ玄琴(コムンゴ)の音で慰めたという逸話を次のよう紹介された。
・新羅時代、慶州の狼山の麓、貧しくて繕(つくろ)った服を着た男がいた。村人は「百結(ペッキョル、백결)先生」*と呼んだ。家は貧しくとも、昔を慕い、常に玄琴を弾き、人生の喜怒哀楽を表現した。

    (*)百結: KBS WORLD「韓国偉人伝-百結」参照

・大晦日に、近所から穀物を搗(つ)く「パンア(搗き、방아)ソリ(音、소리)」が聞こえて、ため息をつく妻に、百結先生は「人の生死はその命に関わるものであり、貧富は天の決断である。これに対してあがくことはできないのに、婦人はどうして心を痛めているのか?」と言い、玄琴で臼をひく音を再現して慰めた。この音楽が世に知られ、「碓樂(テアク、대악)」、または、「パンア打令(방아타령)」と呼ばれた。

▼ 霊山会想から玄琴演奏「下弦還入(하현도드리)」を聴く。ゆたりと風流に響く・・・そんな部分か。

次に、さまざまな旧正月の料理の品々を次のよう解説された。
・旧正月、家庭は名節料理の準備で慌しい。次のような元旦の詩がある。「牛肉を煮てのせ、白い餅も積み重ねる/年の暮れの豊かさだ/元旦に膏粱(こうりょう)珍味を腹いっぱい食べれば/一年中、空腹を感じることはない」。
・食物が十分でない時代、元旦に先祖を祭る大切な目的があり、料理を盛りつけて分かち合い、一年が豊かで実りあるよう祈願した。
・元旦の客に出すお節料理に「歲饌(세찬)膳(상)」がある。トックク(雑煮)に餃子などを準備し、「シッケ(식혜、甘酒)」や「スジョンクァ(수정과)」の飲み物に、果物や「ナバッキムチ(スープ状キムチ)」を添えた。本格的に宴には、さらに、もち米に栗やなつめなどを加えた飯である「ヤクシク」や、「トッポッキ」、肉を煮た料理の「ピョンユク(片肉)」、小麦粉に甘く味をつけ揚げた「ヤックァ」などの菓子類、さらにゆでた栗やしょうが、なつめなどで作った「スックァ(熟果)」などを並べた。

ビナリ「祝願徳談(축원덕담)」を聴く。歌と打楽器で賑やかな・・・ともに祝いあう空気が伝わる。

・元旦の朝に飲む「屠蘇酒(トソジュ)」は、様々な薬草を入れて作り、冷たくして飲むと、悪い気運が去ると信じられた。屠蘇酒は一番若い人から、新しく一年を得るため先に飲み、年長者が歳月を失っていくため最後に飲むという。

▼ 「報念(보렴)」を聴く。祈り、地の香りして・・・今年もよい年でありますように。

2014年2月3日月曜日

節分 2014

節分の今日、鬼も張り合いがないのか、わが家にその気配がない。豆まき用の豆を買い置くのも忘れたくらいだ。なにしろ彼らときたら、腰が引けているのか、おさなごたちの前にしか登場しないのだから・・・全くブルブル感が足りない。

一日中、体が追いつかないほどの暖かさだった。最高気温が都心で17.8度、もはや春の兆しして、鬼も現れるタイミングを失ったかもしれない。そう、明日は立春、新しい季節の始まりである春になるのだから。

鬼さん、出てくるなら今晩限り・・・まあ、会いたくはないけれど。

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「12.統一のための触媒になりたい」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その最終回である第12回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒのファッションの特徴であるズボン着用の理由、結婚について、統一公演などについて知ることができた。

これまで掲載のスター・ストーリー(第1回~12回)を、ブログ画面左にある「ブログ本文&資料」に「●資料:이선희 Profile (自伝)」として、まとめて掲載する予定。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[12] 統一のための触媒になりたい
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読者や視聴者が、私に対して最も気にかけられるのは「なぜズボンだけ着るのだろうか」と、「いつ嫁入りするのか」ということだ

・ズボンだけこだわる理由は、中高時代に制服のスカートだけ着ていたらズボンが着たかったし、また、大学へ行って洋服にネクタイ姿に変えてみると、そんなに楽なことではなかったためだ。また、スカートは女性だけ着るものなので、化粧もしなければならないようだし、随所に装いもたくさんすべきなようで、ちっとやそっとのことで着ないことに決めたのだ。スカートよりはズボンが「自己防衛」にも良いようだったし。

デビュー当初、「結婚はいつ頃になるか」という問いには、いつも「三十歳前です」と答えた。当時には、はるかに遠い未来の年齢だと感じた「30才」が、もうそろそろ目に見え始める。だが、私たちの年齢(数え年)で三十前まで結婚できないようだ。

・今年と来年には、「公人」としてすべきことが山のように前を遮っており、また、29才になれば大人がダブー視される、いわゆる「九数(九がつく年齢、人生の節目)」にひっかかることになるので、どうやらこうやら三十には皆さんに麺をもてなすこと(結婚式を挙げること)ができそうだ。

・私は、ある種責任意識を持っている。私を大切にしてくださった全ての方に、企業が利益を社会に還元するように、何かをお返ししなければならないという信念を持っていることだ。

「私たちの願いは統一」のように、私は必ず北韓公演を成功させてみる。過去の東西ドイツの例を見ても、大衆文化交流は明らかに統一のための触媒として作用できると信じる。

・「つつじの花、菜の花ひとかかえ、胸に抱いてみればいつも夢見るよ。・・・一つになった愛で、自由と平和を思いっきり享受して生きる(懐かしい)その夢を・・・」、6集(1990年)に入っている「懐かしい国(그리운 나라)」*の一部である。

    (*)本ブログ関連;”「懐かしい国」

・つつじが春の園を刺繍する北方の地から、菜の花満開な南端の済州道まで、わだかまりなしに行き来することができるその日を描いて、私は公演のたびごとに必ず「懐かしい国」と「美しい江山」を切実な心境で歌っている。

・来る5月頃には、すでに作られ、統一を念願する多くの人々の口から口へ歌われている「愛の世界」(イ・コンサン作詞、キム・ジョンイル作曲)という歌を収めたレコードも出す予定だ。この歌はソ連のルドゥミルラ・ナムイの来韓公演でも歌われたし、テナー(歌手)のパク・インス教授も愛唱する曲だ。

・また「愛の世界」は、北韓にも知られているようだ。歌詞中の「開けよう・・・開け・・・」という小節を巡って、北側では「開け」を「開こう」に直そうと要求するという声も延辺自治区のある僑胞(海外在住韓国人)から聞いた。

・北韓公演は、来る9月の韓民族体育大会とほぼ同時に可能だと耳打ちして下さった関係者もおられる。公演関連の詳細は、私のマネジメントを担当している、ヘグァン企画で緻密に推進中だ。

・これまで、私が経験した27年を記録した貴重な紙面を快諾された日刊スポーツに心より感謝し、今後もこの新聞の芸能面を通じて、読者の皆さんになんどもお会いするのを希望する。
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(付記)
上記自伝(掲載1991年)の最後に語られたように同年9月に、イ・ソンヒの平壌公演は実現したのだろうかよく知らない。

現代峨山の報道資料(2003年9月25日)によれば、2003年10月6日に、平壌にある柳京鄭周永体育館(류경정주영체육관、12,500人)で開催される、南側の公演に歌手のイ・ソンヒ、ソル・ウンド、チョ・ヨンナム、声楽家のキム・ドンギュ、新世代グループの神話、ベイビー・ボックスの出演が予定される・・・。
彼女の公式ホームページに、この公演の記録は掲載されていない。(Youtubeに映像はあるが・・・)

ちなみに、チョー・ヨンピルは、2005年に同場所で単独コンサートを行っている。

2014年2月2日日曜日

「女性歌王」イ・ソンヒ・・・2月出撃

歌謡界の2月の動向を記すスターニュース記事(2/1、キル・ヘソン記者)は、「女性歌王」イ・ソンヒ・・・2月出撃として、次のように記している。抜粋。
いよいよ待望の、イ・ソンヒのアルバム15集を、今月遅くとも来月始めに入手可能とのこと。どんな内容なのか知りたい。あわせて、30周年のイベントについて時期や場所など詳細情報を今後得たい。

(本ブログ関連:”15集”、”●資料:이선희 Concert”)
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・(旧)正月の連休が終わる2月、多彩なスター級歌手たちが、歌謡界に同時出撃する予定で、すでに歌謡ファンをときめかせている。

・「女性歌王」の一人と評価されるイ・ソンヒは、早ければ2月の内に正規(アルバム)15集を出す予定だ。

・イ・ソンヒ側関係者は、1日のスターニュースに「イ・ソンヒは、現在の新しいアルバムの追い込み作業に心血を注いでいる」といいながら、「現在としては2月末、遅ければ3月初めに15集をリリースする計画」と伝えた。

・特に、今年はイ・ソンヒが歌手デビュー30周年を迎える年なので、彼女の新しいレコードに注がれる関心はより一層大きい。

・イ・ソンヒは、去る1984年、満二十歳の初々しい大学生時代、「Jへ」により第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を獲得、シンドロームを起こしてデビューした。以後ずば抜けた歌唱力を前面に出して、「ああ、昔よ」、「秋の風」、「分かりたいです」、「ヨン(You)」、「愛が散るこの場所」、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などを次々大ヒットさせて、80年代と90年代初期を代表する女性歌手として地位を確立した。

・イ・ソンヒの音楽活動は以後も着実に続き、2005年発売した13集収録曲「因縁」は、(観客動員)1000万の興行映画「王の男」にも挿入*されて人気を独占した。2011年には、全国ツアーを盛況裏もまさに盛況裏のうちに終えた。

    (*)映画「王の男」: 未見であるが、サウンドトラックとしては使われたわけではないという。
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2014年2月1日土曜日

(資料)50代と漢字

新聞記事を通じて韓国の世代論をフォローしているが、時代を決定する50代に差し掛かった世代およびその下の世代であるハングル世代(한글 세대)が、漢字との親和が乏しいという現状を、朝鮮日報の記事「名前さえ漢字で書けない韓国人」(2/1、(魚秀雄(オ・スウン)記者 , 兪碩在(ユ・ソクチェ)記者)は次のように報じている。抜粋。

イ・ソンヒが1984年「江辺歌謡祭」で大賞受賞を紹介する、京郷新聞(テレビ番組紙面)にある記事は(氏名を除き)ハングルばかりだが、タイトルや写真の見出し部分に「熱気」、「大賞」、「音楽」など漢字が見られる程度である。
ちなみに、イ・ソンヒの2005年の13集アルバムタイトルは漢字で「四春期」(思春期ではない!)で、2009年コンサートのタイトルに「招待」の漢字が使われた。「인연(インニョン、因縁)」以降、彼女のヒット曲に東洋的香りする旋律が織り込まれている。

(本ブログ関連:”50代”)
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・1970年に「ハングル専用政策」が始まってから44年。今や、小学校で漢字を学んでいない最初の世代は50代に差し掛かった20-30代はもちろん、40代すらも漢字になじみがない時代になったということを意味する

スマートフォンやタブレットPCからは漢字の入力システムが姿を消し、ハングルだけで誤記された単語が、正しい表記として「定着」するケースも多い。

・成均館大学中文科のチョン・グァンジン教授は「漢字語は韓国語の語彙(ごい)の70%、学術用語の90%以上を占めている・・・

・仁済大学のチン・テハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は「漢字が多く使われている1980年代以前の本を大学生が全く読めないということは、韓国各地の大学図書館に所蔵されている資料の90%以上が、そのまま死蔵されるということを意味する・・・
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2014年1月31日金曜日

旧正月

今日で1月が終わり、あっという間に今年の12分の1を食ってしまった。時が過ぎるのを、消化に例えるとあっけない。まるで食いちぎったように消え去ってしまったよ。

太陽暦の西暦2014年の元旦に、まさに新年を迎えたつもりでいたし、新しい空気を感じたが、旧暦でみれば昨年の12月1日でしかなかった・・・けれど。そして今日、やっと旧暦の新年である旧正月を迎えた。

今日、旧暦ながら新年の香りを探したが何にもない。きわめて淡々と日常が終わった。五感に訴えるような変化を感じない。街には平日しかなかった・・・当たり前だ。

旧暦の正月行事など当然ないけれど、日常に探すと、このところストーブがうっとおしくなってきたかな。そして、日没が徐々に遅くなっているのに気付く。気候に小さな変化を見つけることができる。

寒中に感じる正月がよいか、それとも寒暖の緩みに感じる正月がよいか。まっ、どっちでもいいけれど。

それよりも、このところ、日めくりカレンダーの日めくり作業がルーズになってきたなあ。3日分まとめてはがすなんてこともある・・・カレンダーが目の前にあっても気にもならないなんて。

2014年1月30日木曜日

STAP細胞って?

STAPって、SMAPじゃないよね・・・そんなわけはない。凄い発見だそうで、同じ「命」とか「細胞」を持っているだけに、何となく分かったような気がしてくるが、本当はよくわからない。いっそ、素粒子のような世界なら、ただ受身一方でうなずくだけで済むのに。

今回の発見は、生命科学を究めるのにつながるだけでなく、医療分野への適用もあって、マスコミが大騒ぎして、わかったような気にしてくれるのはありがたい。

発見者のいうように、「数十年後、百年後」を見据えた長期的な視野の研究で、将来が期待される。それまで待っていよう・・・私の命では間に合わないって?・・・それも、いいじゃないですか。

研究リーダーの小保方(おぼかた)晴子さんは、何と30歳という若い女性だ。テレビで見る彼女は、率直な物言いでしっかりしているのだろうけど、どこかお嬢さんのような純な感じもする。可愛らしいね。
研究室は、全員が女性だそうで、壁色にいろいろあり、童話の「ムーミン」のキャラクターたちが描かれている。おまけに、ペットに亀のスッポンまで飼っているという。
うれしいことに、彼女の研究スタイルは、いわゆる白衣ではなくて、お祖母さんからの由来の「かっぽう着」だ・・・ますます、おじさんファンが増えるというもの。うれしいね。

それにしても、かつて彼女の論文を酷評した「Nature」誌の評者(論文審査員?)の面々は、今ごろ赤面していることだろう・・・と、どこか溜飲下げたように気になるが、結局はよく分からない。Natureさんにも、ごめんなさい。

すぐに科学雑誌「Newton」で特集が組まれることだろう。iPS細胞、STAP細胞など、比較した分かり易い絵解きを見よう、そしてその気になろう。楽しみだ。

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒの、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年)の映像はネット上で数々見てきたが、秋の枯葉が敷き詰められた木々の下で彼女が歌う珍しいビデオがYoutubeに登録されている。やわらかな西陽に照らされながら、いかにも彼女らしいズボン・スタイルで、樹間を歌い逍遥する。音量がやや小さいが、それを次に埋め込む。

(本ブログ関連:”Youtubeでイ・ソンヒを見たという友に返信”、”イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」”)

Youtubeに記載の<概要>によれば、MBCテレビの音楽番組「土曜日土曜日は楽しくて(토요일 토요일은 즐거워)」(357回、1993年8月21日)のもので、画面表示に、撮影場所は、ソウル市北東にある京畿道抱川市に位置する「光陵樹木園(광릉수목원)」(現「国立樹木園(국립수목원)」)としている。撮影は1990年10月、ちなみに6集アルバムは同年8月20日リリースしている。
(登録者:MBCfestival

 

2014年1月29日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「11.私の華麗な事件」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第11回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒの、音楽以外の側面での慈善活動や、詞に政治的なテーマと取り組む試行など、あるいは彼女のファン層について知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[11] 私の華麗な事件
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時折、このような質問をする人がいる。「同じ歌、何度も歌ってたらウンザリしない?」

そのような問いに触れると本当にあきれる。私は、私が好む歌をその時その時の気持ちと舞台の雰囲気に合わせて歌うことがとても楽しくて、その独特の雰囲気を「満喫」しているからだ。

「炎のように(불꽃처럼)」のようなダンスミュージック風の歌も入っているが、ポップ・バラードが中心である5集アルバム(1989年)は、私が歌手デビュー後、ぴったり5年ぶりに出た。このアルバムの最高人気曲は「私の街(나의 거리)」。放送とDJ人気チャートで、2ヶ月以上頂上に留まった歌だ。

5集で格別に愛着がある曲は、「五月の陽射し」である。「5月の光州の英霊」*たちを考えて、私が歌詩を書いた。少なくとも、国民の愛(支持)を受ける歌手ならば、私たちの社会の痛みに「他人任せ」していることはできないと思った。この歌は、大学街のデモの時も「愛唱」されたし、光州のローカル放送では10週連続1位に留まったりもした。だが、一つ物足りなさは残る。私が直接行ってみた光州を素材で映像ビデオを製作しようとしたが、色々な理由で失敗に終わってしまった苦々しい記憶のためだ。**

    (*)5月の光州の英霊: 1980年5月の光州事件参照
    (**)イ・ソンヒは、善意から政治に関わった経緯があるが振幅もあって、現在は遠ざかっているようだ。

1989年6月には、香港3MGレコード社で「これがオリジナルソングだ」*というディスクが出た。ホイットニー・.ヒューストンなどそうそうたる歌手10人が、自身のヒット曲を収録したアルバムだ。アジアでは私が「代表選手」に選ばれたけれど、チョー・ヨンピル先輩が抜けたという事実が、当時にはちょっと面食らってしまった。

    (*)「これがオリジナルソングだ」: 企画アルバムのようだが詳細不明(ジャケット写真:感謝)

しばしば、イ・ソンヒのファンは少女層が大部分であると知られているが、それは事実と違う。1990年7月のある世論調査結果を見ると、男子大学生の24%、女子大生の15%が私を「最も好きな歌手」と挙げたのだ。その調査で、男性歌手ではチョン・テチュン氏が1位であり、私は女性歌手の中で人気1位だった。

(人気)数字だけ次々並べて見ると、ちょっと目まぐるしい気がする。とにかく、私のレコードは男性がたくさん探して、カセットは女性ファンがたくさん買ったそうだ。職場の趣味サークルの内では、男性中心の同好者の集いで私をよく招待する方だ。

昨年の春(1990年4月)、ミュージカルに出演したことがある。世宗文化会館で幕を上げた「オズの魔法使い」の主人公「ドロシー」役だった。ドロシー役は、米国ではダイアナ・ロスが引き受けたとか。とても手に余る舞台であった。

スカートを着て靴をはいたまま、幕間ごとに明かりの消えた舞台裏を飛び回ったら、台詞をいうたびに息があがってフウフウしなければならなかった。また、緊張の連続だったので、体と心が別々に動いた感がなくはない。気球に乗って帰宅する最後の場面では、靴のかかとに装着された豆電球に点灯しなくて慌てたりもした。確かにかかとをぶつければ明かりが「パッ」と入ってくることになっていたが・・・分かってみれば、あちらこちら暴れる(?) 間に、つながれた電線が切れてしまったのだ。

何も知らずに飛びまわったミュージカルを通じて、私は多くのことを悟った。中学2年生だった末っ子の弟(妹?)*が生まれて初めて私の姿を見に公演会場にきて、また非常に不思議に思った。漫画の映画やビデオでは味わうことが出来なかった夢と希望を感じたと言った。「ずっと大きな」子がそうなのだから、まして子供たちが・・・

    (*)イ・ソンヒは長女で、弟とさらに2人のきょうだい(男?女?)がいる。

公演練習のために、放送出演など私の「生業」が支障をきたすことになって、公演後遺症で病んで横になることが心配だけれども、私は今春にもミュージカル「ピーター・パン」に出演する。ズボンではないが、草色のタイツを着た万年少年のピーター・パンの役に。

体が「パキムチ(葱キムチ)」*になれば、いいのだが。私には、万病に効く、薬のような参鶏湯(サムゲタン)一杯あれば軽く「元気回復」するのを・・・

    (*)葱キムチ: 疲労回復に効能があると、ネット上に記述ある。

ミュージカルにすっぽりはまってみると欲が出る。子どもと青少年に夢と希望をあたえる専用の文化空間をたてたいのだ。それで、今でも日本や米国など外国の資料をこまめに集めている。合わせて、誰かが「コンチュイ・パッチュイ」*など、私たちの話をミュージカルで脚色してくださるように祈る。

    (*)忘れ形見の娘コンチュイが継母とその娘パッチュイにいじめられるが幸せをつかむ。(シンデレラと似る)

また、学生家長と進学できない不遇な青少年のための奨学財団の設立も着々進行中だ。隠れてしようとしたことなのに、つい言論(マスコミ)に「見つけられて」'しまった。全国から多くの方々が寄付を送ってくださるが、ほとんど送り返している。例外は、ぴったり二件、①同じことなら障害者も助けようと直接お金を持って訪ねてこられたある障害者の寄付と、②自身も豊かではないスーパーマーケット女性従業員が寄託された「大金」の百万ウォンは、お二方の勢いがあまりにも「みなぎ」って、どうにもならなく「受付」してしまったのだ。

昨年秋(1990年10月)には、カナダのモントリオール室内管弦楽団と共演した。あの「敷居の高い」世宗文化会館大講堂で。その楽団が著名な外国クラシックオーケストラではなかったとしたら、私一人で世宗文化会館の舞台に立つということが可能だったのだろうか? ほろ苦い。また、私が望んだことは、外国楽団でない私たちのオーケストラであった。しかしながら、伴奏はできないというのだから、私だってどうすることができようか。

昨年の春(1990年4月)には詩集も出版して、詩朗唱会も持った。「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈 꿀 수 있다)」という自作詩集であるが、大型書店のベストセラー詩集部門1位に上がったりした。元老詩人の趙炳華(チョ・ビョンファ、조병화)先生は「きれいな露をうける小さい野草のような詩・・・繊細で愛らしい詩語・・・」と過分な評をしくださったりもした。

だが、詩をもって、話したい言葉を全て語ることが少し難しかったので、今年の末か来年の初め頃、私の考え、私の生活を書いたエッセイ集*を出そうと思う。

    (*)エッセイ集: 未確認

昨年の初冬には、哲学者金容沃(김용옥)教授と東国大講堂で「デュエット」で歌ったことがある。曲目は「美しい江山」、金教授の招待で行われた突然この日舞台は、私の歌が主でなく、東洋哲学の講義が目的だったが、教授は「芸術はすべからく大衆と近づかなければならない」という信念で、私を講壇上に呼び出したのだった。金教授はまた、私にまるで詩のようでもあって、幽玄な哲学のようでもある歌詞を二編もくださった。
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2014年1月28日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鷹狩り

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第40回として、「鷹狩り(매사냥)」にまつわる話を紹介した。

まず始めに雉猟に関わる諺について次のような紹介から始まった。
・諺に「雉の代わりに鶏(꿩 대신 닭)」がある。同様に「歯がなければ歯茎で(이가 없으면 잇몸으로)」もあって、必要な物がなければ他で代替する意だ。昔、餅の雑煮(トックク)に雉肉(現在は牛肉)を入れた。農耕社会で不可欠な牛肉を食べるのは難しく、雉肉は味もよく、また天からの使者として縁起よい鳥とされた。そこで新年を迎えて雉肉を食し、天の気運を頂く思いがあったが、捕えるのが難しい雉の代わりに鶏を使った。
・そうした風習から、旧正月目前に、雉を捕まえに寒い山に入る者が大勢いた。このときの猟師の猟法が鷹狩りだった。

▼ 「雌雉打令(カトゥリタリョン、까투리타령)」を聴く。雉の鳴声に似てかまびすしく・・・山々巡る。

・この「雌雉打令」のカトリ(까투리)は雌雉を表し、羽の美しい雄雉はチャンキ(장끼)という。

次に鷹狩りに使う鳥の種類や鷹狩りの伝統について次のように解説された。
・鷹が狩るので鷹狩りという。鷹狩りに、まだ飛べぬ幼鳥から手なずけるため「大鷹(オオタカ)」か「隼(ハヤブサ)」がよいとされる。①大鷹はスピードが速く、獲物に急降下して捕まえる。鋭い嘴(くちばし)で獲物を一撃して即死させる。②隼は鋭い爪で獲物の喉笛を襲い窒息させたり、嘴で胸元を突刺す。強い鳥で空の帝王ともいう。羽の抜け変わる前の幼隼を「ボラメ」という。
・鷹狩りに手なずけた鷹を「スジニ」といい、最初の1年ほどを「チョジニ」、2年過ぎて「チェジニ」、3年ほどで「サムジニ」と呼び方を変える。勇猛で素早いチョジニが狩りに最も適している。猟師が「ウーウー」と言って森の木を揺さぶると、隠れていた雉が飛び出したのを逃さず、綱を解かれた鷹は雉めがけて飛んでいく。

▼ 「南原山城(ナムォンサンソン、남원산성)」を聴く。・・・以前聴いた陽気な歌だが、鳥の美しさ?

・狩に使う鷹の尾の飾りつけを「ペジッチェ」と呼ぶ。飾りに、飼主の名を書いた「シチミ」と、鈴が付けられる。鷹が捕えた雉肉を引裂くとき鈴が鳴る、あるいは鷹を見失っても、この音で居場所を知ることができる。
・鷹狩りは古くから楽しまれたが、百済の法(ポプ、법)王は、仏教信仰から殺傷を禁止し、狩猟用の鷹全ての解放を命じた。一方、高麗のとき、鷹を訓練させ狩専門の官庁「ウンバン」が作られた。現在、鷹狩りを楽しむ人は少ないが、伝統は受け継がれている。2010年に、モンゴル、スペイン、アラブ首長国連邦など、11カ国共同で、ユネスコ人類無形遺産に登録された。

▼ 伽倻琴(カヤグム)演奏による「Flying bird」を聴く。・・・天空を軽快に泳ぎ漂うよう、今様である。

2014年1月27日月曜日

鉱物採集では落ち木を杖にする

寒い季節のこのごろ、負荷のかかる運動といえば、毎週の健康体操と、ほぼ毎月の鉱物採集くらいしかない。そんなわけで、たまに体を動かすと、その翌日以降にジワジワと筋肉痛になる。若い頃は、このくらいの運動なら平気だった・・・のに。

昨日、鉱物採集に行った錫高野の入り口にある小さな山越えと、採集場所の沢を上がり降りしたくらいだが、今日の夕方には「ひざ」と「ふくらはぎ」が筋肉痛するが・・・。

以前は、足腰が弱まってきているのに、鉱物採集の山歩きを痩せ我慢していた。この頃は、落ち木をひろって杖代わりにするようにしている。落ち木の杖を使うと、岩の沢や急坂を登り降りするとき安定感が増す。第三の足が加わって、ふらつくことも少なくなる・・・もちろん、落ち木の杖に頼り切るのは危険と承知している。

だいぶ前のこと、幅は狭いが水流の激しい沢にかかった丸太橋を渡ったことがある。橋の長さは2m位い、太い丸木一本だけなのだ。石仲間はそれをスイスイと渡りきる。私は沢の近場に落ちていた木を探して、杖代わりにした。丸太橋を横歩きして、落ち木の杖を流れに刺して、3点で体を支えながら渡った。

最近は杖を使う習慣がついてきて、鉱物採集の山に入るときは、まず落ち木の杖を探す。

2014年1月26日日曜日

錫高野#19

1年振りの錫高野。今日で通算19回目の採集だ。寒い1月は採取場所の選択に難儀するため、通い慣れた錫高野に毎回白羽の矢が当たる。幸いなことに、今日はしっとりと湿った、しかも温暖な気配して、冬場ながら絶好の日よりだ。

(本ブログ関連:”錫高野”)

早朝、暗いなか家を出る。路面は濡れても空気穏やか、寒気を忘れたよう。始発電車に乗り込むも、暖房がうっとおしいくらい。2度の乗り換えも、駅ホームで寒風に震えることもない。そして、待ち合わせ駅でH氏の車に同乗して、錫高野へ向かう。柔らかな陽の差した薄靄の朝、冬から春へ一っ飛びしたようだ。

さすがに、錫高野入り口にあたる仏国寺の林道を抜ける風はヒンヤリする。簡易のヤッケをジャンパーにかぶせる。今回、2人組の採集者たちと出会った。一組はやる気満々おじさん組、もう一組はほんわか父娘組だ。同好の士に次々出会うのも珍しい。

現地は、一年振りのため、風景が少々変わっていた。倒木多数。掘り起こした跡がずいぶんとあるのだ。また沢斜面にあるズリの小石が、多数滑り落ちていた・・・人為的なのか気になる。

我らは、堅実というか労を惜しんで表面採集に徹する。それでも、嬉しい良品である、この地名を表す「錫石」を収集したのだ。母岩表面にキラリと輝く(茶)黒褐色の結晶が点在する・・・錫高野の第1回採集のとき、磨耗した錫石を得て以来、それなりにしっかりしたものを手に入れたのだ。

今日の採集鉱物を次に記す・・・いただき物も含む。

・錫石(上記)、水晶(微小ながら透明)、鉄マンガン重石(再び目にするようになった)、ブロシャン銅鉱(膜状)、白鉄鉱
・(硫砒鉄鉱+黄鉄鉱+班銅鉱)、(断面:銅藍の周りをブロシャン銅鉱が包む?)

ところで、H氏採集のブロシャン銅鉱は、岩の隙間から濃い緑色した針状結晶を覗かせた。

2014年1月25日土曜日

Youtubeでイ・ソンヒを見たという友に返信

Youtubeで「赤いドレス姿」のイ・ソンヒを見たと、わざわざ今日の日付に変わった深夜にメールをくれた友へ返信した。昨日、「ファン」の心について記したところでもあり、ファンの気持ちのまま綴った返信内容をほぼそのまま載せる。筆と口が滑ったところは、ファンならではと容赦いただければ・・・。(一部変更)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ ファン”)
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またまた、深夜のメールありがとうございます。

ご覧になったイ・ソンヒの映像は「Turning the pages of memories」でしょうね。

タイトルは、「思い出のページをめくれば」(추억의 책장을 넘기면)です。
「추억(追憶、思い出)의(の) 책장(ページ)을(を) 넘기(繰る、めくる)면(れば)」

彼女の「ドレス姿」については、当時、コンサート会場のファンの間に「ため息」が流れたそうです・・・(賛否)いろいろな意味で。

ちなみに、彼女の「スカート」、「ズボン」(パンツというのですね)姿については・・・

イ・ソンヒは、基本的に「ズボン」姿が中心ですので・・・若い頃は「少年のよう」ともいわれました。
これは重要なポイントです。女性を前面に出す歌手が多い当時、ある意味で中性的な彼女のスタイルは、まだ性的なものに嫌悪感ある女子中高生たちに絶大な人気を得ました。そして、イ・ソンヒの人生とともに彼女たちファンは、恋愛、結婚、出産、破局、悲劇、再婚というイ・ソンヒの流転を共感できるほどに共に成長します。

ところで、イ・ソンヒの「メガネ」姿は、80年代POPやフォーク系の歌手の間で流行しました。チョー・ヨンピルもしかりです。やがて、ダンスブームの80年代末~90年代になると、歌手たちにとってメガネが邪魔になって・・・。俳優も、韓流初期の男優たちを思い出してください。

イ・ソンヒの変わらぬスタイルは、現在も韓国の中高年保守層に受け入れられています。
彼女は、無闇に音楽市場を広げようとしません・・・自身で音楽事務所や舞台を運営していたことがあって、業界のなかで生き抜く力と才知を合わせ持っているようです。
歌謡歌手として、若手を育てることもできる、とてもユニークな存在ですよ。

そうそう、彼女は高校時代に、ヘビメタに熱狂していたそうです・・・素養・素地は広いですよ。

・・・ああ、話が尽きません。次回に続けましょうか?
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2014年1月24日金曜日

ファン

気紛れなものだ、ファンっていうものは。黙っていればいいものを、言わずにおられないのがファンたる所以、熱狂というか、ファナティックというか。それを見て、常識人は「私にはわからないね」といぶかしむ。ファンは分かってもらいたいと、更に気負う。もしかしたら、反感を買うことになるかもしれないのに・・・。

食べ物だって好き嫌いがあるでしょ? 子どもは正直だから遠慮しない。それに近いかな。趣味の世界に、コレクター、マニア、あるいはオタクたちがいる。自称もあれば他称もある。そのことを秘匿するものもいれば、これ見よがしにするものもいる。

まあ、うるさがられない程度に、そしてたまには同好の士の集いでもあるコンサートや、映画館、会合に行くことになる。それで十分かな。

ところで、私は歌手の中でイ・ソンヒのファンを自認しているけれど、映画スターについては、キム・ベイシンガー(Kimila Ann “Kim” Basinger)かな。彼女がアカデミー賞(助演女優賞)を受賞した、「L.A.コンフィデンシャル(L.A. Confidential)」(1997年)は忘れられない。それは昔、八百比丘尼伝説をモチーフにした、NHKのテレビドラマ「女人幻想」(1972年)で主役を演じた佐藤友美を見て以来の感覚で、女性に心を心奪われていく展開に引き込まれた。釘付けされる心境だった。

キム・ベイシンガーの顔にどこか見覚えがある。子どもの頃の記憶か、映画雑誌のどこかで見たのか、リタ・ヘイワース(Rita Hayworth)の容貌だ。ちょっと釣り目の陰がある、我がままで奔放、意志の強そうなところが通じるよう。そして可愛い、不思議だね・・・そう思いませんか。

2014年1月23日木曜日

寒気の緩む気配して

最近、寒気の緩む気配がする。三寒四温には早過ぎるが、いっときでも春が近いと思わせてくれるのはありがたい。強張っていた体が、合わせるようにほぐれていくのを感じる。

春になれば、木々が幹中の水を走らせて若芽を膨らませるように、人の体も血流を巡らせるだろう。若ければ躍動に、年とればそれなりに元気につながる。おじさんは、ようやく背筋が伸びるというもの。

ところで人体を車に例えると、経年の痛みはあちこちキズや錆となって見つかる。よくぞ大きなトラブルもなく動いてくれたと思う。心臓は一時も休みなく脈打ち続けたのだから。人工物なら、そうはうまくいかない。随時の修理と定期的な部品交換が必要だ。生命体は丈夫だ、柔軟に内部から身を移し変えるのだから。

時として思うことがある。<セミ>は地中で幼虫に成長するのに「17年(アブラゼミは6年)」、地上に出て成虫として活動するのに「1-2週間(実際は、1ヶ月ほど)」という命であるが、彼らは一生をどう思っているのだろう。
そう、地中の孤独な時間だって、結構充実していたんじゃないだろうか・・・と。<セミ>にとって、人生の晴舞台は、もしかしたら地上に上がる時だったのかもしれないってね。

ぱあーっと明るく広がる直前は、何にも増して楽しい。

2014年1月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 長丞(チャンスン)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第39回として、日本の道祖神にも似た「長丞*(チャンスン、장승)」にまつわる話を紹介した。

    (*)長丞: 別名「将軍標」、近くでは高麗駅および高麗神社で二柱の境界標を見る。

まず始めに、長丞の姿と役割について次のような紹介から始まった。
・長丞は、手足もなく、ぶっきらぼうに突き立ち、顔だけギョロッと飛び出た目玉と、平べったい団子っ鼻が刻まれている。犬歯を突き出し、泣き笑いか分からない奇怪な表情だ。
・昔は村の入口に男女対の長丞が立ち、男の長丞は「天下大将軍」、女の長丞は「地下女将軍」の文字が体に刻まれ、村を守る役割をした。長丞の表情を滑稽・奇怪というが、見る人の心の投影かもしれない。訪れた人物が善良な場合はこれを歓迎し、悪徳な場合は足止めさせ戻るよう祈願して作られた。

▼ 「赤壁歌(적벽가)」*の中から「長丞打令(장승타령)」を聴く。敗走の曹操(조조)が長丞を押し倒したそうだが・・・

    (*)赤壁歌: 「韓国人の情緒に合わせて創作または修正された部分も多い」(Ko-wikipedia

この歌では、同じ木から生まれても、長丞となった不遇の身を嘆く。とはいえ、長丞は道端に立ち道標の役割も果たした。

▼ 「ピョン・ガンスェ(변강쇠)打令(타령)」を聴く。ピョン・ガンスェが長丞を薪にしてしまう・・・この歌でも、長丞はその身を嘆くとか。そこに、「横負歌」とかイロイロ情報が耳に入って・・・。ところで、歌声は読経の如し。

次に、長丞の起源や地域性について次のように解説された。
・長丞の起源や由縁について、確かなことは不明だが、古代の性器崇拝信仰や、民間信仰のひとつの「ソンドル(선돌/입석, 立石)」、「ソッテ(솟대)」の風習からという見方が有力のようだ。また、トッケビ도깨비)という鬼顔や、土俗的な仮面のイメージにつながるという考え方もある。
・長丞は、地域によって素材や顔の形が少しずつ違う。①湖南(ホナム:全羅南道と全羅北道の総称)や嶺南(ヨンナム:慶尚南道と慶尚北道の総称)の南道地方では石像が多く、平たく丸みを帯びた南方系の顔。②京畿道や忠清道地方では主に木像で、顔が長く目が切れ長で、鼻も長い北方系の顔。狭い国土の中、多様な文化が混じり合い発展したことを、長丞の顔つきからも推測できる。また、③済州島では、「トルハルバン(돌하르방)」と言われる石像が、長丞の役割を担った。このトルハルバンは本土の長丞の奇怪な姿と異なり、自愛に満ちた表情で、島に来る人々を迎える。

▼ 済州民謡「シナウェギソリ(신아외기소리)」を聴く。労働歌ながら子どもにも馴染みやすい歌で、今様編曲ながら楽しい。

2014年1月21日火曜日

40代、新しい文化消費の主役に

イ・ソンヒは、「旧暦」1964年11月11日生まれで「数え年」では50代とされるが、「新暦」に照らしてみると12月14日生まれのため、「満年齢」では現在49歳の40代である。
e-todayの記事「40代、大衆文化に応答する  少年の感性持った‘新世代中年’、新しい文化消費の主役に」(1/14、チェ・ドゥソン記者)は、韓国の40代が新しい文化消費の主役にという次のような紹介がある。(抜粋)

消費において新しい傾向であるが、流行の中身は復古調というのが特徴なのかもしれない。

ところで、若年と高年世代との狭間にある40代は、社会的に<現在の40代が、以前のような「安定的な階層」から「不安定な階層」に転落したという現実がある>という厳しい見方も他方にある。

(本ブログ関連:”40代”)
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・40代が大衆文化消費の中心層に浮び上がった。歌謡、映画、ドラマなどに復古熱風が激しい。 tvNドラマ「応答せよ1994」は文化産業全般的に大きい成功を収めたし、映画、公演界全般には初恋の思い出が主な素材として位置づけて1990年代を呼び戻している。

・昨年唯一の1000万観客映画「7号室のプレゼント」のリュ・スンニョンを始め、「雪国列車」のソン・ガンホ、「監視者たち」のソル・ギョング、「新世界」のファン・ジョンミン、イ・ジョンジェ、「かくれんぼ」のソン・ヒョンジュなど40代男性俳優の映画は、40代観客の好評に力づけられて全て興行に成功した。

・映画専門サイトのマックス・ムービー映画研究所発表は、2013年映画前売り観客分布資料によれは映画館客のうち、10代3.5%、20代24.2%30代40.5%40代24.9%、50代以上が6.9%を占め・・・「40代観客増加は、映画館客2億人突破を説明できる最も大きいキーワードだ。40代は家族単位観客でチケット購買量が20代より1~2枚さらに多い」と分析した。

・放送界では・・・やはり40代男性視聴者の共感を形成して新しい文化トレンドとして位置を確立した。

・大衆音楽界も同じだ。昨年「ハロー」を歌ったチョー・ヨンピルの突風の後にも40代ファンの「賓客(ひんきゃく)」があった。10年ぶりアルバムは40~50代消費者をレコード売り場とコンサート場に呼び入れ・・・20万枚の高い販売高を記録した。関係者は、40~50代が最もたくさん訪れたと説明する。

・キム・ナンド ソウル大教授は、最近発刊の「トレンド コリア2014」を通じて、「以前の中年世代のライフ・スタイルと決別を宣言した、新世代中年男性たちが文化の中心にある新しい40代は少年のような感性を持った『おとな子ども』たちだこれらは、既に社会的に強制された男性的イメージから抜け出して、美容・余暇・文化など多様な方面で消費の主役として位置を確立している」と40代の新しい文化消費主役での浮上を説明した。
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2014年1月20日月曜日

大寒2014 (冬哀傷)

今日は二十四節気最後の節気「大寒」である。次は二十四節気の最初に戻り、「立春」(2/4)となる。大寒は最も寒い時期といわれるが、ようやく一年の季節が一区切りされ、最終章を迎えたと考える方が先立つ。立春まで、ひと我慢である。

夕方の5時頃には陽が暮れて、一日が短くせわしく感じられたが、最近は5時過ぎでも薄明かりして余裕が出てきた感がある。夏のように、午後7時を過ぎても昼間の余韻が残っているのが理想だ。それなら、「白夜」なんか最高だろう・・・と思っても、その反対に「極夜」があって、うまい具合に我がまま通りにならない。地球が地軸を傾けて公転しているからだ。

寒い夜には、熱いラーメンがうまい。といっても、最近、夜食がきつくなってきた・・・。
ともあれ、ラーメンができあがるまでの時間に作詞したという逸話がある、5集所収の名曲「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)を聴いてみよう。まるで、氷世界が共振するような、透明感あふれる旋律も素晴らしい。そして、イ・ソンヒの安定感ある歌に聞き惚れる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面”、”冬哀傷”)


星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿
凍ってしまった悲しい後姿

(Youtubeに登録のksj25374110に感謝)

2014年1月19日日曜日

数え年と満年齢

イ・ソンヒの年齢を数えるのに、「旧暦」と「新暦」、および「数え年」と「満年齢」の組み合わせで、毎回頭の中が交通整理で大変だ。
韓国では日常、誕生日を「旧暦」で、年齢を「数え年」で数えるようだ。(70年代初頭までは、旧暦の誕生日を祝ったそうだ。また現在、満年齢表記する場合、その旨「満歳(만 나이)」と注記するようだ)

イ・ソンヒの誕生日
・旧暦: 1964年11月11日
・新暦: 1964年12月14日 ← 彼女の公式ホームページでは、こちらで祝っている。(

イ・ソンヒの年齢
・「数え年」の場合
 - 誕生した年を1歳とし、翌年の新暦元旦を以って1歳ずつ加算する。
 - 誕生した1964年が1歳、今年2014年に51歳となる。 ← 韓国マスコミは昨年、彼女を50代とした。
・「満年齢」の場合
 - 新暦1964年12月14日に0歳で誕生、今年2014年12月14日までは49歳、まだ40代である。


そんなわけで、過去ブログで、年齢計算の仕方を間違えたところがある?・・・なら修正しなくちゃ。

2014年1月18日土曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒの成熟を象徴する意味で、彼女の分岐点ともなった作品である、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)は、彼女が述懐するように、一方で「ファンはほとんど期待もしなかった歌をもっと好きだった」、まさにその曲でもあった。音楽において、彼女は常に幸運に恵まれた歌手だ。

(本ブログ関連;”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「1.余裕のアピール力を持った歌手」”)
(本ブログ関連;”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「8.夜の舞台時代の警備員の話」”)
(本ブログ関連;”「思い出のページをめくれば」”)


ゆらぐる思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ・・・


(Youtubeに登録のJzongwに感謝)

2014年1月17日金曜日

冬の土用

冬にも「土用」がある。Wikipediaの土用の説明に「四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつ」があって、今日(1/17)の「冬の土用の入り」から「立春」(2/4)の前日2月3日までを指している。夏の土用は暑気払いとして鰻を食うが、冬の土用の場合、一体何を食うのだろうか。

スーパーやコンビニの商品棚には、気早く2月3日の「節分」に撒く豆や恵方巻(こちらはサンプルだが)、2月14日の「バレンタインデー」のチョコレート(手造り用の材料として)が並んでいる。

ちょっと残念なのは、この地に土着の風物が足りないことだ。遠の昔に農作業は消えてしまい、人々の営み中に季節を知ることはできない。流通の商品棚や通信の画面(テレビやインターネット)の中でしか感じられない。

寒暖以外に、自然の息吹を、生活に溶け込んだ伝統の行事や祭事を通じて気付きたいものだ。

(追記)
今日は、「阪神・淡路大震災」(1995年1月17日)から数えて19年目にあたる。関東の住人にとって、果たして、「東日本大震災」(2011年3月11日)を経験しなかったら、関西のひとびとの恐怖を想い描くことがどれくらいできたろうか。6年の間に東西で発生したこれらの震災は、わたしたちの心の中に自然に対してだけでなく、人との絆の意味をあらためて思い知らせた。

2014年1月16日木曜日

冬さまざま

昨日ほどではないというが、今日だってだいぶ寒い。外出には、コートの襟首まで閉じるほどだ。こんな寒中、赤ん坊をコートに包(くる)んで母子一体となった買い物姿を見ると、母性の逞しさを感じる。そして口の中で、頑張れとつぶやいてしまう。(赤ん坊は、いずれそんな覚えはないだろうけれど、あなたのお母さんは立派だよ!)

そういえば、今年から毎日一枚ずつ剥がす日めくりカレンダーが加わった。これが結構手間がかかり、気付けば昨日のママ、何てことを繰り返している。ひと月たって、ああ時の流れの速い事よと諦観してみせるが、日めくりだと毎日追われ、今年の時間が加速したような気がする。いずれ時間に追いつけなくなるときが・・・。

昨年の成人の日は1月14日で、まさかの大雪だった。今年の冬は一昨日~昨日に降雪の気配があったが、予報の通り積もることはなかった。近在のスーパーは、プラスティック製の雪かきスコップを陳列している。オレンジ色のでっかいものだ。買った方が良いのだろうか・・・といっても、数年に1回くらいしか使うこともない。どうしようか。

冬でも石採りに行きたいが、寒いのはつらい。歳とともに、ますます厳しく感じる。といいながら、今年最初の採集地は錫高野を予定している。ここでは以前、積雪が残った沢で採集していたとき、吹き降りる沢風にビニールの雨合羽でも耐えられず、熱燗缶の日本酒で寒さをしのいだことがある・・・でも、全然温まらないのに酔いだけが廻るのだ。そして、さめた後の悲惨さといったら。

早く冬が終わらないかな。

2014年1月15日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第10回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒの、ヒットの数々とトラブル、慈善活動、海外とのかかわり(マイケル・ジャクソン、レスリー・チャン)、ファンクラブ誌(ニンジン)などを知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[10] それが歌なの 発声練習では
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・1985年11月、私の2集アルバムが出た。タイトル曲は「秋の風」。

・ところで、この歌が盛んに電波に乗っている頃、盗作の是非にまきこまれて、すぐさま放送停止にあってしまった。公演倫理委員会が立てた理由は、キム・ヨンジャさんが1983年発表した「愛の迷路」中の「あぁ、私たちの愛のロウソクの灯り/消えて道に迷ったね」の部分をそのまま盗作したというのだ。私が作曲した歌でなく、何か抗弁する立場ではなかったが、ちょっとくやしかった。メロディが全く同じならばともかく.・・・結局、私は「秋の風」を再録音しなければならなかった。それでも若干惜しくなかったのは、「ケンチャナ(大丈夫)」が「秋の風」に劣らずヒットしたという事実だ。慰めはなった。

・3集の「分かりたいです」を準備しながら、私は最初のリサイタルを持った。それが1986年7月26日、 収益金は全額「恵まれない学生家長*助け合い」募金に出した。奨学金形式で渡されたお金の中には、新光女子中と祥明女子高の後輩に与えられたのもある。最初の数回は、学校に直接訪ねて行って、奨学金を学校に寄託したが、そのたびに校長先生が学生たちに紹介してほめるお言葉がなぜか過分で照れくさくて、この頃は人伝に学校に送っている。

    (*)学生家長: 家長の役割を合わせ持つ学生 (本ブログ関連:”学生家長”)

・当時は、「学生家長」という概念さえ曖昧な時だったので、私は「有名税」を利用したいわゆる、「マスコミ・プレー」をよくした。広告費はとても高くて、また往来にポスター貼りは不法で・・・したがって、私は放送に出演するたびに、私の慈善公演日程を大々的に「広報」したりした。

・実際にチャリティー・コンサートを準備しながら、後悔(?)もたくさんある。準備期間が3ヶ月ほどかかるからだ。普通のファンは、TVに映らなければ「あの子、もう終わった」といいながら速断することが常なので、コンサート準備期間中には、かなり大きい打撃を甘受しなければならないのだ。

・とにかく、困難を訴える学生家長の手紙を知らない振りすることもできなくて、収益金を狙った(?)慈善公演を今まで40回余り行った。手に余っても、引き続き強行しようとしている。

3集では「分かりたいです」が最も多い愛を受けた(人気があった)曲だ。1987年4月の一ヶ月間、放送回数107回を記録したので、いつでもどこででも聞こえる歌だったと言える。「やはり」タイトル曲でないこの歌が大ヒットした原因は、ヤン・インジャ先生*の歌詞のためのようだ。「忙しい時、電話しても私の声うれしいんですか」などの歌詞は、女性心理を見抜いたという評を聞いて、それゆえに男性ファンからは「男に疲れさせる(重い)歌」という愚痴も聞こえてきた。

    (*)本ブログ関連:”ヤン・インジャ

時折、私に向かって「それが歌か、発声練習では」と厳しく批判する人もいる。認める。私の歌が主に高音域中心であるから

それで、6集「思い出のページをめくれば」では、トーンをかなり低く下げた。偏狭な考えかも知れないが、6集くらいで満足できなければ、私は致し方ない。世の中のすべての人を満足させる能力は私にはないので。

私はそれなりに情熱と誠意を尽くして歌う。全身に力を集中して「熱唱」する数年・・・いつのまにか私の手の平にはタコができた。私も知らない新しいマイクを握った掌中に力が入っていたようだ。

私の名前の前に「歌手」という接頭辞がつき始めて以来、私は実に多くの仕事を経験した。

日刊スポーツのゴールデン・ディスク賞5連覇*をはじめとして、歌謡と関連した賞ほぼ一度ずつは全て取ってみた。そして望んだだけファンから愛も受けている。今でもファンレターと一緒に熊のぬいぐるみなど様々なプレゼントの包が、1年なら小型トラック2台分位ずつ家に舞い込む。

    (*)ゴールデン・ディスク賞5連続受賞、1990年12月9日(イ・ソンヒ公式ホームページより

外国にも何度も出かけたし、私の歌が香港映画「野生の花」*の主題歌で歌われることもあった。 また、つぎつぎ翻案して歌った外国の歌手もかなり多くて、誰が誰なのか確かに分からないほどだ。

    (*)香港映画「野生の花」・・・未確認

あの有名なマイケル・ジャクソンも、私とともにデュエット・アルバムを吹き込もうと申し入れて来たりした。ところで問題は「踊り」だった。レコードと同時に、ミュージックビデオまで作るつもりだったジャクソンは、テープに録音された「私はいつもにあなたを」など数曲を聞いてみて極めて満足したのか、私自身の振りつけ担当まで付けてやると米国に来ないかなど、積極性を見せたが私は断った。理由は、ただ一つ。 自尊心(プライド)が傷つけられたためだ。

「時価いくらの世界的なスターでも、私に2年も踊りを習えだって? フン、素晴らしいね、このひとは。 私、そんなに暇な女ではないね」

香港の歌手、張國榮(レスリー・チャン)とも共に舞台に立ったことがある。彼のステージ・マナーは本当に良かった。かなり多くの曲を歌ったが、そのうちの二曲だけがライブであった。放送でもないコンサートなのに・・・それは香港式、いや英国式なのか?

「張國榮」といえば思い浮かぶ気が乗らない記憶一つがある。彼は若くも老いもない女性を自分の母親と紹介したが、その女性は私が張國榮と話すたびにとても気遣う様子だった。「チェッ」誰が自分の息子、なんという大儺(鬼払い)。*

    (*)世間で言われるような関係はなかったのだろうか

ところで後ほど分かってみれば、彼女がまさに張國榮の隠した「スポンサー」とか。だが確認する方法はない。

ファンが声援してくださることにはいつも感謝するが、できるならあまり興奮はしないようにされたら良いだろう。特にコンサート現場では。

1987年の冬、63ビルディングで公演を持った時、女子学生4人が気絶したことがある。病院に移す途中、靴までなくしたそのうちのある少女に私の履き物を履かせてあげて、私はスリッパ姿で帰宅したりした。弱り目にたたり目で、その日、汝矣島(ヨイド)広場ではある政党の群衆(大衆)集会があったので、そこでケガした人々に、私のコンサートで過度に興奮した少女4人まで加勢して、近所の病院は時ならぬ好況(?)を向かえ、汝矣島一帯の交通はしばらくの間麻痺したようなものだった。

熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。

「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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2014年1月14日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 北斗七星

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第38回として、「北斗七星(북두칠성)」にまつわる話を紹介した。

まず、夜空の星々と北斗七星の歌について、次のような紹介から始まった。
・韓国のことわざに、とても不可能の意を表す、「空の星を取る(하늘의 별 따기)」がある。確かに、星を手にすることは難しく、現代の都心では、星さえ忘れて暮らしている。昔の人々は、きらめく夜空を見上げて様々な思いをはせ、星々に特別な力があると考えた。
・朝鮮時代の女性歌曲(여창가곡)にも、北斗七星(평롱)が登場する。「北斗七星、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つの星たちよ、私の願いを聞いてください。恋しいあの方がいらっしゃったから、この夜がどうか、ゆっくりと明けるようにしておくれ」。

▼ 界面調(계면조) 平弄(평롱)「北斗七星(북두칠성)」を聴く。星の輝きする・・・今様に編曲したのか?

次に、北斗七星に寄せる思いの強い歴史的、文化的なかかわりについて次のように解説した。
・北斗七星は、ひしゃく形をして明るく光るため、簡単に見つかる。西洋では神話に登場するが、韓国でも、先史時代の支石墓(コインドル、고인돌)に、北斗七星が刻まれている。また高句麗時代の墓の壁画に北斗七星が描かれている。
・空に東西南北の四方位を守る神がいて、北斗は北の空を司る神の意がある。さらに空を神と見立てて、北はその喉と舌に当たり、北斗七星は、空それ自体を象徴すると捉えられた。
・古く、空は人の運命をも左右する力を持つとされ、北斗七星は人間の生き方、寿命、幸福、災いなどと関連すると神格化された。(一)母親は、家族の健康と和平を祈るため、甕の上に水を汲んで、北斗七星に祈りをささげた。(二)(シャーマンの)巫堂(ムーダン、무당)によるクッ(굿)のお払いの際、北斗七星を祀ることが多かった。さらに、(三)寺院には、釈迦を祭った本堂とは別に、七星閣(チルソンガク、칠성각)という小さな建物がある。仏教が根付く過程で、深く信じられた北斗七星信仰をたくみに習合した。

▼ 済州(島)の七頭堂クッ(칠머리당굿)中の「七星本プリ(칠성 본풀이)」を聴く。淡々と語りつぐ・・・七にこだわり、ヘビ信仰と?(「本プリ」とは、クッを受ける神が神となった話を含む部分とのこと)

最後に、済州島の北斗七星にまつわる伝説を次のように紹介した。
・済州島には、(一)年老いた母に孝行を尽くした息子たちが死後に星となった話、(二)あの世の尊い薬を手に入れ、父の命を救ったパリ姫の息子が7つの星となった話が伝えられている。この島の北斗七星の伝説には、不思議なことに、全て女性が関連している。女性が他地域に比べて多く、家庭のやりくりを主導していた風習が反映されていたからだろう。

▼ 「The Starry Night(별금자)」を聴く。コムンゴファクトリーの演奏・・・超モダンで難解に・・・。

・・・わかりました、空の星を眺めながら、遠く宇宙のかなたに想いをはせてみましょう。

2014年1月13日月曜日

冬景色(続)

今日は成人の日。夕方の街中、成人式の帰りだろうか、かわいらしい振袖姿があちらこちらに目につく。何はともあれ、若いことはよいものだ。当人たちにとって、私のときもそうだったが、成人式の今日は単なる通過点でしかない。でも、この日を祝われてこそ、自覚を促されるというもの。頑張れ。

ところで、近隣の駅ビルにある本屋で、「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)を求めた。というのも、本書に収められた71曲中に、昨日の本ブログに記した唱歌「冬景色」について、次のような記載(岡田康晴記者)を目にしたからだ。(抜粋)

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「私が好きなのは『朧月夜(おぼろつきよ)』と・・・・・・『冬景色』です」
皇后陛下(美智子妃殿下)からそうお聞きして、国語学者の金田一春彦はポンとひざを打ちたかったという。金田一も詞の美しい、この二つの歌が大好きだった。

『冬景色』は、一九一三年(大正二)、音楽教科書「尋常小学唱歌(五)」で発表された。

(歌詞が当時として斬新な)六五調の節回しとリズミカルな三拍子
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この項の最後に、作詞・作曲不詳であるいきさつと、作詞者の推定までされていて興味深い。

それにしても、この歌の始まり(早朝)と終わり(黄昏)の描写がことのほか美しい。

    さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
    舟に白し朝の霧

    若(も)し燈火(ともしび)の漏れ来ずば
    それと分じ野辺の里

2014年1月12日日曜日

冬景色

冬の夜、起きているときはガス・ストーブで部屋中熱くしても、就寝中はガス・ストーブをつけっ放しにするわけにもいかず、足元を暖めるため電気あんかを使った。しかし、それでも暖が足りず、昨晩ついに電気マットに取り替えた。

今年の冬は、昨年より厳しいのだろうか、それとも歳とともに寒さに耐え難くなったのか。こんなとき、少しでも心を癒すのは昔の歌だ。文部省唱歌の「冬景色」は、その歌詞がなぜか優雅な気がする。しっかりした文体は、心落ち着かせるものだ。
「京都 大原 三千院」の詞で思い出深い、デュークエイセスの歌で「冬景色」を聴いてみよう。

(Youtubeに登録のhinanohiに感謝)

2014年1月11日土曜日

イ・ソンヒの「あなたに届くなら」

イ・ソンヒの11集所収の「あなたに届くなら(너에게 가면)」(1998年)は、この歌の作者から、あるいは彼女の人生から、つい深読みしたくなるが、素直に聴けばよいのであって、かえって何処かで耳にしたような親和な曲風である・・・でも、気になる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「あなたに届くなら」”)

耐えられぬ日々の様に  忘れられないあなたに届くなら
ふるえる手で  記憶の中をたぐっても

怒れぬ時間の中で  忘れられないあなたの前に立てば
私の小さな手に  むせび泣きささやくでしょう

倒れないで、私が耐えられる また戻ってくる  その日を忘れないで
いわないで、あなたをしのんで待っています

隠さないで、忘れられぬ時間を すすり泣きながら  私のぬれた目で
愛しています、永・遠・に


(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2014年1月10日金曜日

「知りたい」と「分かりたい」こと

以前このブログで、イ・ソンヒの「分かりたいです」という曲名から、「知りたい」と「分かりたい」ことについて考えてみた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「分かりたいです」”、”分かりたいです”)

さらにもう一歩、高尚な捉え方かもしれないが、次のような話を読んで、上記曲名の理解にそのまま当てはめてよいか躊躇するが・・・ある高名な歴史家*が、若い頃に恩師の語った言葉を伝えたもので、歴史(対象)と取り組む姿勢を若者に伝えたものだ。

(恩師の言葉) 「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」
(歴史家の解説) 「・・・何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、『解る』ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そうのような『解る』体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだと思えるのです。」

この言葉を、世俗に引き寄せて、曲名「分かりたいです」を解すれば、想いを相手に伝え、応えを求めて、よって自身が変わろうとするまでを含むようだ。一方、「知りたいです」では、知りたい側の言葉だけで、相手との共鳴する想いが響いてこない。

少々大げさだが、そう理解した。

(*)「自分のなかに歴史を読む」阿部謹也著)

2014年1月9日木曜日

健康体操教室の翌日は

毎週水曜日に、市の施設で開かれる健康体操教室に通っている。年末と年始の2回は休みだったため、体が少々なまってきたところで、昨日、今年最初の教室に出かけた。

運動を教わっているとき、「休みの間、自宅でやっていましたか?」という先生の問いかけに、視線が思わず天井に向いてしまう。まあ、回りの皆さんも同様だったが。そんなわけで、久し振りの運動をして気付いたのは、①屈伸をすると腹が邪魔になる、②太もも、ふくらはぎの後ろ側を伸ばすと痛いのだ。年末、年始をダラダラ過ごしたせいだろうか。反省。

いつも通りの体操にもかかわらず、(それを家で繰り返すこともなく)暫く間を空けたため、「明日は体が痛くなりますよ」といわれた・・・まさにその通り、今日は体のあちこちが強張る。あらためて、体操教室のありがたさに気付く、人間の体は少しの荷重が必要だ。納得。

ところで、椅子に座りながらブログを作成しているとき、姿勢が自然と前かがみになるのを防ぐために、子ども用のボール(φ22cm位い)を背中~腰にあてて、背筋を伸ばすようにしている。まだ一ヶ月ほどの試行だが、姿勢を意識するのに無理のない道具だと思う。推奨。

2014年1月8日水曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

イ・ソンヒは20歳になる1984年に、MBCの第5回「江辺歌謡祭」において、「Jへ(J에게)」で大賞を受賞してデビューを果たした。このいきさつについては、本ブログで何度も繰り返しとりあげてきた。

(本ブログ関連:”Jへ”、”江辺歌謡祭”、”イ・ソンヒのスター・ストーリー「7.『江辺歌謡祭』の裏話」”)

「サニー」の愛称でファンに親しまれる彼女は、今年デビュー30周年を迎える。来月、アルバム15集を出すことになり、マスコミは、「いつの間にかデビュー30年」、「カムバック」、「ディーバ(歌姫)の帰還」と同時に、昨年のチョー・ヨンピルの復活に照らして、「バタフライ効果」、「音楽業界の圧力」などとベテラン歌手の彼女への大きな期待を伝えている。

「江辺歌謡祭」のステージに立ったイ・ソンヒは、ある意味、歌の力だけを信じて挑むことができた、よき時時代の象徴でもあった。

(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2014年1月7日火曜日

ボルヴィック

数日前、名前を忘れたがテレビ番組で、スタッフ?の(日本)女性がフランスの名勝を廻るというコーナーがあって、ある家?に泊った翌朝、その家庭の若い娘が洗顔しないことに驚く場面があった。フランスの水道水は硬質で、肌が荒れるからだそうで、以って化粧水で代用するという。

いわれることに、フランスの水道水は硬水のため、飲料水に適さない。代わりに、ミネラルウォーターやワインを飲むのだと。日本でポピュラーな、フランスのミネラルウォーターに「ボルヴィック(Volvic)」がある。このボルヴィックは、どんな処で汲み出されているのだろうか。

▼ ボルヴィックを販売しているKIRINのホームページに、次のように紹介されている。
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・ボルヴィックが生まれるフランス中部オーヴェルニュ地方は、「ピュイ・ド・ドーム」、「カンタル」、「オート・ロワール」、「アリエ」の4つの県からなり、北のアリエ県を除く南部3県は全て山岳地帯で、中央山地(マッシフ・サントラル)と呼ばれています。フランスの中では珍しく変化に富んだ地形をもつこの地方では、昔の火山活動でできた湖や渓谷がいたる所にあります。

・ボルヴィックの水源地はおよそ4,000ヘクタール。その広さは東京ドーム約850個分にも及びます。フランス中部オーヴェルニュ地方に広がる火山自然公園の中心にあるピュイ山脈。・・・

・オーヴェルニュ地方に広がる緑濃い火山自然公園の北端にある美しい村がボルヴィックの故郷、ボルヴィックです。・・・
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ボルヴィックは、硬度60で「軟水」の範疇に入る、1927年に発見された比較的歴史の新しいミネラルウォーターである。


▼ 「ヨーロッパ火山紀行」(小山真人著、ちくま新書)に、ボルヴィックの産地ピュイ・ド・ドームが次のように紹介されている。
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・パリ盆地と地中海にはさまれる形で、広大なフランス中央山塊(Massif central)が存在し、2000メートル近い高山がひしめいている。ただし、山塊の大部分は、険しい山と言うよりはなだらかな高原によって占められている。・・・

・このフランス山塊に数多くの火山が存在する、といっても大部分はすでに活動を終えた古い火山であり、豊かな森におおわれ、その懐には町や村が作られている。・・・

・ピュイ・ド・ドームは、シェヌ・デ・ビュイ火山群の最高峰(一四六四メートル)であり、およそ一万一○○○年前に噴火した溶岩ドームである。高原上に噴出したので、ドームそのものの高さは四五○メートルであり、ドームの底径は二キロである。・・・

・シェヌ・デ・ビュイ火山群には数多くのハイキングコースが整備されている。・・・お勧めは、ピュイ・ド・ドーム北側にあるいくつかのスコリア丘や溶岩ドームである。・・・
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約1万1,000年前に噴火した溶岩ドームのピュイ・ド・ドーム(Puy de Dôme)の写真を見ると、何となく伊豆半島の伊東にある、約4000年前に噴火した単成火山であるスコリア丘の大室山の姿を連想する。時間の経過と、緑に覆われた遠望がそうさせるのだろう。

ボルヴィックのボトルラベルに、なだらかな緑のピュイ・ド・ドームの絵が描かれている。高尾山に登るような気楽さなのだろうか・・・。

(本ブログ関連:”大室山”)

KBS WORLD「国楽の世界へ」 (吉報)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、毎週水曜日に放送されているが、先週水曜日は元旦(1/1)であり、特別放送(仁川アジア大会開催)のためにお休みだった。

ところで、昨年大晦日(12/31)に「アナウンサー・オン・パレード」があって、日本語放送の番組関係者がそろって歌対抗する恒例のイベントを放送した。

そのなかで、いつも楽しく拝聴している「国楽の世界へ」担当の岸加那子さんが、昨年3月17日に結婚されて、今年には赤ちゃん誕生と紹介された。おめでとうございます。そしてお体大事に願います。

七草粥

今日で松の内が明ける。

「せり/なずな、ごぎょう/はこべら/ほとけのざ、すずな/すずしろ」と暗記した、春の七草の七草粥を食べる風習がある。草の名は何となく覚えても、七草粥を食べた覚えはない。

春の息吹を感じるよう、そろそろ気持ちを切りかえるときである。

2014年1月6日月曜日

本屋の棚から消えるもの

文学者であり小説家が、以前雑誌に肩のこらぬ連載をしていて、それがまとまって確か文庫本になっていた筈だと、近在の中古書チェーン店の数店に探しに行った。ところが、その方の作品が書棚に驚くほど見当たらないのだ。

昨年、亡くなられたばかりというのに、扱いがこんな風なのかと少々驚いた。旧仮名遣いを押し通したせいでもないだろうけれどと思いながら、書店を巡ったが、何処も同じだった。今の若い世代には、とっつきにくい作家だったのかもしれない・・・そうでもあるまいに。似た雰囲気の女性作家も、今は高齢となれば作品は見当たらない。

文学や評論は、活字として残ると思いたいのだが、残念なことに余程に特質なのものでない限り、読み継がれることは結局ないのだろう。つくづく古典の凄さがわかるというものだ。

本屋の書棚から、時代を共有しただけだが、著名な作家、文学者そして評論家たちの作品が次々消えていくのは、火が薄れていくようでさびしいものだ。

2014年1月5日日曜日

小寒2014

今日は、二十四節気の最後から二番目である「小寒」だ。新暦の正月の行事が一通り過ぎたところ、季節の変化を意識するわけだが、この後、更に「大寒」が待っている生憎の節気でもある。(寒の入りの小寒の方が大寒よりも寒いということもある)

昨日、マフラーをつけて外出したところ、店舗内の暖房に額に汗が滲んだものの、一歩外に出れば、寒風にその効用に気付く。やはり、今は厳冬だ。

とはいえ、陽の温みをそろそろ察知して、雁は北へ帰り始めるという。ネット情報をいくつか見ると、地域によって異なるが、実際は、来月(2月)下旬頃から飛び立つようだ。寒い時期にやがて来る温もりを避けて北帰行するわけだが、それを見送る者には置いてけぼりされたような寂しさと少しの不安が残る。

イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울 애상)」(1989年)も、傷心のまま癒されることもなくじっと、飛び去る雁を見送るだけのようだ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「冬哀傷」”)

ところで、イ・ソンヒの2月リリースの15集アルバムが(日本の)店頭に並ぶのは、いつのことかな。待ち遠しい。

2014年1月4日土曜日

魯迅の「お長と山海経」

魯迅の短編「お長と山海経」(藤井省三訳、光文社古典新訳文庫)に登場する「お長(阿長)」は、まるで漱石の「坊っちゃん」の下女(養育係り)の「清」のように、主人公の世話をする。「坊っちゃん」の明治気質の清と違って、「お長と山海経」のお長は頑固さや狡さがあり、そして適当さもあわせ持っていているが、人間味のある彼女と主人公(僕)との距離感は返って近いようにも見える。

「お長と山海経」の主人公は、大叔父の影響もあって、彼から聞いた絵入りの中国古代の地理書である「山海経」が欲しくなり、新年のお年玉としてお長にそれを求めた。後日、お長は実家からの帰りがけに、木版色刷りの「山海経」四冊を買ってきてプレゼントしてくれたのだ。

「ページをめくれば、たしかに人面の獣、九頭の蛇、一本足の牛がおり、袋のような帝紅鳥、頭がなくて『乳を目とし、臍(へそ)を口とし』、さらに『干戚(たてとおの)を執って舞う』刑天がいるのだ。」という、粗末な色刷りだが、その図は少年の空想を膨らませるに十分なお宝となった。

(本ブログ関連:”山海経”)

イ・ソンヒの歌「狐の嫁入り(여우비)」がOSTである、SBSのロマンチック・コメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」の主人公「九尾狐」について、その起源を記した「山海経」に関心がますます深まる。魯迅が幼い頃に見たであろう、子供向け色刷りの「山海経」の四冊(「南山経」、「大荒東経」、「東山経」、「海外東経」)を、実際に手にとって見てみたいと思う。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

2014年1月3日金曜日

イ・ソンヒ 来月(2月)に15集をリリース!

イ・ソンヒは来月(2月)、ついにアルバム15集をリリースする。

NEWSIS.COMの記事「『サニー姉さん』 イ・ソンヒ、いつのまにかデビュー30年…来月15集」(1/3、イ・ジェフン記者)は、次のような期待を込めた情報を知らせる。いやあ、待ち遠しい。それにしても突然知った。

イ・ソンヒの再婚した夫からの昨年の情報では、「最近、活動がまばらな妻イ・ソンヒの近況については『非常によくやっている。今は休んでいるが近いうちにコンサートをするのか、アルバムを出すのかよくわからない。妻の歌手活動については一切関与していない』と述べた。」と、確証を得られていないが、一方、彼女のファンクラブは、30周年記念に向けて応援を企画している。

ともあれ、ついにというか、やっと期待が実ることになった。早速、記事を見てみよう。感謝。
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・今年でデビュー30周年を迎えた歌手イ・ソンヒ(50)が、5年ぶりに正規アルバムを発表する。

・マネージメント社のフックエンターテインメント(Hook Entertainment)によれば、イ・ソンヒは、2月中に第15集を出す。2009年2月の14集「愛よ・・・(사랑아・・・)」以来初めてだ。

・正規アルバムだが、30周年記念の意味も入れる。既存のヒット曲を再びのせるのを検討中だ。

・1984年江辺歌謡祭で、「Jへ」で大賞を受賞してデビューしたイ・ソンヒは、爆発的な歌唱力で人気を享受した。「分かりたいです」や「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」など、多くのヒット曲を出した。

・2011年2月米国、ニューヨークのカーネギー・ホールのアイザック・スターン オーディトリアムでコンサートを開いた。同マネージメント社所属歌手兼タレントのイ・スンギ(27)の音楽先生としても有名である。
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チャン・ヘリの「私に残った愛を差しあげます」

チャン・ヘリ(장혜리)の歌「私に残った愛を差しあげます(내게 남은 사랑을 드릴께요)」(作詞ハム・キョンムン、作曲ハ・クァンフン、1988年)をYoutubeで聴こう。

まず、Youtubeの登録者pops8090のおかげで、こんなに美しい映像を見ることができて感謝。それに、登録者がいずれのYoutube映像に選ぶ女性たちも、古風というか日本人の感覚にマッチしているのがうれしい。

今回Youtubeに登場の、ソン・イェジン(손예진)については、この歌にまさにピッタリの映画に出演していることなどの情報を、以前の本ブログで触れた。ところで、私は女性の涙が戦術的だ・・・と思うのだが、ソン・イェジンの、鼻を赤かめてうっすら涙を浮かべる顔を見ると・・・はい、女性の涙はやっぱり強力です。(今日の日付に変わった、深夜の午前2時30分から、その映画がテレビ放映された)
なお、Youtube後半に、この歌の歌い手であるチャン・ヘリが登場する。

(本ブログ関連:”チャン・へリ「私に残った愛を差し上げます」”)

そよぐ風の便りに
愛の歌 聞こえます
私のそばから離れてしまった
懐かしい愛の歌が聞こえて 心 震えます

暗闇が過ぎ去って
明日が来ると
焦がれた過去の日々が
私にそっとまた近づく ようです

もう泣かないわ
別れはあまりにも苦しいのです
再び離れるとしても
私に残った愛を差しあげます

記憶はなくても
消せないのです
悲しいように押し寄せる懐かしさ

歳月が流れても
いつまでもそのまま
私のかたわらにいてください


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2014年1月2日木曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「9.忙しい活動の中の毎日」

先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第9回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒが、マネジャーとの出会い、忙しい新人時代の様子、そして健康管理などを知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)


[9] 忙しい活動の中の毎日
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初めてのアルバムが想像以上に大ヒットをした後、私は新しいマネジャーのユン・ヒジュン先生*と手を取り合って2集の準備に入った

    (*) ユン・ヒジュン先生:イ・ソンヒの人生に大きく関係することになる。
          1991年の27歳当時の手記であるため、後の1998、1999年の出来事を知るべくもない。

ユン先生は、まずナイトスポットの出演を厳禁した。そうしたところに出て行って、煙たいタバコの煙とホコリの中で歌ってみても良いことは一つもないといって、放送出演以外の時間はみな練習に費やせと忠告した。また、ギターリスト出身の専門の音楽家らしく各種の名曲を聞かせながら、先生の言葉通りに「基礎から再び」教えた。

私はその時、音楽理論もたくさん学んだ。さらに国楽まで学びに通うほどであった。

だが、私の周辺の状況は、のんびりと(?)音楽の勉強でもするように日中放っておくだけではなかった。スケジュールがハードな日は、一日に何と八ヶ所の舞台に上がったりもした。

特に、両方の放送局の特集番組が一度に集まる年末年始には、言葉通り「あわてて(目をつり上げて)」MBCからKBSに、KBSからMBCに飛び回らなければならなかった。私は化粧もしなくて舞台衣装もズボンにジャケットを掛ける式で、気軽な方なので、それなりにちょっと落ち着いたりしたが・・・

それでも、ソウルでの放送出演は、地方に比べれば「両班」(気楽)だ。済州道と釜山などで、まるで隣家に飲みに行くように足しげく上がり下りして見たら、苦労は並大抵ではなかった。その上、今も飛行機酔いのある私は、主に自動車を愛用する。公演開始時間に合わせて見ると、食堂を訪ねて食事を済ませる余裕は最初から考えもできない。やむを得ず、車中でカップラーメンの切れ端で食事を間に合わせたりするけれど、その姿を見たある雑誌社記者は「イ・ソンヒが好む食べ物はカップラーメンだ」と書いたりした。

その記事のおかげで、我が家にしばらくの間、ファンが送ったラーメンが「どこにでも」あるほどあふれた。

目が廻るほど忙しい「行軍」を2年ほどしたので、そうでなくても虚弱な私の体は耐えることができなかった。結局、10日間病院の世話にならなければならなかった。退院後は、無理な出演依頼をできるだけ断る方だが、それでも定期的に「バタバタ」倒れるのは昔も今もあまり変わらない。

「健康に留意」という水準を越えて、「体力を鍛練」する必要がある私は、規則的な生活を最優先にする

たいてい歌手たちは、「ふくろうの生活」(夜間の仕事?)をする場合が大部分なので、何かわきまえず朝に電話しては「朝っぱらから何の大騒ぎだと」 「けんつく」されるのが常だ。甘い睡眠を邪魔されたくなくて、とても親しくなければ互いの電話番号も正しく教えないようにしている。

反対に、私は夜の仕事をしないので、歌手としては比較的早く寝る。私がしばらくの間、熟睡している夜明け(深夜)の1時頃にかかってくる電話は、私をとても苛立たせる。たいてい、私に電話する人は、その遅い時間まで外国歌手の公演ビデオや新曲を聞いて、音楽の話をしようとかけてきたことを分かってはいるけれど、いな、真っ暗ならば寝なければならないのではないか。

寝るとき寝て、仕事をするとき仕事をする規則的な生活以外にも、私は特に喉とお腹に神経を多く使う

歌手にとって、生命とも同じものが正に声なので、私は一日も欠かすことなく寝床につく前に、食塩水でガラガラしながら声帯「清掃」をする。たとえ一日に一度であっても、それがどれくらい面倒なことかは、しない人は分からないことだ。体質上、生卵はちょっと吐き気を催して、それでも一日中、口の中でトローチなどをモグモグすることは嫌いで・・・それで開発した方法が、毎晩「塩味補気」(塩辛いものを飲むこと?)である。

また、朝6時なら、寝床から起きて家の近所のヘルスクラブに走って行く。その位置は、明け方に運動する方々に、どちらであるか明らかにできない点、理解して欲しい。

ヘルスクラブで最も汗をたくさん流すステップは、「腹筋運動」コースだ。それもそのはずなのが、お腹の中で鳴って出てくる声と、喉だけ使って出す音声(国楽では「黄色喉(노랑목)」といったか)とは声自体が違うものであるから。運動のおかげなのか、今でも158cm、46kgの体を無理なく維持している。平素に、体力管理を怠れば、少なくとも人気歌手になることはできない。私でも、公演スケジュールが通常6ヶ月の前までは、埋まっている状態だ。公演日程に基づいて、着々進行されるのだが、体だけが何ともはやスケジュールに従って痛むことか。

いつ寝込むかもしれなくて、用心用心するが私の体は鋼鉄ではないので、時々出演パンク(破る、펑크)を出す時がある。大慨は、痛くて出られないといえば形式的で無愛想な語り口で「健康管理、上手くしなさい」という慰めの言葉をする。だが、時々は到底抜け出せない場合もある。

去る1988年、蔚山KBSで<歌謡トップ10>を生放送したことがある。

当時、私の歌「私の街」が1位曲であったが、その日に限ってスケジュールが重なってしまった。近いといえば近い距離ではあるが、釜山でも放送に出演しなければならなかったのだ。

結局、私は釜山公演を終えるやいなや、蔚山KBSに向かって全速力で車を疾走した。今考えて物凄い途方もないスピードであり、しばらくして何か焼ける臭いがした。タイヤのフレームが、アスファルト上に転がったところで、車中いっぱい煙が立ちこんだ。窒息するようだった。マネジャーの先生が、洋服の上着で覆わなかったならば、おそらく私は窒息死まではないにせよ気絶ぐらいはしただろう。

とにかく、どうにかこうにかかろうじて蔚山スタジオに入った時は、出演歌手全員がいっぺんに歌う準備をしていた。その瞬間、あたふたと駆け付ける私の姿を見たMCが、「たった今、イ・ソンヒちゃんが到着しました」と叫ぶと、私は「私の街」を息つまるように歌った。後ほど聞いてみると、2秒だけ遅れても、私は舞台に上がることができなかったという。その日私は、どんな悪条件下でも歌を歌う可能性があることを証明した。夜10時に寝て、朝6時に起きること。これにより、ほぼ午前中に進行される放送録画の時、一部歌手のように喉がかれることがないだろう。歌手志望生に聞かせたい言葉だ。
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2014年1月1日水曜日

2014年 あけましておめでとうございます

2014年 あけまして おめでとうございます

今年も 良き年でありますように

今年の干支は 「午(うま)」で 十二支中 七番目の折り返しの年にあたる

「午」は 午前、正午、午後という風にも使われ 切れ目のいい文字だ

午年は 「西暦年を12で割って10が余る年」(Wikipedia)とのこと

今年の20124年=12×167+10 フムフム なるほど

ちなみに 丙午年は「西暦年を60で割って46が余る年」(Wikipedia)とのこと

最近では 1966年が これからでは 2026年だそうだ


さて これから 地元神社に初詣にいこう

2013年12月31日火曜日

2013年にさようなら

さて今年もあと数時間でおしまいだ。あっという間の1年だった。

こんな年の暮れ方も珍しい・・・惜しむ間もなく、ざるから漏れるように時が過ぎた。

ここで1曲、イ・ソンヒの「惜別の情(석별의 정)」、つまり「蛍の光」を聴きたいたいところだが、残念ながら単独で2013年の最後を飾るに相応しいYoutube映像が見当たらない。・・・昨年版のものはあるのだが。

そんなわけで、軽快にポール・モーリヤ(Paul Mauriat)編曲の「蛍の光(AULD LANG SYNE)」を聴きながら今年を仕舞いましょう。(Youtubeに登録のufrp136に感謝)

来年もよい年でありますように。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 クリスマス

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第37回として、「クリスマス(크리스마스)」にまつわる話を紹介した。

まず、イエスの「5つのパンと2匹の魚」の奇跡の紹介から次のように始まった。(聖書に基づき改編)
・イエスを慕い従った人々に、夕暮れに与える食べ物が全くなく困った時、弟子はわずかに残ったパンを5つと魚を2匹差し出した。イエスはこれを裂いて5千を超える人々に与え満腹にした。このイエスの奇跡は、小さくとも、自ら所有するものを人々に喜んで差し出す行為に、尊い価値を知らせた。独占する心を、喜んで分け与える心に変えること、それがイエスの奇跡だった。

▼ パンソリ「イエス伝」中の「イエスが馬小屋で誕生する題目」を聴く。こんな・・・布教の巧みさを考える。

次に、韓国のキリスト教の広まりについて次のように解説された。
・1549年、ザビエルが日本にカトリックを布教した。文禄・慶長の役(1592年~1598年)の際、西洋のセスペデス(Sespedes)神父が、日本から朝鮮に入った記録があるが、戦乱中の宣教活動は限定的だった。1631年、中国へ朝貢の使節を通じて、カトリックが本格的に伝来した。カトリックはまず学問として西学(서학)の名で広まる。当初、友好的だったが、その後百年余りの間、迫害を受け数多くの殉教者も出したが、現在数多い信者がイエスの生き方とその教えに感化されることとなった。

▼ 「ホワイトクリスマス」を聴く。伽耶琴(カヤグム)による演奏・・・国楽から洋楽へ、いいかもしれない。

最後に、シルクロードを経由したキリスト教の話が次にように説明された。
・シルクロードの繁栄を狙っていた唐代の首都、長安には世界から人々が訪れ賑わっていた。その中で、景教というキリスト教一派が仏教に負けずに栄えていた。景教はトルコの宣教師ネストリウスから広まったもので、シルクロードを通じて中国に伝わったもので、ユーラシア大陸を行き来した躍動的な動きが感じられる。

▼ 「あなたは愛されるために生まれてきた人(당신은 사랑받기 위해 태어난 사람)」を聴く。二弦の擦弦楽器、奚琴(해금:ヘグム)による演奏・・・美しい調べする、今様である。

2013年12月30日月曜日

丸いこと

内部で回転運動をすると不思議なことに安定感が増す。といってもジャイロ効果のことだが、回転の進行は同じでも、直径の両端から向かいあって見ると、反対方向に走っているように見える。一見、互いに運動を打ち消すようで、そのことが安定をもたらすといっても・・・。

その安定感には、態勢を決める重力が関わるだろうと思っても関係ない。宇宙船のなかで実験してみせてくれる映像がYoutubeにある。どんな道具を使うのかと思ったら、なんとCDプレイヤーのスイッチを入れてCDディスクを回転させて、ジャイロ効果を見せるのだ・・・あら不思議。

(Youtubeに登録のPlasma Benに感謝)

丸い回転運動は互いに中心を引っ張り合うように、反対に走ればよい。ものごといずれに片寄っても按配よくない。回転エネルギーさえ保てば円運動はうまくいく。

そういえば、マンホールの蓋が円板なのは、それ以外の形状では、傾き具合で蓋が穴に落ちてしまう危険性があるからだ。円板の蓋なら、マンホールの穴に落ちない・・・という、まっとうな仕組みになっている。円板は回転してもじっとしても安定する。

ところが、丸い球体は転がすとどこへ進むのか分からない・・・野球、ゴルフ、ボーリング、はてはサッカーなどスポーツや娯楽に最適だ。丸が3次元に変わると、いろいろな要素が加わって、コントロールがむつかしくなる。それもいいものだ。

よく人は「丸くなれ」というが、2次元を選ぶか、3次元を選ぶか・・・私は、3次元球体も捨てがたい。その場合、でんと座っているために人は「角張れ」とでもいうのだろうか。

2013年12月29日日曜日

チョー・ヨンピルの「Hello」

以前、NHKのテレビ番組で、チョー・ヨンピル(趙容弼、조용필、1950年3月21日~)が充電のため、発声を磨くために山深くこもって、パンソリを参考に血の滲む修練をしたという伝説を聞かされて以来、一層トロット、国楽寄りのイメージを強くしてしまった。実は彼が、ロックを含めて幅広いカテゴリーを持っていることから、韓国の人気歌手のトップを走るのはいうまでもないことに気付く。

11月7日に東京国際フォーラムで、「歌王」チョー・ヨンピルの15年振りの日本公演があったけれど、行けずに残念なことをした。

ところで、イ・ソンヒのコンサートに招かれた、彼女の愛弟子のイ・スンギが、チョー・ヨンピルの「旅に出よう(여행을 떠나요)」を歌ったのを見たことがある。若々しさに溢れた歌は、まさに若い歌手に引き継がれてこそ輝きが増すと思った。

今なお、チョー・ヨンピルの活力は衰えることなく、むしろその正統な底力を発揮するように新しいアルバムをリリースして、存在の堅固さを証明したようだ。最新のアルバム19集「Hello」(2013年)の「Hello」も、ロックの響きに、若さだけでなく懐かしさも同居する。多分、それがヒットした最大の理由だろうけれど。

Youtubeで「Hello」を聴いてみよう。

2013年12月28日土曜日

今年最初の火の用心

冬に入って、寒さはますます厳しい。夜も深まった9時過ぎに、今年最初の火の用心の拍子木を打つ音が家の前を通り過ぎた。「火の用心」の掛け声は聞こえなかったが、拍子木の乾いたカン、カン(カチ、カチ)という音が聞こえてくる。

昨年も、12月26日の夜に、その年最初の火の用心の音を聞いている。一体、どんな方々が廻っているのだろうか。感謝の気持ちがして、寒い冬の夜もなんだか暖かくなる。

(本ブログ関連:”火の用心”)

町内会で火の用心の行事をしている事例を、Youtubeに登録されている映像で見ることができる・・・本来、昔から伝わる風習であるが、わが町ではここ数年のことだ。

(Youtubeに登録のchiikifureaiに感謝)

(追記)
そういえば、今日は今年最後のごみ収集日で、出し忘れのないよう用意した。けれど少量で、まあいいかと出しそこなった別種の分別ごみが残っている・・・一緒に年越しだ。

2013年12月27日金曜日

2013:7080世代が最も好きな曲

朝鮮日報(chosun.com)は、”1970年代と80年代に20代を過ごした世代”つまり中高年世代に人気のある曲について、記事「チョー・ヨンピル『その冬の喫茶店』、7080世代が挙げた最高人気歌謡」(12/27、パク・ジョングォン記者)で、次のように紹介した。(キム・キョウル記者)
ちなみに、イ・ソンヒは彼女のデビュー曲でもある「Jへ」で、歌謡部門のチョー・ヨンピルに次いで2位をキープしている。

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・7080世代が最も好む曲であるABBAの「ダンシング・クイーン(Dancing Queen)」(1976年)とチョー・ヨンピルの「その冬の喫茶店(그 겨울의 찻집)」(1985年)が選ばれた。

・KBSハッピーFM(106.1MHz)「イム・ペクチョンのラジオ7080」は、3周年を迎えて、特集「7080世代が好むポップ、歌謡ベスト100」を選定して、2014年1月1日放送する。

・「イム・ベクチョンのラジオ7080」は、2013年の1年の間の聴取者がリクエストした曲と、12月中に7080のポップ・歌謡を推薦された、ポップ50曲、歌謡50曲を選定した。調査の結果、7080世代が好むポップ1位にはアバ(ABBA)の「ダンシング クイーン」が選ばれた。歌謡1位にはチョー・ヨンピルの「その冬の喫茶店」が挙げられた。

・7080世代が好むポップ順位では、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が2位、ビートルズの「イエスタディ」が3位、ライチャス・ブラザーズの「アンチェインド・メロディ(Unchained Melody)」が4位、アーハの「テークオンミー(Take On Me)」が5位をそれぞれ占めた。歌謡順位ではイ・ソンヒの「Jへ」が2位、イヨン(이용)の「忘れられた季節(잊혀진 계절)」が3位、ナミ(나미)の「悲しい縁(슬픈 인연)」が4位、チョン・ヨンノク(전영록)の「折鶴(종이학)」が5位にそれぞれランクされた。

・聴取者が直接挙げた7080名曲は「イム・ベクチョンのラジオ7080」で、3周年特集として2014年1月1日から5日まで、昼12時10分から2時まで放送される。また、歌手イ・チヒョン(이치현)、イヨン、キム・モッキョン(김목경)、五本指のイ・ドゥホン(다섯 손가락의 이두헌)、ナム・グンオクプン(남궁옥분)などがスタジオに直接出演してギターライブをプレゼントする。
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2013年12月26日木曜日

お御籤

神社にお参りすれば、境内の社務所に「お御籤」(おみくじ)が置かれているものだ。神殿に向かってした(家族や他者も含めて幅広い)願いが成就するかどうかは別にして、個人的な運勢、吉凶を占う意味でお御籤を求めることになる。
わたしは、占いを信じないからではなく、ちょっと先の運命が見えてしまうことに躊躇して、今までにお御籤を手にしたことがない・・・少々臆病なのかもしれない。

神社とは別に、子どもの頃に、デパートの屋上などで小鳥(ヤマガラ)がお御籤を引く芸があって、自分から親に頼んでお御籤を引いてもらうこともなく、観客の大人たちの隙間から覗くだけだった。それに、昔の喫茶店にあったものだが、テーブルの上に灰皿代わりのお御籤器があって、その安直さ加減に、いったい誰が求めるのだろうと不思議に思ったものだ。

中華菓子に、お御籤を埋め込んだものがある。フォーチューンクッキーという。これは以前食べたことがあるが、菓子の中から出てきたものは英語綴りのもので、いかにも輸出菓子らしく拍子抜けした記憶がある。
この菓子の名が、AKB48の歌の題名に使われている。「恋するフォーチューンクッキー」(作詞:秋元康、作曲:伊藤心太郎、編曲:武藤星児、2013年8月21日、AKB48メジャー32作目シングル)だ。それにしても、歌詞中の英語風は、「Yeah!、カモン ベイビー、Hey!、リアクション、オーベイビー」などと古色して・・・。「恋するフォーチューンクッキー!」と繰り返されるたびにどこか懐かしい、戦略的な旋律が耳に残る。

そんなわけで、実は今日初めてAKB48の「恋するフォーチューンクッキー」をYoutubeでフルで聴いた。おじさんたちにも十分聞き入れるようだ。

2013年12月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 冬至

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第36回として、「冬至(동지)」にまつわる話を紹介した。

まず、冬至を題材にした黄真伊(ファンジニ、황진이)の作品の紹介から次のように始まった。
・最近、季節の変化が極端になった。韓国では、春と秋が短く、暑い夏、極寒の冬がすぐにやってくる。今年も晩秋すでに氷点下の気温となり寒さも厳しい。今月22日(日)は冬至で、一年の最も夜が長い日だ。
朝鮮時代の時調(시조)に、冬至を題材とした、妓生(기생)の黄真伊(1506年?~1567年?)の感性豊かな作品「冬月漫長夜」がある。
「冬至の長い夜を少し切り取って、布団の下にしまっておいて、恋しいあの方がいらっしゃる夜に広げたいものだ。(截取冬之夜半強 春風被裡屈幡倉 有燈無月郎來夕 曲曲鋪舒寸寸長)

平時調「冬至月(동짓달)」を聴く。楽に合わせて長々と歌う、詩吟のソフトなイメージで、管の音に似て・・・。

次に、冬至と小豆粥の関係について次のように説明された。
・小豆は、その赤い色が幽霊を追払うと考えられ、良悪につけて、小豆粥、あんこ餅などを作り厄除けした。
・冬至の小豆粥は、小豆をつぶした汁に米を入れて粥のように茹で、そこに餅米を丸めた団子の白玉(セアルシム、새알심)を入れる。冬至に、白玉を歳の数だけ食べる。小豆粥ができると、まず霊廟(사당)に供えて、冬至の祭祀を行なう。次に各部屋、甕、納屋などに一杯ずつ置き、粥が冷めたら家族でこれを頂く。また人々の出入りする玄関やドア近くで小豆粥を撒いて厄除けする風習がある。
・冬至は、陽暦の12月22日、陰暦では毎年その日が変わるため、陰暦11月初旬の場合は子冬至(애동지)、中旬の場合は中冬至(중동지)、下旬の場合は遅冬至(늦동지)と呼ぶ。子冬至に小豆粥を食べると子どもに害があるとされ、代わりにあんこ餅を食べる。中冬至では小豆粥、あんこ餅のどちらを食べても良く、遅冬至では小豆粥を必ず食べなくてはならないとされた。
・夜が最も長い冬至を過ぎれば、これから日が長くなる。

▼ パンソリ「水宮歌(수궁가)」から「果課天辺(고고천변)」を聴く。跳ねるようにリズミカルだが・・・

最後に、冬至に対する古来の考え方について次のように解説された。
・冬至は、古代西洋では、太陽が死から復活する日と考えられ、クリスマスもこうした考え方と関連があるとも言われる。さらに中国では、冬至を新年の初めと捉え、その風習が現在に伝わり、「小さな正月」とも呼ぶ。
・冬至の日が、寒いほど次の年は豊作になるという信仰から、寒く雪が降り積もる天気が好ましいとされる。冬至は、これから厳しくなる寒さに備えて、隣り同士が支えあう期間ともいえる。昔の人々にとって、寒くて厳しい季節にも、未来へ希望をもって過ごす考え方があったのだろう。

▼ 「密陽アリラン(밀양아리랑)」を聴く。ジャズ風味を効かせた演奏だが、歌詞があれば最後に冬至、師走が・・・。

2013年12月24日火曜日

イ・ソンヒの「ラスト・クリスマス」

先日のテレビ番組の中で、世代別にクリスマスに聞きたい曲アンケートで、山下達郎の「クリスマス・イブ」(1983年)は当然として、40代以上の世代は、ワムの「ラスト・クリスマス(Last Christmas)」(1984年)を、若い世代は、マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス(All I Want for Christmas Is You)」(1994年)を上位に選んだ・・・ような(記憶違いがあるかもしれないが)気がする。

イ・ソンヒの特別アルバム「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年)に所収の「ラスト・クリスマス」は、ワムの「ラスト・クリスマス」をカバーしたものだ。ワムの場合、去年の失恋のクリスマスから今年、そして来年へと想いを語るが、イ・ソンヒの場合、「ラスト・クリスマス」は一つの記号として、まるで今を祝うよう・・・賛歌に通じる。当時、テレビから流れてきたワムの歌は、ハレの音楽記号だったのだ。

(本ブログ関連:”冬の日のものがたり”)

 
(Youtubeに登録のKnightmareに感謝)

2013年12月23日月曜日

イ・ソンヒのエピソード

以下は、RigVeda Wiki(β)のイ・ソンヒの項に掲載されたエピソードであるが、イ・ソンヒの自伝などで照合しない限り、記述者の主観も混在している可能性がある。(抜粋)

・1991年、民主自由党(民自党)*所属で、ソウル市議会市会議員に当選して活動したりした。しかし、1年3ヶ月目に所属党に失望感を感じたすえ、民自党を離党して民主党**に入党し、野党議員で最後まで活動し、その後、政治とは距離を置いている。後日、「膝打ち道士」***での発言には「ボランティア」に関心があって出馬したことで、歳費も受けなかったという。

(*) 民主自由党: 慶尚道を支持基盤とする保守系政党
(**) 民主党: 全羅道を支持基盤とする進歩系政党
(***) 「膝打ち道士」: ゲストを迎えて進める談笑番組

・イ・ソンヒの父は、仏教音楽の梵唄*の奏者であり、母は父の弟子であった。寺で居住するようにしたので、幼い時のイ・ソンヒは、父が僧侶という誤解と、寺で生きるという冷やかしをたくさん受けねばならなかった。本来この世界で、師匠と弟子の間に異性関係が続くのはダブー視される暗黙的ルールがあったし、婚姻届をするまで迂余曲折が多かったという。それでイ・ソンヒは、幼い時期の両親の職業や名前を何となくおおっぴらに挙げるできなかったし、親戚も対外的に分からない振りをして生きなければならなかったという。このような複雑な家庭事情で、かなり不安定な青少年期を送ったようだ。
・インターネットがなかった時期、口コミでデマが広がった両親世代は、イ・ソンヒの良くない噂をほとんど聞いて知っている方だ。主に家庭の事情で派生したデマだったという。

(*) 梵唄: 仏教音楽の「ぼんばい」(범패)

・90年代半ばに、ミュージックビデオ*撮影中、金属でできた電灯が傾き倒れて(彼女の)頭を直撃したせいで、途方もなく大きな手術をして、全治6週以上の大事故にあった。このために、活動復帰もキャンセルされ、本人にとって最大の暗黒史だ。これを、演芸関連番組で、イ・ソンヒが電灯に頭があたる場面をそのまま放送して、とんでもない非難を聞くことにさえなった。

(*) 本ブログ関連:”イ・ソンヒの「見知らぬ海辺で」”

90年代後半には、従軍慰安婦の老女を称える歌を歌って、歌の題名*にチョセンピ(조센삐:朝鮮女性を卑下する名称)が入ったと、どんな老人となろうと慰安婦の老女を卑下すると言って告訴されたりもした。

(*) 題名:1992年、すなわち90年代初めに、8集収録の「あるおばあちゃんの極楽(어느 할머니의 극락)」があるが・・・朝鮮女(조센삐)は削除されている。(Youtubeに登録のKnightmareに感謝)

以下、ネット情報(「再麦笛雑談」)によれば、
・・・「チョセンピ」の一部の音から悪寒を連想させるという。
・・・告訴の経緯について、告訴を受けた側が納得と合点のいかぬまま対応を急いだようだ。