以前このブログで、イ・ソンヒの「分かりたいです」という曲名から、「知りたい」と「分かりたい」ことについて考えてみた。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「分かりたいです」”、”分かりたいです”)
さらにもう一歩、高尚な捉え方かもしれないが、次のような話を読んで、上記曲名の理解にそのまま当てはめてよいか躊躇するが・・・ある高名な歴史家*が、若い頃に恩師の語った言葉を伝えたもので、歴史(対象)と取り組む姿勢を若者に伝えたものだ。
(恩師の言葉) 「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」
(歴史家の解説) 「・・・何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、『解る』ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そうのような『解る』体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだと思えるのです。」
この言葉を、世俗に引き寄せて、曲名「分かりたいです」を解すれば、想いを相手に伝え、応えを求めて、よって自身が変わろうとするまでを含むようだ。一方、「知りたいです」では、知りたい側の言葉だけで、相手との共鳴する想いが響いてこない。
少々大げさだが、そう理解した。
(*)「自分のなかに歴史を読む」阿部謹也著)