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2017年3月31日金曜日

バナナオーレ

スーパーで、新しいバナナ乳飲料を見つけた。バナナ味するなら、飲み物、菓子などかまわず購入してブログに記している。最近、スーパーやコンビニで、バナナ味の新製品を見かけなかった。バナナ本体が低価格になってしまい、バナナ風味の人甘味は人気が少なくなっているのかもしれない。

(本ブログ関連:”バナナ”)

ひさし振りに入手したのは、トモヱ乳業の「スィートなおいしさ バナナオーレ」(1000ml)だ。パッケージの商品説明を見ると、果汁成分表示がないのだ。つまり、バナナ0%の人味ということになる。でも、あっさり・こってりして妙な後味が残らない。私には満足な味覚で美味い。

バナナが高級品だった頃、その味覚と風味を真似た飲み物や菓子が登場した。そんな時代に育ったためか、バナナ本体が安価になった今も、人甘味のバナナ味を見離すわけにいかない。バナナ風の人味の記憶は、今でも舌や口腔にある。バナナ風味は永遠だ。

2017年3月30日木曜日

イ・ソンヒの「共存」

イ・ソンヒの11集所収の「共存(공존)」(チョ・ウンヒ作詞、イ・ソンヒ作曲、1998年)は、このブログで、なぜか毎年一回だけ話題にしている。言葉にして分かったつもりでも、心の奥にはかすかな火が尽きることなく点っている・・・そんな感じかな。だから、しんみりひたって、大切に聴き続けたい。

美しい思い出があってもなくても、激しい熱情を経験してもしなくても、特に何~にもなかったとしても、この曲は過去を美しく昇華してくれる。一年に一回、そんなひとときを与えてくれる。たまにはいいではないか。

(本ブログ関連:”共存(공존)”)

旅は終わったの、私たちの愛も
戻るには、あまりにも遠い 道に旅立ったわ
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の、愛は過ぎても 思い出は残って

*私のそばに止まった風、私の中にあふれた陽射し
いつか、傍(そば)を通り過ぎていくでしょう
永遠(とは)に私は見れなくとも

一つになれなかった、世界が嫌(いや)になっても
恋しい、私の心の根は
いつも貴方に向いて深いから

(*)以下繰り返し

夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の愛は過ぎても、思い出は残ったわ
う~ん


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年3月29日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」青山裏

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、黄真伊(ファンジニ、황진이)の詩「青山裏(청산리)」など関連した曲を紹介した。

始めに、朝鮮時代の妓生「黄真伊」が王族の「碧渓守(벽계수)」に詩を聞かせたときの話を次のように紹介された。
・朝鮮時代最高の妓生と言われた黄真伊が活発に活動していた頃、彼女に会いたいと念願する者も多く、惚れ込んだソンビも多数いた。王族の碧渓守は、彼女に誘惑されない自信があると断言した。その噂を聞き、黄真伊は、月の明るい夜を眺めている彼を訪ねて、<水が一度海に流れたら戻って来れないから、月が明るい内に休んで行ってください(この私と楽しみましょう)>と詩を謳った。その詩を聞いた碧渓守は断言も忘れ、彼女に見とれてしまう。
    青山裏碧溪水
    莫誇易移去
    一到滄海不復還
    明月滿空山
    暫休且去奈何

▼ (教科書で学ぶ)定型詩(平時調:평시조)の「青山裏」から「青山裏」を聴く。月下に冴え渡る。

次に、西道民謡「愁心歌(수심가)」と女性詩人李玉峰(イ・オクボン、이옥봉)について次のように紹介された。
・西道地域の民謡「愁心歌」の詞は、悲しみに満ちた歌の意だ。朝鮮時代、中国にも知られた女性詩人李玉峰は、両班の妾の娘のため、学者趙瑗(조원)の本妻になれず妾となる。趙瑗は、彼女の詩を好んだが、世に知られるのを喜ばなかった。そんな中、玉峰が貧しい女性に書いた詩が社会的問題となり、実家に戻して二度と会わなかった。玉峰は薄情な夫を想い詩を書いた。<最近はどう過ごされていますか>に始まり、後半によく知られる、<仮に夢の中の魂が痕跡を残すなら、あなたの家の前の砂利が半分は砂になったでしょう>という、夫を恋しく想いを描いた。
    近來安否問如何
    月到紗窓妾恨多
    若使夢魂行有跡
    門前石路半成沙

▼ 「愁心歌」を聴く。石が砂になるほどの想いに、熱烈というより諦めるような気がして・・・。

最後に、パンソリ「春香歌(춘향가)」の李夢龍とソンビの「成以性(ソン・イソン、성이성)」が紹介された。
・パンソリ「春香歌」は、春香と李夢龍(이몽룡)の愛の物語だ。李夢龍は、王の勅命を受け、浮浪者姿をして密かに地方を巡行し、身分を隠して地方官の宴で詩を謳い、民を苦しめながら裕福に暮らす地方官を批判する。春香歌の詩は、実在の学者ソンビの成以性が書いた説もある。彼の父が南原地域の長官で、李夢龍も南原の出だからだ。
    金樽美酒千人血
    玉盤佳肴万姓膏
    燭涙落時民涙落
    歌声高処怨声高

▼ パンソリ「春香歌」から、浮浪者姿の「勅使出頭(어사 출도)」を聴く。はらわたを吐き出すよう。

2017年3月28日火曜日

春の季節

今日は旧暦の3月1日。いまだに旧暦と新暦の季節の捉え方に混乱する。例えば「春」について、

・新暦の「春」は、(新暦)3月~5月の間で、春は始まって一ヶ月しか経っていない。
・旧暦の「春」は、(旧暦)1月~3月の間で、春は始まって残り一ヶ月しかない。

気温でいえば、3月末の今日になって落ち着き始めて、本格的に春らしくなった。

体調でいえば、季節の変わり目のせいか、うつらうつら眠気が増している。

カレンダーでは、学生にとって大きな区切り、最後となる「卒業式」がさかんだ。

柏原芳恵が歌う「春なのに」(作詞・作曲 中島みゆき、1983年)を聞くと、時代がわずかしか過ぎてないのに、こんなにもいいい時代があったのかと気付かせる。皇太子が彼女のファンだったというのもうなづかせる、だれにも愛される、ほんわりした雰囲気が懐かしい。


(Youtubeに登録のrokumaru sirakawaに感謝)

2017年3月27日月曜日

ク・チャミョンのイ・ソンヒへの感謝

今の自分が在ることを(私が)感謝するべき相手がいるだろうか。「あなたのおかげです」という言葉は、なかなか難しい。私にしたらもっと難しい。いわれた相手が迷惑するとも限らないからだ。(自分には期待以上だったとしても、他者か見れば期待以下かもしれない)

桜は桜に咲くように、才能ある人は自身と同等の、あるいはそれ以上の目指すべき才能ある人へ感謝することができる。そんな感謝の言葉を聞くと素晴らしく、そして羨ましく思う。朝鮮日報の記事、「『覆面歌王』ク・チャミョン、『私のターニングポイントは、イ・ソンヒ・・・音楽的にたくさん導いてくれて』」(3/27)は、若い歌手ク・チャミョンがイ・ソンヒに対して音楽的な感謝を次のように伝えている。(抜粋)

イ・ソンヒは50歳代に入り、後進の育成を意識したようで、昨年、オーディション番組で審査・指導したり、実力歌手の競技番組に大いに関心を持っているようだ。

(本ブログ関連:”覆面歌王”、”偉大なる誕生”、”ファンタスティック・デュオ”)

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26日放送された、MBCの「覆面歌王(복면가왕)」で、ク・チャミョン(구자명)は、「歌の天才キム・タック」の仮面をかぶって舞台に上がり、「長靴を履いて歌うネコ(コヤン)」と歌王戦まで繰り広げた。結局、歌王の席を1票差で許してしまったが、彼の活躍にネチズンの関心が熱い。

前に、ク・チャミョンは、去る23日、ある媒体とのインタビューで、「偉大なる誕生(위대한 탄생)2」に参加することになったきっかけに、「友達の間で歌がうまい方と評判になったんで、友人が『偉大なる誕生』のオーディション募集に出てみろと薦めた」と明らかにした。

続けて彼は、「正直、歌を正式に習ったことがない。理論的に音楽をやる友達より自信がなかった。ところが、先生たちが私の中にあった音楽性を目覚ませてくださった」と、感謝を伝えたりもした。

ク・チャミョンは、自身のターニングポイントに、「メンター(指導者)でいらしゃったイ・ソヒ先生にお目にかかるまでも運があったようだ。先生は、音楽について内面的に、外面的に多くの教えをくださった。歌をよく分からなかった自分自身を、音楽的にたくさん導いてくださった方がイ・ソンヒ先生でいらっしゃる」と語った。
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2017年3月26日日曜日

黄色いシャツの男

K-POPといわれる以前のこと、1961年にヒットしたトロットの「黄色いシャツの男(노란 샤쓰의 사나이)」は、(発表された)だいぶ後に、日本のおじさんたちにも歌われた。ハイテンションな歌で、演歌とトロットの境界なんて意識もいらない。歌詞の主人公は、黄色いシャツを着た男を気に入る若い女性のようだ。

それがどうして、おじさんたちにも安心して歌われたかというと、歌詞に「なぜか」気になるという表現に、韓国語の「オッチョンジ(어쩐지)」がそのまま使われた。この「オッチョンジ」は、空耳ながら「おっちゃん」に通じる。すると、主人公に気に入られた男が、オッチョンジ>おっちゃん=おじさん、と身近な存在になる。歌がぐっと親和してくるというもの。おじさんでもいいのだ。

ところで、図書館で、ときどき読まれることのない書籍を、自由に持ち帰ってくださいと並べることがある。あるとき、韓国の(K-POP以前の)歌を紹介した本が置かれていた。だいぶ前の発行ながら、貸し出されて汚れた跡もなく、惜しんで持ち帰った。

同書には、民謡、童謡、歌曲、流行歌などいろいろなジャンルの解説と楽譜が収められている。そのなかで、1961年にハン・ミョンスク(한명숙、韓明淑)によって歌われた「黄色いシャツ」の紹介ページだけは、黄色という色彩の明るさ、アメリカンな曲風が語られ、解説に歴史と結びつけた言葉のモザイクがないため、普通な大衆音楽の解説になっている。

( 音量注意!  これがオリジナルなら、アメリカンフォークを意識した編曲だ・・・)

(Youtubeに登録のsoundphenomenに感謝)

2017年3月25日土曜日

(雑談)子どものとき見たゴジラの夢

先日、映画「シン・ゴジラ」を楽しんできた。民家の上を巨大な尻尾をよぎらせながら進むゴジラを見て、昔、初めて見た初期のゴジラ映画を思い出した。暗い夜、画面いっぱいに映し出されたゴジラの足から、巨大な全身を想像して、恐怖に落ち込んだまま、座席で息を殺して見ていた。

それ以来、怪獣の夢には無力感がつきものだった。最初のゴジラ映画は、視覚効果を狙ってだろう、夜の破壊シーンが鮮烈だった。当時の大人には空襲や戦場の記憶につながったかもしれないが、子どもにとっては破壊の凄まじさだけだった。だから夢に直結した。

ゴジラ映画は、夢に影響を与えたようだ。登場する怪獣や宇宙人は、圧倒的な力で襲いかかり、逃げるしかなかった。今の子どもはどうだろう。ぼくらは、映画で初めての恐怖を経験したかもしれない。いつも見られるものではない。だから怖さも深かった。

また、上空を様々な隊形した飛行編隊が迫ってくる夢を見た。編隊の数は増え、やがて空いっぱいに真っ黒な宇宙船が覆い浮かんでいるのが見えた。すると、船体から真っ黒な着陸艇が地上に次々と降りて、黒い防備服の大量の宇宙人兵士が隊列を組んで街に侵入を開始したのだ。もう、どうすることもできない。「宇宙戦争」を彷彿させるが、隠れても見つかってしまう・・・。

夢が前向きでなくなったようだ。空を飛ぶ夢を見ても、始めは優雅に羽を舞い飛行したが、すぐに失速を始める。あれっ、戸惑いながら何とか持ちこたえたが、上昇と下降を繰り返しながら墜落してしまう。「イカロスの墜落」ように・・・。

2017年3月24日金曜日

イ・ソンヒのLAコンサート(2003、2006)

イ・ソンヒは、今年5月、米ロスアンゼルスで《単独コンサート》を行なう。米国での《単独コンサート》としては、すでに2011年に、ニューヨークの「カーネギーホール」、メイン公演会場の「アイザック・スターン オディトリアム」で実績がある。

(本ブログ関連:”カーネギーホール”)

イ・ソンヒは、他方で、《単独コンサート》でないが、ロスアンゼルスで例年行なわれている韓国人歌手たちによる「Korean Music Festival(KMF)」の2003年「第1回」、および2006年「第4回」に参加している。
会場は、LPジャケットでよく目にした、半ドーム舞台の「ハリウッド・ボウル」で、音楽フェスティバル地にロスアンゼルスが選定された理由として、韓国から海外移民した最大の人口密集居住地だからといった話がある。

・2003年の主な出演歌手、シン・スンフン、パティ・キム、ボア、テ・ジナ、チュ・ヒョンミ、イ・ソンヒなど
・2006年の主な出演歌手、シン・スンフン、イ・​​ヒョリ、テ・ジナ、イ・ウンミ、イ・ソンヒ、イ・スンギなど

ちなみに、 今年5月20日のロスアンゼルス《単独コンサート》は、同近郊のパーム スプリングスに位置した「ファンタジー・スプリングス リゾート」で、夕方7時に開かれる。

なおイ・ソンヒのプライベートだが、2006年に米国で大きな出来事(再婚)があった。では最後に、2006年ロスアンゼルスの Korean Music Festival で、イ・ソンヒが歌った「因縁(인연)」の熱唱を聞いてみよう。


(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2017年3月23日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 広大(辻芸人)の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、綱渡りなどした辻芸人(広大)の「広大歌(광대가)」に関連した曲を紹介した。(未聴のためYoutube参照した)

始めに、最高の歌い手と評された宋萬甲(ソン・マンカブ、1866年〜1939年)について次のように紹介された。
・宋萬甲は、曽祖父宋興祿(송흥록)、父宋雨龍(송우룡)に続く、朝鮮末から活動した当代最高の歌い手だった。有名な家柄に生まれ、大きな祝福と共に、一方で受け継がれた伝統を守る負担もあったろうが、それに拘束されず、多様な歌を学び、より大衆的な歌を歌った。父は、そんな息子を恥として、毒殺まで考えた。宋萬甲は、歌い手は商人と同じで、客が絹を求めたら絹を、綿を求めたら綿を出さねばならないように、人のために歌が存在するのだから、聴きたがる歌でなければならないと主張した。

▼ 「広代歌」の歌と演奏を聴く。賑やかに力いっぱい歌いまくる、今様に(⇒ Youtube

次に、今年1月に亡くなったパンソリ指導者、成昌順(ソン・チャンスン、성창순)について次のように語った。
・成昌順は、光州出身で、父成元睦(성원목)は、太鼓と歌に優れ、弟子も多くいた。そんな家柄で自然と歌を学んだ彼女は、また、母と一緒に観覧した演劇にも心奪われ、16歳のとき、内緒で劇団に入り歌い手となる。そこから、有名な指導者の下で歌と、カヤグムやコムンゴなどの演奏も学んだ。また、書道に通じて、音の意味を深く理解し、心を穏やかに保とうと努力した。80の歳になっても舞台に上がり、新しい音楽に挑戦した。

▼ 「沈淸歌」から、父の目を治すため沈淸が海に向かう「泛彼中流(범피중류)」を聴く。(⇒ 国立国楽院版

最後に、今年2月に亡くなったパンソリ指導者、朴松熙(パク・ソンヒ、박송희)について次のように語った。
・朴松熙は、いつも笑顔で小柄な、まるで母親のようなイメージの歌い手だった。1927年に生まれ、今年、数え年でちょうど90歳となる。10代から始めた歌と、70年以上一緒に歳月を過ごした。幼い頃から学んだパンソリ、歌曲、踊りなどで活動し、結婚後、田舎で農作業の生活をした時期もある。そんな中、歌が恋しくなると、ソウルでこっそり公演したこともある。夫と姑が世を去ってから、本格的に歌の活動を始めた。

▼ 善人な弟興甫と意地悪な兄ノルボの話「興甫歌」から「ツバメ路程記(제비노정기)」を聴く。(⇒ Youtube

・「興甫歌」は、ツバメが運んだふくべに、興甫には宝物が、ノルボには災害が入っていたという教訓を語る。

2017年3月22日水曜日

シン・ゴジラ

映画「シン・ゴジラ」を見てきた。封切りが去年の夏(2016年7月29日)の映画を、およそ8ヶ月後に鑑賞したことになる。関心を持ちながら、ずるずる過ごしてしまい、これ以上はまずいと自覚して、川崎の映画館へ出かけたわけ。

ようやく映画館で見る目標は達成した。それに、映画とシンクロして、座席が揺れる「MX4D」を初めて経験した。今回は、2D映像のままだったが、それでも充分楽しめた。おじさんには、うつらうつらする余裕を与えない効果がある。

物語は、あたかも幼生期のゴジラのような怪物が、東京湾から上陸したことに始まる。いったん退避したかに見えたそれは、更に強力な破壊力を進化させ再登場する。対抗する国家側官僚たちの人間模様が織り込まれる。役人の面子と互いの腹の探りあいから、国家間の駆け引きまで・・・。

話題となった、即断が必要なゴジラ対策の段取りについて、法の不備を突くような場面もあった。結局、やるっきゃないのだから。圧倒的な力を持ったゴジラに、知恵を駆使して人間が挑むことになる。
最近のCG映画の凄まじさは、まるで破壊現場を目の当たりにしたように、細部にいたるまでリアリティがある。以前のゴジラ映画のような、あうんの理解と鑑賞眼が必要ない。ただ見たままに圧倒感、恐怖感にさらされる。

私が子ども時代に見た、初めてのゴジラ映画は暗い白黒画面だった。ゴジラが夜の街を破壊するシーンは、いっそう想像力をかきたて、恐怖心を最高にした。いまだに忘れられないのは、ゴジラの全身の姿より、破壊の一瞬現れるゴジラの足だった。まるで人間に踏み潰されるアリのような無力感すらした。そう、この映画には、それがまさに再現されている。シン・ゴジラは、今回も子どもたちに一生忘れられない(映画の楽しみという)恐怖を残したことだろう。

映画館で購入したパンフレットに、見終わるまで開かぬようにと帯封がしてあった。

(最後まで引っ張っていく人がいて、はじめて作品が完成することをつくづく実感します)

(Youtubeに登録のjambo reeに感謝)

2017年3月21日火曜日

「開花宣言」

一日中雨というに、気象庁は今日、東京に「開花宣言」をした。桜の春、冷え込みが残って、なんとなくストーブを点けっぱなしでいる。それでも開花宣言と聞けば、急に気持だけ先に暖まる、不思議なものだ。
(夕方の天気予報で、東京の雨量は今年一番だそうだが・・・今日がまだ終わってないのに?)

(本ブログ関連:”開花”)

NHKニュース記事 「東京でサクラが開花 全国で最も早く」(3/21、17時47分)は、次のように報じている。(抜粋)
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・東京・・・雨が降り気温が下がりましたが、20日までの暖かさでソメイヨシノの開花準備が急速に進み、気象庁は21日午前、全国で最も早く「東京でサクラが開花した」と発表しました。
・気象庁によりますと、・・・千代田区の靖国神社では、21日午前、気象庁の担当者がサクラの開花の目安にしているソメイヨシノに5輪の花が咲いているのを確認・・・。
・東京のサクラの開花は、去年と同じで、平年より5日早くなっています。また、全国で最も早く開花するのは平成20年以来、9年ぶりです。
今後1週間から10日程度で満開になる見込みです。
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私は、桜の花の下にも、樹の下にも関心はない。淡いピンクの光に包まれて、満開のサクラ花を見上げたときの幸福感が忘れられない。幼い子どもたちが、そんな体験をするだろう、お花見が待ち遠しい。

(今日の「開花」映像 寒い雨が降っている中で)

(Youtubeに登録のTHE PAGE(ザ・ページ)に感謝)

ところで、4月から、二つのことに取り組む。一つは、既に始めて幾星霜、十分我が身に重いのに、もう一つとは。開花宣言なんて、運よくお花畑に行ったとして、そこで見られるか難しい、えらいことを始めてしまったようだ。

2017年3月20日月曜日

イディッシュ・ダンス・セッション

子どものころ、盆踊りの賑やかさにはしゃいだが、踊りの輪に加わったことはない。最近、小学校でもダンスの時間があって、普通に経験するようだ。

私の経験といえば、中学時代に、昼休みの校庭で行なわれた「フォークダンス」を思い出すくらい。これには参加した! 理由は簡単、男女共学の男子中学生ならいわずもがな。それ以降、踊りやダンスと縁が全くなかった。本ブログで「ダンス」について触れたとすれば、イ・ソンヒの背後に迫った、(80~90年代の美少女歌手たちによる)「ダンスブーム」のことぐらいだろう。

(本ブログ関連:”ダンス”)

とはいえ、伝統をつなぐ民俗舞踊を見るのは好きだ。だから、鑑賞の機会があれば出かけるようにしている。「春分の日」の今晩、両国駅近くにある「シアターX(カイ)」で催された、「イディッシュ・ダンス・セッション」へ行った。言葉(イディッシュ語)を知りたければ、できるだけその民族文化に接すればよいわけで、わたしなりに、見て感じることができる、その第一歩、入門にしたいと思って・・・。(イディッシュ音楽・舞踏について、全く暗い、今回初めての見聞になる)

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

イディッシュ・ダンスの学術的意義については、昨日、明治学院大学で講演があったようだ。一般向けの楽しいイベント(イディッシュ・ダンス・セッション)が、今晩行なわれたことになる。(シアターX(カイ)では、例年、同様のイベントを実施しているようだ)

ミュージシャン樋上千寿氏の司会(演奏)で、音楽ユニット「ジンタらムータ」によるイディッシュ音楽の演奏が・・・、実はそれだけでなく、客席の大半を舞台に上げて一緒にイディッシュ・ダンスを経験する面白い取り組みがされた。そこへ、イディッシュ音楽の演奏家・研究の第一人者ゼフ・フェルトマン氏も参加されて、客を踊りの輪に取り込まれた。
(フェルトマン氏は、まるでイディッシュ童話の挿絵から出てきたような大らかな方と拝見した)

(本ブログ関連:”素敵なあなた”)

イベント内容は、イディッシュ・ダンスの曲目として、「ホラ」 (「フレイラッハ」)、「コーシドル」、「ブルガール」などが演奏された。かつ、「コーシドル」はフェルトマン氏のソロで、「ホラ」と「ブルガール」はフェルトマン氏を中心に客と一緒に踊られた。腰が痛い(いつから?)のを言い訳に、後方の客席から見学させていただいた。

最後になるが、イディッシュ語研究者のご家族が参加されていた。幼いお子さんたちは舞台で一番光っていたかもしれない。語り聞かされて、きっといい思い出になることだろう。

(参考:フェルトマン氏を先頭に踊る「ブルガール」、2015年夏ワイマール)

(Youtubeに登録のyiddishsummerweimarに感謝)

(付記)
上記のイベントが始まる前、シアターX(カイ)の横にある「回向院」へ参った。寺内に、黄表紙作家の山東京伝の墓が、一族の墓を整理した場所に置かれていた。

2017年3月19日日曜日

(雑談)新幹線

鉄道オタクではない。それでも、黒煙、白煙を吐きながら牽引する漆黒の蒸気機関車は、煤煙のススの経験も懐かしく気になる存在だ。まるで生き物のように唸り走る姿を、日常で見ることはできない。書籍や映画の映像を通してしか知るしかない。私にしてみたら、機関車の車輪数で、C型だ、D型だという区別くらいしかできず、遠くから言い当てるほどじゃない。

1964年の東京オリンピックの年に開通した新幹線も、「夢の超特急」といわれながら、特に関心が深かったわけではない。むしろオリンピックへの期待の方が勝っていた。だから、鉄道に対する今様なオタクを周囲に感じたことはなかった。こんなに細分化された大勢のオタクたちはいなかったのではと思うのだが。

とはいえ、新幹線に「500系」が登場したとき、飛行機好きにマッチした先頭車両のスタイルが特別に気に入り、大阪出張の際には、わざわざ早朝の東京駅始発に乗ったものだ。最高時速300k/mを実現した車両であり、パンタグラフのデザインが自然の特性を取り入れたユニークなものだったし、そして何より今だに他を寄せつけぬ、車体の美しさ*があったからだ。

(本ブログ関連:”500系”)

(*)500系の美しさ:Youtube映像

おとなを夢中にさせた流線型の曲線美は、子どもにとっても人気があったわけで、今も玩具売り場から消えることのない車両のひとつだ。

ところで、今日、新幹線初の「0系」について講演会があったが、出かけようと思いながら、家の用事で参加できず惜しいことをした。

2017年3月18日土曜日

(雑談)ことば

イ・ソンヒの歌を、歌詞の主人公の心象を想定し、日本語風に女性表現を付したものを、教室の先生に見ていただいたところ、首をかしげられたことがある。女性の語尾表現の「~だわ」、「~のよ」、「~なの」、「~のね」などがしっくりしないという。韓国語には、男女の区別がないからだそうだ。

日本映画に韓国語字幕を付ける字幕翻訳家が新聞に紹介されていた。中央日報(日本語版)の記事、「『Love Letter』『君の名は。』など韓国でヒットした日本映画の翻訳家は誰?」(3/17)は、字幕翻訳家カン・ミンハ(강민하)とのインタビューで、次のような話を伝えている。(抜粋)
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・・・『君の名は。』は男女主人公の身に起きた「入れ替わり」によるハプニングが登場する。東京に住む少年の瀧の身に入れ替わった田舎少女の三葉が女性語と方言を一緒に使うことを周りの人が不思議に思う部分がある。カンさんはこのような部分を訳すことにかなり苦労したという。韓国語には日本語のように男性語・女性語がないためだ
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ところで、日本で活動する男性K-POP歌手が、日本語を喋るとき、なよっとした口調になることがある。音楽事務所の特訓に語学研修があるそうで、もしかしたら指導者が女性だったのではないかと思ったりする。男性語・女性語のない世界にいれば、指導者の口調に一致してしまうのは自然なことかもしれない。

昔、駐留軍のGIたちが日本語を使うとき、女性言葉を使うものがいたという。頑張って日本語で話そうとしているのだろうが、それを学んだ先が女性だった。

ちなみに先日、BBCの放送で、釜山大学ロバート・ケリー准教授が朝鮮半島の政情について報告していた画面に彼の幼子たちが意気揚々と次々乱入し、かつ慌てながらも収拾した妻の活躍ぶりが話題になった。彼の妻は韓国人である。
ハンギョレ(日本語版)によれば、彼のプロフィール紹介に、「(当り前だが!)英語以外にドイツ語、フランス語、ロシア語、ラテン語、古代ギリシャ語を駆使するという。」とある。韓国語も多分、そう(駆使する)だろう。

2017年3月17日金曜日

彼岸の入り 2017

今日は春の「彼岸の入り」。おかげさまの暖かさで、都心の最高気温は午後3時前に15.2℃になった。日なたを散歩すると、額にうっすら汗がにじむ。3月下旬並み、順調に春が近づいている。20日の「春分の日」を含む連休も、この陽気が続くようだ。

先月の今日、2月17日、都心の今年の最高気温20.6℃を記録している。ここまで暖かいものをとはいわないが、そろそろ最高気温15℃以上が欲しい。それに、最低気温を10℃以上でどうだろうか。深夜、早朝の冷え込みからそろそろ卒業したい。

ところで、「春分の日」(3/20)を中心にはさんで、その前後3日、合計一週間を「彼岸」と呼ぶ。今日は、その入り口の「彼岸の入り」だ。彼岸の言葉から、<秋>の彼岸の方が馴染みやすいかもしれないが、ブログに記したのは、なんと<春>の彼岸の入りの方が多いのだ・・・。

(本ブログ関連:”彼岸の入り”)

(付記)
今年は、イディッシュ語についても関心を深めたい・・・と思って講座に申込んだところ、参加希望者数の関係で、開講できるかどうか未確定だった。今日、通知があって、どうやら実施の運びになった。ホッと一息。

2017年3月16日木曜日

イ・ソンヒの5月、米ロスアンゼルス公演

中央日報のLA版の記事、「国民のディーバ(歌姫)イ・ソンヒ『The Great Concert』LAコンサート開催」(3/13)は、昨年9月にソウル*を起点にして、その後、全国12都市**で開催されたイ・ソンヒの「The Great Concert」を、米国ロスアンゼルス***で単独公演すると次のように記している。

(*) 昨年9月にソウルで開催した「The Great Concert」: コンサート・レポート
(**) 記事入力が3月13日となっているが、本文最後に、「The Great Concert」の国内最終日(慶山:3月4、5日)をこれからのように記しているので、記事はそれ以前に作成されたものと考えられる 。
(***)「The Great Concert」は、米ロスアンゼルスに次いで、9月に豪シドニーでも単独公演を予定している。

(本ブログ関連:”The Great Concert”)

ところで、3年前のことだが、コンサート(「歌う イ・ソンヒ」)の全国ツアーを終えたばかりの頃、スターニュース記事(2014年11月17日)は、「(イ・ソンヒの所属事務所の)フックエンターテインメント関係者は、17日のスターニュースに『全国ツアーを有する間にも、国内で公演した都市はもちろん、しなかった都市で年末コンサートなどアンコール公演を持つという提案を多数受けた』とし、『韓国を越えて、アメリカとオーストラリアなど海外でも単独コンサートをして欲しいという要望が殺到し、今も同じ』と伝えた。」と伝えている。
もしかしたら、今回の米・豪コンサートは、このような流れの中で計画、実現の運びになったのかもしれない。

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・「J 撫でる風に..J あなた想えば..」 そのとき、ラジオから流れ出た繊細ながらも切なかったその声。清く澄んでいるが心の琴線に響く声。このような修飾語を、一度にすべて持つことができる歌手は、大韓民国でイ・ソンヒしかいない。

(参考)イ・ソンヒのデビュー曲 「Jへ(J에게)」

(Youtubeに登録のjustine kellyに感謝)

・いよいよイ・ソンヒの声をLAで来る5月20日初めて直接聞くことができるようになった。デビューから30年を過ぎたイ・ソンヒだが、既成世代(社会の中心世代)には、いまだに彼女の初デビュー舞台がずっと鮮やかなままである。奇妙なギャザースカートに、やぼったかったポグルパーマ。顔の半分を覆ってしまうサングラスまで。歌唱力同様に、彼女のファッションは大衆に新鮮な衝撃を与えた。心地よいながら切ない声で聴衆の心をひたらせてしまったイ・ソンヒは、結局、1984年のMBC「辺歌謡祭」で優勝を射止めた。

・そんな風にデビューしたイ・ソンヒは、歌謡界で新しいパラダイム(規範)を引き起こし始めた。正規(公式)アルバム*ただ一枚なくて、歌謡祭の出場曲だった「JへJ에게)」一曲で、その年の新人賞、人気歌謡賞などを含むすべての賞をさらった。保守的だった当時の放送界では、他放送会社でデビューした歌手に、その他の放送会社の活動を許諾しなかったにもかかわらず、MBC出身であるイ・ソンヒがKBSの新人賞を受賞する奇跡に近い歴史を記録した。

(*)彼女の正式アルバム第1集は、1984年のMBC「江辺歌謡祭」の翌年にリリースされた。

・のみならず、「女性歌手には男性ファンが多い」という偏見を打ち破ることで、チョー・ヨンピル(조용필)の「兄さん部隊」に次ぐ、イ・ソンヒの(女子学生だけのファンフループ)「姉さん部隊(언니부대)」を誕生させた。彼女のマスコットであった丸いメガネと、(ショート)カット・ヘヤスタイルは女子学生たちの間でとんでもない人気とともに、「イ・ソンヒ症候群(シンドローム)」を引き起こした。イ・ソンヒらしいボーイッシュな魅力で、彼女は男性ファンだけでなく、トムボーイ(Tomboy、おてんば娘)ファンたちを引き連れて全盛期を享受した。

・今とは違って、リップ・シンク(くちパク)が存在しなかったその時期、イ・ソンヒは澄んで力ある声で、多くの名曲を誕生させた。「Jへ」、「分かりたいです(알고 싶어요)」、「私いつもあなたを(나 항상 그대를)」、「秋の風(갈바람)」、「ヤング(영)」など、今聞いても全く野暮ったくない名曲は、いまも多くの愛(支持)を受けている。そのうちの1集に収録されている、はやいビートの曲である「あ! 昔よ(아 옛날이여)」を完ぺきに消化して、ジャンルがない(こだわらない)歌手であることを証明した。その他にも、シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」をリメークしてパワフルなボーカルを披露した。

・彼女の伝説は今なお書きつがれている。世界的な歌手たちにだけ与えられる栄光を、イ・ソンヒは、2011年、ニューヨークのカーネギーホールのメイン公演会場「アイザック・スターン オディトリアム」で享受した*。

(*)2011年2月3日夜、ニューヨークのカーネギー・ホールの全席完売している。

・イ・ソンヒは、2014年、(アルバム14集以来)5年という空白を破って、正規アルバム15集を発表した。デビュー30周年を記念するスペシャル アルバムでもって、イ・ソンヒはファンたちに「歌を聞く楽しみ」*を分かつために、5年の間、アルバムを準備したと明らかにした。そのうちの、タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」は、曲は楽器配列(編成)を最小化して、イ・ソンヒのアピール力の濃厚な音色をそのままに再現した。

(*)2014年のコンサートタイトルは、「歌うイ・ソンヒ」だった。

・甘美なバラードから軽快でパワフルな音楽まで問題なく消化するイ・ソンヒならばこそ、ドラマと映画のO.S.Tでももれなく名をあげている。イ・ソンヒの初O.S.Tの開始点は、ドラマでも映画でもない、アニメ主題曲だった。80年代の老若男女漏れなく好きだった、国民漫画「走れハニー(달려라 하니)」の主題曲は、彼女の澄んで軽快な声で全国路地にこだました。

・2005年度に発表したイ・ソンヒの「因縁(인연)」という曲は、一千万の観客を動員した(映画)「王の男」に挿入され、多くの愛(支持)を受けた。彼女が直接作詞、作曲をした曲を以って、歌だけうまく歌う歌手ではない、シンガーソングライターの面目を見せたりもした。

・のみならず、視聴率21.0%(ニールセンコリア提供)で、盛況裡に放映を終えたSBSの水木ドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」 (イ・ミンホ、チョン・ジヒョン主演)のO.S.T 「風花(바람꽃)」を歌って各種音源チャート上位圏に進入した。ドラマと映画に出てくる主人公たちの感情を視聴者に伝達して「O.S.Tの女王」というタイトルを再度確実にした。

・最近では、芸能を通じてもファンとコミュニケートしている。(SBSの)サバイバル音楽番組「ファンタスティック・デュオ」に出演したイ・ソンヒは、一般人「朗朗18歳 イェジンお嬢さん」と共に舞台を作り上げて、5連勝を達成して名誉の卒業をした。最高の賛辞を受けたイ・ソンヒとイェジン嬢さんの(歌う)「私はいつもあなたを」、「美しい江山」と、「思い出のページをめくれば」は、いまだ番組のレジェンド舞台として残っている。

・小さい体格にもかかわらず、パワフルな歌唱力のために、「小さな巨人」というニックネームを持っているイ・ソンヒは、本人自らも彼女の声は「天がくださった贈り物」と表現した。そんな夢のようなイ・ソンヒの声を、目前で聞くことができる機会がついに来たのだ。

・イ・ソンヒは、昨年9月、ソウルを始め大邱、全州、光州、(大田 )、釜山、仁川、高陽、昌原、水原、議政府、清州など、6ヶ月を経た全国ツアーを持っており、来る3月慶北(慶尚北道)の慶山を最後に国内公演を盛況裡に終了した。全国ツアーを終えたイ・ソンヒは、デビュー32周年をむかえて、(米国)LAの公演を始め、9月には豪州シドニーのオペラハウスでも公演を繰り広げ、本格ワールドツアーを上がる予定だ。

・現在、国内ツアー中の「The Great Concert 」(を含めて)イ・ソンヒは、2006年、(2009年)、2011年、2014年の公演で、4千席余の(ソウル)「世宗文化会館」が全回売り切れる記録的な名品コンサートの記録を立てた。音楽はもちろん、ファンに最高の舞台を見せようとするティーバ(歌姫)の情熱と細心ながらもダイナミックである舞台と演出は観客の胸に長らく残るだろう。そのお目見えが、来る5月20日の夕方7時、LA近郊のパーム スプリングスに位置したファンタジー・スプリングス リゾートで開かれる

・イ・ソンヒは、「2017 The Great Concert イ・ソンヒ」 LA公演で、「分かりたいです」、「私たちは」*をはじめとして、「因縁」、「思い出のページをめくれば」、「美しい江山」などの珠玉のようなヒット曲を聞かせて、LAの米州韓人に思い出の旅行をプレゼントする予定だ。

(*)「私たちは(우리는)」(1986年)は、ソン・チャンシクの代表曲である。
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2017年3月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 つつじの花

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「つつじの花(진달래꽃)」に関連した曲を紹介した。

始めに、詩人金素月(김소월、1902年~1934年)の「つつじの花」の詩について次のように紹介された。
・詩にさほど興味がなくても、だれもが知る作品がある。金素月の詩「つつじの花」もそうだ。韓国人が好きな詩のトップを争うこの詩を、始めから終わりまで謳える人も多い。「私が嫌いになって/去って行かれるなら/何も言わずに行かせて差し上げます」に始まり、後半を「つつじの花を//その道筋にまき散らし//自分は絶対涙など見せない」と語る、易しい表現の短詩だが心に響く。多くの作曲家が、この詩に曲を付けている。

▼ 「つつじの花」の歌を聴く。金素月の詩を、古い西の彼方の民謡のように素朴に歌う。

次に、金素月の「つつじの花」の詩を収めた、唯一の詩集「つつじの花」について次のように紹介された。
・金素月の唯一の詩集「つつじの花」に載る「つつじの花」の詩は、高麗の歌謡曲「帰乎曲(가시리)」、および「アリラン」と共に代表的な別れの歌だ。1922年発表の「つつじの花」の詩は、3年後発行の詩集で一部表現が変わる。詩中、「寧邊に薬山/つつじの花」とある「寧邊」は、北部の平安道の地名で、「薬山」は同地の山名だ。薬草が多く、体に良い水が湧くことで薬山と呼ばれる。山が険しく、「平安道で外敵を防御できるところはここしかない」という記録もある。その景色は美しく、春には赤いつつじが薬山を覆い、燃えているような壮観さという。

▼寧邊の歌「寧邊歌(영변가)」を聴く。薬山東台の美しい景色と人生の無常を・・・賑やかに歌っている。

最後に、「寧邊の薬山」の意と、金素月の詩集「つつじの花」初版本の文化財登録について次のように紹介された。
・「寧邊歌」は、1節が「寧邊の薬山」と始まるため「寧邊歌」と名付けられた。薬山のつつじの花を知る人なら、その一区切りだけで風流と別れの歌と気付くはず。それを現代風にしたのが詩人金素月だ。彼の詩集「つつじの花」は、1925年の初版が4点が現存し、文化財に登録されている。美しいだけでなく、子供たちのおやつ(花煎、화전)になる花でもある。

▼  擦弦楽器ヘグム演奏による「つつじ」を聴く。ヘグムはビオラに似て深く掴み入るよう・・・今様に。

2017年3月14日火曜日

春よ、来い

民家の庭先にそびえる「ハクモクレン」の木が、まるで蝋燭立てを飾るよう白い花を咲かせている。始めは小さかったものが、花弁を膨らませ包むようにして、次第に花先を天空に向けて咲き誇る。こうなると壮観で、毎年この時期が楽しみである。

花の固まり具合と上向き加減からハクモクレンと思っている。そこの主が、長い庭木バサミで枝を切り取っているのと出会うことがあるので、正式な樹木名を聞いてみたい気もするが、なんとなく面倒になり通り過ぎてしまう。

ネットで確認したところ、モクレン、ハクモクレン、コブシについて違いを解説しているブログがあって、自分の解釈通りハクモクレンで正解のようだ。

今日は雨模様の一日だったが、ようやく落ち着いた。それでも、明日まで気温は冷え切って、例年通りの春に成るには時間が要るようだ。先日聞いた天気予報では、3月いっぱいかかるという。三寒四温の陽射しにその気になるが春はまだ遠い。

松任谷由実作詞、作曲の歌「春よ、来い」(1994年)を聴く。おっと、沈丁花の花に始まり、ハクモクレンについてなにもないけれど、春を待つ気持ちなんだから・・・いいではないか。


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2017年3月13日月曜日

サンシュユ、ハナモモ

空からの鈍い明りしかない冷えびえとした公園に、われながら物好きと思いつつ散歩に出かけた。もちろん人影はまばらだった。

先月中旬に「梅まつり」を終えた梅林を訪ねてみた。閑散とした光景を想像していたが、なんと7割方の木々に紅梅、白梅を残していた。花はいかばかりと寄ってみなければ、こんな景色を知ることはなかったろう。盛りを過ぎているが、それでも梅林に入ると花の香りを一瞬感じたりした。

ところで梅林の外縁には、以前、「ロウバイ(蝋梅)」、「ミツマタ(三椏)」が咲いていたが、今回は「サンシュユ山茱萸)」、「ハナモモ(花桃)」に代わっていた。
特に、サンシュユの木の全体を、黄色の小さな塊りが覆っているのが目に付く。そう思って見回すと、あちこちに黄色の花したサンシュユの木があるのに気付いた。

地面から幹を二つに分けてスッと伸びたハナモモの木は、名前から連想する桃色とは違い、白色の花が全体を飾っていた。その落ち着いた色振りが、かえって愛らしさを増していた。今回、ハナモモの木を一つだけ目にした。サンシュユと合わせて、この時期に来なければ、今まで同様に気付かずに終わっていたかもしれない。

(本ブログ関連:”蝋梅”、”ミツマタ”、”サンシュユ”)

2017年3月12日日曜日

お水取り

この時期、気になるのが、奈良「東大寺」で3月1日から2週間行なわれる「修二会(しゅにえ)」*の中の「お水取り」の行事だ。今晩、庶民にとっては一番のクライマックスだが、関西のことゆえなかなか聞こえてこない。

(*)修二会:1250有余年の歴史を持つという。関わった僧侶たちの顔々を想像すると歴史の重みが増してくる。

「お水取り」には、庶民に春を知らせ健康安全を分ける「お松明(たいまつ)」がある。長い竹竿の先に火を灯した松明を、「童子」**が「二月堂」の(バルコニー風の)舞台を小走りしながら欄干の先で揺すって火の粉を撒く。人びとは、二月堂の下に群がり、火の粉を求める(高い舞台から落ちるので、燃えかすになっていて火傷の心配はない・・・直に浴びることもない)。

(**)童子: 童子といっても子どもではない。

これまで、「お水取り」に3度ばかり行ったことがある。1度目は仕事を早めに終わらせて新幹線で駆けつけた。2度目はそれが間に合わず、夜の奈良公園の屋台で、生姜風味の効いた甘酒を飲んだ。3度目は、無理せずツアーに参加してゆっくり楽しんだ(これは実に楽ちんだった)。

今年こそはと思いながら、間際になって気付き残念がる、そんなことを繰り返してきた。今年はだめだったが、来年はきっと行こう・・・と。来年、どうしようか。

(本ブログ関連:”お水取り”)


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