私の経験といえば、中学時代に、昼休みの校庭で行なわれた「フォークダンス」を思い出すくらい。これには参加した! 理由は簡単、男女共学の男子中学生ならいわずもがな。それ以降、踊りやダンスと縁が全くなかった。本ブログで「ダンス」について触れたとすれば、イ・ソンヒの背後に迫った、(80~90年代の美少女歌手たちによる)「ダンスブーム」のことぐらいだろう。
(本ブログ関連:”ダンス”)
とはいえ、伝統をつなぐ民俗舞踊を見るのは好きだ。だから、鑑賞の機会があれば出かけるようにしている。「春分の日」の今晩、両国駅近くにある「シアターX(カイ)」で催された、「イディッシュ・ダンス・セッション」へ行った。言葉(イディッシュ語)を知りたければ、できるだけその民族文化に接すればよいわけで、わたしなりに、見て感じることができる、その第一歩、入門にしたいと思って・・・。(イディッシュ音楽・舞踏について、全く暗い、今回初めての見聞になる)
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
イディッシュ・ダンスの学術的意義については、昨日、明治学院大学で講演があったようだ。一般向けの楽しいイベント(イディッシュ・ダンス・セッション)が、今晩行なわれたことになる。(シアターX(カイ)では、例年、同様のイベントを実施しているようだ)
ミュージシャン樋上千寿氏の司会(演奏)で、音楽ユニット「ジンタらムータ」によるイディッシュ音楽の演奏が・・・、実はそれだけでなく、客席の大半を舞台に上げて一緒にイディッシュ・ダンスを経験する面白い取り組みがされた。そこへ、イディッシュ音楽の演奏家・研究の第一人者ゼフ・フェルトマン氏も参加されて、客を踊りの輪に取り込まれた。
(フェルトマン氏は、まるでイディッシュ童話の挿絵から出てきたような大らかな方と拝見した)
(フェルトマン氏は、まるでイディッシュ童話の挿絵から出てきたような大らかな方と拝見した)
(本ブログ関連:”素敵なあなた”)
イベント内容は、イディッシュ・ダンスの曲目として、「ホラ」 (「フレイラッハ」)、「コーシドル」、「ブルガール」などが演奏された。かつ、「コーシドル」はフェルトマン氏のソロで、「ホラ」と「ブルガール」はフェルトマン氏を中心に客と一緒に踊られた。腰が痛い(いつから?)のを言い訳に、後方の客席から見学させていただいた。
最後になるが、イディッシュ語研究者のご家族が参加されていた。幼いお子さんたちは舞台で一番光っていたかもしれない。語り聞かされて、きっといい思い出になることだろう。
(参考:フェルトマン氏を先頭に踊る「ブルガール」、2015年夏ワイマール)
(Youtubeに登録のyiddishsummerweimarに感謝)
(付記)
上記のイベントが始まる前、シアターX(カイ)の横にある「回向院」へ参った。寺内に、黄表紙作家の山東京伝の墓が、一族の墓を整理した場所に置かれていた。
(参考:フェルトマン氏を先頭に踊る「ブルガール」、2015年夏ワイマール)
(Youtubeに登録のyiddishsummerweimarに感謝)
(付記)
上記のイベントが始まる前、シアターX(カイ)の横にある「回向院」へ参った。寺内に、黄表紙作家の山東京伝の墓が、一族の墓を整理した場所に置かれていた。