▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2015年10月9日金曜日

善意

イ・ソンヒは、善意の人である。デビュー当初、困難な状況にあっても強く生きる学生たちを支援する慈善活動を始めた根幹にある。宗教的環境に育ったことも、その背景にあるのかもしれない。

イ・ソンヒは、善意を信じるからこそ、人を信じたのかもしれない。ときに、善意を実現するために、政治の世界を往来したこともある。

イ・ソンヒは、歌手人生を切り開いてきた。善意の明かりをいったん手元に置いて、自らの道筋を照らす齢にいるのではないだろうか。

善意のくびきから、どうか自由になって欲しい。思い過ごしだろうか。

2015年10月8日木曜日

寒露 2015、「猿に始まり狐に終わる」こと

今日は二十四節気の「寒露」。「露が冷気により凍りそうになるころ」(Wikipedia)だそうで、今朝は相当に冷え込んだ。

寒露の音から、カンロ飴や甘露煮をイメージして「甘露」が浮かんで、甘味を帯びそうな気がする。「うまい、うまい」と絶賛するのに、「甘露、甘露」と殿様が(昔の映画で)いったりもした。

ところで、地元にある武蔵野大学で、狂言師の野村萬斎氏(1966年~)を迎えて、武蔵野大学客員教授の羽田昶氏との対談を聴く公開講座があった。能楽資料センターによる連続公開講座(「けものイロイロ―― 能・狂言に見る鳥獣・霊獣」)の最終回だが、初めて知って、初めて同敷地を訪れた次第。

最終回のテーマは、「猿に始まり狐に終わる」という、狂言に現れる生き物について、野村萬斎氏の経験に照らしながら語るかたちで進行された。

狂言の初舞台は、3,4歳ころに「靱猿(うつぼざる)」の舞台で猿の姿に扮することから始まるそうだ。今回のテーマにある、<狐に終わる>というべき演目として、「釣狐(つりぎつね)」を初めて演じた(披(ひら)いた)のが1988年とのことで、ここから真の演者としてわざを深めていくことになったという。

狂言のスタンスに、「このあたりのものでござる」という言葉があるというそうだ。人、生き物すべてに通じる考え方であり、立場(領分)という。物語が、この理(ことわり)から外れるとき、狂言は滑稽さの中に逆転や逆襲の姿が見え隠れすることになる。

(<狐>に関心あって講演会に出かけたが、とてつもなく大きな世界に出会った気がした)

(Yotubeに登録のodessanokaidanchに感謝)

2015年10月7日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風流音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、ソンビ(선비)が「風流(풍류)」を楽しむときに聞いた音楽にかかわる3曲を紹介した。

始めに、自ら「看書痴(간서치)」と称した、李徳懋(이덕무、1741年~1793年) の詩について次のように紹介された。
・ソンビが風流を楽しむとき聞く音楽を、風流音楽という。朝鮮後期のソンビ李徳懋の詩に、「秋の風は心を元気にし、森を通り過ぎる風は、まるでコムンゴのように聞こえる。水鳥はひっそりと、陶淵明の詩を聞いている。彼の詩は心の中を清くし、平和で古めかしい」という内容がある。李徳懋は本を読むことが好きで、自ら「看書痴」(読書に没頭し、世事に興味ない人)と表現したほどだ。秋風を感じながら詩を謳うソンビの趣に、一度は真似てみたい、それにぴったりの音楽がある。

▼ 朝鮮後期、風流音楽の「霊山会相(영산회상)」の一曲目、大笒(テグム)演奏「上霊山(상령산)」を聴く。ゆたりと響く。

次に、洪吉周(홍길주、1786年~1841年)の「読書の5つのレベル」について次のように紹介された。
・李徳懋と同時代のソンビの洪吉周は、読書を5つのレベルに分けて記録した。① 最も高いレベルは、体を清くすること。② 古いものから学び、今直面した問題にうまく適用させること。③ 文章を磨き上げて、世の中に名を知らせること。④ 記憶力を生かし、他の人に誇示すること。⑤ 最も低いレベルでは、暇つぶしに読書をして時間を無駄にすること。昔、ソンビにとって読書は、生活そのものであり義務でもあった。早朝、読書で一日を始め、昼寝するときも本をそばに置いた。時には、友人と自然の中で、詩を作ったり、絵や音楽を楽しんだ。これを風流と言いう。

▼ 風流音楽「霊山会相」の6曲目、下絃の楽曲の意、「下絃還入(하현도드리)」演奏を聴く。風流と素朴の一体のよう。

最後に、ソンビの風流とは別の「民間風流(민간풍류)」について次のように紹介された。
・ソンビが風流を楽しむときに聞く風流音楽(または風流)という。九曲で構成される霊山会相などが代表的だ。また、庶民のパンソリが宮廷でも親しまれ、風流音楽は、地方から貴族に、そして庶民へと伝わった。このように変化した風流を、「民間風流」という。わずか数十年前まで、各地に律房(율방)という風流の室内演奏空間があった。人々が定期的に集まり、聞かせるためでなく、自分たちが好きな音楽を演奏していた。

▼ 民間風流から「クルゲヤンチョンとウチョ(글게양청, 우조)」を聴く。舞いを誘う趣がある。なるほど民間だ。

・「クルゲヤンチョン」は、ソウルの風流「ヤンチョントドゥリ」と同じ曲だが、ソウルでなく全羅道地域の律房で歌われたもの。

2015年10月6日火曜日

「ノーベル物理学賞」梶田隆章・東京大宇宙線研究所長

昨日、大村智・北里大特別栄誉教授の「ノーベル医学生理学賞」受賞に続き、今日は「ノーベル物理学賞」を梶田隆章・東京大宇宙線研究所長らが受賞した。受賞理由は、「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノの振動の発見」とのこと。

「ニュートリノ」と聞いた瞬間から頭が混乱する。まして、その重要さが悲しいかな、とんと理解できないのだ。小柴昌俊・東京大学名誉教授が2002年に「ノーベル物理学賞」を受賞されたときもそうだった・・・何となく素通りしていた。

この後、「戸塚洋二・東京大特別栄誉教授」の業績、「(岐阜県・神岡鉱山にある)スーパーカミオカンデ」や「ニュートリノ振動」などのキーワードについて、テレビの解説を聞いて判ったつもりになるしかないだろう・・・けれど。

「Newton」の次号を購入して、絵解き記事を見ることにしよう。「ノーベル医学生理学賞」あり、「ノーベル物理学賞」ありで、楽しくなりそうだ。

2015年10月5日月曜日

「ノーベル医学生理学賞」大村智・北里大特別栄誉教授

今年のノーベル医学生理学賞は、日本の大村智(さとし)・北里大特別栄誉教授(80)らが受賞した。大村氏の業績は、「回虫寄生虫によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」とのこと。

ノーベル賞については、いつも聞くたび初めて知ることばかりだが、今回は日本とは余り縁のない風土病の患者を救っている医薬品の研究に対してのようだ。微細な遺伝子工学が華々しい今どき、研究を理解できないがゆえに一見地味に見えるが、これからテレビの解説を聞くたびに業績の偉大さを知ることになるだろう。

ご自身の口から、「人のために(役立つ)研究をする」という、子どもたちにとっても大きな道標となる素晴らしい業績だ。


(追記1)
スポニチの記事「受賞の大村さん ノーベル財団インタビューに『私はラッキー』」(10/5)に、次のような逸話を紹介している。
├-----------------------------------------------------------
・大村さんは、放線菌の一種が「エバーメクチン」という有用物質を作ることを見つけた。大村さんは「微生物が重要だとの信念は正しかった」と感慨深げに振り返った。
・発見の現場は静岡県のゴルフ場近く。(ノーベル)財団側から経緯を聞かれると、大村さんは笑いながら「ゴルフが好きだからと思われるでしょうが、コースの芝の上ではなく、コース脇の木立でした」と答えた。
-----------------------------------------------------------┤

(追記2)
初めて社会へ出たときの経歴が、その後の研究への視点を定めたのだろうか。(Wikipediaより)
├-----------------------------------------------------------
1954年 - 山梨県立韮崎高等学校卒業後、山梨大学学芸学部自然科学科へ進学。
1958年 - 山梨大学学芸学部自然科学科卒業。大学卒業後は理科教諭として東京都立墨田工業高等学校定時制に勤務。
1963年 - 東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了
1963年 - 山梨大学助手
1965年 - (社)北里研究所入所
・・・・・
-----------------------------------------------------------┤

(追記3)
NHKテレビによると、農家のあとを継ぐ予定だった高校時代に、盲腸で入院したとき、父親から大学への進学が許されたという。

2015年10月4日日曜日

丸木橋

先日、伊豆下田の高根山鉱山に鉱物採集に行ったとき、どうということない小川に架かった小さな橋を渡った。丸木を束ねたもので、一本橋でないにもかかわらず、丸木というだけで足が一瞬すくんだ。

昔、どこだったか、小さな沢(≒小川)だが深くえぐった急流で、そこに架かる一本の丸木橋を渡ったことがある。同行者はすいすいと渡ってしまったのについていけないのだ。丸木を見るだけで足がふらつき、途中で立ち往生するに決まっていると予感した。

付近で一本の大きな枯れ木を探し出し、それを杖代わりにして川底に突き刺し、カニの横歩きのようにすり足して、3点を支えに渡った。2速歩行を断念したのだ。帰りはどうしたかって? そう、遠回りして川筋の上流にある橋を探したわけだ。元の位置に戻るのに苦労したのはいうまでもない。果たして、同行者と落ち合えるだろうか心配した。

バランスをとるのは難しい。支点の置き場所に困るのだ。自身が支点になると思っても、足元がぐらついていたら、絶えず支点を移動させなければならない。そうなると自信もなくなる。丸木橋の上は、まさに瀬戸際で、頼りになるものは体力しかないのだから。

今日は久し振りに、地元飛行場を一周し、大きな霊園を抜けて、川辺に続く公園を巡った。これで体力がついたかどうだか。地に足がつく大事さを感じた。

2015年10月3日土曜日

イ・ソンヒの「世界中が眠りに落ちた後から」

イ・ソンヒの12集所収の「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年)は、雪景色の中に終わりを告げる物語りを歌う。どこか遠くから伝わるような荘厳で、絶対的な孤独の響きがする。

「一晩中雪が降ってきました。世界中が眠りに落ちた後から/悲しい私の心もわからぬまま朝はくるでしょう。・・・」

心のままに世界があったら、留まりつづけるかもしれない。夕べがあり朝があること、四季があること、もしかしたら幸いなことかもしれませんね。

この曲を、なぜか以前のこの時期にも選んでいた、冬が来る前に。

(Youtubeに登録のCool Kidに感謝)

2015年10月2日金曜日

谷村新司のShowTime [チョー・ヨンピル編]

1984年、イ・ソンヒが「江辺歌謡音楽祭」でデビューした同じ年、谷村新司は、韓国で現在「歌王」あるいは「国民歌手」と呼ばれるチョー・ヨンピル、香港のアラン・タムの3人と共にアジアの音楽祭「PAX MUSICA」の第1回を東京で開催した。谷村新司は、盟友となったチョー・ヨンピルと久し振りにソウルで対談をしている。

(本ブログ関連:”チョー・ヨンピル”)

その内容は、東日本大震災の直後、NHK-BSの「谷村新司のShowTime [チョー・ヨンピル編]」*(2011年4月16日)で放送された。(* : ブログ「チョーヨンピルファン」に感謝)

対談を通して、チョー・ヨンピルの音楽に対する真摯な態度を知ることができる。そして、音楽家として、時代の同伴者として、その立ち位置とスケールの大きさを教えてくれる。

(Youtubeに登録のHyunWoo Yoonに感謝)

2015年10月1日木曜日

(雑談) スマートフォンと本と情報

先日、都心に映画を見に行った帰り、電車の出入り口付近に立っていると、スマートフォンを手にした客が次々乗り込んできた。驚いたことは、おじさんたちまでがだ。

混んだ車内で、スマートフォンをながめる必然性があるのだろうか、いぶかしんだ。それとも、手持ち無沙汰で、暇つぶしからだろうか。回りのみながスマートフォンを手にしている光景は少々異様だった。不思議なこと、新宿駅からがらりと客が入れ替わったのだ。今度は本や新聞を読む客が増えてきたのだ。ほっとしたのはいうまでもない。ようやく、見慣れた昔の姿に戻った。

そうはいっても、5人も集まれば4人はスマートフォン、1人はガラケー、あるいはそれも持たないといった時代だ。でも、おじさんは取り残されたといった気後れはまだない。

ところで、一般家庭の(教育関連を除く)情報・通信費用は、どれくらいかかっているのだろうか。費用対効果について、1年分集計して考える必要性があると思うのだが。

TV(NHK)+新聞+固定電話+携帯電話(スマフォ/ガラケー)×n人+インターネット回線費+・・・+書籍(週刊誌) 等

相当な額を使って世情を知ることになるが、そんなに賢くなったような気がしない。

2015年9月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋夕、餅、風流

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、秋夕(추석、旧暦8月15日)、餅(떡)、風流(풍류)にかかわる3曲を紹介した。

始めに、節句や祭祀に、餅を食べた風習と喜びについて次のように紹介された。
・食べ物が十分でなかった昔、ことわざに「飯の上に餅」(飯の上に餅までのせてくれる)がある。良いものの上に、さらに良いものを添える意だ。日本の「錦上に花を添える」と同じようだ。餅は貴重な食べ物で、節句や祭祀に、すなわち秋夕にも用意した。精米場所(방앗간)に湯気が立つ。籠の中には、米が入り、作りたての餅を食べて幸せそうにしていた姿があった。

▼ 京畿民謡、穀物をつく臼(방아)の歌「臼打令(방아타령)」を聴く。どこか土俗的な精霊の響きを感じる。

次に、「三国史記」(1143年~1145年)記載の百結(백결、414年~?)の「臼打令」曲について次のように紹介された。
・餅に色々な種類がある。正月(설날)と盆には定番で、正月には、細長い餅(가래떡)を食べる。盆に当たる秋夕には、胡麻や栗などを入れた餅(송편)を食べる。「三国史記」に、餅をつく音を玄琴(コムンゴ、거문고)で演奏した、百結先生の話がある。彼は玄琴が好きで、喜びや悲しみを全て玄琴で表現したという。ある日、節句を控え近所で臼をつく音が聞こえた。妻は、うちには穀物がないと心配したところ、先生は、生きることも死ぬことも、富貴もこの世で論じるものではない、悲しんではならない。君のために餅つきの音を演奏して慰めよういって、玄琴で演奏した「臼打令」曲は、今は失われたが、風流が残っている。

▼ 月に薄い雲がかかり光の輪が現れる「月暈(달무리)」の演奏を聴く。古皮袋に入れた新しい葡萄の酒のよう。今様である。

・三国史記に、百結先生の出身は記録されてないが、ある家譜によると、朴堤上(박제상)の息子、朴文良(박문량)と記録される。父朴堤上は新羅の人で、高句麗に捕まった王の弟を助けたという。

最後に、宮廷の機織りを競う行事について次のように紹介された。
・盆の秋夕にみなが集まり歌い踊る風習があった。これは、高句麗の第2代王の瑠璃は、宮廷の女性を二組に分け、機織りの競争をさせた。7月15日から一ヶ月間機織りをし、8月15日に勝敗を分けた。負けた方はご馳走を準備して勝った方をもてなし、音楽と踊りを楽しんだ。

▼ 演奏「風流都市(풍류도시)」を聴く。中国風の香りの物語的、今様の響きする。

・機織りを競った後、馳走と音楽、歌と踊りを楽しむことを「嘉俳(가배)」といった。これは、秋夕の別名でもある。

2015年9月29日火曜日

2度目の「怪しい彼女」

再び、映画「怪しい彼女(수상한 그녀)」(2014年)を見た。1度目は昨年7月に都下の映画館で、2度目の今晩は四谷にある韓国文化院でだ。ともに大きなスクリーンなので、その分、感動も比例する。

(本ブログ関連:”映画「怪しい彼女」”)

この映画は、ハートウォーミングであり、コメディであり、ファンタジーだ。しかも涙腺を決壊させる。いつのまにか溜まった心の澱を浄化させてくれる、まことに爽快な映画でもある。

「ソウルミュージック・・・」、「えっ、ソウル?」、私も混乱する。

ところで、昔、話題の映画を何度見たかということが、芸能雑誌やラジオなどで語られた。記憶にあるのは、映画「ウェストサイドストーリー」を数十回見たというのだ。映画チケット代金を考えたら・・・。私にしてみれば、阿佐ヶ谷のすえた臭いのする古びた2番館で見ただけで、数を重ねる意欲は足りなかったが。

映画「怪しい彼女」は、不思議なことに、また見ようという気にさせてくれた。地下鉄駅までの帰り路、夜風が目元に涼しかった。

2015年9月28日月曜日

金木犀

そういえば、去年も同じ頃、金木犀(キンモクセイ)について記した。秋の落ち着きを感じさせる金木犀と、冬の寒さを和らげる沈丁花(ジンチョウゲ)の花は、季節の変化を香りで知らせる。

(本ブログ関連:”金木犀”、”沈丁花”)

子どものころ、実は、金木犀と沈丁花の香りは苦手だった。甘ったるくて濃い感じがした。それが歳とともに、季節感といった大きな感性で受容できるようになった。もしかしたら、嗅覚が鋭敏でなくなったからだろうか、なんて考えたりもする。

昼前、近くの公園を散策した。園内施設である建物園の入口両サイドに、金木犀の巨木が並んでいる。樹下を通るとき、甘い香りが漂うのを感じる。見上げると、オレンジ色の小さな花が咲き、飾っているのに気付く。

実は、もう一ヶ所、金木犀を楽しめる場所がある。公園への路に、金木犀が頭上まで、歩道を覆うように密集しているのだ。この歩道は、いずれ道路拡張工事のため取り除かれる運命にある。もしかしたら、この景観は今年で最後かもしれない。そう思うと、貴重な香りがしてくる。

(追記)
今夜の月は、いつもと比べて大きく見えるという「スーパームーン」だ。夜分、この目で確かめようと、近所の畑地まで出かけて空を見上げた。月は高く浮かんでいた。そうか・・・な、大きい・・・かな、ぶつぶついいながら佇んだ。乱視の目には、普段も「スーパームーン」だが。

2015年9月27日日曜日

十五夜 2015

旧暦八月十五日となる、この十五夜に昇る月を「中秋の名月」*という。帰宅路、雲の横たわるの東の空に、丸い月が、西の夕陽を受けて薄紅色に染まりながら顔を出していた。ところで今晩の月は、<満月>でなく、明夜に楽しめるという(それも、今年最大の「スーパームーン」になるそうだ)。

(* 今晩、地元公園で「お月見のつどい」が催されたが、昼間に、次の催事に出かけたので参加できなかった)

中秋の中日、日比谷公園で開催された「日韓交流おまつり 2015 in Tokyo」に、前の教室仲間たちとともに出かけた。薄曇りながら、雨が降ることなく、ときに晴れ間も広がり天候に恵まれた。会場は<昨年>と同じだが、人出は盛況だし、催事テントも増えたようだ。また、ステージとは別に、花壇広場で演じられた珍しい伝統綱渡りを見たりした。

大勢で出かけると、めいめいが売店で買った食べ物を持ち寄って昼食したり、休憩時にも菓子(ホットク)を食べたりといった祭り気分を味わえ満喫した。例によって例のごとく、(イ・ソンヒについて)ファン心理でいろいろしゃべった・・・しゃべり過ぎた。

(参考: 今年2015年、日韓民間交流関連「イベントカレンダー」・・・外務省の掲示より)

2015年9月26日土曜日

イ・ソンヒの童謡「秋の夜」

アルバム「イ・ソンヒ 愛唱童謡(이선희 애창동요)」に収録された2番目の曲、創作童謡「秋の夜(가을밤)」(1993年、作詞イ・テソン、作曲パク・テジュン)を耳にすると、母の帰りを待ちわびる子どもたちの不安と確信の切ない想いが浮んでくる。そんな秋に陽が沈むとき、子どもたちに語りかけてくれるのは、夜空の星々のきらめきしかない。童謡は、大人にも一時、郷愁と癒しをくれる。

(本ブログ関連:”童謡”)

秋の夜、さびしい夜、虫鳴く夜
わらぶき家の裏山道が、暗くなるとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

秋の夜、静かな夜、眠れぬ夜
雁の鳴き声が、高く低いとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

(Youtubeに登録のKi Young Anに感謝)

2015年9月25日金曜日

(雑談) 食欲が戻りつつあること

いまだに体調思わしくなく全快にいたらぬが、食欲が徐々に生じているらしい。

そう気付くのは、中華鍋の焼き入れに始まり、中華料理を調理するYoutube映像を見るようになったからだ。

「炒飯(チャーハン)」、「青椒牛肉絲(チンジャオロースー)」、それに大好きな「回鍋肉 (ホイコーロー)」ができあがっていくのを見ていると、自然と力が湧いてくる。独特な鍋の使い方、しゃもじの技にホレボレする。食欲を感じている。

スーパーの地下フードコートに、四川料理の店があって、そこの回鍋肉はたまらない。四川風の、黒々と味噌がからみ、花椒(山椒)の香りとピリピリとする舌。完全回復したら食べに行きたいものだ。

2015年9月24日木曜日

イ・ソンヒの家族史

イ・ソンヒの家族史について、何度かこのブログで触れた。仏教音楽の梵唄(ぼんばい:범패)指導者である父親から音楽的影響を受けたことや、優しい眼差しの祖父との関係などだ。

(本ブログ関連:”資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)

コリア・デイリーの記事「イ・ソンヒ、いま明す秘密の家族史 “ひとたびの女王は永遠の女王”」(9/23、イ・ユンミ記者)は、以前イ・ソンヒがイ・スンギと共にテレビ出演した際の話題で、本ブログに未入手の情報を、次の太字のように紹介した。(抜粋)

├-----------------------------------------------------------
・イ・ソンヒの歌を教えた初の師匠チョン・ギョンス(정경수)*作詞家は、「イ・ソンヒに対する父の格別な愛情が、今日の国民のディーバ(歌姫)として、イ・ソンヒが愛された契機を作った」と話した。

(* チョン・ギョンスについて初耳である。2012年に「韓国歌謡作家協会第9代会長」に選出された(当時59歳の)人物か?・・・出会いの時期、場所について不明)

・イ・ソンヒは、ある放送に出演し、過去の政治に身を置いたビハインド・ストーリーを公開した。イ・ソンヒは、「もともと、”少年少女家長助け合い”に関心があった。海外進出を控えていたある日、所属会社で私に相談もなしに市会議員に登録した。それでやむを得ず、政治活動をするようになった」と、政治を始めることになった契機を明らかにした。

(cf.本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのソウル市議会議員選出馬の背景”、および ”(続き)”)

・続いて、「政治*をしながら、生涯初めて冷たい視線を受けた。とても恐ろしかった。私に社会を分からせる最も貴重で大切な時間だった。もし、それを体験しなかったなら、今も夢だけで暮らす十やはたちの少女だったろう。人間関係を結ぶことについて多くを学んだ」と話した。

(* イ・ソンヒは、政治と関わりで、歌手として境界が鮮明でない面がある。民自⇒民主⇒セヌリと大きく振れる傾向にある。政治的な痛みを政治で補おうとする限り、振れは止まらなくなる。)

・イ・ソンヒの(ソウル)市会議員出馬ポスターを見たネチズンは、「<イ・ソンヒの市会議員(登録?)記号1番の時期>、<あどけなくて整ったイ・ソンヒの記号1番の時期>、<麻浦(地区)の娘に笑わせるイ・ソンヒ記号1番のころ、あんな姿もあったなんて>、<イ・ソンヒの今日の栄光は父のため>、<妻帯僧である父、イ・ソンヒの幼い時の夢は、歌手でなく何だろう政治家>、<政治家に転進したイ・ソンヒ、歌手女王が似合うよ>」などの反応を見せた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの政治”)
-----------------------------------------------------------┤

この記者、かなり皮肉っぽいのでは?

2015年9月23日水曜日

秋分の日 2015

祝日「秋分の日」の今日、のんびり外出したい予定があったが、体調が思わしくなく家におとなしくした。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

実は、阿久悠記念館に行ってみたかったのだ。森進一と桂銀淑が歌った、「昭和最後の秋のこと」(1997年、作詞阿久悠、作曲浜圭介)の秋を、それも昭和の秋を思い浮かべ、訪れてみたいと思っていた。

わたしたちより、もう一世代上の昭和のイメージかもしれないが、心の襞にしみ込む歌だ。繰り返される詞、「昭和最後の秋のこと」から、遠ざかった昭和をしみじみ思い返す。心にとどめる最後の秋は、「雨にうたれる彼岸花」であり、「時に晴れ間が広がって」、「山の紅葉に照りはえて」と色彩的である。四季の秋は、次の秋の循環を予兆させる。

ことばを大切にした作詞家の詞には、時代のドラマ性があった。今聞く意義を知らせた。見て聞くだけでない、歌えば自身にイメージが再生され、記憶を巻き戻すことができたのだ。

この機会に、過ぎ去った昭和の秋と出あってみたかったのだが。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 パンソリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、民族芸能のひとつで、物語りに節をつけて歌う「パンソリ(판소리)」にかかわる3曲を紹介した。今回は、意地悪い人物に焦点をあてる。

 (本ブログ関連:”パンソリ”)

始めに、パンソリ「興甫歌(흥보가)」に登場する意地悪な人物、兄ノルボ(놀보)について次のように紹介された。
・漢方では、人の内臓すべて合わせて「五臓六腑」といい、五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓の内臓)、六腑(大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱)を指す。また、心の中を指す表現でもある。物語に、五臓六腑に意地悪が加わった、五臓七腑の者が登場する。パンソリ「興甫歌」の、善良な弟興甫に対する兄ノルボ*である。「興甫歌」は、ノルボの人物説明から始まる。火に油を注ぐのはもちろん、独り身の未亡人をいじめ、医師から針を盗み、美しい絹織物に水鉄砲で水をかける。乗馬して畑を横切り、泣く赤坊をいじめ、盲人を川に導くという悪者である。
・「興甫歌」の観客は、ノルボに似た人を思い浮かべ笑っただろう。意地悪い人物が、反省してまともになるストーリーである。

 (*)ノルボの漢字表記:ノル=”奴”の下に”乙”、ボ=甫 ・・・ (「パンソリ」申在孝、平凡社東洋文庫)

▼ 「興甫歌」から、「ノルボの意地悪(놀보심술)」を聴く。いつの世も身内の欲深さと善良さ。「興甫歌」の始まり。

次に、パンソリ「沈清歌(심청가)」に登場する継母となったペンドクについて次のように紹介された。
・パンソリに、ノルボ以外にも意地悪な人物がいる。「沈清歌」に登場する淫女ペンドクもそうだ。孝行娘の沈清は、盲目の父の目を治すため船乗りに身を売る。その金を目当てにペンドクは、沈清の父に接近して妻となり、財産を酒やたばこに使い果たす。村人は彼女の悪口をいう一方で、悪口を楽しんだ。
・ペンドクはノルボほど大罪でないかもしれないが、当時の女性への視線から、ノルボ以上に非難を受けたかもしれない。

▼ 「沈清歌」から、「ペンドクばばあの行ない(뺑덕어멈의 행실)」を聴く。飯、肉、酒、滅多にしないこと。食うだけの楽しみ。

最後に、歌詞だけが伝わるパンソリ「ピョンガンセ打令(변강쇠타령)」の男女について次のように紹介された。
・当時、非難を受けた二人の男女が登場するパンソリ「ピョンガンセ打令」は、歌詞だけ伝わる。男ピョンガンセは怠け者で、博打にも手を出す。さらに、夫を次々亡くした哀れな女オンニョがいる。
・ピョンガンセ打令は、最も貧しい人々の暮らしを描いたもので、語り手が太鼓に合わせて物語りを歌う。

▼ 「ピョンガンセ打令」を聴く。歌詞だけ・・・巫女の歌のリズムを借りてパンソリにしているという解説がある。

2015年9月22日火曜日

ロコモ教室

今日は、シルバーウィークの連休後半、地元体育館で開かれた特別健康教室に行く。

ロコモといってもロコモコじゃない。ロコモティブ・シンドローム(Locomotive syndrome)とならぬよう、座学と軽い運動だ。

膝痛になったときの、膝のマッサージの仕方、立ち上がり方、そして予防のための歩き方などについて軽い実技があった。

今のところ痛みはないけれど、お世話になっている我が膝に目を向けることにした。

ビー・マイ・ベイビー

ラジオや白黒テレビの歌番組に、アメリカンポップスの新曲を求めた。ラジオの深夜放送で紹介される「ビルボード」や「キャッシュボックス」のヒットチャートを、明日の仲間内で披瀝するため、必死にメモしたりした。それを、日本人歌手が歌うころには、次はという得意顔している。まさに子どもである。

日本人歌手の歌が、カバーという意識はなかったし、原曲と聞き比べることもなかった。日本人歌手が演じて成立する独自の世界だったのだ。

そんな日本人歌手の中で、とりわけ歌のうまさに耳をそばだてたのは、弘田三枝子だった。ぽっちゃり顔した少女は、その後随分と変貌することになるが。彼女の発声はとても自然だし、余裕を感じた。パンチがあった。

弘田三枝子の歌唱力は、ロネッツ(The Ronettes)が歌う「Be My Baby」(1963年)と遜色ないというか、声質がピッタリである。当時の歌手の歌い方だったのかもしれない。この歌で、少女が男の子を「ベイビー」と呼ぶ気安さ、積極さに、もっといえば強引さに驚いたものだ。アメリカは違うなって。日本人歌手のカバーからアメリカを感じ、ますます染まっていくことになる。

そういえば、ブレンダ・リー(Brenda Lee)の「アイム・ソリー(I'm Sorry)」を聞いたときも、まず浮かび上がったのは弘田三枝子だった。いや、どっちが先だったのか・・・決まってるけれど。

(Youtubeに登録のMonotostereokingに感謝)