韓国の代表的なKY(クムヨン)カラオケが、Youtubeにイ・ソンヒのカラオケ曲を多数登録している。感謝。
Youtubeで、「"KY Karaoke" "이선희"」の語で検索して、【フィルタ】で視聴回数の多い順に並べたのが次のリストだ。(今日現在)
実際のカラオケで歌われている人気曲順とほぼ同じだろう。あるいは持ち歌に練習している回数とも想像できる。特に、「因縁(인연)」の再生回数が圧倒的に多いのに驚く。韓国語・朝鮮語圏内(韓国民・中国朝鮮族・米国移住者など)での反応と見ていいだろう。
表示: 曲名/[KY] 이선희 - ハングル曲名 (カラオケNo.) Youtube登録時期 視聴回数
視聴回数は、登録時期(ほぼ7ヶ月前)から現在までのものであり、イ・ソンヒの歌声もないにもかかわらず視聴されていることを考えると多数といえる。
曲名にリンク先があるもの(●)は、これまでに本ブログで触れた。リンク先のないもの(○)は、イ・ソンヒの歌うYoutubeの登録曲へ直接飛ぶ。
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● 因縁(絆) / [KY] 이선희 - 인연 (No.KY45195)7 か月前 視聴回数 286,981 回
(参考) TJカラオケ: [TJ] Fate 인연_LeeSunHee 이선희_11 か月前 視聴回数 116,417 回
● その中であなたに出会って / [KY] 이선희 - 그 중에 그대를 만나 (No.KY48415)9 か月前 視聴回数 35,825 回
● 狐の嫁入り(きつね雨、日照り雨) / [KY] 이선희 - 여우비 (No.KY47119)8 か月前 視聴回数 18,327 回
● 美しい江山 / [KY] 이선희 - 아름다운 강산 (No.KY923)8 か月前 視聴回数 7,758 回
● Jへ ← イ・ソンヒのデビュー曲(1984年) / [KY] 이선희 - J에게 (No.KY688)7 か月前 視聴回数 6,856 回
● 私はいつもあなたを / [KY] 이선희 - 나 항상 그대를 (No.KY822)8 か月前 視聴回数 5,852 回
● 走れハニー ← 同名アニメの主題曲 / [KY] 이선희 - 달려라 하니 (No.KY69714)8 か月前 視聴回数 5,523 回
● 思い出のページをめくれば / [KY] 이선희 - 추억의 책장을 넘기면 (No.KY1720)7 か月前 視聴回数 2,687 回
● あぁ!昔よ / [KY] 이선희 - 아! 옛날이여 (No.KY536)8 か月前 視聴回数 2,202 回
● ライラックが散るとき / [KY] 이선희 - 라일락이 질때 (No.KY4825)7 か月前 視聴回数 2,106 回
● 葛藤 / [KY] 이선희 - 갈등 (No.KY803)8 か月前 視聴回数 1,209 回
● 炎のように蝶のように / [KY] 이선희 - 불꽃처럼 나비처럼 (No.KY46791)9 か月前 視聴回数 1,101 回
● 少女の祈り / [KY] 이선희 - 소녀의 기도 (No.KY2339)7 か月前 視聴回数 943 回
● 愛が散るこの場所 / [KY] 이선희 - 사랑이 지는 이 자리 (No.KY1355)8 か月前 視聴回数 770 回
● 冬哀傷 / [KY] 이선희 - 겨울 애상 (No.KY806)8 か月前 視聴回数 742 回
● ひとしきり笑いで / [KY] 이선희 - 한바탕 웃음으로 (No.KY990)8 か月前 視聴回数 655 回
● あなたが私を愛されるなら / [KY] 이선희 - 그대가 나를 사랑하신다면 (No.KY1037)8 か月前 視聴回数 543 回
● Young / [KY] 이선희 - 영 (No.KY2476)7 か月前 視聴回数 537 回
● 一人になった愛 / [KY] 이선희 - 혼자된 사랑 (No.KY3579)7 か月前 視聴回数 432 回
● 小船 / [KY] 이선희 - 조각배 (No.KY1444)8 か月前 視聴回数 398 回
● 貧しい恋人のために / [KY] 이선희 - 가난한 연인을 위하여 (No.KY7925)9 か月前 視聴回数 342 回
● アカラカチ / [KY] 이선희 - 아카라카치 (No.KY6475)9 か月前 視聴回数 289 回
● あなたに会う / [KY] 이선희 - 너를 만나다 (No.KY77940)9 か月前 視聴回数 289 回
● 炎のように ← 参考リンク①、② / [KY] 이선희 - 불꽃처럼 (No.KY7324)9 か月前 視聴回数 286 回
● なくしてしまった約束 / [KY] 이선희 - 잃어버린 약속 (No.KY64776)7 か月前 視聴回数 266 回
● 愛よ・・・ / [KY] 이선희 - 사랑아... (No.KY46585)9 か月前 視聴回数 264 回
● 五月の陽射し / [KY] 이선희 - 오월의 햇살 (No.KY3495)7 か月前 視聴回数 252 回
● 私の街 / [KY] 이선희 - 나의 거리 (No.KY2287)7 か月前 視聴回数 246 回
● 秋の風 / [KY] 이선희 - 갈바람 (No.KY1107)7 か月前 視聴回数 204 回
● 去らないで / [KY] 이선희 - 떠나지 마 (No.KY76723)9 か月前 視聴回数 201 回
● また咲く愛のために / [KY] 이선희 - 다시 필 사랑위해 (No.KY64152)8 か月前 視聴回数 193 回
● ケンチャナ(大丈夫) / [KY] 이선희 - 괜찮아 (No.KY1331)8 か月前 視聴回数 165 回
● 離別小曲 / [KY] 이선희 - 이별소곡 (No.KY6842)8 か月前 視聴回数 159 回
● あなたが去ったあとに / [KY] 이선희 - 그대가 떠나신 후에 (No.KY2248)7 か月前 視聴回数 151 回
● この歌をかりて / [KY] 이선희 - 이 노래를 빌려서 (No.KY66702)7 か月前 視聴回数 121 回
● いつも愛してる / [KY] 이선희 - 언제나 사랑해 (No.KY1595)8 か月前 視聴回数 116 回
● さようなら / [KY] 이선희 - 안녕 (No.KY2207)7 か月前 視聴回数 96 回
● 白雨 / [KY] 이선희 - 백우 (No.KY4665)7 か月前 視聴回数 95 回
● 懐かしい国 / [KY] 이선희 - 그리운 나라 (No.KY2262)7 か月前 視聴回数 90 回
○ 思い出の中を歩くのね ⇒ Youtube / [KY] 이선희 - 추억속을 걷네 (No.KY2767)8 か月前 視聴回数 73 回
● なぜ私だけ / [KY] 이선희 - 왜 나만 (No.KY3046)7 か月前 視聴回数 71 回
● たぶん / [KY] 이선희 - 아마... (No.KY63361)10 か月前 視聴回数 70 回
○ 軍隊に行く友 ⇒ Youtube / [KY] 이선희 - 군대 가는 친구 (No.KY2242)7 か月前 視聴回数 62 回
○ なぜ? ⇒ Youtube / [KY] 이선희 - 왜? (No.KY69523)9 か月前 視聴回数 53 回
● 一輪菊 / [KY] 이선희 - 한송이 국화 (No.KY3367)7 か月前 視聴回数 52 回
○ 淑女 ⇒ Youtube / [KY] 이선희 - 숙녀 (No.KY3171)7 か月前 視聴回数 46 回
● 見知らぬ海辺で / [KY] 이선희 - 낯선 바닷가에서 (o.KY5688)7 か月前 視聴回数 46 回
2015年8月2日日曜日
2015年8月1日土曜日
暑気払い
今週、土砂降りもあったが暑い日がつづいた。
久し振りに、昔の仲間に会って暑気払いに参加した。つまり飲み会である。
先生を中心に、若い人、そうでもない人、そしておじさん(つまり私)も集って、思いっきり暑気を払った。
その後の雑談にまで参加した・・・いい, 夏の夜のひとときでした。
久し振りに、昔の仲間に会って暑気払いに参加した。つまり飲み会である。
先生を中心に、若い人、そうでもない人、そしておじさん(つまり私)も集って、思いっきり暑気を払った。
その後の雑談にまで参加した・・・いい, 夏の夜のひとときでした。
2015年7月31日金曜日
ある講演会の感想
ある講演会に参加したが、感想だけ語る。
新羅・百済時代の韓国寺院跡を紹介する、市民講座「映像でめぐる韓国の古代寺院」に出かけた。韓流ブームが一段落したにもかかわらず、聴講者が予想の数以上に参加したとのこと、主催者・講師の方ともに驚いた様子だった。
恐らく熱狂的な韓国ファンであろう講師の方が、実際に歩いた現地寺院跡の写真(景観、石塔、礎石など)をまじえて、旅語り風に話された。旅行者すなわち講師が、現地の友人や管理人・作業員とやり取りした思い出話しも紹介された。
どちらかといえば講演時間に比して、紹介された寺院が多数のため駆け足となり、各時代(新羅、百済)での個々の寺院の役割、盛衰、主要な教義、および遺跡再建など史実紹介する時間が足りなかったのが残念。聴講者には、新羅・百済時代遺跡の観光旅行のきっかけになるかもしれない。
(付記)
神田神保町の古書街には、古書以外に絵葉書をも揃えた古書店がある。ふらりと立ち寄り、何となく古い絵葉書写真を見ていると、当時の様が眼前に広がる気がする。
日本の多くの鉱山が閉山して時間がたった。その歴史を遡るのに、絵葉書写真で研究されている方がいる。絵葉書が発行された当時、鉱山事業がいかに盛況であったかうかがい知られる。研究者の充分な考証により、写真は歴史的な史実として見ることができるだろう。
このネット時代、わたしたちは過去の絵葉書写真を閲覧できるようになった。そして、多くの事実を知るようになった。
新羅・百済時代の韓国寺院跡を紹介する、市民講座「映像でめぐる韓国の古代寺院」に出かけた。韓流ブームが一段落したにもかかわらず、聴講者が予想の数以上に参加したとのこと、主催者・講師の方ともに驚いた様子だった。
恐らく熱狂的な韓国ファンであろう講師の方が、実際に歩いた現地寺院跡の写真(景観、石塔、礎石など)をまじえて、旅語り風に話された。旅行者すなわち講師が、現地の友人や管理人・作業員とやり取りした思い出話しも紹介された。
どちらかといえば講演時間に比して、紹介された寺院が多数のため駆け足となり、各時代(新羅、百済)での個々の寺院の役割、盛衰、主要な教義、および遺跡再建など史実紹介する時間が足りなかったのが残念。聴講者には、新羅・百済時代遺跡の観光旅行のきっかけになるかもしれない。
(付記)
神田神保町の古書街には、古書以外に絵葉書をも揃えた古書店がある。ふらりと立ち寄り、何となく古い絵葉書写真を見ていると、当時の様が眼前に広がる気がする。
日本の多くの鉱山が閉山して時間がたった。その歴史を遡るのに、絵葉書写真で研究されている方がいる。絵葉書が発行された当時、鉱山事業がいかに盛況であったかうかがい知られる。研究者の充分な考証により、写真は歴史的な史実として見ることができるだろう。
このネット時代、わたしたちは過去の絵葉書写真を閲覧できるようになった。そして、多くの事実を知るようになった。
2015年7月30日木曜日
通り雨
近隣の街に出て、通り道で強雨に会う。いきなりの土砂降り、大粒の雨滴が道面に叩きつけられた。一粒一粒、跳ね返って水の棘を作る。開店前の軒先を借りて遣り過ごそうとしたが、いっこうに衰える気配がない。ひとブロック先に喫茶店があるというに、そこまで駆け込むのに躊躇する。小一時間して、ようやく普通の雨に変わった。
雨が上がってしまえばいつもの空。さっきの豪雨が嘘のよう。そ知らぬ顔して空は晴れ渡った。
どんなに降っても、雨が永遠に続くわけではない。しばらく待てば必ず止む。しかし、日頃の時間間隔と大違い。恐ろしく待ち続けた気がした。
雨が上がってしまえばいつもの空。さっきの豪雨が嘘のよう。そ知らぬ顔して空は晴れ渡った。
どんなに降っても、雨が永遠に続くわけではない。しばらく待てば必ず止む。しかし、日頃の時間間隔と大違い。恐ろしく待ち続けた気がした。
KBS WORLD「国楽の世界へ」 赤壁歌
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「三国志」を題材にしたパンソリ(판소리)「赤壁歌(적벽가)」にかかわる3曲を紹介した。
(本ブログ関連:”三国志”、”パンソリ”)
始めに、パンソリの概要と、作品のひとつである「赤壁火戦(적벽화전)」を次のように紹介された。
・戦争は、人々に大きな被害を与え、いったん始まると勝たぬ限り被害はふくらむ。対岸の火事として、争いを見ることもあるが、当事者となれば話は変わる。
・パンソリは、歌い手が太鼓の拍子に合わせて、物語りを歌う伝統芸能だ。本来、十二のパンソリがあったといわれるが、今は五つだけ伝わる。その一つに、三国志の一部をパンソリにした「赤壁歌」がある。中でも、「赤壁火戦」はよく知られている。戦いに、訳も分からず連れてこられた兵卒。名も知られぬ彼らと大将の姿をユーモアに表現する。
▼ 「赤壁歌」から「赤壁火戦」を聴く。テンポよく、畳み掛けるようにコスとの掛け合いよく歌い展開する。
次に、赤壁の戦いで焼き払われて敗北した曹操と部下兵士の関係を次のように紹介された。
・パンソリ「赤壁歌」は、208年冬、中国の赤壁の戦いを素材にしている。この戦いは、後に小説「三国志演義」でさらに有名になる。小説が英雄中心としたら、パンソリの「赤壁歌」は庶民に注目している。犠牲を強いられた人々の話だ。無理やり戦わされる兵卒の悔しさを歌う場面もある。この戦いが、ただの戦いではなく、犠牲になった一人一人がいることを悟らせる。自信満々に戦争を始めて敗北した武将「曹操」が、部下を率いて逃げる。つまらぬプライドで兵士の数を数えたり、怪我をした兵士と口喧嘩したりする場面もある。平然とした大将をいじめる姿も面白い。
▼ 「赤壁歌」からコムンゴ、太鼓演奏と歌による「鳥打令(새타령)」を聴く。静かに雪降る中、黙々と敗走の列が続くよう。
最後に、「赤壁歌」の別名に「華容道(화용도)」があることについて次のように紹介された。
・戦いに敗れた曹操は良心の呵責があったのだろう。森で鳥の鳴き声を聞き、死んだ兵士を申し訳なく思う場面がある。赤壁歌は、別名「華容道」ともいう。曹操が兵士を率いて、やっと命を拾ったのが華容道の渓谷だ。そこで将軍関羽と出会い、助けを求めて逃れられる。歌の華容道の意味にも通じる。赤壁歌は、パンソリ以外に、多様な形で歌われた。
▼ 「京畿十二雑歌(십이 잡가)から赤壁歌」の歌を聴く。<淡々として>歌う、窮状を見せぬ曹操の矜持だろうか。
(本ブログ関連:”三国志”、”パンソリ”)
始めに、パンソリの概要と、作品のひとつである「赤壁火戦(적벽화전)」を次のように紹介された。
・戦争は、人々に大きな被害を与え、いったん始まると勝たぬ限り被害はふくらむ。対岸の火事として、争いを見ることもあるが、当事者となれば話は変わる。
・パンソリは、歌い手が太鼓の拍子に合わせて、物語りを歌う伝統芸能だ。本来、十二のパンソリがあったといわれるが、今は五つだけ伝わる。その一つに、三国志の一部をパンソリにした「赤壁歌」がある。中でも、「赤壁火戦」はよく知られている。戦いに、訳も分からず連れてこられた兵卒。名も知られぬ彼らと大将の姿をユーモアに表現する。
▼ 「赤壁歌」から「赤壁火戦」を聴く。テンポよく、畳み掛けるようにコスとの掛け合いよく歌い展開する。
次に、赤壁の戦いで焼き払われて敗北した曹操と部下兵士の関係を次のように紹介された。
・パンソリ「赤壁歌」は、208年冬、中国の赤壁の戦いを素材にしている。この戦いは、後に小説「三国志演義」でさらに有名になる。小説が英雄中心としたら、パンソリの「赤壁歌」は庶民に注目している。犠牲を強いられた人々の話だ。無理やり戦わされる兵卒の悔しさを歌う場面もある。この戦いが、ただの戦いではなく、犠牲になった一人一人がいることを悟らせる。自信満々に戦争を始めて敗北した武将「曹操」が、部下を率いて逃げる。つまらぬプライドで兵士の数を数えたり、怪我をした兵士と口喧嘩したりする場面もある。平然とした大将をいじめる姿も面白い。
▼ 「赤壁歌」からコムンゴ、太鼓演奏と歌による「鳥打令(새타령)」を聴く。静かに雪降る中、黙々と敗走の列が続くよう。
最後に、「赤壁歌」の別名に「華容道(화용도)」があることについて次のように紹介された。
・戦いに敗れた曹操は良心の呵責があったのだろう。森で鳥の鳴き声を聞き、死んだ兵士を申し訳なく思う場面がある。赤壁歌は、別名「華容道」ともいう。曹操が兵士を率いて、やっと命を拾ったのが華容道の渓谷だ。そこで将軍関羽と出会い、助けを求めて逃れられる。歌の華容道の意味にも通じる。赤壁歌は、パンソリ以外に、多様な形で歌われた。
▼ 「京畿十二雑歌(십이 잡가)から赤壁歌」の歌を聴く。<淡々として>歌う、窮状を見せぬ曹操の矜持だろうか。
2015年7月29日水曜日
イ・ソンヒの家で、デビュー前のイ・スンギ
K-POPでいう韓国のスターシステム(養成方法)は、音楽教育(歌、ダンス、語学など)、および生活(住居、食事など)を含めて全費用を事務所が負担する、といわれる。養成、歌手候補者の選別を重ねる投資事業でもある。デビュー成功後、事務所は投資分を回収する名目で相当な取り分を得る。音楽事務所は、このような連続した量産システムの上に成り立っている。
一方、音楽祭やオーディションなどで発見した才能を磨き上げていく師弟スタイルもある。昔はそのようだった。イ・ソンヒとイ・スンギの関係はそうである。その分、指導者に覚悟が必要だし、度量もいる。イ・スンギの成功は、強力な師弟関係の成果であり、母親代わりとなったイ・ソンヒの慈愛の賜物である。
東亜日報に掲載のニュースエンの記事「イ・スンギ、『デビュー前 イ・ソンヒの家で合宿、こっそり外出してプデ・チゲ爆食い」(7/26)では、イ・ソンヒが見出し育てたイ・スンギ自身の姿が語られている。
(本ブログ関連:”イ・スンギ”)
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・イ・スンギがデビュー前(について)、イ・ソンヒとエピソードを公開した。
・7月26日放送されたMBC「ハッピータイム」では、デビュー前にイ・ソンヒの家に寝泊りして歌手デビューの準備をしたイ・スンギのエピソードが公開された。
・この日、1984年「Jへ」で「江辺歌謡祭」の大賞受賞したイ・ソンヒ。そんなイ・ソンヒがプロデュースをして育てた歌手がいたが、まさにイ・ソンヒこそである。
・これに対し、デビュー前イ・ソンヒの家に寝泊りしていたイ・スンギは、2011年のトーク番組「遊びにおいで」に出演して、「イ・ソンヒの家で過ごしたのが幸いで幸運だった。ただし、イ・ソンヒ先生は肉をよく食べないし、ご飯が少食だ。食べ物もホウレンソウ、ニンニクの芽、こういうのを食べる」と話した。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「3.宗教家である父と、自然とともに過ごした幼い子供」”)
・育ち盛りの年齢で食欲が旺盛だったイ・スンギは、「それで先生に漢江へ行って運動してくるといって出て行き、こっそりプデ・チゲを食べたりした」と話して笑いを誘った。
(以下略)
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一方、音楽祭やオーディションなどで発見した才能を磨き上げていく師弟スタイルもある。昔はそのようだった。イ・ソンヒとイ・スンギの関係はそうである。その分、指導者に覚悟が必要だし、度量もいる。イ・スンギの成功は、強力な師弟関係の成果であり、母親代わりとなったイ・ソンヒの慈愛の賜物である。
東亜日報に掲載のニュースエンの記事「イ・スンギ、『デビュー前 イ・ソンヒの家で合宿、こっそり外出してプデ・チゲ爆食い」(7/26)では、イ・ソンヒが見出し育てたイ・スンギ自身の姿が語られている。
(本ブログ関連:”イ・スンギ”)
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・イ・スンギがデビュー前(について)、イ・ソンヒとエピソードを公開した。
・7月26日放送されたMBC「ハッピータイム」では、デビュー前にイ・ソンヒの家に寝泊りして歌手デビューの準備をしたイ・スンギのエピソードが公開された。
・この日、1984年「Jへ」で「江辺歌謡祭」の大賞受賞したイ・ソンヒ。そんなイ・ソンヒがプロデュースをして育てた歌手がいたが、まさにイ・ソンヒこそである。
・これに対し、デビュー前イ・ソンヒの家に寝泊りしていたイ・スンギは、2011年のトーク番組「遊びにおいで」に出演して、「イ・ソンヒの家で過ごしたのが幸いで幸運だった。ただし、イ・ソンヒ先生は肉をよく食べないし、ご飯が少食だ。食べ物もホウレンソウ、ニンニクの芽、こういうのを食べる」と話した。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「3.宗教家である父と、自然とともに過ごした幼い子供」”)
・育ち盛りの年齢で食欲が旺盛だったイ・スンギは、「それで先生に漢江へ行って運動してくるといって出て行き、こっそりプデ・チゲを食べたりした」と話して笑いを誘った。
(以下略)
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2015年7月28日火曜日
イ・ソンヒの「この歌をかりて」
イ・ソンヒの12集所収の「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」(2001年、作詞カン・ウンギョン、作曲ユ・ヨンソク)は、若い心が織りなすだろう、そんな世界に引き込むような響きがする。イ・ソンヒには珍しいドラマ性の濃い曲だ。
投稿サイトの”トゥデイ・ユーモア”に、「この歌は、実話を基に作った歌だそうです・・・聴覚障害のある方が障害のために、愛する人を去り、別れるしかなかった痛みを表現した」という伝聞を紹介している。感謝。
分かってよ、多分私もそうしたわ
私に反対の家族は もう許してくれたの
あなたもおそらく親になれば、その心分かるわ
あなたを惜しんで そういうのを
幸せでなければならない、私の掌(てのひら)に書かいて
走って行ったあなたに 電話しようとしたの
そんなにも あなたのために練習した言葉
あなたを愛してる、私の声で
この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ
私は祈って、またこの世に来るなら
その時はこのようにどうか生まれないように
誰かをただ愛することさえ
罪にならねばならぬ自分が嫌いです
この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
*この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ
(*以下繰り返し)
(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)
投稿サイトの”トゥデイ・ユーモア”に、「この歌は、実話を基に作った歌だそうです・・・聴覚障害のある方が障害のために、愛する人を去り、別れるしかなかった痛みを表現した」という伝聞を紹介している。感謝。
分かってよ、多分私もそうしたわ
私に反対の家族は もう許してくれたの
あなたもおそらく親になれば、その心分かるわ
あなたを惜しんで そういうのを
幸せでなければならない、私の掌(てのひら)に書かいて
走って行ったあなたに 電話しようとしたの
そんなにも あなたのために練習した言葉
あなたを愛してる、私の声で
この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ
私は祈って、またこの世に来るなら
その時はこのようにどうか生まれないように
誰かをただ愛することさえ
罪にならねばならぬ自分が嫌いです
この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
*この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ
(*以下繰り返し)
(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)
2015年7月27日月曜日
イ・ソンヒのファッション、スタイル
中央日報に掲載のニュースエンの記事「イ・ソンヒ 31年前の昔の姿、姉さん部隊導いたボーイッシュな魅力 (【MBC番組】ハッピータイム)」(7/26、 イ・ソダム記者)は、イ・ソンヒのデビュー時の人気と、ファッションやスタイルについて、次のようにいくつかの逸話を紹介している。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒ「私がスカートを着る日には観客が涙涙となる」”、”ズボン”、”スカート”)
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・イ・ソンヒ、デビュー時代の昔の姿(=写真)が公開された。
・7月26日放送されたMBCの(番組)「ハッピータイム」では、姉さん部隊(언니부대)を率いて回った歌手イ・ソンヒの昔の姿が公開された。
・この日公開された昔の映像で、イ・ソンヒは、「学生時代、演技や絵画にもたくさん凝った。それでも、やはり音楽に対する考えはあったと思う」と、昔から歌に対する情熱を持っていたことを明らかにした。
(本ブログ関連:”●資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)
・これにより、1984年「江辺歌謡祭」の大賞をとったイ・ソンヒの姿が公開されて関心を集めた。大賞以後、イ・ソンヒは高い関心の中で、歌手としてデビューし、当時(歌謡祭で受賞した)「Jへ」は、ラジオで一日16回放送され、新記録を立てた。ここに、10代歌手賞と新人歌手賞、最高人気歌謡賞の受賞により、最初の3冠王に上がった。
・以後、1985年、イ・ソンヒは正規(アルバム)1集を発表して、歌謡チャート5週連続1位を占めた。また、イ・ソンヒのヘアースタイルとメガネは女子学生の間で流行になった。
・そのようなイ・ソンヒが、ズボンだけはく理由があったと、イ・ソンヒは「脚が大根足だ。わたしは足首がない。公演会場で真っ赤なドレスを着て、S字階段を降りて歌を歌うことがあったが、近くの客席で観客が、『これはないだろう』といっていた」と語って笑いを誘った。
(以下略)
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上記について、イ・ソンヒは照れることも恥ずかしがることもしない。自分の音楽人生を通して、素直に淡々と振り返る自信があるのだ。普通の女の子に受け入れられたゆえんでもある。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒ「私がスカートを着る日には観客が涙涙となる」”、”ズボン”、”スカート”)
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・イ・ソンヒ、デビュー時代の昔の姿(=写真)が公開された。
・7月26日放送されたMBCの(番組)「ハッピータイム」では、姉さん部隊(언니부대)を率いて回った歌手イ・ソンヒの昔の姿が公開された。
・この日公開された昔の映像で、イ・ソンヒは、「学生時代、演技や絵画にもたくさん凝った。それでも、やはり音楽に対する考えはあったと思う」と、昔から歌に対する情熱を持っていたことを明らかにした。
(本ブログ関連:”●資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)
・これにより、1984年「江辺歌謡祭」の大賞をとったイ・ソンヒの姿が公開されて関心を集めた。大賞以後、イ・ソンヒは高い関心の中で、歌手としてデビューし、当時(歌謡祭で受賞した)「Jへ」は、ラジオで一日16回放送され、新記録を立てた。ここに、10代歌手賞と新人歌手賞、最高人気歌謡賞の受賞により、最初の3冠王に上がった。
・以後、1985年、イ・ソンヒは正規(アルバム)1集を発表して、歌謡チャート5週連続1位を占めた。また、イ・ソンヒのヘアースタイルとメガネは女子学生の間で流行になった。
・そのようなイ・ソンヒが、ズボンだけはく理由があったと、イ・ソンヒは「脚が大根足だ。わたしは足首がない。公演会場で真っ赤なドレスを着て、S字階段を降りて歌を歌うことがあったが、近くの客席で観客が、『これはないだろう』といっていた」と語って笑いを誘った。
(以下略)
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上記について、イ・ソンヒは照れることも恥ずかしがることもしない。自分の音楽人生を通して、素直に淡々と振り返る自信があるのだ。普通の女の子に受け入れられたゆえんでもある。
2015年7月26日日曜日
(雑談) 狼 ⇒ 犬、狐 ⇒ ?
思いきり暑い一日だった。近在の街で、最高気温が36.2℃に達したようだ。猛暑日が続いている。そんな今日、隣り町の公共施設に出かけた。図書館やスタディールームが充実しているせいか、子どもたちで溢れていた。考えてみれば、もう夏休が始まっているのだ。それに日曜日せいか、社会人も押しかけていた。
安楽な館内から外に出て驚いた。太陽光の圧に負けて、すぐに喫茶店に飛び込んだ。
(本ブログ関連:”猛暑日”)
帰り道、垣根越しに咲く、百日紅(さるすべり)の薄紅や白色の小さな花の塊りが気になった。このブログで百日紅の花について記したのは、例年8月頃のこと。今年は少し早い気がする。
(本ブログ関連:”百日紅”)
ところで、また狐の話しについてだ。ネットに、狐を家畜化する話題が様々ある。その中に、ロシア滞在経験のある方のサイトに、「動物好きな研究者の夢 -- 40年の研究からペットギツネが誕生」という大変分かりやすい記事がある。感謝。
40年かけて研究した動物学者(リュドミラ・ニコラエブナ・トルット氏)を紹介している。果たしてキツネは人間のペットになれるだろうか。次のような興味深いポイントがある。
- 野生のキツネで、人懐っこいものを代を重ねて(ケージ飼育のまま)選別したら、イヌのような従順な行動をとるようになったという。イヌがオオカミから枝分かれしたように、キツネにもその可能性がある。
- 家畜化したキツネは、体臭も少なく、トイレなどのしつけもこなすけれど、人間のペットにはなれないという。家畜化した彼らには、夜行性のままという最大の難点があるからだそうだ。
「狐の嫁入り」伝説(伝承)には、嫁入り行列に提灯が灯され、狐火が輝くという。まさに、キツネの夜行性から伝説がうまれたようで、狐はやっぱり夜に戻って行ってしまうようだ。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”稲荷”)
安楽な館内から外に出て驚いた。太陽光の圧に負けて、すぐに喫茶店に飛び込んだ。
(本ブログ関連:”猛暑日”)
帰り道、垣根越しに咲く、百日紅(さるすべり)の薄紅や白色の小さな花の塊りが気になった。このブログで百日紅の花について記したのは、例年8月頃のこと。今年は少し早い気がする。
(本ブログ関連:”百日紅”)
ところで、また狐の話しについてだ。ネットに、狐を家畜化する話題が様々ある。その中に、ロシア滞在経験のある方のサイトに、「動物好きな研究者の夢 -- 40年の研究からペットギツネが誕生」という大変分かりやすい記事がある。感謝。
40年かけて研究した動物学者(リュドミラ・ニコラエブナ・トルット氏)を紹介している。果たしてキツネは人間のペットになれるだろうか。次のような興味深いポイントがある。
- 野生のキツネで、人懐っこいものを代を重ねて(ケージ飼育のまま)選別したら、イヌのような従順な行動をとるようになったという。イヌがオオカミから枝分かれしたように、キツネにもその可能性がある。
- 家畜化したキツネは、体臭も少なく、トイレなどのしつけもこなすけれど、人間のペットにはなれないという。家畜化した彼らには、夜行性のままという最大の難点があるからだそうだ。
「狐の嫁入り」伝説(伝承)には、嫁入り行列に提灯が灯され、狐火が輝くという。まさに、キツネの夜行性から伝説がうまれたようで、狐はやっぱり夜に戻って行ってしまうようだ。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”稲荷”)
2015年7月25日土曜日
砂金採り
来月、砂金採りに行く予定だ。
(本ブログ関連:”砂金”)
川の流れに運ばれて、岸辺の草の根に砂金が集まる。草を根ごと掘り返し、付着の砂土を篩(ふるい)にかける。砂金マニアの場合、それを持ち返って自宅で砂金を取り出したりするようだ。日曜砂金採りは、川岸で探すことになる。
砂金は比重が大きい。その性質を利用して、他の砂土を取り除いて析出する。フライパンのパン(皿)のような皿に、篩で集めた砂土を入れ、水を加える。それを川の流れを利用して、両手でパン皿を左右回転させ、相対的に比重の軽い砂土を川水に流れ出すようにする(コツがあるのだが)。パン皿を使って、水中で砂金採りする動作を、パンニングという。
砂金採りの道具には、パン皿(鉄orプラスティック製)、(園芸用品売り場にある)篩やスコップ、小型のバケツがあればいい。
能書きは済んだ。後は実績だ。で?・・・以前、荒川上流で1回(超微小な2粒、小さ過ぎて現在行くへ不明)、茨城の久慈川とその支流で数回(完敗)。後は山梨の川に一度(完敗)。つまり成果はないに等しい。
だから、今度の8月は、何度目かのリベンジだ。北海道並みの砂金を採りたい。
(本ブログ関連:”砂金”)
川の流れに運ばれて、岸辺の草の根に砂金が集まる。草を根ごと掘り返し、付着の砂土を篩(ふるい)にかける。砂金マニアの場合、それを持ち返って自宅で砂金を取り出したりするようだ。日曜砂金採りは、川岸で探すことになる。
砂金は比重が大きい。その性質を利用して、他の砂土を取り除いて析出する。フライパンのパン(皿)のような皿に、篩で集めた砂土を入れ、水を加える。それを川の流れを利用して、両手でパン皿を左右回転させ、相対的に比重の軽い砂土を川水に流れ出すようにする(コツがあるのだが)。パン皿を使って、水中で砂金採りする動作を、パンニングという。
砂金採りの道具には、パン皿(鉄orプラスティック製)、(園芸用品売り場にある)篩やスコップ、小型のバケツがあればいい。
能書きは済んだ。後は実績だ。で?・・・以前、荒川上流で1回(超微小な2粒、小さ過ぎて現在行くへ不明)、茨城の久慈川とその支流で数回(完敗)。後は山梨の川に一度(完敗)。つまり成果はないに等しい。
だから、今度の8月は、何度目かのリベンジだ。北海道並みの砂金を採りたい。
2015年7月24日金曜日
もくもく雲
今日も暑い。(そういえば、昨日は二十四節気の十二番目、つまり一年の半分、「大暑」だった)
梅雨明けの暑さは収まらず、このまま突っ走って行くようだ。週間天気予報は不順な空模様だが、気温はほぼ猛暑日とのこと。
この時期の雲を、天気予報で「もくもく雲」と呼んでいる。「積乱雲」の方が、天気の急変しやすさと合わせて、何となくわかりやすい気がする。「もくもく」という言葉に柔らかく穏やかな感じして、小動物を愛玩する「もふもふ」を連想してしまう。
夏の高原で、(まるで、ジブリのアニメのように)真っ青な空に浮かぶ白い入道雲を見て、ああ夏だなと思うのは、夏休みのよい思い出になるだろう。また、低速度撮影(インターバル撮影)による、入道雲の成長に雄雄しさを感じたりもする。
自然現象は人知を超えるもので、驚異と呼んだり、神秘と受けとめたりする。街中で、土砂降りの夕立に会ったりすると難儀なものだ。もくもく雲も、思ったほど優しくない。
梅雨明けの暑さは収まらず、このまま突っ走って行くようだ。週間天気予報は不順な空模様だが、気温はほぼ猛暑日とのこと。
この時期の雲を、天気予報で「もくもく雲」と呼んでいる。「積乱雲」の方が、天気の急変しやすさと合わせて、何となくわかりやすい気がする。「もくもく」という言葉に柔らかく穏やかな感じして、小動物を愛玩する「もふもふ」を連想してしまう。
夏の高原で、(まるで、ジブリのアニメのように)真っ青な空に浮かぶ白い入道雲を見て、ああ夏だなと思うのは、夏休みのよい思い出になるだろう。また、低速度撮影(インターバル撮影)による、入道雲の成長に雄雄しさを感じたりもする。
自然現象は人知を超えるもので、驚異と呼んだり、神秘と受けとめたりする。街中で、土砂降りの夕立に会ったりすると難儀なものだ。もくもく雲も、思ったほど優しくない。
2015年7月23日木曜日
油井宇宙飛行士 ソユーズでISS国際宇宙ステーションに到着
JAXAは、油井宇宙飛行士が、今朝発射したソユーズ宇宙船(43S/TMA-17M)に同乗して、昼過ぎに国際宇宙ステーション(ISS)に到着したと次のように発表した。(JAXA、7/23)
ISSの搭乗員が待つYoutube映像の6分過ぎ、ようやくハッチ・オープンして挨拶を交わす様子が見られる。
├-----------------------------------------------------------
油井宇宙飛行士、国際宇宙ステーションでの長期滞在を開始!
7月23日(木)6:02(日本時間)に、(カザフスタン共和国バイコヌール宇宙基地から)打ち上げられた、油井亀美也宇宙飛行士が搭乗するソユーズ宇宙船は、
・11:45に、国際宇宙ステーション(ISS)と結合しました。
・13:56に、ソユーズ宇宙船とISS間のハッチがオープンし、油井宇宙飛行士の長期滞在が始まりました。
油井宇宙飛行士は第44次/第45次長期滞在クルーとしてISSに約5ヶ月間滞在し、宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機*の把持や、ISS各システムの運用、宇宙環境を利用した科学実験などを行います。
-----------------------------------------------------------┤
(*)宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機(HTV5)・H-IIBロケット5号機の打ち上げ日時は、2015年8月16日(日)22時01分頃(日本時間)の予定
(Youtubeに登録のantonsandayoに感謝)
ISSの搭乗員が待つYoutube映像の6分過ぎ、ようやくハッチ・オープンして挨拶を交わす様子が見られる。
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油井宇宙飛行士、国際宇宙ステーションでの長期滞在を開始!
7月23日(木)6:02(日本時間)に、(カザフスタン共和国バイコヌール宇宙基地から)打ち上げられた、油井亀美也宇宙飛行士が搭乗するソユーズ宇宙船は、
・11:45に、国際宇宙ステーション(ISS)と結合しました。
・13:56に、ソユーズ宇宙船とISS間のハッチがオープンし、油井宇宙飛行士の長期滞在が始まりました。
油井宇宙飛行士は第44次/第45次長期滞在クルーとしてISSに約5ヶ月間滞在し、宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機*の把持や、ISS各システムの運用、宇宙環境を利用した科学実験などを行います。
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(*)宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機(HTV5)・H-IIBロケット5号機の打ち上げ日時は、2015年8月16日(日)22時01分頃(日本時間)の予定
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KBS WORLD「国楽の世界へ」 黄真伊
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代の妓生「黄真伊」(황진이、1506年?~1567年?)に関わる3曲を紹介した。
(本ブログ関連:”黄真伊”、”황진이”)
始めに、開城の地に伝わる「松都三絶(송도삼절)」について次のように紹介された。
・北の黄海道開城は、別名松都と呼び、三つの優れた「松都三絶」がある。① 朴淵瀑布(박연폭포)の滝は、高さ37m、幅は1.5mもあり、金剛山の九龍瀑布(구룡폭포)、雪岳山の大勝瀑布(대승폭포)と共に三大滝といわれる。② 学者徐敬徳(서경덕、1489年~1546年)だ。独学で学問の境地に達し、官職に就かず一生ソンビとして隠遁した。③ 妓生の黄真伊だ。妓生の身分だが、文芸、音楽に才があり、堂々と人生を生きたと伝えられる。松都三絶は、彼女が直接付けたという。
▼ 黄真伊詩による、冬至の夜に人を待ち望みながら歌う時調(시조)「冬至の月(동짓달)」を聴く。まるで詩吟のよう。
截取冬之夜半強 冬至の長い夜を少し切り取って
春風被裡屈幡倉 春風の布団の下にしまっておいて
有燈無月郎來夕 恋しいあの方がいらっしゃる夜に
曲曲鋪舒寸寸長 曲げたものを広げたいものだ
次に、金剛山へ行った黄真伊とソンビの関係について次のように紹介された。
・黄真伊には、親しいソンビも少なくなかった。中には、ソンビの威厳を捨て、大胆に風流を楽しむ者もいたという。金剛山に行きたいという黄真伊に同行したソンビがいた。二人は、使いを連れて輿に乗ることなく、粗末な格好で、食糧を背負って出かけた。一万二千もあるという金剛山の峰を見て回った。食糧が底をつく頃、黄真伊は人々の前で歌を歌い、その後食べ物を注文した。、同行のソンビを、自分の使いと紹介して養ったという。
▼ 黄真伊とソンビが旅立った、「金剛山打令(금강산타령)」を聴く。天下名山、見晴るかす光景が浮かぶよう。歌謡的。
最後に、黄真伊の生い立ちや生き方を語る伝説について次のように紹介された。
・黄真伊は、朝鮮初期の1500年頃の人物だ。ある両斑の妾の子であった、盲人の娘であった、あるいは黄真伊を片思いした青年が亡くなり、自ら妓生になったともいわれる。また、長い時間、修行した「生きた仏」と言われる老僧を訪ね、戒律を破らせたりもした。徐敬徳にも同じように試みたが失敗し、彼の弟子になったという。今に至るまで、彼女の話は尽きないが、どれが真実かはっきりしていない。彼女が残した詩を通じて、推測するだけである。
▼ 互いに思慕する 男女が夢で出会う、コムンゴ他演奏の「相思夢(상사몽)」を聴く。どこからか風が吹いてくる。今様である。
相思相見只憑夢 あなたに会えるのは夢の中だけ
儂訪歡時歡訪儂 おなじ道をたどり、ふたたび会うことができた
願使遙遙他夜夢 願えばいつも夢の中で
一時同作路中逢 いつもあの道で会える
(本ブログ関連:”黄真伊”、”황진이”)
始めに、開城の地に伝わる「松都三絶(송도삼절)」について次のように紹介された。
・北の黄海道開城は、別名松都と呼び、三つの優れた「松都三絶」がある。① 朴淵瀑布(박연폭포)の滝は、高さ37m、幅は1.5mもあり、金剛山の九龍瀑布(구룡폭포)、雪岳山の大勝瀑布(대승폭포)と共に三大滝といわれる。② 学者徐敬徳(서경덕、1489年~1546年)だ。独学で学問の境地に達し、官職に就かず一生ソンビとして隠遁した。③ 妓生の黄真伊だ。妓生の身分だが、文芸、音楽に才があり、堂々と人生を生きたと伝えられる。松都三絶は、彼女が直接付けたという。
▼ 黄真伊詩による、冬至の夜に人を待ち望みながら歌う時調(시조)「冬至の月(동짓달)」を聴く。まるで詩吟のよう。
截取冬之夜半強 冬至の長い夜を少し切り取って
春風被裡屈幡倉 春風の布団の下にしまっておいて
有燈無月郎來夕 恋しいあの方がいらっしゃる夜に
曲曲鋪舒寸寸長 曲げたものを広げたいものだ
次に、金剛山へ行った黄真伊とソンビの関係について次のように紹介された。
・黄真伊には、親しいソンビも少なくなかった。中には、ソンビの威厳を捨て、大胆に風流を楽しむ者もいたという。金剛山に行きたいという黄真伊に同行したソンビがいた。二人は、使いを連れて輿に乗ることなく、粗末な格好で、食糧を背負って出かけた。一万二千もあるという金剛山の峰を見て回った。食糧が底をつく頃、黄真伊は人々の前で歌を歌い、その後食べ物を注文した。、同行のソンビを、自分の使いと紹介して養ったという。
▼ 黄真伊とソンビが旅立った、「金剛山打令(금강산타령)」を聴く。天下名山、見晴るかす光景が浮かぶよう。歌謡的。
最後に、黄真伊の生い立ちや生き方を語る伝説について次のように紹介された。
・黄真伊は、朝鮮初期の1500年頃の人物だ。ある両斑の妾の子であった、盲人の娘であった、あるいは黄真伊を片思いした青年が亡くなり、自ら妓生になったともいわれる。また、長い時間、修行した「生きた仏」と言われる老僧を訪ね、戒律を破らせたりもした。徐敬徳にも同じように試みたが失敗し、彼の弟子になったという。今に至るまで、彼女の話は尽きないが、どれが真実かはっきりしていない。彼女が残した詩を通じて、推測するだけである。
▼ 互いに思慕する 男女が夢で出会う、コムンゴ他演奏の「相思夢(상사몽)」を聴く。どこからか風が吹いてくる。今様である。
相思相見只憑夢 あなたに会えるのは夢の中だけ
儂訪歡時歡訪儂 おなじ道をたどり、ふたたび会うことができた
願使遙遙他夜夢 願えばいつも夢の中で
一時同作路中逢 いつもあの道で会える
2015年7月22日水曜日
イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」
イ・ソンヒが、昨年(2014年)のデビュー30周年記念コンサート(世宗文化会館)で歌った、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)は、彼女の音楽人生の深さを示すものだが、研ぎ澄まされ、洗練された響きを感じさせる。歌の終わりとともに会場から湧き上がるどよめきは、熱狂するためでなく、感動を受けるために来た観客のものだ。
(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)
この歌には、始めから彼女の思い入れがある。27歳当時の彼女の回想録、「(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー『10.それが歌なの 発声練習では』」から、歌手としての自覚と試行を感じとることができる。・・・2014年1月15日の本ブログに掲載。
├-----------------------------------------------------------
・時折、私に向かって「それが歌か、発声練習では」と厳しく批判する人もいる。認める。(イ・ソンヒの歌唱の特徴として)私の歌が主に高音域中心であるから。
・それで、6集「思い出のページをめくれば」では、トーンをかなり低く下げた。偏狭な考えかも知れないが、6集くらいで満足できなければ、私は致し方ない。世の中のすべての人を満足させる能力は私にはないので。
・私はそれなりに情熱と誠意を尽くして歌う。全身に力を集中して「熱唱」する数年・・・いつのまにか私の手の平にはタコができた。私も知らない新しいマイクを握った掌中に力が入っていたようだ。
・私の名前の前に「歌手」という接頭辞がつき始めて以来、私は実に多くの仕事を経験した。
-----------------------------------------------------------┤
「思い出のページをめくれば」は大変美しい曲だ。Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)は、その音楽性の高さについて次のように語っている。・・・2012年10月24日の本ブログに掲載。
├-----------------------------------------------------------
・1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。
-----------------------------------------------------------┤
ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が
*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように
雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る
ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ
(* 以下繰り返し)
眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・
(Toutubeに登録の도미정に感謝)
(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)
この歌には、始めから彼女の思い入れがある。27歳当時の彼女の回想録、「(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー『10.それが歌なの 発声練習では』」から、歌手としての自覚と試行を感じとることができる。・・・2014年1月15日の本ブログに掲載。
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・時折、私に向かって「それが歌か、発声練習では」と厳しく批判する人もいる。認める。(イ・ソンヒの歌唱の特徴として)私の歌が主に高音域中心であるから。
・それで、6集「思い出のページをめくれば」では、トーンをかなり低く下げた。偏狭な考えかも知れないが、6集くらいで満足できなければ、私は致し方ない。世の中のすべての人を満足させる能力は私にはないので。
・私はそれなりに情熱と誠意を尽くして歌う。全身に力を集中して「熱唱」する数年・・・いつのまにか私の手の平にはタコができた。私も知らない新しいマイクを握った掌中に力が入っていたようだ。
・私の名前の前に「歌手」という接頭辞がつき始めて以来、私は実に多くの仕事を経験した。
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「思い出のページをめくれば」は大変美しい曲だ。Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)は、その音楽性の高さについて次のように語っている。・・・2012年10月24日の本ブログに掲載。
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・1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。
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ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が
*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように
雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る
ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ
(* 以下繰り返し)
眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・
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2015年7月21日火曜日
イ・ソンヒの「狐の嫁入り」
イ・ソンヒが、SBSテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐(내 여자친구는 구미호)」(2010年)のOSTとして歌った「狐の嫁入り(여우비)」は、彼女のヒット曲である「因縁(인연)」とともに、広い範疇で東洋的な色彩の濃い曲である。
(本ブログ関連:”天気雨(狐の嫁入り)”、”稲荷”)
この曲名は「狐雨」であり、天気雨(日照り雨)について民俗的呼称でもある。興味深いことに、「天気雨」の現象には、世界的に動物の婚姻をたとえる語彙が多数ある。ただし、動物同士のものであって、人間と狐の婚姻という、即ち<異類婚姻譚>にまで及んではないようだ。
このドラマのおもしろさは、人間と(九尾)狐の化身とが、天気雨を通じて互いに清められ成長する若者として描かれていることにある。イ・ソンヒの持つ清雅さは、この曲に最もかなっている。
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(本ブログ関連:”天気雨(狐の嫁入り)”、”稲荷”)
この曲名は「狐雨」であり、天気雨(日照り雨)について民俗的呼称でもある。興味深いことに、「天気雨」の現象には、世界的に動物の婚姻をたとえる語彙が多数ある。ただし、動物同士のものであって、人間と狐の婚姻という、即ち<異類婚姻譚>にまで及んではないようだ。
このドラマのおもしろさは、人間と(九尾)狐の化身とが、天気雨を通じて互いに清められ成長する若者として描かれていることにある。イ・ソンヒの持つ清雅さは、この曲に最もかなっている。
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2015年7月20日月曜日
土用の入り、海の日 2015
今日は、「土用の入り」、今週土曜日の「丑」の日まで後6日間ある。土用の丑といえば鰻だが、年々<鰻重>への関心が薄らいでいる。暑い日が続けばなおさらだ。
土用の丑の日に、鰻を食べるキャンペーンをしたのが平賀源内という。よほどにタフな人だろう、秩父鉱山まで足を運び鉱山開発したり、秋田藩に出かけて蘭画の指導をしたり、方々におもむいている。実感するのは、秩父鉱山へつづく中津川沿いをたどっていた途中、江戸市中からここまでよくぞ歩いて来たものだということだ。
(本ブログ関連:”平賀源内”)
もちろん、泊まりなくずっと歩き通したわけではなかろうが、よほど信念がなければこんな手間は選ばない。源内のエネルギーの源に、もしかしたら本当に鰻があったのではと思えなくもない。
源内の一族は信濃の出とのこと。彼は、近くに小豆島をながめる、讃岐の志度湾沿いに生まれた。出自の自負か、海への進展に関心は薄かったように思われる。むしろ、細部に真実が宿るといった考えの持主だったのかもしれない。
今日は「海の日」なれど、源内と結びつくのは、日本の南の海で産れた<鰻>くらいしかないようだ。
土用の丑の日に、鰻を食べるキャンペーンをしたのが平賀源内という。よほどにタフな人だろう、秩父鉱山まで足を運び鉱山開発したり、秋田藩に出かけて蘭画の指導をしたり、方々におもむいている。実感するのは、秩父鉱山へつづく中津川沿いをたどっていた途中、江戸市中からここまでよくぞ歩いて来たものだということだ。
(本ブログ関連:”平賀源内”)
もちろん、泊まりなくずっと歩き通したわけではなかろうが、よほど信念がなければこんな手間は選ばない。源内のエネルギーの源に、もしかしたら本当に鰻があったのではと思えなくもない。
源内の一族は信濃の出とのこと。彼は、近くに小豆島をながめる、讃岐の志度湾沿いに生まれた。出自の自負か、海への進展に関心は薄かったように思われる。むしろ、細部に真実が宿るといった考えの持主だったのかもしれない。
今日は「海の日」なれど、源内と結びつくのは、日本の南の海で産れた<鰻>くらいしかないようだ。
2015年7月19日日曜日
梅雨明け 2015 / 「武蔵国とは何ぞや」
こんなに晴れて、これだけ暑けりゃもう充分。ついにというか、とうとう「関東甲信」も今日、<梅雨明け>したとみられると気象庁が発表した。平年、昨年とも<梅雨明け>は7月21日だったので、今年は2日程度前倒しになった。例年並みというべきか。
(本ブログ関連:”梅雨明け”)
今日の気温は、Weathernewsの近在の観測点で、34.7℃だったので、30℃以上の「真夏日」だが、35℃以上の「猛暑日」には及ばなかった。それほどの熱気と湿気の一日だった。
講演会: 「武蔵国とは何ぞや」
地元で、「武蔵国とは何ぞや - その成立と変遷」(川口順啓氏)の講演会があった。元鉄道会社役員をした方の談話で、地名について漠然と思っていた日頃の疑問を整理する良い機会に恵まれた。
気になる話題をピックアップすると。
├-----------------------------------------------------------
・武蔵国(むさしのくに)の名の由来は不明。「大宝律令」(701年)の頃成立している・・・(万葉仮名表示による)「牟邪志(むさし)」、「胸刺(むさし)」、「知々夫(ちちぶ)」が統合されたもの。
・「武蔵国」は、奈良時代末期に、「道」で示される地域単位の、「東山道」(東北~関東~中部(内陸)~関西)から「東海道」(伊勢~関東~中部(海側))に編入された。
・群馬県、栃木県の一帯を、「毛野国(けぬのくに)」(「毛」=一毛作、二毛作に通じる産物の豊かさを示す)と呼んだ。これを二つに分け、「上毛野(かみつけぬ)」、「下毛野(しもつけぬ)」としたが、国名を2文字制限することから、「上野」(かみつけぬ⇒こうずけ)、「下野」(しもつけぬ⇒しもつけ)となった。ちなみに、都に近い方を「上」、遠い方を「下」と区別した。
(本ブログ関連:「下野」 ⇒ ”(資料) 那須野の殺生石”、”玄翁(げんのう)”)
-----------------------------------------------------------┤
その他、地名の変遷について、関東、江戸・東京だけでなく、全国各地について、旧国名の付いた鉄道線名まで興味深い話をされ、しばらく外の熱気を忘れさせていただいた。
(本ブログ関連:”梅雨明け”)
今日の気温は、Weathernewsの近在の観測点で、34.7℃だったので、30℃以上の「真夏日」だが、35℃以上の「猛暑日」には及ばなかった。それほどの熱気と湿気の一日だった。
講演会: 「武蔵国とは何ぞや」
地元で、「武蔵国とは何ぞや - その成立と変遷」(川口順啓氏)の講演会があった。元鉄道会社役員をした方の談話で、地名について漠然と思っていた日頃の疑問を整理する良い機会に恵まれた。
気になる話題をピックアップすると。
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・武蔵国(むさしのくに)の名の由来は不明。「大宝律令」(701年)の頃成立している・・・(万葉仮名表示による)「牟邪志(むさし)」、「胸刺(むさし)」、「知々夫(ちちぶ)」が統合されたもの。
・「武蔵国」は、奈良時代末期に、「道」で示される地域単位の、「東山道」(東北~関東~中部(内陸)~関西)から「東海道」(伊勢~関東~中部(海側))に編入された。
・群馬県、栃木県の一帯を、「毛野国(けぬのくに)」(「毛」=一毛作、二毛作に通じる産物の豊かさを示す)と呼んだ。これを二つに分け、「上毛野(かみつけぬ)」、「下毛野(しもつけぬ)」としたが、国名を2文字制限することから、「上野」(かみつけぬ⇒こうずけ)、「下野」(しもつけぬ⇒しもつけ)となった。ちなみに、都に近い方を「上」、遠い方を「下」と区別した。
(本ブログ関連:「下野」 ⇒ ”(資料) 那須野の殺生石”、”玄翁(げんのう)”)
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その他、地名の変遷について、関東、江戸・東京だけでなく、全国各地について、旧国名の付いた鉄道線名まで興味深い話をされ、しばらく外の熱気を忘れさせていただいた。
2015年7月18日土曜日
「夏の思い出」
子どものころ、学校で習った「夏の思い出」(作詞:江間章子、作曲:中田喜直)は、唱歌と違って合唱コンクールに歌われるような、教科書的な上品さが気になった。それが、何年も何十年もたつうちに、この曲から、湿原の夏風と陽のまぶしさを、あたかも居合わせたかのように感じられるようになった。少なくとも、おじさんの心に自然に馴染んでいる。
この歌が世に出たのは、Wikipediaによれば、「1949年(昭和24年)6月13日にNHKのラジオ番組『ラジオ歌謡』にて石井好子の歌で放送され」たとのこと。新しい空気に時代を満たしたいという、そんな欲求があったのではないだろうか。
「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞社文化部)を見ると、作詞者の江間章子が、「私は疎開から戻ってきたばかり、内幸町のNHKに呼ばれて、『荒廃した国土に暮らす日本国民に夢と希望を与える歌を流したい』と協力をお願いされました」と語っている。作詞のヒントになったのが、彼女が終戦の前年、1944年に群馬県片品村で見た水芭蕉の花だったという。この本には、作曲者の中田喜直、「ラジオ歌謡」で歌った石井好子の思いで深い話しも載っている。
(本ブログ関連:”「唱歌・童謡ものがたり」”)
(Youtubeに登録のTVTBCに感謝)
この歌が世に出たのは、Wikipediaによれば、「1949年(昭和24年)6月13日にNHKのラジオ番組『ラジオ歌謡』にて石井好子の歌で放送され」たとのこと。新しい空気に時代を満たしたいという、そんな欲求があったのではないだろうか。
「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞社文化部)を見ると、作詞者の江間章子が、「私は疎開から戻ってきたばかり、内幸町のNHKに呼ばれて、『荒廃した国土に暮らす日本国民に夢と希望を与える歌を流したい』と協力をお願いされました」と語っている。作詞のヒントになったのが、彼女が終戦の前年、1944年に群馬県片品村で見た水芭蕉の花だったという。この本には、作曲者の中田喜直、「ラジオ歌謡」で歌った石井好子の思いで深い話しも載っている。
(本ブログ関連:”「唱歌・童謡ものがたり」”)
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2015年7月17日金曜日
接続
男女が語り合うのに、歌や文を届ける古風な時代もあったが、技術の進歩に合わせて、電話やネット・メールで交わすようになった。モデムを使ったパソコン通信時代に、チャットで見知らぬ出会い楽しみ胸をときめかした人もいたようだ。
そんな男女が成就するかは、直接の出会いで確認するしかないけれど、そこにも物語は生じる。戦争という不幸な時代を経て知る、映画「哀愁」やラジオドラマ「君の名は」に、もしかしたら人々は浄化を求めたのかもしれない。でも、時代が下れば、ハッピーエンドをどうしても期待したくなる。
ところで随分以前のこと、ハリウッドばりのアクションシーンに目を見張らされた韓国映画「シュリ(쉬리)」に主演したハン・ソッキュ(한석규)の姿を、(多分NHK)テレビで放送された映画「接続(접속)」で見つけた。いってみれば男女のすれ違いを描いたものだ。チャットを使うシーンがあって、時代の先を行ってると思いつつ 見た。その中に、気になる女優がいた。おでこの可愛い華奢な感じする(今や最高の実力派)チョン・ドヨン(전도연)である。彼女のデビュー作品だった。
物語の展開で、いつのまにか主人公が変わってしまったような気がしたが・・・そうなるべきだったのでしょうね。(鈍感なもので)
ヘラルド経済の記事「二十歳になったミョン・フィルム、再び見たい映画の1位は、『接続』」(7/17、イ・ヘミ記者)は、映画「接続」の当時の反響を次のように伝えている。
(本ブログ関連:”チョン・ドヨン”、”ソン・ジイェ”)
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・韓国映画界の発展と共にしてきた映画会社「ミョンフィルム」が20周年を控えている。ネチズンは、ミョンフィルムが残した名作の中で再び見たい映画の1位に、ハン・ソッキュ、チョン・ドヨン主演の「接続」(1997年)を挙げた。
・ミョンフィルムは、去る1日から15日まで、映画前売りサイト「YES24」を通じて、「最も再び見たいミョンフィルムの映画」アンケート調査を進めた。
・合計2,332人が応募した中で、映画「接続」が363票で最も多い票を得た。1997年に封切りした「接続」は、パソコン通信で出会った男女の話を扱ったミョンフィルムの二番目の作品で、その年最高の興行記録を立てた意味のある作品中の一つだ。特に、メイン・テーマ曲だったSarah Vaughanの「A Lover’s concerto」が大きく人気を呼び、OSTアルバム販売量80万枚という空前絶後な記録を立てた。
(以下、2位「共同警備区域JSA」(2000年)339票、3位「建築学概論」(2012年)290票について語られている)
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(Youtubeに登録のMIRUCAFEに感謝)
そんな男女が成就するかは、直接の出会いで確認するしかないけれど、そこにも物語は生じる。戦争という不幸な時代を経て知る、映画「哀愁」やラジオドラマ「君の名は」に、もしかしたら人々は浄化を求めたのかもしれない。でも、時代が下れば、ハッピーエンドをどうしても期待したくなる。
ところで随分以前のこと、ハリウッドばりのアクションシーンに目を見張らされた韓国映画「シュリ(쉬리)」に主演したハン・ソッキュ(한석규)の姿を、(多分NHK)テレビで放送された映画「接続(접속)」で見つけた。いってみれば男女のすれ違いを描いたものだ。チャットを使うシーンがあって、時代の先を行ってると思いつつ 見た。その中に、気になる女優がいた。おでこの可愛い華奢な感じする(今や最高の実力派)チョン・ドヨン(전도연)である。彼女のデビュー作品だった。
物語の展開で、いつのまにか主人公が変わってしまったような気がしたが・・・そうなるべきだったのでしょうね。(鈍感なもので)
ヘラルド経済の記事「二十歳になったミョン・フィルム、再び見たい映画の1位は、『接続』」(7/17、イ・ヘミ記者)は、映画「接続」の当時の反響を次のように伝えている。
(本ブログ関連:”チョン・ドヨン”、”ソン・ジイェ”)
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・韓国映画界の発展と共にしてきた映画会社「ミョンフィルム」が20周年を控えている。ネチズンは、ミョンフィルムが残した名作の中で再び見たい映画の1位に、ハン・ソッキュ、チョン・ドヨン主演の「接続」(1997年)を挙げた。
・ミョンフィルムは、去る1日から15日まで、映画前売りサイト「YES24」を通じて、「最も再び見たいミョンフィルムの映画」アンケート調査を進めた。
・合計2,332人が応募した中で、映画「接続」が363票で最も多い票を得た。1997年に封切りした「接続」は、パソコン通信で出会った男女の話を扱ったミョンフィルムの二番目の作品で、その年最高の興行記録を立てた意味のある作品中の一つだ。特に、メイン・テーマ曲だったSarah Vaughanの「A Lover’s concerto」が大きく人気を呼び、OSTアルバム販売量80万枚という空前絶後な記録を立てた。
(以下、2位「共同警備区域JSA」(2000年)339票、3位「建築学概論」(2012年)290票について語られている)
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2015年7月16日木曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 三伏
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、夏の最も暑い時期、旧暦6月から7月の間に入る雑節「三伏(삼복)」に関わる3曲を紹介した。
始めに、雑節「三伏」の字義と、それに関連する諺(ことわざ)について次のように紹介された。
・「三伏」は、夜が最も短い「夏至」から、2~3週間経つと初伏。その十日後が中伏、秋が始まる立秋が過ぎると末伏の三伏を指す。三伏の「伏」は、伏せるの意で人が犬のように伏せる姿に見える。また、あまりに暑いので秋の気運が伏している意もある。三伏の暑さに牛の角も曲がるとか、唇についた飯粒も重く感じるといった諺もある。今年の初伏は7月13日だ。
▼ 笛テグムとソグム、ピアノなど演奏の「太陽を呑み込む(태양을 삼키다)」を聴く。ケーナの乾いた雰囲気する今様だ。
次に、三伏の時期、魚獲りを題材にした歌「フィモリ雑歌 六七月(휘모리잡가 육칠월)」について次のように紹介された。
・三伏の暑さは、農作物にとって最適で、稲は三伏に歳を取るという。暑いから不満と思うわけにはいかない。暑さを乗り切るため、昔は渓谷に足をひたしたり、海辺の砂で体を温めたりした。熱を熱でもって治める方法だ。鶏肉を蒸した参鶏湯(삼계탕)やスイカを食べたり、川辺で魚を獲り直ぐに食べたりした。晴れた日より曇りの日に魚がよく獲れる。「フィモリ雑歌 六七月」には、両班にもかかわらず職も無く遊び暮らす、閑良(한량)身分の男が登場する。ある曇った夏の日、閑良は魚を獲り、通りがかった男の子に、魚を家まで運び、調理しておくよう伝えて欲しいと頼む。男の子は口をとがらせ、自分も雇われ人で、できるか分からないと答える。そんなやり取りをユーモアに歌う。
(参考:”キム・ウンハPDの音楽喫茶”に感謝)
▼ 歌「フィモリ雑歌 六七月」を聴く。語りに節を付けたようで素朴な感じする。パンソリよりは少しだけ具体的。
最後に、ソンビの体面と、あるときそれを越える話題について次のように紹介された。
・身分制社会では、暑さをしのぐ方法も身分によって違った。体面を保つことを自分の命より重視したソンビは、どんなに暑くても服を脱ぐことはなかった。ただ、扇子をあおぎ、読書したり詩作した。音楽の演奏や鑑賞もそのひとつだった。
・成大中(성대중、1732年~1809年)に、洪大容(홍대용)の別荘<留春塢(유춘오)>で開かれた音楽会の記録「記留春塢樂會」がある。洪大容はカヤグムを、洪景性(홍경성)はコムンゴを、李漢鎭(이한진)はテュンソを取り出すことから始まる。弦楽器ヤングムや、鳳凰を象徴する管楽器センファンも登場する。歌を歌う者の姿、また上座に座った年長者の様子もある。馳走と酒、多様な楽器の演奏、雰囲気も真っ盛りになる。すると、年長の金用譲(김용겸)が急にお辞儀をした。素晴らしい音楽を聴かせてもらい、年長の自分が辞儀をするのは当然なことではないかといった。
▼ ソンビが風流を楽しむ曲「短い霊山会上(짧은 영산회상)」を聴く。悠然とすれば自ずと時と風は通り過ぎる感じ。・・・<この曲は元々仏教音楽に由来する>とのこと。
(参考: ”トゥルムェ文学(들뫼 문확)”に感謝)
始めに、雑節「三伏」の字義と、それに関連する諺(ことわざ)について次のように紹介された。
・「三伏」は、夜が最も短い「夏至」から、2~3週間経つと初伏。その十日後が中伏、秋が始まる立秋が過ぎると末伏の三伏を指す。三伏の「伏」は、伏せるの意で人が犬のように伏せる姿に見える。また、あまりに暑いので秋の気運が伏している意もある。三伏の暑さに牛の角も曲がるとか、唇についた飯粒も重く感じるといった諺もある。今年の初伏は7月13日だ。
▼ 笛テグムとソグム、ピアノなど演奏の「太陽を呑み込む(태양을 삼키다)」を聴く。ケーナの乾いた雰囲気する今様だ。
次に、三伏の時期、魚獲りを題材にした歌「フィモリ雑歌 六七月(휘모리잡가 육칠월)」について次のように紹介された。
・三伏の暑さは、農作物にとって最適で、稲は三伏に歳を取るという。暑いから不満と思うわけにはいかない。暑さを乗り切るため、昔は渓谷に足をひたしたり、海辺の砂で体を温めたりした。熱を熱でもって治める方法だ。鶏肉を蒸した参鶏湯(삼계탕)やスイカを食べたり、川辺で魚を獲り直ぐに食べたりした。晴れた日より曇りの日に魚がよく獲れる。「フィモリ雑歌 六七月」には、両班にもかかわらず職も無く遊び暮らす、閑良(한량)身分の男が登場する。ある曇った夏の日、閑良は魚を獲り、通りがかった男の子に、魚を家まで運び、調理しておくよう伝えて欲しいと頼む。男の子は口をとがらせ、自分も雇われ人で、できるか分からないと答える。そんなやり取りをユーモアに歌う。
(参考:”キム・ウンハPDの音楽喫茶”に感謝)
▼ 歌「フィモリ雑歌 六七月」を聴く。語りに節を付けたようで素朴な感じする。パンソリよりは少しだけ具体的。
最後に、ソンビの体面と、あるときそれを越える話題について次のように紹介された。
・身分制社会では、暑さをしのぐ方法も身分によって違った。体面を保つことを自分の命より重視したソンビは、どんなに暑くても服を脱ぐことはなかった。ただ、扇子をあおぎ、読書したり詩作した。音楽の演奏や鑑賞もそのひとつだった。
・成大中(성대중、1732年~1809年)に、洪大容(홍대용)の別荘<留春塢(유춘오)>で開かれた音楽会の記録「記留春塢樂會」がある。洪大容はカヤグムを、洪景性(홍경성)はコムンゴを、李漢鎭(이한진)はテュンソを取り出すことから始まる。弦楽器ヤングムや、鳳凰を象徴する管楽器センファンも登場する。歌を歌う者の姿、また上座に座った年長者の様子もある。馳走と酒、多様な楽器の演奏、雰囲気も真っ盛りになる。すると、年長の金用譲(김용겸)が急にお辞儀をした。素晴らしい音楽を聴かせてもらい、年長の自分が辞儀をするのは当然なことではないかといった。
▼ ソンビが風流を楽しむ曲「短い霊山会上(짧은 영산회상)」を聴く。悠然とすれば自ずと時と風は通り過ぎる感じ。・・・<この曲は元々仏教音楽に由来する>とのこと。
(参考: ”トゥルムェ文学(들뫼 문확)”に感謝)
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