こんなに晴れて、これだけ暑けりゃもう充分。ついにというか、とうとう「関東甲信」も今日、<梅雨明け>したとみられると気象庁が発表した。平年、昨年とも<梅雨明け>は7月21日だったので、今年は2日程度前倒しになった。例年並みというべきか。
(本ブログ関連:”梅雨明け”)
今日の気温は、Weathernewsの近在の観測点で、34.7℃だったので、30℃以上の「真夏日」だが、35℃以上の「猛暑日」には及ばなかった。それほどの熱気と湿気の一日だった。
講演会: 「武蔵国とは何ぞや」
地元で、「武蔵国とは何ぞや - その成立と変遷」(川口順啓氏)の講演会があった。元鉄道会社役員をした方の談話で、地名について漠然と思っていた日頃の疑問を整理する良い機会に恵まれた。
気になる話題をピックアップすると。
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・武蔵国(むさしのくに)の名の由来は不明。「大宝律令」(701年)の頃成立している・・・(万葉仮名表示による)「牟邪志(むさし)」、「胸刺(むさし)」、「知々夫(ちちぶ)」が統合されたもの。
・「武蔵国」は、奈良時代末期に、「道」で示される地域単位の、「東山道」(東北~関東~中部(内陸)~関西)から「東海道」(伊勢~関東~中部(海側))に編入された。
・群馬県、栃木県の一帯を、「毛野国(けぬのくに)」(「毛」=一毛作、二毛作に通じる産物の豊かさを示す)と呼んだ。これを二つに分け、「上毛野(かみつけぬ)」、「下毛野(しもつけぬ)」としたが、国名を2文字制限することから、「上野」(かみつけぬ⇒こうずけ)、「下野」(しもつけぬ⇒しもつけ)となった。ちなみに、都に近い方を「上」、遠い方を「下」と区別した。
(本ブログ関連:「下野」 ⇒ ”(資料) 那須野の殺生石”、”玄翁(げんのう)”)
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その他、地名の変遷について、関東、江戸・東京だけでなく、全国各地について、旧国名の付いた鉄道線名まで興味深い話をされ、しばらく外の熱気を忘れさせていただいた。