今日は、「土用の入り」、今週土曜日の「丑」の日まで後6日間ある。土用の丑といえば鰻だが、年々<鰻重>への関心が薄らいでいる。暑い日が続けばなおさらだ。
土用の丑の日に、鰻を食べるキャンペーンをしたのが平賀源内という。よほどにタフな人だろう、秩父鉱山まで足を運び鉱山開発したり、秋田藩に出かけて蘭画の指導をしたり、方々におもむいている。実感するのは、秩父鉱山へつづく中津川沿いをたどっていた途中、江戸市中からここまでよくぞ歩いて来たものだということだ。
(本ブログ関連:”平賀源内”)
もちろん、泊まりなくずっと歩き通したわけではなかろうが、よほど信念がなければこんな手間は選ばない。源内のエネルギーの源に、もしかしたら本当に鰻があったのではと思えなくもない。
源内の一族は信濃の出とのこと。彼は、近くに小豆島をながめる、讃岐の志度湾沿いに生まれた。出自の自負か、海への進展に関心は薄かったように思われる。むしろ、細部に真実が宿るといった考えの持主だったのかもしれない。
今日は「海の日」なれど、源内と結びつくのは、日本の南の海で産れた<鰻>くらいしかないようだ。