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2012年9月6日木曜日

竹刀(しない)

天気予報によれば、熱暑はまだ続くようだが、ツクツクボウシの声が聞こえなくなったし、朝晩の水道水もヒンヤリしてきた。そろそろ夏は終わりのようだ。

武蔵小金井駅そばの農工大通りに、前から気になっていた剣道の武具店がある。実は、竹刀の小刀がないものかと先日のぞいてみたが、残念ながら置いてないという話だった。ありがたいことに何とその場で、竹刀の先端を切り落として小刀を作ってくれたのだ。感謝。

ところで、なぜ竹刀かって。実は、家にあった掃除に使う棒を竹刀のように上下に素振りしたところ、よろよろと揺れながら下りたのだ。いうまでもなく、筋力のバランスがとれなくなっていたのだ。そこで、家の中で素振りしても大丈夫な小刀の竹刀を探した・・・というわけだ。

持ち帰って、部屋の中で振り回しているが、いつまで続くものか。庭に出てやってもいいのだが、ちょっとはずかしい?

2012年9月5日水曜日

イ・ソンヒの「離別小曲」

イ・ソンヒが、1998年のアルバム11集以来3年振りに、2001年3月26日リリーズした12集「MY LIFE」所収の名曲「離別小曲(이별 소곡)」(歌詞)は、いつも常に傍らにいた人を失った想いを歌う、自伝的要素を持ったものともいわれている。

Youtubeの映像は、聴衆が舞台下の観客の立場から、彼女の歌の世界に引き込まれていった様が見受けられる。

(本ブログ関連:"離別小曲")



(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

2012年9月4日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 クリム(The林)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/29)に、人物シリーズ43回目としてフュージョン国楽グループ・クリム(그림)を紹介した。

クリム誕生の紹介から始まった。
・1985年、音楽団体スルギドゥン(슬기둥)が初めて、大衆歌謡形式の国楽曲の発表を機に、2000年代に入り若い音楽家たちの手で本格的に<フュージョン国楽>という分野が確立され、その流れの中でクリムが誕生した。

▼クリムの演奏による「路戯(길놀이)」*を聴く。洋楽(器)と融合すると、固有の大地の響きより広い響きがしてくる・・・聞く耳、聞きたい耳、聞かせたい耳が集まる。
(*)むかし、本格的に演奏を始める前に、関心を集めるため演じたものと解説が加えられた。

クリムというグループの説明の続き。
・2001年1月 打楽器演奏家兼、作曲家のシン・チャンニョルの呼びかけで、国立国楽高校の同級生の、コムンゴのパク・チャンユン、カヤグムのチョン・ヘシム、ヘグムのキム・ジュリなどにより結成された。
・伝統的音楽だけに没頭してきた演奏家たちにとって、全く新しい世界だった。
・伝統音楽を教えてきた先生たちからは激しく叱責され、その存続が危ぶまれる時期もあった。紆余曲折を乗り越え、伝統的な国楽公演ホールではなく、若者たちの集まる空間を主な演奏場所とて育った・・・という。

▼クリムの演奏による「歌客(가객)」を聴く。西洋宗教音楽風に響かせて始まる。やがて中東のイメージがして・・・いろいろ試行錯誤の一つだろう。

クリムの名称(語義)について次のように解説された。
・グループ名クリムの正式表記は、英語冠詞「The」と漢字「林」を合成した「The林」で、「その林」を意味する。韓国語「その=ク(그)」と漢字「林=リム(림)」を合わせて「クリム」と呼んでいる。
・伝統音楽の<林>の中で、若者たちの感性に合った音楽を生み出し、そこから新しい<林>を作り出す若い演奏家たちをイメージした名前・・・とのこと。

▼クリムの演奏による「Cool Running」を聴く。若者に受け入れられる音楽、新しい音楽、として聞かせていただいた。

(補足)
・現在メンバーは、シン・チャンリョル(신창렬:作曲、パーカッション)、コ・ソクジン(고석진:作曲、ギター)、キム・ジュリ(김주리:ヘグム)、パク・ウジン(박우진:ベースギター)、シン・ヒョンジョン(신현정:作曲、ピアノ、シンセサイザー)、チョン・ヘシム(정혜심:カヤグム)、チョン·ジンウ(정진우:テグム、テピョンソ)が一緒に活動している。

2012年9月3日月曜日

ドルニエ228の鼻先

ほんのちょっと似てるだけのはなし・・・。
調布飛行場で見たNCA新中央航空)所有の高翼双発機ドルニエ228の鼻先が妙に気になって・・・何んだか似てるなあと思ったのが、新幹線700系先頭車両のノーズ形状だ。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

地上から見上げて気付かないが、Youtubeの映像では、若干俯角にドルニエ228の鼻先が見えるのでわかりやすい。
(Youtubeに登録のzakianateiに感謝)

今日はそれだけのはなしです。

2012年9月2日日曜日

イ・ソンヒのプロフィール

イ・ソンヒのプロフィールについて、インターネット上に記された情報を紹介してきた。

そこで、本ブログ画面の左側にある「ブログ本文&資料」>「資料:이선희 Profile」のページに、関連する過去の本ブログ記事を転載した。
ただし、彼女の生い立ちを追って(情報源を確証しつつ)作成したわけではないので、内容に重複したり矛盾するところがあるかもしれない。

彼女の生い立ちに沿って、過去の本ブログ記事を修正することなく、順次記事を転載していく予定。


(付記)
東大駒場の博物館で、展示「石の世界」(7月21日~9月17日)を開催している。昼に田園都市線に乗るため、昼前の30分ほどの短時間で観覧しようとしたが・・・1階の岩石展示場を見るだけで終わってしまった。あらためて、2階の鉱物展示場を訪れなければならない。
・展示品(岩石・鉱物)一覧のプリントが置いてあった。
・展示パネル内容のプリントが置いてあった。・・・他の博物館でも願いたいサービスだ。

2012年9月1日土曜日

Those Lazy-Hazy-Crazy Days of Summer

朝から曇り空。あやしい天候は、やがて昼頃に通り雨となって、辺りに激しい雨音を繰り返し響かせた。いっとき涼むものの、湿気の多い蒸し暑い空気が戻ってくる。

さて、今日も「クレイジー」でいきましょう。ナット・キング・コール(Nat King Cole、1919年~1965年)が没2年前にヒットを飾ったうちのひとつである、「Those Lazy-Hazy-Crazy Days of Summer」(1963年)はどうだろうか。

若いってクレイジーだから、だらだらと、ぼ~っとした夏の陽射しの中に飛び込んでいく・・・めざす娘(こ)がいれば最高。そんな夏がいつでもいてくれたらなんて願ったりして。このくそ暑い夏にだよ。

いっそ冷や水を浴びたいね。いつまでもだらだらとこんな夏が続くなんて。・・・でも、冬はもっといやだよ。

(Youtubeに登録のchargertomに感謝)

(本ブログ関連:"ナット・キング・コール")

2012年8月31日金曜日

クレイジーラブ

最近、トタン屋根を見ない。陽に焼けた屋根の上で泣く猫を見ることもない。暑さにみんな逃げ出した。わたしも、駅のそばのマクドナルドで涼をとることにする。ここは冷風がきついので、ホットコーヒーのMサイズを頼む。店内に親子連れが、それも父と子が結構いた。幼い子の「おいしいねえ」という声が聞こえてくると、何だか心が和む。そんな、のんびりした避暑とは別に・・・。

昨日の「クレイジーホース」のクレイジーつながりで、今日は恋狂い(恋に夢中)の歌、ポール・アンカPaul Anka)の「クレイジーラヴ(Crazy Love)」(1958年)を聴こう。ああ歳をとると、このクソ暑いときに、クレイジーラブといっても暑苦しい・・・と思うようになってしまった。他方、若者は元気で良い。

ポール・アンカは視覚的というより、どちらかといえばラジオで聞いた聴覚的な存在だった。だから、この歌はYoutubeで、静止画の方が似合っている。
ところで昔、写真で見た彼の容姿から、てっきりイタリア系だと思っていた・・・。

(Youtubeに登録のJunievelascoに感謝)

2012年8月30日木曜日

クレイジーホース

今日も一日暑く、外出すれば吹き出る汗でシャツが濡れてしまい、乾かす場所を探すのに大変だった。
 
最近、外出のヒントをいろいろと与えてくれる親類の紹介で、今夕Bunkamuraのル・シネマに映画「クレイジーホース・パリ」(監督フレデリック・ワイズマン:Frederick Wiseman)を見に出かけた。
 
谷底にある渋谷の街は、暑いうえに若者たちの人混みと熱気で息苦しい・・・本当に。
 
上映時間まで間があるので、Bunkamuraのザ・ミュージアムで開催のロシア革命前の画家「(イリヤ・)レーピンИлья́ Ефи́мович Ре́пин)」展を観覧する。惜しいことに、彼の代表作*のほとんどは出展されていない。せめて今回提携のトレチャコフ美術館所蔵の(まるで広角レンズで映じたような大衆のどよめきが聞こえる)ダイナミックな「クルスク県の復活大祭の十字行」が展示されていたら。
(*)「ヴォルガの舟曳き」、「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック」(共にロシア美術館所蔵)
 とはいえ、現物のデッサンを間近に見て、どうしてこんな筆致に描けるのだろうと感嘆するばかり。
 
そんな、ボルガの船曳きに代表される、ロシア革命前の苦難の時代からいきなり、現在のパリの別世界「クレイジーホース」に飛び込んだわけだ。題名のクレイジーホースは、紳士淑女や観光客の目を楽しませるパリのナイトスポットである。
 
正直いって、イ・ソンヒとは全くの別世界で・・・戸惑いっぱなし。
 
映画の中のダンサーの会話、制作者たちの議論をとらえたドキュメンタリー手法は、観客にいろいろと考えさせるのだろうが・・・残像にあるのは、おじさんとしてはダンサーのヒップ(お尻)とウェスト(腰)だけだ、やっぱり。
 
クレイジーホースの総支配人は、シルクド・ソレイユで12年間働いたそうで、そのあたりから、同舞台の監督をつとめたフィリップ・ドゥクフレ(Philippe Decouflé)**との縁があったのだろうか。
(**)ドゥクフレは、何と31歳の若さで、1992年のアルベールビル・オリンピックの開会式・閉会式の演出を担当している。当時の映像をYoutubeで見ると、演出にシルクド・ソレイユのイメージが重なる。
(Youtubeに登録のplaythefutureに感謝)
なお、彼に関する情報および来日の契機と関わりについて、親類からいろいろ話を聞いている。
 
映画の前半に、ドゥクフレはおおいに持論を語っていたが、後半になるとそれがどんどん少なくなっていった。(単に編集の都合ということだけとは思えない)
ダンスの「演出」という監督者のドゥクフレと、若手の「芸術監督」のアリ・マフダビとの関係が気になる。それは、彼らの役割・仕事の分担というだけでなく、人生の立場と考え方について・・・。
 
ドゥクフレが、アルベール・オリンピックの開・閉会式の演出を周りから任されたときのように、若手の芸術監督に対するものがあったのではと推測したが考えすぎだろうか。現在、50歳のドゥクフレと38歳の芸術監督アリ・マフダビの間柄だ。
 
アートの現場と同時にいろいろな人生も垣間見えたようなドキュメンタリーだ。


(付記)
クレイジー・ホースの名から、米国のネイティブ・インディアンのオグララ・スー族の戦士で英雄である「クレイージー・ホース」(Crazy Horse、1843年~1877年)を思い出す。彼がシッティング・ブル(Sitting Bull)とともに、インディアン掃討を図る米国第7騎兵隊のカスター将軍(George Armstrong Custer)以下を、1876年6月25日にリトル・ビッグホーン(Little Bighorn)で全滅させたことは、子どもの頃に西部劇映画の洗礼をうけた者なら知らない者はいない。

(補足)
茶の間のテレビ番組でも西部劇中の騎兵隊は容赦なかった。それが道義上許されなくなると次に登場したのが、第二次大戦の戦争もの(例えば「コンバット」(Combat!、1962年~1967年))だった。そこでは、米兵の銃弾に ドイツ兵が、まるで西部劇を繰り返すように次々もんどりうって倒れた。
ちなみに、イ・ソンヒの生まれた1964年に上映された映画「シャイアン」(Cheyenne Autumn)は、時代の風潮をうけて、以前の西部劇とは違った視点で作られるようになった頃のものだ。

(本ブログ関連:"映画の記憶")

2012年8月29日水曜日

イ・ソンヒの「一輪菊」

イ・ソンヒのアルバム9集(1994年)の第一曲目に所収の、アルバムタイトル曲でもある「一輪菊(한송이 국화)」(作詞チェ・ユジョン、作曲ヤン・ムンソン)がYoutubeに登録されているので聞こう。

既に記したものと重複するが次に記す。
黄色い花びらの一輪の野菊を眺めるとあなたを想うよと、東洋的な余韻をもって始まるものの、すぐにロックスタイルに力強く展開する可愛らしくも元気な歌だ。そう、照明の色も・・・。
ある意味、彼女の変曲点でもあった、伝統音楽(国楽)と接点をもったアルバム8集の次にチャレンジしたのが、このアルバム(9集)だったわけだ。
ところで、彼女は高校時代にハードロックに凝っていたという・・・なるほど。

(本ブログ関連:"一輪菊")



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2012年8月28日火曜日

みつばちの記憶

思い出というのは実際不確かなもので、母親の背におぶられた写真から、記憶の底にあるとは思えない背景の町並みを定着して確信に変える。幼ければ幼いほど、原風景や心象は刷り込みに似て形作られるのかもしれない。

それでも、そんな親が伝える写真や言葉もないのに、自分だけの心にある光景がある。
ずっと幼い3、4歳の頃だろうか、母の干す白いシーツがまぶしい、そんな小さな庭先に咲いたヒナギクの花弁に蜜を求めて飛んでくるみつばちを素手で捕まえていたのだ。それも、手のひらに包むほどにたくさん。不思議なことに、みつばちはどれも刺さなかった。まるで眠るようにじっとかたまっていたのだ。
そんな思い出は、思い込みで作られたのではと解してしまいそうだが、間違いのない懐かしい記憶だ。

公園の花壇にみつばちを見るたび、手のひらにじっと一緒にいたみつばちの記憶がよみがえる。

2012年8月27日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ノムルマチ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/22)に、人物シリーズ42回目として国楽創作演奏グループ「ノルムマチ(노름마치)」を紹介した。

ノルムマチとは?の紹介から始まった。
・公演やコンサートのステージの最後を、最も人気ある人がつとめるトリ文化は、古今東西問わず、韓国もそうである。朝鮮時代に、男寺党牌(ナムサダンペ、남사당패)という放浪芸人一座があり、その中でも最も芸に優れて最後に登場する人物を「ノルムマチ(노름마치)」と呼んだ。ノルム(노름=遊び)と、マチ(마치=終える)の意が合わさり、「共に遊ぶ時間を終える人物」を指す。
・1978年に誕生した「サムルノリ사물놀이)」のメンバー、イ・グァンス(이광수)が呼びかけ人となり、1993年に「イ・グァンスとノルムマチ」が誕生。
・ノルムマチが一般に知られたは、2005年の(燕山君と男大道芸人(クァンデ、광대、広大)を組合わせた)映画「王の男」におけるクァンデの演技指導や出演がきっかけという。・・・当方未見。
・代表やメンバーは変遷して・・・現在、パンソリ専門のキム・ジュホン(김주홍)が代表兼芸術監督を務め、これにイ・ホウォン(이호원)、オ・ヒョンジュ(오현주)、キム・ジョンミョン(김종명)の3人のメンバーが加わり活動を行っている。

▼ノルムマチによる「ピナリ(비나리-축원)」を聴く。ここでは日本の民謡に韓国のリズム(サムルノリ)を合体したような・・・。

▼ノルムマチによる「打(타징)」を聴く。銅鑼の音とテビョンソで始る、どこか宗教的な音色にアレンジが加わり始めたところで・・・この先どう展開するのだろうか聞きたい。

ノルムマチの基本的な特徴を次のように解説されている。
・彼らの音楽がより特別なものに感じるのは、安易に他国の楽器をとり入れたり、公演形式を崩したりすることなく、韓国の伝統楽器やメロディー、長短(장단)を基本とした音楽で人々の心を惹きつけているからではないでしょうか。

▼ノルムマチによる「ノルムマチシナウイ(시나위)」を聴く。これも総合化という複層的な響きがするものの・・・躍動感に溢れている。
(本ブログ関連:"韓国の風景")

2012年8月26日日曜日

西沢鉱山2012

2月に風邪をひいてすっかり体調を崩して以来、初の鉱物採集に出かけた。
栃木の鉱物仲間と一緒に、栃木県塩谷郡栗山村にある西沢鉱山(金山跡)を訪れる。前回来たときは、堆積物で埋まったダムを越えて、岩の転がるゆるい沢を登っての採集だったが、今回はかつて大規模鉱山(金山・銀山)跡地の湯川橋近辺での採集である。

採集目標である代表鉱物(マチルダ鉱/自然金、濃紅銀鉱、淡紅銀鉱)には、またしてもお目にかかることができなかったが、一応成果物は次の通り。

・玉髄、水晶、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、・・・ああ、それだけとはいえ、無事復帰できたことは喜ばしい。

ところで、今日の採集を始めた場所で、なぜかアサギマダラがわたしの周りを飛翔して、肩や背にとまり、終いには手の甲でしばらく羽を休めていた。次の採集場所に移ろうとすると、蝶は姿を消した。とても不思議な経験をした。

(本ブログ関連:"西沢鉱山"、"机上鉱山道具採集")

2012年8月25日土曜日

デザインサロントーク

以前、旧知が広告代理店にいて、地方公共団体などと一緒に、地域おこしや町おこしのイベントを総合的に企画していた。時代の趨勢に大きく影響されるそうで、果たして現在はどのような状況だろうか。

ところで、個々のお客(クライアント)とデザイナーの関係は、時代に関わりなく存在するわけで、そんな現場の話を、銀座松屋で開かれている「みつばち先生 鈴木輝隆展 咲いている花は絶対見逃さない」*のデザインサロントークで聞かせていただいた。
(*)実はこれも以前、東京大学総合研究博物館の特別展示「生きる形」を教えてくれて、図解事典「骨単(ホネタン)」の出版に関わっていると遠縁から紹介された。

アートに無縁の素人ゆえ、今日のトークで聞いた話を何かに転化できるわけでもなく、その場その時うなずくだけであるが・・・とはいえ実際に作製に当たった温泉のポスターやワインラベルのデザインの経緯から、クライアントに対するデザイナーの真摯な態度を知ることになる。
最後に「問題解決」という言葉があったが、司会者がデザイナーを(いわゆる)コンサルとは違いますよといっていたのが可笑しい。

ああ、それにしても今日は暑かった。帰り道、乗換駅の荻窪で立食いの冷やしたぬき蕎麦を食う。美味かった。

2012年8月24日金曜日

イ・ソンヒの「あなたが私を愛されるなら」 フルート前奏

イ・ソンヒが、「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」(歌詞)の始まりにフルートを奏でる、1994年秋(9月)のコンサート映像がYoutubeに登録されているので聴いてみよう。(なお同曲は、1991年のアルバム7集に所収)

彼女のフルート演奏を初めて見た。ステージに工夫を加えようとチャレンジしている。そういえば、2009年、ソウルのCOEXオーディトリウムのコンサートでも、ギターやキーボードを演奏して歌っていた姿を思い出す。

(本ブログ関連:"あなたが私を愛されるなら")



(Youtubeに登録のToko5766に感謝)

2012年8月23日木曜日

千年鶴

映画「風の丘を越えて ソピョンジェ(西便制)」(1993年)の続編にあたる、映画「千年鶴(原題:천년학)」(2006年)を、 韓国文化院ハンマダンホールで見る。両編ともにイム・クォンテク監督の作品である。

それぞれ生い立ちの違う二人が、姉弟としてパンソリ師匠に育てられる映画「風の丘を越えて 西便制」は、パンソリのひそかな伝承を神話のごとく描いたからこそ、人々の共鳴を得たのだろう。姉と弟のその後を、プロットに追いつくように語られる「千年鶴」には、期待されるような幻想はなく、生身の人生だけが横たわる。
盲いた姉を探し求める弟に、果たして理があるのだろうか・・・人生を経るということは、つまり離別したときのままではない自身の理を問われることでもあるようだ。

KBS WORLDの「国楽の世界へ」は何度となくパンソリを聞かせて、その歴史を教えてくれる。そんなパンソリが物語の、それも庶民感情ままの場面で歌われると、今までと違って聞こえてくる。

(本ブログ関連:"西便制")

2012年8月22日水曜日

イ・ソンヒの「愛しただけなのに」

イ・ソンヒのアルバム10集 「First Love」(1996年)所収の第1曲「愛しただけなのに(사랑했을 뿐인데)」(作詞・作曲イ・ソンヒ)が、Youtubeに登録されているので聴いてみよう。彼女の独特な高音の特性を抑え、全体にしっとりした歌い方にして・・・やがて引き込まれるだろう。
彼女が本格的にシンガーソングライターに変身したといわれるこのアルバムは、ほぼ全て彼女が作詞・作曲したものである。

(本ブログ関連:"愛しただけなのに")



(Youtuに登録のhirekatu3に感謝)

2012年8月21日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 安翡翠

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/15)に、人物シリーズ41回目として京畿民謡の芸能保有者、安翡翠(アン・ビチィ、안비취、1926年~1997年)を紹介した。

古来ひとびとは歌と踊りを好んできた。今も宴会の席に欠かせない曲の紹介から始まった。

▼安翡翠の歌による「倡夫打令(チャンブタリョン、창부타령)」を聴く。掛け合いでなく独唱で聞かせ、地味ながら次第に踊りを誘う雰囲気がする。

この「倡夫打令」について次のように解説された。
・ソウル、京畿道地域で、占い師の巫堂(ムーダン、무당)がお祓い(クッ、굿)のときの歌が元になり、歌や踊りの神である倡夫(チャンブ、창부)を慰める際に歌われたという。日頃生活は厳しくとも、神と共に歌い踊り楽しもうという、庶民の切実な心情が伝わる一曲・・・とのこと。

次のように安翡翠のプロフィールが紹介された。
・1926年 ソウルで雑貨店を営む裕福な家に生まれる。
・13歳のとき、家出を決行し、正楽教習所に入る。
・1975年 李銀珠(イ・ウンジュ、이은주)、黙桂月(ムク・ケウォル、묵계월)と共に、重要無形文化財第57号、京畿民謡の芸能保有者に指定され、主にこの3人で音楽活動を行って、<安翡翠、黙桂月、李銀珠>の名で呼ばれる。
・1997年1月 没す。弟子のイ・チュンヒ(이춘희)が師匠の歌を引継ぎ発展している。

さらに安翡翠の名について次のような紹介がされた。
・安翡翠の本名は安福植(アン・ポクシク、안복식)である。福植は、韓国で男子の名だが、安翡翠のすぐ上の姉が幼いころ亡くなったため、次の娘は健康で長く生きて欲しいという両親の願いから授けられたという。
・翡翠の名は、16歳で初めてテレビ出演した際、師匠がつけた芸名である。翡翠*は、鳥の名前で、鳥のように美しい声で歌って欲しいという思いが込められている。
(*補注)ちなみに宝石のヒスイも、「翡翠」の字があてられ、原義は中国で元々鳥の「カワセミ」を指す言葉とのこと。

▼安翡翠、黙桂月、李銀珠の歌による「小春香歌(ソチュニャンガ、소춘향가)」を聴く。ゆったりと歌うホモフォニーの調べ・・・恋の歌なのかなあ。

この「小春香歌」について次のように解説された。
・「京畿雑歌」といわれる歌のひとつで、重要無形文化財に指定された。京畿民謡は、よく耳にするアリランやトラジタリョンなどではなく、京畿雑歌に属する曲を指す。京畿雑歌はこれまでに12曲が伝承されて「京畿12雑歌」とも呼ばれ、また舞台に座って歌うため、座唱(좌창)と言われることもある・・・とのこと。

▼安翡翠の歌による「悔心曲(フェシムゴク、회심곡)」(回心曲)を聴く。以前、松庵和尚の紹介のときに聴いたとき民謡風な感じがしたが、今回は宗教的な響きがしてくるのも不思議。
・・・イ・ソンヒと縁のある、宗教曲"梵唄"をいつかしっかりと聴いてみたいし・・・そんな機会が欲しい。

2012年8月20日月曜日

プロペラカフェ

今日の暑い日中、先週(8/16)行ったばかりの調布飛行場に再び訪れ、空港内のレストラン「プロペラカフェ」に寄って昼食をとることにした。

最初に目にしたのは、月曜日のためか、空港北側でNCA(新中央航空)の高翼双発機ドルニエ228が3機もならんで(掃除?をして)いる光景だ。

前回、旅客ターミナルの待合室に行ったとき、コーヒーを飲める場所が見つからず、帰宅後インターネットで調べたところ、プロペラカフェを知った。旅客ターミナルを更に南側に進むとAEROTECの表示のある建物があって、その1階にプロペラカフェがある。

同カフェ窓側席から、飛行場の様子を見ることができる。早速そこに座って、ランチメニューからベーコンエッグバーガーをいただく。一言で、ボリュームあり過ぎ。とはいえ、フライドポテトをゆっくり(時間をかけて)つまみながら、窓から直ぐの所に駐機している単発機2機種の姿を見る。
・JA72XL: Liberty XL2 ・・・ とりあえず、そのママじっと待機。
・JA4022: SOCATA、TB-21・・・ 整備の仕上がり点検のようで、昼食中ずっと、エンジンを吹かしたり、水平尾翼昇降舵を上下したりと、いろいろ観賞させてもらった。

(Youtubeに登録のtokinohitotokiableに感謝)

(本ブログ関連:"調布飛行場")

2012年8月19日日曜日

サーカスの「Mr.サマータイム」

暑い今日は、懐かしく、それでいて今なおお洒落な歌である、サーカスの(本格)デビュー曲「Mr.サマータイム」(1978年)をYoutubeで聴いてみよう。

デビュー当時、かれらの洗練されたコーラスにひかれた。軽快で透明感のある歌声が心地よかった。それは、端正な合唱でもなく、ムードあふれる歌謡でもない、新しくてとても新鮮な響きがした。テレビの歌番組でも、彼らの存在は独特な輝きを持って抜きんでていたような気がする。そして、TV画面のなかに、なぜか(長女)叶正子の姿ばかり見ていたのを思い出す。



(Youtubeに登録の70idle80に感謝)

2012年8月18日土曜日

天気雨

昨日観覧した江戸東京たてもの園の「武蔵野の歴史と考古学」展は、今日、東京都埋蔵文化財センターの研究員によるスペシャルトークがあり、再び出かけた。
スペシャルトークのタイトルは、「ギャラリー展『縄文中期の様と美』を中心に」とのことで、縄文土器の形状や装飾模様から同時代の美意識が聞かれると期待したが、とても慎重で素人受けするような言葉はほとんどなかった・・・研究者として誠実であることを後で納得する。

ところで、装身具の展示品については次のように語られた。
・白い貝の中心をくりぬいて作った貝輪(腕輪)は、「見た感じ小さく思われるが、子どものときから身に着けさせたようだ」とのこと。
・耳飾りにいくつか大小のサイズがあることについて、「(シャーマン家系で子どもの頃から)ピアスのようにして、小さいものから大きなものへと順に装着したようだ」とのこと。5cm位のサイズはある、国指定重要文化財の「土製耳飾」(縄文時代晩期)*が耳に飾られたのもうなづける。この「土製耳飾」は、弁柄(べんがら、赤鉄鉱:酸化第2鉄)によって赤茶色に色付けされているそうだ。

(*)「多摩の博物館に行こう - デジタルアーカイブ」(#21)に次のような解説がある。
・この耳飾は、昭和43年(1968)に調布市下布田遺跡から出土しました。今から約2500年前の縄文時代晩期の遺跡で、京王線の布田駅から南へ1.5km、多摩川に沿った大地にあり、その中心部は国指定の史跡として保存されています。
この耳飾の製法は、粘土が生乾きの段階を見計らってタイミングよく削って形を整え、焼いた後、樹脂に混ぜた赤色顔料のベンガラを塗って仕上げられたものです

(本ブログ関連:"武蔵野の歴史と考古学")

帰り道、五日市街道沿いのマクドナルドで休憩した後、外に出て空を見ると、空の西半分太陽光に明るく、東半分がうす曇の境目になっていた。そして次第に天気雨(狐の嫁入り)になった。それまで暑さにうんざりしていたので、雨宿りすることなくそのまま雨道に出た。
からっとした空気のなかに降る雨は、いつもの雨と違っていた。濡れるに任せて進むうち、雨は次第にやみ、しばらくすると濡れた衣服と髪が乾きはじめたのだ。しばらくしてすっかり乾いたことはいうまでもない。こんなことは初めての経験かもしれない・・・なるほど、相の入り混じる微妙な場の出来ごとだ。もしかしたら、向こうの木立の奥で狐がコンと鳴いていたかもしれない。