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2017年9月8日金曜日

今年も残り1/4

毎度のことながら節目ふしめに、一年の経過を「リンゴ」の実の食べ具合に例えている。9月に入れば今年も残り1/4、あと4ヶ月しかない。3/4も食ってしまったことになる。それにしても、秋になったばかりというに、新聞広告には、正月の「おせち料理」の予約広告が掲載され、店には来年の「カレンダー」が並び始めた。

(本ブログ関連:”リンゴ”)

書店に、年賀状印刷のムック誌が平積みされるのも遠くない。その前には、なぜか若者が好きな「ハロウィン」、子どもたちに待ち遠しい「クリスマス」があるというに。そして、渾然一体となって年末を迎え、元旦には、神社に初詣に行く。

ところでリンゴについて、戦後、再生と復興を願った、並木路子、霧島昇の「リンゴの唱」(作詞サトウハチロー、作曲万城目正、1946年1月)がある。リンゴは癒しであり、ある意味出発点でもある。


(Youtubeに登録のuchukyoku1に感謝)

さて、今日のテレビの重大ニュースに、「太陽フレア」の話題があげられた。週刊誌の大スクープとでもいうべき、もっと世俗な関心ごとがあったけれど、その順位を下げるためか「磁気嵐」の方に焦点が当てられた。結局、東京でオーロラが見れるわけじゃなし、その場限りになりそうなものを。

2017年9月7日木曜日

白露 2017

きょうは二十四節気の「白露」。旧暦、新暦の入り混じりから起る混乱だろうか、残暑のせいか夏の気配も冷めやらず。白露から《露が生じるころ》の意が馴染めない。なにしろ今日は、旧暦でいえばまだ7月17日なのだから。

(本ブログ関連:”白露”)

「白露」の言葉から「白露西亜(ベラルーシ)」が浮かんでくる。しかし、ベラルーシの国について茫(ぼう)としてよく知らない。地理的に東西南北を、ロシア、ポーランド、ウクライナ、バルト三国(のラトヴィア、エストニア)に囲まれていること、国境線間近にあるウクライナ側「チェルノブイリ」の原子力発電所事故による被災国だったということくらいだ。

(本ブログ関連:”ベラルーシ”、”ウクライナ”)

どんな国なのか知るため、まずは手軽に、ベラルーシで開催されたと思われる「日本語スピーチコンテスト」のYoutube映像を視聴した。発表者が日本語で語るのを聞いて、なんとなく身近に感じてみよう。それが一番の近道。

(それにしても日本語が大変上手ですね)

(Youtubeに登録のベラルーシ国立大学日本語科・古澤晃講師に感謝)

(付記)
上記登録者の古澤晃氏は、ベラルーシ在住だからこそ語れる言葉があって、被災地を知るため現地を視察した「善意の観察者」日本人たちと、「見られる側の被災者」との微妙な関係を報告されているようだ。
日本では、公害被害者への補償に対する周辺住民の見方・とらえ方、また、反公害運動に加わった結果、現地に土着した学生たち。「善意の観察者」たちの言葉とは違った、いろいろなものの見方があることを忘れてはならない。

2017年9月6日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」初数大葉

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「初数大葉」ほか関連する曲を紹介した。(Web音源が前々回のため、英語版放送の音楽を参考にする)

始めに、「伽倻琴(カヤグム、가야금)」作成の祖、伽耶の「于勒(ウルク、우륵)」について次のように紹介された。
・6世紀半ば、古代国家伽耶の「于勒」は、中国の箏を模した「伽倻琴」を初めて作り演奏した。彼は、伽耶が新羅に滅亡されると、伽倻琴と共に新羅に亡命する。新羅王真興は彼を受け入れ、若者たちを彼の弟子にしたが、彼らは于勒の音楽を改編し自分好みに奏でた。伽耶の文化を台無しにされたと感じたのか、于勒は怒ったが、弟子たちの演奏に感嘆したともいう。
・残された記録から、于勒や弟子らの音楽を想像するのは難しい。滅びた国の音楽を継承させるために弟子たちを育てたのか、或いは弟子たちの音楽が素晴らしかったのか。楽しくも楽し過ぎず、悲しくも悲し過ぎぬ音楽。感情を刺激するより、安定的な音楽を好んだ。

▼ 伽倻琴演奏で、伝統正楽曲「数大葉(수대엽)」の最初の「初(초)数大葉」を聴く。空気に溶け込むよう。

次に、世宗大王が直接作曲したといわれる「宗廟祭礼楽(종묘제례악)」について次のように紹介された。
・朝鮮時代、世宗大王の作曲といわれる「宗廟祭礼楽」がある。最初は、王室の宴で奏でたという。それを息子の世祖が手を加え、祭祀を捧げるときの音楽として演奏し始め、今日にいたる。平和な世を願う気持ちが込められている。

▼ <ゆっくりと雄々しく優雅なテンポとリズム>の「宗廟祭礼楽」を聴く。雅楽を思わせる雅さ。

最後に、貴族音楽とは別に、民の音楽について次のように紹介された。
・伝統音楽は、貴族音楽と民の音楽に二分される。上記の2曲の節制した貴族音楽に対して、民の音楽は感情の変化に満ちる。民は、心と体が反応する、感情を刺激する音楽に惹かれただろう。貴族と民の両方、それぞれの目的に合った音楽だった。

▼ 民俗音楽を代表する、横笛の大笒(대금)による「元長賢(원장현)流、大笒散調(산조)」を聴く。洗練されている。

2017年9月5日火曜日

待宵草

マツヨイグサ待宵草)」は、初夏から晩秋にかけて黄色い花を咲かす。その仲間に白い花弁の「ツキミソウ月見草)」がある。いずれも名前だけは、しっかり頭にあるものの、実際、いつ何処で見たかはっきりしない・・・けれど、見たような気分だけは確かにある。

この「待宵草」の文字を並べ替えて作られた、竹久夢二作詞、多忠亮作曲の「宵待草」(1917年、大正6年)は、微風に揺れ動く待宵草のイメージの通り、儚(はかな)げである。旋律からして、いかにも大正浪漫の香りする。夢二の周りの女性を写真で見れば、彼の挿絵に似た雰囲気がある。当時、美人にあげられた柳原白蓮のごとく、実はもっと奔放な女性たちだったのかもしれない。単に、夢二がだらしなかっただけかもしれないが。時代は斯様に作られる。

(本ブログ関連:”竹久夢二”)

元は、或る女性との再会を期待した夢二の原詩があってのことだそうだが、歌曲になれば、夢二式美人に似つかわしい、いかにも消え入りそうで華奢な女性が、月明かりのない夜を待ち続けるイメージする。

ちなみに、端唄の「秋の夜」は、丸い月明かりのもとで男を待つ女性が浮かんでくる。端唄という江戸の気風を漂わせ、どこかおおらかで、のんびり構えた世界。(「秋の夜」のYoutube登録者の注記によれば、また違った場面が想起されるが)


(Youtubeに登録のakiraplastic5、ototatchinuru18に感謝)

2017年9月4日月曜日

ヤン・スギョン「イ・ソンヒが曲を書いている」

以前、耳にしたことのあるメロディ、聞けば思い出すが、さていつ何処で? そんな歌に、ヤン・スギョン(양수경)のトロット風味のある「あなたはどこにいるの(당신은 어디 있나요)」(1990年)がある。ヤン・スギョンとイ・ソンヒの深い友情については、以前ブログに紹介している。ちなみに、ヤン・スギョンはイ・ソンヒより一つ歳下で、1965年生まれである。

(本ブログ関連:”ヤン・スギョン”)

その彼女が、3日午後放送のMBC「セクションTV芸能通信」で次のように語ったと、中都日報の記事「『セクションTV』 ヤン・スギョン、これからの活動計画は? ”イ・ソンヒが曲を書いている” 」(9/4)は伝えている。(抜粋)

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ヤン・スギョンは、イ・ソンヒと親しいあいだがら。これについて彼女は、「イ・ソンヒは、最も苦しかった時、何も言わずに『通帳番号、知らせて』と語る友」と話した。それと共に「ソンヒが私の曲を書いている。イ・ソンヒの曲で、そのうちにご挨拶するだろう」と表明した。
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来る8~10日に、ヤン・スギョンのコンサートがあるという。そのとき、イ・ソンヒの作った曲が聞けるかもしれない。

2017年9月3日日曜日

(雑談)雑誌を分冊すること

昔、「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」といった週刊少年漫画雑誌が華やかなころ、連載漫画ごとに雑誌をバラして合冊するという、面白い工夫をする奴がいた。週刊誌の紙質と同じサイズのままもう一度読み返せるのがみそだ。それを、兄弟で楽しんでやっていたという。漫画雑誌は読み捨てのようなものだったが、好みの連載を合冊するアイデアに感心した。(私はいい読者じゃなかったので、そのようなチャレンジをしなかったが)

また、どこかで聞いたか読んだ話しだが、ある作家が旅の途中、(月刊)文芸誌を読むのに部厚過ぎるので分冊して、手軽にして読むという。なるほど、それもうなづける。

私も真似して、一通り読んだ雑誌(例えば月刊誌「文芸春秋」)をしばらく置いておくが、廃棄する前に手ごろの厚さにバラしている。それを家の中のあちこちに置いて、気が向いたら拾い読みする。

面白いことに、ちょっと前の話題について、その時期らしく書いているが、やがて時間が経過して、今となってそれが果たして正確に世情を読みとっていたのか判定するという楽しみがある。じっくり書き込んでいるもの、散文程度の流し書きも含めてどうであれ、寄稿者の感度が分かるようで、皮肉な読者の目を養ってくれる。


(付記)
鉱物採集をしばらく休んでいる。久し振りに石仲間と会食しようと選んだ、おじさんにぴったりの、カレー屋も喫茶店も日曜休店とは・・・。

2017年9月2日土曜日

狐にだまされる

随分と涼しい一日、半袖から長袖に変えて過ごした。こうなると冷蔵庫の麦茶を忘れ、熱い緑茶を飲んでほっとする。この変わり身の早さ、自然さに驚く。

それでも、はた目に今までと違った動作をしているわけだが、自分は変わっていないと主張する。ついには苦しまぎれに「狐にだまされた」といいわけするしかないのか、本当にそう思っているのか。

山暮らしの長い猟師でさえ、猟場の道筋を間違えることがあるという。しばらく振りに入った山道で行方不明となり、ようやく戻ってくれば「狐にだまされた」ことで結着する。回りがそういい、本人もやがてそう思い込む。みな納得する。

(本ブログ関連:”山怪”、”黒部の山賊”)

山道で一休憩がいけなかったのか、一瞬のめまいか白昼夢か、意識が遠のいて目の前の光景がゆがみ、記憶とは別の道に誘い込まれる。自分は変わっちゃいないと歩き出し、そして道に迷う。

過信は、そうはいっても漠然としたものでしかない。景色が変わっているのに、思い込みにこだわるなら、「狐にだまされた」という結果を待つしかない。

2017年9月1日金曜日

イディッシュ語カセットテープ届きました

先日予約した、「イディッシュ語カセットテープ」が届いたと地元書店から連絡があった。携帯カセットプレイヤーを準備して出かけたのはいうまでもない。プレイヤーを手にするのは何年振りだろう。困ったことに乾電池が入ったままの状態。当然ながら化学変化していた。乾電池をこさぎ出し、新しいものに入れ替えたところ大丈夫だった。アナログ機器の凄さ、しっかり作動してくれたのだ。

書店で受け取ったカセットテープを、何処で聞こうかと思案する。図書館の学習室では、再生・停止ボタンの動作音がカチャ・カチャとうるさいだろうし・・・ということで、近所の公園にあるテラスで、風に涼みながら試し聞きした。(ヤブ蚊多く3ヶ所刺される)

男性の音声で、テキストの最初からしっかり対応して吹き込まれている。第1章以降の会話編は、速さが<ゆっくり>、<普通>の2種類が収められている。(贅沢いえば、会話を別々の声だと楽しいけれど)

音声を小出しに、リピートを繰り返しできるといいのだが。カセット音源をMP3プレーヤーで聞けるよう、変換できたらいいのだが。そんなデバイスもあるようだ・・・でも、昔はカセットに入魂集中して聞いたものだ。そう考えると、じっくり聞くことから始めようかと思う。

(付記)
今日は、「防災の日」、1923年(大正12年)9月1日に発生した「関東大震災」の日でもある。あまりにも有名な「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉をあらためてかみしめる。

二百十日 2017

子どものころ、台風の記憶といえば、親父が雨戸を釘で打ちつけて待ち受けたこと、伊勢湾台風を経験した転校生に被害をたずねるのを小学生ながらはばかれたこと。大人になって、居住地域のせいもあるが、最近思ったほどでないと楽観している。

温暖化の影響か台風の進路が一回転したり、強風になったりして様変わりした感がある。迷走というか、うろうろというか。「二百十日」と重なり台風時期とはいえ、その様態が微妙に変化しているのが気になる。

(本ブログ関連:”二百十日”)

台風15号は、いつまで小笠原諸島、父島周辺に居座るのだろうか。早く去れといいたいし、同時にこちらに近寄っても欲しくない。「ウェザーニュース」(8/31)によれば、「8月の台風存在日数は歴代2位を記録」しており、「9月前半は台風の発生ピーク」で注意すべきとのこと。

この一帯、真っ直ぐな道が続き、平らな場所と思っていたが、市の「浸水予想区域図」を見ると意外に凹凸があるのに気付く。

2017年8月31日木曜日

イ・ソンヒ「この雨やんだら」

雨の日だから、久し振りにイ・ソンヒの7集所収の「この雨やんだら(이 비 그치면)」(1991年、作詞/作曲ソン・シヒョン)を聴く。彼女らしい透明感あふれる美しい曲だ。それを編曲者は高音弦とガラス楽器だろうかを見事に駆使して飾っている。
(CDアルバムには編曲者名が不明だが、maniadbにクレジットがあって編曲者3名が記されている・・・どなたか)

今日のこの雨模様、いつ降り始めるのか、いつまで続くのか気掛かり。おじさんは雨を口実にするが、若い恋人たちにはそれが舞台。まったく違って見えるんだね。夏休みもそろそろ終わり。

(本ブログ関連:”この雨やんだら”)


この雨やんだら、あなたに行きますよ、
あなたよ少しだけ、待っててください

霧が晴れたら、私は見えるのよ、
あなたよ少しだけ、とどまってください

*濡れた顔であなたを見られません、
こんなに悲しい顔では、なおさら

この雨がやめば、その美しい陽射しが、私にも光を与えるよ、
その時は、私も笑えて、私の涙も止まるよ

(*以下、繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年8月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」桐

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「桐の木」に関連する曲を紹介した。

始めに、「男唱歌曲、言楽(남창가곡 언락)」の歌詞から学者ソンビと鳳凰について次のように紹介された。
・「男唱歌曲、言楽」に、恋人を待つ学者ソンビが登場する。<紗張の窓から、月明が満ちる庭に影が映つるのを見て、きたかと飛び出せば、鳳凰が梧桐(アオギリ)の枝に座っていた。夜が幸い、昼であれば笑いものになったろう>という歌詞。昔のソンビは、部屋近くに梧桐をよく植えた。太平を意味する鳳凰は、唯一竹の実を食べ、梧桐にだけ留まる。鳳凰が休むよう、太平を祈る気持ちを梧桐に込めている。

▼ <鳳凰の影に慌てるソンビの姿を想像して>、「男唱歌曲、言楽」を聴く。のんびりとして・・・。

次に、歌「バンムルカ(小間物歌、방물가)」のゆわれと桐について次のように紹介された。
・桐の葉は大きい。夏に日陰を作り、雨に濡れる音が大きい。普段、涼しい音だが、落着かぬ夜に寝そびれることもあるだろう。昔、息子を産めば松を植え、娘のときは桐を植えた。松の木は、子が亡くなる時に棺を作り、桐の木は、娘が嫁に行くときに家具を作った。桐は木目が美しく、軽く、湿気や火に強い良材だ。「バンムルカ」の曲がある。「バンムル」は、女性の部屋の家具や飾り物の意で、別れを告げた男が女性に、あらゆる豪華なものを買うとなだめるが・・・。家具や飾り物、桐製と思われる品などたくさん登場する。

▼ 京畿雜歌「バンムルカ」の歌を聴く。(物で心が納まるわけもなく・・・)

最後に、詩才があった妓生の「梅窓(매창)」と玄琴(コムンゴ、거문고)について次のように紹介された。
・桐は、よく響く特徴もあり、楽器の材料として使われた。撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)は、丸太の中身を削って作り、弦楽器の玄琴という琴は、裏側は栗、表は桐材で作る。中身を空けて音を反射させ響かす。妓生の梅窓は、詩才があり、普段玄琴をよく奏した。恋人の官吏が村を去ると、彼のために立てられた石碑の前で毎日玄琴を奏でた。そして、亡くなるとき、玄琴と一緒に埋葬して欲しいと遺言した。

▼ 「玄琴を奏でて(거문고를 타면서)」を聴く。奏法は今様に・・・。

2017年8月29日火曜日

ロバート・レッドフォード

昔、テレビ番組に「裸の町(The naked city)」*があった。渋い老練の刑事と彼に従う若い刑事が、ニューヨークの町で起る事件と取り組むストーリーだ。アクションというより、事件の深部に目を向け、犯罪に追い込まれていく人びとの姿をとらえたように記憶する。(* 「裸の町」: 日本語放送について【海外ドラマ番組ガイド☆テレプレイ】に解説あり、感謝)

(本ブログ関連:”裸の町”)

今も強烈に焼きついている回に、「ホームレスのための墓碑(Tombstone for a Derelict)」(米:1961年4月5日)がある。ホームレスを襲撃する、4人の若者たちが身にまとったのは、放送の16年前まで存在した狂気のサインだった。

子どもの目に、戦後がまだ終わり切れてなかった当時、ニューヨークの下町の荒れた界隈で、なぜホームレスを襲うのか、なぜ狂気のサインが必要だったのか、彼らが世に訴えようとしたのが一体何だったのか理解できなかった。彼らが凶行に走った心の闇は深かったのだろう。わずかな記憶でしか語れないが。

今回、このストーリーをネットで確認して驚いた。仲間のひとりを演じたのが、何と若き日の「ロバート・レッドフォード(Robert Redford)」だった。今なら役柄に躊躇するかもしれない。それが56年前の放送のこと、戦勝国の自信がまだ残ったことでテレビ番組ができたのか、あるいは、戦後も続いたいくつかの戦争(朝鮮戦争、アラブ・イスラエル戦争)も含めて残した傷を洞察したからだろうか。

No Ep Title                                  Directed by        Written by              Original air date
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60 21 "Tombstone for a Derelict" Elliot Silverstein Howard Ehrenman April 5, 1961
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Guest stars: Robert Redford as Baldwin Larne, ・・・
Four young men murder derelicts and don Nazi uniforms to "make a statement" about society.
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(Youtubeに登録のgmt3010に感謝)

2017年8月28日月曜日

(雑談)スッテンころりん

どうもこの世は、ままならぬ。といっても、大げさなことではない。小市民の恥ずかしいできごと。調剤薬局へ行く途中、自転車を転ばせてしまったのだ。久し振りにサドルを上げたのがいけなかった。ある裏路地の斜面で、Uターンしようとしたところ、足先が届かずスッテンころりん。したたか右膝(ひざ)と右肘(ひじ)を強打して擦りむいた。

調剤薬局*で、肘の擦り傷のため<大判>のバンドエイドを求めたが、「アンパンマン」パッケージしかなかった。思いっきり可愛らしいアンパンマンの絵柄付きだ。窮余の策、かまわず貼り付けたが、やはり人目が気になる。おじさんの肘に貼っているものが、まさかバンドエイドに見えないのではないかと・・・。
(* 調剤薬局 : ドラッグストアと違い、市販薬・関連商品の品揃えは十分でない)

帰宅して、膝も見ればけっこうな擦り傷。さっそく、肘と膝の両方を消毒し、以前購入してあった大人用バンドエイドで傷口を押さえる。とりあえずケガ人らしい出で立ちになる。

原因は、自転車のサドルを上げ過ぎたこと。危険だから下げろと、息子に散々注意されていた。それを守って何年振りか、ちょいと上げた途端こんな不様なことに。頭を強打しなくて本当に運が良かった、驚いている。

2017年8月27日日曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

夏休みもそろそろ終わり。先日、地元公園を巡れば、ツクツクボウシが鳴いていた。それにヒグラシが加われば秋である。残り4日間、小学生たちにとっては、宿題との格闘でさぞかしせわしいことだろう。

西の風に驚くほどではないが、夕方の涼みに秋の気配を感じるようになった。それが本格的になれば、季節感あふれる紅葉や栗の実など楽しみが広がる。もう心は秋にとんでいるようだ。うんざりしていた暑さを、すっかり忘れてしまったらしい。心移りというか、心変わりがあっけない。まあいいか、暑さはしみじみ感じるものでもなかったし。

秋を思うとき、イ・ソンヒの「秋の風(カルパラム、갈바람)」が聴こえてくる。この名曲、デビュー間もない、1965年の第2集アルバムに収められていたのは驚きだ。

(本ブログ関連:”秋の風(カルパラム)”)


小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」

今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ寂しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
行ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」


(Youtubeに登録のShield&Armor for Euna.Kに感謝)

2017年8月26日土曜日

ジリオラ・チンクェッティ

テレビコマーシャルで、最近、気になっているものが2つある。

ひとつは、Hachet(アシェット)の定期購読・モデル組み立て「JEEP」シリーズで、平均2号/月の配布予定らしい。@917円/号、想定最終号数110号とのこと、ざっと計算すると、総額10万円近くになる。正直、ひまと時間があっても手出しできそうにない。それに根気が続くかどうかも、我ながら怪しいし・・・。

もうひとつは、「ジリオラ・チンクェッティ」の来日公演が11月18、19日の両日開催されるそうだ。ユーロポップのひとむかし前、「シルヴィ・ヴァルタン」に代表されるフレンチポップや、ジリオラ・チンクェッティに代表されるカンツォーネブームが、アメリカンポップと違った新鮮さで迎え入れられた。

イタリアの「サンレモ音楽祭」(1964年)で、「夢見る想い」(Non ho l'età)を歌い優勝したのが、16歳のジリオラ・チンクェッティだった。当時の、なんとも初々しい彼女をYoutubeで見ることができる。ラジオやEPレコードジャケットでしか知らなかった彼女の姿を。
(ちなみに、イ・ソンヒはその年に誕生している)

(本ブログ関連:”ジリオラ・チンクェッティ”)


(Youtubeに登録のFrancisco Vitorianoに感謝)

2017年8月25日金曜日

石を通して

由緒ある場所に見かける石を持ち帰ってはならない。その地にまつわる、神話や民話につながる心の場所なのだから。もし内緒で持ち帰り、家の奥深く秘匿すると、石は次第に大きくなり、祟(たた)るかもしれない。災いは困る。罰当たりなことはしない。

石はあるべき場所に置いておくもの。とはいえ、石好きはいつの時代にもいて、他人の所有する石が欲しくなり、値を付けて売買を懇願したり、それが叶わぬとなれば、夜陰に奪い取って行方をくらます。石好き高じて、狂気が勝る。

それが、石から鉱物になれば、装いが変わる。自らコレクターといい、科学の言葉を駆使して、因習に打ち勝つ。背景に、シーボルトやダーヴィンが世界を巡ったと同様の、博物学的採集(征服)がある。コレクションを飾るのに、貴族社会があったし、時代が開けて自然史博物館が登場する。

石を通して何が見えるか、何が聞こえるか。今の時代、石を科学の世に投影するスクリーン(公開)がある。昔は、見る者、聞く者が、独特に占ったり、奇怪な現象について語った。

大きな石に空いた穴に、そっと耳を当てよう。そこから何やら人の声が聞こえてくるそうだ。

2017年8月24日木曜日

イディッシュ語カセットテープ予約しました

(教室の休みに)取り組んでいる「エクスプレス イディッシュ語」(上田和夫著、白水社)は、別にカセットテープの音声教材がある。同「エクスプレス」シリーズは、現在、タイトルを「CD エクスプレス」と付し新シリーズに衣替えしている。残念ながら旧シリーズの「イディッシュ語」は、CD版として発行されていない。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

従って、音声教材はカセットテープが唯一となる。出版元にたずねたところ、幸運にも入手の手配いただき、昼過ぎ近所の書店に予約した。(夏季休暇をはさむため)9月初に届く予定。

こうなると、カセットテーププレイヤーが必要になるが、当然ながら、おじさんはちゃんと持っている。若い人に自慢したい。君たちはスマホを持っているが、カセットテーププレイヤーはないだろう・・・なんてね。

カセットテープでの学習は、何年ぶりだろう。どうやってやればいいかな。本当はMP3に落とせればいいんだが。ネットでうまい方法がないか、これから探してみよう。

(付記)
今日は暑かった。都心の最高気温は35℃に達しなかったが、地元観測点はわずかに突破し、夏らしい猛暑日になった。

2017年8月23日水曜日

処暑 2017

今日は二十四節気の「処暑」。例年この処暑に、夏の折り返しを感じたようだが、今年は長雨を抜けてようやく夏らしさが復活したばかり。後退どころじゃない。もしかすると、最高気温が、35℃になるやも・・・。

(本ブログ関連:”処暑”)

一日が終わって分かることだが、果たして「猛暑日」になるかどうか。ゆく夏を惜しみ、半分期待する。

(参考) 気温に関する用語: 気象庁
  ・夏日: 日最高気温が 25℃以上の日
  ・真夏日: 日最高気温が 30℃以上の日
  ・猛暑日: 日最高気温が 35℃以上の日

(追記)
結局のところ、今日の東京の最高気温は、33.7℃(真夏日)で、35℃以上(猛暑日)にいたらなかった。長雨でずっと続いた湿気が薄らぎ、Min.湿度 50の値を示した。汗はかくが過ごしやすい一日だった。

KBS WORLD「国楽の世界へ」瀟灑園

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、庭園「瀟灑園(소쇄원)」に関連する曲を紹介した。

始めに、朝鮮前期の隠棲者、梁山甫(양산보、1503年~1557年)の庭園「瀟灑園」について次のように紹介された。
・約500年前、学者ソンビの梁山甫がいた。若い頃、国家のため勉学に励んだが、彼の師が政騒に巻き込まれ毒殺刑に処されると、故郷に隠遁を始めた。全羅南道潭陽の蒼巖村(창암촌)に居を建てた。自然美を生かした「瀟灑園」の敷地に小川が流れ滝となり、その一部は竹のかけひを通り池となる。池に魚が泳ぎ、近くに小さな東屋がある。

▼ 横笛テグム演奏による「瀟灑園」聴く。景色が浮かぶように、今様に。

次に、「息影亭(식영정)」の美を表した鄭澈(정철、1536年~1594年)の「星山別曲(성산별곡)」について次のように紹介された。
・瀟灑園入り口に小さな東屋「待鳳台(대봉대)」(待鳳:大事な方の訪れを待つ意)がある。園の中に幾つか小さな建物があり、こじんまりしている。梁山甫は、瀟灑園を大層気に入り、子孫に<建て替えるな>と言ったほど。後の学者ソンビも、瀟灑園を見て詩作し、作品を残した。歳月が流れ、建物は小さく、或いは消えたりしたが、代表的園林としていまだに知られる。潭陽は、瀟灑園以外に自然美を楽しむ東屋がある。主なものに「息影亭」、「環碧堂(환벽당)」がある。ソンビはこれらの場に交流した。朝鮮時代の文人「鄭澈」も、作品「星山別曲」に息影亭の美しさを表現している。

▼ テグムとコムンゴ演奏で、<息影亭の美しさをモチーフ>にした「山韻(산운)」を聴く。緑深く、今様に。

最後に、江陵地域の「寒松亭(한송정)」の景色の美しさについて次のように紹介された。
・東屋は、柱はあるが壁のない、内外区分ない建物で、自然の一部に溶け込む。地域ごと有名な東屋があり、江原道江陵地域に「寒松亭」があった。今は消え去ったが、朝鮮時代に風流を楽しむ代表的な一つだった。寒松亭に、五つの月が浮く話がある。空の月、海の中の月、杯の中の月、瞳の中の月、そして、心の中の月。風流を楽しむに相応しい景色だったろう。

▼ <寒松亭の傍にある松で小舟を作り、舟に乗り美しい景色を楽しみたい>という「寒松亭(한송정 자진솔)」の歌を聴く。ゆるり巡り歩く・・・。

2017年8月22日火曜日

エルヴィス・プレスリーの再生曲ランク

アメリカンポップスから乗り換えることをしなかった最後の世代という自負が私にはある。ゆえに、そのシンボルは「エルヴィス・プレスリー」(1935年1月8日~1977年8月16日)に他ならない。今年で没後40年、日本でさほど話題にならなかったのがさびしい。

 (本ブログ関連:”エルヴィス・プレスリー”) 

(ビートルズ時代への)転換期のあのころ、本当はこうだったとか、秘かにこう思っていたと後飾りするような真似はしたくない。新しい波の乗りそこなっただけじゃないかといわれれば、そうかもしれない。だが、私には矜持がある。(?)

どうであれ、エルヴィス・プレスリーの数々のヒット曲は忘れられない。ロックを売り物にした歌手やバンドがそうだったように、結局はバラード曲が残る。プレスリーについて、その後の再生回数はどうだったか、ZAKZAKの記事「楽曲再生回数10億回! エルヴィス没後40年、一番再生されている曲は…」は、次のように報じている。(抜粋)

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スポティファイ」で、最も再生された曲は、61年の「好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love)」(再生回数9,000万回以上)だった。次いで、69年の「サスピシャス・マインド」(同6,900万回以上)、57年の「監獄ロック(同6,800万回以上)となった。
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そこで、イ・ソンヒが歌い始め、その後を追うように愛弟子のイ・スンギが登場してともに熱唱する、プレスリーの圧倒的再生回数を誇るバラード曲「Can't Help Falling in Love」を聴いてみよう。(イ・ソンヒの「22周年記念コンサート」:2006年、世宗文化会館)

(本ブログ関連:”Can't Help Falling in Love”)


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