今日から、当地(関東・甲信地区)は梅雨入り。夕方に動きの遅い前線がやって来て、雨音を絶やさない。梅雨の雨は、米にとって恵みの雨であり、慈雨であるから、わがままはいえないが、ちょっと気が重い。
古い歌謡に、喫茶店の窓辺に坐った若い二人が、窓ガラスを濡らす雨雫を見ながら・・・なんてものがあるけれど・・・ああ、古いなあ。おじさんには、カビの方が心配なのだ。
気象庁の「昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信」から、早くても7月初旬頃まで梅雨が続くことだろう。これから50日間ほどだ。
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年 梅雨入り 梅雨明け
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2010年 6月13日ごろ 7月17日ごろ
2011年 5月27日ごろ 7月09日ごろ
2012年 6月09日ごろ 7月25日ごろ
2013年 6月10日ごろ 7月06日ごろ
2014年 6月05日ごろ
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平 年 6月 8日ごろ 7月21日ごろ
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(本ブログ関連:”梅雨入り”、”雨”)
2014年6月5日木曜日
【多摩の代官】世襲代官と土豪的農民の郷村支配
地元公民館で、江戸時代初めの多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説する、法政大学大学院の馬場憲一教授の第3回目講演「世襲代官と土豪的農民の郷村支配」を聴講した。
(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)
江戸時代初期、1600年代後半までの身分構成について、第1回は代官頭の大久保長安を、第2回は代官頭配下の世襲代官である十八代官(高室一族)が紹介された。今回の第3回は、世襲代官と農民の間をつなぐ土豪的農民の存在について、次のように語られた。
江戸初期までは、勘定頭(代官頭)>世襲代官(十八代官)>土豪的農民>小農民という、土地に結びつく支配構成がされていた。その後、徳川の中央集権化に伴い1600年代末に至ると、世襲代官と土豪的農民による村落支配は終焉を迎えた。
-→ 世襲代官は、吏僚代官という任地を変わる役人変わる。
-→ 土豪的農民は、村役人という名主・組頭に変わる。
(感想)
北条一族の末裔が、関東地の農村に入り農民化したという話しがある。それを出自とした、土豪的農民へと実力を蓄えたのだろうか。そして、彼らを使って支配した、世襲代官は武田家の末裔が多かったことから、中央集権化をすすめる幕府としては、過去の力を嫌ったと考えられる。
支配するものと支配されるものの間には、過去の関係が一時期温存される。早急に新しい支配体制を確立するためには、都合がよかったに違いない。けれど結局、それは喉に刺さった小骨となる。徳川幕府は、用意周到にそれらを抜き去ったのだろう。
(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)
江戸時代初期、1600年代後半までの身分構成について、第1回は代官頭の大久保長安を、第2回は代官頭配下の世襲代官である十八代官(高室一族)が紹介された。今回の第3回は、世襲代官と農民の間をつなぐ土豪的農民の存在について、次のように語られた。
江戸初期までは、勘定頭(代官頭)>世襲代官(十八代官)>土豪的農民>小農民という、土地に結びつく支配構成がされていた。その後、徳川の中央集権化に伴い1600年代末に至ると、世襲代官と土豪的農民による村落支配は終焉を迎えた。
-→ 世襲代官は、吏僚代官という任地を変わる役人変わる。
-→ 土豪的農民は、村役人という名主・組頭に変わる。
(感想)
北条一族の末裔が、関東地の農村に入り農民化したという話しがある。それを出自とした、土豪的農民へと実力を蓄えたのだろうか。そして、彼らを使って支配した、世襲代官は武田家の末裔が多かったことから、中央集権化をすすめる幕府としては、過去の力を嫌ったと考えられる。
支配するものと支配されるものの間には、過去の関係が一時期温存される。早急に新しい支配体制を確立するためには、都合がよかったに違いない。けれど結局、それは喉に刺さった小骨となる。徳川幕府は、用意周到にそれらを抜き去ったのだろう。
2014年6月4日水曜日
イ・ソンヒの「雨降る街に立って」
まるで真夏を思わせる強い陽射しは、何かの景気づけだったのか。一年の折り返しに近づいたこのところ、垣根越しの紫陽花に目が向くようになった。通過点である梅雨は、都市生活者の勝手な思いだが、避けられない。玄関の傘は、減ることなく溜まり続けている。
東京の天気は、今日から下り坂で、早ければ平年(6月8日)より数日早く梅雨入りする可能性があるという。すでに、沖縄と奄美は先月中に、九州と四国は今月初に梅雨入りした。(気象庁:平成26年の梅雨入りと梅雨明け(速報値))
じめじめ湿気の多い時期、屋内にいると除湿機を動員する。正直、苦手なのだ。でも、そぼ降るなか、自然の景観には詩情がある。そして、そこへ織り込む想いは独特である。
途切れぬ雨に打たれながら、悲しみを癒し、流そうとする、イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)を聴いてみよう。雨音と遠雷から曲は静かに始まる。
(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)
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雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんであなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの
雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに
雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね
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(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)
東京の天気は、今日から下り坂で、早ければ平年(6月8日)より数日早く梅雨入りする可能性があるという。すでに、沖縄と奄美は先月中に、九州と四国は今月初に梅雨入りした。(気象庁:平成26年の梅雨入りと梅雨明け(速報値))
| 地方 | 平成26年 | 平年差 | 昨年差 | 平年 | 昨年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 沖縄 | 5月5日ごろ | 4日早い | 5日早い | 5月 9日ごろ | 5月10日ごろ |
| 奄美 | 5月11日ごろ | 同じ | 1日遅い | 5月11日ごろ | 5月10日ごろ |
| 九州南部 | 6月2日ごろ | 2日遅い | 6日遅い | 5月31日ごろ | 5月27日ごろ |
| 九州北部 | 6月2日ごろ | 3日早い | 6日遅い | 6月 5日ごろ | 5月27日ごろ |
| 四国 | 6月3日ごろ | 2日早い | 7日遅い | 6月 5日ごろ | 5月27日ごろ |
じめじめ湿気の多い時期、屋内にいると除湿機を動員する。正直、苦手なのだ。でも、そぼ降るなか、自然の景観には詩情がある。そして、そこへ織り込む想いは独特である。
途切れぬ雨に打たれながら、悲しみを癒し、流そうとする、イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)を聴いてみよう。雨音と遠雷から曲は静かに始まる。
(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)
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雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんであなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの
雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに
雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね
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(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)
2014年6月3日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 柳
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第58回として、川の岸辺に立つ、愛と別れのシンボルとされる「柳(버들)」にまつわる話を紹介した。
始めに、中国の前漢時代に異国に嫁いだ宮女の王昭君(왕소군)を思いうたった詩の紹介から、次のように始まった。
・中国唐代の詩人東方虬(동방규)には、異国に嫁いだ宮女王昭君を思いながらうたった詩がある。
胡地無花草 花が咲かないあの地には
春來不似春 春が来ても春の空気が漂わない
・・・ ・・・
春が来ても春らしくない重苦しい気持ちを表している。若い命が一瞬に去った、沈没事故のあった今春がそんな季節であったかも知れない。その春も過ぎ去り夏が近づいている。
▼ 京畿地域の民謡「楊柳歌- 柳の歌(양류가-버들노래)」を聴く。春の風、鳥、蝶・・・穏やかに、今様である。
次に、旅の別れを惜しみ、再会を象徴する「柳」について、次のように説明された。
・昔、道路が不整備のため、主に船を利用した。荷物を多く持って遠く旅するならなお更で、船場は往来の人々で混み合った。去る者、残る者、またいつ会えるのか分からなかったため、別れが辛かった。
・柳の枝は折って土に植えると根を下ろすため、旅立つ者は、川辺の柳の枝を折り植えて、自分と思って欲しいと言った。冬が過ぎて春になり、凍り付いた川が融けると船が出港する。旅人が増え、柳の枝を折る人が多くなると、この季節には川辺の柳の枝が尽きた。柳は、愛と別れのシンボルになった。柳を見つめながら、旅立った者を愛しく思い涙した人もいたことだろう。
▼ 女性歌曲「柳」を聴く。長い呼吸で歌う・・・とても洗練された雰囲気。
最後に、高麗の太祖王権(태조왕건)と柳の葉を浮かべた水や、娘の出会いの逸話を、次のように紹介された。
・太祖王権がまだ将軍のとき、喉が渇き、井戸にいた娘に水を一杯求めた。娘は水を汲み、器に柳の葉を浮かせた。急いで飲むと喉につかえるため、葉を吹きゆっくり飲むの意があった。その後、王権が高麗建国後、この娘は王妃になった。
・昔、貧しい中、一人娘ヌンソを育てた父が兵役に行くことになり、娘を(忠清南道)天安(천안)の或る宿に任せることになった。父親は柳の枝を植えて、「この木から葉っぱが出てくる頃にはまた会える」と言った。後日、ヌンソは美しい娘に育ち、(学識ある者)ソンビと巡り合う。彼は、国の役人になる試験を受けるため向かっていた。彼が試験に合格して戻ったとき、柳の下でヌンソと再会した。このときの歌を「天安三叉路(천안 삼거리)」という。天安地域にある三叉路という歌だ。後に、父親とも再会する。
▼ 「天安三叉路(천안도 삼거리)」を聴く。三南大路の分岐点・・・別れの道、出会いの道、曲調は明るい。
始めに、中国の前漢時代に異国に嫁いだ宮女の王昭君(왕소군)を思いうたった詩の紹介から、次のように始まった。
・中国唐代の詩人東方虬(동방규)には、異国に嫁いだ宮女王昭君を思いながらうたった詩がある。
胡地無花草 花が咲かないあの地には
春來不似春 春が来ても春の空気が漂わない
・・・ ・・・
春が来ても春らしくない重苦しい気持ちを表している。若い命が一瞬に去った、沈没事故のあった今春がそんな季節であったかも知れない。その春も過ぎ去り夏が近づいている。
▼ 京畿地域の民謡「楊柳歌- 柳の歌(양류가-버들노래)」を聴く。春の風、鳥、蝶・・・穏やかに、今様である。
次に、旅の別れを惜しみ、再会を象徴する「柳」について、次のように説明された。
・昔、道路が不整備のため、主に船を利用した。荷物を多く持って遠く旅するならなお更で、船場は往来の人々で混み合った。去る者、残る者、またいつ会えるのか分からなかったため、別れが辛かった。
・柳の枝は折って土に植えると根を下ろすため、旅立つ者は、川辺の柳の枝を折り植えて、自分と思って欲しいと言った。冬が過ぎて春になり、凍り付いた川が融けると船が出港する。旅人が増え、柳の枝を折る人が多くなると、この季節には川辺の柳の枝が尽きた。柳は、愛と別れのシンボルになった。柳を見つめながら、旅立った者を愛しく思い涙した人もいたことだろう。
▼ 女性歌曲「柳」を聴く。長い呼吸で歌う・・・とても洗練された雰囲気。
最後に、高麗の太祖王権(태조왕건)と柳の葉を浮かべた水や、娘の出会いの逸話を、次のように紹介された。
・太祖王権がまだ将軍のとき、喉が渇き、井戸にいた娘に水を一杯求めた。娘は水を汲み、器に柳の葉を浮かせた。急いで飲むと喉につかえるため、葉を吹きゆっくり飲むの意があった。その後、王権が高麗建国後、この娘は王妃になった。
・昔、貧しい中、一人娘ヌンソを育てた父が兵役に行くことになり、娘を(忠清南道)天安(천안)の或る宿に任せることになった。父親は柳の枝を植えて、「この木から葉っぱが出てくる頃にはまた会える」と言った。後日、ヌンソは美しい娘に育ち、(学識ある者)ソンビと巡り合う。彼は、国の役人になる試験を受けるため向かっていた。彼が試験に合格して戻ったとき、柳の下でヌンソと再会した。このときの歌を「天安三叉路(천안 삼거리)」という。天安地域にある三叉路という歌だ。後に、父親とも再会する。
▼ 「天安三叉路(천안도 삼거리)」を聴く。三南大路の分岐点・・・別れの道、出会いの道、曲調は明るい。
2014年6月2日月曜日
(資料)K-POP Archive 1984年 : イ・ソンヒの誕生
「K-POP Archive」は、20世紀(1907年)以降の韓国歌謡界の動向を記している。特に、1980年代以降については、その内容が、評論もまじえた年代記風になっており、鳥瞰に最適である。
といっても、イ・ソンヒに関わるところを見つ続けているわけだが、彼女が登場した1984年について、「Year1984. 新しい英雄キム・スチョル、イ・ソンヒの誕生」*の文に、次のように解説している。(抜粋)
1984年を、歌王チョー・ヨンピルに迫る若い才能が生まれた年と記している。まさにイ・ソンヒを象徴する、歌謡界の水準が向上した年であった。
(本ブログ関連:”1984年”)
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・・・、(1984年)7月29日開かれた第5回「江辺歌謡祭」を通じて登場したイ・ソンヒは、大賞曲「Jへ」でこの年のシンデレラになった。本来、「4幕5場」という混成デュエットの一員で歌謡祭に参加したイ・ソンヒは、圧倒的な歌唱力でチームの大賞を導いた。歌謡祭後、足早くソロでデビューした彼女は、結局「Jへ」一曲でMBC「10代歌手歌謡祭」の3冠王(10代歌手賞、女新人歌手賞、最高人気歌謡賞)になる。男性の新人のうちでは、ハンサムな容貌に独特の唱法が印象的だったボリビア僑胞(海外在住韓国人)歌手イム・ビョンス(임병수)が注目された。特に、彼の独特のバイブレーションは、「ヤギ唱法」という新造語まで作り出した。
この年、男性歌手のうちユン・スイル(윤수일)の活躍も眩しかった。年初「アパート」の熱気を下半期、軽快なロック ナンバー「美しくて」に継続した。彼は、当時我が国では試みたことがない、いわゆるシティ・ロック音楽で自分だけの牙城を構築した。
女性新人歌手のうちには、たとえイ・ソンヒの突風で色があせたのだが、清純で可愛いイメージのチェ・ヘヨン(최혜영)も人気であった。1月1日「若さの行進]」をデビュー舞台で活動を始めた彼女は、「それは人生」で一気にスターダムに上がった。もし、イ・ソンヒが登場しなかったら、彼女の新人歌手賞受賞は当然の結果だっただろう。
最後に、1984年歌謡界で表面的には眺望されなかった最も大きい変化であり特徴は、歌手の上向き平準化現象だ。すなわち、全般的に歌手の水準が向上したのだ。例えば、以前には誰もチョー・ヨンピルの牙城に届かなかった。大衆的な人気だけでなく音楽的にもそうだった。それだけ、チョー・ヨンピルは先んじていた。だが、この年を基点にして、チョー・ヨンピルとはまた他の、個性と音楽性を持つ歌手が、次から次へ登場し始めた。
それと共に歌謡界は、また他のルネサンスを迎える準備をしていた。
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(Youtubeに登録のwindmillsofmusic、soya iに感謝)
といっても、イ・ソンヒに関わるところを見つ続けているわけだが、彼女が登場した1984年について、「Year1984. 新しい英雄キム・スチョル、イ・ソンヒの誕生」*の文に、次のように解説している。(抜粋)
(*)KMDC ARCHIVE:「時代別大衆音楽史」1980年代
ー https://www.k-pop.or.kr/history/history/1980
1984年を、歌王チョー・ヨンピルに迫る若い才能が生まれた年と記している。まさにイ・ソンヒを象徴する、歌謡界の水準が向上した年であった。
(本ブログ関連:”1984年”)
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・・・、(1984年)7月29日開かれた第5回「江辺歌謡祭」を通じて登場したイ・ソンヒは、大賞曲「Jへ」でこの年のシンデレラになった。本来、「4幕5場」という混成デュエットの一員で歌謡祭に参加したイ・ソンヒは、圧倒的な歌唱力でチームの大賞を導いた。歌謡祭後、足早くソロでデビューした彼女は、結局「Jへ」一曲でMBC「10代歌手歌謡祭」の3冠王(10代歌手賞、女新人歌手賞、最高人気歌謡賞)になる。男性の新人のうちでは、ハンサムな容貌に独特の唱法が印象的だったボリビア僑胞(海外在住韓国人)歌手イム・ビョンス(임병수)が注目された。特に、彼の独特のバイブレーションは、「ヤギ唱法」という新造語まで作り出した。
この年、男性歌手のうちユン・スイル(윤수일)の活躍も眩しかった。年初「アパート」の熱気を下半期、軽快なロック ナンバー「美しくて」に継続した。彼は、当時我が国では試みたことがない、いわゆるシティ・ロック音楽で自分だけの牙城を構築した。
女性新人歌手のうちには、たとえイ・ソンヒの突風で色があせたのだが、清純で可愛いイメージのチェ・ヘヨン(최혜영)も人気であった。1月1日「若さの行進]」をデビュー舞台で活動を始めた彼女は、「それは人生」で一気にスターダムに上がった。もし、イ・ソンヒが登場しなかったら、彼女の新人歌手賞受賞は当然の結果だっただろう。
最後に、1984年歌謡界で表面的には眺望されなかった最も大きい変化であり特徴は、歌手の上向き平準化現象だ。すなわち、全般的に歌手の水準が向上したのだ。例えば、以前には誰もチョー・ヨンピルの牙城に届かなかった。大衆的な人気だけでなく音楽的にもそうだった。それだけ、チョー・ヨンピルは先んじていた。だが、この年を基点にして、チョー・ヨンピルとはまた他の、個性と音楽性を持つ歌手が、次から次へ登場し始めた。
それと共に歌謡界は、また他のルネサンスを迎える準備をしていた。
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2014年6月1日日曜日
ポピーの花
何だ、夏じゃないか、陽射しと熱気に押しつぶされそう。通り道の路面、栗林の白い穂(花)、小学校の垣根、そこらじゅう眩しくて目がパチパチする。のんびり、日曜の昼を、コンビニでペットボトルの飲料水と新聞の朝刊を買って、小金井公園に出かけた。
公園の散歩道は、木立に覆われて、木漏れ日が風に揺れる。深く緑陰の空気を満喫することができる。並木道の南側には広い原っぱがあって、休日を楽しむ家族連れでにぎわっていた。元気な子どもたちの遊び声、叫び声がこちらにも届く。
この「子どもの広場」に、ちょっとした花畑があって、赤い花が咲いているのが目に付く。いつもは、コスモスの花を咲かせたりする場所だが・・・と思いながら寄って見た。
どうやらポピーの花だ。一見、華奢な感じがするが、すっと伸びた茎の上で揺れる赤い花弁の様は、怪しさを秘めているよう。というのも、花びらの落ちた後の姿に、危険なイメージをしてしまうからだ。ポピーは、ケシ科の花である。
するりとして、赤い花弁だけが目に焼きつく、その立ち居に、どこか曼珠沙華の影に通じるものがある。
ところで、今日は気象記念日だそうだ。気象庁発表の今年の「第139回気象記念日について」に、「気象記念日は、気象庁の前身である東京気象台が明治8年(1875年)6月1日に設立されたことを記念し、昭和17年(1942年)に制定されました。」と付記されている。
東京は、今日も真夏日で、今年の最高の気温を更新したのだろうか。・・・都心の最高気温は、33.1℃(昨日31.6℃)だったそうだ。
公園の散歩道は、木立に覆われて、木漏れ日が風に揺れる。深く緑陰の空気を満喫することができる。並木道の南側には広い原っぱがあって、休日を楽しむ家族連れでにぎわっていた。元気な子どもたちの遊び声、叫び声がこちらにも届く。この「子どもの広場」に、ちょっとした花畑があって、赤い花が咲いているのが目に付く。いつもは、コスモスの花を咲かせたりする場所だが・・・と思いながら寄って見た。
どうやらポピーの花だ。一見、華奢な感じがするが、すっと伸びた茎の上で揺れる赤い花弁の様は、怪しさを秘めているよう。というのも、花びらの落ちた後の姿に、危険なイメージをしてしまうからだ。ポピーは、ケシ科の花である。
するりとして、赤い花弁だけが目に焼きつく、その立ち居に、どこか曼珠沙華の影に通じるものがある。
ところで、今日は気象記念日だそうだ。気象庁発表の今年の「第139回気象記念日について」に、「気象記念日は、気象庁の前身である東京気象台が明治8年(1875年)6月1日に設立されたことを記念し、昭和17年(1942年)に制定されました。」と付記されている。
東京は、今日も真夏日で、今年の最高の気温を更新したのだろうか。・・・都心の最高気温は、33.1℃(昨日31.6℃)だったそうだ。
(雑談)なぜなぜ3回
問題分析、つまり、何でこんなことになっちゃったのだろうという、問題の根本要因を見つけ出す作業がある。これを、「なぜなぜ分析」と呼ぶが、経験上「なぜなぜ3回」といったりした。つまり、要因を自分の目で気付くために、「なぜ?」を3回は繰り返さないと・・・というわけだ。
「なぜ?」を3回繰り返すと、分析したつもりでも言い訳だったり、表面的な現象だったりしたものから、自分で確認する、つまり自分で取り組める処まで、真の要因を探し出すことができるようになる。3回ではダメなのだろうか、その後、6回などと言ったりしていたが。
自分の水準で考えることがミソで、それゆえ組織として全員で、問題に取り組むことができるわけで、その結果、問題解決への道筋を作る大きな力になる。多分、その力が、高度経済成長を押し上げたことだろう。
自分で考えるリテラシー上で、なぜなぜ3回や、なぜなぜ6回するけれど、世の中の全てに、そんなリテラシーが揃っているわけではない。そこで、世界共通の標準化された(基本的な)管理の仕組みが登場した。それは、ひとことでいえば、仕事のプロセスの節目、節目でチェックしなさい、その運用を組織として健全に廻しているか管理しなさいという、チェックする側の責務が明確にされた。だから、組織を運用して廻す側である、マネジメント側にとっての(責任)システムでもある。
全員が自分の立場で分析するという「なぜなぜ3回」があり、その結果、問題解決まで含めて、組織が健全に廻るためにマネジメントこそしっかりしなくちゃならないよ、ということになる。
「なぜ?」を3回繰り返すと、分析したつもりでも言い訳だったり、表面的な現象だったりしたものから、自分で確認する、つまり自分で取り組める処まで、真の要因を探し出すことができるようになる。3回ではダメなのだろうか、その後、6回などと言ったりしていたが。
自分の水準で考えることがミソで、それゆえ組織として全員で、問題に取り組むことができるわけで、その結果、問題解決への道筋を作る大きな力になる。多分、その力が、高度経済成長を押し上げたことだろう。
自分で考えるリテラシー上で、なぜなぜ3回や、なぜなぜ6回するけれど、世の中の全てに、そんなリテラシーが揃っているわけではない。そこで、世界共通の標準化された(基本的な)管理の仕組みが登場した。それは、ひとことでいえば、仕事のプロセスの節目、節目でチェックしなさい、その運用を組織として健全に廻しているか管理しなさいという、チェックする側の責務が明確にされた。だから、組織を運用して廻す側である、マネジメント側にとっての(責任)システムでもある。
全員が自分の立場で分析するという「なぜなぜ3回」があり、その結果、問題解決まで含めて、組織が健全に廻るためにマネジメントこそしっかりしなくちゃならないよ、ということになる。
2014年5月31日土曜日
とうとう真夏日だ!
5月最後の今日、夕方に外から戻って自分の部屋を開けると、こもっていた熱気に押し返されそうだった。今年初めてのことだ。夜分になっても、熱気がなかなかひかないでいる。
① 日本気象協会のtenki.jp(5/31、11時9分)によると、今日、「東京で今年初の真夏日」と次のように予想している。
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・東京で午前11時1分に気温が30度2分まで上がり、今年初めて真夏日になりました。去年に比べて18日早い初真夏日です。明日も真夏日になる予想で、暑さが続くでしょう。熱中症に注意が必要です。
・予想最高気温は東京31度、前橋33度、熊谷32度と厳しい暑さでしょう。
-------------------------------------------------
② 最新情報の、Time-j.netの「今日の最高気温」(20時現在)によれば、東京31.6℃、地元に近い府中32.7℃だったとのこと。
ちなみに、Wikipediaの「気温」によれば、「夏日:日最高気温が25℃以上の日。真夏日:日最高気温が30℃以上の日。」とのこと。
① 日本気象協会のtenki.jp(5/31、11時9分)によると、今日、「東京で今年初の真夏日」と次のように予想している。
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・東京で午前11時1分に気温が30度2分まで上がり、今年初めて真夏日になりました。去年に比べて18日早い初真夏日です。明日も真夏日になる予想で、暑さが続くでしょう。熱中症に注意が必要です。
・予想最高気温は東京31度、前橋33度、熊谷32度と厳しい暑さでしょう。
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② 最新情報の、Time-j.netの「今日の最高気温」(20時現在)によれば、東京31.6℃、地元に近い府中32.7℃だったとのこと。
ちなみに、Wikipediaの「気温」によれば、「夏日:日最高気温が25℃以上の日。真夏日:日最高気温が30℃以上の日。」とのこと。
2014年5月30日金曜日
この世の果て
もうじき、5月が終わろうとしている。夕方、日ごとに明るさがたまるのを、まるで時間そのものが遅くなったように感じてしまう。時間は、時間であって、制御できるものではないのに。
そういえば、モスキート音の12,500Hz以上が聴こえない・・・ああ、一体いつからだ。
宇宙が誕生して、約137億歳(正確には、13.772±0.059 Gyr)だそうだが、それより昔はあったのか。今、膨張する宇宙の果ては存在するのか。一般向け説明を何度か聴いているはずだが、相変わらず理解できない。いっそ、宇宙が入れ子になって、私の手元にでもあればいいのに。
大切な父親を偲んで作られたという歌「この世の果てまで(The End Of The World)」(1962年、作詞・作曲:アーサー·ケント、シルビア·ディー)は、スキータ・デイヴィス(Skeeter Davis、1931年12月30日~2004年9月19日)が淡々と歌うことで、かえって身にしみる。
(本ブログ関連:”Skeeter Davis”)
岸辺に波を打ち寄せる海に、さえずる鳥たちに、天空に輝く星々に、変わらぬものに、ふと時の終わりを感じてしまう。そんなことってある・・・残念ながらなかったけれど、でも、そういわれれば納得できるような気がする。
時間は、どうやら過去にしか感じられない。だから、未来なんて分からない・・・分からないから、枝分かれするパラレルワールドがせめてもの慰めだ。
(Youtubeに登録のALLEN0955に感謝)
そういえば、モスキート音の12,500Hz以上が聴こえない・・・ああ、一体いつからだ。
宇宙が誕生して、約137億歳(正確には、13.772±0.059 Gyr)だそうだが、それより昔はあったのか。今、膨張する宇宙の果ては存在するのか。一般向け説明を何度か聴いているはずだが、相変わらず理解できない。いっそ、宇宙が入れ子になって、私の手元にでもあればいいのに。
大切な父親を偲んで作られたという歌「この世の果てまで(The End Of The World)」(1962年、作詞・作曲:アーサー·ケント、シルビア·ディー)は、スキータ・デイヴィス(Skeeter Davis、1931年12月30日~2004年9月19日)が淡々と歌うことで、かえって身にしみる。
(本ブログ関連:”Skeeter Davis”)
岸辺に波を打ち寄せる海に、さえずる鳥たちに、天空に輝く星々に、変わらぬものに、ふと時の終わりを感じてしまう。そんなことってある・・・残念ながらなかったけれど、でも、そういわれれば納得できるような気がする。
時間は、どうやら過去にしか感じられない。だから、未来なんて分からない・・・分からないから、枝分かれするパラレルワールドがせめてもの慰めだ。
(Youtubeに登録のALLEN0955に感謝)
2014年5月29日木曜日
イ・ソンヒの「ヨン(Young)」
イ・ソンヒには、恋が若さの一幕に過ぎない特権を謳歌する、3集所収の歌「Young(영)」(1986年)がある。世宗文化会館での「デビュー22周年ライブコンサート」(2006年6月17日、18日)のYoutube映像に、デビュー2年目、22歳のときのこの歌を、40歳を越えてもなお初々しく歌うイ・ソンヒがいる。
Daumミュージックの「世界を変えた歌36弾 - イ・ソンヒ "Jへ"」(2012年1月20日、ユン・ホジュン)は、この「Young(ヨン)」から、イ・ソンヒが若い女子中高生たちのアバターとしてリードしたと次にように語っている。
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・イ・ソンヒは、「Jへ」から始まったイメージで、1980年代を生きたし、最高の人気を謳歌した。しおりにさしておいた色褪せたイチョウの葉を物語る「ヨン」が、少女たちだけの内密な世界を扱った歌が、人気歌謡の序列に上った時期はかつてなかった。レコードを発表するたびに、声がアップグレードされた彼女は、若い作曲家ソン・シヒョン(송시현)の歌を歌う時まで無敵だった。1990年代の入り口で「思い出のページをめくれば」を歌う時まで、イ・ソンヒは女子中高生たちのアバターであり、隠した欲望の代理人であった。
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Young しおりに挿した
Young イチョウの葉は色あせても
Young たまらなく会いたい Young うーん・・・
あなたは 今 どこに
Young わたしだけ 一人 寂しく
Young 残しておいてどこへ行ったの
Young 戻って来ることができないの Young うーん・・・
私はあなたを愛してる
夕闇背負って 川岸に座って
花の指輪をさして ささやいたその言葉
Young あなたは忘れてしまったの もう忘れたの
帰ってきて 私はあなたを あなたを愛してる
(Youtubeに登録のd'abord musiqueに感謝)
Daumミュージックの「世界を変えた歌36弾 - イ・ソンヒ "Jへ"」(2012年1月20日、ユン・ホジュン)は、この「Young(ヨン)」から、イ・ソンヒが若い女子中高生たちのアバターとしてリードしたと次にように語っている。
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・イ・ソンヒは、「Jへ」から始まったイメージで、1980年代を生きたし、最高の人気を謳歌した。しおりにさしておいた色褪せたイチョウの葉を物語る「ヨン」が、少女たちだけの内密な世界を扱った歌が、人気歌謡の序列に上った時期はかつてなかった。レコードを発表するたびに、声がアップグレードされた彼女は、若い作曲家ソン・シヒョン(송시현)の歌を歌う時まで無敵だった。1990年代の入り口で「思い出のページをめくれば」を歌う時まで、イ・ソンヒは女子中高生たちのアバターであり、隠した欲望の代理人であった。
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Young しおりに挿した
Young イチョウの葉は色あせても
Young たまらなく会いたい Young うーん・・・
あなたは 今 どこに
Young わたしだけ 一人 寂しく
Young 残しておいてどこへ行ったの
Young 戻って来ることができないの Young うーん・・・
私はあなたを愛してる
夕闇背負って 川岸に座って
花の指輪をさして ささやいたその言葉
Young あなたは忘れてしまったの もう忘れたの
帰ってきて 私はあなたを あなたを愛してる
(Youtubeに登録のd'abord musiqueに感謝)
2014年5月28日水曜日
(資料)韓国のネット音楽配信での歌手収入
韓国のネットによる音楽配信で、歌手の収入が厳しい現状にある。ソウル新聞の記事「音源サイト歌一曲の歌手持分として、0.36ウォンだけ…それで乗り出した、シン・テチョルの音源組合」(4/28、キム・ソラ記者)に、次のように厳しい状況が紹介されている。(抜粋、一部並べ替え)
ミュージシャンに少しでも多くの収益をもたらすため、音源流通のための協同組合が提案されたそうだが・・・とりあえず、ここでは現状のみ記す。
(本ブログ関連:”音楽市場”)
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・現在の音源市場は、歌手が音源収益の10%も持っていくことができない構造だ。文化体育観光部の「音楽伝送使用料徴収規定」によれば、メロンやバグスミュージックなど音源サイトで流通する音源は、全体収益を次のそれぞれが持つ。
⇒ 40%: 音源サイトを運営する業者
⇒ 44%: 歌手が所属した製作会社
⇒ 10%: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒ 6%: 実演者(歌手・演奏者)
・月6,000ウォン程度を出して無制限にストリーミングできる、定額制でストリーミング1回当たり、実演者に落ちる持分は、1ウォンにならない。
・ミュージシャンは定額制を「ダンピング」と指摘して、従量制での転換を要求してきた。これに伴い、文体部は、昨年(2013年)5月、音源従量制を導入して、歌一曲が再生するたびに、次のように戻るようにした。
⇒ 0.60ウォン: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒ 0.36ウォン: 実演者(歌手・演奏者)
・しかし、ミュージシャンの持分が相変らず微小なうえに、消費者の選択権を理由に定額制と併行するようにして、従量制導入の意味が見るべきものがなかったという指摘が多い。音源市場の不均衡は、固定化されている。
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ミュージシャンに少しでも多くの収益をもたらすため、音源流通のための協同組合が提案されたそうだが・・・とりあえず、ここでは現状のみ記す。
(本ブログ関連:”音楽市場”)
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・現在の音源市場は、歌手が音源収益の10%も持っていくことができない構造だ。文化体育観光部の「音楽伝送使用料徴収規定」によれば、メロンやバグスミュージックなど音源サイトで流通する音源は、全体収益を次のそれぞれが持つ。
⇒ 40%: 音源サイトを運営する業者
⇒ 44%: 歌手が所属した製作会社
⇒ 10%: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒ 6%: 実演者(歌手・演奏者)
・月6,000ウォン程度を出して無制限にストリーミングできる、定額制でストリーミング1回当たり、実演者に落ちる持分は、1ウォンにならない。
・ミュージシャンは定額制を「ダンピング」と指摘して、従量制での転換を要求してきた。これに伴い、文体部は、昨年(2013年)5月、音源従量制を導入して、歌一曲が再生するたびに、次のように戻るようにした。
⇒ 0.60ウォン: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒ 0.36ウォン: 実演者(歌手・演奏者)
・しかし、ミュージシャンの持分が相変らず微小なうえに、消費者の選択権を理由に定額制と併行するようにして、従量制導入の意味が見るべきものがなかったという指摘が多い。音源市場の不均衡は、固定化されている。
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2014年5月27日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 麦
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第57回として、冬を越して夏に実る「麦(보리)」にまつわる話を紹介した。
始めに、食料が窮乏する「春窮期(ボリコゲ、보릿고개)」について逸話と伴に、次のように紹介された
・秋冬に備蓄の食糧を食べ尽くし、麦を収穫するまで、深刻な食糧難の時期を「春窮期」という。麦(보리)と峠(고개)の象徴的な意もあり、この時期を乗り越えるのを「ボリコゲを越えた」ともいった。
・朝鮮21代王「英祖(영조)」(1694年~1776年)は66歳のとき、15歳の新王妃「貞純王后(정순왕후)」を迎えた。王妃候補者へ「これまでに一番辛かった人生の峠は何か」との問に、彼女は「ボリコゲ」と答えて高く評価された。彼女が民を思ったか諸説あるが、当時、生活難に苦しむ人々の様子を表している。麦畑が黄金の色に染まる、今頃の時期が「ボリコゲ」にあたる。
▼ 「麦畑(보리밭)」を聴く。麦畑をかすめる風が見える・・・穏やかな、今様である。
次に、庶民の立場から「ボリコゲ」について、次のように説明された。
・米は秋、麦は夏頃収穫し、夏に麦飯を、冬に白米を食べた。寒い冬に米を食べて体力を補い、暑い夏に麦を食べて体の熱を冷まし、余裕がある時、白米は熱く、麦飯は冷たくして混ぜご飯にして食べた。収穫した米が底をつき、麦畑がまだ実らぬ時期、人々は何としても生きる道を探すしかない、そんな時代が50年前まであった。
(*) 韓国の稲・麦の二毛作地域はどのようなのだろうか? ⇒ (本ブログ関連:”麦”)
・「食事はされましたか(식사 하셨습니까?)」という挨拶は、「ボリコゲ」から生まれた表現だ。今では体に良い麦飯だが、昔は、命をつなぐ大事な主食であった。麦の収穫から脱穀の作業を「麦打ち(보리타작)」という。
▼ 「麦打ち歌(보리타작 소리)」を聴く。実際の麦打ち作業は、もっと揺ったりでは・・・まるで餅つきだ!
最後に、麦打ちの道具「トリケ(도리깨)」と、労働の歌「オンヘヤ(옹헤야)」について、次のように解説された。
・昔、麦の脱穀に「トリケ」と呼ぶ殻竿を用いた。長い殻竿の先に「フィチュリ(휘추리)」という棒を二つ程付けて、地面に干して置いた穀物を打った。この作業は、数人が一緒に互いに助け合い、楽しく働くために歌を歌いながらした。
・「トリケ」で穀物の穂を打つリズムに合わせて、一人が掛け声で歌い出し、残りの者がついて歌う形式だ。民謡「オンヘヤ」も、もとは麦の脱穀で歌ったものだ。民謡には稲作に関するものが多いが、麦も大事な食糧であり、たくさんの民謡がある。代表的な麦打ち歌「オンヘヤ」で、「オンヘヤ」というシンプルな歌詞には、「ボリコゲ」を無事に越して麦打ちをする人々の収穫の嬉しさが込められている。
▼ 「オンヘヤ」を聴く。調子のよさに、イ・パクサを思い出したよ・・・歌詞はママに、曲は今様である。
始めに、食料が窮乏する「春窮期(ボリコゲ、보릿고개)」について逸話と伴に、次のように紹介された
・秋冬に備蓄の食糧を食べ尽くし、麦を収穫するまで、深刻な食糧難の時期を「春窮期」という。麦(보리)と峠(고개)の象徴的な意もあり、この時期を乗り越えるのを「ボリコゲを越えた」ともいった。
・朝鮮21代王「英祖(영조)」(1694年~1776年)は66歳のとき、15歳の新王妃「貞純王后(정순왕후)」を迎えた。王妃候補者へ「これまでに一番辛かった人生の峠は何か」との問に、彼女は「ボリコゲ」と答えて高く評価された。彼女が民を思ったか諸説あるが、当時、生活難に苦しむ人々の様子を表している。麦畑が黄金の色に染まる、今頃の時期が「ボリコゲ」にあたる。
▼ 「麦畑(보리밭)」を聴く。麦畑をかすめる風が見える・・・穏やかな、今様である。
次に、庶民の立場から「ボリコゲ」について、次のように説明された。
・米は秋、麦は夏頃収穫し、夏に麦飯を、冬に白米を食べた。寒い冬に米を食べて体力を補い、暑い夏に麦を食べて体の熱を冷まし、余裕がある時、白米は熱く、麦飯は冷たくして混ぜご飯にして食べた。収穫した米が底をつき、麦畑がまだ実らぬ時期、人々は何としても生きる道を探すしかない、そんな時代が50年前まであった。
(*) 韓国の稲・麦の二毛作地域はどのようなのだろうか? ⇒ (本ブログ関連:”麦”)
・「食事はされましたか(식사 하셨습니까?)」という挨拶は、「ボリコゲ」から生まれた表現だ。今では体に良い麦飯だが、昔は、命をつなぐ大事な主食であった。麦の収穫から脱穀の作業を「麦打ち(보리타작)」という。
▼ 「麦打ち歌(보리타작 소리)」を聴く。実際の麦打ち作業は、もっと揺ったりでは・・・まるで餅つきだ!
最後に、麦打ちの道具「トリケ(도리깨)」と、労働の歌「オンヘヤ(옹헤야)」について、次のように解説された。
・昔、麦の脱穀に「トリケ」と呼ぶ殻竿を用いた。長い殻竿の先に「フィチュリ(휘추리)」という棒を二つ程付けて、地面に干して置いた穀物を打った。この作業は、数人が一緒に互いに助け合い、楽しく働くために歌を歌いながらした。
・「トリケ」で穀物の穂を打つリズムに合わせて、一人が掛け声で歌い出し、残りの者がついて歌う形式だ。民謡「オンヘヤ」も、もとは麦の脱穀で歌ったものだ。民謡には稲作に関するものが多いが、麦も大事な食糧であり、たくさんの民謡がある。代表的な麦打ち歌「オンヘヤ」で、「オンヘヤ」というシンプルな歌詞には、「ボリコゲ」を無事に越して麦打ちをする人々の収穫の嬉しさが込められている。
▼ 「オンヘヤ」を聴く。調子のよさに、イ・パクサを思い出したよ・・・歌詞はママに、曲は今様である。
2014年5月26日月曜日
なでしこ アジア杯初V
結局、結果が確定したのは、今日の日付に変わった深夜零時過ぎだった。FIFA女子ワールドカップはすでに制したものの、いまだにAFC女子アジアカップの優勝のない「なでしこジャパン」が、ついに念願を果たしたのだ。
スポニチAnnexの記事「なでしこ アジア杯初V視聴率20.6%!瞬間最高25.9%」(5/26)によれば、深夜にもかかわらず高いテレビ視聴率だったと、次のように報じている。(抜粋)
サッカーをよく分からず何となく観戦する(「オフサイド」も分からぬ)にわかファンだが、今回はしっかり見ましたよ。気分としては、テレビ解説者松木安太郎氏の、おじさん口調で「よし!よし!」の語りにのって画面に叫んでました。
全力疾走で走り続ける女子選手たちが素晴らしい。きっと、来月の男子ワールドカップに、よい影響を与えることだろう。それにしても、川澄奈穂美選手の笑顔が、まぶしくて可愛らしいこと。
(本ブログ関連:”なでしこ”)
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・なでしこジャパンの「アジア杯」初優勝を伝えた25日のテレビ朝日「日本×オーストラリア」(後10:11~0:15)が、20.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)の高視聴率を記録したことが26日、分かった。
・22日の準決勝・中国戦の18.5%を上回り、銀メダルを獲得した2012年のロンドン五輪以降、女子サッカー中継としては最高の数字となった。
・瞬間最高視聴率は午後10時57分の25.9%。前半41分、MF澤穂希(35)が相手選手と接触した場面だった。
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スポニチAnnexの記事「なでしこ アジア杯初V視聴率20.6%!瞬間最高25.9%」(5/26)によれば、深夜にもかかわらず高いテレビ視聴率だったと、次のように報じている。(抜粋)
サッカーをよく分からず何となく観戦する(「オフサイド」も分からぬ)にわかファンだが、今回はしっかり見ましたよ。気分としては、テレビ解説者松木安太郎氏の、おじさん口調で「よし!よし!」の語りにのって画面に叫んでました。
全力疾走で走り続ける女子選手たちが素晴らしい。きっと、来月の男子ワールドカップに、よい影響を与えることだろう。それにしても、川澄奈穂美選手の笑顔が、まぶしくて可愛らしいこと。
(本ブログ関連:”なでしこ”)
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・なでしこジャパンの「アジア杯」初優勝を伝えた25日のテレビ朝日「日本×オーストラリア」(後10:11~0:15)が、20.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)の高視聴率を記録したことが26日、分かった。
・22日の準決勝・中国戦の18.5%を上回り、銀メダルを獲得した2012年のロンドン五輪以降、女子サッカー中継としては最高の数字となった。
・瞬間最高視聴率は午後10時57分の25.9%。前半41分、MF澤穂希(35)が相手選手と接触した場面だった。
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2014年5月25日日曜日
図書館はいっぱい
今日は久し振りに部屋を片付けたため外出が遅くなり、図書館に着いたのは午後2時過ぎ。スタディーコーナーは満席で、座席の確保が難しい。特に日曜の休日は。それでも、利用しようと人々が次々来ては、発券機の前に並ぶ。
スタディーコーナーのシステムは、決まった予約時間ごと、個人カードを使って発券機から座席レシートを得て利用する。合理的なのだが、実は、気になることがある。
例えば、予約時間より早く退席する場合、発券機に戻って終了手続きをすることになっているが、やらずに退出する人がいて、システム上は利用者がまだ存在することになる。予約時間終了まで、その席は誰も使えない。そんな座席が散見するようで、もったいない。
利用できない者は、同じフロアに設置された、会議用の開放テーブルを使う。こちらも混み合っていて気ぜわしい。当然ながら、テーブルには対向の間仕切りもない。でもいいか。
しばらく、こちらのテーブルを利用して、添削いただいた作文(イ・ソンヒコンサート訪問)を復習する。丁寧に赤字を入れてくださった韓国語教室の先生に感謝。
スタディーコーナーのシステムは、決まった予約時間ごと、個人カードを使って発券機から座席レシートを得て利用する。合理的なのだが、実は、気になることがある。
例えば、予約時間より早く退席する場合、発券機に戻って終了手続きをすることになっているが、やらずに退出する人がいて、システム上は利用者がまだ存在することになる。予約時間終了まで、その席は誰も使えない。そんな座席が散見するようで、もったいない。
利用できない者は、同じフロアに設置された、会議用の開放テーブルを使う。こちらも混み合っていて気ぜわしい。当然ながら、テーブルには対向の間仕切りもない。でもいいか。
しばらく、こちらのテーブルを利用して、添削いただいた作文(イ・ソンヒコンサート訪問)を復習する。丁寧に赤字を入れてくださった韓国語教室の先生に感謝。
2014年5月24日土曜日
イ・ソンヒの「五月の陽射し」
今月の初旬、「子どもの日」の祝日を中心に、家族連れで賑わう楽しい連休があった。ところで、韓国のひとびとにとって、この5月は、一方で深い記憶に残る月でもある。
イ・ソンヒには、5集所収の「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ/イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)がある。ふっと吹き寄せる風に、記憶は呼び覚まされる。彼女は、メッセージを直裁でなく、かすめる、そして遠くに流れる風に託して歌う。
政治性を持ち続けたわけではない。むしろ、イ・ソンヒは、その振幅は大きかったといえる。乾いた五月の陽射しの中、こころに寄り添う風が吹く限り、この歌は歌い続くだろう。
(本ブログ関連:”五月の陽射し”)
(Youtubeに登録の라이브쓰리제이に感謝)
イ・ソンヒには、5集所収の「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ/イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)がある。ふっと吹き寄せる風に、記憶は呼び覚まされる。彼女は、メッセージを直裁でなく、かすめる、そして遠くに流れる風に託して歌う。
政治性を持ち続けたわけではない。むしろ、イ・ソンヒは、その振幅は大きかったといえる。乾いた五月の陽射しの中、こころに寄り添う風が吹く限り、この歌は歌い続くだろう。
(本ブログ関連:”五月の陽射し”)
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2014年5月23日金曜日
ペ・チョルスとイ・ソンヒ
以前、韓国経済の記事(2011年1月8日、キム・ミョンシン記者)に、KBS音楽番組「コンサート7080」のMCペ・チョルス(배철수、裵哲秀)が、”歌手として”事実上引退の可能性を示唆したという内容があった。
(本ブログ関連:”ペ・チョルス”)
ペ・チョルスは、いわゆる歌謡祭出身の歌手で、中央日報の記事「【噴水台】スーパースターK」(2010年10月24日、ソン・ウォンソプJES記者)が、スーパースターKなどオーディション番組隆盛時に、過去の同様のイベント(歌謡祭)紹介の中で次のように記している。
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・30余年前の「大学歌謡祭」を連想させる。77年に始まった「MBC大学歌謡祭」も盛り上がったのは2年目の78年だった。第1回大会の成功でレベルの高い参加者が数多く集まり、参加者のうちペ・チョルス、ノ・サヨン、イム・ベクチョン、シム・スボンらが80年代の大衆文化の主役に成長した。同じく78年に始まったTBC(東洋放送)「海辺歌謡祭」もワン・ヨンウン、チュ・ビョンジン、グ・チャンモ、イ・チヒョンらを輩出した。その後、さまざまな大学生歌謡祭が韓国放送・歌謡界の登龍門に定着した。
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K-Wikipediaによれば、ペ・チョルスのデビューは、1978年のTBC第1回「海辺歌謡祭」のようだ。
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・1978年に 東洋放送 TBC第1回「海辺歌謡祭」では、グループ滑走路(RUNWAY )の一員として出場し、「世間知らずで生きてきた」で人気賞を受け、同年MBC第2回「大学歌謡祭」にも出場、<仮面舞踊>で銀賞を獲得した。
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(ちなみに、イ・ソンヒは、1979年に開始した「MBC江辺歌謡祭」の第5回(1984年)で、「Jへ」により四幕五場のグループとして大賞受賞している)
そんな、ペ・チョルス(1953年8月18日~)が、最近、30周年記念コンサートをした、イ・ソンヒ(1964年12月14日~)とのデュエットの申し出を断ったという、おもしろい記事がある。アジア経済の記事「【ラジオスター】ペ・チョルス 『24年間のあいだ歌っていない、イ・ソンヒのデュエット拒絶』」(5/22)で、イ・ソンヒとの、年齢差と音楽経験の違いから、次のようなやりとりを述べている。
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・自分を置いて(出演した番組中の会話)争奪戦が広がるとすぐに、ペ・チョルスは、「イ・ソンヒさんから電話があった」と、「先だって、(15集)アルバムを出しながら、先輩とデュエットで歌いたいと言っていたよ」という事情を告白した。だが、ペ・チョルスは、「ソンヒさんよ、どうか、やらないでください」と、イ・ソンヒの提案を断った。
・ペ・チョルスは、「私は、24年の間(音楽を)していなかった」と話し、歌いにくいという立場を表わした。
・【ラジオスター】ペ・チョルスの音楽ネチズンは、「ペ・チョルスの声、また聞きたいけれど」、「ペ・チョルス、イ・ソンヒとデュエット想像するだけでも良いのに」など反応を見せた。
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(本ブログ関連:”ペ・チョルス”)
ペ・チョルスは、いわゆる歌謡祭出身の歌手で、中央日報の記事「【噴水台】スーパースターK」(2010年10月24日、ソン・ウォンソプJES記者)が、スーパースターKなどオーディション番組隆盛時に、過去の同様のイベント(歌謡祭)紹介の中で次のように記している。
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・30余年前の「大学歌謡祭」を連想させる。77年に始まった「MBC大学歌謡祭」も盛り上がったのは2年目の78年だった。第1回大会の成功でレベルの高い参加者が数多く集まり、参加者のうちペ・チョルス、ノ・サヨン、イム・ベクチョン、シム・スボンらが80年代の大衆文化の主役に成長した。同じく78年に始まったTBC(東洋放送)「海辺歌謡祭」もワン・ヨンウン、チュ・ビョンジン、グ・チャンモ、イ・チヒョンらを輩出した。その後、さまざまな大学生歌謡祭が韓国放送・歌謡界の登龍門に定着した。
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K-Wikipediaによれば、ペ・チョルスのデビューは、1978年のTBC第1回「海辺歌謡祭」のようだ。
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・1978年に 東洋放送 TBC第1回「海辺歌謡祭」では、グループ滑走路(RUNWAY )の一員として出場し、「世間知らずで生きてきた」で人気賞を受け、同年MBC第2回「大学歌謡祭」にも出場、<仮面舞踊>で銀賞を獲得した。
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(ちなみに、イ・ソンヒは、1979年に開始した「MBC江辺歌謡祭」の第5回(1984年)で、「Jへ」により四幕五場のグループとして大賞受賞している)
そんな、ペ・チョルス(1953年8月18日~)が、最近、30周年記念コンサートをした、イ・ソンヒ(1964年12月14日~)とのデュエットの申し出を断ったという、おもしろい記事がある。アジア経済の記事「【ラジオスター】ペ・チョルス 『24年間のあいだ歌っていない、イ・ソンヒのデュエット拒絶』」(5/22)で、イ・ソンヒとの、年齢差と音楽経験の違いから、次のようなやりとりを述べている。
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・自分を置いて(出演した番組中の会話)争奪戦が広がるとすぐに、ペ・チョルスは、「イ・ソンヒさんから電話があった」と、「先だって、(15集)アルバムを出しながら、先輩とデュエットで歌いたいと言っていたよ」という事情を告白した。だが、ペ・チョルスは、「ソンヒさんよ、どうか、やらないでください」と、イ・ソンヒの提案を断った。
・ペ・チョルスは、「私は、24年の間(音楽を)していなかった」と話し、歌いにくいという立場を表わした。
・【ラジオスター】ペ・チョルスの音楽ネチズンは、「ペ・チョルスの声、また聞きたいけれど」、「ペ・チョルス、イ・ソンヒとデュエット想像するだけでも良いのに」など反応を見せた。
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2014年5月22日木曜日
【多摩の代官】関東十八代官
地元公民館で、江戸時代初めの多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説する、法政大学大学院の馬場憲一教授の第2回目講演「関東十八代官」を聴講した。(前回(5/8)のテーマは「代官頭大久保長安」)
(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)
天正18年(1590年)、徳川家康の関東入国にともない、江戸時代前期の「幕領」支配としての4つの代官領の一つである多摩地域の代官頭となった大久保長安は、配下に「関東十八代官」を従えた。その拠点となったのが、代官町を形成した八王子だ。当時の八王子は、宿場(流通経済)、千人同心(武力)、関東十八代官の集住(行政)のミニ城下町機能を持った。
・徳川の支配に、直接支配の「幕領」、間接支配の「私領」(知行権を与えられた:家臣旗本と大名)、「寺領」、「社領」がある。
・十八代官は、幕領支配を担った。
・十八代官は、在地性の強い世襲代官で、出自は圧倒的に旧武田家が多い。
・十八代官は、必ずしも十八家だけが担ったわけではない。代を経て、非役の小普請に落とされたり、切腹する者もいた。
・正徳5年(1715年)に小普請に落ちたケースがある・・・十八代官制度は、100年以上続いた?
・多摩川に沿った武蔵野台地を支配した十八代官のひとつ、(メインテーマである)、武田家出自の高室代官(4代70有余年)の各代について説明された。最後の代官となる四郎兵衛昌貞は、元禄2年(1689年)在職中に、「多分の貢金を私して其会計滞りしにより」、最終的に4月25日切腹を命ぜられる。
今回、興味深かったのは、十八代官の家督を継ぐのは大変なことだったようだ。ある意味、徳川の不正に対する厳しさを、武田家末裔を体制から削ぎ落とす(意図があったかどうかは分からぬが)怖さを感じた。
(追記)
興味深い話しに、江戸時代に石高が増えた理由として、新田開発だけでなく、傾斜地を開墾して段々畑にしたと説明された。今は草木に覆われて忘れられたかもしれないが、耕地に対する地道な努力がされていた。
(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)
天正18年(1590年)、徳川家康の関東入国にともない、江戸時代前期の「幕領」支配としての4つの代官領の一つである多摩地域の代官頭となった大久保長安は、配下に「関東十八代官」を従えた。その拠点となったのが、代官町を形成した八王子だ。当時の八王子は、宿場(流通経済)、千人同心(武力)、関東十八代官の集住(行政)のミニ城下町機能を持った。
・徳川の支配に、直接支配の「幕領」、間接支配の「私領」(知行権を与えられた:家臣旗本と大名)、「寺領」、「社領」がある。
・十八代官は、幕領支配を担った。
・十八代官は、在地性の強い世襲代官で、出自は圧倒的に旧武田家が多い。
・十八代官は、必ずしも十八家だけが担ったわけではない。代を経て、非役の小普請に落とされたり、切腹する者もいた。
・正徳5年(1715年)に小普請に落ちたケースがある・・・十八代官制度は、100年以上続いた?
・多摩川に沿った武蔵野台地を支配した十八代官のひとつ、(メインテーマである)、武田家出自の高室代官(4代70有余年)の各代について説明された。最後の代官となる四郎兵衛昌貞は、元禄2年(1689年)在職中に、「多分の貢金を私して其会計滞りしにより」、最終的に4月25日切腹を命ぜられる。
今回、興味深かったのは、十八代官の家督を継ぐのは大変なことだったようだ。ある意味、徳川の不正に対する厳しさを、武田家末裔を体制から削ぎ落とす(意図があったかどうかは分からぬが)怖さを感じた。
(追記)
興味深い話しに、江戸時代に石高が増えた理由として、新田開発だけでなく、傾斜地を開墾して段々畑にしたと説明された。今は草木に覆われて忘れられたかもしれないが、耕地に対する地道な努力がされていた。
2014年5月21日水曜日
桃太郎と母
青空文庫には、長谷川時雨の、桃と時代に洗練された姿の西王母について記した、掌のような短文「桃」が収められている。西王母や桃への優しい眼差しとは別に、少し視点を変えて、桃太郎の物語を眺めてみよう。
桃から生まれた、桃太郎の生い立ちは不思議だ。彼の母親とは一体誰だったのだろう。もし母親が、山海経の西山経に記された玉山に住む、三千年に一度咲くという仙郷の「桃」を与える西王母だったなら。ちなみに、玉山は西の方位にある。
桃太郎は、配下の猿(申)、雉(酉)、犬(戌)を引き連れて、西に棲む鬼を退治して、金銀財宝を奪い、育ての親である爺さんと婆さんに報いる。五行と十二支から、西は金であり、雉(鳥)を中心に猿と犬が位置する方位だ。物語は、果たして大団円なのだろうか。桃太郎は、なぜ母の住む西の世界から財宝を奪ったのか。なぜ母の元へ帰ろうとしなかったのか。
西王母が、刑罰(五残)を司ったことから、まさに地獄の使者たる鬼と結びつきがありそうな気がする。果たして、西王母と鬼との世界はどうだったのだろうか。
桃から生まれた、桃太郎の生い立ちは不思議だ。彼の母親とは一体誰だったのだろう。もし母親が、山海経の西山経に記された玉山に住む、三千年に一度咲くという仙郷の「桃」を与える西王母だったなら。ちなみに、玉山は西の方位にある。
桃太郎は、配下の猿(申)、雉(酉)、犬(戌)を引き連れて、西に棲む鬼を退治して、金銀財宝を奪い、育ての親である爺さんと婆さんに報いる。五行と十二支から、西は金であり、雉(鳥)を中心に猿と犬が位置する方位だ。物語は、果たして大団円なのだろうか。桃太郎は、なぜ母の住む西の世界から財宝を奪ったのか。なぜ母の元へ帰ろうとしなかったのか。
西王母が、刑罰(五残)を司ったことから、まさに地獄の使者たる鬼と結びつきがありそうな気がする。果たして、西王母と鬼との世界はどうだったのだろうか。
2014年5月20日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 瀟湘八景
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第56回として、八つの景勝地、「瀟湘(しょうしょう)八景(소상 팔경)」にまつわる話を紹介した。
まず、パンソリ「沈清歌(심청가)」中の歌「泛彼中流(범피중류)」について、次のようにな解説から始まった。
・物語を歌い語るパンソリは、口承文芸のひとつで、12作品のうち、今伝わる5つの中に「沈清歌」がある。沈清歌の中でも「泛彼中流」の歌は、美しい景色をのんびりとしたリズムで歌う。泛彼中流は、舟が海の中を突き進む意だが、波中を行く舟の様子や島の近くでカモメが飛び交う景色など歌う。陽射しの心地よい、ある午後の平和な風景が目に浮かぶ。
・沈清歌は、父親の目を治す治療費のため舟に乗って売られていく、沈清の物語だ。この景色は二度と見ることができないと、彼女の目になんとも美しく映った。
▼ 「沈清歌」中の「泛彼中流」を聴く。茫々たる滄海に、蕩蕩たる波濤は逆巻く・・・漢詩の風景に漕ぎ出る。
・この泛彼中流の背景は、昔の詩人や画家がよく題材にした中国の洞庭湖の南、「瀟湘八景」と言われる、二つの流れが合流する大きな湖のあたり。この地名から、泛彼中流を瀟湘八景歌とも呼んだ。
次に、瀟湘八景の美しい景色を表す表現について、次のように紹介された。
・山あいの村にきれいな空気が漂う「山市(さんし)晴嵐」。夕陽に染まる漁村の「漁村夕照(せきしょう)」。また、遠く川の入り口から帆掛け船が入り来る「遠浦帰帆」。夜の瀟湘川に雨が降る「瀟湘夜雨」。さらに、洞庭湖に映った秋空の月を「洞庭秋月」と言い、哀愁を感じさせる言葉だ。
・ソウル近郊の京畿地域民謡「バンア打令(방아타령)」にも、瀟湘八景の一部を歌った歌詞がある。「バンア」は、穀物をつく器具などを指し、「バンア打令」は、もち米をつく音を真似て歌われたといわれる。
▼ 「バンア打令(방아타령)」を聴く。帆に風受け・・・どこか勇壮、足腰に力を入れて進む。自然に拍を打つ。
最後に、瀟湘の川辺に伝わる娥皇と女英(아왕、여영)の二人の悲伝について、次のような説明された。
・美しい場所には、悲伝が伝えられることも多い。その昔、堯王は舜を後継者に決めて、二人の娘(娥皇と女英)を嫁がせる。舜が王となり、歳月が流れたある日、南の地域を回って海岸沿いの蒼梧山で急に命を落とす。娥皇と女英はすぐに蒼梧山に向かうが思いのままにいかず、二人抱き合って泣いた場所が、瀟湘の川辺だ。結局二人は川に身を投げて舜王の後を追う。彼女たちが涙を拭いた手を川辺の竹やぶに振り払った、その涙が血涙となって竹の節についた。その後、この地域ではシミのある竹が生えるようになったという。
▼ 「横笛テグムの音(젓대 소리)」を聴く。古色に西洋の香りする・・・現代音楽風、今様である。
・この地域の竹を、瀟湘斑竹という。
まず、パンソリ「沈清歌(심청가)」中の歌「泛彼中流(범피중류)」について、次のようにな解説から始まった。
・物語を歌い語るパンソリは、口承文芸のひとつで、12作品のうち、今伝わる5つの中に「沈清歌」がある。沈清歌の中でも「泛彼中流」の歌は、美しい景色をのんびりとしたリズムで歌う。泛彼中流は、舟が海の中を突き進む意だが、波中を行く舟の様子や島の近くでカモメが飛び交う景色など歌う。陽射しの心地よい、ある午後の平和な風景が目に浮かぶ。
・沈清歌は、父親の目を治す治療費のため舟に乗って売られていく、沈清の物語だ。この景色は二度と見ることができないと、彼女の目になんとも美しく映った。
▼ 「沈清歌」中の「泛彼中流」を聴く。茫々たる滄海に、蕩蕩たる波濤は逆巻く・・・漢詩の風景に漕ぎ出る。
・この泛彼中流の背景は、昔の詩人や画家がよく題材にした中国の洞庭湖の南、「瀟湘八景」と言われる、二つの流れが合流する大きな湖のあたり。この地名から、泛彼中流を瀟湘八景歌とも呼んだ。
次に、瀟湘八景の美しい景色を表す表現について、次のように紹介された。
・山あいの村にきれいな空気が漂う「山市(さんし)晴嵐」。夕陽に染まる漁村の「漁村夕照(せきしょう)」。また、遠く川の入り口から帆掛け船が入り来る「遠浦帰帆」。夜の瀟湘川に雨が降る「瀟湘夜雨」。さらに、洞庭湖に映った秋空の月を「洞庭秋月」と言い、哀愁を感じさせる言葉だ。
・ソウル近郊の京畿地域民謡「バンア打令(방아타령)」にも、瀟湘八景の一部を歌った歌詞がある。「バンア」は、穀物をつく器具などを指し、「バンア打令」は、もち米をつく音を真似て歌われたといわれる。
▼ 「バンア打令(방아타령)」を聴く。帆に風受け・・・どこか勇壮、足腰に力を入れて進む。自然に拍を打つ。
最後に、瀟湘の川辺に伝わる娥皇と女英(아왕、여영)の二人の悲伝について、次のような説明された。
・美しい場所には、悲伝が伝えられることも多い。その昔、堯王は舜を後継者に決めて、二人の娘(娥皇と女英)を嫁がせる。舜が王となり、歳月が流れたある日、南の地域を回って海岸沿いの蒼梧山で急に命を落とす。娥皇と女英はすぐに蒼梧山に向かうが思いのままにいかず、二人抱き合って泣いた場所が、瀟湘の川辺だ。結局二人は川に身を投げて舜王の後を追う。彼女たちが涙を拭いた手を川辺の竹やぶに振り払った、その涙が血涙となって竹の節についた。その後、この地域ではシミのある竹が生えるようになったという。
▼ 「横笛テグムの音(젓대 소리)」を聴く。古色に西洋の香りする・・・現代音楽風、今様である。
・この地域の竹を、瀟湘斑竹という。
2014年5月19日月曜日
見間違えのこと
え~、今日は時間が速い。日没は遅くなっているのに、気の回ることがあると、あっという間に夕暮れ、そして夜の9時だ。
イ・ソンヒの4月のコンサート会場である、世宗文化会館の建物入り口前に置かれた組み立て椅子にすわって、のんびり世宗大路(世宗広場)を眺めていたときのこと、アメリカ大使館横、右手奥に見える建物が気になった。実は、前回のコンサートのときにも気付きながら、確認しないままでいた。
建物の一番上の壁に取り付けられた”n9”という赤い文字が目に入った。”n9”って?・・・news9のことかな・・・とすると、ニュース専門チャンネルだろうか?・・・大手新聞社が系列のテレビチャンネルを持つことができるようになったから、そんな放送局でもあるのかな?
おじさんの好奇心はそこまで。歩いて建物を確認する気はなかった。都市の街並みは同じだ、なんて。
実は、news9放送局なんて無いのだ。あの建物は一体何だったのだろうと気になって、グーグルのストリートビューで探してみたら、何と”n9”は、”119”、すなわち、鍾路(종로)消防署の文字だったのだ。(ちなみに、世宗文化会館から見た光景)
・・・そんなことがありました。そうそう、フックエンターテインメントの建物もストリートビューで見ちゃいました。
イ・ソンヒの4月のコンサート会場である、世宗文化会館の建物入り口前に置かれた組み立て椅子にすわって、のんびり世宗大路(世宗広場)を眺めていたときのこと、アメリカ大使館横、右手奥に見える建物が気になった。実は、前回のコンサートのときにも気付きながら、確認しないままでいた。
建物の一番上の壁に取り付けられた”n9”という赤い文字が目に入った。”n9”って?・・・news9のことかな・・・とすると、ニュース専門チャンネルだろうか?・・・大手新聞社が系列のテレビチャンネルを持つことができるようになったから、そんな放送局でもあるのかな?
おじさんの好奇心はそこまで。歩いて建物を確認する気はなかった。都市の街並みは同じだ、なんて。
実は、news9放送局なんて無いのだ。あの建物は一体何だったのだろうと気になって、グーグルのストリートビューで探してみたら、何と”n9”は、”119”、すなわち、鍾路(종로)消防署の文字だったのだ。(ちなみに、世宗文化会館から見た光景)
・・・そんなことがありました。そうそう、フックエンターテインメントの建物もストリートビューで見ちゃいました。
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