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2014年6月3日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 柳

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第58回として、川の岸辺に立つ、愛と別れのシンボルとされる「柳(버들)」にまつわる話を紹介した。

始めに、中国の前漢時代に異国に嫁いだ宮女の王昭君(왕소군)を思いうたった詩の紹介から、次のように始まった。
・中国唐代の詩人東方虬(동방규)には、異国に嫁いだ宮女王昭君を思いながらうたった詩がある。
     胡地無花草   花が咲かないあの地には
     春來不似春   春が来ても春の空気が漂わない
     ・・・             ・・・
春が来ても春らしくない重苦しい気持ちを表している。若い命が一瞬に去った、沈没事故のあった今春がそんな季節であったかも知れない。その春も過ぎ去り夏が近づいている。

▼ 京畿地域の民謡「楊柳歌- 柳の歌(양류가-버들노래)」を聴く。春の風、鳥、蝶・・・穏やかに、今様である。

次に、旅の別れを惜しみ、再会を象徴する「柳」について、次のように説明された。
・昔、道路が不整備のため、主に船を利用した。荷物を多く持って遠く旅するならなお更で、船場は往来の人々で混み合った。去る者、残る者、またいつ会えるのか分からなかったため、別れが辛かった。
・柳の枝は折って土に植えると根を下ろすため、旅立つ者は、川辺の柳の枝を折り植えて、自分と思って欲しいと言った。冬が過ぎて春になり、凍り付いた川が融けると船が出港する。旅人が増え、柳の枝を折る人が多くなると、この季節には川辺の柳の枝が尽きた。柳は、愛と別れのシンボルになった。柳を見つめながら、旅立った者を愛しく思い涙した人もいたことだろう。

▼ 女性歌曲「柳」を聴く。長い呼吸で歌う・・・とても洗練された雰囲気。

最後に、高麗の太祖王権(태조왕건)と柳の葉を浮かべた水や、娘の出会いの逸話を、次のように紹介された。
・太祖王権がまだ将軍のとき、喉が渇き、井戸にいた娘に水を一杯求めた。娘は水を汲み、器に柳の葉を浮かせた。急いで飲むと喉につかえるため、葉を吹きゆっくり飲むの意があった。その後、王権が高麗建国後、この娘は王妃になった。
・昔、貧しい中、一人娘ヌンソを育てた父が兵役に行くことになり、娘を(忠清南道)天安(천안)の或る宿に任せることになった。父親は柳の枝を植えて、「この木から葉っぱが出てくる頃にはまた会える」と言った。後日、ヌンソは美しい娘に育ち、(学識ある者)ソンビと巡り合う。彼は、国の役人になる試験を受けるため向かっていた。彼が試験に合格して戻ったとき、柳の下でヌンソと再会した。このときの歌を「天安三叉路(천안 삼거리)」という。天安地域にある三叉路という歌だ。後に、父親とも再会する。

▼ 「天安三叉路(천안도 삼거리)」を聴く。三南大路の分岐点・・・別れの道、出会いの道、曲調は明るい。