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2014年6月2日月曜日

(資料)K-POP Archive 1984年 : イ・ソンヒの誕生

「K-POP Archive」は、20世紀(1907年)以降の韓国歌謡界の動向を記している。特に、1980年代以降については、その内容が、評論もまじえた年代記風になっており、鳥瞰に最適である。
といっても、イ・ソンヒに関わるところを見つ続けているわけだが、彼女が登場した1984年について、「Year1984. 新しい英雄キム・スチョル、イ・ソンヒの誕生」*の文に、次のように解説している。(抜粋)
(*)KMDC ARCHIVE:「時代別大衆音楽史」1980年代
    ー https://www.k-pop.or.kr/history/history/1980

1984年を、歌王チョー・ヨンピルに迫る若い才能が生まれた年と記している。まさにイ・ソンヒを象徴する、歌謡界の水準が向上した年であった。

(本ブログ関連:”1984年”)
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・・・、(1984年)7月29日開かれた第5回「江辺歌謡祭」を通じて登場したイ・ソンヒは、大賞曲「Jへ」でこの年のシンデレラになった。本来、「4幕5場」という混成デュエットの一員で歌謡祭に参加したイ・ソンヒは、圧倒的な歌唱力でチームの大賞を導いた。歌謡祭後、足早くソロでデビューした彼女は、結局「Jへ」一曲でMBC「10代歌手歌謡祭」の3冠王(10代歌手賞、女新人歌手賞、最高人気歌謡賞)になる。男性の新人のうちでは、ハンサムな容貌に独特の唱法が印象的だったボリビア僑胞(海外在住韓国人)歌手イム・ビョンス(임병수)が注目された。特に、彼の独特のバイブレーションは、「ヤギ唱法」という新造語まで作り出した。

この年、男性歌手のうちユン・スイル(윤수일)の活躍も眩しかった。年初「アパート」の熱気を下半期、軽快なロック ナンバー「美しくて」に継続した。彼は、当時我が国では試みたことがない、いわゆるシティ・ロック音楽で自分だけの牙城を構築した。
女性新人歌手のうちには、たとえイ・ソンヒの突風で色があせたのだが、清純で可愛いイメージのチェ・ヘヨン(최혜영)も人気であった。1月1日「若さの行進]」をデビュー舞台で活動を始めた彼女は、「それは人生」で一気にスターダムに上がった。もし、イ・ソンヒが登場しなかったら、彼女の新人歌手賞受賞は当然の結果だっただろう。
最後に、1984年歌謡界で表面的には眺望されなかった最も大きい変化であり特徴は、歌手の上向き平準化現象だ。すなわち、全般的に歌手の水準が向上したのだ。例えば、以前には誰もチョー・ヨンピルの牙城に届かなかった。大衆的な人気だけでなく音楽的にもそうだった。それだけ、チョー・ヨンピルは先んじていた。だが、この年を基点にして、チョー・ヨンピルとはまた他の、個性と音楽性を持つ歌手が、次から次へ登場し始めた。

それと共に歌謡界は、また他のルネサンスを迎える準備をしていた。
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(Youtubeに登録のwindmillsofmusic、soya iに感謝)

2014年6月1日日曜日

ポピーの花

何だ、夏じゃないか、陽射しと熱気に押しつぶされそう。通り道の路面、栗林の白い穂(花)、小学校の垣根、そこらじゅう眩しくて目がパチパチする。のんびり、日曜の昼を、コンビニでペットボトルの飲料水と新聞の朝刊を買って、小金井公園に出かけた。

公園の散歩道は、木立に覆われて、木漏れ日が風に揺れる。深く緑陰の空気を満喫することができる。並木道の南側には広い原っぱがあって、休日を楽しむ家族連れでにぎわっていた。元気な子どもたちの遊び声、叫び声がこちらにも届く。

この「子どもの広場」に、ちょっとした花畑があって、赤い花が咲いているのが目に付く。いつもは、コスモスの花を咲かせたりする場所だが・・・と思いながら寄って見た。

どうやらポピーの花だ。一見、華奢な感じがするが、すっと伸びた茎の上で揺れる赤い花弁の様は、怪しさを秘めているよう。というのも、花びらの落ちた後の姿に、危険なイメージをしてしまうからだ。ポピーは、ケシ科の花である。
するりとして、赤い花弁だけが目に焼きつく、その立ち居に、どこか曼珠沙華の影に通じるものがある。

ところで、今日は気象記念日だそうだ。気象庁発表の今年の「第139回気象記念日について」に、「気象記念日は、気象庁の前身である東京気象台が明治8年(1875年)6月1日に設立されたことを記念し、昭和17年(1942年)に制定されました。」と付記されている。
東京は、今日も真夏日で、今年の最高の気温を更新したのだろうか。・・・都心の最高気温は、33.1℃(昨日31.6℃)だったそうだ。

(雑談)なぜなぜ3回

問題分析、つまり、何でこんなことになっちゃったのだろうという、問題の根本要因を見つけ出す作業がある。これを、「なぜなぜ分析」と呼ぶが、経験上「なぜなぜ3回」といったりした。つまり、要因を自分の目で気付くために、「なぜ?」を3回は繰り返さないと・・・というわけだ。

「なぜ?」を3回繰り返すと、分析したつもりでも言い訳だったり、表面的な現象だったりしたものから、自分で確認する、つまり自分で取り組める処まで、真の要因を探し出すことができるようになる。3回ではダメなのだろうか、その後、6回などと言ったりしていたが。

自分の水準で考えることがミソで、それゆえ組織として全員で、問題に取り組むことができるわけで、その結果、問題解決への道筋を作る大きな力になる。多分、その力が、高度経済成長を押し上げたことだろう。

自分で考えるリテラシー上で、なぜなぜ3回や、なぜなぜ6回するけれど、世の中の全てに、そんなリテラシーが揃っているわけではない。そこで、世界共通の標準化された(基本的な)管理の仕組みが登場した。それは、ひとことでいえば、仕事のプロセスの節目、節目でチェックしなさい、その運用を組織として健全に廻しているか管理しなさいという、チェックする側の責務が明確にされた。だから、組織を運用して廻す側である、マネジメント側にとっての(責任)システムでもある。

全員が自分の立場で分析するという「なぜなぜ3回」があり、その結果、問題解決まで含めて、組織が健全に廻るためにマネジメントこそしっかりしなくちゃならないよ、ということになる。

2014年5月31日土曜日

とうとう真夏日だ!

5月最後の今日、夕方に外から戻って自分の部屋を開けると、こもっていた熱気に押し返されそうだった。今年初めてのことだ。夜分になっても、熱気がなかなかひかないでいる。

① 日本気象協会のtenki.jp(5/31、11時9分)によると、今日、「東京で今年初の真夏日」と次のように予想している。
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・東京で午前11時1分に気温が30度2分まで上がり、今年初めて真夏日になりました。去年に比べて18日早い初真夏日です。明日も真夏日になる予想で、暑さが続くでしょう。熱中症に注意が必要です。
・予想最高気温は東京31度、前橋33度、熊谷32度と厳しい暑さでしょう。
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② 最新情報の、Time-j.netの「今日の最高気温」(20時現在)によれば、東京31.6℃、地元に近い府中32.7℃だったとのこと。

ちなみに、Wikipediaの「気温」によれば、「夏日:日最高気温が25℃以上の日。真夏日:日最高気温が30℃以上の日。」とのこと。

2014年5月30日金曜日

この世の果て

もうじき、5月が終わろうとしている。夕方、日ごとに明るさがたまるのを、まるで時間そのものが遅くなったように感じてしまう。時間は、時間であって、制御できるものではないのに。
そういえば、モスキート音の12,500Hz以上が聴こえない・・・ああ、一体いつからだ。

宇宙が誕生して、約137億歳(正確には、13.772±0.059 Gyr)だそうだが、それより昔はあったのか。今、膨張する宇宙の果ては存在するのか。一般向け説明を何度か聴いているはずだが、相変わらず理解できない。いっそ、宇宙が入れ子になって、私の手元にでもあればいいのに。

大切な父親を偲んで作られたという歌「この世の果てまで(The End Of The World)」(1962年、作詞・作曲:アーサー·ケント、シルビア·ディー)は、スキータ・デイヴィス(Skeeter Davis、1931年12月30日~2004年9月19日)が淡々と歌うことで、かえって身にしみる。

(本ブログ関連:”Skeeter Davis”)

岸辺に波を打ち寄せる海に、さえずる鳥たちに、天空に輝く星々に、変わらぬものに、ふと時の終わりを感じてしまう。そんなことってある・・・残念ながらなかったけれど、でも、そういわれれば納得できるような気がする。

時間は、どうやら過去にしか感じられない。だから、未来なんて分からない・・・分からないから、枝分かれするパラレルワールドがせめてもの慰めだ。

(Youtubeに登録のALLEN0955に感謝)

2014年5月29日木曜日

イ・ソンヒの「ヨン(Young)」

イ・ソンヒには、恋が若さの一幕に過ぎない特権を謳歌する、3集所収の歌「Young(영)」(1986年)がある。世宗文化会館での「デビュー22周年ライブコンサート」(2006年6月17日、18日)のYoutube映像に、デビュー2年目、22歳のときのこの歌を、40歳を越えてもなお初々しく歌うイ・ソンヒがいる。

Daumミュージックの「世界を変えた歌36弾 - イ・ソンヒ "Jへ"」(2012年1月20日、ユン・ホジュン)は、この「Young(ヨン)」から、イ・ソンヒが若い女子中高生たちのアバターとしてリードしたと次にように語っている。
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・イ・ソンヒは、「Jへ」から始まったイメージで、1980年代を生きたし、最高の人気を謳歌した。しおりにさしておいた色褪せたイチョウの葉を物語る「ヨン」が、少女たちだけの内密な世界を扱った歌が、人気歌謡の序列に上った時期はかつてなかった。レコードを発表するたびに、声がアップグレードされた彼女は、若い作曲家ソン・シヒョン(송시현)の歌を歌う時まで無敵だった。1990年代の入り口で「思い出のページをめくれば」を歌う時まで、イ・ソンヒは女子中高生たちのアバターであり、隠した欲望の代理人であった。
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Young しおりに挿した
Young イチョウの葉は色あせても

Young たまらなく会いたい Young うーん・・・
あなたは 今 どこに

Young わたしだけ 一人 寂しく
Young 残しておいてどこへ行ったの

Young 戻って来ることができないの  Young うーん・・・
私はあなたを愛してる

夕闇背負って  川岸に座って
花の指輪をさして  ささやいたその言葉

Young あなたは忘れてしまったの  もう忘れたの
帰ってきて  私はあなたを あなたを愛してる


(Youtubeに登録のd'abord musiqueに感謝)

2014年5月28日水曜日

(資料)韓国のネット音楽配信での歌手収入

韓国のネットによる音楽配信で、歌手の収入が厳しい現状にある。ソウル新聞の記事「音源サイト歌一曲の歌手持分として、0.36ウォンだけ…それで乗り出した、シン・テチョルの音源組合」(4/28、キム・ソラ記者)に、次のように厳しい状況が紹介されている。(抜粋、一部並べ替え)

ミュージシャンに少しでも多くの収益をもたらすため、音源流通のための協同組合が提案されたそうだが・・・とりあえず、ここでは現状のみ記す。

(本ブログ関連:”音楽市場”)
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・現在の音源市場は、歌手が音源収益の10%も持っていくことができない構造だ。文化体育観光部の「音楽伝送使用料徴収規定」によれば、メロンやバグスミュージックなど音源サイトで流通する音源は、全体収益を次のそれぞれが持つ。
⇒ 40%: 音源サイトを運営する業者
⇒ 44%: 歌手が所属した製作会社
⇒ 10%: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒   6%: 実演者(歌手・演奏者)
・月6,000ウォン程度を出して無制限にストリーミングできる、定額制でストリーミング1回当たり、実演者に落ちる持分は、1ウォンにならない。

・ミュージシャンは定額制を「ダンピング」と指摘して、従量制での転換を要求してきた。これに伴い、文体部は、昨年(2013年)5月、音源従量制を導入して、歌一曲が再生するたびに、次のように戻るようにした。
⇒ 0.60ウォン: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒ 0.36ウォン: 実演者(歌手・演奏者)
・しかし、ミュージシャンの持分が相変らず微小なうえに、消費者の選択権を理由に定額制と併行するようにして、従量制導入の意味が見るべきものがなかったという指摘が多い。音源市場の不均衡は、固定化されている。
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2014年5月27日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 麦

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第57回として、冬を越して夏に実る「麦(보리)」にまつわる話を紹介した。

始めに、食料が窮乏する「春窮期(ボリコゲ、보릿고개)」について逸話と伴に、次のように紹介された
・秋冬に備蓄の食糧を食べ尽くし、麦を収穫するまで、深刻な食糧難の時期を「春窮期」という。麦(보리)と峠(고개)の象徴的な意もあり、この時期を乗り越えるのを「ボリコゲを越えた」ともいった。
・朝鮮21代王「英祖(영조)」(1694年~1776年)は66歳のとき、15歳の新王妃「貞純王后(정순왕후)」を迎えた。王妃候補者へ「これまでに一番辛かった人生の峠は何か」との問に、彼女は「ボリコゲ」と答えて高く評価された。彼女が民を思ったか諸説あるが、当時、生活難に苦しむ人々の様子を表している。麦畑が黄金の色に染まる、今頃の時期が「ボリコゲ」にあたる。

▼ 「麦畑(보리밭)」を聴く。麦畑をかすめる風が見える・・・穏やかな、今様である。

次に、庶民の立場から「ボリコゲ」について、次のように説明された。
・米は秋、麦は夏頃収穫し、夏に麦飯を、冬に白米を食べた。寒い冬に米を食べて体力を補い、暑い夏に麦を食べて体の熱を冷まし、余裕がある時、白米は熱く、麦飯は冷たくして混ぜご飯にして食べた。収穫した米が底をつき、麦畑がまだ実らぬ時期、人々は何としても生きる道を探すしかない、そんな時代が50年前まであった。

    (*) 韓国の稲・麦の二毛作地域はどのようなのだろうか? ⇒ (本ブログ関連:”麦”)

・「食事はされましたか(식사 하셨습니까?)」という挨拶は、「ボリコゲ」から生まれた表現だ。今では体に良い麦飯だが、昔は、命をつなぐ大事な主食であった。麦の収穫から脱穀の作業を「麦打ち(보리타작)」という。

▼ 「麦打ち歌(보리타작 소리)」を聴く。実際の麦打ち作業は、もっと揺ったりでは・・・まるで餅つきだ!

最後に、麦打ちの道具「トリケ(도리깨)」と、労働の歌「オンヘヤ(옹헤야)」について、次のように解説された。
・昔、麦の脱穀に「トリケ」と呼ぶ殻竿を用いた。長い殻竿の先に「フィチュリ(휘추리)」という棒を二つ程付けて、地面に干して置いた穀物を打った。この作業は、数人が一緒に互いに助け合い、楽しく働くために歌を歌いながらした。
・「トリケ」で穀物の穂を打つリズムに合わせて、一人が掛け声で歌い出し、残りの者がついて歌う形式だ。民謡「オンヘヤ」も、もとは麦の脱穀で歌ったものだ。民謡には稲作に関するものが多いが、麦も大事な食糧であり、たくさんの民謡がある。代表的な麦打ち歌「オンヘヤ」で、「オンヘヤ」というシンプルな歌詞には、「ボリコゲ」を無事に越して麦打ちをする人々の収穫の嬉しさが込められている。

▼ 「オンヘヤ」を聴く。調子のよさに、イ・パクサを思い出したよ・・・歌詞はママに、曲は今様である。

2014年5月26日月曜日

なでしこ アジア杯初V

結局、結果が確定したのは、今日の日付に変わった深夜零時過ぎだった。FIFA女子ワールドカップはすでに制したものの、いまだにAFC女子アジアカップの優勝のない「なでしこジャパン」が、ついに念願を果たしたのだ。
スポニチAnnexの記事「なでしこ アジア杯初V視聴率20.6%!瞬間最高25.9%」(5/26)によれば、深夜にもかかわらず高いテレビ視聴率だったと、次のように報じている。(抜粋)

サッカーをよく分からず何となく観戦する(「オフサイド」も分からぬ)にわかファンだが、今回はしっかり見ましたよ。気分としては、テレビ解説者松木安太郎氏の、おじさん口調で「よし!よし!」の語りにのって画面に叫んでました。

全力疾走で走り続ける女子選手たちが素晴らしい。きっと、来月の男子ワールドカップに、よい影響を与えることだろう。それにしても、川澄奈穂美選手の笑顔が、まぶしくて可愛らしいこと。

(本ブログ関連:”なでしこ”)
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・なでしこジャパンの「アジア杯」初優勝を伝えた25日のテレビ朝日「日本×オーストラリア」(後10:11~0:15)が、20.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)の高視聴率を記録したことが26日、分かった。

・22日の準決勝・中国戦の18.5%を上回り、銀メダルを獲得した2012年のロンドン五輪以降、女子サッカー中継としては最高の数字となった。

・瞬間最高視聴率は午後10時57分の25.9%。前半41分、MF澤穂希(35)が相手選手と接触した場面だった。
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2014年5月25日日曜日

図書館はいっぱい

今日は久し振りに部屋を片付けたため外出が遅くなり、図書館に着いたのは午後2時過ぎ。スタディーコーナーは満席で、座席の確保が難しい。特に日曜の休日は。それでも、利用しようと人々が次々来ては、発券機の前に並ぶ。

スタディーコーナーのシステムは、決まった予約時間ごと、個人カードを使って発券機から座席レシートを得て利用する。合理的なのだが、実は、気になることがある。
例えば、予約時間より早く退席する場合、発券機に戻って終了手続きをすることになっているが、やらずに退出する人がいて、システム上は利用者がまだ存在することになる。予約時間終了まで、その席は誰も使えない。そんな座席が散見するようで、もったいない。

利用できない者は、同じフロアに設置された、会議用の開放テーブルを使う。こちらも混み合っていて気ぜわしい。当然ながら、テーブルには対向の間仕切りもない。でもいいか。

しばらく、こちらのテーブルを利用して、添削いただいた作文(イ・ソンヒコンサート訪問)を復習する。丁寧に赤字を入れてくださった韓国語教室の先生に感謝。

2014年5月24日土曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

今月の初旬、「子どもの日」の祝日を中心に、家族連れで賑わう楽しい連休があった。ところで、韓国のひとびとにとって、この5月は、一方で深い記憶に残る月でもある。

イ・ソンヒには、5集所収の「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ/イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)がある。ふっと吹き寄せる風に、記憶は呼び覚まされる。彼女は、メッセージを直裁でなく、かすめる、そして遠くに流れる風に託して歌う。

政治性を持ち続けたわけではない。むしろ、イ・ソンヒは、その振幅は大きかったといえる。乾いた五月の陽射しの中、こころに寄り添う風が吹く限り、この歌は歌い続くだろう。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”)

(Youtubeに登録の라이브쓰리제이に感謝)

2014年5月23日金曜日

ペ・チョルスとイ・ソンヒ

以前、韓国経済の記事(2011年1月8日、キム・ミョンシン記者)に、KBS音楽番組「コンサート7080」のMCペ・チョルス(배철수、裵哲秀)が、”歌手として”事実上引退の可能性を示唆したという内容があった。

(本ブログ関連:”ペ・チョルス”)

ペ・チョルスは、いわゆる歌謡祭出身の歌手で、中央日報の記事「【噴水台】スーパースターK」(2010年10月24日、ソン・ウォンソプJES記者)が、スーパースターKなどオーディション番組隆盛時に、過去の同様のイベント(歌謡祭)紹介の中で次のように記している。
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・30余年前の「大学歌謡祭」を連想させる。77年に始まった「MBC大学歌謡祭」も盛り上がったのは2年目の78年だった。第1回大会の成功でレベルの高い参加者が数多く集まり、参加者のうちペ・チョルス、ノ・サヨン、イム・ベクチョン、シム・スボンらが80年代の大衆文化の主役に成長した。同じく78年に始まったTBC(東洋放送)「海辺歌謡祭」もワン・ヨンウン、チュ・ビョンジン、グ・チャンモ、イ・チヒョンらを輩出した。その後、さまざまな大学生歌謡祭が韓国放送・歌謡界の登龍門に定着した。
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K-Wikipediaによれば、ペ・チョルスのデビューは、1978年のTBC第1回「海辺歌謡祭」のようだ。
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・1978年に 東洋放送 TBC第1回「海辺歌謡祭」では、グループ滑走路(RUNWAY )の一員として出場し、「世間知らずで生きてきた」で人気賞を受け、同年MBC第2回「大学歌謡祭」にも出場、<仮面舞踊>で銀賞を獲得した。
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(ちなみに、イ・ソンヒは、1979年に開始した「MBC江辺歌謡祭」の第5回(1984年)で、「Jへ」により四幕五場のグループとして大賞受賞している)

そんな、ペ・チョルス(1953年8月18日~)が、最近、30周年記念コンサートをした、イ・ソンヒ(1964年12月14日~)とのデュエットの申し出を断ったという、おもしろい記事がある。アジア経済の記事「【ラジオスター】ペ・チョルス 『24年間のあいだ歌っていない、イ・ソンヒのデュエット拒絶』」(5/22)で、イ・ソンヒとの、年齢差と音楽経験の違いから、次のようなやりとりを述べている。
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・自分を置いて(出演した番組中の会話)争奪戦が広がるとすぐに、ペ・チョルスは、「イ・ソンヒさんから電話があった」と、「先だって、(15集)アルバムを出しながら、先輩とデュエットで歌いたいと言っていたよ」という事情を告白した。だが、ペ・チョルスは、「ソンヒさんよ、どうか、やらないでください」と、イ・ソンヒの提案を断った。
・ペ・チョルスは、「私は、24年の間(音楽を)していなかった」と話し、歌いにくいという立場を表わした。
・【ラジオスター】ペ・チョルスの音楽ネチズンは、「ペ・チョルスの声、また聞きたいけれど」、「ペ・チョルス、イ・ソンヒとデュエット想像するだけでも良いのに」など反応を見せた。
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2014年5月22日木曜日

【多摩の代官】関東十八代官

地元公民館で、江戸時代初めの多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説する、法政大学大学院の馬場憲一教授の第2回目講演「関東十八代官」を聴講した。(前回(5/8)のテーマは「代官頭大久保長安」)

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

天正18年(1590年)、徳川家康の関東入国にともない、江戸時代前期の「幕領」支配としての4つの代官領の一つである多摩地域の代官頭となった大久保長安は、配下に「関東十八代官」を従えた。その拠点となったのが、代官町を形成した八王子だ。当時の八王子は、宿場(流通経済)、千人同心(武力)、関東十八代官の集住(行政)のミニ城下町機能を持った。

・徳川の支配に、直接支配の「幕領」、間接支配の「私領」(知行権を与えられた:家臣旗本と大名)、「寺領」、「社領」がある。
・十八代官は、幕領支配を担った。
・十八代官は、在地性の強い世襲代官で、出自は圧倒的に旧武田家が多い。
・十八代官は、必ずしも十八家だけが担ったわけではない。代を経て、非役の小普請に落とされたり、切腹する者もいた。
・正徳5年(1715年)に小普請に落ちたケースがある・・・十八代官制度は、100年以上続いた?
・多摩川に沿った武蔵野台地を支配した十八代官のひとつ、(メインテーマである)、武田家出自の高室代官(4代70有余年)の各代について説明された。最後の代官となる四郎兵衛昌貞は、元禄2年(1689年)在職中に、「多分の貢金を私して其会計滞りしにより」、最終的に4月25日切腹を命ぜられる。

今回、興味深かったのは、十八代官の家督を継ぐのは大変なことだったようだ。ある意味、徳川の不正に対する厳しさを、武田家末裔を体制から削ぎ落とす(意図があったかどうかは分からぬが)怖さを感じた。

(追記)
興味深い話しに、江戸時代に石高が増えた理由として、新田開発だけでなく、傾斜地を開墾して段々畑にしたと説明された。今は草木に覆われて忘れられたかもしれないが、耕地に対する地道な努力がされていた。

2014年5月21日水曜日

桃太郎と母

青空文庫には、長谷川時雨の、桃と時代に洗練された姿の西王母について記した、掌のような短文「桃」が収められている。西王母や桃への優しい眼差しとは別に、少し視点を変えて、桃太郎の物語を眺めてみよう。

桃から生まれた、桃太郎の生い立ちは不思議だ。彼の母親とは一体誰だったのだろう。もし母親が、山海経の西山経に記された玉山に住む、三千年に一度咲くという仙郷の「桃」を与える西王母だったなら。ちなみに、玉山は西の方位にある。

桃太郎は、配下の猿(申)、雉(酉)、犬(戌)を引き連れて、西に棲む鬼を退治して、金銀財宝を奪い、育ての親である爺さんと婆さんに報いる。五行と十二支から、西は金であり、雉(鳥)を中心に猿と犬が位置する方位だ。物語は、果たして大団円なのだろうか。桃太郎は、なぜ母の住む西の世界から財宝を奪ったのか。なぜ母の元へ帰ろうとしなかったのか。

西王母が、刑罰(五残)を司ったことから、まさに地獄の使者たる鬼と結びつきがありそうな気がする。果たして、西王母と鬼との世界はどうだったのだろうか。

2014年5月20日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 瀟湘八景

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第56回として、八つの景勝地、「瀟湘(しょうしょう)八景(소상 팔경)」にまつわる話を紹介した。

まず、パンソリ「沈清歌(심청가)」中の歌「泛彼中流(범피중류)」について、次のようにな解説から始まった。
・物語を歌い語るパンソリは、口承文芸のひとつで、12作品のうち、今伝わる5つの中に「沈清歌」がある。沈清歌の中でも「泛彼中流」の歌は、美しい景色をのんびりとしたリズムで歌う。泛彼中流は、舟が海の中を突き進む意だが、波中を行く舟の様子や島の近くでカモメが飛び交う景色など歌う。陽射しの心地よい、ある午後の平和な風景が目に浮かぶ。
・沈清歌は、父親の目を治す治療費のため舟に乗って売られていく、沈清の物語だ。この景色は二度と見ることができないと、彼女の目になんとも美しく映った。

▼ 「沈清歌」中の「泛彼中流」を聴く。茫々たる滄海に、蕩蕩たる波濤は逆巻く・・・漢詩の風景に漕ぎ出る。

・この泛彼中流の背景は、昔の詩人や画家がよく題材にした中国の洞庭湖の南、「瀟湘八景」と言われる、二つの流れが合流する大きな湖のあたり。この地名から、泛彼中流を瀟湘八景歌とも呼んだ。

次に、瀟湘八景の美しい景色を表す表現について、次のように紹介された。
・山あいの村にきれいな空気が漂う「山市(さんし)晴嵐」。夕陽に染まる漁村の「漁村夕照(せきしょう)」。また、遠く川の入り口から帆掛け船が入り来る「遠浦帰帆」。夜の瀟湘川に雨が降る「瀟湘夜雨」。さらに、洞庭湖に映った秋空の月を「洞庭秋月」と言い、哀愁を感じさせる言葉だ。
・ソウル近郊の京畿地域民謡「バンア打令(방아타령)」にも、瀟湘八景の一部を歌った歌詞がある。「バンア」は、穀物をつく器具などを指し、「バンア打令」は、もち米をつく音を真似て歌われたといわれる。

▼ 「バンア打令(방아타령)」を聴く。帆に風受け・・・どこか勇壮、足腰に力を入れて進む。自然に拍を打つ。

最後に、瀟湘の川辺に伝わる娥皇と女英(아왕、여영)の二人の悲伝について、次のような説明された。
・美しい場所には、悲伝が伝えられることも多い。その昔、堯王は舜を後継者に決めて、二人の娘(娥皇と女英)を嫁がせる。舜が王となり、歳月が流れたある日、南の地域を回って海岸沿いの蒼梧山で急に命を落とす。娥皇と女英はすぐに蒼梧山に向かうが思いのままにいかず、二人抱き合って泣いた場所が、瀟湘の川辺だ。結局二人は川に身を投げて舜王の後を追う。彼女たちが涙を拭いた手を川辺の竹やぶに振り払った、その涙が血涙となって竹の節についた。その後、この地域ではシミのある竹が生えるようになったという。

▼ 「横笛テグムの音(젓대 소리)」を聴く。古色に西洋の香りする・・・現代音楽風、今様である。

・この地域の竹を、瀟湘斑竹という。

2014年5月19日月曜日

見間違えのこと

え~、今日は時間が速い。日没は遅くなっているのに、気の回ることがあると、あっという間に夕暮れ、そして夜の9時だ。

イ・ソンヒの4月のコンサート会場である、世宗文化会館の建物入り口前に置かれた組み立て椅子にすわって、のんびり世宗大路(世宗広場)を眺めていたときのこと、アメリカ大使館横、右手奥に見える建物が気になった。実は、前回のコンサートのときにも気付きながら、確認しないままでいた。

建物の一番上の壁に取り付けられた”n9”という赤い文字が目に入った。”n9”って?・・・news9のことかな・・・とすると、ニュース専門チャンネルだろうか?・・・大手新聞社が系列のテレビチャンネルを持つことができるようになったから、そんな放送局でもあるのかな?

おじさんの好奇心はそこまで。歩いて建物を確認する気はなかった。都市の街並みは同じだ、なんて。

実は、news9放送局なんて無いのだ。あの建物は一体何だったのだろうと気になって、グーグルのストリートビューで探してみたら、何と”n9”は、”119”、すなわち、鍾路(종로)消防署の文字だったのだ。(ちなみに、世宗文化会館から見た光景)

・・・そんなことがありました。そうそう、フックエンターテインメントの建物もストリートビューで見ちゃいました。

2014年5月18日日曜日

甲州 黄金沢金山

久し振りに四人揃って、甲州の黄金沢金山へ鉱物採集に行く。先週の渦の沢に続き、2週連続の採集は、おじさんに厳しい。とはいえ、先輩も同じこと故、言い訳にもならず。
今回の目標は意気高く、金山だから「自然金」を、そして当地で知られる「洋紅石」を、「ミメット鉱」を、「車骨鉱」を・・・と。

中央高速の利用もあって、珍しくJR中央線の駅に集合。いつもお世話になるH氏の車に、S氏と同乗して集合場所の甲州市市役所へ進む。今回の案内役を引き受けていただいたY氏と合流して、県道207号を北上、竹森川の上流にある黄金沢金山へ向かう。途中、ゲートがあり、そこで降りて、山林をくぐり、沢を渡って黄金沢金山のズリまで歩く。

(参考) 「鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版」(著:松原聰)に産地紹介あり。

天気晴朗、陽射しが強く、ズリに散らばる花崗岩や石英がキラキラと輝き、金属鉱物と間違えそう。ともあれ、コツコツと石を探しては、ハンマーでカンカン割り続ける・・・。残念ながら、志の高さに比べて、目標鉱物はもっと高すぎたのか見当たらず。
それでも、それなりに地味~に、次の鉱物を採集した。

・方鉛鉱、閃亜鉛鉱、硫砒鉄鉱、磁硫鉄鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、珪孔雀石

ところで、案内役のY氏から、当地の産出鉱物の種類から、秩父の大滝と状況が似ているとのこと。いろいろな情報を教えていただき、感謝。そして、採集地まで2人を同乗させていただいたH氏に感謝。

気心の知れた仲間との、ほっとしながらの採集は楽しい。せっかく、ここまで来たのだから、熱い夏は、砂金採りでもしようかという話になった。

2014年5月17日土曜日

調布飛行場

今日の陽射しは気持ちがよい。午前中、近所の崖線下にある公園の木陰道をサイクリングする。風に揺れる木漏れ日が、まるで頬をなでるようだ。静かな緑陰とベンチを探して読書する・・・時間も、空気も、気ままに過ぎる。

小川沿いの道を、夫婦が、恋人たちが、赤ん坊をバギーに乗せた若い家族が散歩するのが見える。グラウンドから少年野球の声援も聞こえてくる。のんびりした時間だ。そうだ、隣りの公園の南に、東京都調布飛行場がある。せっかくのお天気だから、ちょっと遠乗りしてみようと、思いつくままに進めた。

プロペラカフェ隣接格納庫の駐機
飛行場につながる武蔵野森公園には、休日のせいか、緑の芝生で幼い子どもとの大切な時間を過ごす親子連れが目に付く。公園はどこも平和だ。

飛行場の旅客ターミナルを抜けると、飛行場の誘導路&滑走路に隣接する「プロペラカフェ」の店がある。当然ながら、入ってみれば、滑走路側の客席はすでに家族連れで埋まっている。この店は格納庫に連なっていて、ガラス窓越しに、写真のように駐機を観察することもできる。
さっそく、格納庫側に坐って、コーヒーとケーキ(ガトーショコラ、おじさんにはヘビー過ぎるが)をいただきながら眺める。駐機は次の2機以外にも小型機とヘリコプターが数機見えた・・・わが家の上空を飛んでみたいと、ふと空想する。
・(奥側)Piper PA-46-350P Malibu Mirage
・(手前)Liberty XL-2

お客が混んできたので、早々引き上げた帰り道、空港ターミナルを見ながら、何~んにも用事はないけれど、Dornier 228-212に乗って、ちょっと南の島(新島、大島、神津島、三宅島)に日帰り飛行でもしたい・・・そんな気がした。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

2014年5月16日金曜日

イ・ソンヒ 30周年記念コンサート(MBC)

イ・ソンヒは、30周年記念コンサートの舞台から、「わたしが出会った数多くの人々の中で、みなさんに出会ったこと! それ自体、奇跡です」と語り、15集アルバムのタイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」を歌った。MBCは、その姿を、昨日(5/15)放送した・・・コンサート映像がDVD版で製作されることを願う。

次のYoutubeは、コンサート2日目のもので、幸いにも私が目にした舞台でもある。美しいストリングの音に乗せて、イ・ソンヒは、いつもの伸びやかな、そして独特な力強い澄んだ高音で歌った。星数の人々の、その中で出会って、互いに知った奇跡の愛。たとえ、それが遠ざかり、永遠の時が経っても・・・。

(本ブログ関連:”30周年記念”)


(Youtubeに登録のPeter K.に感謝)

2014年5月15日木曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

イ・ソンヒには、5集所収の「お姉ちゃん(누나야)」(作詞・作曲キム・チャンワン、1989年)という曲がある。まるで童謡のように懐かしく、恋しい思い出を歌う。子どもたちのために、童謡を、ミュージカルを、いくつも手がけた彼女ならではの、美しく、そしてちょっと切なくなる歌だ

(本ブログ関連:”「お姉ちゃん」”)

涙を流さないで、小さな路地の片隅の夢を忘れたと
涙を流さないで、雲のようにかすめて行った虚しいことを
なにも言わないで、その眼の輝きが消えるように私にささやくのですね
なにも言わないで、空の彼方が夕陽に染まるまで
悲しくても泣けない、タンポポの花の上に陽射しいっぱいなのに
見ても見えぬ、触れても採れないのですね
どこにいるの、お姉ちゃん

濡れた歌のように、あなたの小さな胸に雨が降ると
いつか言ったよ、うつろにただ歩きたくなる
私を呼ばないで、背を向ける姿に悲しみだけなのを
私を呼ばないで、そよぐ風が私の姿なのを
空の彼方、巡る鳥の羽ばたきだけ虚しいのに
聞いても聞こえず、探しても見つからないのですね
どこにいるの、お姉ちゃん


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)