▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2015年5月2日土曜日

八十八夜 2015

雑節には、一年の季節の始まりである「立春」を起点に数える、今日の「八十八夜」、台風時期の「二百十日」などがある。農業と縁遠く、気候とも真正面に向き合うことの少ない都市生活者にとっては、そもそも立春について意識がうすい。この八十八という日数が来ても、感慨は足りない。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

雑節の八十八夜は、そもそも農家にとって遅霜への注意喚起だったそうだ(Wikipedia)。一方、この八十八について「米という文字は、八と十と八を重ねてできあがることから、縁起のいい農の吉日とされています」という解説本まである(「日本の七十二候を楽しむ」東邦出版)。

ところで、今日を何かの標で確認するのに、八十八夜を織り込んだ唱歌「茶摘み」がある。季節としての八十八夜を、歌詞の最初に持ってきている。この唱歌の由来といわれる(通説だが)、宇治田原町(教育委員会)の「宇治田原の茶摘み歌」を見ると、「八十八夜の お茶に会う」がある。茶摘みを機会に男女の契りを想わせる、いわゆる明るい民謡独特な表現だ。唱歌が静止した光景とするなら、民謡は活き活きとした生命感がある。

緑茶はうまい、歳とともに実感する。和室が似合う飲みもの。静かに時間を楽しむことができる。戻るべきもののようだ。

2015年5月1日金曜日

イ・ソンヒと「ニンジン」、「サニー」

イ・ソンヒのファンクラブに「ニンジン」の名の付くものがあるが、もともとは彼女自身の食習慣に由来する。それについては、以前ブログに資料を記した。あらためて、以下整理する。

同様に、ファンクラブに、「サニー」の名のつくものもあるようだ。これについては、中学教師に付けられたあだ名という。根拠は明確でないが、彼女のローマ字綴りが、イ・ソンヒ → Lee Sun Hee から、ソン=Sun をヒントにしたのではないかと推測する。

(本ブログ関連:”サニー”)

さて、本題のニンジンについては、以下の通り。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
---------------------------------------------------------
・熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。

・「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
---------------------------------------------------------

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手”)

■「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
---------------------------------
国民学校 5学年のときからミュージカルで実力固めて
(ミニインタビュー)
・「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。(略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると・・・」(略)
---------------------------------

2015年4月30日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鳥に関わる曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、鳥に関連する3曲を紹介した。

始めに、春を知らせる「ツバメ(燕、제비)」と陰暦3月3日の「桃の節句(삼짇날)」の関わりについて次のように紹介された。
・3月3日は「ひな祭り」だが、陰暦3月3日の上巳は「桃の節句」という。陰暦9月9日に旅立ち、南で過ごしたツバメが戻る日でもある。韓国では、3の数を重視した。ハングルも、天地人の三才が調和を成したもの。じゃんけんも3回勝負する。
・ツバメは、3のつく日に行き来した。パンソリ、「興甫歌(興夫歌、흥보가)」にもツバメが登場する。真面目なフンボに、財産を運んでくる。その日が陰暦3月3日だった。近頃、農村でもツバメを見かけなくなった。今年はどのくらいのツバメが戻ってきたのだろう。

▼ 京畿地域の雑歌、「十二の雑歌」から「ツバメの歌(제비가)」を聴く。雁、ウグイス、ホトトギス、オウム、ツル、クジャク、数々の鳥が登場する。

・この「ツバメの歌」には、数々の鳥が登場するだけでなく、歌詞も面白い。パンソリ「春香歌(춘향가)」や、「沈清歌(심청가)」、「興甫歌」から様々な歌詞を組み合わせて、色々な内容があるが、結局、別れを切なく思う気持ちを表している。暖かい春、楽しそうに戯れる鳥、そして愛する人との別れの寂しさを表している。桃の節句は、本格的に春がはじまる日だ。

次に、桃の節句の食べ物、花煎(화전)と花麺(화면)を次のように紹介された。
・山野に行き、ヂヂミや麺料理(クッス)を食べて花見を楽しんだ。ヂヂミに、花のヂヂミがある。ヂヂミの粉を練り、焼くときツツジの花弁を載せる。これが花のヂヂミ、花煎だ。また、花麺は、ツツジを入れて粉を練り、蜂蜜入り五味子(オミジャ)の汁と一緒に食べる。美しい桃色が春らしさを足してくれる。

▼ サムルノリと歌で、「鳥打令(새타령)」を聴く。今様にアレンジして、楽しげである。

最後に、桃の節句の時期の酒と、「鳥打令」の鳳凰について次のように紹介された。
・桃の節句に酒も欠かせない。ツツジで醸した「杜鵑酒(두견주)」という。他に、春の酒に焼酎と薬酒を混ぜた「過夏酒(과하주)」、梨と生姜が入った「梨薑酒(이강주)」などある。酒とつまみで春を楽しむ中、歌も出たはず。
・この季節、食糧が底をつき苦しい生活した民もいた。「鳥打令」に鳳凰が登場する。豊作の鳥として、君子の出現を知らせるともいわれた。貧しい民に、食糧問題を解決する王が最高の王であった。「鳥打令」にも鳳凰が豊作の鳥として出てくる。

▼ 鳳凰を象徴する楽器笙簧(생황)の演奏で、「ワルツナンバーワン」を聴く。人形劇、空高くゆたりと浮かぶよう、今様である。

・笙簧、鳳凰の鳴き声に最も似た楽器といわれるが、想像の生き物で、鳴き声を聞いた人はいない・・・。

2015年4月29日水曜日

黄金沢鉱山(金山)

先日、日曜日(26日)になすべきことをせず、のらりくらり過ごしていると、月曜の晩に、お誘いの電話をいただく。「水曜日、『昭和の日』(本日)に、採集に行こう」とのこと。どこにする?・・・山梨県、黄金沢鉱山に即決する。去年の5月18日、黄金沢金山の名で採集に行ったところだ。

(本ブログ関連:”黄金沢鉱山(金山)”)

早朝、始発電車に乗り待ち合わせ駅から、H氏の車に同乗させていただき現地に向かう。4月も終わる今日この頃なれば、街はすっかり明るいで、寒くもない。やはり、春過ぎの鉱物採集は、ルンルン気分である。さあ、金でも採ろうか、車骨鉱でも採ろうか。

(参考) 「鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版」(著:松原聰)に産地紹介あり。

祝日の今日、思いのほか道路はガラリとしていた。現地に、途中、沢(小川?)を渡るところがある。元気なH氏は、岩の上を飛ぶように渡ったが、体の重い私は、枯れ木を杖代わりにして渡河? 時間はたっぷりある。

採集現場で驚く。前回と比べて、掘り起こされた石が辺りに転がっていたのだ。いわゆる、「産地荒ら」しのような掘り返しではない。採掘者に感謝。

無造作に放り出された、石々は、どれもこれも銀色に反射していた。高望みはできないが、それなりに次のようなものを採集した。

・黄鉄鉱、黄銅鉱(いくらでも)、方鉛鉱(なんぼでも)、斑銅鉱、褐鉄鉱、磁硫鉄鉱、硅孔雀石、閃亜鉛鉱、(ミメット鉱?)

2015年4月28日火曜日

地震について

東日本大震災で、現地とは比較にならないが、揺れの凄まじさをこの地なりに経験した。地震の瞬間、身動きできぬ無力さを実感したし、震災の情報が伝わるたび、恐怖は後から来た。

(本ブログ関連:”地震”)

ネパール大地震は、プレートが衝突して作り上げた世界最大の高地で発生した。エベレストの高さに圧倒されるとき、実はその地下で巨大なエネルギーが今も衝突している。マントルのうねりがある限り、プレートは止まらない。
被災者の数が次第に増えている。もどかしさを感じる。国連によると、ネパール(人口2780万人)の800万人が被災したと推計されるという。つらいことだが、亡くなった方の数は考える以上だ。

自然災害となれば無力さがますます増す。次は私たちの番かもしれないからだ。凡俗の身には、悟りも生き方も分かるはずもない。一度経験すると強くもなるし弱くもなる。

地震のおびえを知らない、次の世代の方が強く生き抜くことができるかもしれない。恐怖は遺伝子に閉まっておこう。

2015年4月27日月曜日

MP710

スマホやタブレットに追いかない。大分差がついたが、焦りはない。

携帯音楽プレーヤーは、語学用に購入したTranscendのMP310を重宝している。これ以上、関心が先に進まなかったが、出先でYoutube動画を見たいと、TranscendのMP710を入手した。おじさんには、これで充分、早速試してみた。

何の動画を見るかって?・・・決まってる、イ・ソンヒさんですよ。さっそく、2004年の20周年コンサートの動画を入れさせてもらいました。外出先で見るには最高・・・図書館のスタディールームで試してみましたよ。
(もし、DVDがあれば即求めます!・・・2014年の30周年版DVDもあれば欲しい!)

テキストも読めるとの事で、青空文庫の折口信夫「信太妻の話」を入れてみた。果たして、読む気になるのか・・・こちらは、まだ感想がまとまらない。まあ、付録機能のようなものだ。


(追記)
陽射し燦燦、木漏れ陽する公園の小道を散歩した。気象庁の観測(近在地)では、今年最高の気温(「6月中旬並み」)、25.7℃だった。日陰のベンチに坐り、新聞を読む。記事に気になることも気がかりもない。
遠くを小学生が列になって公園から帰る姿が見えた。彼らを見ながら思った。そう、君たちがいなければ未来はない。未来を託す可愛らしい宝だ。

2015年4月26日日曜日

イ・ソンヒ「走れハニー」

イ・ソンヒは、少女漫画が原作(イ・ジンジュ)の初期アニメの代表作といわれる、KBSの「走れハニー(달려라 하니)」(1988年、全13話)で、主題歌「走れハニー」(作詞イ・ジンジュ、作曲パン・ヨンソク)を歌っている。
早くに母親をなくした少女ハニーは、逆境を撥ね退け、小柄ながらもスポーツを通じて健全に成長するさまを描いているという・・・Youtubeで、番組をいくつか視聴できる。(アニメディスク版の主題歌歌手はチョン・ヨジン)

(本ブログ関連:”走れハニー”)

本ブログで以前紹介した、「(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ)によれば、番組の当時の位置づけについて、「真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った」と語られている。まさに、イ・ソンヒの他曲同様、彼女の持つ清潔さ、健全さにぴったり適合したものだったといえる。ちなみに、物語の主人公の父親は、海外に出稼ぎに行き失明する・・・どこか、パンソリの「沈清歌」に裏打ちでもされているかと思うほど。

「走れハニー」

私はねぇ、ママが世界一大好き、空と地ほど
ママに会いたくなれば走るのよ、両手握って
走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)

私はねぇ、悲しさ見せるの大嫌い、弱くなるから
さびしく涙したら走るのよ、風のように
走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)

私はねぇ、あだ名の「頑張り屋」がお気に入り、じゃなきゃ勝たないわ
みなみな抜いて走るのよ、ママの懐(むね)に
*走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)

(*以下繰り返し2回)

(Youtubeに登録のkimyonsamaに感謝)

2015年4月25日土曜日

バナナカステラ

近所のスーパーで、菓子パンサイズの袋に入った「バナナカステラ」を見つけた。
餡入りのカステラ菓子で、外側に「BANANA」文字をレリーフして焼き上げている。シンプルな菓子名と形状から、何となく屋台菓子を思い起させる。原材料に「バナナ入り白あん」と表示されている。食べた瞬間、バナナ風味が口中に広がる。食後も風味が強烈に残る。まさに、直球勝負のBANANA味だ。

(本ブログ関連:"バナナ")

ところで菓子袋に、「Café」とféの字を強調して描かれている。バナナは鉄分(Fe)が豊富なのかと、「栄養素別食品一覧表」をネットで見たところ、そうでも・・・ないようだ。

”バナナカステラ” についてネット検索すると、関西原産で、数社で販売される当り前の菓子のようだ。どうりで、今回購入した菓子メーカーの販売部門が東京にあって、お客様相談係が大阪にあるわけだ。菓子のシンプルなデザインといい、2本入りといったことから・・・「関西菓子」を感じた次第。

感想を大阪弁で何と言ったらよいだろうか。ネットに、「『標準語→大阪弁変換』プログラム osaka.exe のJavaScriptバージョンで、テキストの文章を大阪弁に変換」するサイト(Osaka JS さくらさくらWORLD)があったので、変換させていただいた。感謝。

     「とても美味しかったです」 ⇒ 「どエライ美味しかったや」

バナナ味の巡礼はまだ続く。

2015年4月24日金曜日

星の花火

宇宙に対する関心は、星々の映像を見て楽しむ程度。「暗黒物質(dark matter)」とか、「ダークエネルギー」といった言葉にSF的なイメージを浮かべて何となくうれしくなる素人だ。

(本ブログ関連:”ダークマター”)

昔、「馬頭星雲」の不思議な似姿に息をのみ、「わし星雲」が赤ちゃん星を生み出す光景に驚嘆した。これらは写真があってのこと。特に後者の写真は、ハッブル宇宙望遠鏡のおかげだ。

宇宙は大きい。人間は宇宙の塵でできている。人はときに、宇宙の大きさに対して己の諸事の小ささを自省する。そのとき少々ストイックになるが、すぐに忘れる。ハッブルは、そんな私を呼び戻してくれる。

ハッブルが、1990年4月24日以来、宇宙の壁飾りを撮影し続けて25周年を迎えたと、東京新聞の記事「ハッブル25年祝う『星の花火』 NASAが画像公開」(4/24)は、次のように報じている。
-------------------------------------------
・【ワシントン共同】ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げから25年となるのを祝福し、米航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)は23日、夜空に開く花火のような星団の画像を公開した。

・りゅうこつ(竜骨)座の方向にあって、地球から2万光年離れた「ウェスタールンド2(Westerlund 2)」*は、約3千の恒星が集まった天体。中心部には誕生から約200万年と比較的若く高温で巨大な星々があり、周囲のガス状物質の内部では新たな星が次々に誕生しているとみられている。

(*)「ウェスタールンド」は、スウェーデンの天文学者Bengt Westerlundの名にちなむ。

・全長約13m、重さ約11トンのハッブルは、1990年4月24日に米スペースシャトル「ディスカバリー」で地球を回る軌道に打ち上げられた。
-------------------------------------------

(Youtubeに登録のHubble Space Telescopeに感謝)

2015年4月23日木曜日

(雑談) 映画の比較

昔、VHS版「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を、あるファエで偶然入手して、言葉も分からずに見た。17歳の小学5年生の少女が、新任の男性教師に淡い恋心を持つという、寓話的な世界を描いている。1960年代の世相というより、ノスタルジックな農村風景を象徴するようだった。なにより、チョン・ドヨン(전도연)演じる少女の一途さに見入ってしまったものだ。そして、思いがかなうラストに仕上げてくれた。

(本ブログ関連:”我が心のオルガン”、”チョン・ドヨン”)

「我が心のオルガン」と同じく、1960年代の江原道の田舎を舞台にするものの、ある意味、間逆な世界を描いたのが「我らの歪んだ英雄(우리들의 일그러진 영웅)」(1992年)だ。小学5年生の教室を、教師に代って、15歳の級長が暴力で規律を作り実質支配する。ソウルから来た転校生は、正義の名で抵抗するが、いつか支配を受け入れ同化し、むしろ意図的に取り入ろうとすらする。当時の世情を汲んでいるのだろうか、狭い世界に置かれた人間の本性を、根源を、小学生の世界で語っているのかもしれない。

しかし、新任教師の登場によって、この世界は崩れ、新しい正義が規範とされる。生徒たちは新しい正義に進んで同調する。

後年、新任の教師は中央の政治家へ転身し、主人公の転校生は予備校教師となる。暴力によって支配された経験は、再会した同級生たちの心に深く澱となっているように見えた。

両映画には、小学校の校舎が火事になる場面もある。何かが崩れ落ちる象徴なのだろうか。相似するものが多々あるが、「我が心のオルガン」には、もしかしたら「我らの歪んだ英雄」に対する、対照的な意図があったのではと推測してしまう。

(付記)
テレビで知ったのだが、最近の女性の仲間内で、「マウント」するという言葉があるそうだ。これは、ニホンザル社会の序列付けに使われる、「マウンティング」という社会的な動作からきたのだろう。不思議なことに、チンパンジーに分類されるボノボでは、逆の意味を持つ。
小さなケージに飼われたニワトリ集団は、「つつき」を行ない順位付けする。しかし、広い場所で放し飼いすると、その現象がなくなると読んだ記憶がある。ニワトリは、鳥類という、恐竜の現在の姿だ。他者との差異と支配関係を求める順位制は、古くからの生命の必然かもしれない。

2015年4月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 あの世の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、死に関連する3曲を紹介した。

始めに、亡くなった人の魂を呼び込む「ペベンイ・グッ(배뱅이 굿)」について次のように紹介された。
・「ペベンイ・グッ」で有名な李殷官(이은관、1917年~2014年)名唱がいる。節句に、テレビから「ベベンイが来ました(배뱅이가 왔소이다)」の歌詞がよく聞こえてきた。ベベンイ(배뱅이)が何か分からなくても、「ベベンイ・グッ」の歌舞は広く知られた。巫堂(무당、巫女)が神にお告げする祭儀(クッ、굿)ではなく、これを素材にした伝統芸能(民俗劇)だ。パンソリと似るが、パンソリは南の地方中心である反面、ペベンイ・グッは北側の黄海道中心だ。
・ある名門の一人娘ペベンイが18歳の若さで亡くなる。老いた両親は、娘の魂に会いたく、国中の有名な巫堂を探してクッを行う。魂を呼び込むのは簡単でない。それを聞いた旅人が両親を騙し、魂が訪れきたように振る舞い、金を取って逃げてしまう。

▼ 「ペベンイ・グッ」から、「国中の巫堂がクッを行う場面(팔도 무당 굿하는데)」を聴く。随分賑やかな祭儀に聞こえる。

次に、「恨(ハン、한)」とクッの祭儀の関係について次のように説明された。
・人が死ぬとどうなるのか、昔から人が悩んだ問題だ。韓国では、死後、人の魂はあの世に行くと信じた。時々、子孫に会いに戻ってくるともいわれる。この世に名残惜しい人は、あの世に渡れず留まるとされ、「恨」と言う、一種の恨みがある。人を恨み、残念に思う気持、悔しさや悲しさ、これらが入れ混じった感情を指す。恨を持つ人は、自分も知らぬ内に人に害を与えることもあるため、クッを行って、恨を晴らすように誘導した。亡くなった人のための儀式だが、実は生きている人のためでもある。互いに憎しみや恨みを晴らすための装置ともいえる。

▼ 恨み、恨を歌った曲「バリアラリ(바리아라리)」を聴く。不思議な味がする演奏に載せて・・・味わい深い今様。

最後に、あの世の神「バリテギ(바리데기)」の話と「コプリ(고풀이)」の意味について次のように説明された。
・バリテギは、娘として生まれたため、王に捨てられてしまったが、王が重病にかかったとき、命がけで薬を見つけたのは、バリテギだった。薬を探しにあの世まで行ったのだ。そして、あの世を治める神となる。
・全羅道地域の「シッキム・グッ(씻김굿)」儀式では、亡くなった人の恨を晴らす過程を「コプリ」という。白の長い布に、七つまたは十二の結び目をつくり、柱に固定させる。結び目は恨を意味するようで、巫女が歌を歌いながらゆっりと布を引っ張り、結び目を一つずつ解く。その様子を見ながら、その場にいる人々も恨を晴らす。

▼ 珍島の「コプリ」を聴く。始原的な響きがする・・・地元の人々の現地録音だろうか。

キム・ボエさんの言葉。明日(4/16)は、旅客船セウォル号が沈没して一年になる。「コプリ」が、わずかでも慰めになればと願う気持ちです・・・とのこと。

2015年4月21日火曜日

顔の識別(3)

ネットニュースで、ある女優さんの写真を見ていたら、別の女優さんと識別できぬことに気付いた。そんな経験を以前のブログに記したのを思い出し、見直したら、今回と同じ女優さん同士の組み合わせだった。相変わらず区別できないでいる。・・・ブログに記すことで、顔の混同を整理したつもりだったのに。

(本ブログ関連:”顔の識別”)

飛びぬけて愛らしい女優さんを区別できないのかと思うと、非常に残念で、切ないことだ。今はもう、アイドルたちの識別を遠くに諦めている、

昔、人気の映画俳優は、銀幕のスターだった。映画館に出かけて、スクリーンの上でしか会えぬ存在だった。映画館という擬似共同性にある固有の崇拝対象だった。ブロマイドという護符が売られたりした。その後、テレビ俳優が登場し、ネットに取り上げられるようになった。スターは、家に(TV)、部屋に(PC)、ポケット(携帯)に降臨した。ファンのすぐそばにまで近寄ってきたのだ。

今、3文字のアイドル集団が隆盛である。ファン心理について、2つの面で考えてみた。
① 誰もが主人公となる期待だ。ずっと昔のこと、男子向け漫画やテレビのヒーローは、孤高の人だった。それが、いつのまにか兄弟となり、戦隊となった。女子向けの場合も同様。この延長に、主人公は多数に分散・分枝した。
② 今時の空気だ。主人公が一人だと、ファン同士で取り合いになる。それをうまく避け、調和させるためにも、主人公の分散・分枝が必要だった。そんなニーズにうまく合っているように見える。

とはいえ、そのときその場で違いを求めた顔にも時代性がある。いずれ振り返って見れば、時代という同一さに気付くことだろう。こちらの場合は、識別能力の衰えだけじゃない。

2015年4月20日月曜日

穀雨2015

一日中、雨、雨、雨、そして風。今日は二十四節気の「穀雨」、春の最後にあたる。次は、夏の始まり「立夏」だ。何てこと、まだ春を満喫していないのに。これから、いかにもカラッとした夏が来るわけでもない、梅雨が待っているのだから。春を楽しんでおけばよかった。

(本ブログ関連:”穀雨”)

春はいいな・・・そういえば、先日、夜桜の話で、花見の人々を含めて美しさを歌った、与謝野晶子の「乱れ髪」(「与謝野晶子歌集」岩波文庫)の2番目にある、「清水(きよみず)へ祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき」があると記した。

同「乱れ髪」の1番目は、春らしい、しなやかで溌剌とした、いかにも若い女性らしさを表現している、「その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな」である。若さを見せつけるようでまぶしい。芽吹く力はそれだけで価値がある。

穀雨は、慈雨となるかな、若い女性が濡れていれば、そこにドラマがあるようだ。おじさんがぬれていると、濡れネズミ。

イ・ソンヒが歌ってみると

昨年の2014年8月16日(土、午後11時~)に放送された、JTBCの「HIDDEN SINGER(히든싱어)3」の中で他の歌手を交えて、イ・ソンヒがいろいろな曲を歌った様子をYoutubeで見ることができる。曲目はまだあったかもしれないけれど、次のように並べてみた。

(本ブログ関連:”HIDDEN SINGER”)

静かに、そしてじっくりと歌い聞かせるイ・ソンヒの凄さを感じるとともに、そっと差し伸べるような彼女の眼差しもいい。歌に重ねて伝えるようだ。

<焼酎一杯(소주 한잔)>임창정


<わたしを悲しませるひとたち(나를 슬프게 하는 사람들)>김경호


<DASH>백지영


<希望歌(희망가)>채규엽(蔡奎燁)・・・(ブログ「守護天使」に感謝)


<忘れないで(잊지 말아요)>백지영


(以上、Youtubeに登録のlys2187、Acaciaに感謝)

2015年4月19日日曜日

(資料) 稲荷神社の鳥居はなぜ赤いか

稲荷神社には、朱色で小柄の鳥居が連なることがある。その下を潜り抜けるうち、不思議な高揚感に気付く。辺りが朱に染まったような錯視をする。社殿に近づくとき、朱は人の心に何かを共鳴させる。それが何か分からないが、合点させる力がある。

(本ブログ関連:”稲荷”)

国立国会図書館の「レファレンス共同データベース」(島根県立図書館提供)にQAがあって、「鳥居の起源や形、色について知りたい。稲荷神社の鳥居がなぜ赤なのか等。」の質問に次のように回答している。
---------------------------------------------
資料2: 「鳥居」 川口謙二ほか著、東京美術、1987.8
・p73「鳥居の色」では、「近藤喜博氏は『稲荷信仰』という著書のなかで、「朱塗の社殿には、実は原始神の一般的属性となっていた荒振るものの性格から考えられる色釈(朱塗)によるものがすでにあったと考え」られ「そうした性格の神々の上に寺院の朱塗が荒振るものの炎の怨念に結びつき、さらにそれを助長したのだと見る」ことができると述べており、鳥居の朱色もまた、このような信仰の上に立って成立しているものと考えることができるのでは」ないかとある。

資料3: 「狐」 吉野裕子著、法政大学出版局、1980
・p117~119「稲荷と朱」のなかにp117「朱の鳥居」があり、なぜ鳥居が赤く塗られなければならないかの明確な理由づけは今日なおされていないとしながら、私見として、「狐は土徳の持主である。陰陽五行思想において、土を生じるものは火でなければならない。「火生土」「火、土を生ず」の理である。火の色はもちろん赤色である。そこで稲荷祭祀の始まる場所、つまりその入口には何を措いてもまず火気の象徴である朱の鳥居をもうけることになったと思われる」とある。
---------------------------------------------

なかなか難題なようで、起源は相当根が深いのかもしれない。土俗的で直截な、感覚的・感性的な起源を、具体的なもので知るのは容易でないようだ。

鳥居の朱色の顔料は、本来何を原料にしているのだろうか。社寺建造物美術協議会のホームページの「丹塗」のページに、「鳥居でおなじみの朱色を建造物装飾の言葉では丹塗り(にぬり)といいます。・・・鉛丹(えんたん、金属鉛を加熱し酸化させて作る赤色の顔料)の粉を膠水で溶いた丹で塗り上げます」と説明されている。

鉛丹は、wikipediaによれば、「四酸化三鉛 (Pb3O4) を主成分とする赤色の無機顔料」とのこと。

以前、本ブログで紹介したように、山師が座に坐るのに、「(「山例五十三条」には)山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は(・・・この間に鉛山師・・・)銅山師と順列たるべし」と言ふた」そうで、「鉛」の扱いは「銅」より重視されたようだ。

2015年4月18日土曜日

(雑談)空の女王からカードの話し

昔、中学の「技術(=職業?)・家庭」の授業で、基本投影図の3面図の書き方を教わった。教師は物静かな人で、ときどきマニアックな面を見せてくれた。あるとき、作図の延長で、黒板にゼロ戦の姿を描いたのだ。飛行機好きな子どもたちとの距離が一気に縮まったことはいうまでもない。しかし後になって気になったことだが、当時の教師間の関係は、相当憶測すべき事情があったはずだろうけど。

飛行機ファンにとって、美しい機体として忘れられないのは、以前ブログで触れた、米ノースロップ社の「タロン(Talon)」(T38練習機)だ。特に、NASAで使用の白色塗装した優雅な曲線は美の極致で、私にとって「空の女王」だった。タロンが「空の女王」と呼ばれていたとずっと思っていたのだが、ネットを見返すと見つからない・・・空の女王で検索すると、ボーイング747旅客機が出てくる(私には正直異論がある・・・けれど)。

女王といえば、客船にその名を示すものもあるが、ダムにまであるそうだ。古い週刊誌を見ていたら、いわゆるダムマニアのリストの中で、群馬県「奈良俣ダム」がダムの女王にあげられていた。裾の広いなだらかな傾斜を持つ構造は、垂直にせき止めたいわゆるダムらしい力強さとは違って、穏やかで包容力を感じさせる。そこに女性的なものが彷彿されるのだろう。

ダムの管理事務所を訪れると、「ダムカード」をくれる。以前、ダム近くで石採りしたとき、同行者が同ダム事務所からもらってきてくれたことがあった。そのとき始めて知ったことだ。

ところで、JAXAが人工衛星などの追跡と通信のための通信所や観測所を訪れると、「アンテナカード」をくれるそうだ。ダムの数より少ないが、全国に点在している。中学生だったら、高校生だったら夢もあって、こちらも!欲しくなるだろうな。
・勝浦宇宙通信所(千葉県)
・臼田宇宙空間観測所(長野県)
・増田宇宙通信所(鹿児島県)
・沖縄宇宙通信所(沖縄県)

2015年4月17日金曜日

稲荷神社、桜、鳥居、狐像

春らしい暖かな昼下がり、しばらく滞在した図書館から外へ出て驚いた。建物の周り、明るい日向が雨に濡れていたのだ。午後のひととき降るという天気予報の通りだった。

建物の中で全く気付かなかった。雨空特有の明かりを落とす気配もなかったし、窓から入る明りに変化もなかった。それほど明るい中での雨だったのだ。もしかすると、「天気雨」だったのかもしれない。

(本ブログ関連:”天気雨(狐の嫁入り)”、”稲荷”)

図書館に隣接する、西陽を受けた稲荷神社の八重の桜花は、薄紅色を冴え渡らせ、赤い鳥居を引き立たせるように咲き、境内全体を覆っていた。

引き寄せられるように、稲荷神社へ行くと、神社入り口に、若者が立ち、桜花の下の光景をカメラに収めていた。さっきの雨が誘ったようだ。

西日が、境内の色彩を際立たせる。薄紅色の桜の花は、光を受けて膨らみを増し、赤い鳥居は艶ややに輝く。石の狐は、色彩に溺れることなく、何か見定めているようにさえ思えた。正直、稲荷神社の狐像と視線を合わせるのは力がいることだが。

いつも、狐像を撮るのは遠慮していた。今回、春爛漫をともにしたく、境内横手からうかがうようにして、桜、鳥居、そして狐像を合わせて撮影させていただいた。

2015年4月16日木曜日

(資料)イ・ソンヒ「因縁」 女子十二楽坊との協演

イ・ソンヒの13集に所収の名曲「因縁(인연)」(2005年)は、韓国ギャラップの調査「愛唱曲 2004-2014比較」(調査時期2014年10月2日~29日、全国満13才以上男女、1,700人面接調査)に見られるように、韓国大衆から愛唱曲として第7位の支持を集めている。様々な試行を踏まえて、東洋的感性を結晶化した曲である。

(本ブログ関連:”因縁”)

イ・ソンヒは、「因縁」を中国の伝統楽器演奏グループ「女子十二楽坊」と協演したことがある。その舞台責任者だった、「ショー演出の大物」といわれた・・・という、チン・ピルホン前KBS局長が逝去した記事があった。同氏とその他著名な芸能人と、例えば、チョー・ヨンピルとの関わりについて記事にされている。

ここでは、デイリー韓国の記事「逝去したチン・ピルホン前局長、歌手イ・ソンヒとの格別の気息『再照明』」(4/16、イシューチーム)にある、前局長とイ・ソンヒとの縁(=因縁)について記す。
------------------------------------------------
「チン・ピルホン」

「伝説の芸能PD」、チン・ピルホン前KBS局長が逝去した中、彼と歌手イ・ソンヒとの縁(=因縁)も再照明(=ものごとの価値を再び探り出す)されている。

過去、チン・ピルホンPDは、イ・ソンヒと女子十二楽坊の協演舞台の総責任を引き受けたことがある。

当時、イ・ソンヒは映画「王の男」でオリジナル・サウンド・トラック(=OST)の収録曲だった「因縁」を歌い、これに合わせて「女子十二楽坊」が中国伝統楽器の演奏をリリースした。

チンPDは、これについてある媒体とのインタビューで、「桜の花が満開の春の感じを生かすために、舞台の装飾を満開の花を象徴するデザインにした。春の陽射しのスターたちの華やかな大きな祭りになることだろう」と伝えた。

(以下ネチズンの反応について略)
------------------------------------------------

(Youtubeに登録のjaysbar4uに感謝)

2015年4月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 皐皐天邊ほか

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第100回として、パンソリ「水宮歌(수궁가)」のカメやウサギの経験にまつわる3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”水宮歌”)

始めに、初めての経験の感動を、パンソリ「水宮歌」で、陸を初めて見た亀を元に次のように紹介された。
・旅は新しい世界を経験する期待感がある反面、金と体力を使い大変な思いをする。ちなみに経験として、リンゴをよく知るにはどうすれば良いか。美しい絵や映像を見たり、栽培法を説明した本を読むことでできるが、一口味わってこそ知ることがある。
・ウサギの肝を巡るパンソリの「水宮歌」に、カメが初めて海を出て、陸地を経験する場面がある。太陽が昇り、その日差しが静かな漁村を照らす。海中の景色しか知らないカメがどう感じたか、その感動は、人が宇宙を経験するようなものだろう。

▼ 初めて見る景色を歌う「皐皐天邊(고고천변)」をカヤグム弾き語りで聴く。軽快な伴奏・・・音楽的に継承して。

次に、誰がどこに座るか、動物たちの世界で「上座争い(상좌다툼)」する話について次のように紹介された。
・旅の魅力は、色々な人と出会えることだ。新しい景色も良いが、時がたてば感動は薄れる。でも旅先で会った人々の思い出は長く記憶に残る。
・陸に上がったカメは様々な動物と出会う。その日はちょうど年に一度の動物の祭りだった。神話の麒麟や獅子、猿、リスやウサギなどみな集まった。昔も今も、誰がどこに座るかが大事な問題だ。自分が年上だと、お互いに上座に座りたがる。年長者を高める韓国の風習が、動物にも当てはまった。

▼ 「水宮歌」から動物らの「上座争い」の歌を聴く。海であれ陸であれ、いずこも見栄の張り合いということか。正調。

最後に、違う文化の出会いを、「ウサギの物語り(토끼 이야기)」について次のように紹介された。
・違う文化圏に生まれ育った人々の出会いには色々な妨げがある。言語だけでなく文化的背景も違うからだ。会話の内容も、違う意味で解釈されることもある。前向きに考えすぎて、騙されることもあるかもしれない。
・ウサギの肝を騙し取ろうとする「水宮歌」の話。ウサギの肝を探してくるように命じられたカメは、ウサギをおびき出す。官職に就けると言われたウサギは、意気揚々海中に入るが、待っていたのは、肝を狙う兵士たちだった。王の薬にウサギの肝が必要だったのだ。ウサギは自分が騙されたのと同じように、今度は王を騙して仕返しし、やっとのことで命を救う。

▼ 出会いをサムルノリと歌で表現した「ウサギの物語り」を聴く。何ぜ・・・今様である。

(付記)
私のカウントで今回で、たしか100回目になる・・・でも、番組のリストを見ると、201回目?になるよう。どこかで大きなカウントミスをしてしまっているのか・・・今頃になっていうのも憚るが。次回から、番組回数の付記をひかえます。

2015年4月14日火曜日

(資料)岡本綺堂「中国怪奇小説集-酉陽雑爼(唐)」の九尾狐

青空文庫に岡本綺堂の「中国怪奇小説集-酉陽雑爼(唐)」に、「九尾狐」の項があって、その超越する力について次のように記している。日本の九尾狐の妖艶な化身というより、隠し持った妖気の強さを知ることになる。

(本ブログ関連:”九尾狐”)

「中国怪奇小説集」で、「酉陽雑俎」について次のように説明している。「この作者は唐の段成式であります。彼は臨淄の人で、字を柯古といい、父の文昌が校書郎を勤めていた関係で、若いときから奇編秘籍を多く読破して、博覧のきこえの高い人物でありました。官は太常外卿に至りまして、その著作は『酉陽雑爼』(正編二十巻、続集十巻)をもって知られて居ります」
-------------------------------------------------------
 むかしの説に、野狐の名は紫狐といい、夜陰に尾を撃つと、火を発する。怪しい事をしようとする前には、かならず髑髏をかしらに戴いて北斗星を拝し、その髑髏が墜ちなければ、化けて人となると言い伝えられている。

 劉元鼎が蔡州を治めているとき、新破の倉場に狐があばれて困るので、劉は捕吏をつかわして狐を生け捕らせ、毎日それを毬場へ放して、犬に逐わせるのを楽しみとしていた。こうして年を経るうちに、百数頭を捕殺した。

 後に一頭の疥のある狐を捕えて、例のごとく五、六頭の犬を放したが、犬はあえて追い迫らない。狐も平気で逃げようともしない。不思議に思って大将の家の猟狗を連れて来た。監軍もまた自慢の巨犬を牽いて来たが、どの犬も耳を垂れて唯その狐を取り巻いているばかりである。暫くすると、狐は跳って役所の建物に入り、さらに脱け出して城の墻に登って、その姿は見えなくなった。

 劉はその以来、狐を捕らせない事にした。道士の術のうちに天狐の法というのがある。天狐は九尾で金色で、日月宮に使役されているのであるという。
-------------------------------------------------------

先日のブログ((資料) 那須野の殺生石)で、古に「犬追物」という、囲いのなかで犬を射る式法の話しを記したが、その由縁は九尾狐を射落としたことにある。犬と狐が登場するのは因果かもしれない。とはいえ、狐の霊力は高く、犬を凌駕することになる。

また、物語りに「疥のある狐」が登場するが、稲荷に笠森盛稲荷がある。同稲荷は、「瘡守(かさもり)に通じて、瘡平癒から、皮膚病、梅毒に至るまで霊験ある」(Wikipedia)とのこと。近在の稲荷も、江戸期に川崎宿から参りに来たという。

極にあるものは、その対極に変身する底知れぬ霊力を宿しているのかもしれない。