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2015年3月20日金曜日

(資料)「【パク・ソンソ評論】 韓国最高のディーヴァ、イ・ソンヒを再び聞く」

今年1月、イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が発売された。そのとき、このアルバムについて解説された記事がネットにあって、本ブログに紹介させていただいた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)

大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソ氏の評論で、リマスター版登場の意義を、彼女の衝撃的なデビューとその才能、国民からの支持について、振り返る意味で記されたものだ。

イ・ソンヒの初期アルバムが、続けてリマスタリングされている2集、3集についても、以下の記事のようにパク・ソンソ氏の評論がなされている。イ・ソンヒの2集以降、デビュー当時の活躍も含めて論評が、NewsMakerの記事、「【パク・ソンソ評論】現 大韓民国 最高のディーヴァ(歌姫)、イ・ソンヒを再び聞く」(3/5)として掲載されている。

特に、イ・ソンヒ最大級のヒット曲である「分かりたいです」登場に直接関わった作詞家、作曲家とのインタビューもあり大変興味深い記事になっている。

(重複部分である第1集リマスター版の解説部分は上記リンク先を示してあるので、後述部分を次のように載せていただく。感謝)
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「8090熱風(80年代、90年代ブーム)」と共に「イ・ソンヒ再び聞くブーム」 - デビュー30年、イ・ソンヒのデビュー当時のレコードを再び聞き直す

改めて、「8090熱風」に加え、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームである。
再び、歌謡界の原動力となっている、8090曲の単純な記憶の中の歌ではなく、
実際に、多くのオールドファンに思い出という新たな響きを満たしてくれている、
デビュー30年、しかし今も相変らず「少女」のような姿に透明な音色の、
そして、一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます音楽愛好家の関心が高まる不思議な魅力の所有者だ。

特に、最近の世界的な傾向である、リマスタリング(Remastering)アルバムの発売ラッシュに合わせて、イ・ソンヒのデビュー当時のアルバム1、2、3集もすべてリマスタリング、再発売されるところになった
このアルバムが発表された1980年代、わが国の大衆音楽界にも新しい変化を繰り返していた。
特に、当時の男女歌手の最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒによって、わが国大衆音楽の地図が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。
最近のある調査で、40~50代中高年のための「土土歌(MBC「土曜日、土曜日は歌手だ」)」を作成するならば、最も見たい歌手Top3に、チョー・ヨンピル、イ・ムンセ、イ・ソンヒがそれぞれ選ばれた。
かように、彼らのその何がオールドファンを今でも熱狂させるのだろうか。
デビュー当時の、イ・ソンヒのアルバムを探して、再び聞いてみる。

(文、パク・ソンソ大衆音楽評論家、ジャーナリスト)

イ・ソンヒ1集、デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒ 初のソロアルバム「あ!昔よ」

(略)本ブログ掲載の”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”に相当します。


イ・ソンヒ2集  イ・ソンヒ再発見、10代若者のスターから万人の恋人に浮上する

「イ・ソンヒ2集」は、無限の変化を繰り返している、現在のイ・ソンヒに最も近いアバター(avatar)だ。現在のイ・ソンヒの歌には慣れ親しんでいるものの、初期の歌が多少馴染み薄い今の世代、すなわちニンジン(イ・ソンヒのファンクラブ)たちには、「デジャヴ(既視感、deja vu)」が強く感じられそうだ。様々なジャンルの歌でも、「絶対音感の所有者」という評価とともに、シンガーソングライターとしての第一歩を踏み出したアルバムだからである。

1984年、デビュー初年、MBC 10代歌手賞、新人賞、最高人気歌謡賞を総なめし、3冠王に上がったイ・ソンヒ、これに対し専属会社<地球(レコード)>は、「10代だけのスター」から「全国民的に愛を受ける歌手」にするために、ソン・ジュホ作曲の歌で満ちあふれた「1集」からの軌道を旋回、当時のヒットメーカー作家を大挙参加させて、二番目のレコード制作に入る。

「秋の風(갈바람)」(チョン・ウンイ作詞、ナム・グクイン作曲)、「ケンチャナ(괜찮아、大丈夫)」(パク・ゴンホ、イ・ボムヒ)、「貧しい恋人のために(가난한 연인을 위하여)」(イ・ギョンミ、イ・ヒョンソプ)、「ソウルの夜(서울의 밤)」(ハ・ジヨウン、イ・ホジュン)、「そうです、誤りは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)」(チュ・セホ、チョン・ギョンチョン)などをはじめとして、イ・ソンヒ本人作曲の「風の中で(바람 속에서)」まで。

「デビューから5ヶ月だけで、10代歌手賞を受賞するほどの大型歌手としての力量が十分だったんですよ。音感も非常に良かったし。そして、『江辺歌謡祭の1等』より、『歌謡界全体の1等』を作らなければならないという考えでヒットメーカーを動員、様々なジャンルで幅を広げましたよ。また、本人が直接作った曲はもちろん、(イ・ソンヒ)本人が歌いたいと持ってきた『後悔(후회)』まで多様に収録しました。」と、アルバムA&R(Artist&Repertoire)を務めたイム・ソクホ、当時文芸部長の言葉だ。このように幅広いジャンルを試みた「イ・ソンヒ再誕生プロジェクト」は、すぐに続く3集の収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(ヤン・インジャ作詞、キム・ヒガプ作曲)などで絶頂に達する。

去る2012年、イ・ソンヒはある媒体とのインタビューでこのように明らかにした。 「これ(2012年)まで、音楽的関心や趣向がずっと変わってきましたよ。子供の頃は、音楽の海が無尽蔵なことをそこまで知らなかった。しかし、デビュー以来、私が手にしたものが全てではないということに気づいたでしょう。意地がちょっと強いけれど、心を開いて受け入れるのも分かります。他の人たちがこの音楽が好きだ、あなたのものにしてみろ・・・ そのように薦めれば、ためらわず受け入れました。」

作曲家なら誰も曲を与えたいこのシンデレラについて、「2集」参加の作家はこのように評価する。

「声において非常に原則的な歌手です。基本的な発声、正確な拍子はもちろん、感情を節制しながらも、音そのものを堅固に出す、きれいな声を持った歌手でしょう。そういう少女的感性を生かしたくて『そうです、誤りは私にあります』の歌詞を書きましたよ。」 - 作曲家チュ・セホ。

「歌詞と意を正確に伝達する優れた歌手です。歌詞の感情を適切に表現する点も高く評価したいです。」 - 作詞家イ・ギョンミ。

「音色自体に豊かな感性が含まれている不思議な魅力の所有者でしょう。中 - 低 - 高音域、どの音域でもブレのない歌唱力、そのような利点を生かしてあげたくて、『貧しい恋人のために』と『希望(소망)』を作りましたよ。」 - 作曲家イ・ヒョンソプ。

今から30年前の85年11月に発売された、このレコードジャケットとジャケットに入っているブロマイドも当時話題になった。俗称「おばさん(アジュンマ)パーマ」という、いわゆる「滝(폭포)パーマスタイル」で、<江辺歌謡祭>に初めて姿を現したイ・ソンヒが、いつのまにか10代の少女たちに「イ・ソンヒそっくり(따라하기)ブーム」を起こらせた、「トンボ眼鏡にカットヘヤのキャラクター」を存分に誇ったアルバムだからである。この写真は、現在のドキュメンタリー写真家キム・ヨンボムが当時ファッションとロマンのメッカであった梨大(梨花女子大)入口を巡って撮影したものである。

純粋さ、それ以上この歌に込められてまだドキドキがそのまま感じられる、イ・ソンヒだけのアナログ的感性、その深い響きがファンにどのような感動的に近付くかとても気になる。


イ・ソンヒ3集、最高のArtistが集まって作ったイ・ソンヒの力作、その美しいラブソング

新たに「8090熱風」と共に、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームだ。耳を傾けるほど、清らかで透明な音色に盛り込められている感性の深さが違うためだ。再び歌謡界の原動力となっている8090曲の、単純な記憶の中の歌ではなく、実際に多くの人々にとって思い出となり、80年代と90年代をまた他の響きで満たしてくれている。

このアルバムが初めて発売された1986年11月、大衆音楽界も新しい変化を重ねていた。特に、当時の男女歌手最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒなどによって、韓国大衆音楽の支配権が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。

「イ・ソンヒブーム」を起こしたこのアルバムは、当時の最高のアーティストたちが大挙参加した力作である。そのラインナップを見ると、「A&R(Artist&Repertoire)_イム・ソクホ/ Violin_キム・ドンソク/キム・ジョンサン、イ・グァンイル、チョン・ミョンジャ、キ・ムユソン、シン・ユミ/ Cello_クォン・スミ、ペク・ンオク/ Guitar_イ・ユシン、キム・グァンソク/ Keyboard&Synthesizer_キム・ヨンニョン、キム・ジョンテク/ Bass_イ・スヨン/ Drums_ペ・スヨン/指揮_オ・チス/ Recording&Mixing_イ・テギョン、チャン・インソク/ Cutting_チャン・ジョングァン/ Photo_ホ・ジョンテ/ Design_ファン・チョルジュン」。

「10代スター」から「万人の恋人」として位置づけになる2集に続き、3集も当時のヒットメーカーたちが大挙アルバムに参加した。作曲家キム・ヒガプ、ナム・ククイン、イ・ボムヒ、チェ・ジョンヒョクを始め、ロックスタイルの実験的な音楽を追求していたキム・ホンタク、ユン・フイジュンはもちろん、「大学歌謡祭」出身の大学生作曲家まで、例えば、プロからアマチュアまでの様々な音楽ジャンルが共存するアルバムなのである。

「Young(영)」、「涙(눈물)」に加え、イ・ソンヒ3集の中で最も注目された曲は、やはり「分かりたいです(알고 싶어요)」だ。今でも最もソンヒらしいという評価を受けるの歌でもある。


名コンビ「ヤン・インジャとキム・ヒガプのカップル」が歌詞とメロディーでやりとりした世紀のラブレター、「分かりたいです」

▼先に発表した「Jへ(J에게)」と「あ!昔よ」がそうであったように、「分かりたいです」もイ・ソンヒにに来て新たに生まれた歌だ。この歌は、これより先に1978年、「秋の木々の間で(가을나무 사이로)」(キム・ヒガプ作詞・作曲、キム・イルウ*歌)というタイトルで、すでに発表された歌だ。題名と歌詞を変えて「分かりたいです」に再誕生させた作詞家ヤン・インジャさんに、当時の逸話を聞いてみた

(*)「秋の木々の間で」を歌った歌手を、1984年にイ・スンジェ(이승재)と紹介する記述がある(チェ・ギュソン大衆文化評論家)。上記によれば、1978年発表とのことで更に以前になる。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

「1985年、仕事のためにキム・ヒガプ先生のお宅に行くことになりました。その日、音楽を一つ聞かせてくれましたが、『秋の木々の間で』という歌でしたね。メロディーが美しくて寂しい歌詞と合わないようだといったところ、それでは歌詞を新しく書いてみろとおっしゃったのです。それで歌詞を書こうと、あれこれと思って考えているちょうど、ラジオでエルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」が流れて出てきました。注意深く聞いてみたら、歌詞が最初から最後まで、質問形式ですよね。だから私も質問だけの歌詞を一度作ってみよう、と思って作った歌です。」

しかし、しばらくの間、「分かりたいです」の歌詞は、キム・ヒガプ先生の引き出しの中でただ眠っていた。 「わけもなく一人で恥ずかしかったんですって。本当にまれことでしょうか? そうなのかも知らずに、私は、なぜ吹き込まないかとずっと尋ねたところ、そのたびに『しなければならないですね・・・』といって言葉を濁したんですね。」

▼歌詞を歌詞以上に考えたためなのか、当時の状況をキム・ヒガプ先生に直接聞いてみた

「歌詞を受けてみると、率直な感情のままに直接的話法で表現しましたよ。なぜか瞬間恥ずかしい思いをした。何か一言いわなければならないではないか、という考えにぎこちない気分にもなって・・・だから、慌てて引き出しの中のうち閉じ込めて置きましたよ。そうしている間、イ・ソンヒの新しいアルバムに入れる曲を頼まれ、ヤン・インジャさんに歌を作ろうといったところ、「分かりたいです」こそイ・ソンヒにぴったり、なのに何をまたか・・・ってね。そして、しぶしぶ持っていった楽譜でした。最初はアルバムの裏に、それも三番目に挟んで入れたが皆がこの曲が良いということでしょう。いやはや・・・」

歌詞が、歌の理性ならばメロディーは歌の感性だ。その感性と理性に、イ・ソンヒのいきいきとして暗い影のない感情がさらに作用して、この歌は、発表直後の1987年当時、KBS「歌謡トップ10」の5週連続1位を取ってゴールデンカップを占めており、「You」、「闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、「清らかな愛(청아한 사랑)」などと一緒に、イ・ソンヒに1987年ゴールデン・ディスク賞を与えた。

瞬く間に「万人の恋歌」に位置したこの歌(「分かりたいです」)は、その後、おしどり夫婦であり名コンビの「キム・ヒガプ - ヤン・インジャカップル」の結婚式の祝歌でも歌われた。新郎側の祝歌はブルーベルジュの「私の人生後悔はありませんが(내 인생 후회는 없지만)」、そして新婦側の祝歌がまさにこの歌「分かりたいです」であった。祝歌は、イ・ソンヒが直接歌った。

「イ・ソンヒを念頭に置いた歌詞とメロディー・・・イ・ソンヒは、私が望んだ私の姿の完成でした。歌が良いだけ考えも正しくて尊敬すべき部分が多い歌手ですよ。」ヤン・インジャさんのイ・ソンヒの評価がそうであるよう結論的に、この歌は、歌詞とメロディーでやりとりした「世紀のラブレター」であり、両方の結婚式場で祝歌に歌われた「愛のセレナーデ」になったわけである。一方、裏面のタイトル曲「遅れました(늦었어요)」は、ヤン・インジャさんが執筆したラジオドラマ「朝霧(아침안개)」の主題歌だ。

パワフルなロックスタイルの唱法がそっくりそのまま盛られている曲「もう離れなくちゃ(이제는 떠나야지)」と「暗闇を経て(어둠은 거치고)」もやはり、イ・ソンヒのもう一つの魅力が存分に引き立つ曲だ。

「歌唱力とフィーリング、そしてあや(彩)という三拍子を兼ね備えた歌手ですよ。特にイ・ソンヒのパワフルな歌唱力を生かすために、ソウル・シンガーのアレサ​・​フランクリン(Aretha Franklin)の歌を集中して聞きました。もちろん、イ・ソンヒはその時も見事だったが、時間が経つにつれ、より良い歌手になるだろう、こういう考えたこと思い出します。」 -「もう離れなくちゃ」の作曲家キム・ホンタク(He5、He6のリーダー)の言葉だ。

また、「その表情の意味(그 표정의 의미)」と「別れは本当に難しいです(이별은 정말로 어려워요)」は、1980年の「大学歌謡祭」に「厄払い(푸닥거리)」で参加した「ジプシー」のメンバーのヤン・シチュンが作った曲である。そのように、このアルバムを通じて当時の最高のヒットメーカーと、純粋な大学生作曲家たちが一緒に参加し、イ・ソンヒの隠れた魅力を多様に表出させている。

トップ・アーティストたちが参加したこのアルバムがリマスター作業を経て、原音そのままの音が蘇ったことも意味が大きい。まるで虫眼鏡で見るように声が、そして歌うシーンが歳月の厚さを退けて、まるで目の前に見えるようだ。アナログ的感性をそっくりそのまま再現した、30年前のこの曲は、母と娘の世代を分ける境界線ではなく、一緒に聞いても良い曲に生まれ変わるだろう。

デビュー30周年を経た今もまだ「少女」のような姿にきれいな透明な音色、そしてさらに深くなった感性・・・ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主、イ・ソンヒ。

「思い出はすべてを記憶できるが、記憶は全て思い出しきれない・・・」とか。しかし、長年の記憶の中で蘇る深い響き、鮮やかな現場の音を通じて、単に記憶される歌ではなく、多くの人々に、より大切な思い出としての地位になることを期待してみる。NM(NewsMaker)
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(付記)
イ・ソンヒの1集リマスタリングアルバムを手にしていた・・・ところ、なんと2集、3集もリマスタリングしているというではないか。ネットで調べると確かにある・・・また、新宿に行かねばならない。

2015年3月19日木曜日

(雑談)言葉のギャグ

言葉遊びをする。高尚な熟語や、生活の知恵の俚諺にうなづきつつ、それだけが全てじゃないよ、逆だってあるよといったこと。文字や順番を入れ替えてみれば、日常こんなことざらにある。

・面従腹背 ⇒ 面背腹従 : 酒を飲むと「こんな会社、辞めてやる」といいながら、翌日ケロリと出社する者。

・木を見て森を見ず ⇒ 森を見て木を見ず : 一見聡明な総論ばかりで、仕事の積み重ねができない者。

ちょっとした言葉使いや思い込みに過ぎぬ、そのとき、その時代の一瞬の判断なのだろうけど、異なる立場になって知ること。

・自分は違う ⇒ みなと一緒 : 若い頃の自分の写真を見てやっと気付く。

・若いくせに ⇒ 年寄りのくせに : みないずれ同じ墓場に行くくせに。

最後に、蟻の親方の「お前は賢いか?」との問いかけに答えたら、言われたひとこと。

・「はい」と答えたら ⇒ 「だったら黙っていろ」

・「いや」と答えたら ⇒ 「だったら黙っていろ」

2015年3月18日水曜日

彼岸2015

今日から彼岸の入り。春分の日(3/21)の前後に3日を置いて、一週間を「彼岸」とする。春と秋の2回あるが、地元に檀家となる寺もなく、街全体同じ空気があるわけではない。

いまとなっては、彼岸の行事は田舎のような共同性というか、同じリズムの生活空間の中でしか実感できないのかもしれない。

ところで、彼岸は仏教の言葉としてだけでなく、以前は強い転換場所の意にも使われていたが・・・今、流行らないのかもしれない。パラダイムシフトも一頃ほど使われていないし。

気温10℃を寒暖の境界に考えていたが、このところの暖かさに、境界を20℃に上げたい気がする。彼岸の境地とはほど遠い、楽な方に流れてしまう。欲にきりがない。

・・・結論が、すべて「~ない」になっている。煩悩のまま。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 林悌と妓生

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第96回として、朝鮮時代中期の文人、林悌(임제、1549年~1587年)と、妓生(기생)の寒雨(한우)にまつわる話を紹介した。

始めに、文人林悌と妓生(黄眞伊、寒雨)との関わりについて次のように紹介された。
・文人、林悌が官職に就き地方へ向かうとき、当時最高の妓生といわれた黄眞伊(황진이、1506年?~1567年?)の墓を通りがかり、立ち止まって墓前に酒を注いだ。彼は黄眞伊の墓前で詩作した。<美しい顔は消え去って骨だけが残り、墓の前で酒を注いでも何の意味があるだろう>という内容だ。最高のロマンチストと言われた訳だが、人目を重視する上層の両班(양반)社会で大変なことになる。これが朝廷に伝わり、任地に到着せずして彼は免職となる。
・他にも有名な逸話がある。林悌は、妓生の寒雨と出会い、自ら詩を作る。<北の空が晴れているから出かけたものの、山には雪が降り、野原には雨が降る。濡れてしまったけれど、このまま眠るしかないだろう>というものだ。

▼ 林悌の詩から「北の空が晴れているから(북천이 맑다커늘)」の歌を聴く。詩を素材に昔話風にした今様である。

次に、林悌の詩に対する妓生寒雨の返詩について次のように説明された。
・林悌の詩の、空が晴れているのに、雪や雨が降って困るの意は、詩作のとき出会った寒雨(ハヌ、한우)の名に由来する。雨に濡れたまま眠るというのは、寒雨に自分を受け取ってくれるか尋ねることであり、これに対し寒雨も詩を作り、<枕と絹布団があるから、寒いところで寝ないで暖かくして寝てください>と答えた。ここでいう枕は鴨に似た、鴛鴦(オシドリ)を刺繍したもので、睦まじい夫婦を意味し、夫婦が一緒に使う枕だ。絹布団も若い夫婦が使う派手な模様のもので、寒雨も心を伝え、二人は天気に例えて互いの気持ちを確認した。彼らの詩は文字で伝わっている。

▼ 寒雨が答える歌「どうして凍えて寝るのですか(어이 얼어자리)」を聴く。詩を素材に昔話風にした今様である。

最後に、パンソリ「春香歌」と林悌の早逝について次のように紹介された。
・愛の歌と言えば、(説話「春香伝(춘향전)」を伝える)パンソリ「春香歌」が定番。虎の例えで始まる。<老虎が餌を見つけたものの、歯が抜けて食べられぬ>という内容だ。愛する人を目前にして、居ても立っても居られず落ち着かぬ様子を例えたもので、わくわくしながらもためらう心を表わす。

▼ パンソリ「春香歌」から「恋歌(사랑가)」を聴く。粘り気があって・・・歌の場面が気になるけれど。

・林悌は、高官になってからも党争(당쟁、붕당)を嘆き、官職を捨て山に遊んだ。39歳で早逝するが、短い人生の中、明快で率直な作品を多く残した。

(本ブログ関連:”黄眞伊(황진이)”、”春香歌”)

2015年3月17日火曜日

20℃超え

一日が暖かく、冬服は深情けのようにうっとうしく感じられた。今年最高の気温だった。春は日ごと気温を増すとしても、今日、20℃の大きな区切りを超えた。(近在で、21.1℃)

青空にまぶしく真白いハクモクレンの花を見上げながら歩を進めると、小学校の裏手になる。雨降りだった昨日のブログに記したように、沈丁花の香りを確かめに行く。垣根の陰りに咲く、花弁の縁を紅色に滲ませた白い沈丁花の花は、温い空気に甘い香りを載せて、辺りに漂わせていた。春到来を実感する。

夕方に気付くのは、陽が長くなったことだ。以前はあっという間に隠れた太陽が、西の空、家並みの続く地平の上で、日没を躊躇するように輝いている。このまま暖かくなって欲しい。

とはいえ、春は、ようやく手に入れた不老の仙人となるべき秘薬を、なんの気迷いか飲み干すことを忘れさせる隙を作るという。変化に浮かれてばかりおられぬのかもしれない。

2015年3月16日月曜日

沈丁花

今日はせっかくのぬくもりなのに、どこか冷え冷えする。雨脚が、春雨というには勢いがあって雅趣に乏しい。これを乗り越えれば、明後日は彼岸の入り、週末は春分の日だ。

春の近づきに気になるのが、沈丁花の花の香りだ。それがもう花弁を大きく膨らませ、一部の木々は花開いているというのに、まだ漂わないのだ。小学校の裏の垣根に咲く、この白い花を遠慮なく嗅いで見るのだが。

(本ブログ関連:”沈丁花”)

今日の雨に、沈丁花は香りを流されているかもしれない。こんな日だからこそ、石川さゆりの「沈丁花」(1978年、作詞東海林良、作曲大野克夫)の歌の始まりが思い浮かぶ。(Youtubeに登録のsui25huyoに感謝)

「降りしきる 雨の吐息に/濡れて傾く 沈丁花」、雨けぶる日には演歌がよく似合う。

このまま香りを逃してしまうのは惜しい。明日の晴れ間にもう一度出かけてみよう。

2015年3月15日日曜日

SIMフリー

スマホやタブレットを持たぬ身なので、有用さが実感できない。欲しいから、必要だから物品を購入するのが購買行動だろうが、今のところそんなニーズがないのだ。

今日、SIMフリースマホの説明会に出て、キャリア販売のスマホより安価な、MVNO(昔でいうVANのような通信サービス会社)のSIMフリーサービスがあると聞いた。確かに比較すれば割安感がある。

ネットを外で見たいなら・・・という前提を聞いている内に、もやもやしてくる。ネットは自宅のPC利用で満足している。それで十分なのに、わざわざ外で(どこで?)見る必要性があるのだろうかと自問する。

周りから、スマホをせきたてられても、なかなかその気にならない。どんな場面で使うのかも、想像できないでいる。

この場合に限って、(今のまま)ガラケーじゃダメなんでしょうか? (ガラケーで、ネットもめったに見ることもないし)・・・なんとなく、早く結婚しろとせき立てられる娘さんのような心境か?

2015年3月14日土曜日

(資料) 韓国ギャラップ「韓国人が最も好きな歌手2004-2014」、イ・ソンヒ2位!

韓国ギヤラップの面接調査による「韓国人の最も好きな人」で、歌手編について、2004年と2014年の比較調査結果が以下のように報告された。感謝。(抜粋)

先に、「(資料)韓国ギャラップ調査『愛唱曲 2004-2014比較』」について本ブログに載せ、イ・ソンヒの「因縁(인연)」が、なんと7位圏に入ったことを載せた。今回は、歌手本人についての愛好度を調査するものだ。その中で、イ・ソンヒはチョー・ヨンピルの1位に次いで、2位となった。本当に素晴らしい知らせだ。

(本ブログ関連:”ギャラップ” ⇒ リンク先表示下「次の投稿」に続く)
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●韓国人が最も好きな歌手:2004年イ・ミジ李美子ャ(5.6%) → 2014年チョー・ヨンピル(7.2%)
- 2004年上位10位圏内トロット歌手6人、2014年には4人に減って

・(10月2~29日)満13才以上の男女1,700人に最も好きな歌手を聞いた結果(面接調査、自由応答)、(参考グラフの通り、上位から)チョー・ヨンピル(7.2%)、イ・ソンヒ(4.4%)、チャン・ユンジョン(3.9%)、アイユ(3.6%)、テ・ジナ(3.3%)、EXO(2.9%)、イ・スンチョル(2.8%)、イ・ミジャ(2.8%)、ナ・フナ(2.5%)、少女時代(2.1%)の順だった。

・(第1位の)チョー・ヨンピルは ・・・歌謡界の頂きを守ってきた ・・・(略)

(第2位の)イ・ソンヒは、1984年「江辺歌謡祭」でデビュー、爆発的歌唱力と特有のスタイルで当時「姉さん(オンニ)部隊」、「イ・ソンヒ シンドローム」を起こして、大きな愛を受けた。1990年代以後では、(ソウル市)市会議員、シンガー・ソングライター、プロデューサーとして活動範囲を広げて、アルバム発売とコンサート、OST参加などで着実にファンたちのそばを守ってきた。

・2013年が「歌王(チョー・ヨンピル)の帰還」で揺れた一年だったとしたら、2014年はイ・ソンヒが正規アルバム15集のタイトル曲「その中にあなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」で各種チャートを席巻して「女王の帰還」を知らせた年であった。チョー・ヨンピルは、40代以上男女で均等の支持を受けたし、イ・ソンヒは彼より若干低い年齢帯、そして男性よりは女性の選好が目立った
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(本ブログ関連:”その中にあなたに出会って”)

(参考グラフ) 韓国人が好きな歌手2004年-2014年(自由応答)・・・ギャラップ
- グラフ: 歌手名(デビュー年度)、上段2004年度、下段2014年度、支持率%)


(参考) 上位5位の歌手ごと支持率%(男女別/世代別/男女世代別/職業別/地域別)については、ソース資料を参照願います。

2015年3月13日金曜日

「早春賦」

このごろ陽射しに、春の兆しして和らぐ。けれど陽が傾けば、まだ冬の寒さが残っているのに気付く。そんなとき、唱歌「早春賦」(作詞吉丸一昌、作曲中田章、1913年)にある、「春は名のみの」という詞を実感する。

(本ブログ関連:”早春賦”)

この歌を,「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞、岩波現代文庫)は最初に採り上げている。作詞した吉丸一昌の孫が、祖父の顕彰に奔走したこと、歌と縁の深い長野の安曇野で、冷えた若者の心を支えようとする女性の姿など描かれている。

何よりも、43歳で早逝した吉丸一昌の教育者としての生き方に志の高さを知る。苦学の経験から、東京府立三中の教諭時代、私財を投じて夜間学校を設立したという。頭の下がる話しだ。

彼の故郷、大分の臼杵市には「吉丸一昌記念館」がある。昔、大分に出張した帰り、臼杵にある磨崖仏の地を訪れたことがあったのを思い出した。国宝がこんなところにと思うほど、ひっそりとした長閑な田舎だった。

(Youtubeに登録のshimobunsadoに感謝)

2015年3月12日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 厄除け打令

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第95回として、小正月に関わる「厄除け・打令(액맥이・타령)」、および他2曲についての話を紹介した。

(本ブログ関連:”小正月”、”啓蟄”)

始めに、「小正月(정월대보름)」の行事・風習について次のように紹介された。
・昔、年明けの風習は、元旦のソルナルから15日後まで続いた。この「小正月」は、「正月(정월)」と陰暦正月の「15日間(대보름)」を合わせた表現で、「上元(상원)」とも言い、中国道教の行事「三元」の一つにあたる。韓国の小正月の間、十二支の順に日を巡る風習があった。ネズミの意の「子の日」に豆を炒って食べる。穀物を守る厄払いで、「豆と一緒に炒めよ(쥐알 볶아라 콩알 볶아라)」と言って炒る。「쥐」はネズミ、「쥐알」は小さいもの。「콩」は豆、「볶아라」は炒めよの意。そのことで穀物を守ろうとした。また、牛は農作業に欠かせぬため、「丑の日」に豆を入れた粥を食べさせ休ませた。ヘビの「巳の日」には髪をとかぬ風習があり、家に蛇が入らぬと信じた。

▼ 「厄除け打令」の歌を聴く。四方と中心、守りを固めて安心繁盛・・・農楽隊が家々(家中も)廻ったようだ。

次に、「ネドウィ(내더위=私の暑気)」の風習、「カンガンスルレ(강강술래)」という遊びについて次のように紹介された。
・昔、時期によって災いの種類が違うとされた。厄払い(액맥이)には、正月の厄払い、2月の厄払いなどといった歌があった。また、「小正月」の風習の一つに、暑気払い*があり、小正月の朝、最初に会った人に「わが暑気を買っていけ(내 더위 사가게)」と叫んで、夏の暑さをなすりつける。相手は、構えていて、言われたらすぐに言い返し、倍返しする。小正月と言えば、「カンガンスルレ」という遊びもある。女性が、体をつなぎ円を描きながら歌う遊びだ。

(*)「東国歳時記」(洪錫謨、訳姜在彦、東洋文庫)の「(旧暦)一月」、「上元」の項に「売暑」としてある。
「朝早く起きて、誰か人を見ればだしぬけにその名を呼ぶ。先方が返事をすればすかさず、『わが暑気を買え!』という。これを売暑という。・・・/かんがうるに、(中国宋代の人)范石湖の『売癡獃詞(ばいちがいし)』に、『除夜は更けても人は睡(ねむ)らず、癡獃(おろかもの)を買えと、人に呼びかける』とある。・・・今わが国で、上元に売暑する風俗も、これに似たものである。」

▼ 遊び歌「カンカンスルレ」を聴く。女性が満月に輪となって踊る・・・海洋性のものなのか、始原的な気がする。

最後に、二十四節気の「啓蟄」、イタヤカエデ(고로쇠)の樹液の薬効について次のように紹介された。
・明日(3月5日)は小正月、翌3月6日は節気の一つ「啓蟄」。節気は、一年を24等分して季節を表わしたもの。昼の長さを表す節気に、冬至、夏至、春分、秋分の日がある。また、春を知らせる節気に、立春や啓蟄がある。啓蟄の頃に、新年に入ってはじめて雷が鳴ると言われる。日本の「虫だしの雷」に通じる、冬ごもりした動物が驚き目を覚ます。さらに、植物も潤う季節になりる。韓国にはイタヤカエデの木があり、樹液を飲むと胃腸薬代わりになるとも言われる。春の気運が人の体にも作用すると信じられた。

▼ 春を知らせる「カエルへ(개구리에게)」をピリ演奏で聴く。子どもが喜びそうな全くの今様。愉快。

2015年3月11日水曜日

冬の蟻

ねぐら(塒)深く、酔いつぶれたアリの親方がテーブルに顎(あご)を置いたまま、この冬はしばれるといって、ぶつぶつ話しを続けた。・・・周りは、眠い目をこすりながらじっと耳を傾けた。

なんだとお、ねぐらというのは鳥の巣のことだと、わしらは昔は飛んだものだぞ。今だって、御かみさんの後について行くときゃ、羽をぶんぶんいわせるもんだ。そん時だけだがな。

それに、カチカチいうスズメバチも近い親戚だ。やつらは空を飛んで餌を探し回るが、わしらは地べたを這って探すわけよ。だから羽は邪魔。でも、顔を見ろ、そっくりだろ、どうだ。

それときたら、あのシロアリ野郎、勝手に名前を盗みやがって。やつらはゴキブリ野郎さ。堂々とお天道様に顔向けできない奴らだ。わしらとは違う。オスにしてもな。

でもなあ、人間の子どもは残酷なもんだ。小さいくせして、わしらのねぐらに一生懸命水を流し込むのだから。あれには参った。部屋中水びたしだ。奴らは飽きっぽいから大丈夫。逃げ道はいくらでもあらあな。

今日も寒いな。こうやって幸運にも生き残れるのは、神様の思し召しというもんだ。じき暖かくなりゃ仕事だぞ。ゆっくり体を休めておけよ。・・・周りの連中も、付き合いにぐったりして横になり寝息を立て始めた。

2015年3月10日火曜日

記憶違いと物忘れ

昨晩作成のブログで、イ・ウンハの曲名を間違えて書いてしまった。訂正したが、なんだか落ち着かない。記憶違いというのは少々つらいものだ。

ここ数日、思い出せない島があった。グアム島だ。なぜかオアフ島しか浮かんでこないのだ。オアフ島には行ったこともないのに。そんな虚ろなことがいろいろある。

昔、途中で転校した小学校の校歌の3番にある池の名前が思い出せなかった。さいわい、ネットに記された校歌を見て思い出した。校歌は、地元の有名な作家と有名な作曲家によるものだ・・・子どものころ、気にしてはいなかったが。

池に遊びに行ったことがある。桜の季節、小学校から一団となって花見したのだ。そこが、ある企業の貯水池だったとは今回はじめて知った。小さな子どもの記憶に残る桜は、いつも見上げるものだった。桜の季節は空が桜色していた。

2015年3月9日月曜日

春雨

今は帰国して日本を去った歌手に、ケイ・ウンスク(桂銀淑、1961年~)がいる。彼女の特徴にハスキーボイスがあった。いわゆる成熟した女性の低音というより、独特なかすれを持つ意味でのハスキーな声質が魅力だった。

同様なハスキーさで、しかも誕生も同年という歌手にイ・ウンハ(李銀河/イ・ウナ、이은하)がいる。日本で活躍はなかったようだが、NHKの番組で紹介され、日本の歌手が、彼女の歌う「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」のうまさを賞賛した。

(訂正: 曲目を上記赤字の通り修正します。深謝)

しとしと降りの今晩、イ・ウンハが歌う「春雨(봄비)」(1979年、作詞:イ・ヒウ、作曲キム・ヒガプ)を聴いてみよう。

(本ブログ関連:”イ・ウンハ이은하)”)

今となれば、あのハスキーも当時の韓国歌謡界独特の雰囲気だったのかもしれない。その中で、現在も活躍する歌手がイ・ウンハである。


「春雨(봄비)」

春雨に去ったひと、春雨に濡れて戻ったよ
あのときは、あの日には、笑って別れたが
今日このひととき、今日このひととき
あまりに惜しく
互いに涙で、窓を見るよ (あ~あ~あ)
春雨に戻ったひと、雨に胸濡らすよ

(以上繰り返し)


(Youtubeに登録の李銀河 - トピックに感謝)

2015年3月8日日曜日

春の気配が増してきた

日めくりカレンダーをPCそばに置いたため、日ごと忘れることなく剥がしている。一枚取れば裏をメモ紙にして・・・と思っているうちに次々溜まる。毎日があっけなく消費されて、果たして実のあるものになっているのか。日々、忘却の彼方へと過ぎていく、そんなところだ。

それでも、今日は春らしく暖かさを感じて、上着をコートから厚手のセーターに変えた。身軽になった気がする。外出すれば、少々寒いけれど痩せ我慢。いつもと違う隣り町の図書館本館へ行く。高い書棚にあって取りにくかった書籍(詩全集)が、目の高さに移動していた。微妙だがあちこち配置換えしている。

一日一日、気候も微かに変化している。斯様に変わるものもあれば、変わらぬものもあるけれど。今年は、ちょっと変化してみたい。生活リズムというか、時間割というか変化が必要だ。4月から新しいリズムで始めてみたいことがある。

イ・ソンヒ ファンは勿論このままだ。彼女のコンサートは、2、3年置きに開催のため、今年は遠出の予定もない。こちらにも何か変化が欲しいものだ。

2015年3月7日土曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

昨年4月、世宗文化会館での30周年コンサート「歌う イ・ソンヒ」(2014年4月)の始まりに、ステージにせり上がるイ・ソンヒの第一声は、1984年に歌ったデビュー曲「Jへ(J에게)」(作イ・セゴン)だった。威風堂々とさえ見える。まさにファンとともにあった歌だ。

(本ブログ関連:”Jへ” ⇒ リンク先表示右下「次の投稿」で更に続く)

ご覧の通り、会場は30周年コンサートらしい大人の雰囲気していて良い。もちろん、(次のYoutube映像に収録されていないが)コンサート後半には、観客らを熱狂させる(固有の琴線に響くというべきか)、「あ!昔よ」や「美しい江山」も歌われ、会場の熱気に圧倒される。彼女が長年支持される理由である。

「Jへ」

J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録のAlice Sk8erkittyに感謝)

2015年3月6日金曜日

啓蟄2015

二十四節気の3番目、「啓蟄(けいちつ)」だ。冬眠した虫が穴から這い出るころという。私の方は、すでに春の兆しを感じて、春眠にふけっている。花粉症のせいかもしれないけれど・・・。

(本ブログ関連:”啓蟄”)

気象庁の「季節を表わす用語」に、「春」は「3月から5月までの期間」としている。もう、春が始まっている。

今日は暖かだったけれど、明日また冷えるという。私と同様、出てきた虫も戸惑うだろうな。

2015年3月5日木曜日

ようやく追いついた

Youtubeの始めにいろいろな画面が表示される。その中から選んで、ここ数日のこと、「【MV】 恋するフォーチュンクッキー / AKB48[公式]」(2013/10/30 に公開、作詞:秋元康、作曲:伊藤心太郎、編曲:武藤星児)を見ている。

時差(公開時と比べて)、1年4ヶ月ほどして、ようやく追いついたことになる。

KBS WORLD「国楽の世界へ」キンアリほか

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第94回として、民謡「アリラン아리랑)」にまつわる曲と、改良管楽器について話を紹介した。

(本ブログ関連”アリラン”)

始めに、西道(半島北部地域の黄海道と平安道地方)民謡の「キンアリ(긴아리)」について次のように紹介された。
・アリランは遊びにも、仕事にも歌う。疲れた時、楽しい時、気持ちを込めてリズムに合わせて歌う。西道に伝わるアリランに、「キンアリ」、「チャジンアリ(자진아리)」がある。種をまき、畑を耕す時、海で貝を採る時も歌う。主に女性が歌い。「キンアリ」の歌詞は、採った貝は塩辛にして、去った人の心はつかもうという「男女相悅之詞」だ。短い歌詞に「やあぁ」という表現が何度も出る。嘆きのようにも、ため息にも聞こえる。どこか悲しい感もするが、(土着固有のリズムが生み出した)命に対する想いがする。

▼ 歌「キンアリ」を聴く。長閑で物静かな歌だ。(参考「韓国民俗文学事典」、「カン・グクスの音楽物語」)

次に、伝統音楽の「霊山会相영산회상)」、「散調(산조)」、「チャジンアリ(자진아리)」について次のように紹介された。
・伝統音楽に、いくつかの曲を繋いだものが多い。ゆっくりから速いテンポに移り変わる。①上層のソンビが楽しんだ音楽「霊山会相」もそのひとつ。「上霊山(상령산)」というゆっくりのテンポから始まり、7~8曲ほど続けて演奏し、最後は大変早いテンポで締めくくる。②「散調」の形式も緩やかなテンポから速いテンポに移る。「チュンモリ(중모리)」に始まり、「チュンチュンモリ(중중모리)」、「チャジンモリ(자진모리)」、「フィモリ(휘모리)」に至る。③民謡も同様、最後の場面が一番楽しく、「チャジンアリ」まで歌いきってこそ、すっきりする。歌詞に面白いものがある。ある女が嫁入りの日、女を愛した男が大騒ぎした。すると女は、ここで騒がないでうちに作男で入ってきなと言った。

▼ 「チャジンアリ」の歌を聴く。何となく滑稽で素朴な曲調に編曲した今様である。

最後に、管楽器「太平簫(テピョンソ、태평소)」とその改良した「チャンセナプ(장새납)」について次のように紹介された。
・民謡の歌詞は、率直ながらもユーモアに溢れる。言葉に表しづらい本音を歌で伝える。どんな状況でも楽観的であった昔の人々の性格が表れている。
・管楽器「太平簫」は、ラッパのような形をしている。別名「セナプ(새납)」とも呼ばれる。北側には伝統楽器に手を加えた改良楽器が多くあり、セナプを改良した長尺の「チャンセナプ」がある。セナプは明るい音色が迫力あり、行進曲の演奏によく使われる。反面、改良したチャンセナプはもう少し柔らかい音色が特徴。

▼ 民謡「龍岡キナリ(룡강기나리)」を楽器チャンセナプの演奏で聴く。いろいろな味付けをしている。

2015年3月4日水曜日

春の気配か転寝ばかり

花粉症の一番厳しい経験は、まるで風呂上りにのぼせた時のようになることだった。それが数日続き、集中力が手薄になるからたまらない。

環境に過敏に反応したからだろう。それも若さというもの。歳をとるにしたがい、環境と折り合いが付くようになり、花粉症は次第に軽減した。

潔癖よりも澱んだ方が住みやすい。動物が体をこすり付けてテリトリーを示すように、自然の中で一番居心地のよい場所が見つかるものだ。

この世界で、個人にしか与えられない、春の気配に転寝できるという今、平凡という名の命の幸運な偶然に感謝しなければならないだろう。

2015年3月3日火曜日

イ・ソンヒの「心のようにあなたのそばに」

イ・ソンヒの耳に残る数々の名曲をたどれば、いずれか作曲家ソン・シヒョン(송시현)にいきつく。それほど、イ・ソンヒの作品に縁が深い。その彼が、ちょっとオールディーズの雰囲気する、イ・ソンヒの5集に収録の「心のようにあなたのそばに(마음처럼 그대곁에)」(1989年、作詞キム・ミンジョン、作曲ソン・シヒョン)を作曲しいる。

(本ブログ関連:”ソン・シヒョン”)

おじさんには、なんとも耳に心地いいメロデイーだ。イ・ソンヒのいつもとちょっと違った楽しみ方ができる曲だ。まるで、LPレコード盤が回転して針が擦れる音まで聞こえてくるよう。

「心のようにあなたのそばに」
Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=NS0SfAAEg08
- 登録のイ・ソニ - トピックに感謝)

あなた、離れているけど、心は自由なのよ
思ったら、どこでも行ける、心はすでにあなたのそばに
*
あなた、会いたいけれど、私は鎖に縛られ
一歩二歩、近づいていくけど、まだあなたは見えない
心のようにあなたのそばにいたい
心のようにあなたのそばに生きたい
私は、まだ遠いのに、心のようにあなたのそばに

(*以下繰り返し)

(心のようにあなたのそばに)いたい
心のようにあなたのそばに生きたい
私は、まだ遠いのに、心のようにあなたのそばに


(付記)
そうそう、今日は「雛祭り」だった。帰り道、夜風のせいか、花粉症の鼻には少々こたえた。気温が昨日の半分だったのだから。

2015年3月2日月曜日

花粉症

まだ本格的でないが、妙な予感がする。昨日から、いったんクシャミを始めると、鼻水も出て止まらない。風邪ではない、目頭に怪しい痒みを感じるのだ。

痒みに負けて、目頭を掻きはじめると深みにはまる。それを恐れている。触らぬように心しているが、時間の問題のようだ。

気象協会の「2015年春の花粉飛散予測(第4報)」によると、今年のスギ花粉のピークは、今月上旬から中旬にかけてとのこと。まさにスギ花粉のピーク只中に舞込んだようなもの。外出にマスクは必須だろう。けれど、今日も忘れた・・・準備怠りっぱなし。ただし、花粉症対策の点鼻薬と抗菌目薬はちゃんと準備している。

図書館でクシャミと鼻をかむのは気を使う。特にスタディールームでは。できるだけ穏便に願いたいものだ。

運が良けりゃ・・・と思って記したが、どうも良い方向に進みそうもない。花粉症経験者には分かっている。今年の運は良くなさそう。

マイフェアレディのミュージカルの「運が良けりゃ(A Little Bit Of Luck)」は酒でも飲んで、別の機会に聞こう。

2015年3月1日日曜日

イ・ソンヒの「雨降る街に立って」

雨が冷たい。お天道様は寒暖を行ったりきたりして定まらない。雨は行動を鈍らせる。

まさかこんな日に、傷心を癒すのに雨に濡れている人はいないと思うけれど。ストーブに暖まって温もりながら、イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)を聴く。

(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)

ガラス窓越しに冷たい雨を覗くように、イ・ソンヒの歌を通して、この歌にすっぽりはまってみよう。まるで映画のよう、情景が浮かんでくるではないか。でも、あくまでもこちら側は暖かいけれど・・・それも悪くない。


「雨降る街に立って」

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんで、あなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの
*
雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のkoreanballadsに感謝)

2015年2月28日土曜日

今日で6分の1食ってしまった

いつもながら、一年を一個のリンゴの実に例えて、月日の経過をリンゴをどれだけ食ったかで表現する。即物的だけど身に沁みてよく分かる。甘いも酸っぱいも。

(本ブログ関連:”リンゴ”)

今年、1月が終わったとき、12分の1食っただけと楽観した。それが今日、2月の終わりに何と6分の1食ってしまったと気付く。12分の1と6分の1では重さが違うというもの。

こうやって、1年があっという間に過ぎていくのだろう。やらなきゃならないことがいっぱいあるというのに。

考えなくても時は進んでしまい、無為が無為でないような錯覚をしてしまう。

そうそう、奥の手がある。仲間から、こんな回答をいただいた。鉛筆をコロコロ転がして、○×を決めよう・・・と。

神様はサイコロを振ることを戒めるだろうけど、今度だけはサイコロに賭けることにするよ。

2015年2月27日金曜日

(資料)韓国ギャラップ調査「愛唱曲 2004-2014比較」

韓国ギャラップから、「韓国人が好きな40種類、【文化編】-趣味/運動/愛唱曲/映画/ペット(2004年-2014年)」(2/25)の調査結果が発表されている。その中で、「愛唱曲」(発表時期、歌手名、応答率)について次のように報じている。
当然、イ・ソンヒが同率7位にランクインしているので、(参考)などで赤字で追記・付記した。

(本ブログ関連:”韓国ギャラップ” ⇒ リンク先表示下「次の投稿」に続く)

今回、少々気になる説明がある。一つにアルバム購入スタイルからインターネットなどで入手するという聴取スタイルの変化について、次に1位曲にもかかわらず応答率が低いこととカラオケでの選曲のむずかしさとの関連など・・・どのように分析をされたのか知りたいところだ。
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●韓国人の愛唱曲1位は「私の歳がどうだから(내 나이가 어때서)」、また、「出会い(만남)」と「南行列車(남행열차)」は2004年に続き2014年にも愛唱曲10位中に入って

・我が国には、昔から各地方特有の「勞動謠」(=農作業など労働の民謡)があった。 しかし、今は思う存分歌を歌って仕事が出来る職業がほとんどないので、音楽を聞くため時間を多く割いて、カラオケや各種集いに参加した時、歌を歌うことになる。インターネットと放送、スマートフォンなどの普及に伴い、過去のようにあえてアルバムを購入しなくても多様な経路を通じて望む歌を選択して聞くことができる。このような環境変化が韓国人の愛唱曲にはどんな影響を与えたのだろうか?

・韓国人が最も好んで歌う歌(自由応答)
- 1位は今回調査に参加した1,700人中34人が答えた「私の歳がどうだから」(2012、オ・スングン、2.0%)
- その次は、「わけもなく(무조건)」(2005、パク・サンチョル、1.4%)と、「出会い」(1989、ノ・サヨン、1.4%)
- 「まあ(オモナ、어머나)」(2004、チャン・ユンジョン、1.1%)
- 「椿お嬢さん(トンベク・アガシ、동백아가씨)」(1964、イ・ミジャ、1.0%)と、「南行列車」(1986、キム・スヒ、1.0%)が5位圏に入った。
-(参考: 次にイ・ソンヒの「因縁(인연)」(2005、0.8%)、シン・ユの「時計の針(시계바늘)」(2008、0.8%)が7位圏に入った)

・愛唱曲1位の選好度がこのように低いのは、韓国人一人一人の特性(キャラクター)ごとに好んで歌う歌がまちまちだということを見せてくれる。もし、人々の愛唱曲が特定の歌に集中しているなら、カラオケに行った時、他の人が私の18番曲を先に歌って困るようになるケースが頻繁に起きないだろうか。

・愛唱曲の上位10位中で、
- 最も古くなった曲は、50年超えて歌われた「椿お嬢さん」であり、
- 最新曲は、2013年発表されて昨年も人気を享受した「ガゥオー(으르렁)」であり、
- 「出会い」と「南行列車」の二曲は、2004年に続き2014年にも10位中に入って名実共に国民愛唱曲の座を守った。
- (イ・ソンヒの)「因縁」、(他に)「会いたい(보고 싶다)」、「恋人います(애인 있어요)」という最近のオーディション番組を通じて再び世間の注目を受けた曲であり、「時計の針」と「安東(アンドン)駅で(안동역에서)」という若い演歌歌手の代表曲だ。


【グラフ補注】
*2004年の上位10位曲: 「出会い」、「昭陽江(ソヤンガン)乙女(소양강 처녀)」、「南行列車」、「賛美歌」、「愛(사랑)」、「アパート(아파트)」、「イバラの花(찔레꽃)」、「花を持った男(꽃을 든 남자)」、「泣いて越えるパクダル峠(울고 넘는 박달재)」、「女の一生(여자의 일생)」
*2014年10月2日~29日、全国満13才以上男女、1,700人面接調査
*曲名、括弧中(発表時期、歌手名)
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2015年2月26日木曜日

三寒四温

冬に暖かさと寒さを繰り返すことを、「三寒四温」という。気象庁の「解説用語」にある「気温に関する用語」のページを見ると、三寒四温を「冬期に3日間くらい寒い日が続き、次の4日間くらい暖かく、これが繰り返されること。中国北部、朝鮮半島などに顕著な現象。」と説明している。

(本ブログ関連:”三寒四温”)

最近、寒暖の行き来を感じて、気象庁の「過去の気象データ検索 > 日ごとの値」で、地元の日ごとの最高気温を調べた。今月15日から今日までについて、私の暖かさの目安(基準)であるが、10℃を境界にして高い日(△)、低い日(▼)を並べると次のようになる。

△△▼▼△△▼▼△△▼
15---------26(日)

気象庁解説の「3日間くらい寒い日が続き、次の4日間くらい暖かく」というわけにいかないが、寒暖が2日ごと相互に入れ替わっている。暖かい日があっけなく終わってしまうのは残念とはいえ、この変動は、冬型から春型に移る気配がするようで納得。

でも、今日は寒雨、やっぱり春が待ち遠しい。

2015年2月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」旧正月3曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第93回として、旧暦の正月「元旦(ソルナル、설날)」にまつわる3曲について話を紹介した。

(本ブログ関連:”旧正月”)

始めに、旧暦元旦、ソルナルの呼称について次のように紹介された。
・元旦、ソルナルの呼称に様々な由来がある。新年を迎えてまだ慣れぬ意の「ナッソルダ(낯설다)」の発音と似るという説。歳をとる悲しさの意の「ソロタ(서럽다)」という説もある。グレゴリオ歴を1896年から採用し、正月を1980年代末まで新暦で採用してきた。旧暦1月1日を正月とする伝統から1985年に「民俗の日(민속의 날)」と名付けたこともあるが、1989年になって旧暦のソルナルと呼ぶようになった。

(参考)平沢市民新聞の記事「(「ソルナル」に)移行する過程の表現」(2013年2月8日、パク・チュンソ氏)

▼ 宮廷音楽である唐楽「歩虚子(보허자)」の演奏を聴く。ゆたりとした古式ゆかしい響きがする。

次に、「茶礼(차례)」の儀式や墓参りについて次のように紹介された。
・今、節句は久々に家族が集まる日でもある。これに加え、元旦と「盆(秋夕、추석)」に先祖へ「茶礼」の儀式を行う風習が伝わる。茶礼は、料理や酒など用意して「茶礼床(차례 상)」の膳を供えるなど決まりがある。魚は東方に、肉は西方に置く。干し肉は左側、「甘酒(シッケ、식혜)」は右側に、そして左から、なつめ、栗、梨、干し柿を順に置く。茶礼の後、先祖を墓参する。この時も簡単に食べ物を供える。亡夫を墓参しながら歌う「祭典(祭奠:チェジョン、제전)」があり、食べ物を用意し並べるまでの過程を詳しく表す。

▼ 「チェジョン」の歌を聴く。どことなく淡々としている、残った女性は強い・・・独り言。

最後に、正月祝いで人々の幸福を祈る曲「祈禮詞(ビナリ、비나리)」について次のように紹介された。
・茶礼の儀式と墓参の後、村では祝いをする。昔は一生涯、生家で生活したので、村人は家族でもあった。喧嘩もすれば、すぐに仲直りする。農作業や村の仕事を一緒にせねばならない。村が平和で人々が幸せであってこそ、自分も安らかと生活の中で学ぶ。元旦と盆になると、「農楽隊(プンムルペ、풍물패)」が登場する。彼らは、楽器を演奏しながら村中を訪ねて幸福を祈る。米を集めて祝い、村のために使うこともあった。農楽隊の歌「祈禮詞」には「祈る」意がある。国の平和を祈り、災いを退け、最後に幸福を祈る。

▼ 「祈禮詞」の歌を聴く。きっと皆が家の前に出て聞いただろう。(Youtube「第6回小正月名人戦2_祈禮詞」)

・2月19日は旧暦元旦、ソルナルだ。この日の挨拶は、「新年にたくさんの祝福がありますように」の意で、「새해 복 많이 받으세요」と言う。この言葉の通り、2015年、みなさんの祝福をお祈りいたします。・・・とのこと。今年もよろしくお願いします。

2015年2月24日火曜日

イ・ソンヒの1984年の髪型

女性ファッションについて言葉が足りない。画像検索しようにも、検索ワードがなければ確認できない。そんなわけで、イ・ソンヒが初めて1984年の「江辺歌謡祭」に登場したときの髪型が一体何だったのかいまだに分からないでいる。舞台の彼女は、同時に大きなメガネをかけ、スカートをはいていた。その後、メガネ姿は継承されたが、髪型はおとなしく軽やかになり、スカートはズボンに変わった。

(本ブログ関連:”髪型”、”ズボン”)

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

思うに、あの髪型は「アフロヘヤ」かと類推したが、今までにそんな説明を見たことはない。ボサボサ?、チリチリしたパンチパーマのような、いわゆる、おばさんの「アジュンマ・パーマ」でもなさそうだし・・・。

昨年、ハンギョレ紙記事「30年のトップ歌手の秘訣?無限挑戦です」(2014年3月25日)に、「1984年の江辺歌謡祭でポグルコリの頭に丸い眼鏡をかけた小さな『少女』が爆発的な歌唱力で『Jへ』を歌って」とある。「ポグルコリ」って何んだろうか?

NAVER日韓辞書に、「ポグルコリ(뽀글거리다 vi)」は、「せまい所でしきりに、ぐつぐつ煮え立つ [ぶつぶつ泡立つ]」とある。例えば、バリカンで髪を切られるのが嫌いな子どもの、<もじゃもじゃ頭>という風に使われるようだ*。

(*)参考: Youtubeに「僕はポグルモリ(나는 뽀글머리)」という絵本の予告がある。

う~ん、でも正式なファッション用語なのかなあ・・・更にネットを探すと、若手男性芸能人や、原宿で見かけたという洒落た女性の髪型について写真ブログもあるのだが・・・どうも、よく分からない。あの髪型は一体何なのだろう。当時、何と呼んでいたのだろうか。

2015年2月23日月曜日

梅祭り(昨日終わっていた)

今日は本当に暖かだった。気象庁「日最高気温一覧表(2月23日)」によれば、地元の最高気温は、18.3℃で、今年最高、4月中旬並みという。この冬着る厚手のジャケットが重たく感じる。手袋もいらない。

ご近所の垣根越し、枝を延ばして花を咲かせる梅に気付いて、久し振りに近場の公園に行ってみた。「梅祭り」の幕が揺れていたが、今月14日(土)~22日(日)までとのこと。昨日で終わっていたのだ。イベントの後片付けする姿があちこちに見えた。

一重野梅
とはいえ、公園の梅林は一部満開があるものの、時期を少しずつスライドしているようで、観梅に申し分ない。梅の花に誘われて人々が木々のまわり慈しむように集っていた。さっそくある梅の木に寄ってみた。

いかにも枝振りが梅らしいジグザグした、「一重野梅(ひとえやばい)」の花をアップしたのが左の写真だ。穏やかな陽射しに、梅の香りがしてくるだろうか。そっと香りを嗅がなかったのが悔やまれる。(おじさんにも照れがあって・・・)

梅林入り口に、観梅二十数種について解説があった。「一重野梅」は、「一般的なもので早咲きの白色中輪で香は高く結実する/(挿木容易)」とある。梅に期待されるすべての要素を持っているようだ。梅干しを作ったら、なんて想像してしまう。美味いだろうな。

2015年2月22日日曜日

(資料)韓国の少子化

高齢化の問題には、残念ながら終結処理という課題がある。商品の場合、陳腐化して市場から撤退する策はあるが、人間の場合そんな簡単なわけにいかない。命の問題であり、いずれ自身の問題にもかかわらず、無意識(ときに思い出すよう)に避けている。

私たちの日常行動は、ある意味消費行動だ。新製品を継続するためには常に新鮮でなければならない。商品は若さをアピールする。消費者はそれに応えて、若さを求める。それが一巡する社会では、高齢化の問題は社会福祉の問題と錯覚する。

命は数珠つながりである。命の連鎖を、歴史の中で共同性を通して補完し維持してきたが、今は預けるように制度で補完する時代になった。都市生活者が、思い出したように美しく描く老人の姿は、無意識の償い、悔恨である。けれど昔には戻れない。次は自分の番だからだ。

中央日報(日本語版)の記事「韓国の小学生数、10年間で3分の1減少」(2/22)は、2004年と2014年対比による小中学生、ここ2年間の高校生の人口減少と、2年後の高齢化の動態を次のように報じている。ちなみに、韓国は少子化と高齢化が最速に進んでいるといわれている。人口動態は、政治や経済の予測よりも確度の高い将来予測が可能だ。

(本ブログ関連:”高齢化”、”少子化”、”人口”)
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・この10年間に小学生の数が3分の1以上急減したことがわかった。すでに中学生も人口減少現象が現れており、今後5年~10年以内に大学の財政をはじめと就職市場が20代の「人口の崖」の影響圏に入ると予想される
・韓国の教育統計年報によると、昨年の小学生数は272万9,000人余りで、10年前の2004年の411万6,000人と比較して33.6%減少した。

中学生の数もこの10年間で減り続けている。2004年に193万3,000人だった中学生の数は2014年には171万8,000人で11.1%減少した。

高校生の数も最近の2年間で5万4000人減少し183万9,000人を記録した。99.7%という韓国社会の高い進学率を考慮すると、こうした学生数減少は1.19人という出生率の低下に起因するものと説明される。

・学生数減少の中でも同じ期間に全国の小学校は5,541校から5,934校に393校(7%)増加し、中学校も10.3%に当たる298校増加した。大学・大学院はこの10年間で2,114校から3,279校に55%急増した

・一方、韓国統計庁は2年後の2017年には15~64歳の生産可能人口が初めて減少に転じるとの見通しを出している。また、少子高齢化現象はベビーブーム世代が高齢者世代に差し掛かる2020年を基点に深刻化すると分析した。
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2015年2月21日土曜日

雑談、何度も見るもの

Twitterは登録したがどうすればいいものか分からず使っていない。Facebookは最初から馴染めず登録もしてない。私なりにネットとの距離感というか、折り合いのつけ方かもしれない。

そんな私だが、ブログだけは毎日続けている。(ブログに関わるニュースや情報は、しょっちゅう目にしているが)

ネットで楽しんでいるものにYoutubeがある。ついつい何度も見てしまうのが次の二つだ。
Is that your baby? (Little Girl Loves Her Kitten) (Original) : 女の子を持ったことのない親には羨ましい気がする
the ice-cream van : 男の子を持ったことのある親なら、よ~くわかる気がする

それから、イ・ソンヒ以外にYoutubeで見る韓国の歌い手に、ソン・ソヒ(송소희)ちゃんがいる。もう、ちゃん呼ばわりしてはいけない年頃になったようだ。才能は宝だ。(ともに忠清南道生まれ)

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最近、歳のせいか、街で目に入るのがよちよち歩きの幼児だ。彼らが奇跡の存在に見える。

2015年2月20日金曜日

イ・ソンヒの思い出の<ビッグショー>(再)

イ・ソンヒが持ち歌を5曲連続して歌うYoutube映像がある。韓国ケーブル専用のCMC家族娯楽(가족오락)TVが放映した「思い出の<ビッグショー>(추억의<빅쇼>)」のようだが・・・映像ソースは別かもしれない・・・1994年に「KBSビッグショー イ・ソンヒの変身そして愛(이선희 변신 그리고 사랑)」があったようだけれど、そのときのものかどうだろう。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの思い出の<ビッグショー>”)

イ・ソンヒが楽しむように歌う姿がうれしい。いかにも若々しく、表情に自信がみちて力強い歌声だ。さらにいえば、このときの彼女の容貌(化粧かな)が、いつもとちょっと違った雰囲気がする。

・葛藤(갈등)
・ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)
・私はいつもあなたを(나항상 그대를)
・思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)
・ああ!昔よ(아! 옛날이여)

(Youtubeに登録のD I V A ■ LEE SUN HEE ■に感謝)

2015年2月19日木曜日

雨水・旧正月 2015

今日は二十四節気の二番目「雨水」だ。ようやく雪から雨に変わり、厳しい寒さも緩み始める頃・・・とはいえ、雪降りがなくなったわけではない。考えてみれば、「桜田門外の変」は、安政7年3月3日すなわち1860年3月24日、雪中で起こっている。まだまだ寒さはつづく。

(本ブログ関連:”雨水”)

同時に、今日は旧暦の正月でもある。テレビを見れば、正月休みの「春節」を機に来日した中国人観光客の買物で商店が賑わっているそうだ。商家にしてみれば、二度美味しい正月ということになる。外国語を素早く取り入れて接客する実践に勝るものはない。

韓国も旧正月(ソルラル、설날)で、このソルラルについて、Ko-Wikipediaに次のような説明(出典新聞記事)がある。「ソル(설)」は「半熟である(설다)」、「見慣れない(낯설다)」、「慣れない(익숙하지 못하다)」、「謹(つつし)む(삼가다)」などの意味に由来したものと推測される・・・とある。いってみれば撞(つ)いたばかりの出来立ての餅のような日(날)、過去のない未来だけの日のよう。

二十四節気の雨水(うすい、우수)ではないけれど、ぷっくら頬っぺが可愛らしいシム・ウンギョンが老人たちに歌う「雨水(あまみず、빗물)」を聴いてみよう。

現在、埋め込みのYoutube動画は再生できません

(Youtubeに登録の원근이に感謝)

2015年2月18日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」夫婦愛3曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第92回として、切ない夫婦の愛と月に向かって祈願する歌にまつわるなど3曲について話を紹介した。

始めに、ドキュメンタリー映画「あなた、その川を渡らないで(님아, 그 강을 건너지 마오)」を次のように紹介された。
・ドキュメンタリー映画「あなた、その川を渡らないで」は、98歳と89歳の76年の歳月を共にした、江原道の田舎に住む老夫婦の愛と別れを描く。二人は、揃いの韓服を着て、子供のようにいたずらする。仲睦まじい二人だが、老夫は病気になり、老妻は川辺に坐って悲しむ。その姿から、監督は、「あなた、その川を渡らないで」のタイトルが浮かんだ。ここでいう川は、三途の川の意だ。映画撮影の途中、老夫は亡くなる。監督は映画制作の継続を迷ったという。この映画タイトルから、「公無渡河歌(공무도하가)」の歌が想い浮ぶ。それは、川を渡る夫を追いかけて歌う内容だ。

▼ 国楽演奏と歌による「公無渡河歌」を聴く。ベルカントな今様である。(いっそ、イ・サンウンが歌う方が・・・)

次に、「公無渡河歌」の歌の内容について次のように解説された。
・「公無渡河歌」は、夫を失った妻が歌った、古朝鮮時代の歌だ。ある日、霍里子高(곽리자고)が早朝川に出て、舟の手入れをしていたところ次を目撃する。
・白髪の狂夫が、ひさご(=瓢箪)を持って川に入った。酒に酔ったのか、或いは他に事情があったのか。男を止めようと妻が追いかけたが、到着する前に溺れてしまう。妻はその悲しみを箜篌(くご、공후)という楽器を演奏しながら、「公無渡河歌」という歌で表した。そして、自らも川に身を投げた。

▼ 箜篌演奏による「蝶になって(나비가 되어)」を聴く。てふてふと舞う。復元楽器といえど奏法は今様である。

最後に、「公無渡河歌」の伝承と、ハングルで記録された「井邑詞(정읍사)」について次のように紹介された。
・現在の箜篌は、ハープに似た音色の復元弦楽器だ。
・この「公無渡河歌」の音色はどのように伝わったのか。川で亡くなった夫妻を見た霍里子高から、この話しを知った妻の麗玉(여옥)は、夫から聞いた曲を箜篌で再現した。これら二人の女性が演奏した曲は歳月と共に忘れられ、今では楽器だけが伝わっている。
・夫婦の切ない愛を表した昔の歌に、百済時代の歌、「井邑詞」がある。韓国語で記録された最も古い歌だ。商いに出かけた夫が戻ってこず、心細くなった妻が月に向かって祈願する歌だ。

▼ 歌「お月さま、ノピゴム、ドダシャ(달하 노피곰 도다샤)」を聴く。「井邑詞」歌詞からリメイクしたという今様。

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最近、本プログラム紹介の音楽に古来の内容を持つものの、演奏や歌が本来の国楽とはいえないものが増えているような気がする。できれば、現地採集録音による民謡などを徹底的に紹介していただければと思う。KBSの録音データベースには素晴らしい宝の山があるはずだから。

2015年2月17日火曜日

江戸奉行大久保長安一族

先日の日曜日(2/15)、石見銀山について講演会があった。おもしろいテーマを選んで話しを聞かせてくれる団体(「雑学大学」)が主催したものだ。

以前、別団体主催だが、多摩の代官シリーズで、江戸初期の代官頭大久保長安と部下の話しを聞いたことがある。彼は才を見込まれ外様ながら徳川に従う。しかしながら彼とともに、彼の元で働いた十八代官には厳しい最後を迎えるものがあった。
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代官頭大久保長安(1545~1613年)は、(多数の金山を抱え甲州金で知られる)甲州武田家で、蔵前衆として金穀(金銭と穀物)をつかさどっていたが、同家滅亡後に徳川家康に仕え、八王子の代官や、金銀山(石見、伊豆、佐渡、南部)の開発とその金山奉行を勤めた。死後、疑獄が起こり一族は処罰される。

徳川の支配に、直接支配の「幕領」、間接支配の「私領」(知行権を与えられた:家臣旗本と大名)、「寺領」、「社領」がある。(八王子を治める大久保長安の下にいる十八代官について)
・十八代官は、幕領(=天領)支配を担った。
・十八代官は、在地性の強い世襲代官で、出自は圧倒的に旧武田家が多い。
・十八代官は、必ずしも十八家だけが担ったわけではない。代を経て、非役の小普請に落とされたり、切腹する者もいた。
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このとき、「徳川の不正に対する厳しさを、武田家末裔を体制から削ぎ落とす(意図があったかどうかは分からぬが)怖さを感じた」と感想を綴ったが、そう解釈してもよさそうなことを、石見銀山の話しからもうかがえた。

今回、熱水鉱床を持つ石見銀山について、関東石見銀山会会長渡辺辰朗氏から次のような話しを聞かせていただいた。鉱山技術で、露頭掘りから水平坑への発展、水平坑の換気と、水対策のための水抜坑を並走させたこと、また「山師」について、今でいうプロジェクトマネージャー的な、あるいはそれ以上の存在、銀山経営者だったことを知る。
さて、そのとき頂いた解説者著書「世界を動かした石見銀山」に、大久保長安に関連した次の記述がある。
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江戸時代草創期の天領支配は、奉行の裁量範囲が広く、運上にしても坑道開発投資にしても自由裁量で決められていたようです。・・・大久保石見守が余剰金を確保したのはごく当り前のことだったわけですが、病没するや否や「私服を肥やした蓄財は、幕府に対する陰謀あり」と一族郎党ともども処刑されてしまいます。あまりにも役職が集中したことは外様でありながら権力基盤を持ちすぎたことがねたみとなり、成長期に入った徳川幕府にとっては削ぐ必要があったのかもしれません。
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(ここに至る様々な伏線があるようだが)ある意味、権力集中の恐ろしさをまざまざと見せつけられる出来事だ。

2015年2月16日月曜日

イ・ソンヒ3位 (50歳以上に人気の歌手)

1984年に20歳で本格デビューしたイ・ソンヒは、今や50代を迎え、彼女を慕うファン層(通称「姉さん部隊」)と共に時代を重ねてきた。ファンの結束は固く、彼女への支持は変わらない。

番組「無限に挑戦」の「土曜日、土曜日は歌手だ」(以下「土土歌」)*で見たい歌手を50歳以上にアンケートした結果、文化ジャーナル21の記事「50歳以上が望む『土土歌』・・・チョー・ヨンピル、イ・ムンセ、イ・ソンヒ」(2/16、イ・ヨンギョン記者)は次のように報じている。(抜粋)

(*)正直いいますと、この若者番組についてはよくわからぬけれど・・・。

50代以上の男女総合のアンケート集計で、イ・ソンヒが人気3位という。(上位陣男性の中で、女性として健闘している)

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・中高年のための「土土歌」を作るならば、どんな歌手を見たいか? 我が国の50歳以上は、チョー・ヨンピルとイ・ムンセ、イ・ソンヒを最も見たい歌手に選んだ。

・今回のアンケート調査は、50歳以上のためのライフケア・メンバーシップ・ブランド「全盛期」が去る1月15日から20日まで、50代以上の男女300人を対象にオンラインを通じて行われた。

  (グラフ) 「50+の『土土歌』には誰が出場したらよいか」(上:50代以上全体、下:50代以上女性)

・複数応答を可で、今回の調査結果、50歳以上男女が「土土歌」で見たい歌手1位は、チョー・ヨンピル(35%)が占めて、イ・ムンセ(27%)、イ・ソンヒ(20%)、Twin Folio(19%)、ク・チャンモとペ・チョルスが共に活動した隼(16%)がその後を継いだ。山びこ(15%)、アン・チファン(13%)、ひまわり(10%)、ヤン・ヒウン(9%)、イ・チャンヒ(8%)も10位圏に名前を上げた。

・チョー・ヨンピルの場合、50歳以上を男女で分けたり、50代と60代以上で分けたりして分析した全ての場合に、1位または、2位を占めて卓越した「歌王」の位置を表わした。50代男性と60代以上男性が選んだ、また見たい歌手の圧倒的な1位もチョー・ヨンピルだった。

・50歳以上の女性だけを分析してみれば、1位はイ・ムンセ(34%)に変わる(男性1位はチョー・ヨンピル)。その後を、2位チョー・ヨンピル(28%)、,共同3位は、アン・チファンとTwin Folio(18%)、5位イ・ソンヒ(14%)が占めている。イ・スンチョルが歌っていたグループの(ロックバンド)「復活」がまた見たいという50代女性も多数で、イ・スンチョルと復活は50代女性が挙げたまた見たい歌手9位に上がった。

(以下略)
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2015年2月15日日曜日

イ・ソンヒ「バラ」

イ・ソンヒのファッションといえば、メガネにスーツとズボン姿が思い浮かぶ。その彼女が、コンサートで大胆な服装をしたことがある。世宗文化会館での22周年コンサート(2006年)ステージに、大胆な真紅のドレス姿で、13集所収の「バラ(장미)」(作詞・作曲イ・ソンヒ、2005年)を歌ったのだ。

(本ブログ関連:”バラ(장미)”)

バラは、高貴さと妖艶さを、美しさのなかに棘がある相反した特徴を持つ。そこに魅力を感じるのだろうか、彼の国では、一般的な花の中で一番愛されるのは「バラ」だそうだ。「あなたに口づけしたい/ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか」、「愛と憎しみの両方を持って」とイ・ソンヒは情熱的に歌う。

それにしても、あっと息を呑む、イ・ソンヒのダンスはぎこちない・・・でも、それがいいのだよ。


「バラ(장미)」

あなたにバラを渡す
その赤い香気、あなたに伝える
私を忘れて眠る夜に
あなたの部屋いっぱいに、バラの花の香気が広がるまで

私たちの愛で生きよう
短い生涯を、夢見るようにしよう
二度と来ないこの瞬間に
愛する時間は、あまりあるではないか

一瞬としても、およばぬとしても
その喜びにひたってみるべきでないか
生きてみて、胸がときめく
時が多くないことを、よく知っているから

その先が痛みだとしても
両の手を広げて、あなたを抱こう
愛しよう
生きてみて
私たち二つの心、熱くなろう
______________

あなたに口づけしたい
ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか
太陽の下、柔らかな花びら
さらに赤く染まっていくのね

愛と憎しみの両方を持って
風の最後にあなたのすべてを預けて
大きくなっていくあなたの熱望は
遥かその昔の、草原を描いているのか

その先が痛みだとしても
美しく咲いたのね
風に触れて
花びらが散るとても
そのこころは、熱く咲いて散る

(Youtubeに登録のD I V A ■ LEE SUN HEE ■に感謝)

2015年2月14日土曜日

石焼き芋

そういえば、街で石焼き芋売りの姿を見なくなって久しい。小型トラックに石焼き道具を乗せて、「石焼~き芋~、ぇえ、石焼き芋~」といいながら廻っていた。そんな移動販売の石焼き芋売りから買ったことがある。たまたま行き合わせた幸運な巡りあわせだった。それがあるときから、値段が急騰した。芋が高くなり過ぎたからか、あるいは売り手が高齢化したからか分からないがすれ違うことがない。

子どもの頃、近所に石焼き芋を売る小店があった。店頭に置いた立て長の釜で焼いていた。ラジオ番組に、花菱アチャコが主人公の「お父さんはお人好し」があって、冬は焼き芋を、夏はアイスキャンデーを売っていたような・・・記憶がある。昔は寒かった。ホクホクしながら食べる焼き芋はそんな時代にピッタリの(菓子という雰囲気でない)食べ物だった。それだけに、子どもにとって印象が強かったのだろう。それに番組で、浪花千栄子のおかみさん役は本当によかった。いかにも、家庭を裏で支える母性的な存在と子どもながらに感じた。

(本ブログ関連:”ラジオの時間”)

今は、スーパーに行くと、入り口に石焼き芋装置があって石焼き芋を売っている。焼きたての香ばしい香りが漂い、引き寄せられるように手が出る。まさに衝動買いの極致だ。この最初の一撃で、買物の手が緩むのかもしれない。出口に置かないのがミソだろう。

高品質の高目の芋でなくても、石焼き芋はそこそこ美味い。石焼き芋は最高だ。

2015年2月13日金曜日

若いって?

いつまでも若いってのはめでたい。溌剌さを忘れないのは大事だ。元気なままでいるのは羨ましい。

といって、勘違いした若作りファッションに身を包むのではない。変わらぬ探求心、チャレンジ精神があればこそだ。

人類は、他の霊長類から、妙に若い奴らだと思われているかもしれない。恐ろしくて危険な生き物ながら、一方で火星旅行を実現しようとする。きっと不思議に見えるだろう。

人類は、幼児や子ども時代の感性を延長をしているようだ。幼いときの好奇心を持ち続ける、そんな入れ物なのだ。

この入れ物、どうやってできあがったのか。「ネオテニー」や「自己家畜化」で語られるけれど、きっとそう望んだからだろう。誰が望んだって・・・、そりゃあ自分からだろうけれど。

生き物はみな、そんな要素を持っているに違いないと思う。野生のキツネだって、(代を重ねて育種することで)甘えん坊で、人なつっこいものになるという、そんな番組*があった。

(*)NHK:「いのちドラマチィックスペシャル-オオカミはこうしてイヌになった」(1時間30分)

2015年2月12日木曜日

イ・ソンヒ「冬哀傷」

イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(5集所収、1989年4月10日)は、冬の冴え渡る凍ったような空気に思いを吐く歌だ。そんなイメージを膨らませてくれるが、雪景と真正面に取り組んだ、何とも珍しい映像がYoutubeにあった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面”、”冬哀傷”)

韓国MBCの画面のようで、ネットワーク(네트워크)のデザイン文字が合わせて表示され、拍手も聞こえてくる。Youtubeのタイトルは、ミュージックビデオとあるが、MBCの放送録画だろうか?

イ・ソンヒは雪降る原野をひとり行く。幻のように現れた子ども(幼い頃の自身の姿か)とも別れ、真っ白な雪原を彷徨う。画面終盤に、なぜかイ・ソンヒは雪の上に仰向けに倒れる。そこに微笑む少女がオーバーラップする。

正直言ってこの展開、相当無茶振りでないかって、そんな気がしたよ。降りしきる雪に、撮影は大変だっただろうと想像する・・・若き日のイ・ソンヒにとって、忘れられない思い出になっているかもしれない。


「冬哀傷(겨울애상)」

星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に
*
風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

(*以下繰り返し)

凍ってしまった悲しい後姿

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2015年2月11日水曜日

宇宙のスマイル写真

今日は建国記念の日。いつもなら水曜日は、健康体操に通うはずだが祝日のためお休み。というわけで、のんびり休日を過ごす。

NASA公開写真
ところで、ネットにおもしろい写真があった。何と、宇宙にスマイル像が浮かんでいるという。NASA/ESAのハッブル宇宙望遠鏡(の広域惑星カメラ2(WFPC2)と広視野カメラ3(WFC3))で撮影された銀河団SDSS J1038+4849が左の写真だ。

(本ブログ関連:”宇宙”)

2つの明るい目は銀河の輝きであり、口元と、回りを囲む輝きは巨大な重力によってできる重力レンズ(特別な場合、アインシュタインリングとして知られている・・・そうだ)の効果という。重力が光を曲げるというのだが、凄いというか按配がよろしい。

この写真の通り、宇宙に行けば人間の目にそのまま見えるのか、それとも露光時間がかかるものだろうか。もし、宇宙を航行していてこんな光景に遭遇したら、きっと笑みがこみあげて、おもわず手を振ってしまうかもしれない。

KBS WORLD「国楽の世界へ」立春3曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第91回として、立春(입춘)(2/4)にまつわる3曲の話を紹介した。

(本ブログ関連:”立春”)

始めに、太陰暦とそれを補正する二十四節気が使われたことと、立春について次のように紹介された。
・昔、月齢に基づいた旧暦(太陰暦)を使った。農業では、太陽の動きが重要だったため節気が考えられ、1年を太陽の動きに合わせて24等分に分類(二十四節気)した。節気の始まりが、まさに立春である。立春は太陽暦の2月4日辺りになる。ちなみに旧正月は、昨年の1月31日、今年は2月19日となり、立春(2/4)がその間に二度あることになる。韓国では、こういった年に結婚をすると縁起が良いといわれた。

▼ 横笛ソグム(小笒)・テグム(大笒)、弦楽器ヘグム(奚琴)とギターによる演奏「風が伝える言葉(바람이 전하는 말)」を聴く。素朴ながら憂いを含んだ春風、どこか高原の響きして、今様である。

次に、立春を祝う行事「春聯(れん)」について次のように紹介された。
・立春に健康と幸せを祈って、漢字で「立春大吉(입춘대길)」と書いて貼り紙する風習がある。または、喜ばしいことを祈願して「建陽多慶(건양다경)」を書く。普通は短く書くが、昔の記録に長く書くものもあった。日記を書くように、「今は貧しくても、まだ若い上に両親も健康だから、暖かい春になると喜ばしい兆しもあるだろう」といった内容もある。

▼ 弦楽器ヘグムに似た中国弦楽器二胡(アルフ)による演奏「故郷の春(고향의 봄)」を聴く。春のぬくもりにまどろみつつ浮き浮きしたアレンジで、今様である。

・二胡は二弦からなり、弦の間に弓を入れて音を出す。二胡はバイオリンのように柔らかい音を出す反面、ヘグムは鋭い音色が特徴。

最後に、季節の始まりが春、節気の始まりが立春であと次のように説明された。
・東洋では春を、宇宙の気運が下から上に湧き出る季節とする。ゆえに植物も育つ。また四季を人生に例えると、春が子どもの頃に当たるというのもそのためだ。春は気運が湧き出る季節、始まりの季節であり、立春は節気の始まりである。

▼ 若芽が弾ける様子を演奏した歌と演奏「春()」を聴く。春を南国の陽気さで歌う、今様である。


※ 今回は、国楽をひと休憩したのかな・・・春は陽気に!といった感じの回だった。

2015年2月10日火曜日

ライブステージ撮影

日本のコンサートでは、客席のファンによる、ライブステージの撮影は肖像権、著作権もあってご法度だ。全てのコンサート事情を知っているわけではないけれど。

韓国ではどうなのだろうか。聞くところによると、バラードのように歌に専念しているときは当然禁止されるが、撮影タイムというのを設けたりするそうだ。こちらも、全てのコンサート事情を知っているわけではないけれど。
Youtubeに登録のライブステージ映像に、放送局などが撮影した以外に、許可なしのファンによるものもあるようだ。つまり、ピンぼけしたり、手振れの激しいものがある。イ・ソンヒのコンサート映像の場合、Youtubeの画面下にファンクラブのURLを明示されているものがあって、もしかしたら許可を得ているのかもしれない。

最近、カメラ性能がいいので、ファン写真といえどもクッキリ、スッキリしているのが多い。おまけに、手軽にフォトショップを使いこなせるようで、ますます鮮明な映像を見ることができる。そのためには、それなりのカメラとソフト&PCが必要なわけだが。

ある(一眼レフ+望遠所有の)ファンから聞いたことだが、一眼レフカメラ以外にビデオカメラまで用意しているというのでたまげた。イ・ソンヒのコンサートの場合、(公演開始前にチラリと撮ったことあるけれど)公演中は撮影禁止だったため、うらやましいような残念なような気がする。しかも、手元のカメラは、超軽量級のデジカメなので望むべくもない。

2015年2月9日月曜日

寒いっ

この冬一番の寒気といわれるたび遣り過してきたが、今日の寒さには参った。通り道に風が吹いているわけでないのに、耳が痛いほど。空気の冷たさに、おもわずコートの襟を閉じた。

図書館帰り、ファストフード店に寄る。先日マスコミを賑わした余波か、店内はがらんとしている。窓側の陽だまりの席を見つけて坐り、しばらく時を過ごした。

全盲のスーダン人が日本語で書いた、日本生活記「わが盲想」(モハメド・オマル・アブディン、ポプラ文庫)を読む。えっ、どうやって書いたの、ということから関心が始まる。パソコンの読み上げソフト、文字変換機能(漢字変換した文字について音声解説する機能)を使って書きあげたそうだ。言葉の才能あふれた方のようで、親父ギャグまで連発する・・・。

店内で、幼い声が聞こえてきた。父親と来ているようだ。相手してくれるたび、「パパァ、ありがとう」って何度もいうんだよ、それも天使のような声で。素直な感謝と、あまりにきれいな心に心配になるくらいだ。

紙ナプキンを取りに行ったついでにのぞいてみれば、小さな女の子だった。息子しか知らぬ私には、この子のお父さんが羨ましかったよ。大事に大切に育てて欲しい。

外の冷えは深まって、ついに雪が降り始めた。帰宅が大変かなと躊躇するほどだったが、すぐに止んだ。長居は無用。陽も傾いたところで席を立った。

2015年2月8日日曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

イ・ソンヒの「分かりたいです」は、聞くたび、様々にイメージが広がる。聴く側の人生によって受け止め方が変わるからこそ、思わぬ伝説も生まれた。ひとは伝説に身を寄せて、そこへ想いを同化させるのだろう。この曲が聞き継がれるのは、そのような普遍性を持っているからかもしれない。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

昨年、世宗文化会館での30周年コンサートで、この曲を歌うイ・ソンヒは、人生を表現しているようにも見える。夢路の切なさに想いをつのらせる若い心を、あたかも抱擁するように、月夜がまるで長い人生でもあるように聞かせる。


「分かりたいです(알고 싶어요)」

月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
               ____

一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください

(Youtubeに登録のBolMaeRaina님의 채널に感謝)

2015年2月7日土曜日

インスタント

インスタントといえば即席ラーメン。中学時代、親が数日旅行するので留守番したとき、その間の食事は即席ラーメンさえあれば大丈夫と大見得を切ったが、2日しかもたなかった。やっぱり、あれは連続して食べるものではない。

インスタントコーヒーは美味くなったとはいえ本物に程遠い。昔、マーケティングのセミナーで缶コーヒーについて面白い話しがあった。講師が言うには、缶コーヒーメーカーでは誰一人本物のコーヒーと同じだなんて思って・・・というのだ。つまり、いかに本物を感じさせるか(イメージさせるか)が商品開発なんだと。

幼い頃、隣家は新婚家庭だった。幼稚園前のことだから遠慮もなく遊びに行ったようだ。そのとき、始めて知った。豆を轢いたのだろう、コーヒーの香りが家中に漂っていた。それは大所帯のわが家とは違う別世界だった。

毎日飲むコーヒーを美味しくできないだろうか。ドリップ式も良いが面倒なので、インスタントコーヒーに一手間掛けるだけでいい、何か方法はないかとネットで情報を探したところ、NHKの番組でアイデアが放送されたという。やってみた。

コーヒーカップに、スプ-ン一杯分の冷たい水を入れ、インスタントコーヒーとしっかり混ぜ合わせるというのだ。こするようにして掻きまわすといい香りがしてくる・・・なるほど。次に、湯を入れて飲む・・・いつものインスタントコーヒーとは確かに違う。苦味が強調されて、粉っぽさが薄らいでいるのに気付く。

でも、インスタントに本物を要求してはいけないことだけは確かなようだ。

2015年2月6日金曜日

(資料)朝鮮半島の最大の地震

地震は恐ろしい。震度3ともなれば体感程度でおさまらず、家屋がかなり軋むし、震度4以上は恐怖が増す。私の経験した最大のものは東日本大震災のときで、地元は震度5弱に揺れ、わが家の大谷石の石塀が倒れた。

(本ブログ関連:”地震”、”震災”、”韓国の地質”)

韓国にも地震があって、ソウル聯合ニュースの記事「朝鮮半島での地震 昨年は51回=最大M5.1」(2/1、日本語版)は、昨年、マグニチュード5クラスの地震が発生したと次のように報じている。
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・韓国国民安全処が1日公開した昨年の災害関連統計*によると、朝鮮半島では51回の地震が発生した。回数は2005年から10年間の年間平均(52.9回)とほぼ同じだった。
・昨年最も大きかった地震の規模は、西部の忠清南道・泰安の沖合で4月に起こったマグニチュード(M)5.1だった。1980年に北朝鮮北西部(平安北道)の義州で起こったM5.3以来となる規模で、観測史上4番目に大きかった。
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(*)「詳細国民の安全統計」は、25日から国民安全処(국민안전처)のホームページ(www.mpss.go.kr)に公開される。

(参考)韓国気象庁 地震情報(지진정보)


▲ Youtube映像: 現在存在せず (Youtubeに登録のARIRANG NEWSに感謝)


(参考)Youtube YTN NEWS、国内地震ますます増加 ~2013)

では、韓国の歴史上最大の地震についてはどうだろうか。「歴史地震」掲載の「韓半島で発生した最大級の地震 -1681年6月韓国東海岸地震-」(秋教昇、朴昌業、都司嘉宣、Vol.20(2005)p.169-182)に、1681年の江原道襄陽、三陟で発生した地震を次のように紹介している。

○癸亥/江原道地震, 聲如雷, 墻壁頹圮, 屋瓦飄落。 襄陽海水震蕩, 聲如沸雪岳山神興寺及繼祖窟巨巖, 俱崩頹。 三陟府西頭陀山層巖, 自古稱以動石者盡崩。 府東凌波臺水中十餘丈石中折, 海水若潮退之狀。 平日水滿處, 露出百餘步或五六十步。 平昌、旌善亦有山岳掀動, 巖石墜落之變。 是後, 江陵、襄陽、三陟、蔚珍、平海、旌善等邑地動, 殆十餘次。 是時, 八道皆地震

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・記録: 朝鮮王朝実録、粛宗七年五月癸亥十一日
・時期: 1681年6月26日
・震央: 江原道江陵~襄陽の沖合海底
・規模: マグニチュード7.5
・震度: 襄陽5、雪岳山神興寺および継祖窟7  【震度: 日本震度(JMA)】
・津波: 発生
・前震: 1681年6月12日 ソウルでも「家屋跳ね上がり、窓壁落ち」たという。
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当時の人的災害については触れられていないが、現在、襄陽から蔚山に至る海岸には臨海工業団地、原子力発電団地があり、防災対策の必要性が述べられている。

2015年2月5日木曜日

イ・ソンヒの「I Have To Say Goodbye」

天気予報は、今日一日雪降りということだった。雨に負けたのだろうか、通り道には雪の気配がない。静かに終日氷雨が続いている。Twitterに、「降る降る詐欺」だといったジョークが賑わっているそうだ・・・なるほど、そんな気がしないでもない?。

でも、日常は何ごともなく過ぎる。この平凡であることのありがたさをつくづく思う。偶然の幸運が連鎖する日常に、感謝しなければと思うのだが。

ところで、イ・ソンヒには、自称ファンとして、女性を絶えず意識しなくてもいい気安さがある(ように思う)。街なかですれ違ったとしても、後でアッと気付くような普段さといっていいのかもしれない・・・安心感だ。だからこそ、Youtubeを見ながらも、彼女の歌に専念できる。

イ・ソンヒが「I have to say goodbye」を歌うステージ上の仕草をとらえたスクリーンショットのYoutube映像がある。瞼を伏せた物憂い女性像を選んだようで・・・おやっと気になるけれど、やがていつもの彼女らしい姿にもどってくれる。自称ファンとしては、ホッとする。以上、歌の内容とは関係なかったけれど。

(本ブログ関連:”I Have To Say Goodbye”)


「I Have To Say Goodbye」

あなたを愛したんじゃないわ、ただ酔ったのかしら
すれ違いはいやだったの、初めは本当にそうだった
電話を待ったりもしたわ、こっそり隠したときめき
あなたのその眼差しの中で、道に迷ってたわ
*
だけど、私には久しく一緒だった
人がいるって、知ってるじゃないの
私が全てである、彼をどうするの
しばらく(あなたと)一緒だった、時間を忘れて

now I have to say goodbye

互いを消さねばならなくて
うろたえさせないで
私の久しい彼を捨てられない

あなたを忘れたいの

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年2月4日水曜日

立春2015

春の兆しを少しは感じながら・・・というわけにもいかぬ冬真っ最中、風の寒さを身にしみ健康体操に行く。今日は二十四節気の始まり「立春」である。季節のけじめ、少しは気合を入れたいと。

(本ブログ関連:”立春”)

だが、運動が終わると、まるで一仕事したかのように疲れる。熱心だったっからか・・・いや、この教室を頼りにして、他に何にも鍛錬していないからだ。体操の要所要所で、この運動を自宅で百回してください、なんていわれるたび床を向いてしまう。全くできの悪い受講者だと自覚している。

明日、また雪が降るという。帰り道、近所のDIYの店に寄ると、入り口に雪掻きスコップがずらりと並んでいた。さあ、やって来い雪よ、とっくに雪掻きスコップは用意済みだ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 広大ソリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第90回として、大道芸人「広大(광대≒ピエロ)」の歌「広大ソリ(광대소리)」(ソリ=声、音)、犬の辛さを歌う「犬の愚痴(개-넋두리)」、多様な楽器の自由演奏「ノルムマチ・シナウィ(노름-마치 시나위)」にまつわる話を紹介した。

(本ブログ関連:”広大”)

始めに、大道芸人「広大」の芸と、その身分について、次のように紹介された。
・伝統芸として仮面演劇・舞踏(탈춤)、綱渡り(줄타기)、パンソリなどで人々を楽しませた広大の身分は最も低かった(=賎民)。
・朝鮮時代、冬の終わり、ある仲の良い広大の夫婦がソウルを横切る漢江(한강)を渡っていた。当時、この季節の漢江は表面が凍った。夫の広大は仮面を被っていたずらし、妻はその姿を見て笑っていたところ、急に氷が割れて妻が穴に落ちた。夫は仮面を外すのも忘れ必死に助けようとしたが、妻は溺れてしまい、夫は泣き崩れた。通りがかりの人々は事情も知らず、広大の芸と思い腹を抱えて笑った。ある本に記録された心痛む話だ。

▼ 歌「広大ソリ、広大の歌」を聴く。曲の響きと異なって、存在を瑣末にすることへ、届かぬ異議申し立てのよう。

次に、朝鮮時代の広大の朴春載(박춘재、1881年~1948年)と歌「犬の愚痴」を次のように紹介された。
・人を笑わせる仕事ながら、自ら笑えないのが広大だ。朴春載は、一時、朝鮮の宮殿で王の寵愛を受けた人気ある広大だった。権力のない庶民や社会的弱者の話を演じる、広大の社会的な役割をよく知っていた。
・犬が愚痴をこぼす歌「犬の愚痴」がある。シャーマニズムを源流とする信仰「巫俗(무속)」を仕切る「巫堂(ムーダン、무당=シャーマン)」が「祭祀(クッ、굿)」を行うとき、よりによって犬の魂がムーダンの中に入ったという歌だ。

▼ 犬の辛さを歌う「犬の愚痴(개-넋두리)」を聴く。漫談のよう・・・次の(参考)を見ても笑いの要素が複雑で・・・。
(参考)大字報(壁新聞)の記事「伝統ギャグミュージカル『漫談ソリ』に耳を傾けてください」(2008年12月7日

最後に、映画「王の男(왕의 남자)」に登場する広大について次のように解説された。
・朝鮮時代の広大は、支配階層と一般庶民の間で、ストーリーを演じる役割もした。社会の矛盾や庶民の悲しみを表すパンソリもその一例。その過程で、時には自分の命が危うくなることもあった。映画「王の男」は、朝鮮時代、王を風刺した広大が死罪に処せらる実話をもとにした作品だ。

▼ 演奏「ノルムマチ・シナウィ」を聴く。以前の放送で、ノルムマチとは、「ノルム(노름=遊び)と、マチ(마치=終える)の意が合わさり、『共に遊ぶ時間を終える人物』」と聞いた。東洋風味の今様である。

シナウィとは、(巫俗儀礼を起源にする)一定の決まりの中で自由に演奏する音楽を指す。映画「王の男」には、多数のためなら自分の命も惜しまぬ広大が登場する。

(本ブログ関連:イ・ソンヒの「因縁(인연)」、この歌は、実際は映画「王の男」のOSTでないが関連して余りに有名)

(Youtubeに登録の권성범に感謝)

2015年2月3日火曜日

節分 2015

今日は二十四節気の始まり「立春」の前日、「節分」である。行事として、鬼払いが行なわれるが、「追儺」を起源にしていて、「」はその先導者の名残りといわれるようだ。子ども時代に記憶をたどれば、戸を開けて煎り豆を外へ撒いて「鬼は外!」、内に撒いて「福は内!」と叫んだ楽しい思い出がよみがえる。

(本ブログ関連:”節分”)

鬼は日本特有のものという。モジャモジャ頭に二本の角を生やし、睨むように大きく鋭い目をして、牙を剥き出している。容貌だけでなく、上半身裸で筋肉隆々とした体躯に虎皮の褌(ふんどし)姿は、いやがうえにも恐怖を感じさせる・・・はずだった。

けれど、昼間の絵本の世界に引っ張り出された鬼は、桃太郎に征伐されていたし、節分の時期ともなれば豆を投げれると逃げ出す存在だった。江戸の黄表紙「桃太郎後日噺」(朋誠堂喜三二)には、鬼を連れてきた桃太郎一家のどたばた劇が描かれている。鬼はいつのまにか優(やさ)男に成り果てているのが悲しい。

(本ブログ関連:”桃太郎”)

ところで、鬼はどこから生まれたのだろう。ときに考えることがある。わたしたちが人類に進化した頃、恐竜は既にいなかったにもかかわらず、滅んだはずの彼らの姿に今も深い恐怖を覚えるのはなぜか。恐竜が存在していた時代、ネズミのようにして草陰で脅えていた記憶が、遺伝子に受け継がれているのではないかと・・・。そうだとしたら、鬼への恐怖も、わたしたちの祖先がこの世界で感じたいいしれぬ異型の恐怖という、何かがあったのでないかと空想してしまう。

2015年2月2日月曜日

狐 葛

について、九尾狐から葛の葉までいろいろ採集しているが、寄せ集めのことゆえ何の深化もないけれど、こんな話しがある。

(本ブログ関連:”九尾狐”、”葛の葉”)

日本書紀」の斉明(さいめい)記に、7世紀の半ば、女帝は溺愛した孫の建皇子(たけるのみこ)の夭折を悲しみ、出雲国造に命じて厳神宮(いつかしのかみのみや)を修造させる。その工事のさなか、狐が現れて於宇郡(おう)郡の人夫(役丁)の持っていた葛(かずら)の末端を食い切って逃げたという。実は、ここでは犬の怪異もセットされるという忌まわしさもあるのだが。

「狐噛断於宇郡役丁所執葛末而去」(日本書紀-朝日新聞社本)

「葛の末端」とは一体何のことか。柱を引く(或いは縛る)「かずら」(葛、蔓)の綱の端(はし)だそうだが、ここで、「末端」を「はし⇒は(葉)」と読みかえて、強引に「葛の葉」とすると、陰陽師安倍晴明の誕生につながる言葉となる。

そこまで駄洒落に過ぎなくても、狐と葛には関係が深そうだ。からみ付き縛る蔓のもつ生命力に関わるのだろうか。狐がこれを噛み切ったのは、みかどの崩御の予兆につながることだった。狐は運命を狂わせるもののようだ。でもそれがなぜ狐なのか。

「<言屋、此云伊浮耶。天子崩兆。>」(日本書紀-朝日新聞社本)

2015年2月1日日曜日

錫高野#20

またしても1年振りの錫高野へ鉱物採集に行く。昨年は1月26日の晴れ空だったが、今年は一昨日の雪がズリ一面を覆っていた。そういえば、2011年1月23日の残雪と同じ状況だ。
年初の鉱物採集場所が、錫高野が恒例になっているのに気付く。栃木県や埼玉県の山中はまだ雪が深いだろうから、茨城県にしようと何となく決めている。

(本ブログ関連:”錫高野”)

今日も、始発電車をホーム待合室で待つことから始まった。空は暗く寒い。朝が明けたのは集合場所を出発してからのことだった。いつもお世話になるH氏の車に同乗して錫高野に近づくと、辺り一面、残雪が広がっているのに目が付く。ちょっと心配になる。

左写真のように、仏国寺山麓から斜面を越えて、錫高野へ至る林道を進む。まるで雪景色。薄く凍った雪面をズボッ、ズボッと音を立て、踏みしめながら進む。

陽射しに照らされた岩場やズリ斜面は雪が溶けているものの、少しでも陽陰になると雪は深く積もっていた。大丈夫かな・・・心配無用、H氏はどんどん先を進む。

いつもの採集場所を見ると、雪にすっぽり埋もれていた。そこで、沢筋にある地点Aに進み採集を開始した。沢を吹き降ろす風が冷たい。準備のビニール雨合羽に救われる。蒸れすぎて、ときどき換気が必要だったが。ところで、フードをかぶると音がこもって、誰かが後ろからついてくるような錯覚をする。あわてて辺りを見回したりする・・・そんなはずないのに。

次に、陽射しを正面から受ける巨大な岩場、蛍石の採れる地点Bに場所を移す。思いの他いろいろと収穫に恵まれる。そしていろいろいただきものをする。

以上、成果物を次に一覧する。
・地点A: 黄銅鉱、ブロシャン銅鉱、鉄マンガン重石
・地点B: 蛍石、孔雀石?、白雲母、鉄マンガン重石(豪華版をいただく)、硫砒鉄鉱、(自称)電気石

帰り道、乗換駅ホームにある、うどん屋で体を温める。熱いうどんに救われる。

2015年1月31日土曜日

イ・ソンヒの「小船」

イ・ソンヒがさまざまな試行を繰り返す中で、(伝統音楽の)国楽と(本格的に)取り組んだのが、1992年リリースした8集であった。アルバムのタイトル曲は、彼女のビッグショーを収めた次のYoutube映像で視聴できる「小船(조각배)」(作詞イ・チョルヨン、作曲キム・ヨンドン作曲)である。

(本ブログ関連:”小船조각배)”)

彼女の、国楽との取り組みは、現在の成功とつながっている。8集の試行に対して当時さほど気付かれてはいなかったようだが、東洋的な回帰としてヒットさせた「因縁」の布石となっている・・・と考えたい。そして、彼女の音楽は東洋的展望を超えて「その中であなたに出会って」を登場させている。

韓国の音楽家には、山にこもって再生するという伝説があるが、国楽へのチャレンジもそのように見える気がする。

「小船」

怒涛の波に浮かぶ、か細い小船
わが悲しき身を乗せて、果てしなく行く女よ
春風、花風の囁(ささや)きも疎(うと)ましく
奥深い沼に空しく行くつもりか

驟雨(しゅうう)降りしきる深夜、葦(よし)の森
契(ちぎ)りなき人生行路、当てもなく行く女よ
お月様が寝覚めてニコリと笑うも疎ましく
運命に身をのせて空しく行くつもりか

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年1月30日金曜日

雪2015

朝から、シーンとして音がない。どうやら降雪が街の音を吸い取ったようだ。それに、障子越しに庭雪が部屋の隅々まで明るく包む。雪は乱反射して影を作らない。・・・なにもかもソフトな感じがする。

雪の降る最中は暖かい。なぜかホッとする。子どもたちが浮き浮きするのも分かる気がする。・・・ここまでは、いい気分だが。

(本ブログ関連:””)

次第に降り積もる雪が気になってくる。屋根からドサッと落ちるまではないけれど、通り道の積もり具合をそっと覗く。さほどでもない、一安心。夕方までに雪はすっかり止んだ。

夜分、雪がとけで始めて気付く。やっぱり寒い。これで冬が終わってくれればいいのに。何度もいうけど、冬は苦手だ!

2015年1月29日木曜日

(資料)韓国の宗教人口

韓国の宗教人口について、1984年~2014年の間、韓国ギャラップが5回の調査を基にした「韓国人の宗教1984-2014(1)宗教の実態」報告(1/28)を、クリスチャン・トゥデイの記事「無宗教の人たちの選好する宗教、仏教・キリスト教(カトリック)・キリスト教(プロスタント)の順」(1/28、イ・デウン記者)は、次のように要約している。(抜粋)

(本ブログ関連:韓国の”宗教人口”、”仏教宗派”)
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韓国ギャラップ、30年間の変化の実態を発表・・・儀礼などの参加度はキリスト教が最も高く

・韓国ギャラップで、1984年から2014年までの30年間、韓国人の宗教と宗教意識の変化を比較した「韓国人の宗教の実態」調査結果を28日発表した。

・韓国ギャラップは、①1984年に初めて全国民を対象とした宗教関連の調査を開始した後、②1989年、③1997年、④2004年、⑤2014年の比較調査をそれぞれ実施した。2014年の調査では、4月17日から5月2日まで済州を除く全国満19歳以上の男女1500人を対象に実施された(信頼水準95%)。

・2014年現在、宗教分布は、仏教22%、キリスト教(プロテスタント)21%、キリスト教(カトリック)7%の順だった。ギャラップ側は、「仏教は、高齢者と我が国東側(慶南・北)で、プロテスタントは若年層と我が国西側(首都圏·全羅)で、相対的に強みを見せた」と明らかにした。調査結果だけで見れば、知られているものとは異なり、カトリックの教勢は大きく増えなかった。
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調査 事例数 韓国の宗教人口分布(%)

(年) (人) 仏教 プロテスタント カトリック その他宗教 非宗教者

1984 1,946
19
17
6
3
56


1989 1,990
21
19
7
2
51


1997 1,613
18
20
7
1
53


2004 1,500
24
21
7
1
47


2014 1,500
22
21
7
0
50










【第5回 比較調査概要】
- 調査期間: 2014年4月17日~5月2日(3週間) 
- 調査対象: 全​​国(済州除く)満19歳以上の男女1500人 
- 標本誤差: ± 2.5%ポイント(95%の信頼水準) 
- 標本抽出: ステップ2層別化集落地域無作為抽出
- 標本ポイント内の性/年齢別の割り当て抽出 →(参考)「韓国ギャラップ・オムニバス調査標本設計報告書」
- 応答方式: 面接調査員のインタビュー 
- 依頼先: 韓国ギャラップ独自の調査過去の調査の概要 
- 調査対象: 全​​国(済州除く)は、18歳以上の男女 
調査期間/サンプルサイズ/標本誤差(95%の信頼水準)/すべての面接調査、韓国ギャラップ独自の調査


(注)仏教について、曹渓宗(조계종)、太古宗(태고종)などの宗派に分かれる。
       ⇒ ”妻帯僧
       ⇒ 東京大学仏教青年会「第16回 朝鮮仏教史  5. 韓日併合期と独立後の仏教」
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明治時代に入ると日本仏教勢力が朝鮮に進出してきます。最初に江戸時代の朝鮮通信使とも繋がりのあった浄土真宗大谷派が、続いて日蓮宗、浄土真宗本願寺派、浄土宗と進出してきました。 そのような日本仏教の進出を受け、朝鮮仏教界も大きく動きます。日本を訪れ積極的に開化政策を進めようとする僧侶が出る一方で、それに反対し伝統仏教を回復しようとする鏡虚(きょんほ)らのグループも現れました。 日本が韓国を併合すると、朝鮮総督府が直接、朝鮮仏教の統率に乗り出し、寺刹令(じさつれい)を制定しました。 ・・・
・第二次世界大戦が終わり、日本から独立した韓国の仏教は、日本仏教の支配と影響を廃して、復興に向かいました。その第一歩として妻帯僧を追放し寺院の生活を正す浄化運動が起きます。 日本では明治時代に入って僧侶の妻帯が認められたこともあり、その支配下にあったときには妻帯する僧侶が韓国でも現れました。 それに対して戒律の遵守を求め妻帯を禁止する僧侶らと妻帯僧の間で紛争が起きました。その結果、曹渓宗から妻帯僧らが分派して太古宗が生まれました。 その他にも、新たに円仏教、真覚宗、元暁宗、法華宗、仏入宗といった宗派が誕生し、今に至っています。
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(注)シャーマニズム的な巫俗(ふぞく:무속)は、宗教としてでなく精神の源泉として下部構造に位置づけられるようだ。

(注)儒教も宗教としてでなく、儒教>宗教>巫俗といった精神構造の道徳律的な最上位に位置づけられるようだ。

2015年1月28日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 思い出

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第89回として、「傷ついた心を癒す切ないメロディー」の短歌(단가)「思い出(追憶、추억)」、雑歌(잡가)「フンタリョン(흥타령)」(南道民謡)、パンソリ「興甫歌(흥보가)」にまつわる話を紹介した。

始めに、林芳蔚(임방울、1904,5?年~1961年)の「思い出」の成立について次のように紹介された。
・歌い手、林芳蔚は、パンソリ「春香歌(춘향가)」から、獄中の春香の姿を「スクテモリ(쑥대머리)」の歌で表して一躍スターとなり、(朝鮮、日本、満州で)100万枚のレコードを売上げる。
・林芳蔚は、珊瑚珠(산호주)と恋に落ちて、2年間行方が分からなくなる。その間、彼は声を痛めて、愛する彼女を残して一人去る。彼女は彼を探して(智異山?)山中の洞窟にたどり着くが、会ってもらえず、結局、病気になってこの世を去る。彼は、そんな彼女を抱えて泣きながら歌ったのが「思い出」として伝わる曲だ。

▼ 短歌「思い出」を聴く。パンソリ風、即興曲・・・ところで山にこもって研鑽というのは、男の歌い手に共通する伝説だろうか。
(参考:ブログ「キム·ミョンゴンの世界の話」)

次に、朝鮮時代末活躍した宋興祿(송흥록、1801年~1863年)を次のように紹介された。
・歌の王と言われるほどの歌い手、宋興祿は、ある宴会で妓生の孟烈(맹렬)と恋に落ちた。彼の歌に皆が感動する中、彼女だけ気に入らぬ表情をしていた。歌は悪くないが、まだ未熟な面があるといわれ、プライドが傷ついた彼は帰郷して、歌の練習に励んだ。後日、再び彼の歌を聞いた彼女は、ようやく彼の歌を認めた。その後二人は一緒に住むことになる。ある日、喧嘩の末、彼女が家を出ようとしたのを、彼は、体は去っても心を残してくれと歌った。民謡「興打令(흥타령)」の中に今も伝わっている。

▼ 南道民謡「興打令」を聴く。歌い手(安淑善)の伸びやかな声ときれのあるリズム、イ・ソンヒの源流を見た気がする。

最後に、パンソリ「興甫歌(흥보가)」にある人々の共感性について次のように説明された。
・昔の歌は生活の喜びや悲しみも表現するからこそ、深く共感できる。パンソリ「興甫歌」に、興甫(흥보)が鞭打ち刑を受ける場面がある。昔、罪ある者に鞭打ち刑を科したが、金持ちや権力者は罪を犯して鞭打ち刑を科せられても、金で人を雇うことができた。貧しい彼は、子どもたちのため、自ら鞭打ち刑を受ける。貧しい時代にそういうこともあった。パンソリには、彼らの心を察して歌い、悲しい歌に合わせて泣いたり笑ったりする中で、互いを理解しあえる力がある。

▼ パンソリ「興甫歌」から「興甫が鞭打ちに科せられる場面(흥보 매품 팔러 가는데)」を聴く。・・・切ない話しのよう。

2015年1月27日火曜日

15.8℃(4月上旬並み)

今日、近隣の街の気温が、午後1時過ぎには、15.8℃という今年最高になり、4上旬並みの陽気だった。こんな穏やかな天気がずっと続けばよいが、明日からまた元の冬に戻るという。

(気象庁)本日の「日最高気温一覧表」・・・日毎更新

ホッとしたのも束の間、天気予報の通り、晩には北風が吹く音がして冷え込んできた。考えてみれば、こんなことは序の口、例年大雪は2月になってから。まだまだ油断できない。

旧暦では、まだ12月8日、年も越していない。

2015年1月26日月曜日

イ・ソンヒの「Waterloo+Dancing Queen」(ABBA)

イ・ソンヒが、多分、2004年に20周年コンサートを世宗文化会館で公演したときと思われる映像があって、7080世代に人気のあった、ABBAの「恋のウォータールー(Waterloo)」と「ダンシング・クィーン(Dancing Queen)」をダンスチームを従えて歌い踊る珍しい姿をYoutubeで見ることができる。

(本ブログ関連:”2013:7080世代が最も好きな曲”)

80年代末~90年代のダンスブームの頃、イ・ソンヒは、ABBAの「Waterloo」(1974年)や「Dancing Queen」(1976年)を手がけただろうか。20周年コンサートの舞台では、ダンサーの振り付けや衣装をちょっと古めかしている。コンサートの年、彼女は40歳になろうとしていたが、初めて耳にした小学生当時に戻ったような溌剌としている。

ところで、日本でABBAがブームになった頃、私はその波に乗って楽しんだ記憶がない。なにしろ、南沙織や太田裕美の方に目と耳が向いていたような気がする。

(Youtubeに登録のToko5766に感謝)

2015年1月25日日曜日

イ・ソンヒの「姉さん部隊」

イ・ソンヒにはデビュー当時、女学生(中高生)を主軸にした熱烈なファン層が登場した。「姉さん部隊(언니부대)」という。彼女たちから見ればイ・ソンヒは「お姉さん(언니)」に当たる。そのファン集団・集まり(グループ)を「部隊(부대)」と呼んだ。

(本ブログ関連:”姉さん部隊”)

SBSスポーツの記事「ヒーリング(キャンプ)、イ・ソンヒ『姉さん部隊』のために先輩女性歌手に怒られて」(2014年4月7日)によれば、この「姉さん部隊」という存在について、実はイ・ソンヒが初めて率いたと次のように記している。
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・イ・ソンヒは、大韓民国最初の「姉さん部隊」創始者であり、数多くの女性ファンを保有していた。コンサートの列が全部女子学生なので、チョー・ヨンピルのコンサートと勘違いするほどであった。
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当時の「姉さん部隊」層の中心を満年齢で15歳とすれば、現在45±4、5歳になっているのでは。ちなみに、イ・ソンヒは現在、満年齢で50歳である。

この「部隊」という表現、今ではちょっと古いようだ。では、最近のアイドルグループのファン層を何と呼んでいるのだろうか。複数メンバーで構成されるグループを対象にした場合、ファンは何を拠り所に集まるのだろうか。

私には、この「部隊」から、「プデチゲ(部隊鍋)」のイメージが浮かんでしようがない・・・。

2015年1月24日土曜日

豆、恵方巻、チョコレート

図書館の帰り道、スーパーがあって、入り口に季節に応じた食べ物が陳列されている。来月4日「立春」(節分)の前日に撒く、煎り豆の入った菓子袋がずらり並んでいると思ったら、今度はコンビニ店頭に、のぼり旗が立って、節分に食べる「恵方巻」の予約をうながしている。

節分の時期を、豆や恵方巻の商品で代替して知るような気がして妙な感じだ。ファッションに先取りという価値があるように、食べ物までもが先取り情報を持つている。年末から、予約、予約とせきたてられている気がしてならない。

とうとう、チョコレートまで加わった。テレビで、チョコレートフェアの催事と外国ブランドの高級チョコが押し寄せてきていることを放送していた。美味そうだな・・・と見ていたが、考えてみれば、2月14日の「バレンタインデー」に合わせてのことではないか。

いささか早過ぎないかと思うけれど、事(ビジネス)はどんどん運ぶ。スーパーに隣り合う商業ビル内も改装という名の店舗の入れ替えが進んでいる。何ごとも絶えず入れ変わっている。

季節は天候の変化よりも、ビジネスのカレンダーで早まる。1月なのに、もう2月だ。

2015年1月23日金曜日

石を愛でる人

昔、大学受験生は、それぞれの大学独自の試験を受けた。それが、受験資格試験に相当するような「共通1次試験(大学共通第1次学力試験)」が加わって、今は「大学入試センター試験」と呼ぶそうだが・・・その仕組みがさっぱりわからない。

大量受験者を採点するのに、マーク式(OMR)が使われているが、記述式(OCR)の方は(技術的にも難度が高く)一般化しなかったようだ。マーク式の場合、選択肢式となるわけで、いろいろ批判があったようだけど(つまり正解が露出している)、やがて慣れたからか信頼性が高いからか、今は当り前になっている。

今年のセンター試験の「国語」(第2問)に、小池昌代の小説「石を愛でる人」全文から出題されているというので読んでみた。(問題の解答をチャレンジしたわけではない)

内容は、「水石」の愛好家(アイセキカ)であるテレビのプロデューサーらしき人物(山形さん)と主人公(わたし)のちょっとした付き合いが語られている。随筆、散文、スケッチといった筆致だ。仕事上の付き合いがきっかけで、水石の展示会への案内(呼び出し)、鑑賞後の居酒屋への誘いなどと話しが続く。

展示アトリエの入り口に置かれたパンフレット「水石の魅力」に次のように書かれている。
「水石は、趣味のなかでも、もっとも深淵で奥の深いものだといわれています。盆栽などとあわせて鑑賞されることも多いのです。/庭石のような大きなものでなく、片手で持てるような小さな鑑賞石をいいます。あなたも、水石の世界に、どうぞひととき、お遊びください」

水石鑑賞には、入れ子のような視点があって、小さな石の形状に巨大な山姿を空想する。石の隙間から雲が湧き出るといった幻想の世界へと誘うようだ。本当の水石好きの方には独自の世界観があるのだろうけれど、私には小さな石の奥、水が滲む先に桃源郷があるように幻視する。

(本ブログ関連:””)

2015年1月22日木曜日

イ・ソンヒ「30th Anniversary Lee SunHee Live」、「1集-Remastered」

昨夕、待望のイ・ソンヒのアルバム「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」と「1集(REMASTERING ALBUM)」が入荷したとCDショップから電話があった。けれど、寒雨を撥ね退けて出かけるのに躊躇して、「明日行きますから」と答えた・・・。

今日も雨は止まずおまけに寒い。それでもファン心理というのか押されるように新大久保に行き、ショップの2階でイ・ソンヒアルバム2つを受け取る。この時点でお天道様への不満を忘れ、早く聞きたいという気持ちにせかされる。

「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」は、しっかりした外箱入りのハードカバー書籍のような装丁で、白色を基調にした上品な仕上がりだ。ライブ版にふさわしく、コンサート会場の雰囲気を思い出させる「Overture」から始まる。舞台背景まで浮かんでくるような荘重な臨場感があってうれしい。歌詞集に掲載の彼女の写真は、30周年記念に相応しい気品と風格を感じさせる。
それにしても、韓国発売が昨年12月22日だったので、1ヶ月してようやく手元に届いたことになる。

(本ブログ関連:”30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE”)

「1集(REMASTERING ALBUM)」は、いわゆるプラスチックケースではなく、厚手の紙箱に入っている。ふっくらした、まさに童顔そのものの若きイ・ソンヒの姿がケースを飾っている。「あ!昔よ」に始まる・・・高音がびしびし飛んでくるよう、元気いっぱいさだ。
先日記載した、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる、このリマスター版についての「アルバム紹介」が、歌詞集の最初に載っている。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)

CD版は、LP版と違って手元に馴染むのがありがたい。
子どもは、おいしいおかずを後回しにする。今回、2つのアルバムを一気に聞いてしまうのが惜しくて、ゆっくり聴いていこうと思う。それもファン心理というものかな。