今日は二十四節気の始まり「立春」の前日、「節分」である。行事として、鬼払いが行なわれるが、「追儺」を起源にしていて、「鬼」はその先導者の名残りといわれるようだ。子ども時代に記憶をたどれば、戸を開けて煎り豆を外へ撒いて「鬼は外!」、内に撒いて「福は内!」と叫んだ楽しい思い出がよみがえる。
(本ブログ関連:”節分”)
鬼は日本特有のものという。モジャモジャ頭に二本の角を生やし、睨むように大きく鋭い目をして、牙を剥き出している。容貌だけでなく、上半身裸で筋肉隆々とした体躯に虎皮の褌(ふんどし)姿は、いやがうえにも恐怖を感じさせる・・・はずだった。
けれど、昼間の絵本の世界に引っ張り出された鬼は、桃太郎に征伐されていたし、節分の時期ともなれば豆を投げれると逃げ出す存在だった。江戸の黄表紙「桃太郎後日噺」(朋誠堂喜三二)には、鬼を連れてきた桃太郎一家のどたばた劇が描かれている。鬼はいつのまにか優(やさ)男に成り果てているのが悲しい。
(本ブログ関連:”桃太郎”)
ところで、鬼はどこから生まれたのだろう。ときに考えることがある。わたしたちが人類に進化した頃、恐竜は既にいなかったにもかかわらず、滅んだはずの彼らの姿に今も深い恐怖を覚えるのはなぜか。恐竜が存在していた時代、ネズミのようにして草陰で脅えていた記憶が、遺伝子に受け継がれているのではないかと・・・。そうだとしたら、鬼への恐怖も、わたしたちの祖先がこの世界で感じたいいしれぬ異型の恐怖という、何かがあったのでないかと空想してしまう。