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2025年10月8日水曜日

寒露 2025

きょうは、二十四節気の「寒露」。日の陰りが早く、野の草の露が冷たく感じられるということだが、このところ暖かく、早朝に微かにそうかなと思う程度。

(本ブログ関連:”寒露”)

とはいえ、昼間(12:50)、最高気温 28.9℃、室温は 30℃を超えているわけで、<寒露>は言葉だけのことかもしれないが。

・・・

そんなことを綴っていたところ、何と、おとつい(10/6)発表の「ノーベル生理学・医学賞」(大阪大学特任教授・坂口志文さん)につづいて、きょう発表の「ノーベル化学賞」を京都大理事・副学長で京大特別教授の北川進さんが受賞された。

(別途ブログに記載)

2024年10月8日火曜日

寒露 2024(菊まつり、菊人形)

朝から空に力なく下り坂、明日昼過ぎにかけて雨が降るという。そんなきょうは、二十四節気の「寒露(かんろ)」。”かんろ”の音から、”甘露”を連想してしまいそう。草の葉に生じた露が凝(こご)り、足元に寒気が広がる。

(本ブログ関連:”寒露”)

たしかに、このところの朝晩の冷え込みに、季節が秋に移ったことを実感する。

寒露の期間を三つに分けた、七十二候は次のとおり(Wikipedia)。
・初候: 鴻雁来(こうがん きたる):が飛来し始める
・次候: 菊花開(きくのはな ひらく):菊の花が咲く
・末候: 蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり):蟋蟀が戸の辺りで鳴く

菊祭り
この寒露の時期、「キク」が咲いて「菊祭り」が開かれる。一輪仕立ての大菊の展示に圧倒されるが、子どもにとって鑑賞する気力が続かない。それと合わせて、菊花で人形(ひとがた)に型どった「菊人形」も並んだりする。今はめずらしい呉服店内に立っていた、虚ろなマネキンの顔立ちをした菊人形に、子ども心に少々怖気ついた。

いつだったかおぼろだが、深大寺公園の「菊花大会」*を見に出かけたことがある。
(*) https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2024/09/25/05.html

そうそう、むかしのこと、九州の門司の街だったか、父親に連れられて菊祭りに行った。何故か会場に、自衛隊の戦車が置かれていた。以来、菊祭りといえば、戦車によじ登って遊んだ記憶も一体となって思い出される。・・・ああ、会場の光景まで浮かんできたぞ。

2023年10月8日日曜日

寒露 2023

きょうは二十四節気の「寒露(かんろ)」、字面の通り寒気によって露が凝(こご)ろうとする時期を指す。ただし近年、温暖化により四季のうち夏が長く・秋が短いとか、冬が長く・春が短いとマスコミなどで語られる。その結果、今年の冷え込みも遅れて・・・衣替えの見極めも難しそう。(朝晩の冷えに備えて防寒着して、昼の陽射しに汗が滲んだりする)

(本ブログ関連:”寒露”)

きのうもそうだった。早朝の野鳥観察に出かける際、寒さを感じてチョッキまで着たが、公園内を巡っているうちに軽く汗ばんだっけ。一日(朝昼晩)の気温差が、以前と比べて大きくなっているのかも知れない。調べりゃ分かることだけど。

ところで、「かんろ」といえば、甘露飴を思い出す。馴染んだ飴菓子に「かんろ飴」、「サクマ式ドロップス」(製菓会社が廃業、現在別会社で商品継続)、ちょっと格式ある「榮太郎」のポケット缶など浮かぶ。ほかに「金平糖」などいい出したら切りがないが・・・。

また、殿様が「かんろ、かんろ」といって喜ぶ場面もある。この場合、「甘露」とは、うまい(上手・美味しいと誉める)の意があり、少々威厳が不足気味だが、思わず本音が出てしまった感がする。

 寒気に露を結びて凍り、いずれ霜が降り雪景色になる。寒さはもっともっと深まる。私は、何度も言うが、寒いのが苦手である。

(本ブログ関連:”寒いのが苦手”)


(付記)ネット通販について
きょう、ネット注文した洗面台用ランプ(40W、球φ95mm)が届いた。実は、ネット通販で、ア×××の品揃えを見たらLEDランプしかない。一方、たまたま、ヨ×××を検索したところ、旧来の白熱灯があって運送費もかからない・・・しかも、これでいいのかと思うほど安価なので決めた次第。ネット通販はつい慣れたところで発注しがちなので、比較が肝心。

2022年10月8日土曜日

寒露 2022

きょうは、二十四節気の「寒露(かんろ)」。Wikipediaによれば、「露が冷気によって凍りそうになるころ」とある。夏の朝、原っぱの野草の葉先に露が連なって、朝陽に輝いているのを見ると清々しい気分になる。この「朝露」、実は秋の季語に分類されるという・・・ちょっと意外な気がする。

(本ブログ関連:”寒露”)

本日は、旧暦の 9月13日にあたり、旧暦でいう秋の区分は7~9月となるので、晩秋に当たる。一方、気象庁の季節の区分では。秋は新暦の9~11月となる。この辺り、季節の扱いにいつもとまどう。ここ数日の気温の落差から、寒露を晩秋とするのには納得しそう。

以前、本ブログでも触れたが、寒露(かんろ)の音から、甘露 → カンロ飴 につながり、甘いイメージがしてくる。飴には、のど飴、缶入りドロップ、口さみしいときの飴などさまざま。もし「寒露飴」があるなら、それは仙人の口に入りそう。

最近、「グミ」というクチャクチャした飴(固めのゼリー)菓子があって、若者に流行っているそうだ。飴は口中で溶かすのに対して、グミは噛むといったところだろうか。ハロウィンといい、グミといい、いずれも子どもがするもの。日本では若い男女が楽しんでいる。

2021年10月8日金曜日

寒露 2021、自然観察園

二十四節気の「寒露(かんろ)」だ。”かんろ”の音から、小魚を甘く煮つけて黒い照りが特徴の「甘露煮(かんろに)」とか、むかし懐かしい薄茶色した飴玉の「カンロ飴」を思い出すが、二十四節気の寒露は、寒さが押し寄せる気配をしめすもの。
晩秋にいたり気温が下がりつつあるが、強い寒気にさらされることもなく、ここ数日、半袖姿で外出したりするくらい。

(本ブログ関連:”寒露”)

きょう、明るい日射しに誘われて公園併設の自然観察園へ出かけた。運動不足で弱った膝のリハビリを兼ねてのこと。いったん動き出せば問題なく・・・滑らかに歩を進める。直射日光を避けるようにして木陰を探す。次第に額に汗がにじんでくる。

観察センターで配布の今月の「花だより」を片手に、木の実や花を中心に探した。

コムラサキ(樹):
以前この実についてブログに記したが、写真に撮ってなかった。

ガマズミ(樹):
この実も以前ブログに記したが、写真に撮っていなかった・・・。

クサギ(樹):
この実について以前ブログに記している。

ミズヒキ(草): 
この花について以前ブログに記している。

ホトトギス(草):
花弁に紫色の斑点を散らした、一見カモフラージュ風の姿に異様さを感じるが、それが鳥のホトトギスの胸の模様に似ている(Wikipediaによる)といわれても戸惑うばかり。迷彩風の斑点模様が、花弁の色・形は異なるが「ヒオウギ」と似た感じがする。
キンモクセイ(樹):
公園の門(オートバイなど進入防止柵を設けている)の脇に一本立っていて、オレンジ色の小さな花を群れ咲かせている。花の香りが特徴的でポピュラーな花だけに、以前ブログに何度か記している。今回、マスクをしていたので、香気を感じることはなかったけれど・・・。

2019年10月24日木曜日

霜降 2019、霜と晩秋

きょうは二十四節気の「霜降(そうこう)」。<霜の降り始めるころ> に当るが、今月(10月)に入って昨日までの東京都心の最低気温は、昨日の 12.4℃ だった。まだ霜を見るころではないようだ。

(本ブログ関連:”霜降”)

そこで「霜降」を「歳時記」*に探すとなかなか見当たらない。漢文好みの俳句にそもそも無いのかといえば、ネットを参照すると、「晩秋」の範疇にあてはまるとある。霜降りが秋の後半というのは、なんとなく納得できる気がする。
(*)文庫「俳諧歳時記 秋」(新潮社編)や電子辞書にある「ホトトギス俳句季題便覧」

ところで、気象庁の用語に「晩秋」はない(「小春日和」の解説に「晩秋から初冬にかけての暖かく穏やかな晴天。」とあるが)、 そこでWikipediaで「晩秋」を見ると、「秋の終わり頃。11月から12月初め頃に該当する。二十四節気に基づく節切りでは、寒露から立冬の前日までの期間をいう。旧暦9月の異名。」とある・・・、晩秋は、秋の終わりと冬のはじめが重なるころ・・・そんな風だろう。

ちなみに、気象庁の天気予報などで用いる用語に秋は「9月から11月までの期間」、したがって晩秋は11月下旬ころ・・・その時期なら十分寒いので、都心で霜に出会うかもしれない。

2019年10月8日火曜日

寒露 2019、くしゃみ

一ヶ月前の今日(9/8)は、二十四節気の <草葉に「露」がつきはじめるころ>の「白露」だった。その露が、今日、二十四節気の <冷気により凍りそうになるころ>の「寒露」となった。露が凍るほどの寒さを感じるまで至らないが、最近の朝昼の温度差に驚く。今朝方から「くしゃみ」が止まらない・・・単に寝相が悪いだけだったかもしれないが。

ところで、「くしゃみ」の語源についてWikipediaによれば、「くさめ」と呼び次の漢字が使われたそうだが見たことがない。
「嚔」くしゃみ)
「広辞苑」や古語辞典をひいても、Wikipediaの解説に及ばない。そこで、<語源>紹介部分をそのまま引用させていただく。
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日本語の「くしゃみ」という表現の語源は「嚔(くさめ)」という言葉で(中国語ではこの漢字を今でも使う)、古代の日本ではくしゃみをすると鼻から魂が抜けると信じられており、そのためにくしゃみをすると寿命が縮まると信じられていた。そこで早死にを避けるため「くさめ」という呪文を唱えるようになり、いつしかそれが「くしゃみ」という名前となり、その行為そのものを指すようになった。

くしゃみをするは「鼻ひる」といって、ひるは「放る」または「嚏る」と書いて、体内から鼻水やその他を放出することであった。清少納言が書いた『枕草子』の「憎きもの」第28段には
鼻ひて誦文(ずもん)する。おほかた、人の家の男主ならでは、高く鼻ひたる、いとにくし。>
現代文:「くしゃみして呪文を唱える。大体、一家の男主人でもないのに、声高にくしゃみをするのは、本当に好きでない。」とある。

くさめ」という呪文の語源ははっきりしておらず諸説あるが、
陰陽道の「休息万命(くそくまんみょう)」や「休息万病(くそくまんびょう)」を早口に言ったもの
・くしゃみの擬声語の名詞化
・「糞食め(くそはめ)」が変化したものであるという説などがある。

上記のように、中世の日本ではくしゃみをした人、またはその近くにいた人が「くさめ」と言う習慣があった。1330年頃(鎌倉時代)に吉田兼好により書かれた『徒然草』の第47段には、
ある人清水へまゐり(参り)けるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔(くさめ)、嚔」といひもて行きたれば、「尼御前、何事をかくは宣(のたま)ふぞ」と問ひけれども、應(こた)へもせず、猶いひ(なほ言い)止まざりけるを、度々(たびたび)とはれ(問はれ)て、うち腹だちて、「やゝ、鼻ひたる時、かく呪(まじな)はねば死ぬるなりと申せば、養ひ(やしなった)君(貴族の子)の、比叡の山に兒(ちご)にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。/ あり難き志なりけんかし。> という記述がある。
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枕草子の例ではないが、先日、ある会場でくしゃみしたとき、口元にハンカチをあててさえぎることを忘れ、隣りの参加者に不快な気分をさせてしまったようで、思い返してはマナーの悪さにいまだに内心ざわつく。

2018年10月8日月曜日

イ・ソンヒの「バラ」

秋になると「バラ」の花が気になる。特にバラ園には落ち着いたかがやきと色彩があり、香りが漂って来る気配がする。

今日は「体育の日」の祝日(また、二十四節気の「寒露」でもある)。韓国語会話は休講となったが、この時期の通い道に、バラの花が塀越しに覗く庭園があった。足を止めてよくよく見れば、後で気づいたことだが、実は庭園墓地だったわけだ。ここに墓を予約したという人の話を聞くことがあり、なるほどとうなづいてしまった。

(本ブログ関連:”体育の日”、”寒露”)

バラに関心があるのは、どちらかといえば中高年の女性のような気がする。ガーデニングが流行り出す以前からの本格定番だが、長く栽培するのは難しく、公園などのバラ園を一団で巡り鑑賞するのが多いかもしれない。明後日(10/10)から、「神代植物公園 秋のバラフェスタ」が始まるという。私にしたら、深大寺のイメージに「深大寺そば(蕎麦)」と「深大寺城」跡があるが・・・。

イ・ソンヒの13集所収に「バラ(장미)」(作詞・作曲イ・ソンヒ、2005年)がある。韓国では、花の人気のトップがバラという。いずれのアンケート調査からそのようで、なぜそうなのか知りたいところだ。彼らに「むくげの花」に対する主義もあれば、「さくら」に対する主張もあるが不思議な感じがする。

(本ブログ関連:”バラ”、”百万本のバラ”)

以前、ブログで紹介させていただいたことだが、東亜日報(donga.com)の記事「[カンホンの歌手列伝] <14>イ・ソンヒ」(2011年10月10日)に、大衆音楽評論家のカンホンが、イ・ソンヒの「バラ」について次のように記した部分がある。(抜粋)
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・イ・ソンヒという名前は、栄光と絶望が交差する韓国女性ミュージシャンの歴史の巨大な注釈点のようだ。1994年9集の興行惨敗は、彼女の音楽履歴で最も危機だったにもかかわらず、彼女は決して挫折しないで、「因縁」と「バラ」という傑作を作ったシンガーソングライターとして、そして、成熟した女性に衣替えした2005年の傑作「四春期」(13集)のアルバムを、私たちの手に抱かせてくれた。
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あなたにバラを渡す
その赤い香気、あなたに伝える
私を忘れて眠る夜に
あなたの部屋いっぱいに、バラの花の香気が広がるまで

私たちの愛で生きよう
短い生涯を、夢見るようにしよう
二度と来ないこの瞬間に
愛する時間は、あまりあるではないか

一瞬としても、およばぬとしても
その喜びにひたってみるべきでないか
生きてみて、胸がときめく
時が多くないことを、よく知っているから

その先が痛みだとしても
両の手を広げて、あなたを抱こう
愛しよう
生きてみて
私たち二つの心、熱くなろう
______________

あなたに口づけしたい
ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか
太陽の下、柔らかな花びら
さらに赤く染まっていくのね

愛と憎しみの両方を持って
風の最後にあなたのすべてを預けて
大きくなっていくあなたの熱望は
遥かその昔の、草原を描いているのか

その先が痛みだとしても
美しく咲いたのね
風に触れて
花びらが散るとても
そのこころは、熱く咲いて散る


(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)

2015年10月8日木曜日

寒露 2015、「猿に始まり狐に終わる」こと

今日は二十四節気の「寒露」。「露が冷気により凍りそうになるころ」(Wikipedia)だそうで、今朝は相当に冷え込んだ。

寒露の音から、カンロ飴や甘露煮をイメージして「甘露」が浮かんで、甘味を帯びそうな気がする。「うまい、うまい」と絶賛するのに、「甘露、甘露」と殿様が(昔の映画で)いったりもした。

ところで、地元にある武蔵野大学で、狂言師の野村萬斎氏(1966年~)を迎えて、武蔵野大学客員教授の羽田昶氏との対談を聴く公開講座があった。能楽資料センターによる連続公開講座(「けものイロイロ―― 能・狂言に見る鳥獣・霊獣」)の最終回だが、初めて知って、初めて同敷地を訪れた次第。

最終回のテーマは、「猿に始まり狐に終わる」という、狂言に現れる生き物について、野村萬斎氏の経験に照らしながら語るかたちで進行された。

狂言の初舞台は、3,4歳ころに「靱猿(うつぼざる)」の舞台で猿の姿に扮することから始まるそうだ。今回のテーマにある、<狐に終わる>というべき演目として、「釣狐(つりぎつね)」を初めて演じた(披(ひら)いた)のが1988年とのことで、ここから真の演者としてわざを深めていくことになったという。

狂言のスタンスに、「このあたりのものでござる」という言葉があるというそうだ。人、生き物すべてに通じる考え方であり、立場(領分)という。物語が、この理(ことわり)から外れるとき、狂言は滑稽さの中に逆転や逆襲の姿が見え隠れすることになる。

(<狐>に関心あって講演会に出かけたが、とてつもなく大きな世界に出会った気がした)

(Yotubeに登録のodessanokaidanchに感謝)

2011年10月9日日曜日

寒露 2011

今日(旧暦9/13)は、二十四節気の17番目にあたる「寒露」だ。寒露といえば、甘~い「カンロ飴」を思い出すが、ネーミングに関係があるのだろうか・・・(多分、「甘露」だろうな)
Wikipediaによれば、寒露は、旧暦8月後半~9月前の節気で、「露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ。」だそうだ。冬の到来を徐々に感じるころをいうのだろうけど、ここ数日の暖かさに、それも忘れてしまう。そういえば、好天に恵まれて、地元小学校では町内会の運動会が開かれていた。

国立駅南側の大学通りにある、たばこ専門店に行く。先日、石仲間と石談義したとき、彼がパイプで甘い香りのベルベット・レッドを吸っていた。学生時代に真似事したことを思い出し、遊び半分で入門用のパイプを購入した。たばこは、昔ながらのアンホーラ・フル・アロマテックにした。結構時間をかけて吸ってみた。久し振りの喫煙に体が・・・。
新しいことをするというより、若い頃やったことをもう一度なぞってみるに過ぎない。全く未知なことに手を出すつもりもないし。遊び半分ぐらいがちょうどよいのかもしれない。


(孫たちが、地元の田無神社のお祭りに出かけたとのメールが届いた)
★★★★★ 孫が、神社の祭りの屋台で買ってもらった仮面をつけた写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫娘が、綺麗で可愛らしい真赤な飾りを頭につけている写真が届いた ★★★★★