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2025年2月2日日曜日

映画館で販売している上映中の映画の解説冊子を何と呼ぶか?

映画を見終わった後、視聴した映画の解説冊子が欲しくなる。映画の帰り道、電車の中で余韻を楽しみたく、映画館の売店で購入してしまう。最近、大型で豪華なものがあるが、小冊子として目立たず邪魔にならないサイズの場合、たいてい購入する。
少し前の映画「ゴジラ -1.0」や「フライ・ミー・トウー・ザ・ムーン」くらいかな。若いころは、新宿の「アートシアター」(ATG)で鑑賞のたび入手していた(シナリオが載っているのがよい)。

(本ブログ関連:”ゴジラ”、”フライ・ミー・トウー・ザ・ムーン”)

そこで、気になるのが、小冊子を何と呼ぶかだ。Googleの生成AIのGeminiに、日本と英語の場合、どんな表現をしているのか、次のように聞いてみた。
ー 回答に、日本では「パンフレット」が一般的といわれたが、少々軽すぎる気がする。「プログラム」では事前紹介的な気がするしで・・・。
ー 私は、売店のケースに置かれている冊子を指さして「これをください」と言っている。


Q-1.映画館で販売している上映中の映画の解説冊子を、日本では何と言いますか?
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A-1.映画館で販売している上映中の映画の解説冊子は、日本では一般的に「パンフレット」と呼ばれています。

パンフレットには、映画のあらすじ、キャスト・スタッフの紹介、作品解説、撮影の裏側エピソードなどが掲載されており、映画鑑賞の記念品として購入する人が多いです。

映画館によっては、「プログラム」や「映画ガイド」と呼ぶ場合もありますが、パンフレット」が最も一般的な名称です
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Q-2.映画館で販売している上映中の映画の解説冊子を、英語で何と言いますか?
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A-2.はい、映画館で販売している上映中の映画の解説冊子は、英語で一般的に以下のように呼ばれます。
Program
・Movie Guide
・Cinema Guide
・Showcase Magazine (映画館によってはこの名前の場合もあります)

これらの冊子には、映画のあらすじ、キャスト・スタッフの紹介、評論などが掲載されています。映画館によっては、"souvenir program" や "collector's program" として販売されている場合もあります

映画館の売店やチケットカウンターで、「program」や「movie guide」などと尋ねてみてください。
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(参考)
美術展の場合、美術館内の売店(ミュージアム・ショップ)で展示作品(複数)の解説本が売られている。この場合、歴史と格式があり、公式カタログとして「図録」という。
- カタログという表現が美術展にはあるが、映画は一本建てなのでカタログとは言わないのだろう。

Q-3.美術館で販売している展示中の作品の解説本を、日本と英語で何と言いますか?
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A-3.美術館で販売している展示中の作品の解説本は、日本と英語でそれぞれ以下のように呼ばれます。

日本語:
図録:  美術展の公式カタログとして、展示作品の写真や解説が掲載されています。
・作品集:  特定の作家やテーマに焦点を当て、作品の写真や解説をまとめた本です。
・展覧会カタログ:  展示会の内容を紹介する冊子で、図録よりも簡易的なものが多いです。

英語:
・Exhibition Catalogue:  美術展の公式カタログとして、図録に相当します。
・Art Book:  作品集や画集など、美術に関する書籍全般を指します。
・Gallery Guide:  展示されている作品や美術館の情報を紹介する小冊子です。

美術館の規模や展示内容によって、販売されている解説本の種類は異なります。一般的には、受付やミュージアムショップで購入できます。
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2024年3月11日月曜日

東日本大震災から13年目、映画「ゴジラ -1.0」 アカデミー賞受賞

■ 東日本大震災から13年目

13年前のきょう、東北地方太平洋岸を「東北地方太平洋沖大地震」(東日本大震災)が襲った。震災当日、関東のこの地も大きく揺れ、わが家の大谷石塀が崩れた。そして翌日、津波災害のあまりの巨大さを(テレビ画面を通して)目の当たりにすることになった。死者数は、戦後最大の2万2200人以上に達した。
今年の元旦の「能登半島地震」もそうだった。被災状況を翌日、更に翌日へと重ねて実情を知り驚く。逃げ場のない現地、交通隘路の困難の中、現地に向かう救助活動のむつかしさを知った。被害は甚大だった。

(本ブログ関連:”東北地方太平洋沖地震東日本大震災)”、”能登半島地震”)

自然災害は繰り返し続いてきたし、これからも起こるだろうけれど、直面したらどのよう行動をするか心もとないのが正直なところ。(愚かなことだが、考えたくない面もある)
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■ 映画「ゴジラ -1.0」 アカデミー賞受賞

昨年の師走(12月中旬)、久し振りに映画館へ足を運んだ。「ゴジラ -1.0」を見るためだ。子どものころに震えた、あの恐怖感がよみがえった気がした。それほど引き込まれたのだ。
ゴジラの破壊力は、全景にあるのではなく足元だ。むかしの第1作「ゴジラ」(1954年)で見た、尾が街並みをなぎ倒す凄まじさは、夢に現れたほどだ。今回それが再現された。
というわけでスクリーンに興奮して、ゴジラ映画ひいきになった。見たもの誰もが共感し絶賛した。

(本ブログ関連:”ゴジラ”)

日本アカデミー賞で「最優秀作品賞」を受賞、さらには技術スタッフに大いに栄誉が贈られた。もっともっと期待した面もあるのだが納得。
そして、米国アカデミー賞で「視覚効果賞」にノミネートされ、受賞をおおいに期待した。結果、望んだ通りになった。同時に、「長編アニメーション賞」で、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」が受賞したことも合わせて、まさに爽快、快挙だった。

ところで、山崎貴監督のこれまでの作品(原作)について、これまであからさまな立ち位置にいたメディアや「評論家」たちは、受賞をどう説明をするのだろうか。

◎ 日本アカデミー賞
第47回 「日本アカデミー賞」(令和6年、2024年3月8日、東京)
映画ナタリー記事:
「第47回日本アカデミー賞(2024年)受賞結果まとめ」(2024年3月8日 20:00 31、映画ナタリー編集部)
- https://natalie.mu/eiga/news/564145
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最優秀作品賞                      『ゴジラ-1.0』(山崎貴)
最優秀アニメーション作品賞 『君たちはどう生きるか』(宮崎駿)
最優秀監督賞                      ヴィム・ヴェンダース - 『PERFECT DAYS』 他
最優秀脚本賞                      山崎貴 - 『ゴジラ-1.0』
最優秀主演男優賞                役所広司 - 『PERFECT DAYS』
最優秀主演女優賞                安藤サクラ - 『怪物』
最優秀助演男優賞                磯村勇斗 - 『月』
最優秀助演女優賞                安藤サクラ - 『ゴジラ -1.0』
<技術>
最優秀撮影                         柴崎幸三 -『ゴジラ-1.0』
最優秀照明賞                      上田なりゆき -『ゴジラ-1.0』
最優秀音楽賞                      上原ひろみ - 『BLUE GIANT』
最優秀美術賞                      上條安里 - 『ゴジラ-1.0』
最優秀録音賞                      竹内久史 - 『ゴジラ-1.0』
最優秀編集賞                      宮島竜治 - 『ゴジラ-1.0』

◎ 米国アカデミー賞
第96回「米アカデミー賞」(2024年3月10日(日本時間11日朝)、ロサンゼルス)
朝日新聞デジタル記事:
①「「ゴジラ-1.0」がアカデミー賞視覚効果賞 日本映画で初」(五十嵐大介 2024年3月11日 9時50分)
- https://www.asahi.com/articles/ASS393C5ZS36UHBI03Y.html?ref=tw_asahi_kokusai
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第96回米アカデミー賞の授賞式が10日(日本時間11日朝)、ロサンゼルスで開かれ、山崎貴監督の「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」が視覚効果賞*を受賞した。同賞の受賞は日本映画として初めてとなる。
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(*)米アカデミー賞の視覚効果賞受賞で、アジア初(米国以外でも)の受賞となった。

②「視覚効果賞の山崎貴監督「我々にもチャンスがある証」」(五十嵐大介・平岡春人 2024年3月11日 10時18分)
- https://www.asahi.com/articles/ASS385DJTS38UCVL02C.html?iref=pc_extlink
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「ゴジラ-1.0」は、第2次世界大戦直後の東京を舞台に、ゴジラと元特攻隊員らのたたかいを描いた作品。視覚効果賞はスタッフが受賞するケースがほとんどで、監督の受賞は「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック以来、2人目の快挙となった
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2023年12月31日日曜日

2023 大晦日

きょうは「大晦日(おおみそか)」。いつの間にか、今年最後の日になった・・・というのが正直なところ。年年歳歳、新年が待ち遠しいというより、また来るのかといった心境だ。「もういくつ寝ると お正月」(「お正月」作詞:東くめ、作曲:瀧廉太郎、1901年)と素直に歌っていたころが懐かしい。

そういえば、昨年(2022年)の大晦日に、来年(2023年)は仙人の境地で過ごしたいなどブログに記した。仙人の超越した力が欲しいというより、世間と距離を置いた生活にあこがれた。でも、ふらふらと街に舞い戻っていた。先月、映画「ゴジラ -1.0」を見に出かけたりもした。やっぱり街の賑わいは忘れがたい。

(本ブログ関連:”大晦日”)

ところで、Wikitionaryなどによれば、大晦日の文字「晦」の ”日”(意味:”日にち”)と、”毎”(音符:”呉音:ケ、漢音:カイ”)を合わせて <毎月末> を意味するという。さらに「大+晦+日」で「つごもり(月末)」、「くらい」、「みそか(旧暦の三十日)」 の意となるけれど、文字と意味がうまくつながらない。

旧暦(月の満ち欠け)の一日(ついたち)は、新月のとき「朔日(さくじつ)」にあたるわけだが、もっと古い日本の暦はどのように定めていたのだろうか。
中国伝来の暦法など以前、「弥生」あるいは稲作が開始された時期を含む「縄文」の時代に、農作は暦がなければ計画・準備がたたぬだったろう。もしかしたら、一年で一番わかりやすい、「夏至」や「冬至」*から何日目といった判断をしたのだのだろうか。

(*)冬至の太陽: (古代の人はどうやって判断したのだろう)
    ・真東(春分・秋分の日で判断)**から最も南寄りの方角から上がる。
    ・太陽の高さが最も低く、東京付近では12時ごろ約32°になる。
(**)方位の基準となる天文について、砂漠と違い、湿潤モンスーン帯は観望がよくない。

(本ブログ関連:”冬至”)

「一年の計は元旦にあり」というが、むしろ冬至だったかも知れないなんて思うきょうこのごろ。

2023年12月16日土曜日

ゴジラ -1.0

きょうの日付に変わった深夜、最高気温が 21.1℃(01:43)になった。その後、ゆるりと気温が下がって再びピークを持ち直したのは 15時 19.7℃ のこと。実に変則な動きをした。

午前中に病院検査を済ませた足で、昼下がり近隣街にある映画館へ出かけた。最近話題の <ゴジラ生誕70周年記念> 作品の「ゴジラ -1.0」を見るためだ。興行収入が制作費(約21億円)の倍を越え、いずれ5倍にも達するだろうといわれている。

ゴジラ・シリーズとしては、「シン・ゴジラ」(2017年3月22日)を見て以来のこと。今回のゴジラ -1.0 は、CG(VFX)に磨きがかかっている。舞台背景に違和感が全くなく・・・アメリカの観客が怖いと感じるほど。遠くから怪獣が破壊・格闘する様を描くのではなく、逃げ惑う避難者が感じるだろう見上げる恐怖と、足元で感じる破壊力の凄まじさを(疑似)体験させてくれる。

(本ブログ関連:”ゴジラ”)

ゴジラ -1.0 の設定は、戦争で焼け野原になって立ち直ろうとする時代。舞台は、ゴジラが襲来する東京銀座、および決戦の相模湾。そして、シン・ゴジラでの政府の迷動に対して、戦争を生き抜いた(民間人になった)人びとが再結集して対抗するという構成だ。

映画評論する人は、どうやら2,3回は鑑賞するようだが、一度しか見ない私には率直な感想しかいえない。

それは、戦争を生き抜いた人びとが、どうやって(自らの)戦争を終わらせたのかということだ。

映画で、戦争経験者の民間人が多数登場する。映画館の観客に分かりやすくするため、年配者をあてているが、時代設定からいえば、多くは20代、30代の若手だったろう。
ついこんなことを考えてしまう。歴史においても戦後復興を果たしたのは、戦争経験者たちだったのだと。


(追記:12/18)
■ 産経新聞
「ゴジラ新作興収が米で1位 歴代邦画の実写作品で『子猫物語』抜く」(2023/12/7)
https://www.sankei.com/article/20231207-KCZDFCWSTRLSRDSJJSVJZW4ZHM/

■ Forbes japan
「『ゴジラ-1.0』アメリカでの大ヒットの理由は英語字幕とCGにあり」(米在住 長野慶太、コラムニスト、2023.12.15)
https://forbesjapan.com/articles/detail/67982
・ゴジラを形容詞化した「ゴジリアン(Godzillian)」の用法
・標題通り、<英語字幕>の工夫と効用・効果
・米国人から見た、日本の終戦直後の政治背景のポイント など

2023年7月26日水曜日

幽霊映画

当地の最高気温は、きのうが36.8℃(14:57)、きょうは37.7℃(13:17)と「猛暑日」がつづく。うだるような熱気が屋内に進入してとぐろを巻き、どっぷり居座っているよう。
だから、エアコンで冷やした部屋から出る気が失せる・・・しかし、長時間冷やすと体調が思わしくなくなるし。

こんなとき、自然の風が吹く山林に逃げ込みたい。官職を辞したエリートの <隠者> ではなく、世間の空気に反した <奇人> でもない、まして不老不死を望む <仙人> にはなれない。ただ市井の凡人でしかないけれど、猛暑の間だけ、気ままに山林に涼みたい。

ところで、きょう7月26日は、「幽霊の日」だそうだ・・・ ヒンヤリしてくるか?

tenki.jpサイトの記事
- 「明日7月26日は『幽霊の日』。でもなぜ『幽霊の日』なの?」(YUMIKO、2017年07月26日)より抜粋
https://tenki.jp/suppl/y_kogen/2017/07/26/24451.html
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7月26日は「幽霊の日」。なぜ、このような記念日がつくられたのでしょうか? その由来は江戸時代のできごとにさかのぼります。1825年7月26日、江戸にある中村座にて四代目鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が初演されました。今の時代にも受け継がれる人気の歌舞伎演目が初めて披露されたのがこの日だったのです。
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子どものころに住んだ社宅の近くに、封切りから少し遅れて上映する映画館(「銀映」)と、だいぶ遅れて上映する映画館(「新映」)があった。ともに日本映画の2本立てが主だったが、新映は俗っぽいものが多くて、めったに連れて行ってもらうことはなかった。一方、銀映は入場料が少し高めで、ときどき家族で出かけることがあった。
(当時、工場敷地内に社員家族向けの映画劇場館があった。子どもたちのための映画もときどき上映してくれた。「ディズニー」アニメや、「ゴジラ」・「スーパージャイアンツ」のシリーズを歓声をあげながら見たものだ。母親たちは、きっと「君の名は」を見ていたんだろう。)

そんなわけで、幽霊映画なんてものは、銀映か新映に行って見る他ない。題名を忘れたが、戦前を舞台にした日本映画(白黒映画の記憶しかないのは、怖さのあまり色を失ったのかもしれない)を映画館の銀映で見た。

そろそろ幽霊(泥水に漬かった無念の死者)が登場する気配がして、わたしは慌てて前の座席の背にからだをかがめるようにして目を隠した・・・。「もう大丈夫だよ」といわれ、背を伸ばしてスクリーンに目を向けた瞬間、画面いっぱいに幽霊の顔が映ったのだ。ゴジラ映画の絶望感とは違った、もうひとつのトラウマになった。

2023年2月13日月曜日

未確認飛行物体

未確認飛行物体(UFO)」の名称がポピュラーになったのは、いつのころからだろう。子どもの時代、「空飛ぶ円盤」の方が通称だったような気がする(小松崎茂氏の挿絵に描かれていたに違いない)。当時知られた代表的なアダムスキ型円盤は、フライング・ソーサーというより、もっと古めかしいメカニックデザインだと(子どもながらにも)気づいていた。

(本ブログ関連:”UFO”)

宇宙からやってくる円盤は、その目的が分からないため恐怖の対象だった、だから、空を覆う巨大な母船から、着陸船が次々降りてきて、無機的なロボットが吐き出され街中を進んでくる夢をよく見たものだ。ゴジラとは違った無力感があった。
(追記: 空飛ぶ円盤を夢の中で見たことはあるけど、実際に遭遇したことがないのは幸い)

(映画:「空飛ぶ円盤地球を襲撃す(Earth vs. The Flying Saucers)」(1956年))
    - ソ連による世界初の人工衛星「スプートニク」は、1957年10月に打ち上げられた。
    - この映画、随分昔に見た記憶がある(宇宙人の無機的なイメージが忘れられない)。
    - 宇宙人の姿: タコ型火星人 → この映画の宇宙人 → 映画「ET」≒グレイ型 → ・・・
    - 東宝特撮映画「地球防衛軍」(1957年)を思い出す。光線兵器「マーカライトファープ」

日本で、UFOのネーミングがしっかり定着したのはいつごろだろうか。英国のテレビ番組「謎の円盤UFO」(1970年月~1971年、日本テレビ)だったかもしれない(そのころ、日本テレビの矢追純一ディレクターが八面六臂の活躍をされていたわけで)。番組のセットが、同じく英国のテレビ番組「サンダーバード」(1966年~1967年、NHK総合)に似ていたのはご愛敬だったが。

宇宙人の恐怖を一層掻き立てたのが、上記の「謎の円盤UFO」以前に放送された、米国のテレビ番組「インベーダー」(1967年~1971年、NETテレビ(現:テレビ朝日))だった。こちらはSF+サスペンス感があった。侵略者(宇宙人)を探し出しては消していくのだから(SF版「バウンティハンター」、孤独なハン・ソロに通じる)。

ところで、世相を騒がせている未確認飛行物体の撃墜は、「気球」(一部は出所も解明されている)を攻撃対象にしている。ある意味、世界の緊張に通じる事象であるが。

そこで、こんなことを空想した(昔は「SF」を「空想科学小説」といったものだ)。もし、未確認飛行物体を攻撃したところ、それが他宇宙から飛来した本物のUFOだったらどうなるだろう。地球人同士の争いごとでは済まぬ、恐ろしい展開が待ち構えているような・・・気がする。そんな映画はできないだろうか。正直、ストーリー展開がどうなるか見当もつかぬが。

(映画:「マーズアタック(Mars Attacks!)」 (1996年))
    - トップ俳優を使いたい放題、パルプマガジンのにおいがする
    ー 侵略者の友好を信じて白鳩を飛ばしたり、(別映画では)ビルの屋上で歓迎を示したりする人々がいる。
    - 大統領「これ以上は俺たちが主導権を握ったるで。」

2017年3月25日土曜日

(雑談)子どものとき見たゴジラの夢

先日、映画「シン・ゴジラ」を楽しんできた。民家の上を巨大な尻尾をよぎらせながら進むゴジラを見て、昔、初めて見た初期のゴジラ映画を思い出した。暗い夜、画面いっぱいに映し出されたゴジラの足から、巨大な全身を想像して、恐怖に落ち込んだまま、座席で息を殺して見ていた。

それ以来、怪獣の夢には無力感がつきものだった。最初のゴジラ映画は、視覚効果を狙ってだろう、夜の破壊シーンが鮮烈だった。当時の大人には空襲や戦場の記憶につながったかもしれないが、子どもにとっては破壊の凄まじさだけだった。だから夢に直結した。

ゴジラ映画は、夢に影響を与えたようだ。登場する怪獣や宇宙人は、圧倒的な力で襲いかかり、逃げるしかなかった。今の子どもはどうだろう。ぼくらは、映画で初めての恐怖を経験したかもしれない。いつも見られるものではない。だから怖さも深かった。

また、上空を様々な隊形した飛行編隊が迫ってくる夢を見た。編隊の数は増え、やがて空いっぱいに真っ黒な宇宙船が覆い浮かんでいるのが見えた。すると、船体から真っ黒な着陸艇が地上に次々と降りて、黒い防備服の大量の宇宙人兵士が隊列を組んで街に侵入を開始したのだ。もう、どうすることもできない。「宇宙戦争」を彷彿させるが、隠れても見つかってしまう・・・。

夢が前向きでなくなったようだ。空を飛ぶ夢を見ても、始めは優雅に羽を舞い飛行したが、すぐに失速を始める。あれっ、戸惑いながら何とか持ちこたえたが、上昇と下降を繰り返しながら墜落してしまう。「イカロスの墜落」ように・・・。

2017年3月22日水曜日

シン・ゴジラ

映画「シン・ゴジラ」を見てきた。封切りが去年の夏(2016年7月29日)の映画を、およそ8ヶ月後に鑑賞したことになる。関心を持ちながら、ずるずる過ごしてしまい、これ以上はまずいと自覚して、川崎の映画館へ出かけたわけ。

ようやく映画館で見る目標は達成した。それに、映画とシンクロして、座席が揺れる「MX4D」を初めて経験した。今回は、2D映像のままだったが、それでも充分楽しめた。おじさんには、うつらうつらする余裕を与えない効果がある。

物語は、あたかも幼生期のゴジラのような怪物が、東京湾から上陸したことに始まる。いったん退避したかに見えたそれは、更に強力な破壊力を進化させ再登場する。対抗する国家側官僚たちの人間模様が織り込まれる。役人の面子と互いの腹の探りあいから、国家間の駆け引きまで・・・。

話題となった、即断が必要なゴジラ対策の段取りについて、法の不備を突くような場面もあった。結局、やるっきゃないのだから。圧倒的な力を持ったゴジラに、知恵を駆使して人間が挑むことになる。
最近のCG映画の凄まじさは、まるで破壊現場を目の当たりにしたように、細部にいたるまでリアリティがある。以前のゴジラ映画のような、あうんの理解と鑑賞眼が必要ない。ただ見たままに圧倒感、恐怖感にさらされる。

私が子ども時代に見た、初めてのゴジラ映画は暗い白黒画面だった。ゴジラが夜の街を破壊するシーンは、いっそう想像力をかきたて、恐怖心を最高にした。いまだに忘れられないのは、ゴジラの全身の姿より、破壊の一瞬現れるゴジラの足だった。まるで人間に踏み潰されるアリのような無力感すらした。そう、この映画には、それがまさに再現されている。シン・ゴジラは、今回も子どもたちに一生忘れられない(映画の楽しみという)恐怖を残したことだろう。

映画館で購入したパンフレットに、見終わるまで開かぬようにと帯封がしてあった。

(最後まで引っ張っていく人がいて、はじめて作品が完成することをつくづく実感します)

(Youtubeに登録のjambo reeに感謝)

2014年9月23日火曜日

秋分の日2014

春と秋に、昼夜をほぼ二等分する日がある。今日は秋のその日、「秋分の日」だ。また、彼岸の中日でもある。といって、とりたてて何もない祝日だったが。

(本ブログ関連:”秋分の日”、”彼岸”)

そういえば、バナナ趣味の私としては、落としてはいけないビッグニュースがあったんだっけ。(人工)バナナ味にもっぱら関心持つ身としては、ちょっと趣旨が違うけれど、まるで漫画のバナナ皮ですってんころりんする物理的な課題について・・・だが。

(本ブログ関連:”バナナ”)

日経新聞の記事「『バナナは滑る』証明 イグ・ノーベル賞に北里大・馬渕教授ら」(9/19)は、ゴジラがバナナの皮に滑ってころんでいる絵を掲げて受賞スピーチした、日本人研究者を次のように紹介している。(抜粋)
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・ユーモアで笑わせた後、なるほどと考えさせる研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の2014年授賞式が18日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大で開かれ、物理学賞にバナナの皮の摩擦係数を測定して実際に滑りやすいと証明した北里大の馬渕清資教授ら4人を選んだ。

・日本人のイグ・ノーベル賞受賞は8年連続

・人工関節の研究をしている馬渕さんは「痛みのもとになる摩擦を減らす仕組みはバナナの滑りやすさと同じだが、実際に滑りやすさを測定した学術的なデータはなかった」と研究の動機を語った。授賞式でも実際にバナナや人工関節の模型を掲げ、研究内容を歌いながら説明し笑いを誘った。

・馬渕さんによると、バナナの皮の内側は粘液が詰まったつぶがたくさんあり、足で踏むとつぶれて滑る原因になる。バナナの皮の上を歩いた時の摩擦係数は通常と比べて6分の1しかないという。ほか3人の受賞者は北里大の酒井利奈准教授ら研究チームのメンバー。
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この先生、スピーチ時間(たった1分間)をオーバーして、例によって登場する少女に制止(「もうやめて、私は退屈なの(Please stop. I'm bored.)」)させられるのだが・・・、いいなあ、何から何までジョークが効いている。しかも、受賞の賞金はないし、飛行機代から宿泊費用までみんな自前というのも、本当に洒落ている。
ここでは、「和を以て貴しとなす」じゃなくて、「奇を以て貴しとなす」だ。

2014年6月26日木曜日

映画館

地方にいた子ども時代、映画館といえば、地元町にある2本立て日本映画専門の、いわゆる2番館というか3番館といった方がいいような、場末の臭いするものが2軒あった。たまに親に付いて行くことがあったが、あるとき怪談映画を見せられてから、二度と行くまいと決めた。

(本ブログ関連:”映画館”)

もちろん、駅近くの商店街に行けば、それなりに大きなものがあったし、隣り町に行けばさらに近代的な構えした清潔な映画館もあったけれど、ほんの数回位いしか記憶がない。当時の映画館は、大人が時間を過ごすような場所であって、子どもが楽しめる雰囲気はなかった。子ども向けを意識した、劇場用作品はそんなになかった。

子どもたちは、もっぱら、小学校の家庭科教室といって畳部屋だが、そこで坐りながら児童映画(ディズニー映画や「小鹿物語」など)を鑑賞させられた。夏休みになると、子ども映画会と銘打ったイベントがあり、夜の校庭に張られた、風に揺れる白布の大スクリーンに映し出されたものを、祭り気分で友だちと追いかけごっこしながら眺めたものだ。
ときに、新作の「ゴジラ」や「スーパージャイアンツ」などは、工場敷地に社員専用の映画館(多分公演などもしたのだろう)があって、子どもには小遣い程度で安く見せてくれた。ゴジラの恐怖はここで覚えた。

映画は、いつでも見られるものではなかったし、お金がかかるもの。それが覆されたのは、テレビの登場だった。タダで、いつでも見られるという、空前絶後の驚きだった。それまで、銀幕映画は記憶にしまい場所を決めておくようなものだったが、テレビ・ブラウン管は映像を垂れ流し、消費させるだけの装置でしかない・・・ということに、だいぶたって気付くわけだが。

見たい映画が見られないとき、レコードで我慢したという話しをしようと思ったけれど、話しが横道にそれてしまった。

2014年3月14日金曜日

スーパージャイアンツ

子どもの頃に住んでいた社宅の近くに、小さな映画館が2館あって、それぞれ大人向け日本映画を2本立てで上映していた。ときどき親父に連れられて行ったが、怪談映画を見たときの恐怖を忘れられず、閉口した記憶がある。おかげで、夜の井戸端が怖くて近寄れなかった。

それとは別に、父の勤める会社が直営する映画館が遠く離れた工場敷地にあった。子ども向けの映画があるときはよく見に行ったものだ。教育映画、ディズニー映画など健全なものを、駄菓子代にもならぬ安い値段で見せてくれた。
テレビが登場する以前だから、子どもにとって大きな楽しみだった。それにしても、社宅から離れた場所にある会社の映画館に、親は子どもたちだけで勝手によく行かせたものだ。のんびりした安全な時代だった。

そんな頃、会社の映画館も子どもの期待も受けて、「ゴジラ」や「スーパージャイアンツ」など上映するようになった。「ゴジラ」の足が街の中を踏み潰しながら迫って来る光景は今もしっかり目に焼きついている。幽霊よりも怖かった。モノクロ映像は、ゴジラの睨むように見下ろす眼光の鋭さを際立たせた。そのまま、夢の世界に登場してくるのに十分だった。

「スーパージャイアンツ」は、後のテレビ時代を先取りするもので、悪と戦い地球の危機を救ってくれる、わくわく感のある正義が勝利する勧善懲悪のSF映画だ。主人公のスーパージャイアンツは、映画館で皆と共有できるヒーローだった。それは大事なことだ。テレビのヒーローには、居間(家族だけ)で見るため共有感が乏しくなる。

同じモノクロであるが、「ゴジラ」の覆いつくすような暗影の恐怖感と違って、「スーパージャイアンツ」は、ヒーローの白い衣装に合って、安心感というか何処かほのぼのした雰囲気が印象的だった。なにより、ユニークなタイツ姿が目に残っている。

ヒーローであるスーパージャイアンツを演じたのが宇津井健だった。その後、映画やテレビドラマに登場して、髪を揺らしながら熱演されるのを見るたび、なぜかスーパージャイアンツの英姿を思い出したものだ。
その宇津井健が本夕、82歳の天寿を全うされた。忘れられない銀幕のスターの一人だった。