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2019年11月6日水曜日

健康体操教室

きょうから再び「健康体操教室」へ通うことになった。3年ほどブランクの末の出戻りである。もともと年配者向けの教室なので、無理のないストレッチ体操が中心であるが、汗をかくほどの運動量はある。

(本ブログ関連:”健康体操教室”)

以前、体操教室と他の趣味との時間が調整できず、つい教室を休んでしまった。その後しばらくして気付いたことだが、次第に体がなまってきたのだ。歳相応なのだろうが、姿勢がよくないこともあり、今年後半から時間の余裕もできて教室を復活させた次第。

無理のないストレッチとはいえ、一人でできるならこしたことはないけど、家で体を伸ばしたりねじったりするのは長続きしない。すぐに飽きてしまう。やはり、みなと一緒に、先生の指導を受けながら続けるのがよい。今回は体力の続く限り通いたいと思う。

教室の運動量は、私にとってそれなりの負荷がある。帰宅後、解放されたせいかつい転寝してしまった。以前もそうだったし今回もそう。実に心地よい居眠りなのだ。

そうそう、体操の途中で水分補給が必要だ。自販機でペットボトルの飲料を用意しておこう。

2019年11月5日火曜日

(雑談)趣味的なこと

定年後にやってみたいことのアンケートに、本気度は別にして昔のおじさんたちが思い浮かべたものは、<喫茶店>とか<古本屋>だった。のんびりした時代、まんざらでもない夢だった。

冷徹なコンサルタントは、これからの時代、客待ちの仕事なんて経営として成立しませんよといった。実際、個人営業で<喫茶店>や<古本屋>を成功したという話を聞かない。定年後に、趣味的にやっていけるほど甘い仕事ではないようだ。

趣味に限定すればやれることはある。受動的な趣味ならばさらに大丈夫だ。映画は作れなくても、しろうと映画評は誰にでもできる。絵画を描けなくても、美術展を巡ることは誰にでもできる。趣味的であるというのは、対象と適当な距離にいるということなのだ。

なにより趣味的なことは、いつでも始められるし、いつでも止められる。そのタイミングに人生をかける決意も必要ない。また関心が冷めても人生に挫折することもない。趣味的なことは、その意味で楽しみ気楽なものだ。

あしたから、健康体操教室を復活させようと思っている。この場合、趣味的というより体力維持の方かもしれないが。

(本ブログ関連:”健康体操教室”)

2019年11月4日月曜日

日なたと日かげの温度

寒い季節に街に出るとき、できるだけ日なたを探して歩く。日かげに入ると急に冷えるからだ。そんなとき、<月面>の日なたと日かげの温度差を想起してしまう。(毎週通う、きょうの市民講座は振替休日のため休講)

JAXA(宇宙航空研究開発機構)の月探査月周衛星「かぐや」の説明で、「月の環境」*について次のように説明している。
(*)JAXA: http://www.jaxa.jp/countdown/f13/special/moon_j.html
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月の重力は地球の約6分の1。ほとんど大気がないため、昼夜の温度差が非常に大きくなります。月の赤道付近の観測では、昼は110℃夜は-170℃と、その差は200℃以上もあります。
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これって、月の昼夜を分けて月面温度差を説明しているが、昼間の同時刻について岩かげがある場合、日なたと岩かげの温度差は一体どうなるんだろう。大気が薄いので当然対流はないから、日なたが110℃で、岩かげは-170℃ということになるのだろうか。

宇宙服(船外活動用)が1000万ドルと聞いたが、月面用の場合もっと高価だったのだろうか。地上の日常生活では、季節の衣替えはあるが、日々について幸いなことに空気の対流のおかげで、同日の日なた用・日かげ用の区別なんてない。

ところで、<砂漠>についてWikipediaを見ると、季節の特徴として次のように説明している。こうなると、耐性の強い昆虫にでもなるしかないようだ。
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・最高気温は夏にはおおむね30℃を上回る地域が多く、40℃を超す地域も珍しくない。50℃を超えるような高温が観測される地点は、そのほとんどが砂漠気候である。
・一方冬の最低気温はサハラ砂漠でも氷点下にまで下がるときもあり、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠などの比較的高緯度の地域では、-20℃以下の酷寒となる。
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やっぱり寒いものは寒い。わたしは寒いのが苦手である。

2019年11月3日日曜日

文化の日 2019

11月3日は祝日「文化の日」であり、日本の文化の発展に寄与したひとびとへ「文化勲章」が授与される日でもある。そんな祝日に、私といえば文化と関わりない生活をしているので、のんびりだらりと日永送った。

(本ブログ関連:”文化の日 201820162015”)

きょうの新聞各紙は、文化勲章受賞した次の各氏と業績分野を報じた。
・吉野彰氏(71):ノーベル化学賞受賞者、旭化成名誉フェロー(同時に文化功労賞)
・野村萬氏(本名 野村太良)(89):狂言
・甘利俊一氏(83):数理工学者
・坂口志文氏(68):免疫学者
・佐々木毅氏(77):政治学者
・田沼武能氏(90):写真家

ノーベル賞受賞の吉野氏については、その受賞報道で業績を知った。狂言の野村氏は狂言がテレビなどで話題になるとき名前を知ったような・・・。このお二人しか見当がつかない。ともあれ、庶民が知らなくても日本文化が蓄積していくわけで、1937年以来のすばらしい伝統が続いているわけ。

2019年11月2日土曜日

吉祥寺

JR「吉祥寺駅」の北側に、中央線に平行して東西に走る「五日市街道」の筋がある。昼過ぎのんびり歩いてると、街道に面して寺院の標札をつぎつぎ目にする。

この地は古くからの寺町といわれるが、江戸時代の「明暦の大火」(明暦3年、1657年)の結果、江戸本郷の門前町が移り住んできたもので、さらに「関東大震災」(大正12年、1923年)後に、都心からひとびとが流入して発展したといわれる。

大手書店や古本屋を目当てにたびたび訪れる。しかし、それも最近きつくなってきた。

そういえば、駅南口の「井の頭通り(水道道路)」の南側に広がる「井の頭恩賜公園」にいたっては、最近全く足を伸ばしていない。行動範囲が狭まるばかり。


(追記)
吉祥寺の町にある武蔵野大学で開かれた市民向け連続公開講座「大乗経典の魅力を語る」の第5回「『華厳経』はどのような作品か」(堀伸一郎氏、国際仏教学大学院大学 国際仏教学研究所 副所長)に出かけた。

前半は、堀氏の研究課題であるサンスクリット語による「華厳経」の文献学的な解釈で・・・内容理解に至らなかったが、後半は、華厳経典中の「入法界品」について、少年スダナ(善財)が54人のひとや神・菩薩などを訪ねて法を求めるといった、次のようなトピックを語っていただきしろうとながら興味持てた。
・スダナが会った54人中、2人は同じ場所だったので、53ヶ所での展開となる。このことから、「東海道五十三次」の53につながるのではと語られた。
・スダナが訪ねた地に、「補陀落(サンスクリット語のポータラカ)」があった。補陀落の名前に「補陀落渡海」信仰が浮かんでくる。若いときにずいぶん興味・関心を持った。

(本ブログ関連:”補陀落渡海”)

2019年11月1日金曜日

コスモス畑

先月の半ば(10/15)に見た公園の「コスモス畑」へ再び出かけて驚いた。前回の咲き具合と違って、畑一面がコスモスの花で埋めつくされていたからだ。盛りは遠に過ぎたのではと案じながら寄ったところ、暖かい陽射しに照らされてまぶしいほど輝いて見えた。それは思い描いたようなみごとな花畑だった。

(本ブログ関連:”コスモス”)

コスモスについて、Wikipediaによれば「熱帯アメリカ原産。メキシコからスペインに渡り・・・コスモスと名づけられた。日本には1879年(明治12年)に渡来」とのこと。
きのう(10/31)のブログに記した、「西南の役」(1877年)の翌々年でしかない。きわめて新しい外来植物なのだ。その可憐な美しさに魅かれて人気があるが、「在来の自然植生の攪乱(かくらん)」という面もあるという。この花、すっかり受け入れていたが、トラップにでもひっかかってしまったのだろうか。

太陽の光に照らされて、そよ風に揺れる姿がよく似合うコスモスは、キク科植物といわれるまで気付かない。野草に混じって咲く野菊とその点でちょっと違う気がする。


きょうの公園広場には、めずらしいことに小学生の集団が複数いて、賑やかにはしゃぎ声をあげていた。それも、いろいろな学校から来たようで、車体デザインの違う観光バスが駐車場にずらり並んでいた。また、公園内にある、民家などの建造物を並べた博物園に、観光気分と違った雰囲気の外国人一団が訪れていた。どれもあまり見かけない光景だ。

2019年10月31日木曜日

ハロウィンの街めぐり、NTT技術史料館(電信・電話)

NTT技術史料館
5年ほど前に訪れたことのある「NTT技術史料館」*へ出かけた。「西南の役」(明治10年:1877年)に使用された東京-熊本間の電信(モールス信号による通信技術)について、素人レベルながら教えてもらいたく願ったからだ。今回、デジタル交換機の初期開発にたずさわった方に館内を廻りながら説明いただき恐縮した。
(*)史料館: http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/

(本ブログ関連:”NTT技術史料館”)

電信機の発明者「モールス」(1791年~1872年)の電信機(模型)で、アルファベット別文字板(谷形に切り込みが入ったもの)があって、それで文章を組み立て、連続した文字板の凸凹を電気信号に変えて送信し、受信側は電圧の変化をもとに電磁石によってペン先を上下させて電信記号を表記するといった仕組みを知った。文字単位に板を設けるという発想が面白い。(電鍵は後で考えられたようだ)

「ペリー」が2度目の来航時(嘉永七年:1854年)に土産として献上された電信機は、「送信側の電信機上の電鍵でモールス符号を打つと、受信側の電信機の紙テープにエンボス(凹凸の傷がつく)されて、信号を送ることができ」る**というものだったそうだ。昔のコンピュータの「紙テープ」を思い出す。
(**)郵政博物館: https://www.postalmuseum.jp/column/collection/post_7.html

なお、当時の電池についてどんなものか知りたかったが、資料が不明なため、(また、遠距離の伝送路途中で増幅といったことがされたのかについても同様)別の機会に譲りたい。

西南の役以前、すでに国内の電信伝送路は相当発展していて、「錦絵」で知るようなやっとこどっこいの江戸情緒が残った風情ではなく、(輸入品に頼ったろうけれど)通信技術は相当充実したものだったようだ。何しろ普段目にする電柱を「電信柱」と今も呼んでいるくらい当り前なのだから。(西南の役当時の伝送路には、鉄線が使われていたという)

(参考)年表***
・1869年:東京~横浜間で電信(公衆電報)業務開始
・1871年:東京~京都間に電信ケーブルが引かれる
・1872年:京都~大阪間が開通
・1873年:神戸~長崎間が開通(東京~長崎の全線が結ばれる)
(***1)「北九州イノベーションギャラリー」: http://kigs.jp/db/history.php?nid=2462&PHPSESSID=8ab6d96e143c47cdec3a2f9f7
(***2)ITUジャーナル(Vol. 46 No. 7、2016.7): https://www.ituaj.jp/wp-content/uploads/2016/07/2016_07-07-spotMakuake1.pdf


ハロウィン
町をめぐると、小さな男の子とすれ違った。なにやら背に黒い羽が生えている。ハロウィンにふさわしく蝙蝠の翼のようだ。後ろのお母さんを確かめながら、坊やは飛ぶように走り抜けていった。

鉄道模型風にアレンジした遊び場があって、幼児たちを連れた家族が集まる。きょうは、魔法の棒を持ってきれいに着飾ったお姫さまたちが、小さな箱のような遊具の中で語り合っているのが見えた。そこはきっと童話にある夢の国なんだろう・・・ママチャリのお母さんたちに見守られながら。

2019年10月30日水曜日

シロヨメナ

きのう(10/29)は寒かった。今月に入って、東京都心の日ごとの最高気温で一番低かったのではないかと思ったが、実は10/25と同じ 16.3℃ だったのだ。ならば、翌日との気温差はきょうの方が大きいのではと思ってみれば逆だった。
・10/25: 最高気温 16.3℃  ⇒  翌日10/26: 最高気温 24.5℃(気温差 8.2℃)
・10/29: 最高気温 16.3℃  ⇒  翌日10/30: 最高気温 22.7℃(気温差 6.4℃)

陽射しは結構きつくて(きょうの方が暖かいと思うことにして)、久し振りに自然観察園へ出かけた。観察園の脇に沿った小川は、きのうの雨で水かさを増し、流れも今まで見たことのないほど速く感じた。そこへ崖線からの湧水が激しく噴出して小川に注ぎ込んでいた。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

観察園の中心部分は湿地があって板橋が巡っている。普段、乾燥した地面に、湿った柔らかさを想像するだけだったが、今回は辺りがすっかり水没して、その澄んだ水の下に野草が見えるといった幻想的な光景になっていた。(それを写真に上手くおさめられないのが残念)

ところで、今日観察した野草はキク科の花ばかり。どれも姿が似て見れば見るほど混乱してくる。じっと目を近づけて見比べるばかり。写真は「シロヨメナ」で、観察園の入り口に置かれたリーフレット(地図と名前を記す)で見当をつけたのだが、手元の初心者用<野草図鑑>には載ってない。ネットを参照して確認することになる*。中心の管状花が膨らんでいるのが特徴的。とはいえ、白く小さく咲く様は地味である。
(*)自然観察センターで配布の色刷りリーフレット「公園で見られる野菊」がある。

シロヨメナ
他にもキク科の仲間がいて、観察園の随所に目立つのが「ユウガギク」だろう。花は白色から薄青紫色まで、群がったり、ぽつんと咲いている。薄青紫色に小さく咲くのを見ると気が引かれるものだ。また、もう少し紫色を強調した「コンギク」がある。こちらは少々主張が強いよう。一輪でも美しさを見せる、そんな花・・・あくまで感想だが。

野草の花は見るほどに美しい、もっと知りたいと、なぜかこの歳になって気付いた。

2019年10月29日火曜日

The Rain Song

雨は詩情をかき立てるようで、Googleで「The Rain Song」の言葉を検索すると、洋の東西を問わずいろいろな曲が見つかる。雨は歌の情景であったり、追憶の装置であったり・・・。

ただ、このところの雨には、台風がらみでいい思いがしない。今日も一日雨が降りつづき、冷えびえとしてストーブをつければ暖まり過ぎるしで気は冴えない。

気分転換にいい曲はないものか。以前チーズケーキ作りにチャレンジして失敗し、落ち込んでいたときに聴いたことがある、レトロソウルのバンド “The Olympians“ が演奏する「The Rain Song」に出会った。止まぬ雨の街に似合いそう。

(本ブログ関連:”The Olympians”)

Youtubeの解説によれば、どうやら初版は2010年とのこと。そのときの録音装置Tascam 388は、ネットに当時でも骨董品扱いだったよう・・・レトロに徹した音作りだったのだろうか。


(Youtubeに登録のAndrew MusicOdysseyに感謝)

2019年10月28日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-4

毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ通う。今日で4回目になる。私にとって少々長旅?で、ようやく体が慣れてきた感じがする。帰りの電車で転寝したことはいうまでもない・・・いい按配で心地よい。頭だけでなく、体も解きほぐしてくれる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今回は、内容がヘビーさを増す中で、相当に厳しいテーマ <ホロコースト> について、学習院女子大学教授の武井彩佳氏から「ナチスの時代のユダヤ人」の講演があった。サブタイトルは「ホロコーストの展開と現在に残る『爪痕』」だった。
武井氏の専門分野は、<戦後のホロコーストの補償としての財産問題> とのこと。実は、来週も担当され、次回のテーマ(「ナチスの時代のユダヤ人」について」)にもつながる。

講演で個人的に関心のあったところに絞って記す。

言葉としての「ホロコースト
・ギリシャ語を語源として、ユダヤ教の「燔祭(はんさい)」(宗教的捧げ物する)の意
・ナチスによる虐殺についてフランス語の「ショアー」が使われる
・イディッシュ語で「フルブン(khurbn‎、חורבן)」

ユダヤ人の犠牲について
・ナチスの人種的優位性の理解: アーリア人 > スラブ人 > ユダヤ人
・東欧:ドイツ軍侵攻とともに殺戮が開始される(ポーランド、リトアニア、ウクライナなどで)
   西欧:ドイツ支配下(民政移行=対独強力)の国(ユダヤ人が少数)では、比較的に緩やかに進行
・ドイツ国内:ドイツ在住のユダヤ人は金があって脱出可能だった
   - 戦前在住 56万人 ⇒ 30万人が移民(逃避)、死亡14万人
   - 戦後在住 3.7万人 ⇒ 戦後も移民が止まなかった

ホロコーストの構造
・加害者: ドイツ、オーストリアの20万人
・傍観者(対独協力者): ポーランド、ウクライナ、ラトヴィア、その他(ユダヤ人不在により利益を得た者)
・犠牲者: ユダヤ人の600万人

ホロコーストの実行
・ヒトラーから直接命令の資料はないが、1941年夏ころ口頭指示があったといわれる
行動部隊: 1941年設立、親衛隊(SS)+ 通常(普通)の警察官

強制収容所
ラインハルト計画: ユダヤ人絶滅だけを目的にした絶滅収容所、トレブリンカなど
・強制労働+絶滅: アウシュビッツなど

戦後の東欧の収容所跡地の扱い
・共産党政権下: ユダヤ人を捨象して、収容民を被害者大衆として扱ったが
   自由主義化後: ユダヤ人に注視した再定義が行なわれている
・研究手法: ホロコーストの分析だけでなく、<法>考古学的な発掘調査


(感想)
なにより、ドイツ在住のユダヤ人の行動に注目した。
・ドイツを脱出したユダヤ人はどこへ行ったのだろう? アメリカではなかったのか?
   - 情勢の変化を事前にどのように察知(階層ごと情報収集)したのだろう?
・他方で、多数の犠牲者を占めた東欧のユダヤ人こそ、ユダヤ社会から置き去りにされた人びとだったのではないか?

2019年10月27日日曜日

ハロウィン、ハロウィーン

今月末に催す外来の<奇祭>が近づいた。呼び方に2通りあって、「ハロウィン」、「ハロウィーン」がある。いずれが普及しているかよく分からないが、去年の同じころに本ブログ(2018年10月27日)に次のように記した。
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「ハロウィン」を「ハロウィーン」と呼ぶのが正しいと、若者がテレビで主張していた。テレビは、若者主導のイベントに追従しやすく、今後「ハロウィーン」と呼ぶようになるかもしれない。私にすれば、「ハロウィン」で押し通すつもりだけど。
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(本ブログ関連:”ハロウィン ”)

モードは、特に若い女性にとって、フォーマルから外れる<新規>で<異質>なものほど関心が高い。だから彼女らが奇祭に引かれる余地は十分ある。ハロウィンもひとつの外来の風習であり、定着するのに時間がかかるはず。それをすっ飛ばしたようにいま現在、随所に行き渡っている。

<新規>で<異質>なものを取り込むのは、生物的な場合、(すっかり政治の手垢がついてしまったが)「多様性」につながり、種の安定のもとになる・・・そうやって進化してきたのだから。その意味で、奇祭ハロウィンが広がるのもわかる気がする。ただし商業ベースでせわしく、ファッションに興じる若者たちを見ていると、大事に熟成させたらどうだかと気遣うばかり。若さもライフサイクルの円環の一部でしかないので、気がせくのだろう、分からぬ訳ではない。

欧米のハロウィンは、子どもたちのための、ドキドキしてゾクゾクする行事に落ち着いたよう。若者もそろそろ、ハロウィンを子どもたちへ譲り渡してみてはどうだろうという気がする。

(ティム・バートンの「The Nightmare Before Christmas」から、マリリン・マンソンの「This Is Halloween」に合わせて再編集したもの)

(Youtubeに登録のpoisonpixに感謝)

2019年10月26日土曜日

俳句知らず

俳句知らずが句会について語る言葉などあるはずないけれど、古い新書の「俳句という遊び - 句会の空間」(小林恭二、岩波新書)に、句会の様子がドキュメント風に紹介されている。

(本ブログ関連:”俳句”)

第一日の句会の選評に、参加者の誰がどう発言したのか直接触れず、著者の感想なのかどうかもはっきりしない風に語られている。けっこう辛らつで、それもご愛嬌。
(途中に参加者の作品紹介、また第二日の句会選評では参加者間によるコメントがある)

参加者互選で最高点句から得点順に選ばれるのだが、面白いことに「逆選」というものがあって、マイナス点が与えられるという。選に漏れたら当然0点だが、プラス得点とマイナス点で相殺して0点ということもある。
この「逆選」という仕組み、いろいろな場面で使い道があるのではと思う。

実際の句会に参加した経験などないので、テレビ番組で見るかぎり、NHKの俳句番組「NHK俳句」の場合、選者を中心にきわめて予定調和的に互いをたてあう。司会者の存在を含めて、いい意味で俳句を身近に感じさせてくれる。

それに対して、MBSの「プレバト!!」は見て楽しく、聞い役立つ <言葉の配置の妙> を教えてくれる。選者の解説(評や添削)に、俳句知らずは納得するばかり・・・問題は、その指摘を我が身にしみこむ(受容する)力が乏しいことか。

2019年10月25日金曜日

悲しき雨音

雨降る夜にラジオから流れる定番曲といえば、ザ・カスケーズ(The Cascades)の「悲しき雨音(Rhythm of the Rain)」(1962年11月発売)だった。まさにアメリカンポップス全盛のころ。<悲しき~>シリーズの先駆けだったような気がする。

(本ブログ関連:”悲しき雨音”)

今日一日中雨の、とりわけ止まぬ夜にはうってつけの曲だ。若いころは心にもっと沁みたろうけれど、今は懐かしいかぎり。

それにしても、(温帯というより亜熱帯といわれる)低気圧と台風21号の二段構えによる豪雨が、台風15・19号の被災地に追い討ちをかけている。いささか、うんざりするというか恨めしい。

昼前、そんな土砂降りの中、歯科へ通院した。いつもは使わない大型の傘を開き、衝立のようにして吹きつける雨を遮蔽した。そして、こんな雨の日だったから・・・なのか、歯を1本抜歯してしまったのだ。もう戻ってはこない。

(登録者の訳詞付きに感謝)

(Youtubeに登録のhitou daisukiに感謝)

2019年10月24日木曜日

霜降 2019、霜と晩秋

きょうは二十四節気の「霜降(そうこう)」。<霜の降り始めるころ> に当るが、今月(10月)に入って昨日までの東京都心の最低気温は、昨日の 12.4℃ だった。まだ霜を見るころではないようだ。

(本ブログ関連:”霜降”)

そこで「霜降」を「歳時記」*に探すとなかなか見当たらない。漢文好みの俳句にそもそも無いのかといえば、ネットを参照すると、「晩秋」の範疇にあてはまるとある。霜降りが秋の後半というのは、なんとなく納得できる気がする。
(*)文庫「俳諧歳時記 秋」(新潮社編)や電子辞書にある「ホトトギス俳句季題便覧」

ところで、気象庁の用語に「晩秋」はない(「小春日和」の解説に「晩秋から初冬にかけての暖かく穏やかな晴天。」とあるが)、 そこでWikipediaで「晩秋」を見ると、「秋の終わり頃。11月から12月初め頃に該当する。二十四節気に基づく節切りでは、寒露から立冬の前日までの期間をいう。旧暦9月の異名。」とある・・・、晩秋は、秋の終わりと冬のはじめが重なるころ・・・そんな風だろう。

ちなみに、気象庁の天気予報などで用いる用語に秋は「9月から11月までの期間」、したがって晩秋は11月下旬ころ・・・その時期なら十分寒いので、都心で霜に出会うかもしれない。

2019年10月23日水曜日

結晶洞窟

地下深くに結晶に覆われた洞窟がある。巨大な結晶で、まるでSFに出てきそうな・・・そういえば、レンタルDVDで見た映画「ザ・コア」(地球の中心部分に核爆弾を仕掛けて、地磁気異常から地球を救うというとんでもない話だが)に、地中に水晶が林立する洞窟が登場した。まさに「地底探検」のよう。

地底に、荒唐無稽ではなく、素晴らしく巨大な結晶が存在する洞窟がある。NHKは洞窟好きで、たびたび国内外の洞窟探検ドキュメンタリーを放送する。その中に、洞窟最奥の壁一面に「硫黄」結晶が張り付いている、メキシコ鉱山「ヴィラ・ルース」の映像が紹介されたとき、硫黄好きな私は大いに喝采したものだ。再放送をVHSビデオに収録したりして・・・。

同じく、メキシコの鉱山「ナイカ」の洞窟(「クリスタル洞窟」という)の結晶についても放送された。透明度のある「石膏」の柱状結晶が複雑に交差しているのだが、それはSF映画もどきで巨大。調査研究の人間の姿が小さく見えてしまうほど。まるで舞台装置のようなスケールなのだ。

(本ブログ関連:”ヴィラ・ルース”、”ナイカ”)

今回、ニューズウィークの記事「ヨーロッパ最大の『結晶世界』、『プルピ晶洞』一般公開される」*(10/23)に、<スペイン南部の「プルピ晶洞」(1960年代に閉山した「ミナリカ」鉱山で、最近1999年に発見された晶洞>が紹介されている。結晶は、メキシコの「ナイカ」鉱山と同じく透明度の高い「石膏」で、尖った結晶構造に見える。
(*)記事: https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13248.php

両者の「石膏」は、透明度のある鉱物「透明石膏(セレナイト)」の結晶で、いわゆる石膏像にあるような真っ白なイメージと違う。ナイカと比べて、プルピ晶洞の透明石膏は規模が小さいようだが、今年の8月5日から一般公開されているという。ナイカの場合、地底深くあって研究者にも調査困難な環境のため、現在は地下水を入れ戻しているという(鉱山閉山のためとも)。その方が、貴重な結晶の保存のためにもいいことだろう。
ちなみに、観光ガイドにヴィラ・ルース洞窟の紹介があるが、硫黄結晶のできている場所は「硫化水素ガス」が充満しているわけで観光は絶対に無理・・・安全で観光可能なエリアが洞窟にはあるのだろう。

Youtube映像
・ナイカ鉱山(BBC): https://www.youtube.com/watch?v=HeiMfLmJtzk
・プルピ晶洞(EFE): https://www.youtube.com/watch?v=dItEmYzZknI


(追記)
ニューズウィークの記事タイトルにある「結晶世界」という言葉がたまらない。もし地上世界が結晶化したらどうなるか・・・、恐怖であり狂気的な光景だが、見てみたい気がしないわけではない。J.Gバラードの「結晶世界」は、作家の評価から文芸的とすることもあるようだが、鉱物好き(つまり結晶好き)にいわせれば、SF+アクション風な映画感覚で楽しんだ。

(本ブログ関連:”結晶世界”)

2019年10月22日火曜日

令和の即位の礼

今日は、第126代天皇陛下の「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」が行なわれ、特別な休日(祝日扱い)となった。朝からの小雨の中、式典は厳粛に始まった。テレビは終日報道した。
なお本日予定されていた、天皇、皇后両陛下のパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」は、先日の台風(15、19号)の災害直後であり、11月10日に延期して行なわれることになった。

即位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば*
(*)宮内庁: https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/60#199
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  さきに,日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い,即位を内外に宣明いたします。

  上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間,常に国民の幸せと世界の平和を願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その御(み)心を御自身のお姿でお示しになってきたことに,改めて深く思いを致し,ここに,国民の幸せと世界の平和を常に願い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

  国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって,我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和,人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。

Having previously succeeded to the Imperial Throne in accordance with the Constitution of Japan and the Special Measures Law on the Imperial House Law. I now perform the Ceremony of Enthronement at the Seiden State Hall and proclaim my enthronement to those at home and abroad.

I deeply reflect anew that for more than 30 years on the Throne, His Majesty the Emperor Emeritus constantly prayed for the happiness of the people and world peace, always sharing in the joys and sorrows of the people, and showing compassion through his own bearing. I pledge hereby that I shall act according to the Constitution and fulfill my responsibility as the symbol of the State and of the unity of the people of Japan, while always wishing for the happiness of the people and the peace of the world, turning my thoughts to the people and standing by them.

I sincerely hope that our country, through our people’s wisdom and unceasing efforts, achieves further development and contributes to the friendship and peace of the international community and the welfare and prosperity of humankind.
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2019年10月21日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-3

先週月曜日(10/14)は、祝日の「体育の日」だったため、毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」は休講となった。今日、久し振りの受講になる。セミナー会場のある「武蔵小杉駅」に電車に揺られながら向かった。

講座開始前に講師を紹介される方がいつもと違って、別の方がマイクを握った。なんと、いつもの方の自宅マンションが、先日の台風19号により被災して、その後始末に追われて休まれたというのだ。あの武蔵小杉駅周辺を冠水してタワーマンションを麻痺させた騒動を思い出した。

本日の講演のテーマは、早稲田大学名誉教授大内宏一氏による、ドイツを中心に見た「近現代の政治的イデオロギー・運動としての反ユダヤ主義」についてだ。開始前に配られた資料から、内容がヘビーなだけにどうお話されるのか気になったが、淡々としたものだった。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

反ユダヤ主義」に2つある
・1879年にドイツに出現した(宗教的な観点でない)人種的批判として:「反セム主義」
・ユダヤ教に対する宗教的批判として:「反ユダヤ主義」

「反セム主義」による反ユダヤ主義のイデオロギー性(近代化への危機対応・・・「文化闘争」と反「社会主義」)
・「反セム主義」出現以前
   - 中欧・西欧は「ユダヤ人解放」の傾向にあった
   - 東欧・ロシアは反ユダヤ運動(ポグロム:1881年ロシア皇帝暗殺以降)が起った
・1870年代に政府・自由主義派とカトリック教会の「文化闘争」(カトリックは、背後にユダヤ人の存在を疑う)
・1873年の世界恐慌の結果
   - ユダヤ資本に対する反発が目立つようになる
   - 左翼思想としての社会主義政党の拡大とユダヤ人の関わりへの疑心

ユダヤ人が近代化を代表する(目立つ)存在になる
・金融業・商業、大都市集住、高学歴(大学医学部・法学部への高進学率)、高収入
・ジャーナリズム、大手出版社の経営

ドイツにおけるユダヤ人
・19世紀のドイツのユダヤ人は、ドイツに同化したユダヤ人
・彼らは、東欧から流入したユダヤ人に対して、しばしば「よそ者」扱いをした

ユダヤ人に対する様々な流言、憶測および批判
・手続き的な論証スタイルもあった

第一次大戦後のドイツ
・(口頭で語られたが)戦中・戦後のドイツ人餓死者は驚くべき数いた:70数万人(除兵士)
・(語られていないが)ドイツの戦後賠償額は、Wikipediaによれば「総額は1320億金マルク(約66億ドル、純金47,256トン相当)という1913年のドイツ国民総所得の2.5倍という莫大なもの」だった

現代のドイツでのユダヤ人問題
・元々いたユダヤ人はアメリカなどへ渡り、現在のユダヤ人は東欧から来た人たち
・労働移民のトルコ人・難民のイスラム人問題が主となり、ユダヤ人問題は低まる傾向にある

現代のイスラエルに対して
・ドイツでは、イスラエル批判は「反セム主義」のレッテルが貼られる
・一般にイスラエル批判は左派的傾向が強い

(感想)
・説明はなかったが、第一次大戦後のドイツ賠償に、ユダヤ人がどう関わったか興味深い。
・ドイツのユダヤ人と東欧(ロシア)のユダヤ人との関係が一筋縄ではいかないようだ。結果として、ドイツのユダヤ人はアメリカへ移民したのではないか? そして、東欧(ロシア)のユダヤ人こそ「反セム主義」の直接の対象になってしまったのではないか?
以前受講したときに資料で知らされた、ハインリッヒ・ハイネのドイツのユダヤ人と比較して、ポーランドのユダヤ人に対しての思いが想起される。

2019年10月20日日曜日

「いろは」のくずし字

先日(10/6)、市民向けのお話し会があって「江戸のかな文字」、すなわち「くずし字(変体仮名)」について聴講した。8個のかな文字を選んで紹介されたのだが、全くの初心者のため定着しない。

父の書棚にあった「野の草の手帖」(監修大場秀章、小学館)には、歳時記をかねた野草の解説と図版がある。その挿絵は、江戸後期の本草学者「岩崎灌園(いわさき かんえん)」(天明6年6月26日:1786.7.21~天保13年1月29日:1842.3.10)の「本草図譜」に掲載されたものという。

「野の草の手帖」は残念ながら。本草図譜の図のわきにある説明文について現代語訳がない。せめて私が「いろは」のくずし字が分かれば理解できそうなのに・・・残念。そこで、くずし字超初心者のための本とYoutubeの解説を探した。

Youtubeに、多分(小学校の?)先生向けの説明会の様子が収録されていて、ユニークな意見が語られていた。それは、英語検定などの資格者が多数(英検1級=100万人)いるのに対して、かなくずし字の読解能力者がわずか5,000人しかいないというのだ。これって、どこかでも聞いたような話しで、文字を継承しないことで、以前の文化を途絶えさせることとつながる。文化的危機がまさに警鐘されているのだ。(東京女子大学 高橋修「くずし字読解入門」Part3*)
(*)https://www.youtube.com/watch?v=OSZR0C-vZB0    ←  29:14

話が大袈裟になったが、雑草に関心持ち始めた素人が、少しくらい「くずし字」にも関心を持つのも悪くないだろう。

2019年10月19日土曜日

唱歌「野菊」

一昨日(10/17)、公園を散策していたときにトチノキ(栃の木)の樹下近くにそっと咲く野草があった。うすむらさき色した小さな2輪の野菊「カントウヨメナ」が、風に花びらを微かに揺らしていた。ひっそりと咲く姿は、楚々として味わい深いものだった。

この、うすむらさき色した野菊をうたった唱歌がある。昭和17年(1942年)に国民学校初等科三年生用の音楽教科書に採用された、「野菊(のぎく)」(作詞石森延男、作曲下総皖一(かんいち))である。

「唱歌・童謡ものがたり」*(読売新聞 文化部、岩波現代文庫)によれば、この歌が発表された当時の風潮の中で、石森は <万葉集の「ニギミタマ(和御魂)」の心を持った歌> と説いたといい、また、作曲者下総の思い出の、清楚な野菊野咲く利根川の農村のイメージ <文化から長い事とり残され・・・利根川のほとり・・・> につながるようと語られている。
(*)同書に、石森と戦後GHQとの興味深い関係について僅かながら記されている。

「野菊」

遠い山から吹いて来る
こ寒い風にゆれながら
けだかくきよく におう花
きれいな野菊
うすむらさきよ

秋の日ざしをあびてとぶ
とんぼをかろく休ませて
しずかに咲いた野べの花
やさしい野菊
うすむらさきよ


(Youtubeに登録のyoshihoshi111に感謝)

2019年10月18日金曜日

冷えてきた

今月初、30℃を越える日があったが、今月8,9日の「台風15号」、12,13日の「台風19号」後、冷え込みを感じるようになった。14日になってついにストーブを出して以来、毎日つけっぱなしだ。長袖シャツは必須だし、昨日(18日)からベストを重ねている。

町に出れば、店頭に「ハロウィン」(10/31の行事)のポップが飾られているし、書店には来年のカレンダーまで並び始めた。このまま行けば、「クリスマス」商品もあふれることだろう。そうそう、テレビや新聞で「おせち料理」の予約広告がしきりだし、「年賀はがき」も、11/1に販売するという。

若者は、商業イベントの波を次々かぶって大変だろう。コマーシャル世界で行動をうながされているようなものだから、そこを飛び出しても、また別の消費世界が待っている。その点、おじさん世代は、時代の流れの早さにただうろたえるだけ、なすすべがない。淵に漂い、渦に巻き込まれるだけなのだから。

(日記スタイルのこのブログ、旅行など特別な場合以外、書き落とすことをしなんだ。ところが、本日(10/18)の分を登録したつもりでいてしまい、何と翌日(10/19)になって気付いて大慌て。そんな訳で、今回は。追記登録になる)