今月末に催す外来の<奇祭>が近づいた。呼び方に2通りあって、「ハロウィン」、「ハロウィーン」がある。いずれが普及しているかよく分からないが、去年の同じころに本ブログ(2018年10月27日)に次のように記した。
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「ハロウィン」を「ハロウィーン」と呼ぶのが正しいと、若者がテレビで主張していた。テレビは、若者主導のイベントに追従しやすく、今後「ハロウィーン」と呼ぶようになるかもしれない。私にすれば、「ハロウィン」で押し通すつもりだけど。
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(本ブログ関連:”ハロウィン ①、②”)
モードは、特に若い女性にとって、フォーマルから外れる<新規>で<異質>なものほど関心が高い。だから彼女らが奇祭に引かれる余地は十分ある。ハロウィンもひとつの外来の風習であり、定着するのに時間がかかるはず。それをすっ飛ばしたようにいま現在、随所に行き渡っている。
<新規>で<異質>なものを取り込むのは、生物的な場合、(すっかり政治の手垢がついてしまったが)「多様性」につながり、種の安定のもとになる・・・そうやって進化してきたのだから。その意味で、奇祭ハロウィンが広がるのもわかる気がする。ただし商業ベースでせわしく、ファッションに興じる若者たちを見ていると、大事に熟成させたらどうだかと気遣うばかり。若さもライフサイクルの円環の一部でしかないので、気がせくのだろう、分からぬ訳ではない。
欧米のハロウィンは、子どもたちのための、ドキドキしてゾクゾクする行事に落ち着いたよう。若者もそろそろ、ハロウィンを子どもたちへ譲り渡してみてはどうだろうという気がする。
(ティム・バートンの「The Nightmare Before Christmas」から、マリリン・マンソンの「This Is Halloween」に合わせて再編集したもの)
(Youtubeに登録のpoisonpixに感謝)