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2023年7月8日土曜日

ChatGPT 山師・鉱山労働者とキリシタンについて

山には不思議な話がある。
そんな体験を、山で生活する人びと(たとえば樵や猟師・マタギと家族、集落)にとっては、伝承という形に整理・納得しないとやっていけなかっだろう。また、山を対象化して制覇しようとする都会からやってきた登山者にとっては、テントや山小屋の中で怯え恐怖したいっときのことでしかなかっただろう。

(本ブログ関連:”山怪”)

山にはもう一つの側面がある。
山は鉱物資源を有していることだ。見えないものが見え、鉱山開発するプロジェクトリーダーとなるべき「山師」が必要になる。かれらは消費市場と仲立ちする豪商(背後には奉行)と接触できる能力を有する。それゆえに、過酷な環境下の鉱山労働者と、貨幣で動く市場の両側から胡散臭く見えたのだろう。

(本ブログ関連:”山師”、”石見銀山”)

でも一番恐ろしかっただろうのは、鉱山労働者たちだった。
地底に潜って働く・あるいは働くことを強制された鉱山労働者たちだった。現在、戦場で傭兵に懲役囚を使うように、都市部の犯罪者を鉱山で労役させた時代があった。生きるか死ぬかの境遇だ。いやそれだけではない、平和を享有しながら差別を主張する現代人がとっくに忘れている、かつてのヴィクトリア朝時代には、子どもたちが坑道を這わされていた*。
(*)My Learning 「地下で子どもたちはどんな仕事をしていたのか?」
      ー 「石炭採掘とビクトリア朝時代 地下で働いた児童労働者の物語」
      ー https://www.mylearning.org/stories/coal-mining-and-the-victorians/what-jobs-did-children-do-underground

日本のいわゆるプロレタリア文学以前の期に書かれた小説に、鉱山労働者の悲惨さが描かれている。視点が、政治的な存在として扱おうとする以前のこと、欲望のまま衝突を繰り返し、行き場を失う露わな姿が表現されている。

(本ブログ関連:”坑夫”、”金鉱の妖霊 乾麂子”)

坑道は落盤する。湧水する。ガスがたまる。酸素が枯渇する。粉塵が撒かれる。
かつて、1963年(昭和38年)に発生した三池炭鉱の炭塵爆発事故で、死者458名、一酸化炭素中毒患者839名を出した。たった60年前のこと、わずか二世代前のこと。みんなとっくに忘れている。


ChatGPTへの質問と回答
Q1.江戸時代の鉱山開発にかかわった山師とは?
Q2.江戸時代の鉱山労働者キリシタンを含めて)とはどんな存在だったか?
について問うてみた結果は次の通り。

Q1.江戸時代の鉱山開発にかかわった山師について、どのような人たちだったのか教えてください。
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A.江戸時代の鉱山開発に関わった人々を「山師(やまし)」と呼びました。彼らは鉱山の探査、採掘、鉱石の精錬など、鉱山業全般に携わる専門家でした。以下に、江戸時代の山師についての情報を提供します。

1.役割とスキル:
山師は、主に鉱山探査や採掘技術に長けた人々でした。彼らは鉱山の地質や鉱脈の存在を調査し鉱石の埋蔵量や品質を評価しました。また、鉱石の採取方法や精錬技術にも精通しており鉱山の効率的な運営に貢献しました

2.奔放な生活:
山師は、自由奔放な生活を送ることが多く、鉱山地域を転々としました。彼らは鉱山の開発が進む地域に集まり、鉱山の採掘権をめぐって争いも発生しました。一方で、彼らは高い技術を持っていたため、地元の領主や商人から重宝され、雇われることもありました

3.伝統的な知識と技術:
山師は、長い歴史を持つ日本の鉱山開発の伝統的な知識と技術を受け継いでいました。彼らは地質学や鉱石の特性についての知識を持ち、経験に基づいた採掘技術を駆使しました。また、鉱石の精錬や冶金技術にも独自の工夫がありました

4.貧しい生活と危険な労働条件:
鉱山労働は非常に危険で過酷なものであり、山師も例外ではありませんでした。彼らは狭い坑道での作業や鉱石の採取に従事し、多くの労働者が事故や健康被害に苦しんでいました。また、山師の多くは貧しい生活を送っており、鉱山での収入が不安定であったため、生計を立てるのは難しかったです。

5.社会的地位:
一部の優れた山師は、その知識や技術によって評価され、地元の領主や商人とのつながりを築くことができました。彼らは地域社会で一定の地位を持ち他の労働者や地元住民からも尊敬される存在でした。しかし、一般的には鉱山労働者として社会的に低い地位にありました

江戸時代の山師は、鉱山開発において重要な役割を果たした専門家でした。彼らの知識と技術は、日本の鉱業の発展に寄与しましたが、彼ら自身の生活は貧しく、労働条件も厳しいものでした。
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Q2.江戸時代の鉱山労働者は、どのようなひとびとだったのでしょうか。キリシタンがいたという話がありますが、はっきりした事例があるのでしょうか。
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A.江戸時代の鉱山労働者は、一般的には農村から集まった貧しい人々が多くを占めていました。彼らは鉱山での労働を通じて生計を立てるために働いており、労働条件は過酷でした。

鉱山労働者は、狭い坑道での作業や鉱石の採取、運搬などの重労働に従事しました。彼らは長時間の労働や危険な環境下での作業にさらされ、事故や健康被害に苦しんでいました。また、収入も不安定であり、貧しい生活を送ることが多かったです。

江戸時代の鉱山労働者には、キリシタン(キリスト教徒)も含まれていました。当時、キリシタンの信仰は禁止されており、秘密裏に信仰を守る者も多く存在しました。一部の鉱山地域でもキリシタンの鉱山労働者がいたと言われていますが、具体的な事例については資料に限られており、はっきりした事例があるかどうかは確証できません

ただし、鉱山労働者の中にキリシタンが存在した可能性はあるとされており、彼らは信仰を秘密に守りながら鉱山での労働に従事したと考えられています。しかし、キリシタンであることが発覚すれば弾圧や迫害の対象となり、それによって正確な記録が残されなかった可能性もあります。

総じて言えることは、江戸時代の鉱山労働者は困難な労働環境に置かれ、貧しい生活を送っていたということです。キリシタンの存在についてははっきりした事例が限られており、詳細な情報は得られにくいと言えます
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2018年7月28日土曜日

鉱山の排水

午前中に出かけるには短過ぎ、午後には台風接近で強風豪雨になるという。結局、出かける機会を失った。台風12号は、北上したものの、普段と違って西側(先日の西日本豪雨災害地域の方面)へと大きく向きを変えた。今後が心配だ。

石に関わりがあれば何でも興味を持ち、山について話をいくつか記してきた。マタギ(猟師)の猟場や登山者たちの利用する山小屋の周辺といった、少々近寄りがたい場所で起った不思議な話しについてだ。ひと気のない隔絶した所に、関心が湧いて想像たくましくなる。

(本ブログ関連:”「山怪」、「黒部の山賊」”)

石つながりの山の話から浮かぶのは鉱山だろうけれど、鉱山は、上記のような深山にあるわけではない。鉱山は産出した鉱石の運搬・物流を前提にするため、怪異の世界というより、むしろ人間臭い世界にある。そんなことから歴史の裏側をのぞく話になる。

図書館で借りた本「マタギ奇談」(工藤隆雄著、山と渓谷社)には、あるときマタギが歴史的な鉱山の斜面に人骨を見つける話がある。時代を戻すと、江戸時代に遡ることになる。金銀銅を産出する貴重な鉱山だったため、掘り進めると水が湧き出ることがある。そこで、湧水を排出するため、囚人やキリシタンを人足として使ったという。立場の弱い人間は、いつも歴史の底に隠される。

(本ブログ関連:”鉱山とキリシタン”、”坑夫”)

ここでは触れないが、ある鉱山の歴史につながる。負の面について、その鉱山特有なことではない。鉱山なら歴史の中で一般に見られたことだからだ。
気になったのは、キリシタンが話題に出たことだ。キリシタン狩りで連れてこられたという話もあるが、一方で彼らに鉱山技術を持っているいる者がいたという話しもある。どこで、誰から学んだのか、少々ミステリアスなことだ。

2023年7月6日木曜日

山怪〔朱〕

山へのあこがれをふくめて、仙人の生き方に関心がある。歴史に名を残した隠者と比べて、仙人には奇人の側面もあり、超絶した異世界(たとえば「山海経」にある)に棲むものたちもいる。もう少し、世俗に接する山中や里山に生活する人びとの中で、そんな気配を感じてみたい。

(本ブログ関連:”山海経”)

日本の山地(山中、ふもと)に住む人びとに伝わる、不思議な体験を知りたい。生活の中で、世代を経て醸成し、共感されたものだからだ。それを巧みに聞き出したシリーズがある。「山怪」シリーズ(田中康弘著、山と渓谷社)がそれだ。これまで3冊が刊行されてきた。

(本ブログ関連:”山怪”)

あるとき、Youtubeに田中氏が登場して、4冊目「山怪〔朱〕」が出版されていることを知り入手した。今回、同本カバーの背と裏面が、朱色地になっている。これまではカバーの表を含めて全て黒地だったが、なにか変化でもあったのだろうか。〔朱〕本に理由は語られていないが。

山に生活する人の経験
山中の奇怪なできごとに、山とかかわりが深く住む人びとと、いわゆる都市生活者である登山家の体験がある。山で生活する家族や集落に受け継がれてきた人びとの記憶・価値観は、その共同体のなかで掟(おきて)や象徴につながる。一方、自然への外来者は、受け継ぐべきもない個人的意識のため、一時的な恐怖が多いように思う。その点を明確に気づいて、著者は、山と深く密接にかかわる人びとへのインタビューを続けているのだろう。

登山者の経験
〔朱〕本には、めずらしく登山者の体験談も加えられているが、瞭然、恐怖しかない。山にかかわる生活者のものと異質である。時間をかけてもまれ、規範化されるような物語性がないのだ。
いってみれば、伝承は共感と緊張、話者の息吹と語り口、そんな何もかもが具体的で重層的に共感できる場所でこそ引き継がれる。物語り(小説)に磨き上がる前のことだ。

鉱山関係の話
今回の〔朱〕本には、鉱物関係の話も載っている。北海道松前半島の南側で、砂金探しに古くから多くの人びとが山に入った。その中には、修験者、山伏・行者、迫害をのがれたキリシタンも紛れ込んでいたという。鉱物に関心があって、その点に興味をひいた。以前、東北地方の金山に砂金採りに赴いたときに、指導者からキリシタンの件をうかがったことがある。

江戸期の鉱山での、山師を含め鉱山労働者やキリシタンの存在について、これまでブログに触れているが、別途、ChatGPTに質問を投げかけてみたい。


(Youtube資料)
田中康弘氏が「山怪」の事例を紹介している、Youtubeのサイト「オカルトエンタメ大学」がある。まさに、ストーリーテラーとして面目躍如、一人語りされたりや対談したもの合わせて、次に番組のURLリストを記す。
https://www.youtube.com/watch?v=BVRByBvdbOc
https://www.youtube.com/watch?v=XJbXPXostNU
https://www.youtube.com/watch?v=DbUHUsnjsD0
https://www.youtube.com/watch?v=0kZbP_0uyLw
https://www.youtube.com/watch?v=JIl_8IfWHfc&t=109s
https://www.youtube.com/watch?v=4a6tkaACP_A
https://www.youtube.com/watch?v=enDPSYcSfpU
https://www.youtube.com/watch?v=a6_EEnKVKhQ
https://www.youtube.com/watch?v=xBIB3pJW-zU
https://www.youtube.com/watch?v=E-v34GERG6g
https://www.youtube.com/watch?v=4a6tkaACP_A
https://www.youtube.com/watch?v=QySz7e3HQ5Q
https://www.youtube.com/watch?v=mw5B3kUNLGI
https://www.youtube.com/watch?v=DbUHUsnjsD0
https://www.youtube.com/watch?v=Y_Atl4mIGxI
https://www.youtube.com/watch?v=tHm-A6lktig
https://www.youtube.com/watch?v=HkM__Sxnhss
https://www.youtube.com/watch?v=KBbCYHqwvOQ
https://www.youtube.com/watch?v=vvGyvTZVaC4
https://www.youtube.com/watch?v=qsvNyS0UEFI

2015年3月27日金曜日

(資料) 山師

鉱物マニアの端くれで、アマチュアの末席にずっと留まっている。少しも上達しない。けれど、山中に宝探しするようなわくわく感が忘れられず、今も続けている。といって独力で探し廻ることはない、というよりできない。ベテランについて、鉱山跡のズリ場を(ほんの少し)掘り返す。事前の鉱物産地情報が必要で、もっぱら人脈に頼っている。

その昔、石採りがどうだったか気になる。黎明の山頂に光輝を見てとか、深山の懐に雲立つ場所があってとか、鉱山の発見に神仙というか山岳信仰的なロマンを感じる。さらに、史実を知らないが、鉱山技術にキリシタンの流れがあったという噂を聞いたこともある。そんなわけで、昔に探鉱して、採鉱、精錬、流通といった鉱山経営の一大プロジェクトを遂行した「山師」について、概要だけでも知りたいと思う。

(本ブログ関連:”山師”)

国立国会図書館のデジタルコレクションに、昭和初期のものであるが、一般向けに鉱山についての基礎知識を書いたという「鉱山発見の実際知識」(東京研修社、昭和13年)が公開されている。昔は一般に、鉱山が今より身近だったのだろうか。

同「序説」に、「山師」についての紹介がある。長めの引用になるが次に書き写す(下線は追記)。この書が出た頃(昭和初期)まで、山師の名を、リスペクトされる本来の技能者としてスウィングバックが試みられたようだが・・・すでに遅すぎたのだろう。

ちなみに、青空文庫に公開されている、明治以降の書籍を<山師>で検索してみると、偏見に満ちた用法がわかる。山師が、江戸幕府と密着した利権を持っていたので維新後に蔑まされたのか、あるいは江戸時代に既にそうだったからかは知らないが。

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一、山師

   鉱石及び鉱床を探索してこれを発見する事を探鉱と云ひ之をなす人を探鉱者と言ふ。而して此等鉱石と鉱床とは決してむやみに撒布されるものにあらず、此の事業に従はんと欲せば先ず充分の修養をなし能く鉱石及び鉱床の智識を得て着手すべきである。

   今日にあっては山師なる名称は大に悪用され詐偽又は投機者と同一意義に使用さるゝに至った。此語は主として鉱山に用ゐられ今日の語で云へば鉱山の持主又は技師長と云ふやうな人に適用されて居た。乱世時代にあって各地の英雄が鉱山殊に金山を尊んだことは非常なものであって殆んど其價を問はざる観があった。

   徳川家康の如き駿河日陰沢に於て金山を経営し且つ之を監督せるとき自ら筆を執って山例五十三条を制定して鉱業を盛んに保護奨励したものである、此山例中各所に山師なる語を用ゐて曰く「山師金掘師を野武士と称すべし」と、即ち鉱山の鉱主より鉱夫に至る迄武士を以て待遇されたるであった   曰く「山師金掘師つ儀は関所見石(みいし)と一通りして可相通事」と。鉱山関係の者は鉱石一片を持参すれば無切符で関所を通された。「山師金掘師に於ては山内諸事停止したるのなし鋪内では今日ある命ならざればなり」と規定し且つ「山師金掘師人を殺し山内に駆け込むとも留置き仔細を改如何事も山師金掘師の筋明白相立候はゞ留置相働かせ可申事」と。鉱山師坑夫等には最上権を與(あた)へ時としては殺人罪までもゆるされた又山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は銅山師と順列たるべし」と言ふた。右の規定を見るも分るが如く山師なるものは鉱山師に対する一つの尊称であって、鉱山家となり、又技術を指導するのであった。

   されば今日にあって適当の方法により国宝たるべき金の産出に努力せんか。世の金山氏は即ち右の山師として尊敬を集むるであらう。

   幕藩時代には何事でも血統を重んじるもので此探鉱者となる人でも亦一定の家筋があって。
此家には立派な鉱物標本を備え、其標本は縮緬の敷物に載せられ、桐の箱に納められ家宝として之を子孫に伝へ一子相伝として鉱石の智識を授け、常に山野を跋渉して鉱石の探索に努めた。されど惜しむべきは彼等に組織的頭脳なく、また泰西の学術を学ぶこともなかったので、只鉱石の外見上のことにて■石のこと聞き覚え之を携へて奔走したるに過ぎなかった。従って大なる収穫もなかった訳である。

   此の如く無知なる探鉱者即ち無法なる探鉱をなし自ら産を失ひ又人に迷惑を掛くるに至った。従って無法なる企業者亦は投機者に山師なる悪称を與ふるに至った、今後の探鉱者は必ず基礎あり智識ある人格者でなくてはならない。
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上記引用に、山師と(新しい時代の)探鉱者が区別されている。探者は、智識も格式もない・・・いってみれば産地を荒らすマニア並みの扱い。そう考えると分かる気がする。それにしても、本当の山師に一度会ってみたかった。

2025年5月13日火曜日

5月の満月(フラワー・ムーン)

きょう(旧暦4/16)の「満月」を、花の5月にふさわしく、米国の農事暦で「フラワー・ムーン」と呼ぶ。実は、本日の日付に変わった深夜の午前1時56分に満月を迎えている。まあ、それでも今晩の月は限りなく丸く見えるので、「21時頃に南の方角、高度 62.3度」(Search Labs)に浮かぶ姿を見てみたい。

(本ブログ関連:”5月の満月(フラワー・ムーン)”、”満月”)

■  日本気象協会(tenki.jp)
「2025年の『フラワームーン』はいつ?  名前の意味と由来は」(中川裕美子、更新:2025年05月01日)
    ー https://tenki.jp/suppl/y_nakagawa/2024/05/21/32454.html#sub-title-c

5月の花といえば、花より先に、1620年に英国のイングランドからアメリカ大陸へ渡航した「ピルグリム・ファーザーズ」*が乗船した船名が出てくる。
(*)ピルグリム・ファーザーズ: イングランドのカルヴァン派の流れをくむ非国教徒の一つで、清教徒(ピューリタン)の一派「独立教徒(インデペンデント)」。(以上、Search Labs)

同じ海洋国でありながらと思うことがある。英国のピューリタンの独立教徒は、宗教的信念から大西洋を横断して新天地を求めたが、日本の江戸時代のクリスチャンは、隠れキリシタンとなって身を隠した。だが、独立教徒たちは渡航先で侵略者に身を変じた。

「メイフラワー」という響きに、初夏の穏やかな陽射しを受けた花が見える。バラ、カーネーション、ライラック、ツツジ、スズラン、ポピー、フジ、ハナショウブ、スミレ等々。

合わせて、5月は気象庁の季節区分で春(3月~5月)の終わりだが、すっかり初夏の気分である。初夏を知らせる鳥「カッコウ」も気になるところ。

(本ブログ関連:”カッコウ”)